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第五十四話:南部

 半島最南端、エルダー城に赤毛の騎士が帰るなり、待っていたのは、火山の噴火を思わせる麗人の絶叫だった。

 

「姫様!! 今日という今日は許しませんよ!! 先に城に行くと仰ったから、私も姫様とシルフィだけで行くことを許したんです! それを何ですか! 勝手に北に行ったかと思えば、騎士らまで敵に捕らわれてしまって!! ほら、将軍閣下に謝って!!」

 

 ヒステリックにそう叫ぶ、紅玉騎士団副団長、キリカに対し、唾を飛ばされている当の赤毛の騎士の方は、エルダー城の主室の椅子に、腰掛けたまま、惚けたように、溜息をつくのみで、こちらの方を一瞥しようともしない。その不抜けた様子が、尚もキリカの癇に障ったようで、彼女はさらに声を張り上げて、自分の主君である赤毛の騎士に詰め寄った。

「姫様!! 何ですか、その態度は?! あ? もしかして、やっと御自分がされたことの責任の重さを痛感して、自戒していらっしゃる……なーんてこと、姫様に限ってありませんわね?」

 少々棘のある嫌味を交えたキリカの言葉に、いつもなら、この倍の嫌味と悪口を込めた屁理屈が返ってくるはずである。だが、その期待とは裏腹に、返ってきたのは、感嘆を交えた、とろけるような声音だった。

 

「……あんな、……あんな綺麗な鳥ちゃんが居たなんて……」

 

「……鳥? もしかして、さっきの有翼兵の事を言っているのですか?」

 耳ざとく嫌な単語を聞き取ったキリカが、主人の真意を問わんと、さらに、ずい、と顔を寄せた。そこには、先までの猛禽の様な眼差しとはうって変わった、甘い甘い薔薇を思わせる、深紅の瞳があった。

「ええ。そうよ。あの白羽の美形ちゃん。あんたも見たでしょ? あんな、綺麗な羽をして、尚かつ、この私より強いなんて……。ああ、本当にあのハーレムにぴったりのコだわ」

「姫様!! 何が、ハーレムですか!! いいですか、貴女はね、自分の軽率さで、蒼天騎士団員三人も捕虜にされたんですよ? その中には、貴女の幼なじみのロン様まで居て! まったく、早く閣下に謝って下さい!!」

 自分の腹心であるキリカのその言葉に、ようやく赤毛の女は、そのうっとりとした目を、元の猛禽の目に戻し、改めて自分の目の前に座っている壮年の男に、それを向けた。そして、その男の頑健、かつ厳格な香りの漂う体躯と顔を、何か忌々しげに確認すると、渋々とその口から謝罪の言葉を紡ぎ出す。

「……悪かったわね、サイニー。あんたの部下、見捨てちゃった」

 

 あまりに軽い口調の謝罪である。しかし、女の目の前に座る将軍は、この程度の傲慢ぶり、慣れたもの、と眉一つ動かす事はしない。ただ、粛々と、その謝罪を受け入れ、頷くのみである。

 その様子に、居たたまれないのが、この傲慢な赤毛の女の世話係であるキリカである。本国で、英雄と讃えられる偉大な将軍への暴言に近い謝罪を、ただ、おろおろと取り繕うしかない。

「すみません、閣下。この馬鹿姫様には、私から、きつーい、お仕置きを課しておきますので、どうぞ、どうぞ、平にご容赦を」

 この麗しい婦人からの、平身低頭、とも言える謝罪を受けて、将軍のみならず、その間近に控えていた配下の者らも、渋々納得をしたらしい。ただ、無言で頷いて、将軍に、その意向を尋ねるのみである。それを受けて、ようやく将軍、サイニーが、口を開いた。

「姫様。今回の事は、特別に許しましょう。ですが、今後、ここにおられる以上は、勝手な行動は、真に慎んで貰いたい。では、もう、お休みになって頂いて、結構」

 

「誠に、誠に、寛大な御処分、感謝致します。それでは。ほら、姫様、頭下げる!!」

 キリカに、無理矢理頭を下げられながらも、赤毛の騎士は、何喰わぬ顔をして、悠々と主室を後にしていった。その清々しいまでの高飛車ぶりに、サイニー配下の騎士が、呆れたように、溜息をつく。

「まったく、流石は、あの陛下の御妹君。兄上と変わらぬ、身勝手かつ、傲慢ぶりですな。閣下も、次から次へと、やっかいな事を抱え込まれて、……その御心中、お察し致します」

「……いや、あの程度の傍若無人ぶり、慣れておるよ。気にするな。それよりも、きちんと紅玉騎士団の面々をお迎えしてやってくれ。彼女らがおるだけで、男騎士らの士気も上がるというものだ」

 姫君のあの態度を、まるで微笑ましいものでも見たかの様に振る舞う、その将軍の余裕ぶりに、話しかけた騎士の方は、改めて彼の懐の深さに感嘆しつつも、一つだけ苦言を呈した。

「閣下。お気をつけなさいませ。いくら、女といっても、ご油断召されますな。あれは、あの生意気な女将軍の娘……あの、男を食らう雌蟷螂の娘ですぞ。下手をすれば、寝首をかかれるやもしれません。どうぞ、お気をつけの程を」

「うむ、わかっておる。……それよりも、だ。気になるのが、あの姫が言っていた『白羽の美形ちゃん』という男だが……。おそらく、あのルークリヴィル城で戦った、あの若者の事だろう。あの男、帰ってきおったな」

「はい。それも、国王軍、南部軍、西部軍を引き連れて、だそうです。一体、この一冬でなにがあったのかは知りませんが、正直、脅威ですな」

 騎士のその報告に、将軍は何か考え込むように、窓の外を見つめながら、ゆっくりと頷いた。

「そうだな。あの若造、ただ者ではない、とは思うておったが、ここまでとは。いや、面白い男だ。問題は、その面白い男が、何故、あんな閉山した鉱山跡地にいたか、だ」

 将軍のその指摘に、騎士は、はっ、と何か思い当たったように、その推測を口にする。

「よもや……、あいつらも『南部の風』を探して……?」

「おそらく、な」

 部下のその推測を、頷きと共に、短く肯定すると、将軍は机に広げられた地図の上で、その指を、つうっ、と滑らせた。そして、ある一点で、その太い指が停止する。

 

「――廃鉱の街、メテオラ。おそらく、この辺りが、奴等のアジトなのだろう」

 

 言うと将軍は、控えていた騎士の一人を呼んで、つらつらと書いた指示書と共に、彼の耳元で、静かに命令を下した。

 

「如何に、元一般市民とは言え、武器を手に、我らに刃向かうようであれば、それは兵士と何ら変わらぬ。我らの邪魔をするモグラ共、――全て炙り出してしまえ」

 

 

 

 

 

 

 

「まずい……。ひっじょーにまずいよ、クルシェちゃん」

 

 あの森の中で、気絶させられた後に拉致された、と思われる湿った牢の中で、近衛十二塔守備隊トーヤが、自らの置かれている立場をようやく理解して、そう呟く。

 おそらく、ここは鉱石の採掘の為に空けられた横坑の一つなのだろう、上下、そして、左右ともに、土壁で覆われた暗い空間だった。そのただ一面だけ、土壁でない方向には、ちょっとやそっとでは開けられぬような、堅牢な鉄格子。その中に、トーヤはクルシェと共に、後ろ手に縛られて放り込まれていた。

 未だズキズキと痛む後頭部を抱えながら、トーヤは縛られた体を、芋虫のように這いずって、クルシェの元まで向かう。

「クルシェちゃん、大丈夫? 痛くない?」

「……うん、大丈夫。トーヤ君は……?」

「いたいよ〜。いたいケドさ、今はそんなコト言ってる場合じゃないみたいなんだよね〜。だって、さっき、向こうの方から何か僕らを売る、とか何とか聞こえて来ちゃったんだよぉ。やだよぉ。ボクら可愛いから、きっと、いやらしいおっさんに高値で売られちゃうんだよ。そして、きっと夜な夜なご奉仕させられちゃうんだよ。やだやだ、そんなの。せめて、いやらしいマダムにしてよぉ」

 育ちのいいクルシェにとって、トーヤが言わんとしている事の半分も理解出来ないのだが、自分が、今、非常にまずい状態に立たされている、ということは、嫌でも分かる。居なくなった自分たちを捜して、きっと、今頃、リュートやナムワ達も心配しているに違いない。

 

 そんな自分の不甲斐なさを噛みしめながら、涙をこらえるクルシェの耳に、そっと、トーヤが恐ろしい台詞を語りかけてきた。

「それにしてもさ、これ、採掘坑の中でしょ? いやー。驚きだよね。こんな所にこんなアジトがあるなんてさ。奴等、多分『南部の風』だよね? ねえ、クルシェちゃん。ボクら、こんな所で掴まるようなタマじゃないってこと、ヤツらに思い知らせてやろうよ」

「え? ええっ! そ、それって、僕らだけでここから逃げるって事?」

「そうだよ。変態に売られたいの? イヤでしょ? いい? ボクら、ずっとこのまま牢に入れられてるってコトはないだろうし、その時がチャンスだよ。こっから逃げるには、クルシェちゃんにも頑張ってもらわなきゃならないんだからね。ボクが今から言うセリフ、しっかり覚えてよ」

 言うと、トーヤはクルシェの耳が、今まで聞いたことのない様な恐ろしいセリフを、その耳にこそこそと教えだした。

 

 そのちょっと口にするのも畏れ多いようなセリフを、何とか頭に叩き込むクルシェの耳に、今度は、遠くから足音が近づいて来るのが聞こえた。おそらく、自分らを拉致した男達の一人だろう。横坑の向こうから、蝋燭の灯りと共に、一人の人物が姿を現していた。

「おい。頭がお前ら連れてこいってよ」

 それは、まだ、クルシェ達と、そう変わらぬ年に見える少年だった。だが、彼にはクルシェらが持っているような少年独特の可愛らしさはない。荒んだ目に、武骨に刈り上げた丸坊主姿。着ている服も背の薄茶の羽も、まったく手入れがされていないボロボロなものだ。

 

「か、頭って、あんたら、『南部の風』だよね? そのリーダーが、ボクらに会うってコト?」

 現れたのが少年だった事に、少々驚きながらも、トーヤは丁度いい機会が来た、とその詳細を坊主頭の少年に確認する。

「ああ。何か知らねーけど、とにかくお前ら早く連れてこいってさ。お前らを運ぶ仕事がやっと終わったから、せっかくチビ共と遊んでやってたのによ。まったく、まだ国王軍との取引には早い時間だってのに、何で、兄ちゃんはこいつら連れてこい、なんて言うんだろ」

 ぶつぶつと文句を吐きながらも、少年は腰にぶら下げていた鍵で、牢の鍵を開けて、後ろ手に縛られているトーヤとクルシェを引き起こした。その少年の言葉から察するに、おそらく、この少年は、この組織のリーダーの弟、という事だろう。その事実に、にや、と、トーヤの可愛らしい顔が歪む。

 

 ……利用価値あるのが来てくれたじゃん。

 

 クルシェにそう目配せすると、トーヤは、クルシェと共に、おとなしく、少年に繋がれている腰紐を引かれ、坑道の中を付いていく。坑道の中は、所々、蝋燭の灯りが灯されており、足下が不如意になるようなことはないくらいには、辺りが見渡せた。思った通り、鉱石の採掘跡らしい。いくつも枝分かれした横坑に、上下に開けられた穴。まるで、蟻の巣、といった風情である。

 その枝分かれした横坑の一角から、きゃあきゃあとした、無邪気な声が響いてきた。探険、たんけーん、とはしゃぎながら、その声の持ち主数人が、クルシェらの横を通り過ぎる。それは、驚くべき事に、こんな地下に居るとは思われないような、まだ年端もいかない小さな子供達だった。その子供達に向けて、目の前を行く少年が、忠告めいた声をかける。

「おい、お前ら、探険もいいけど、右の最奥坑には絶対行くなよ!!」

「はーい、レオンにいちゃん! おしごとおわったら、またあそんでねぇ!」

 

 その幼い子供とのやりとりの後に、トーヤが不審そうに尋ねてみる。

「ねえ、あのコ達、ここに住んでるの?」

「ああ、俺らはエルダーの街の生き残りだ。みんな家族みたいなもんだからな。チビ達もずっと一緒だ」

「……ふーん」

「無駄話は良い。おい、お前ら、兄ちゃんの前で変な真似、すんじゃねえぞ。兄ちゃんは俺らの英雄なんだ。もし兄ちゃんに……」

 

 坊主頭の少年が、そう言いかけた時だった。

 

 隙を見て、トーヤの瞳がぎらり、と光った。それと同時に、縛られたままの状態で、少年に思いっきり、体当たりを咬ます。

 勿論、フイを突かれた攻撃に、少年は身構えることも出来ないまま、地面に倒れさせられてしまった。その状態の少年の上に、今度はクルシェが、少ないながらも、全体重をかけて、勢いよく馬乗りに乗りかかる。そして、縛られたままの不自由な手で、何とか少年の腰の短剣を引き抜いてみせた。

「よっし! よくやった、クルシェちゃん!」

 その様子に、体当たりをしたトーヤが、歓喜の声をあげて立ち上がると、クルシェが抜いた剣の刃に、後ろ手に縛られた手の縄を当て、それを一気に引き切る。そして、自由になった手で、クルシェから短剣を受け取ると、今度は素早くクルシェの手の縄を解いてみせた。

 こうなれば、後はトーヤのものである。伊達に、近衛十二塔守備隊として、この冬、リュートに鍛えられてきてはいない。躊躇うことなく、短剣を少年の喉元にぴた、と付けると、クルシェに即座に目で合図を送った。その視線に、クルシェは少々戸惑いつつも、唾をごくり、と飲み込んで、意を決したように、少年の耳元で、さっき覚えたセリフを紡ぎ出す。

 

「ぼ、ぼ、僕の名はクルシェ・ロクールシエン! この黒羽と、胸の紋章が見えないか! 先だって、ルークリヴィル城を陥落させたロクールシエン大公の弟だ! いいか、今回僕がお前達に捕らわれたのは、お前達の居場所を知るための、全て、我が兄、ランドルフの謀だ! よって、お前達は既に東部軍によって、包囲されている! 観念しろ! ルークリヴィル城を落とした精鋭に、お前ら如き、ゲリラが敵うと思っているのか!!」


 勿論、これは、すべてはったりに過ぎない。唯一、真実なのは、クルシェがランドルフの弟、という点くらいだ。

 そのクルシェのいつもの弱々しい態度から一変、見事な啖呵の切りぶりに、トーヤはいくらかの感慨を深めながらも、自分も負けじ、とさらに少年に向かって脅迫をし始める。

「いいの? このコに何かあったら、さっきの子供達まで犠牲になるよ。東部軍はおっそろしいからねぇ。あのルークリヴィル城も容赦なく焼いちゃったくらいだし。おとなしく、こっちの言うコト聞いておいたほうがいいよ」

 勿論、あの城を焼いた張本人は、言うまでもなくランドルフではない。どこかの恐ろしい白羽の上司がやったことなのだが、トーヤは構わず、東部軍のせいにして、話を続ける。

「さ、このまま、あんたらの頭と話をさせなよ。こうして、東部軍の大将の弟君が直々にお話に来て下さっているんだから、丁重にね」

 

 その言葉に、真実を量りかねた少年は、渋々と、両手を上げて、言うとおり、剣を突きつけられたまま、トーヤらを案内していく。その後ろには、いつになく、ふんぞり返った、尊大な様子のクルシェの姿。

 その、あまりにもいつもとはかけ離れた彼の様子に、トーヤは遠い目で、一つ思う。

 

 ……ああ、クルシェちゃんって、やれば出来るコなんじゃん。てか、絶対、これ、あの隊長の影響でしょ。

 

 

「に、兄ちゃん。れ、例のふたり、連れてきたぜ」

 少し坑道を行った先に、設えられた、いびつなドアの前で、坊主頭の少年は震える声で中の人物にそう声をかけた。このドアの先も、おそらくさっきの牢と同じような、採掘の跡を利用した部屋になっているのだろう。とりあえず付けてあります、とでも言いたげな歪んだドアの中からは、この坑道よりも遙かに明るい光が漏れ出てきている。

「レオンか。入れ」

 中からの承諾の言葉を得て、剣を突きつけられたままの少年が、ドアに手をかけた。

 

 その瞬間、クルシェとトーヤは目配せで会話する。

 ……おそらく、中に居るのは、一人ではない。ならば、このままこの少年を人質に取ったまま、交渉するのが吉。その為には、まず、相手の出鼻を挫くのが一番。ならば……。

 

 先の牢で会話を脳裏に、クルシェが、ドアが開くのと同時に、開口一番、怒濤の台詞を紡ぎ出した。

 

「全員、おとなしくしろ!! 東大公家の次男である僕が、直々に交渉にきてやったんだ! この小僧、殺されたくなかったら、こっちの言うこととを聞け、このモグラ共が!!」

 

 この可愛らしい見た目とは裏腹に吐き出される恐ろしい台詞に、中に居るというリーダー含め、全員が震え上がる。

 ……と、いうのが、トーヤが牢で考え出した算段だった。だが、しかし、震え上がったのは、中にいたゲリラではない。

 

「……ああ?」

 

 その言葉と共に、睨め付けられる瞳に震え上がったのは、他でもない。……当のトーヤの方だった。

 

 そこには、良く見知った、碧の目。それも、いつもの物に、さらに倍増し、いや、三倍増しくらいに鋭く光っている。

 その射抜くような視線と目が合うと同時に、トーヤが感じたのは、耳をつんざくような咆哮と、そして、一瞬何が起きたか分からないくらいの、頬への衝撃だった。

 

「トーヤ! きっさまぁ!! 何をクルシェに教えとるかぁ!!!」

 

 叫びとともに、トーヤの体が吹っ飛ぶ。もろに、右ストレートを食らってしまったのだ、無理はない。それも、英雄、と謳われる男の右を、である。

 

「りゅ、リュート様!!」

 

 隣で起きたあまりの惨劇に、クルシェが凍り付いたように、その拳の持ち主の名を呼んだ。そこには、紛れもなく、あの選定候にして、自分の世話人、そして、英雄である、白羽に金髪の男が立っていた。

 

「た、たたたたたた隊長! なんであんたがここに!!」

 吹っ飛んだトーヤが、何とか体を起こしながら、涙目で叫ぶ。一方で、リュートはそんなトーヤに一瞥もくれることなく、傍らにいた黒羽の少年の無事を確かめるように、彼に、ひし、と抱きついた。

「クルシェ。あの腹黒に何かされなかったか? 可哀想に、あんな汚い言葉、教え込まれて。よしよし、さっきの言葉、すべて忘れなさい」

「な、なんだよ、たいちょー! どーして、クルシェちゃんだけには、そんなに甘いのさ! ぼ、ボクだって、いっしょうけんめーに、だねぇ!!」

「黙れ、腹黒!! お前、クルシェを唆して、何する気だった?! ああ? うちの可愛いクルシェに何かあったら、その黒いはらわた、全部引きずり出して、この床一面に、ぶちまけるぞ!!」

 ……どっちの言葉使いの方が、汚いんだよ!

 トーヤはやり場のない、その叫びをぐっと、喉の奥に飲み込んで耐える。もう、これ以上口答えして殴られるのはごめん被りたいからだ。

 

 そんな三人の様子を、さっきまで人質に取られていた坊主の少年が、呆気にとられた様に、見つめている。そして、はっ、と気づいたように部屋の中を見遣ると、そこには、いつも堂々と座っているはずのゲリラのリーダーと、その取り巻きの姿はない。

 そこにあったのは、まさに、死屍累々、と言って差し支えない、ぶちのめされたゲリラの山々。数々の竜騎士を奇襲で殺してきた戦士達が、見事に、ただのボロ屑にされていた。

 

 その恐ろしい光景の中、一人の男が何とか起きあがって、坊主頭の少年に語りかける。

「レオン! その金髪の男に逆らうな! 化け物だ!!」

「兄ちゃん!」

 それは、黒のスカーフを首に巻いた、このゲリラ『南部の風』を率いる男の無惨な姿だった。その、驚くべき様子に、少年が、詳細を彼に尋ねる。

「な、何だよ! 俺が牢に行っている間に何があったんだよ、兄ちゃん。こいつ、誰だよ?!」

「れ、レオン! 頼むからおとなしくしろ。そ、そいつはイカレてるぞ。こいつときたら、地上で俺らに囲まれてるにもかかわらず、笑顔でにっこりと『よし、人質になってやる。アジトまで連れてけ』と言ったかと思えば、今度は、国王軍への自分の身代金が少なすぎる、ついでにこのガキらも返せって、大暴れしやがったんだ。そんで、このざまだ……」

 

 ……な、何じゃ、そりゃあ……。

 坊主の少年は、兄の口から聞かされた顛末に、内心でそう呟くより他にない。

 

 そんな呆気にとられる少年を余所に、金髪の男は、その髪を悠々と靡かせて、部屋の奥へと戻ると、このゲリラのリーダーが座っていたのであろう、一番上等の椅子に、どっかり、と腰掛けた。

「このじめじめした部屋にしては、なかなかの椅子だな。さて、身代金が少なすぎる、という僕に対する侮辱への制裁はこれくらいにしてやるとして、だな。そろそろ、僕がここまで来てやった本題に入ろうか」

「ほ、本題だって? み、身代金は……」

「はあ? お前らが僕に付けた額が少なすぎるのが問題なのであって、誰が、その身代金を本当に国王軍にふっかけろ、と言った。大体、国王軍の責任者がここにいるのに、何で払わなきゃならないんだ。僕は、僕に対して、びた一文払うつもりはないぞ。お前らなんぞにせっかく手に入れた金を渡すくらいなら、自力でお前ら全員ぶちのめして、クルシェを連れて帰る」

 当然、ゲリラ達には、この男が何を言っているのか、さっぱり分からない。そんな彼らの様子を見かねて、トーヤが殴られた頬を撫でながら、補足説明をする。

「あのね、お兄さん方。この人、誰だと思ってんの。この人、現国王軍の最高責任者、シュトレーゼンヴォルフ候だよ。あんたら、この人舐めすぎ」

 

 トーヤのその言葉に、一瞬にして場が色めき立った。

 無理もない、身代金目当ての為に拉致したただの貴族だと思っていた男が、他でもない、身代金を払うべき立場の男だったのだから。

「お、お前が、国王軍の責任者だと? ば、馬鹿な……」

「信じたくなければ、信じなくていい。嫌でも信じさせてやる。さあ、まだ、ぶちのめされ足りないヤツは誰だ?」

 妖しく、ぎらり、と光る碧の瞳に、男達は抗うべき言葉一つ持たない。おそらく、ここで信じない、と言えば、さらに痣が増えるだけなのは目に見えているからだ。

 そんな男達の沈黙を、肯定の証、と受け取ったリュートは、その美麗な顔に、涼やかな笑みを浮かべながら、男達に向けて、一つ提案をしてみせる。

 

「よろしい。では、本題だが、……僕と手を組まないか?」

 

「手、だと?」

 言われた突然の申し出に、黒いスカーフを巻いた男、この組織のリーダーは、胡乱げにそう問い返した。

「そう、手を組もう。悪い話じゃないと思うがな。こうしてクルシェらも無事だったことだし、僕らがお前らを害することはない。ただ、協力を求めたいだけだ。同じ、目的の為に」

「目的?」

「――そう。竜騎士の、この国からの駆逐。その共通の目的の為に」

 

 この申し出に、即座に食いついたのが、先にトーヤ達を牢から連れてきた坊主頭の少年だった。

「な、何、都合の良いこと言ってんだよ! お前ら、国王軍も、南部軍も、俺らの街、エルダーが襲われた時、何にもしてくれなかったじゃねえかよ! 知ってっか? エルダーの街は殆どの住民が虐殺されるか、帝国に拉致されたかのどっちかだ! そんな俺らを助けてくれなかったお前達が、今更助けて欲しいだって? ふざけんな!!」

 今にも、リュートに襲いかからんばかりの、少年の激高ぶりである。その尋常でない興奮の様子に、周囲の男達も同意の眼差しを向けるのみで、誰も彼を諫めようとはしない。そんな様子の彼らの心情を、逆撫でしないように、静かにリュートが口を開いた。

「……それは、気の毒なことだったと思う。だが、お前らを売ったのは他でもない、お前らの領主、エルメだろう。その責任を、今、僕に転嫁されても困る」

 言うと、リュートの脳裏に、嫌でもあの狂人の顔が思い出された。あの、他でもない、兄を殺した戦で東部軍をも売った、やつれた男の顔だ。

 

「確かにそうかもしれないけどよ! 元はと言えば、領主様がとち狂っちまったのだって、国王軍や南部大公が助けてくれなかったのが原因だろうが! お前らは、王都や、山脈に守られた土地で、のうのうと暮らして、俺らのことなんて、ちっとも顧みてくれなかったじゃねえか! それを今更、何だよ! お前らなんて、絶対に信用しねえからな!!」

 少年のその訴えは、どうやら、この場に居合わせた男達、全員の総意のようだった。誰も、少年の弁に異を唱えることなどせず、ただ黙って頷くのみである。そんな中、リーダーと思われる男が、補足するようにリュートに語りかけた。

「ここに居るのは、全員家族を竜騎士に殺された、エルダーの生き残りの者達だ。勿論、女性、子供も少なからず居る。エルダーに竜騎士達が侵攻してきて、俺らだけが命からがらここまで逃げてきたんだ。みんな、間近で、父ちゃんや母ちゃんが殺され、そして、身内が次々と縛られて、海の向こうへ連れて行かれた。……そんな俺たちの気持ちがわかるかよ? なあ?! 王都でぬくぬくと守られながら、旨いメシ、温かい寝床に包まれて眠ってきたあんたらに、俺らの何が分かるって言うんだ?」

 

 今にも、涙が溢れんばかりの、蹂躙された弱者の、切々たる訴えだった。

 その訴えを受けて、リュートの瞳に深い憐憫の色が宿る。それと同時に、彼は、おもむろにその襟に手をやって、ぐい、と胸をはだけさせて見せた。

 そこから現れる、痛々しい飛竜の爪痕に、さっきまで詰め寄っていた男達が絶句する。

 

「……お前達の気持ちがわかる、などという傲慢な事は言うつもりはない。だが、僕とて王都でぬくぬくと暮らしてきた訳ではない。僕も、この南部で竜騎士と戦い、そして、……同じように、家族を亡くした。僕の……ただ一人の兄を、だ」

 

 引きつった傷にかかるように、一つのお守りが、リュートの胸に揺れた。あの、兄、レミルの羽が入ったお守りである。

 それを、愛おしげに撫でながら、さらに、リュートが静かに言葉を紡ぐ。

「それだけじゃない。僕は、先の一次侵攻終結の折、竜騎士達に父親を殺されている。そして、母親も殺された。この、蹂躙された南部の人間によって、だ」

 語られた壮絶な過去に、居合わせた男達の顔色が、一瞬にして変わっていた。そんな動揺する男達を前に、尚もリュートは自分の身の上を語ってみせる。

「僕は、……憎い。僕から三人の家族を奪った竜騎士達が、僕は憎くて堪らない。あのルークリヴィル城で、何人竜騎士を殺したとしても、その怒りの炎は修まることはない。今も、この胸に、焼き付いて仕方ないよ、あの、……あの、憎しみは」

 

 怒りを表すように、めらめらと燃え立たんばかりの瞳を前に、リーダー格の男が、言われた一つの単語を聞き取って、リュートに問い直す。

「る、ルークリヴィル城で戦っただって……? そ、その白羽……。あ、あんたまさか……」

「ああ。『白の英雄』。僕の異名だ」

 

 静かに肯定された、その肩書きに、一斉に男達がざわめき立った。

 ……あの、英雄だって? ……あの、南部の城を奪回してくれた、あの白の英雄? ま、まさか……。

 

「信じられないなら、確かめてみろ。僕を敵の将軍の前に連れて行ってみれば、あちらは、上機嫌で迎えてくれるだろうよ」

 

 この自信ぶりからして、どうも嘘をついている様子はない、と判断した男達は、先の態度から一変、狼狽えたような態度で、リュートに接してきた。

「い、いや、知らなかったとはいえ、許してほしい。そうか、あんたが……」

 そう頭を下げながらも、ゲリラ戦士達は、未だ、リュートに対する警戒心は解いていないらしい。男達の口から、なかなか協力に対する承諾の言葉は聞けそうもない。それを悟ったリュートは、尚もその傷を見せながら、彼らの心に訴えかけんと、言葉を紡いだ。

 

「お前達を見捨てた軍の長、として、お前達に要請しているのではない。竜騎士を憎む、一人の男として、君たちの力を借りたいだけだ」

 

 言うと、リュートは、周囲が驚くほどの、深い深い一礼をして、彼らの前に臨んでいた。そして、何か決意したような、断固たる声音で、彼らに語りかける。

 

「――僕の望みは、この国にいる全ての竜騎士の首を刎ねることだ。それ以上でも、それ以下でもない。軍は、その為に奪い取ってきただけだ。他意はない。頼む、僕に協力してくれ」

 

 その、静かだが、明確に語られた心情に、居合わせた男達も、流石に、即座に言い返す事が出来ない。そんな暫くの沈黙の中、ようやくリーダーが、その口を開いた。

「わ、わかった。あんたの気持ちはよくわかったから、少し時間をくれないか? あまりにも突然の事で、こちらも驚きっぱなしだ。とりあえず、皆の意見が聞きたいんだ。席を外して貰えないか?」

「……構わないよ。他の部屋で、この二人と待っているから。いい返事を期待している」

 そう言うと、リュートは、まだ何か言いたげなトーヤの耳を引っ張って、クルシェと共に、部屋を後にしていった。

 

 

「ど、どうするんだよ! 兄ちゃん! 俺は嫌だぜ! いくら英雄だかなんだか知らないけど、よそ者なんかにこの南部の事が任せられるかよ!!」

 リュートが出ていってから、開口一番、坊主頭の少年が、そう高らかに主張した。それに、居合わせた『南部の風』幹部の男達の一部も同意するように、頷く。

「そうだぜ、頭! あの男がいくらすごかったって、結局は後ろに付いてるのは国王軍だ。いつ俺らを捨て駒にするとも限らねぇ! 信用するな!!」

「そうだよ、兄ちゃん! 俺らが信じるのは、同じ辛酸を舐めたこの『南部の風』の奴等だけだ! 俺は、絶対に、あんなヤツ、信用しねぇ!!」

 どうやら、この坊主頭を筆頭に、リュートを信用すべきでない、という意見が大半らしい。その様子に、リーダーはその頭を抱えて、一人考え込んだ後、周りを諭すように、静かに言葉を語りかけた。

 

「……確かに、お前らの言う事も、尤もではある。しかし、この生き残りだけで、このまま、戦闘を続けるのにも限界があるのも確かだ。資金もほとんどなく、細々とした近隣住民からの寄付に頼って、何とか食いつないでいる状態だ。せめて、せめて、金だけでも何とか都合しなければ、と思う。その為には、あの男と手を組むのも、やぶさかではない、と俺は思うんだが……」

 

「――反対!! 反対、反対! 絶対、反対!!」

 熟考の後、紡ぎ出したリーダーの意見は、坊主頭の弟のその言葉で、にべもなく切って落とされていた。それのみならず、坊主の少年は、その歳に似合わぬような大胆不敵な言葉を、堂々と口にしてみせる。

 

「絶対反対だぜ、兄ちゃん! あのお綺麗な顔見たかよ? あんなお綺麗な顔の男が出来る事なんて、決まって大したことじゃねえっての! 腕が立とうが、どうしようが、結局最後の最後には、ケツ捲ってこの南部から逃げ出して行くに決まってらァ! この、南部以外、どこにも行く場所のねえ俺たちとは違ってな! 兄ちゃん、金が欲しいってんなら、俺が奴等から奪ってきてやらぁ! ついでに武器も、食料もな!!」

 

「れ、レオン! お前、一体どうする気で……」

 そう狼狽える兄とは裏腹に、坊主頭の少年、レオンはその荒んだ目をさらに、濁らせて、忌々しげに吐き捨てた。

「決まってんだろ! あの綺麗なお兄さんに、ちょっと痛い目見させてやるだけだよ! この南部が抱える痛みの一片ってヤツを味あわせてやるのさ! そうすりゃ、あいつの器ってのも分かるだろ。この程度で、逃げ出すようじゃ、到底、この南部なんか任せられないからなぁ!」

「れ、レオン……? 馬鹿な真似は辞めろ! い、痛い目って、お前まさか……」

 弟の言葉に、何か嫌な予感を感じ取った兄が、震える声音で、その真意を尋ねる。それに対して返ってきたのは、希望も何も、押しつぶされた、歪みきった弟の笑みだった。

 

「ああ。あのメリア達を使う。これで、……死んだら、あの男の負け。武器、兵糧は全て、俺らが頂く。勝ったら、俺らは無条件で、あの男に協力する。それで、いいだろ、兄ちゃん。心配すんな、俺は小さい頃いっぺんあの辛さ、味わってっから、メリア達と一緒に居ても平気だし」

 

 言うと、リーダーの弟、レオンは、その兄の返事を待たずして、その部屋を後にして行った。そして、その腰にぶら下げていた鍵の一つを、ちゃらり、と鳴らすと、採掘坑を右の最奥に向けて進んでいく。その坑道は、かなり先まで続いていて、暗くて、先がまったく見通せないほどの闇の坑だった。

 その闇の中、蝋燭の灯り一つで、しばらく行くと、堅牢な鉄格子が少年の前に現れる。その中は酷く暗く、そして、じめじめとして、異臭まで漂う劣悪な環境だった。その前まで来ると、少年、レオンは中にいると思われる人物に向かって、声をかける。

 

「おい、メリア! 娑婆に出られるぞ! これで、お前らも人並みの最期が迎えられらぁ! 良かったな!!」

 

 その言葉に、返ってきたのは、歓喜の声ではない。ただ、じめじめと、これから襲いかかるであろう暗い運命を思わせる、小さな少女の、か細い啜り泣きだけが、そこにあった。

 

 


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