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第五十八話:暗雲

 あの悲劇の廃墟を後にして、南部兵と、坊主頭の少年、レオンに連れられて、ルークリヴィル城に戻ったリュートを出迎えたのは、元近衛隊のアーリだった。

 

「隊長! お帰りなさいませ! だ、大丈夫っすか?」

「ああ……。ぼ、僕は、な、何とか、大丈夫だ……。だ、だが、『南部の風』の連中が……。竜騎士達は、ま、また、エルダーに帰ったようだが、……こ、このままでは、ま、まずい……、ゲホッ」

 

 リュートの言う通り、状況はかなり逼迫したものに、なっていた。

 この一日で、感染したと思われる者は一気に、増大。豪傑ナムワ、黒犬リザを始め、この大きなルークリヴィル城北居館でも、収まりきらない兵士達が、病に倒れ伏していた。

 この入り口まで聞こえる、喘鳴と、うめき声。それは、この城の機能が停止していることを、明確に意味している。

 

 ――もし、こんな状態で、竜騎士が攻めてきたら……。

 

 そう考えるにつけ、リュートはまたも、その身に、じっとりと嫌な汗をかく。

 

 ……この状況を、打破しなければ、我々は皆、全滅させられる。病気のこれ以上の感染拡大は防ぐとして、問題は、竜騎士達の足止め……。『南部の風』が全滅してしまった今、ゲリラ戦にも頼れない。

 

 そんな内心を全て飲み込んで、リュートは迎え出たアーリに尋ねる。

「ロンは、……あ、あの帝国人のロンの様子はどうだ? や、やはり、昨日咳をしていたし、僕らと同じように感染しているか?」

「あ、……はい。ヤツも、今日から高熱が出て、伏せっていますよ。隊長と同じ症状です」

「そうか、やはり……。なら、丁度良い。い、今から……げ、ゲホッ、僕は地下室に行くが、アーリ、お前もロンを連れて付いてこい」

 

 しばしの後、ぐったりとしたロンを担いだアーリの先導で、リュートは、兵士に抱きかかえられながら、地下室を目指す。

 共に付いてきたレオンが、帝国人であるロンに対して、忌々しげな目線を送っているが、今ここで、彼に何かするつもりはないらしい。泣きはらした目をこすりながら、黙って、リュート達の後を付いてきている。

 そんな様子を兵士の腕の中で眺めながら、ふと、リュートが一つ疑問を口にする。

 

「そ、ゲホゲホッ、そう言えば、アーリ。お、お前、何ともないのか? お、お前、ろ、ロンや、ぼ、僕とも一緒に居たのに……ぜぇ、ぜぇ」

 その奇妙とも言える健康ぶりに、アーリ自身も不思議そうに、答える。

「そう言えば、何でっすかね? 俺、南部熱に罹った事ないはずなんすけどね。あ、そう言えば、俺、物心付いた時から、いっぺんも病気したことねーっすわ」

「い、一度も、病気に罹ったことがない? な、何だ、それ?」

「ええーっ? 何だって言われても……。ああ、そうだ。多分、俺、不潔なの慣れてっからっすかねー。一週間風呂に入らなくっても平気だし、黴生えてる食い物食ったって、平気だし。みんな、多分清潔すぎるんっすよ。ほら、隊長も、俺を見習って、不潔生活すれば、レッツ健康ライフ」

 

 ……死んでもお断りだ、そんな生活。

 

 リュートは高熱で霞む内心で、この、生物学的異端児に対して、そう呟く。

 

 

 そんなやりとりが行われている内に、リュートの体は、南部兵によって地下室まで運ばれてたらしい。嫌でも湿っぽく黴臭い空気が鼻についた。

 その最奥の牢、先日までロンを繋いでいた牢に、残りの二人のリンダール人捕虜は変わらずに転がされていた。

 

 二人の騎士は、アーリに担がれたロンの姿を認めるなり、何やらリンダール語で語りかけてくるが、熱でぐったりとしたロンは、それに答えることもしない。

 そんな捕虜二人を前に、リュートは兵士の腕から降りると、ロンの頭を、ぺしり、と叩いて、一つ命じる。

 

「おい、この糸目騎士。起きろ! げ、ゲホッ……お、起きて、今から、僕が言うこと、この騎士二人に一言一句違わず通訳しろ」

 

「つ、通訳……? わ、ワタシもこんなに辛いのに……ゼェゼェ。あ、アナタ、本当に、悪魔ネ……」

 そうアーリの肩で文句を垂れながらも、ロンは殺されてはかなわないと、リュートの言うとおりにすると誓う。それを受けて、リュートが牢の中の捕虜に吐き捨てるように、言葉を口にした。

 

「先に聞くが……、お前達、神を信じているか」

 

 その言葉をロンが通訳するなり、捕虜二人の首が縦に振られた。

「……あ、当たり前、言うてるネ……。神は絶対。信仰は、絶対。だ、誰に言われようが、わ、我らは信仰を、す、捨てない、ト……。地獄に、落ちろ、この異端者メ……、言うてるヨ」

 その罵りの言葉を受けて、熱で火照っているリュートの顔が不気味に歪む。

 

「じゃあ、伝えろ。何をされても、……神を、恨むなよ、と」

 

 言うと、リュートは、何を思ったのか、捕虜二人がいる牢に向けて、勢いよくゲホゲホと、咳を飛ばし出し始めた。そして、ご丁寧に、南部兵に持ってこさせた水鉢に、自分のくしゃみを吹きかける。

 そして、牢を開けると、縛り上げられた捕虜を、さらに南部兵に命じて拘束させ、さっきくしゃみを入れた水を、無理矢理その口に飲み込ませた。その真意の分からない行動に、眉をひそめるレオンの耳に、不敵な声音が届く。

 

「――これで、お前らも、感染したな」

 

 暗い地下の蝋燭が、不気味に歪む美麗な顔を照らし出した。そして、その口から、尚も吐き出される、衝撃の言葉。

 

「こいつら二人、纏めてエルダーに送りつけろ!! 勿論、自分らが南部熱に罹っていることを、他の騎士に知らせることが出来ないように、喉を潰して、それから、腕も切り落としてな!!」

 

 その言葉の意味を、ようやくレオンは理解する。

 この男は、この騎士らを敵城に送りつけて、敵も感染させようというのだ。しかも、その感染拡大を確実にするために、この騎士らの情報を伝える手段、……つまり、声と、筆記能力を奪って、だ。

 

 そのあまりにも残酷な仕打ちに、レオンはぞくり、と戦慄を覚える。だが、それと同時に、その胸の奥に、言いしれぬ爽快感をも覚えていた。

 何故ならば、あの、竜騎士が、……あの、さっき自分の家族を殺した竜騎士が、苦しみ、死んで行くのだ、と思うと、溜飲がさがる、とでもいうのだろうか、自分の心が、何か重しでも取れたかのように、すうーっ、と軽くなったからである。

「……ざまあみろ」

 

 レオンの呟きを余所に、捕虜達は自分たちが何をされるのか、理解したらしい。縛られながらも、その身をよじって、必死の抵抗を見せる。

 そんな彼らの前に、剣を手にしたリュートが現れた。そして、その荒い息づかいと、蹌踉めく体を何とか制しながら、騎士達に向けて吐き捨てる。

 

「今更、何をそんなに怯えているんだ? ……これくらいの覚悟で、来たんだろ? なあ? これくらいされる事覚悟で、この国に侵略に来たんだろ?」

 

 ぎらり、と光る剣が、騎士達の腕に突きつけられる。

 それと同時に、咆哮を思わせる男の声が、暗い牢に木霊した。

 

「これが、人の国を侵すって事だ!! これくらいの痛み、覚悟もない癖に、人の国に土足で上がり込んでんじゃねえ!!!」

 

 ――ぶしゅ、と赤い血が、白い羽をまだらに染め上げる。そして、響く、肉と骨が砕ける音。

 

 その、一人の病人がやってのけたあまりに残酷な仕打ちに、居合わせた者は、無言で成り行きを見つめるしかない。ただ、悲痛ともいえる、騎士の叫び声が、暗い牢に木霊するのみだ。

 そんな中、血染めの白羽が、けだるそうに起きあがりながら、言う。

 

「せいぜい、赦しでも請いな。お前らの……信じる者しか救わない、ケチくさい神とやらにな! この狂信者共!!」

 

 

 

 

 

 

 

 その牢での惨劇の後、リュートは、もう体力の限界、とばかりに、一気に倒れ伏した。高熱の為か、歩くことはおろか、立ち上がることすら満足に出来ない状態である。

 その翌日に、南部熱に罹らない兵と、レオンの手によって、腕と喉を潰された騎士二人は、早々とエルダーへと送りつけられる運びとなった。勿論、エルダーに疫病を蔓延させる目的で、である。

 

 そんなリュートの、残酷ともいえる計略が行われている頃、軍は、現在、主城であるルークリヴィル城から遠ざけられ、無事な兵士達だけ、ルークリヴィル城周辺の小さな城や砦に、分散されて配備されていた。勿論、この周囲の城に、感染の魔の手が及ぶことがないように、厳戒態勢がひかれて、である。

 その物々しい城の一つ、ガンゼルク城に、元国王軍、第三軍副団長だったニルフェルド・ゲッチェルは、配下の兵と、元近衛隊のトーヤ、そしてクルシェと共に、駐留していた。

 

 その主室、本来ならば、リュートが居なければならない部屋に、ニルフは頭を抱えて、がっくりと座り込む。

 

「ああ、何と言うことか……。我が、主人が、あのような事になってしまって……。小生は……、小生は一体どうすればよいのか……」

 

 リュートだけではない。二軍の将だったミッテルウルフ候を初めとした、名だたる高級将校達、並びに、ナムワ、リザといった豪傑たちすらも、病に伏してしまったのだ。残っているのは、南部熱を経験した罹患しない兵で構成される南部軍、そして、かろうじて感染を免れた国王軍、西部軍の半分。それを、今、実質管理しなければならないのは、元第三軍副団長のこの自分なのだ。つまり、何かあった時には、自分が軍を率いて、竜騎士と戦わなければならないということだ。

 

 その重みが、ずっしり、とニルフの両肩にのし掛かる。

「しょ、小生は……、ぶ、武人として戦う覚悟は出来ていたが、まさか、こんな、重職を……」

 そうニルフが、十字傷のある顔を伏せて、俯くのは無理もない。この残った配下の兵を始め、病に伏しているリュート達の運命も、自分が握っているに等しいのだから。

 

 そううなだれるニルフの肩に、感染を免れて、この城にやってきたクルシェの手が添えられる。

「に、ニルフさん。僕で出来ることなら、何でもしますから。何でも仰って下さい」

「く、クルシェ様。す、すみません。貴方にまで、ご心痛を……」

 

「大丈夫。きっと、リュート様はよくなられます。その間だけでも、頑張りましょう。僕たちだけで、何とか時間を稼がなければ……」

 

 そう愛らしい少年の笑みで、大人達を勇気づけながらも、クルシェの心は、押しつぶされそうなほどに早鐘を打っていた。

 

 ――お願いだ、お願いだ。

 

 ……あの人が、……リュート様がお目覚めになるまでは、どうか、何事も起こらないで。どうか、竜騎士達のこれ以上の進撃が、起こらないで……。お願いだ。……風の神様。

 

 そう祈りを込めて、窓の外を、クルシェは仰いだ。


 そこには、先日までの乾いた空とはうって変わって、まるで、クルシェの不安を映し出したかのような暗雲。それは、まるで、……これから起こるであろう凶事を示すが如く、不気味に、そして、暗く、空を覆い尽くしていた。







 それから程なくして、雨が降り始めた。

 湿った海風からもたらされるこの雨は、半島全体を覆い付くし、四日に渡ってしとしとと、降り続いた。それは、勿論、この半島最南端、エルダーも例外ではない。 

 そのエルダーから、程なく離れた小さな古城の一室に、高飛車な女の声が響き渡った。


「ああーっ! 退屈、退屈!! こんな雨、たーいくつ!! いつになったら止むのかしらねぇ、キリカ」

 

「姫様。そう仰いますな。退屈なら、本でも読まれたら如何ですか?」

 古城の中でも一番上等の部屋の隅で、本を片手にお茶をすする玲瓏な婦人のその答えに、さらに甲高い声の持ち主は、忌々しげにその赤毛をぐしゃぐしゃと掻きむしる。

「嫌よ! 私は体が動かしたいの!! なのに、何よ、サイニーってば。城の鍛練室も使用禁止ですって! それどころか、この古城から一歩もでるな、よ? これじゃ、監禁じゃないの!! ねえ、ジェック?」

 そう赤毛の女は、傍らにいた長身、黒髪の女に同意を求めるが、女は、その亜麻色の肌をした顔に、艶めく唇をほんのりと緩ませるだけで、答えを口にすることはない。

「何よ。ジェックまで、キリカと同じで、私が悪いって言いたいの? もう! 私の味方をしてくれないジェックなんて、こうしてやる、こうしてやる!!」

 言いながら、赤毛の女はお仕置きだ、とでも言わんばかりに、長身の女の、西瓜の様に大きな胸をわしわしと揉みしだいた。本来ならば、揉まれた女の口から、きゃあ、という悲鳴でも聞こえて良さそうなものだが、亜麻色の肌の女からは、一言も声を発せられることがない。喉に付けられた痛々しい傷から、息が漏れるだけで、あとは、身をよじって、赤毛の女からの攻撃を困ったように避けるのみである。

 その様子を、ショートボブの麗人キリカは、慣れたものと、本からその目を上げることもせずに、無視して、重ねて諫言する。

 

「仕方ないでしょう、姫様。貴女はそれだけの事したんですから。しばらくの謹慎処分で済むのですから、よかったとお思いにならないと。そう言えば、お聞きになりました? 貴女のせいで捕虜になっていた騎士二人、三日前に帰ってきたそうですよ。ロン様だけは、まだ、捕らわれておられるようですが……。あ、そうそう。なんでも、その帰ってきた騎士達、腕と喉が潰されておったとか。本当に、一体、何のつもりなのか。異民族は野蛮で嫌ですわねぇ」

 

 そう兵士からの噂話を口にする女騎士、キリカの前で、きらり、と赤いルビーの様な瞳が光った。

 

「何? その話。もっと詳しく聞かせなさい。それから、今のエルダーの状況の事もね」


 その目の輝きに、キリカは、一つ嫌な予感を覚える。

 この赤毛の女とは、キリカが少女、そして、この女が赤子の頃からの付き合いなのだ。決まって、この女がこんな目をするときは、ろくなことではない、と分かっている。その事に、何か嫌な予感を感じつつも、この姫の退屈を紛らわすために、今朝、エルダーの兵士から聞いた話をとりあえず伝えてやる。 

「いえ、何でもね。兵士達の話によると、その腕を切り落とされた騎士達は、すぐに、手厚く城で介抱された様なのですけれど、その後、今日になって、閣下は城への兵の入城を制限なさったそうなのです。兵士達が、城でなく、まだ未完成の兵舎で寝起きする羽目になったと、文句を言っておりましたから。その後、かなり外出制限をされておるようで、兵士達は、姫様と同じで、これじゃあ兵舎に監禁状態だ、と嘆いております。城の中は、閣下の腹心である蒼天騎士団の団員のみが居るらしく、城付きの兵も、箝口令が敷かれておるのか、城で何が起こっているか、決して教えようとはしないそうで……。城に近づくだけで、槍を持った守備兵に追い立てられるとか……」

 キリカのその報告に、赤毛の女は何か考え込むようにして、その形の良い顎に手を当てて、しばらく部屋の中を歩き回る。

「私たちにも、謹慎期間の無期限延期を知らせる書簡が、エルダー城から届いただけで、詳細を教えてはくれませんし。何でしょうねえ。閣下がそこまで隠したいものを、あの騎士らが持って帰ってきた、ということでしょうか……」

 そう一つ推測を口にするキリカの前で、またきらり、とルビーの瞳が輝きを見せる。

 

「いいえ。多分、病気よ。その騎士二人、感染病を持って帰ってきたんだわ。それで、城に居る何人か……、いえ、事に寄っちゃあ、蒼天騎士団の大半、果ては、サイニーまで感染したに違いないのよ」

 

 そう自信たっぷりに、言われた推測に、キリカは絶句する。あまりに突拍子のない発言に聞こえて、即座に二の句が継げないのだ。

 

「な、……何を仰って……。そんな事、あるはずがございませんでしょう? 万が一、そんな事があるなら、我らにも何か連絡が来るはずでしょう?」

 ようやくキリカがそう、反論を紡ぎ出す。それに対して、何を馬鹿なことを、とでも言いたげな、ふふん、という嘲笑が返ってきた。

「連絡なんか、しないわよ。私たち、紅玉騎士団は、元々、私の向こう見ずな行動のせいで、謹慎処分なんだから、外に出歩いて感染することもない。なら、わざわざ、自分たちの失態を私たちに報告になんか来やしないわよ。……女である、私たちにはね」

「失態?」

「ええ。そうよ。男というのは、こと仕事に関しては、若い女には、弱みは見せないものよ。それが、あの鉄人なら、尚更ね」

 そう言うと、女は、さらに、その美麗な顔に、蠱惑的な笑みを浮かべて、吐き捨てる。


「まったく、歳をとった男のプライドほど、食えないものはないわ。本当に、煮ても焼いても食えない、クソまずい化石よ」


 その、見事なまでの将軍への侮辱に、キリカは、またあきれ果てたように長い溜息をつくと、女にその推測の真意を問わんと尚も尋ねる。

「でも、もし、そんな感染が本当の事なら、大変な事態ではありませんか。将軍方や、その周囲の兵が感染して動けない、となると、かなりまずいんじゃありません? ルークリヴィル城には、敵の国王軍もいるそうですし。もし、今、この地に攻めてこられでもしたら……」

「ばっかねー、キリカ! わかんないの? 何で腕と喉が潰されていたか? あっちが感染してるから、こっちにも、感染拡大させようと思って、そうやって酷いことをして送りつけてきたんじゃないの! それくらいもわかんないで、よく紅玉騎士団の副団長が務まるわね!」

 そこまで言われて、キリカはようやく納得をする。


 ……なるほど。将軍は、それを見抜けず、エルダー城に捕虜だった騎士を迎え入れて、病気を広げてしまったのだ。だから、それをこの姫は失態、と言っているわけか。確かに、言うとおり、あの将軍なら、そんな計略に簡単に引っかかって、感染しました、などと、言いたくはないだろう。

 特に、この姫に向かっては、だ。 


 その赤毛の女の見事なまでの推測ぶりに感嘆しながら、尚もキリカは問う。

「しかし、よく、敵軍が感染している、と見抜けましたね。どうして分かったんです?」

「……あの、男よ」

「あの男?」

 いつになく神妙な面持ちで、そう吐き捨てる女に、キリカは問い直す。

「ええ。あの白羽の男。……あの森で、ロン達を捕虜にした、あの白羽の美形ちゃん。あれは、ちょっとやそっとでは、止められる男じゃなかったわ。剣を交えてみて、分かったの。あれは、……怒りを宿した猛獣よ。敵を食いつぶすまでは、絶対にその歩みを止めない、誇り高い猛獣……。そうね、まるで、金の鬣の獅子のような、ね」

 赤毛の女の口から飛び出した、見事なまでの敵将への絶賛に、キリカは思わず、ぽかん、と口を開けてしまう。この高飛車な姫が、男をそんな風に評することなど、今までなかったからだ。


 そんなキリカの驚きを余所に、女はさらに続ける。

「その獅子が、こんなに急に、足踏みする理由はそうあるものじゃない。それに、わざわざこんな手を使わざるをえない理由もね。おそらく、予期せぬ傷を負ったとしか、考えられないわ。だから……」

「なるほど……。それで、病気をお疑いになって……」

「ま、確証はないけど、多分、当たっていると思うわ。それにしても……」

 

 そこまで言うと、赤毛の女は、南方に鮮やかに咲く花を思わせるような見事な赤毛を靡かせて、古城の窓から、エルダーのほうを眺めた。そして、そのふっくらと艶めく魅惑的な唇を歪めて、嬉しげな声音で言い放つ。

 

「面白くなってきたわね。あのエルダーにいる、こうるさいサイニーと蒼天騎士団は、感染して動けない。一方、この古城で謹慎していた私の紅玉騎士団は無傷。そして……なにより、あの男。……あの白羽の美形ちゃんも動けない。これは、またとないチャンスだわ」

 

 

 言われた不敵な台詞に、即座にキリカは、嫌な予感を感じ取って、釘を刺す。

「何ですか、姫様。また、悪巧みですか。いい加減、おやめなさいな。前も閣下に窘められたばかりでしょう? まったく、姫様は、いつまで経ってもそんないたずら娘のまんまで困ります。まったく……」

 

 と、そこでキリカは言葉を句切ると、今までの声音とはうって変わった真剣な声音で、静かに女に告げる。

 

「……それが、これから帝位を簒奪しようとする方のすることですか」

 

 そう低い声で語られた台詞に、赤毛の女の表情が一瞬にして、険しいものに変わる。そして、さっきまでのきゃあきゃあとした甲高い声は何処へやら、酷く真摯な声音で、麗人に答える。

「……わかっているわ、キリカ。お母様の期待を裏切るつもりはないわ」

「でしたら、よろしいのですけれど。私たち、紅玉騎士団は、全て貴女様と、御母君の為に働くことに、何の異存もございません。時が来れば、この命……喜んで差し出しましょう」

 

 射抜くような鋭いキリカのその眼差しを受けて、赤毛の女は、こくり、と一つ頷く。

 

「そうね。まだ、……その時ではないわ。だから、時が来るまでは、……私は、国には帰らない方がいいのよ」

 

「ええ。元老院の力も、この有翼の国までは及びませんわ。ま、矢継ぎ早に書簡の方は届いておりますけれど」

 赤毛の女の言葉を、肯定すると、キリカはおもむろに、机の引き出しの中から、大量の書簡を取りだした。その多さに、赤毛の女は、堪らない、といった様子で、口をひん曲げる。

「ああ〜。もしかして、これ、全部こっちに来てから届いた、私宛の書簡? くっはー! 気持ち悪っ!! よくこれだけ、海を越えて届けられるわね!」

「はい。しかも、ぜーんぶ、元老院の糞爺共からですわ。内容は言わずともお分かりになりますね?」

 

「……『帰れ。子を産め』。以上でしょ?」

 

 短いその確認の言葉に、こっくり、とキリカの首が縦に振られる。その予想していた答えに、女は、またもその大輪の花を思わせる華やかな赤毛を、ぐしゃぐしゃとかき乱した。

「ああ〜っ! 鬱陶しい爺共ね! 死ね、と百回書いた返事でも送りつけておきなさい! ……ああ、そうだ、いい事思いついた!!」

 

 ぽん、と軽やかに打たれた手に、キリカ、そして、長身の女ジェックも、その顔をさあっ、と蒼白に染め上げる。この女の言う、いい事が、本当にいい事だった試しがないからだ。

「ひ、姫様……。き、聞きたくありません。私たちは、貴女の悪巧みなんて、聞きませんからね! ねえ、ジェック」

 ひくひくと顔を引きつらせて、そう同意を求めるキリカの隣で、声を出せない喉を震わせて、こくこくと、ジェックも首を縦に振る。 

「お黙り!! 私がやると言ったらやるの!! いい? 今がチャンスだと言ったでしょう! ここで手柄をあげれば、元老院を黙らせるいい口実になると思わない?!」

 

「て、手柄ですって? ひ、姫様、まさか……」

 恐ろしい予感を感じ取って、ふるふると唇を震わせるキリカを前に、大輪の花の様な、女の顔が振り返った。そして、その腰のサーベルに、かちゃり、と手をかける。

 

「決まっているでしょう。今の内に、感染していない残りの敵軍をぶっ潰して、ルークリヴィル城を制圧するのよ。あの、……聖地をね」

 

 ……ああ、やっぱり。

 

 案の定の答えに、がっくり、とキリカの足が床に折られた。もう、この女がこうと決めたら、何があっても意見を変えないことは、とうの昔から周知している。

 そんな苦労性の臣下、女騎士、キリカ・グレイを前に、堂々と赤毛の美女が宣言する。

 

 

「聖地再奪回の大手柄、私が頂くわ。いずれ、リンダール帝国の女帝の地位に昇ろうという、この、エリーヤ=ミーシカ・ハーンがね!」

 

 

 その燃え立たんばかりの赤い瞳に、まるで油でも差すがごとく、窓の外に光る雷が映し出された。そして、暗雲を背に、轟く雷鳴とともに、すらり、と抜かれる鋭いサーベル。

 

「――紅玉騎士団、出陣よ!!」

 

 

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