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第六十四話:兄弟

「お久しぶりです、王子……いえ、もう王太子殿下、とお呼びするべきでしょうか」

 

 あの孤島の別荘から帰還して、数日後、リュートは、無事にルークリヴィル城にて、王太子ヨシュアとの再会を果たしていた。

 変わらぬ少年の笑みに、そして、輝く銀髪。だが、そこには以前感じた幼さはない。

 リュートに窘められ、そして、正当な王位継承者となった事。それが、彼に自信をあたえているのであろう。あの父である国王を彷彿とさせるほどに、今の彼は、凛として、気高い雰囲気を兼ね備えていた。

 

「久しぶりだな、リュート。会いたかったぞ。しばらく、世話になる」

「いえ、その様なお言葉……。先だっては、失礼をば致しました。突然、出征してしまい、貴方の立太子の儀にも出席することが出来ず……」

「いや……、いいよ。うん……」

 

 久しぶりに会ったというのに、どこか両者の間に、ぎこちなさが流れている。それは、あの会議で衆目の元に晒された、リュートの出生の秘密によるものに他ならない。

 ……つまり、今この目の前にいる男が、自分の本当の兄弟かもしれない、という事実の為だ。

 

「あ、あの殿下。此度の遠征に、どうして貴方が……」

 かつてはどこか気楽に話せていた関係だったのに、どちらからともない緊張感がお互いに走る。そんな微妙な二人の関係を、乱暴に打ち破ったのは、王太子の後ろにずっと控えていた男二人の存在だった。

 

「貴方が、兵の補給要請をされたからでしょう。何を言っているのですか」

 そう小馬鹿にした口調で、王太子を守るように控える長い睫毛の男、近衛隊長ラディル。……そして。

 

「その通り。貴方が、伝染病に罹って、兵どころか、ガンゼルク城を落とされるというヘマをやらかすから、こうして、この北の大公である僕までも応援に来させて頂いておるわけではないですか」

 リュートの従兄弟でもあり、そして北を治める新大公として即位したばかりのエイブリー。

 

 この二人の存在こそが、今、最もリュートの心を、苛々と逆撫でしている原因に他ならなかった。そして、そのリュートの苛立ちは、勿論、この二人を連れてきた、いや、連れて来ざるを得なかったヨシュアにも嫌というほど伝わっている。

「す、すまない、リュート。ぼ、僕は……」

 言い淀む王太子を遮って、近衛隊長であるラディルが、リュートの目の前に立ちはだかった。そして、迎え入れられた主室の上座、……つい最近までリュートが座っていた席をおもむろに、布で一撫ですると、その座席の上に、ふわり、と上等の布までご丁寧にかけて、恭しく太子に告げる。

「殿下。今日から、ここが貴方のお席ですよ。どこぞの下賤な男が使っていた椅子で申し訳ございません。すぐに命じて、新しい椅子を用意させますので、今日の所はこれでご勘弁を」

 

 その嫌味の塊とも取れる台詞に、食って掛かったのは、意外なことに、リュートと共に、ヨシュアを出迎えたクルシェだった。

「……何を無礼な……! 下賤な男とは、あまりではありませんか、近衛隊長殿!」

 これには、迎えられた当のヨシュアが、誰よりも驚いていた。何せ、あの闘技場を一緒に楽しんだクルシェときたら、それはそれは、おどおどと引っ込み思案で、とても近衛隊長相手に、このような台詞が吐けるような少年でなかったからだ。

「クルシェ……。久しぶりに会ったら、お前、大分変わったな」

「殿下、勿体なきお言葉。殿下も随分立派になられて……。またお会い出来て嬉しいです」

 

 そう再会の笑みを交わす少年二人の間に、今度は、ねっとりと嫌らしい銀狐の声が割って入る。

「おやぁ。お宅、確か、東の大公家の坊ちゃんじゃ、ありません? 嫌ですねぇ。東部者は今でもこの下賤育ちの味方をしておるのですか」

「……止めないか、エイブリー! クルシェは王太子である僕の友人だ。それに、ラディルもだ。僕は、椅子なんて、どこでもいいんだ。リュートを貶めるような真似はするな」

 咄嗟にヨシュアが窘めるも、当の二人は、その言葉が上手い具合に聞こえていないようだ。相も変わらぬ侮蔑、そして、嫌悪の目をリュートに向けて来ている。

 

 ――まあ、仕方ないか。

 

 その視線を受けて、リュートは小さく嘆息する。

 あの御前会議で、自分のやらかした事を鑑みると、この二人の反感を買っても仕方ないどころか、当然に過ぎる、というものだからだ。尤も、こんな小者共の妬み、嫉みなど、今の自分にとっては、どうでも良いことなのだが。

 

 そう踏んでいたリュートに、嫌味な狐は意外な台詞を突きつけていた。

「しかし、英雄殿も大した事はなかったのですなぁ。あれだけ大口を叩いて勝手に出征しておいて、この体たらくとは。これでは、次に開かれるであろう戦の指揮権をお任せする、というのも怪しいものです」

 そして、その言葉尻に乗るように、近衛隊長ラディルの嘲笑も被せられる。

「その通りですとも。何より、ここには、将来この国を統べるであろう王太子殿下もお越しになっているのです。その方を差し置いて、軍の指揮を握ろうなどとはねぇ……」

 

 指揮権が揺るがせられるその言葉に、流石のリュートも、思わず絶句していた。いつもなら、こんなふざけた事を言う男共の横っ面を問答無用でひっぱたいている、いや、その顎たたき割っている所だが、ヨシュアの手前、それも出来ない。ただ、忌々しげに、ぎりぎりと嫌らしい二人を交互に睨め付けるのみだ。

 そんなリュートの内心の葛藤を知って、あざ笑うかのように男達は続ける。

「おや? まさか、軍の指揮権は譲らぬ、とでも言い出しますまいね? 相手は殿下ですよ? その方よりも上に立ちたいなど、畏れ多いにも程があるのではないですかな?」

「そうそう。確か、貴殿は、王位継承権を放棄された身。その様な身分の方が、正当なる王位継承者がいらっしゃるのに、指揮権を要求するのであれば、もう一度王位を狙う反逆の徒、として捕らえられても仕方がないのではありませんかねぇ」

 

 

「――止めろ!!」

 

 留まることのない男達の言に、正当王位継承者のぴしゃり、とした制止が被さっていた。

「ラディル! エイブリー! お前達は、本当に下らないな! 僕は指揮権なんか欲しくない! 良いから下がれ! 僕は、リュートと二人きりで話がしたい。王太子である僕の命が聞けないか!」

 これには、流石の毒蛇二人も堪らなかったらしい。返す言葉も見つからず、ただ、不満げにその口を尖らせるのみだ。

「下がれ! クルシェもだ。リュートと、大事な話がある。何人たりとも、この部屋に近づくな!」

 

 

 

 ヨシュアのその命を受けて、居合わせた男達は、すごすごと主室から退散をしていった。そして、部屋には、血が繋がっているかもしれない男二人が残される。

 まだ、厳しい残暑の残るルークリヴィル城の一室。しばらくの沈黙と共に、男達の体にも、じっとりとした汗が流れる。そんな気まずい空間を破って、ヨシュアがまず口にしたのは、謝罪の言葉だった。

「すまない。あんな二人を連れてきてしまって……。僕は一人で、補充兵を連れて来たかったんだが、近衛隊長は僕の警護を、そして、エイブリーは北の大公軍を君に貸してもいいか見極めたいから、是非に、と付いてきてしまって……」

「いえ、お気になさらずに……。王子、……いや、殿下のお気遣い感謝致します。兵を補充して下さるだけでも、本当にありがたいことですのに……。こちらこそ、思ったように、ご期待には応えられませんで……」

「いや、いい。君は、本当によくやってくれていると思う。父上も、そう言っていた……」

 最後の言葉に、ほんのりとだが、暗さが宿った。その微妙な変化をリュートは聞き逃さない。

「あ、あの、殿下。ぼ、僕は……」

 何か、言う言葉を探そうとするリュートの言葉に、ヨシュアの声が重なる。

 

「驚いたよ。あの、御前会議」

 

 薄々、それは、リュートも、予想していた言葉だった。

 それもそのはずで、ヨシュアに取ってみれば、闘技場で憧れていた男が、いきなり兄であるかもしれない、と知らされたその矢先に、その男から、兄弟の決別宣言を受けてしまったようなものだったからだ。しかも、その事について、色々と、話したい事があったのであろうにもかかわらず、当のリュートは、王位継承権がヨシュアにあることだけを堂々と宣言して、さっさと遠征に出てしまったのだから。

 その事について、少々ヨシュアには悪い事をしたかもしれない、という罪悪感が、リュートに残っていたのは確かだった。だが、しかし……。

 

「……すみません、殿下。驚かせてしまって。けれど、あの場では、あの方法を取るしか、なかったのです。僕が、貴方の王位継承権を脅かすことがないよう、ああして……」

「分かってるよ。もし、あのまま君が、もう一人の王位継承者として、擁立されていたら、きっと、僕らは、今頃こうして話すことも出来なかっただろうから……。君のしたことは、……賢明だったと思う。でも……」

 そうヨシュアは、小さく最後の言葉を言い淀んだ。その言いかけて止めた言葉に、何かある、と即座にリュートは感じ取るが、彼は、その口から、なかなかその先を言おうとしない。

 

「殿下。……あの……」

 リュートが呼びかけたその敬称に、ヨシュアは何か、まるで自嘲するような笑みを浮かべた。そして、ようやく、その口を開く。

「……殿下、か。本当なら、君がそう呼ばれていてもおかしくはないのにね」

 

「な、何を仰いますか。そのような……」

 あまりの言葉に、そう言いつのるリュートの前で、再びヨシュアが笑う。そして、その父譲りの青い瞳を、部屋の窓から外へと向けると、リュートに向けて、静かに思いを告げた。

「僕は、王太子になった今でも、思うよ。……君の方が、本当は王に相応しいんじゃないかって……」

 

 ――王に、相応しい?

 

 言われた台詞が分からず、リュートはしばし言葉を失って、ヨシュアを凝視するしか出来ない。だが、ヨシュアは、その顔を背けるように、窓の方を向いたまま、こちらを向こうとはしなかった。ただ、その後ろ姿だけをリュートに見せて、さらに言葉を続ける。

「僕は、君に窘められて、ようやく自分の成すべき事を見つけた。だから、この王太子、という職務が、嫌という訳ではないんだ。今まで、僕を養い、敬ってくれた国民達の為に働くことに、何の異存もない。ただ……」

 言うと、ヨシュアは、その目をさらに、城の外の広場へと向けた。

 そこには、有翼の獅子の旗の下、規則正しく整列した兵士達が、一糸乱れず訓練に励んでいる。時折、大きく響いている熊の様な野太い声は、おそらく教官であるナムワのものだろう。

 その見事な鍛練風景を見るにつけ、ふう、と深くヨシュアの口から溜息が吐き出された。そして、リュートの方へと向き直ると、真摯な眼差しで、彼にずっと抱いていた思いを告げる。

 

「……ただ、僕より、才のある人物を差し置いてまで、僕が王位につく、というのが、本当に正しいことなのか、と……。それを最近、ずっと考えていた」

 

「……さ、才がある人物……ですって?」

 言われた意味が分からぬ、いや、分かっているが、認めたくないリュートに、ヨシュアはさらに続ける。

「ずっと、見てきたよ。この城に来る間、君の育てた兵士達を。そして、ずっと聞いてきた。兵士達の君への賞賛の声を。兵士達は、この城を守ってくれた君を皆、敬い、そして、信頼している。僕には、どう頑張っても、そこまでの事が出来るように思えないんだ。僕が君に勝っていることと言ったら、せいぜい正妃から生まれた、という身分の良さくらいしかないもの」

「な、何を仰いますか、殿下。僕より貴方が劣っているなんて、そんなことが……」

 そう言いつのるリュートに、ヨシュアは、顔を伏せ、何故だか、哀しげに微笑んだ。

「いいよ、リュート。君の考えは痛いほど分かっている。さっき、あの二人も言っていたように、今、君がまた王位に就こうとするようなことがあれば、反逆罪にも問われかねないし、それに、誰より、僕の母上が黙っていないさ。だから、現実的ではない、と分かってはいるのだけれど、つい、そんな風に考えてしまうんだ。君が、……君の才能が、うらやましい、とね。君は、僕より、武芸も達者だし、勉強だってできるだろう。正直、時々、……嫉妬してしまう」

 

 その言葉に、リュートの心が、いつになく、ぞくり、と震えた。

 ……どこかで、聞いたことのある台詞。

 かつて、自分がただの伯家の養子だった頃。……そう、あのレンダマルにいた頃だ。

 

 ――『俺は、きっと、あいつに嫉妬する』

 

「……レミル」

 その言葉をかつて発した男の名を、思わず、リュートは呟いていた。

 

 そして、何故だか、目の前の少年の顔に、かつて兄として慕って止まなかった男の、少年時代の顔が重なる。

 

「――や、やめてくれ」

 

「リュート?」

 

 不思議そうに問うヨシュアの前で、勢いよく白羽が翻った。

「す、すみません、殿下。少々、気分が悪いので、失礼します」

 言うと、リュートは、蒼白の顔で、部屋を飛び出していた。後ろに、ヨシュアの声が響いているが、それに構う余裕は、なかった。

 

 ただ、その脳裏に兄の言葉と顔、そして、あの雪の戦場の光景だけが、ぐるぐると渦を巻いていて、ただただ、吐き気がして、堪らなかった。

 

 

「おや、英雄殿、どうされました? 殿下とのお話は済まれたので?」

 部屋の外で待っていた毒蛇二人が、声をかけてくるが、何を言っているのか、さっぱり分からない。

 

 ――どこか、誰も、いないところへ行きたい。

 

 そう願うリュートの足は、自然、城の屋上へと向いていた。あの、収穫祭の夜と同じ、空の見える屋上へ。

 

 

 

 

 

「リュート様! 待って下さい!」

 咄嗟に毒蛇達と共に、部屋の外で待っていたクルシェが、彼の後を追おうとする。だが、ふと、彼の黒い瞳の端に、嫌な光景が映った。

 

 ……嗤っているのだ。

 

 リュートが顔面蒼白で去っていく姿を見ていた、ラディルとエイブリーの口元が、嫌らしく嗤っているのだ。

 その一瞬の彼らの仕草に、クルシェは、腹の底からの嫌悪感をもよおす。それと同時に、彼の勘が、何かいい知れない不穏な空気を感じ取っていた。

 

 ――この二人、絶対に、何かあるな。

 

 そう確信したクルシェは、去っていったリュートの後を追うふりをして、とりあえず、その場を去った。そして、すぐに、その身を翻して、体を城の廊下に置かれている置物の影へと隠す。

 すると、クルシェという邪魔者が居なくなったと判断したのか、毒蛇二人は、さらにその口の端を歪めて、愉しげに会話を始めた。

 

「……いやぁ、案外、もろいものですね、英雄殿も」

「本当に。……あの女、ドクター・マリーの言う通りでした」

 

 ……ドクター・マリー?

 聞き慣れない名に、クルシェはその耳をさらにそばだてる。

 

「『英雄殿は、嫉妬を受けるのに弱い。……特に、身内、兄弟からの』、でしたか。あの女の忠告は」

「ええ。あの男は兄から嫉妬を受けたことに、トラウマがある。ならば、ヨシュア殿下を使うとよろしいのでは、と。何と言っても、ヨシュア様は、あの男の上に立つ『主君』にして『弟』ですからね。自分が仕えようと思っていた人物から、自分の才能を羨まれて、疎んじられるのが、あの男が一番嫌う事、と言っておりました。それが、誰かに言わされた台詞でなく、殿下ご自身の本心ともなれば、尚更あの男は辛いでしょう。いやぁ、王太子殿下のそんな内心まで量っているとは、女の読み、というのは実に怖いものです」

「だから、わざわざ、国王陛下にご進言して、殿下の初陣を推し進められましたのか。いやあ、悪いお方ですね、エイブリー殿は」

「何を仰る。あの男の失脚する様を、間近に見たいと付いてきたラディル殿とて、かなり、性格、お悪いのでは? まあ、殿下のお役目は、あの男に精神的なプレッシャーを与える為だけではないのですがねぇ」

「そうですね。とりあえずは、あの男に、南部熱での失態について、責任をとってもらうことに致しましょうか」

 

 ……何だって?

 

 聞こえてきたその男達の(はかりごと)に、クルシェは置物の影で、ぎりぎりと歯噛みする。

 

 ……何だ、こいつら。今更のこのこ来て、何をするかと思えば、リュート様を陥れようとするだなんて。実際に、軍を運営し、そして、あの南部熱の脅威の中、この城を守ることが、どれだけ大変だったか、経験した当人しか分かりはしないのに、この男共ときたら、高い所から、その采配をうじうじと……。お前らなんか、実際やってみたら、どれほどの事ができるっていうんだ。この毒蛇共め……。

 

 そう内心でいきり立ち、もう我慢出来ない、とクルシェが飛び出そうとした時だった。

 

「――しぃっ。今は、動いてはなりません、クルシェ様」

 

 背後で小声がかけられたのと同時に、おもむろにクルシェの口が手で塞がれていた。

 

 振り向くと、そこには、見知った小男の姿。いつも、恐れながらも憧れていた兄の側で、きらり、と眼鏡を光らせ続けていた文官。

「お、オルフェ!?」

 塞がれた口で、クルシェは小さく男の名を紡ぎ出した。それに答えるように、眼鏡の奥の、水晶に似た瞳が、にっこりと、細められる。

「お久しぶりです、クルシェ様」

 

 

 

 

 

 ……どうしてだ……。

 

 見張りの兵士を下がらせて、一人になったルークリヴィル城、北居館の屋上、リュートがそう小さく呟く。

 

「どうして、今更、ヨシュアの顔が、……レミルと重なるんだ……」

 あの、レンダマルの兵士鍛練所で、トゥナに告げたレミルの言葉が、嫌でも蘇ってくる。そして、同時に、あの時感じた心情も、だ。

 

「……僕が、うらやましいだって?」

 自嘲げにそう呟くと、嫌でも、乾いた笑いが零れた。

 

 ……この自分の何が、うらやましいと、言うのか。

 この、血塗られた道しか行く場所のない自分の。誰かに利用され、そして、それと抗い続けなければならない自分の。そして、今、どうしようもない虚無感に取り憑かれているこの自分の。

 

「みんな、勝手にすればいい。勝手に、人を嫉んで、羨んで……。こんな運命、欲しけりゃ、誰にだってくれてやるのに……」

 

 誰も、この自分のこの孤独など、分かってくれはしない。

 皆、自分の事を、勝手に、王子だの、英雄だのなんだのと祭り上げて、期待し、妬み、嫉み、利用し、疎んじ……。


 ……誰も、僕の、本当の気持ちなど……。

 

「……関係ない。関係ない。誰が、もう、どうであろうと。誰がこの僕を嫉んで、疎んじようとも、もう、関係ない……」

 そこまで言うと、リュートはその双眸を、南の方角へと向けた。そして、かつて自分の兄を奪った戦をした男へと、その思いを馳せる。


 ……あの男は。

 国を侵し、その民達から恨まれ、時には自分の部下を失い、それでも尚、鉄人としてあり続けるあの男の、胸中とは一体、どのようなものなのか。そんな運命を、いかにして、あの男はその心に収めているのか。


「いまさら、だな。いまさら、何を言っても、仕方がない。例え運命がどうであれ、今僕がここにいる事は、他でもない、この僕が選びとってきた道だ」


……それに、決着を付けるために。


「将軍。僕は、終わりにする。……お前を殺して、僕は、もうこんな運命、終わりにしてやる」

 

 ――絶対に、負けるものか。

 

 そう決意するように頷くと、リュートは兵達の指揮に戻らんと、その靡く金の髪を翻した。そして、自分に言い聞かせるかのように、一言呟く。

 

「僕の、……最後の戦いだ」

 

 

 

 

 

 

「お、オルフェ。ど、どうして君が、こんな所に……?」

 毒蛇たちの密談から、気づかれぬように離れ、クルシェと、そして、久々に顔を見せた眼鏡の小男、オルフェは、誰も居ない中庭へと場を移していた。

 

「いやぁ、私、ランドルフ様の元を去ってから、宰相様の元で働いておったのですがね、少々厄介なお役目、賜りまして、殿下と一緒に参りましたんですよ。それにしても、あの男、相変わらず、人の妬み、嫉み、買いまくっておりますなぁ」

「相変わらずって、オルフェ! あの方は……」

「……分かっておりますよ、クルシェ様。あれとは、長くはありませんが、そこそこの仲ですから。そう、そこそこ……いい様に使われた仲です」

 言いながら、オルフェの脳裏には、あのリュートと過ごした日々が蘇っている。共に、秘書としてランドルフを支え、そして、この城で出たくもない戦場にかり出され、そして、王都では金に物を言わされて、秘密を探らされた仲だ。

 そんな経験があるからこそ、オルフェにも、よく分かる。……あのリュートという男に起きている、異変が。

「確かに、あれは、少々、弱っておるようですな」

「オルフェ! リュート様と仲が良いんだったら、君、何とか出来ないか? きっと、君に会ったら、リュート様も喜ぶよ」

 クルシェのその懇願に、オルフェは、その眼鏡をいつものように、きらり、と光らせて、反論する。

「仲がよい、とは、少々語弊がありますが……。あれとは、ただの腐れ縁というだけで。私にあれをどうこう出来るものではないのですよ」

「そんな……! そんな冷たいこと、言わないでよ! オルフェとリュート様は、友達じゃないのか?」

 

「と、友達?」

 突然飛び出したその単語に、思わずオルフェの眼鏡がずり落ちた。そして、動揺したように顔を真っ赤に、汗をかきながら、何度も何度もその眼鏡を直す。

「と、友達……。と、ととととと友達?」

 

 久しぶりに聞いた青臭い台詞に、オルフェの動揺は止まらないようだ。

 何しろ、オルフェはもういい年した大人である。それだけでも恥ずかしいというのに、よりにもよって、その友達と言われた相手が……。

「ち、ちちちち違いますっ! あんな暴君、友達でも、何でもありません!!」

 そう言いつのるオルフェの一方で、クルシェには、何故、彼がそこまで動揺するのか、理解が出来ない。ただ、無邪気な少年の笑みで、嬉しそうに、彼に告げてやる。

「どうして? 僕は、ここに来て、たくさん友達、出来たんだ。オルフェとリュート様だって、そうじゃないの?」

 

 ……ああ、青いって素晴らしい。

 

 向けられた清々しい笑みに、オルフェは、顔を朱に染めて、そう嘆息するより他にない。

 

「と、とりあえず、あれと私の関係については置いておくとしましてね。それよりも、状況は少々悪い。あの毒蛇二人、何か企んでおるようですので」

 なんとかさっきの上気した頬を覚まし、オルフェは、真剣な面持ちでクルシェにそう向き直った。それに、クルシェの首も大きく縦に振られる。

「うん、僕もさっき聞いた。ドクター・マリーとか何とかって。それに、責任を取るとかも……。ねえ、オルフェ、何とかできない? リュート様を助けて差し上げられないかな?」

 その問いに、オルフェはまたその眼鏡を直して、ふう、と大きく溜息をつく。

「そうしてやりたいのはやまやまですが、相手が悪い。近衛隊長に、新しい北の大公殿ときた。流石に、私のような文官では相手にされませんし、いくら大公家の御次男とは言え、貴方でもね……」

「そんな……! では、どうしたら……」

 そうふるふると体を震わせるクルシェの前で、きらり、と眼鏡が意味ありげに光った。

 

「まあ、あれをどうにか出来るとすれば、あの方くらいですか」

 

「……あの、方?」

 クルシェにはオルフェの言うあの方、というのが誰なのか、見当が付かない。そんなクルシェを横目に、オルフェは、その口から、また仕方なさげに、はあぁ、と深いため息を吐き出しながら、一人ごちる。

「まったく、せっかく私が書簡を送ってやったのに、未だここに来る気配も見せないとは、あの方、また何か意地を張っておられるのか……。どうせ、また、主君の資格などないだの、何だのと、どうでもいいことをうじうじと……」

「う、うじうじ? お、オルフェ、それは一体……?」

 

 そう問うクルシェの目の前に、オルフェは懐から取りだした一枚の紙を突きつけた。まだ、何も書かれていない、上等の紙である。

「流石に、貴方からの手紙なら、あのヘタレも動くでしょう」

 

 言われた台詞が、尚クルシェには理解できない。その一方で、オルフェは何か昔の嫌なことでも思い出したかのように、顔を歪めて愚痴を吐き散らす。

「昔っから、あの方はそうだったのです。なんだかんだと貴方にぎこちない態度を取っている癖に、その内心では貴方が可愛くて仕方がないのですよ。本当に、お父上の事といい、貴方の事といい、リュートの事といい、あの方は本当に、何というか……。王家の方の御兄弟も問題ですが、そろそろ、こちらの兄弟の事も、決着をつけて貰わなければ、困るのです」

 

 そこまで言われて、ようやくクルシェは、オルフェが誰のことを言わんとしているのか、理解した。それをオルフェも悟ったようで、……本当に私もつくづくお節介な男ですよ、と自嘲した後、ようやく、彼に向けて、その男の敬称を告げてやる。

 

「そろそろ、おいで頂きましょうかね、あの――東の御大公殿下に」 

 


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