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第五十五話:捕虜

「お前らに、協力してやってもいいぜ。ただし、一つ条件がある」

 

 別室で、『南部の風』の戦士達の返事を待っていたリュートに、そう伝えたのは、クルシェ達を牢から連れ出した、あの坊主頭の少年だった。

 その言を受け、取引を持ちかけられた当のリュートは、その詳細を問う以前に、思い切りよく、その条件を叶えてやる、と言ってのけた。これには、共にいたトーヤがいたく反対したが、一度、こうと決めたリュートを、彼がそう簡単に動かせるものではない。いいから、お前らは黙っていろ、と射抜くような碧の瞳で一睨みされるだけだった。

 そのリュートの快諾を得て、坊主頭の少年、レオンはリュートらを、とある坑道へと案内した。右の最奥にある、湿った坑道である。

 暗いその坑道の果てには、堅牢な鉄格子。

 その中を、レオンが持った蝋燭の灯りが照らし出すと、中に、数人の人物が居るのが見て取れた。いずれも床に伏して、息づかい荒く、苦しんでいる子供達だ。そのあまりにも酷い状況に、リュートが、居たたまれぬ、と言った様子で、レオンに声をかける。

 

「おい、この子達は一体……」

 

「この地下生活の空気の悪さに、肺をやられちまった子供達だよ。ここは、元採掘跡で、黴もひでえからな。無理もねえ」

「黴だと? それが原因なら、どうしてこんな所に置いておくんだ?! 環境、劣悪じゃないか!!」

「……だから、あんたにこの子供達、面倒見て貰おうってんじゃないか。なあ、こいつら、あんたの城で療養させてやってくれよ。空気が綺麗な地上なら、きっとこいつら良くなるからさ」

 どうやら、それが、協力の条件、ということらしい。

 

 ……病人の救済か。

 

 リュートは突きつけられた条件を、しばし逡巡するが、もう、その答えはとうに決まっていた。

「わかった。彼らの身柄は僕が預かろう。彼らを無事に快方に向かわせることが出来たら、その時は僕に従ってくれるな?」

「ああ、いいぜ。ほら、メリア。良かったな。お前が望んだ太陽の光がもうすぐ拝めるぞ」

 レオンのその言葉に、牢の中にいた小さな少女が顔を上げた。まだ十くらいの年頃だろうか。病気のせいで酷く痩せていて、声も満足に出せない様子だ。

 その容態を敏感に感じ取ったリュートは、クルシェとトーヤの方を振り返って、一つ、命令を下す。

「お前達二人、城に帰って、屈強な兵士、何人か連れてこい。僕らだけじゃ、到底運べないだろうからな」

 それだけ言うと、リュートは、病人達の容態をさらに確認するために、一人、牢の中へと入った。その様子を、牢の外で見ていた少年、レオンの口が、ほんのりと歪む。

 そのことに、唯一気づいたクルシェは、何か濁った様な少年の笑みに、嫌な予感を感じつつも、言い出せないままに、トーヤに手を引かれて、場を後にしていった。

 

 

 

 程なくして、城から屈強な兵士数人が、到着した。そして、リュートの指揮の下、病人の移送作業に取りかかる。

 数人の男が持った松明で、ようやく赤々と照らし出されたその牢は、家畜小屋以下の劣悪な環境だった。黴がびっしりと生えた土壁に、食べ残しと思われる食物が腐乱した床。こんな所に居たら、治る物も治らないのは、道理である。

 そんな酷い環境の中で、リュートは些かも躊躇う様子もなく、伏している病人を抱き起こした。酷く、体が臭っていて、常人ならば、誰もが目を背けたくなるような病状の少女だった。しかし、リュートは、その上等の服や、艶やかな髪が汚れることなど、まったくといって気にしない様子で、彼女を抱き上げて見せた。

 その行動に、先までその口元を歪めて成り行きを見守っていたレオンの表情が、少々揺るぐ。

 

 ……まさか、こんな貴公子然とした男が、メリアを抱くなんて……。

 

 その意外な感慨を心に覚えると共に、レオンの心の端に、ちくり、とした罪悪感の針が突き刺さった。だが、彼はその痛みを、振り払うように、顔を上げると、作った笑顔で、少女を抱き上げているリュートに話しかける。

「なあ、お兄さん。俺も城に付いていっていいだろ? ちゃんと、こいつらが看病されてるか、確認したいんだよ。それが出来たら、俺が兄ちゃんに言って、協力させてやるからよぉ」

「分かった。いいだろう。レオン、と言ったな。お前、ルークリヴィル城まで、付いてこい」

 

 

 

 

「お帰りなさいませ、リュート様」

 日もとうに暮れ、暗い城にリュート達が帰るなり、ナムワと老執事ハインリヒが慌てた様に、出迎えにやってきた。

 二人とも、リュートの姿を城門に認めるや否や、一様に彼が抱えている病気と思われる少女達の存在に、怪訝な色を浮かべている。そんな二人にあらかたの経緯を話した後、リュートは、抱えた少女にそっと寄り添いながら、執事に対して要請した。

「爺や、僕の部屋をこの子達の為に空けてやってくれないか? 僕は、もっと質素な部屋で構わないから。それから、軍医を呼んでやってくれ」

「ぐ、軍医殿ですか? ええ、それが、軍医殿は、現在、近くの集落から要請を受けて、出産の手伝いに行っておりまして……」

「出産?」

「はい。何でも立て続けに妊婦達が産気づいたせいで、産婆の手が足りない、とかで。それに、軍医殿を迎えにきた者によると、今までその集落で、医者の真似事をしておった女が、この雪溶けを待って、故郷へ帰ってしまったそうで……」

「……医者の真似事をしていた女?」

 リュートはその単語に、何かを感じ取って、その詳細を執事に尋ねる。

「そ、その女っていうのは、どんな女だったんだ?」

「え、ええ。何でも、まだ若い、薄紫の羽をした女だったとか。何でも、彼女自身も身重で、この冬に動けなかったので、暫くの間、その集落にやっかいになっていたそうですが、もう雪も溶けて、暖かくなったので、動ける内に帰って、故郷で子供を産みたい、とか……」

 

 ――トゥナだ。

 

 その情報で、リュートは即座に女が誰なのかを悟る。

 おそらく、あの、告白の後、彼女はこの城に居づらくなって、その集落に居たに違いない。そして、やっと、雪が溶けて、身重の体で、クレスタに帰った……。あの、……レミルの子と共に、だ。

 

 その事に思い当たった時、どきり、とリュートの心が、いつにない音を上げて、跳ねた。しかし、その動揺を周囲の者に悟られまいと、リュートは、必死で取り繕うように、今度は違う問いを、執事に投げかける。

「爺や。その者は、他の女の事も言っていなかったか? 例えば、桃色の羽を持った女の事だとか……」

 これに対して、答えたのは、今までこの城にずっと駐留していたナムワの方だった。

「ええ、確かに、そんな女、この城におりました。貴方が王都に行かれた後、しばらく、可愛らしい看護婦がこの城にいる、と噂になっておりましたが、その後、ぱったりと行方を眩ませてしまって……」

「行方不明、と言うことか……?」

 はい、と頷くナムワを前に、リュートはいつぞやの告白を、その脳裏に思い出した。

 

 ――『好きなの!! 好きなのよ、あなたが!!』

 

 あの、自分に好意を寄せてくれた幼なじみが、行方不明……。

 その事実に、嫌な予感を感じつつも、今のリュートには、彼女らの行方を探る余裕などない。抱えていた少女を、別の兵士に引き渡すと、改めて、ナムワに、先の出迎えについて、詳細を問うた。

 

「ところで、ナムワ。随分慌てた様子だったが、どうした」

「い、いえ、あの、捕虜にした騎士達の事なのですが、その……、一度、会って見て下さい」

 

 

 

 ナムワに促されるままに、リュートはルークリヴィル城にある地下室へと、その歩みを進めた。城の地下は、先に行った坑道を思わせるほどに暗く、湿っており、鼠や、おぞましい虫たちが蠢く陰気な空間だった。その最下部の牢に、捕らえた三人の騎士は、両手を手錠に繋がれて、牢の中に転がされていた。

 リュートが、その牢の前に行くなり、中の人物が、彼に対して明るい声を投げかけてきた。その言葉に、リュートは、酷く驚く。

 

「やあ、コニチワ、お偉いサン」

 

 それは、多少拙いが、紛う事なき、有翼の民の言葉、クラース語だったからだ。それを、間違いなく、牢の中にいる騎士の一人が喋っている。あの、女騎士を庇って、リュートに倒された、糸目に短髪の地味な騎士だ。

「会いたかタヨ。いや、酷い扱い受けたネ。そこの筋肉マン、捕虜を荷物としか思てないネ」

 おそらく、筋肉マン、とはナムワの事だろう。その辿々しいながらも、きちんと通じるこの騎士の話しぶりに、リュートは、ある一つの事柄を思い出す。

 ……そう言えば、あの男も、こちらの言葉を喋っていた。あの、鉄人、ヴィーレント・サイニー将軍も、だ。確か、あの男は、言語習得は騎士の嗜みだ、とか言っていたような気がするが……。

 

 その事に思い当たったと同時に、リュートは酷くこの糸目の騎士に対する興味、というのが、心の内に沸き起こるのを感じていた。

「おい。その言葉、どうして喋る事が出来るんだ?」

「おかしなこと言うお偉いサンね。十二年前から、帝国、この国侵略しているヨ。その時拉致した有翼人に教えてもらたに、決まてるネ」

 ……そうか、第一次侵攻から、十二年もあれば、この国の言語くらい、捕虜から教わることが出来る。それで、あの将軍も、この男も……。

 リュートは、そう納得すると、さらに重ねて、糸目の騎士に問う。

「その、言語を教えた有翼人っていうのは、今も帝国にいるのか?」

 その問いに、糸目の男は、その細い目を、意外だ、とでも言わんばかりに、瞬かせた。そして、驚愕の言葉を紡ぎ出す。

 

「これまたおかしなこと言うネ。当たり前ヨ。帝国に有翼人、沢山いるネ。捕虜だけじゃなく、『選定』した『希少種』、いっぱいヨ」

 

 ……『選定』に、『希少種』……。

 

 それは、かつてリュートが聞いたことのある単語だった。

 確か、あの裏切り者、エルメが言っていた。エルダーでは、皇帝による『選定』が行われている、と。そして、その皇帝が、リュートに語った『シュヴァリエ』、と言う言葉……。

「『シュヴァリエ』、というのは、もしかして、その『希少種』、という意味の言葉か?」

「そうヨ! よく知てるネ。帝国では、希少種、とても珍重されるネ。ちなみに、お兄さんも希少種ヨ」

「その……希少種って言うのは、何なんだ。詳しく話せ」

 牢の向こうで、そう詰め寄るリュートに、騎士は、そののほほん、としたような糸目で微笑みながら、すぐに答えようとはしない。代わりに、共に牢にぶちこまれている二人の騎士に聞こえぬような声音で、こそこそとリュートに耳打ちしてきた。

 

「こんな汚い場所にぶち込まれておいて、何でもかんでも喋ると思たら、大間違いヨ。ワタシだけでも、この牢から出して、待遇良くしてくれれば、考えないこともないネ」

 

 その言葉に対し、返ってきたのは、清々しいまでの貴公子の笑みと、糸目の騎士の腹に、潔いまでにめり込んだ拳だけだった。

 

 ぐふぅっっ!、と潰された蛙の様な声を出して、糸目の男が牢の床にのたうち回る。

 

 リュートに、牢越しとは言え、しこたま腹を殴られたのだ。無理はない。そんな様子を牢の向こうから見下すように、見つめながら、リュートが吐き捨てる。

「何、僕に対して、取引持ちかけているんだ。ああ? 喋りたくなかったら、喋らなくていい。嫌でも喋りたくなるようにしてやる」

「ひ、ひいぃぃぃ。ご、拷問だけは、勘弁ヨー。お兄さん、綺麗な顔して、怖いヨー」

 

 そんなやりとりが、繰り広げられている地下室に、今度は、リュートが良く知った声の持ち主が、息せき切って、転がり込んできた。

「た、隊長! た、大変、大変っす!!」

 

 現れたのは、元近衛十二塔守備隊隊士、動物好きのアーリだった。その手には、先にリュートが彼に託した大きな飛竜の卵が抱えられている。

「た、隊長! こ、こいつ、何か冷たくなっちまって、中の音聞いてもうんとも、すんとも言わねーし。も、もしかして、もう中のヤツ死んじまってるんじゃ……。な、なあ、これどーしたらいいんすか?!」

「……どうしたらって……」

 勿論、リュートも竜の卵なんて、見るのも触るのも初めてだったのだ。どうやって孵化させていいかなんて、分かるはずもない。そんな中、辿々しいながらも、明朗な声音が、牢の中から響いた。

 

「ワタシなら、分かるヨー」

 

 先の糸目の男だった。彼は、アーリが持っている卵に、少々驚きつつも、興味ありげにそれをじっと見つめてくる。

「ああ、そうか、お前、騎士なら竜の事よく分かるよな。それで、この卵、大丈夫なのか?」

「触らないと分からないネー。それから、ワタシが居ないと、その竜、産まれたとしても、言うこと聞かないヨ。竜は産まれた時から調教しないと、絶対人の言うこと聞かないネ。アナタ達、調教方法分かるノー?」

 言われた驚愕の事実に、リュートは男の顔を、再びじっと見返す。その真意が読み取れないような、細い細い糸目だ。

 その目に、少々、嫌な予感を感じつつも、リュートは仕方ない、と一つ溜息を漏らし、ナムワに、この男だけ牢から出すように、と指示してやる。

「ただし、手錠は付けたままだぞ。監視も常に付ける。この竜の世話と、僕と話す以外は、目隠しと猿ぐつわも噛ませる。それで、いいな?」

「何ヨ、それー。牢にいた方がましネー!」

 文字通り一筋縄ではいかぬリュートが用意した待遇に、男は半べそをかきながらも、渋々と牢から出て、改めて挨拶をしてきた。

 

「ワタシ、蒼天騎士団の団員、ロンヴァルドね。ロン、呼ぶヨロシ。よろしくネー、綺麗なお兄サン」

 

 

 

 牢が出てから、ロンがまず指示したのが、毛布と、暖かい暖炉がある部屋だった。リュートはその言を信じて、城の一部屋をこの卵と、その世話役であるロンと、アーリの二人に明け渡してやった。勿論、アーリはこのロンの監視の役目も兼ねて、である。

「こうして、毛布でくるんデー。それから、適度な湿度もこの部屋に必要ね。暖炉で常にお湯わかしっぱなしにするヨロシ。後は、ひたすら、待つだけネー。ちゃんと中のコ無事ヨー。安心ネー」

「……そうか。それは良かったが、……お前、その口調、何とかならんのか。将軍はもっと綺麗な言葉使いしていたぞ」

 暖炉前でくるまれる大きな卵を前に、リュートが改めて、ロンに問いかける。

「あの鉄人は別ネー。あの人、人間じゃないヨー。十くらいの言語カンペキ。化け物ネ。そう言うお兄さんは、あの、白の英雄さんネー? すぐにわかたヨ」

「お前、あのルークリヴィル城の戦いに……」

「あの時にはいなかたヨー。ワタシ、エルダーにいたネ。でも、アナタの事は噂で皆、知てるネ。綺麗な白羽の、若い男だっテ」

「そうか。それは、光栄な事だが――」

「わかてるヨ。さっきの件ネ」

 卵を毛布でくるみ終わると、ロンは、今度は、暖炉の火を調節しながら、そう答える。

 

「希少種に、選定。他にも知りたいこといっぱいネ。違う? いいヨー、教えられることなら、ワタシ、教えてあげるヨ。何なら、リンダール語も教えてあげてもいいヨー」

 

 その思い切りのいい返事に、リュートはかえってこの男に、不審を抱く。とても、かつて対峙した厳格なる将軍とはかけ離れた軽薄ぶりだったからだ。

「……お前、どうして、そこまでぺらぺらと何でも喋るんだ」

「何言てるのヨー。ワタシ、命が一番大事ネー。助かるためなら、何でも話すヨー。ちなみに、座右の銘は、『生きているだけで、丸儲け』ネー」

 ……こうも辿々しい話ぶりなのに、どうして、そんな言葉だけは達者なのか。

 リュートは、そんなさらなる不審をこの男に抱きながらも、重ねて、問うた。

「それから、あの女の事も、だ。お前達が守っていた、あの赤毛の女。あれは……」

 

「姫様ヨー。皇帝陛下の腹違いの妹君、エリーヤ様ネ。女竜騎士団、紅玉騎士団の現団長殿ヨ」

 

「姫……? あの、カイザル・ハーンの異母妹だって?」

 リュートの脳裏に、あの焔の様に、猛々しかった男の姿が思い起こされる。あのルークリヴィル城で、リュートに負けて以来、突然の帰国をしてしまった、あの皇帝……。

「皇帝は今、どうしているんだ。それに、何故、今になって、そんな姫と紅玉騎士団が……」

「それは、本当に知らないヨー。本国のことは、閣下しか知らないネー。それに、姫様が来た理由も、ワタシはよく聞いていないのヨー。ただ、元老院が、どうの、とシカ」

「……元老院?」

 聞き慣れない単語に、リュートが問い返す。

「そうヨー、皇帝の下に位置する諮問機関ネー。そこの議員共がきっと姫様の気に入らない事でもしたに違いないヨー。それで、姫様は、この有翼の国の遠征にまで来たってところかナー。姫様も、大森林の平定遠征が終わったばっかりなのに、大変ヨー」

「平定遠征……? お前達の国は、この……僕たちの国を侵略しているだけじゃ、ないのか?」

 語られた言葉から、予測される事実に、リュートの声が、激しく揺るぐ。

 

 ……そう言えば、自分は、帝国の事なんて、何も知らなかった。言語も、文化も、そして、かの国の状況すらも。ただの、侵略者。そうとしか、思ってこなかった。

 

 そう思い当たった時、ぞくり、と何か悪寒の様な物が、リュートの中を駆け抜けた。そして、一人、煩悶する。

 

 ――知るべきか。それとも、知らざるべきか、と。

 

 そんな、リュートの内心を量ったかの様に、目の前の糸目が、人懐こそうに、そして、意味ありげに、笑う。

「無知は、罪ヨ、お兄サン。それが、人の上に立つ者なら、尚更ネ」

 

 知れ、と、言っているのだ、この男は。――この、有翼の国を侵略している国の事を。そして、その国に生きる、自分たちの事を。

 

 そうまで言われれば、リュートに、否、と言える権利などない。ただ、無言で、席に着くと、糸目の男、ロンに、その向かいの席に座ることを勧めてやるのみだ。

「流石は、英雄サン。度胸があるネ。では、教えてあげまショ、ワタシが知っている、竜騎士の国、リンダールの全てを……」

 

 ……今夜は、長い夜になりそうだ。


 リュートは、そう覚悟を決めると、居合わせたアーリを下がらせて、ロン、という不思議な異国人の口から語られる物語に、耳を傾けた。

 

 

「ワタシの国、リンダールは、知っての通り、この大陸の南洋を挟んだ大陸に位置する国家ネ。大陸の名は、ブランドン。この大陸より、遙かに大きい大陸ネー。ただ、この大陸と一つ違う点は、単一民族の大陸ではない、というコト」

「単一民族ではない?」

「そう。この大陸には、貴方達、有翼の民しか住んでいないデショ? でも、ブランドンは違うヨ。竜を操る、我がリンダール人に加え、森林に住む獣人族や、さらに南方に住んでいる船を操る海の民、それから、頭に角の生えた有角族。他にも、色々いて、それぞれに国家を建設しているヨ。でもね、現在、その大陸の殆どの国家は、我がリンダール帝国の属国として支配されているのヨ」

 語られた事実に、リュートの瞳が、少々揺るぐ。

 ……獣人族、海の民、有角族……。

 羽のあるのが当たり前の人間だ、と思って暮らしてきた彼にとって、羽のないリンダール人だけでも、驚きだったのに、世界には、それ以外の民族がいる、と言うのだ。

 そんな驚愕の事実に、言葉を失うリュートに構わず、ロンは話を先に続けていた。

「でもね、我がリンダールも、最初から、そんな属国を従える大帝国だった訳ではないのヨ。我が民族リンダールはね、以前は迫害されていた、最弱の民族だったのヨ。獣じみた力もなければ、船を操ることも、出来ない。無力な、奴隷身分の民だっタ。それが、一代にして、強力な軍事国家へと、変貌を遂げたのネ。およそ、二百年前に現れた英雄、大帝ハーンの手によってネ」

 ……ハーン、と言うのは、確か皇帝の姓だったはずだ。つまり、今の皇帝の祖先にあたる人物、ということだろう。

 リュートのその内心の判断を悟ったかの様に、ロンは深く頷くと、さらに、その先を続ける。

「大帝ハーンも、ご多分に漏れず、元は奴隷身分の卑しい男だったヨ。でも、彼は、そんな身分が嫌で、ある日脱走をしたんダ。しかし、所詮は、奴隷。逃げる国も、土地も有りはしなイ。そこで、彼が這々の体で逃げ込んだのが、大陸のほぼ中央部に位置するリンダール山脈だっタ。そこはね、どの民族も住んでいない土地だったんダ。何故なら、そこは、……獰猛な飛竜が住まう土地だったカラ」

「飛竜の……土地……?」

「そうヨ。当時の飛竜は、獰猛で、とてもではないが、人が敵う相手ではなかっタ。そんな飛竜の飛び交う土地で、ハーンは暮らし始めタ。そして、何年かそこで暮らす内に、彼は、このリンダール人の歴史にとって、最大の功績、とも言える技術を習得したんダ。それが……」

 ロンは、そこで、何かもったいぶるかのように、言葉を句切った。そして、その口から、憧憬と、賞賛を込めた声音で、一言、堂々と言い放つ。

 

「それが、……――騎竜技術だヨ」

 

「……騎竜技術。竜に乗り、そして、操る技術か」

「そう。彼は竜の卵を孵す事に成功したんだ。そして、それを育て、調教し、ついに、その背に乗って飛ぶことにまで成功しタ。これが意味する事が何なのか、聡いお兄さんには、分かるネ?」

 ……騎竜。つまり、空を飛べる、と言うことだ。

 それは、翼を持たない民族が暮らすブランドン大陸にとっては、画期的な、改変だったに違いない。同じ千の軍があったとして、他方が飛べて、もう片方が飛ぶ技術を持っていなかったら……? それは、大陸の勢力図を、一瞬にして変えてしまった技術に、相違ない。

 

「そこで、ハーンは、今まで迫害されてきたリンダール人を集めた。そして、彼らに騎竜技術を伝えると共に、一つの思想を創り出したのネ。古代の昔から、リンダール人に伝わってきた言い伝えを土台にした思想。……宗教、という名の、人を惹き付ける、最高の思想をネ……」

「……しゅ、宗教? あの、風の神、とか、火の神、とか……、そんなのか?」

 リュートの脳裏に、いつぞや王都で迷い込んだ大神殿の様子が浮かぶ。自然を愛し、そして自然を敬い、恋に生き、恋に死んだ、慕わしき神々達……。

 そんな神々の饗宴をあざ笑うかのように、目の前の異邦人は、ちっち、と舌打ちをして見せた。

「違うヨ。ワタシ達の神、そんな生ぬるいものじゃないネ。ワタシ達が信じる神は、ただ一人。唯一神ディムナね。この世界を創り、この世界の滅びを決める、ただ一人の神ネ。神は、全てを見通していル。そして、来るべき日に、審判を下すのネ。救われるべき人間と、そうでない人間ト……。大帝ハーンが言うには、その救われるべき人間、というのはただ一つしかないのネ。……我が、リンダールの民、しか、ネ。ハーンの弁を借りるなら、我々は神に選ばれし、栄光の民、という事ヨ」

 語られた、初めて聞く宗教観に、リュートは絶句する。とてもではないが、他の民族であるリュートにしてみれば、承伏出来るような教えではない。だが、しかし、今まで迫害を受けてきた民族にとっては、それは、酷く耳障りのよい、宗教だったことだろう。

 してみれば、今まで自分を虐げてきた他民族が、来るべき日に滅び、そして、自分たちだけが、その神とやらに愛され、地上の楽園を謳歌する事が出来る、という壮大な夢は、今まで奴隷だった者を奮い立たせる事の出来る、最高の演説ではないか。

 

「その思想の元……、侵略が行われたのだな……」

 

 語られた宗教観から、導き出したリュートのその答えに、ゆっくりとロンの首が縦に振られる。

「その通りヨ。我らは、選ばれし民。だから、この地上の楽園にリンダール人が栄えるために、今まで虐げてきた者達を排除せよ。その教えの元、リンダールは軍事帝国となって、ブランドン大陸を支配しにかかったのネ。……一言で言うと、選民思想ヨ」

 

 ……他の民族を認めず、他の神も認めない。

 それは、何て恐ろしい……、だが、なんて、効率的な侵略の為の思想だろうか。

 その果てに待つものが、神の救済、という酷く甘やかな夢であればあるほど、それは人を、……リンダール人に限ってだが、……心を、惹き付けてやまないだろう。

 

 考えあたったその答えに、リュートの身が、ぶるり、と震えた。

 

「ちなみに、これが、我が唯一神ディムナの印ネ」

そう言ってロンが、その首から取りだしたのは、円の中に十字が刻まれた、銀細工のペンダントだった。

「ワタシ達、偶像崇拝許されていナイ。だから、この印が神を現す印ネ。この印の元に、我らは、大陸全土に、竜騎士団を派兵したのヨ」


「……それで、ブランドン大陸を制覇したお前達は、今度は海を越えたこの大陸の覇権にまで、手を伸ばした、ということか?」

 

 おそるおそる導き出した、リュートのその答えに、騎士は即答しない。しばし、考え込んだ後、言いにくそうに、言葉を紡ぎ出した。

「うーん、それもあるけれど、この国に関しては、ちょと、違うネ。覇権だけが目的じゃないネ」

「覇権だけが目的じゃない?」

「そうヨ。考えてもみなヨー。海を越えた国の覇権を手にすることが如何に難しいカ。しかも、その相手が、同じ空を飛べる有翼の民の国なら尚更ネ。正直、アナタ達、強敵ヨ。知能もあって、文明も栄えていて、空も飛べる。しかも、単体で、ダ。そんなアナタ達を相手にしてまで、この国には、侵略する価値があるのヨ」

 

 ……侵略する、価値。

 何だ、それ……。

 

 海を越えて、莫大な資金を投じてまで、この国にやってくる価値……。

 

 その理由をしばし内心で熟考するリュートに対し、ロンは、あっさりと、一つの理由を挙げて見せた。

「一つはね、商品としての利用価値ヨ」

「……商品?」

「そ。有り体に言えば、奴隷ネ。有翼人、とても高値で売れるネ。綺麗な羽、美しい容姿。好事家達が放っておかないネ」

 

 ――奴隷……。

 

 帝国での、自分たちの価値に、リュートはその背筋をぞっと、竦ませる。

 それは、もう人間としての扱いではない。まるで、珍獣を扱うような、そんな感覚。それが、……リンダール人の、自分たちに対する、揺るぎのない認識だとしたら……? あの、かつて戦った皇帝が向けた、眼差しの意味が、ようやく分かるような気がした。

 

「他にも、労働用としての利用価値もあるネ。だって、単体で空を飛べるんだカラ。ま、帝国に行ったら、飛行能力は嫌でも落ちるらしいケド。詳しいことは知らないけど、風が違うらしいのネ。それでも、有翼人は、どの民族よりも高く売れるヨ。主に、観賞用としてネ」

「か、観賞用?」

「そうヨー。いわゆる、ペット感覚ネ。だって、有翼の民は綺麗だモノ。その中でも特に珍重されるのが、お兄さんみたいな白羽や金髪といったレアな色を持った有翼人ネ。帝国には、金髪や碧の目をした民族いないネ。お兄さん、超レアよ」

 

 ……本当に、愛玩動物感覚なのだ。

 こうして、知能もあり、当たり前の生活をし、同じように言葉を喋る自分たちを、帝国人は、動物としてしか、見ていないのだ。珍しい角を、居間に飾る為に、動物を殺すように、自分たちも、狩られているだけなのだ。

 

 その事実に、リュートの心の奥底から、いい知れない怒り、というものが、ぶくぶくと、音を立ててわき上がるのを感じていた。その沸騰せんばかりの感情を、何とか押し殺して、リュートは冷静にロンに問う。

 

「そ、それ故の、『選定』か?」

「そうヨ。より綺麗で、よりその能力が高い有翼人。それだけが、帝国に連れて行かれて、売られるネ。お兄さんには、きっと莫大な値がつくヨ。綺麗で、レアで、そして、お強い。それが、ワタシたちの言う、『シュヴァリエ』……こちらで言うところの、『希少種』ネ。でもネ、侵略する理由は、それだけじゃないネ……」

 そこまで言うと、ロンは、さらに言いにくそうに、言葉を詰まらせる。そして、リュートの碧の目を、その細い目で値踏みするようにでも見つめてきた。まるで、これから自分が言う事を、この男は理解できるのだろうか、と問うような、そんな目つきだった。

 

 そんな視線を向けられて、黙っていることなど、リュートには到底出来ない。その先の言葉を話すように、促してやる。

「話せ。僕は、何を聞かされても、驚かん」

 その言葉を受けても、尚、ロンは、その先を言おうとしない。さらに、何か諦めたような視線を送ってくる。

「……いやネ。驚くとかよりも、多分、お兄さんは信じない、と思うのヨ」

「信じない? どういう事だ」

「うーん。……論より証拠、と言うネ。実際、見てきたらいいと思うヨ。幸いにして、ここ、あの、ルークリヴィル城ダシ」

 

 言うと、ロンは、リュートの耳元まで近寄って、そっと彼の耳に、驚愕の言葉を囁き始めた。

 

「ココの地下に、すごいもの、眠っているはずヨ。見ておいデ」

 

「……ち、地下、だと? さ、さっきの地下室か?」

「ちっちっ。もっと深い場所にあるはずネ。ワタシも詳しい場所は知らないケド、この城のどこかに隠されているっていうことだけは知てるネー。この国に、侵攻に来るリンダール人の常識ヨ」

 

 ……この城のどこかに、隠されている……?

 

 ロンの言葉に、びくり、とリュートの心が跳ねた。

 そして、脳裏に浮かぶ、あの、死神の言葉……。この城の本来の主である、南部大公、トリスタン・リューデュシエンが、劇場でリュートに語った、あの、秘密……。

 

 ――『私の城の、小さな神殿の床。その右端から三つ目のタイルです。……そこに、人間一人では抱えきれない秘密が、眠っています』

 

「あ……あの、秘密……か」

 漏らした言葉に、ロンの糸目がさらに微笑むように細められる。

「場所、知てるのネ。なら、行って、見てくるといいヨ。多分、驚くヨ」

 リュートには、その穏やかな笑みが、何よりもおぞましいものに見えてならない。何か、底抜けに暗い、運命を予測させる、嫌な笑み。


 だが――。

 

「知ってしまった以上、後戻りは、できぬか……」

 

 そう決意するように、呟くと、リュートはアーリを再び呼んで、ロンの監視に付けた。そして、自分は、自らを奮い立たせるように、すっくと立ち上げると、ばさり、と音を立てながら、その羽を翻して、部屋を後にしていった。

 ひらり、と一枚だけ抜けた、白羽が、部屋の床に舞い落ちる。

 

 その羽を、まるで宝物のように、そっと拾いながら、ロンが、リンダール語で、ぼそり、と一人ごちた。

 

 

「――さて、面白くなってきた。捕虜の身も、案外悪くはないな。せいぜい、利用させてもらうよ、英雄殿」

 

 

 そう言いながら、白羽に口づけを落とすロンの顔は、不抜けた騎士の顔でも、調子の良い異国人の顔でもない。……一人の、野心家の男のものだった。


 

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