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第四十九話:会議

「いよいよ、御前会議でございますねぇ」


 閑散とした、シュトレーゼンヴォルフ邸に、唯一残された高級品である美麗な鏡台の前で、金の髪を撫でつけながら、老婆が、そう、感慨深げに呟いた。その言葉と共に、老婆はその皺だらけの目で、周りを見渡して見ると、そこには、選定候家にあるはずの雅やかな家具の影は、一つとしてなく、ただ、寂しいがらんどうの空間が広がっているのみである。その老婆の視線に、髪を撫でつけられていた主人が、その感情を敏感に感じ取ったのか、少々申し訳なさげな声で、彼女に謝罪の言葉をかけた。

「ごめんね、ザビーネ。先代の思い出の家具達、みんな売り払ってしまって。寂しいかい?」

「いいえ、リュート様。私はね、この家にまた戻ってこられただけで、ほんまにうれしいんどす。こうして、貴方というご主人様に仕えることが出来て、寿命が延びた心地です」

 言われた暖かみのある老婆の言葉に、この家の主人は、ふふ、と小さく笑いを漏らして、そのはらり、と一束落ちた金の髪を耳へとかけ直す。

「そうかい? 爺やは、僕といると寿命が縮む、といつも言っているけれど」

「それは、建前に決まってます。あの人もね、ただ田舎で毎日畑仕事をしとるよりも、こうして貴方に振り回されとるほうがよろしいんです。今日かて、久々に御前会議へのお供ができる、と張り切っとりますんえ。私ら家族はね、みいんな、貴方について行かさして貰います」

「……ありがとう、婆や。苦労を、かけるね」

「何を仰いますやら。ああ、ほら、丁度、ガリーナも帰ってきましたよって」

 ばたばたと、廊下を走る軽快な足音を敏感に聞き取った老婆の、その言葉の通り、しばらくして、この主人がいる部屋に、三つ編みのメイドが勢いよく駆け込んできた。

「ただいまぁ! リュート様! お言いつけ通り、アーリさんから、にゃんこ借りてきましたぁ!」

 その言葉の通り、軽やかに三つ編みを靡かせるメイドの手の中には、一匹の白い子猫の姿。あの近衛十二塔守備隊の動物好き、アーリが飼っていた猫である。その猫をメイドから受け取ると、この家の主は、まるで赤子にでもするように、その子猫の鼻先を自分の鼻先に付けて、それをこすり合わせてやった。その微笑ましいが、今日という日にとっては、奇妙な光景に、メイド長である老婆が問う。

「その子猫、どないしはるんどす?」

「うん、いやね。うちのアーリが、もうこの子飼えなくなってしまうから、誰か他にいい飼い主の所にあげようかなって思って」

「それで、この御前会議に連れて行かれるおつもりで?」

 あまりにも、意外なその答えに、この主人の破天荒ぶりに慣れてきた老婆も、流石に、その眉間に皺を寄せてしまう。そんな彼女には構わず、さらに主人は、鏡台の引き出しから、女が使うような香木で出来た扇と、何やら、独特の紋章が描かれた布を取りだしてきた。

そして、その品のいい香木の扇、……あの、女装したときに使っていた扇を、ばさり、と開いて、その香を確かめるように嗅ぐと、今度は紋章の図柄の布を、その首に、優雅にスカーフのようにまいて見せた。その行動が、ますます分からず、さらに皺を深くする老婆を見かねて、主人が、その艶めく髪の仕上げをねだるように、催促した。 

「ほら、とびっきりの貴公子にしてくおくれ、婆や」

 

 

 

 

 どん、どん、と、真昼の王宮に、二発大きく太鼓の音が響き渡った。

 勿論、演奏の為ではない。一年に一度の御前会議の開幕を知らせるための太鼓である。

 

 それを受けて、王宮にあるこの大会議場には、中央、そして地方の貴族を含めた大勢の諸氏が、既に集まっていた。

 丁度上からみると、下に開いた扇状になっているこの会議場のその正面中心には、この会議を取り仕切る議長席。そして、その前には、この会議で発言権を持つ、四大大公、そして、七大選定候のために用意された、巨大な円卓。それは、上座も下座もなく、皆平等に発言せよ、との意味で作られた円卓なのであるが、そこは、権謀術数渦巻く、この宮廷である。そうそう簡単にその精神、というものは遵守されることがない。

 

 そして、その円卓の後ろには、この会議に置いて発言権のない貴族達のための傍聴席が、階段状になって、設えられている。ちょうど、円卓を上から見下ろす劇場の観客席ような形である。

 その一席に、黒羽の若者ランドルフは、お供のレギアス、オルフェと共に、ようやく、腰を下ろして、議場の中心に置かれている円卓を睥睨した。そして、その隣にいる臣下に問う。

 

「いよいよだな。あの、……あの山猫、何かやらかしてくれると思うか」

「あったりまえだろ。あれが、こんな会議で萎縮するようなタマかよ。なあ、オルフェ」

 そう、いつもの軽い口調で問うレギアスの言葉に対して、オルフェは何か、考え込むかの様にして、その返事を返さない。その様子を不審に思ったランドルフが、彼に問う。

「どうした、オルフェ。最近、何か、考えこんでいるようだが?」

「いいえ、あの……」

 オルフェは、珍しくそう言い淀むと、いつものように眼鏡を、くい、と直して、ランドルフの方へと向き直った。そして、いつになく、神妙な面持ちで彼に告げる。

 

「あの、ランドルフ様。この、……この、御前会議が終わりましたら、お話がございます。大事な……お話です」

 

 

 

 

「ほら、そこ大事だぞ! 貴族方とはいえ、チェックは怠るな! 大事な御前会議の警備だ。何かあれば、王宮近衛隊の……そう、この私の恥なのだからな! 粗相のないように、だ!」

 既にその大半が埋まろうとしてる議場の入り口に、近衛隊長ラディルの檄が飛んだ。

 一年に一度のこの大事な会議である。そこで、何か不備でもあれば、すべて、自分に降りかかってくる。

 ラディルはそう心得て、いつにも増した厳しい口調で、華やかな王宮近衛兵に指示を出し続ける。その一方で、彼は、この朝から二時間かけてセットした髪型の崩れが気になって、気になって仕方がない。その崩れだけでも、苛々と自分の心を逆撫でするというのに、それに加えて……。

 

 ――何だ、あの……あの冒涜者は……。

 

 そう呟いて、ラディルは、睫毛の長い目で、円卓に座っている一人の貴公子を、ぎりぎりと睨め付ける。

 

「よーし、よし。いいこだね、ジークルーネ」

 そこには、巫山戯た趣味の悪い名を呼んで、扇を使って、子猫と戯れる、一人の若き選定候の姿。この大事な会議の席に、そんな猫と遊ぶという馬鹿げた行為をするなんて、気が触れた阿呆のすることにしか見えない。

 それに加えて、悔しいのが、その阿呆の出で立ちである。正直、……負けた、と思うくらい、その貴公子はいたく華やかで、優雅な装いなのである。あんな阿呆の癖して、見目だけは、この自分よりよい。その事が、もう、美意識の高いラディルの心を逆撫でするどころではない。何を考えているかさっぱり読めぬ、得体の知れない野良猫に、心臓を直接、爪を立てて引っ掻かれているような、そんな心地なのである。

 

 そんな彼の内心の葛藤を余所に、議場には、次々と大物である高位貴族達が入場してきていた。

 

 この議場が開いた時より、ずっと座っているロクールシエン東大公に加え、その最大のライバルである、銀狐、ガーデリシュエン北大公、そして、大神官である、老爺、ハリナウルフ候、副宰相を務める、いぶし銀の魅力を持ったトリエンヴォルフ候、そして、堅物すぎる、と評判の、議長を務める司法長官、ローテンウルフ候。ちなみに、第二軍の将である、金髪の巨漢、ミッテルウルフ候は、半島での駐留のために、欠席する旨の書簡が既に届いている。

 そして、諸侯がおおむね揃った中に、一種、異様な男が、議場に姿を現した。その姿は、まるで、今さっき、墓場から起きあがってきた死者を思わせるほどに、じっとりと暗い。そう、『日和見大公』の二つ名を持つ、リューデュシエン南大公である。

 

「ふううう、こんな昼間から、会議なンて退屈なもの、干からびてしまいます。まったく、我が白羽の君さえ、お出でにならなかったら、こンな会議、休んでしまいたかったくらいです」

 そう呟く死神に、後ろから、気品に溢れた、だが、一本筋の通った女の声が投げかけられる。

「ああ、おぞまし。こないな死神、真っ昼間から拝まな、ならんやなんて、ほんま、寒気がするわ」

 

 その独特の西部の訛りで吐き捨てられる女性の言葉に、死神はその陰気な表情に、さらに死臭を上乗せして、忌々しげに呟いた。

「嫌なンはこちらです、西の大公の奥方。ああ、女臭くて堪らない。どうして、そンなに女というのは臭いのでしょう。ああ、化粧の臭いですか。その厚顔に、化粧という偽りを乗せねば、女という生き物は外にも出られない。本当に、嫌な生き物です」

「お黙りや、死神! お前なんぞに好かれとうないよって、好都合や。ええか、フリード。こないな男になるんやあらしまへんえ」

 死神の暴言に、その女性はいきり立ったように、その後ろに隠れていた人物にそう告げた。そこには、まだ、十にもならないような黄色の羽の小さな少年が一人。

 この少年こそが、先に亡くなった西の大公の忘れ形見、次期西大公、フリード・ザルツリュシエン、そして、この息子同様の黄羽の女性が、今、このフリードに代わって大公の政務を行っている、その母、マティルダである。

 

 そのお互いに嫌悪感を示した二人の大公が、円卓に着席すると、それを受けて、選定候であるラディルが、近くにいた近衛兵二人に、最終確認の為に、声をかける。

「もう、全ての諸侯は出そろったな。私も円卓に着く。お前達、念のための警護の為、私の近くに控えていろ。あの……あの金髪の冒涜者が、何かしでかさないように、な」

「御意に、ございます」

「確かに、拝命致しました。近衛隊長様からの直接の命を受ける事が出来て、恐悦至極に存じます」

 そう、恭しく答える雅やかな近衛兵を引き連れて、最後の選定候ラディルが円卓に着くと、会場に、ラッパの音が高らかに響き渡った。国王の、登場である。

 一斉に起立をして迎える諸侯の中、議場の入り口より、白銀の羽の王者がその姿を現した。そして、続く、王妃、エミリア、王子、ヨシュア、そして、宰相シュタインウォルフ候の姿。

 そして、王妃、王子は、円卓から離れた貴賓席に、そして、宰相が円卓の用意された席につくと、ようやく国王が、その歩みを議長席前の、円卓の一番中心、とも言える席にまで進める。そして、居並ぶ四大大公、七大選定候、その他の貴族諸侯を、その青い瞳で、睥睨するように、見渡すと、持っていた錫を、こつり、とその円卓の上で鳴らした。

 

「四大大公、並びに、七大選定候、そして、貴族諸氏。皆、今日の御前会議の為、よう集まってくれた。今日はこの国の為、その思うところ、忌憚なく述べてくれたまえ」

 

 国王のその言葉を持って、一斉に諸侯らの頭が下げられた。

「さあ、御前会議、開幕だ」

 

 

 

「それでは、僭越ながら、我が輩が議長を務めさせて頂きます。皆々様、ご静粛に、ご静粛に」

 がっしりとした、そして、見るからに頑固、という気質を現すような初老の男、司法長官ローテンウルフ候が、しずしずと、その腰をあげて、円卓から議長席に移動した。そして、議長席に用意された進行表を見ながら、その厳格なる声で、場を取り仕切り始める。

「さて、早速、前もって、こちらに提出されておりました、本日の会議においての案件でございますが、まずは、一つ。なんといってもあの南部のイヴァリー半島への帝国の再侵攻でございます。そして、第二に、間近に控えましたヨシュア様の立太子の礼。並びに、この王都の税の減収、及び、治安の悪化……。他に、何かございましたら、随時この議長まで、仰って下さい。さて、まずは、どの案件から参りましょうか。ご意見のある方がいらっしゃれば……」

 

 その議長の言葉に、真っ先に手を挙げたのは、北の大公である銀狐だった。

「待って下さい、議長。先にヨシュア様の立太子の礼の件も案件に上がっている、と言われましたね? 何故、今更、その様な事、議題にせねばならんのです? 王子は、我が妹、エミリアが産んだただ一人の王子。その立太子に、一体誰が、否やを唱えると言うのですか!」

 銀狐の口から言われたその言葉に、ぴくり、と王妃、そして、国王の眉が動いた。そして、すぐに、その目を次に言葉を口にするであろう、黒羽の鷹、東大公へと向ける。その視線を受けて、鷹、と呼ばれる髭の東大公が口を開いた。

 

「いや、それがですね、北の大公殿。我が東部に、少々秘された案件がございましてね。ええ、今日この場に、二十年ぶりに復帰された、若君の件なのですが……」

 鷹のその言葉とともに、諸侯らの目線が一斉に、新たに選定候に復帰した金髪の男に向けられる。だが、その当の本人と来たら、子猫をその膝に乗せたまま、持っている扇を、また阿呆のように、ぱちぱちと鳴らして遊んでいるのである。これには、東大公も、胡乱げな目線を、彼に送らざるを得ない。そして、窘めるように、ごほん、と咳払いを一つすると、先の言葉を繋げる。

「いや、このシュトレーゼンヴォルフ候ですが、私も調べるまで、知らなかったのですがね、どうやら、……陛下の御落胤である可能性があるようなのです」

 

 厳粛な声音で、だが、しかし、はっきりと、告げられた衝撃の告白に、議場は一斉に、どよっ、とざわめいた。

「ええい!! 静粛に、静粛に!! この円卓におる者以外、発言禁止というのに、分からぬか!」

 あまりの場の動揺ぶりに、議長がその槌を、ばんばん、と叩いて、皆を黙らせる。そして、その先を続けるように、東大公を促した。

「はい。我がレンダマルの書庫で、とある文書を見つけました所、衝撃の事実が発覚致しました。このリュート様の誕生日、先の断絶した選定候家の若君、ヴァレルによって、改竄がされておったのです。その結果、妊娠期間を考慮しました所、この方の母御ラセリア様が、王太子妃として、後宮におられました時期と一致します。……それが、何を意味するか、お分かりになりますね?」

 そう言って、一枚の書類を皆に見せつけるようにして、翳す大公に、場の諸侯らから、また、どよどよとしたざわめきが巻き起こった。そんな中、殊更、信じられない、と言った声音で、王子、ヨシュアが声を絞り出す。

「そ、そんな、馬鹿な……。りゅ、リュートが、ぼ、僕の兄上かもしれないだって……?」

 

「静粛に、静粛に!! それはまことのことですかな、東大公殿!!」

 議長のその問いに、さらに、東大公はその口の端を歪めて、居合わせた諸侯らに向けて、訴えるかのように、堂々と言葉を紡ぐ。

「はい。間違いなく。しかも、です。この方が、王子であるかもしれないという事実は、この王宮におられる、と、あるお方が知っておられたとしか思えないような案件なのです! 何故ならば、この若君が王子であるかもしれないと疑った人物が、彼を殺そうとした事件があったのでございます。そして、その件を独自に調べさせましたところ……」

 ぎら、と黒く光る東大公の鷹の目が、一人の女に向く。勿論、貴賓席にいる、銀髪の貴婦人に、である。

 

「そう! このエミリア様が、自らと王子の保身の為、このリュート様を殺害せんとなされたのです!!」

 

 明かされた衝撃の事実に、場は、再び狂乱の坩堝と化したかのように、どよめいた。

 そんな中、傍聴席にいた北の大公の息子、エイブリーが、びっしりと脂汗の浮いた顔で、呟く。

「そ、そんな、あの田舎者が、王子だって……? そ、それに、あの馬鹿な叔母上が、あ、暗殺なんて、そんな事……」

 

 その、もう議長の声すらもかき消されるような喧噪の中、東大公が、貴賓席に座る王妃にさらに問いつめる。

「さあ、如何です、エミリア王妃。お認めになるなら、今のうちですよ」

 

 まるで、鷹が獲物を狩るような鋭い目線を向ける大公の前にして、王妃は、その眉一つ動かす事はしない。そして、その花弁の唇から、一言、あどけない少女の声音で答える。

 

「まあ、何を仰っていらっしゃるのか、よく、分からないわ」

 

 そのすっとぼけた様な答えを半分は予期していた東大公は、さらに、とどめだ、とばかりに、振り返って、襲われた被害者である、当の本人、リュートに向けて声をかけた。

「リュート殿。言っておやりなさい。あのレンダマルで、貴方を襲ったのが、一体誰なのか!」

 

 東大公のその呼びかけを持って、議場に、しばしの沈黙が流れる。そして、その沈黙を打ち破って、爽やかな貴公子の笑みとともに、明朗な声音が議場に響き渡った。

 

 

「さて? 何のことでしょう」

 

 

 あまりに、さらりと、そして、あまりにも清々しい笑みで言われた言葉に、場は、再び、おかしな静寂に包まれた。

 その中で、唯一、彼の叔母である王妃だけが、うっすらと、その口の端を歪めていた。そして、内心で一人、呟く。

 

 ――とても、素敵な取引だったわ。リュートさん。

 

 そんな内心を押し殺しながら、静寂の中、またも王妃が少女の微笑みで、発言する。

「まあ、東の大公様。どうして、私がその様な事、せねばならないの? リュートさんは、私の可愛い甥っ子ですのに」

「……な、何をおっしゃるか、王妃陛下! 貴方、我がレンダマルで、お預かりしておったこの方に、自分の密偵を差し向けられましたでしょう! 貴方の産んだ王子であるヨシュア様の地位を脅かすやもしれん、この若君を、です!」

 王妃のさらなるとぼけた台詞に、鷹の大公は、その口から唾を飛ばさんばかりに、彼女を問いつめた。そんな彼に、円卓の一席から、また清々しいまでの貴公子の言葉が届く。

「もう、嫌だなぁ。大公殿下ったら。叔母上がそんな事するはずないじゃないですか。それに、一体、何です? その、密偵とか、何とかって?」


 その言葉を、傍聴席にいたランドルフ達三人だけが、過たずに理解していた。そして、周囲に分からぬ程度の声で、小さく呟く。

「……あいつ、親父をあっさり裏切りやがった……」

 

「な、何を言うのです、リュート殿。こ、こちらには証拠もあるのですぞ!!」

 そう、なおも言いつのる東大公を尻目に、金髪の貴公子は、相も変わらぬ子猫の様な笑みで、ばさり、と扇を一振りして答える。

「証拠? それも、一体何のことでしょう? 僕はレンダマルで、何事もなく健やかに過ごさせて頂きましたよ? 一体、何の証拠か分かりません。ねえ、叔母上。僕たち、こんなに仲がいいのに、ねえ?」

「ええ、そうね、リュートさん。私、貴方が大好きなのに。そんな言いがかり付けられるなんて、どうしたら、いいものか……」

「ああ、何て、可哀想な叔母上なんでしょう。ええ、きっと、何か、大公殿下も勘違いしてらっしゃるだけですよ。ねえ、大公殿下? 当人同士がない、と言っているものを、どうして第三者である貴方が、証明する必要があるのです?」

 この、白々しいまでの、子猫と少女の微笑みが織り成す茶番である。だが、この茶番こそが、あのリュートが女装をしてまで得た、成果なのだ、と言うことを、ランドルフはよく理解していた。そして、その清々しいまでの茶番劇を演ずる、叔母と甥の二人に、思う。


 ――何という……、何という、最強の組合せか……。


 その、ランドルフの内心を、知ってか知らずか、今度はリュートが、その手を挙げて、議長に問う。

「議長様。貴方は確か、司法長官も務めておられましたね? そこで、お聞きしたいのですが、被害者側がない、と言っている事件を、第三者が、その加害者を罪に問う、ということは可能なのでしょうか?」

 この問いに、議長席に座る司法の長は、いささか狼狽えながらも、自分の責務において、答える。

「い、いや……。現在の法律では、被害者側、もしくは被害者が死亡した案件に関しては、その親族からの訴えがあってのみ、罪に問う事が出来る」

「と、言うことは、被害者、とされるこの僕が、事件というものを認識していないこの案件においては、例え、第三者が、如何なる証人を用意していた、としても、その案件は、事件としては、認められない。……そういうことですね?」

 

 ここまで言えば、もう司法長官の答えを待つまでもない。もう、完全に密偵襲撃事件、というものは、このリュートと王妃の手によって、闇に葬り去られた事になる。その事を、この事件を利用して王妃の失脚を狙っていた東大公が、ここにいる誰よりも、理解していた。そして、それと同時に、今、この若造のした裏切りによって、自分が如何に不利な立場に追い込まれたかも、よくわかっている。

 それを受けて、ここぞ、とばかりに、ライバルである北の大公が口を開く。

「おやおや、東大公殿。ない事件をでっち上げてまで、我が妹を貶めんとするとは、随分な事をしてくれるではありませんか。いいですか? 我が、妹は、押しも押されぬ王妃陛下なのですよ? そんな方に、その様な言いがかりを付けるなど、不敬罪の誹りは免れませんのでは、ないですかな?」

 銀狐の、その隙をついた嘲りの言葉に、東大公は、内心で、くそっ、という舌打ちをしながら、自分を裏切った金髪の男を睨め付ける。一方で、その睨みを受けるリュートの方は、また、阿呆の様に、子猫と遊んで、そして、何やら、ちらちら、と窓の外の様子を窺っているのである。

 

「さて、東大公殿。我が妹を侮辱し、陥れようとした罪は重いですぞ!! さあ、一体、どのように報いるおつもりで? さあ! さあ!」

 まるで、狐が瀕死の獲物をいたぶるかのように、北の大公が、東大公を問いつめる。それに対して、何か、打開策を打ち出そうと、口を開かんとする東大公を遮って、突然、議場に大きな叫び声が響いた。

 

 

「――も、申し上げます!! き、緊急事態です!!」

 

 一人の近衛兵が、議場に転がり込むように、入ってきた。息せき切って、慌てるその様子に、議場にいた全員が、即座にただごとでない気配を感じ取る。それに、応じて、国王が即座に命令を下した。

「構わぬ。そこで、申せ」

 

「は、は、はい! では、申し上げます!! ぼ、暴動です! お、王都中心、北の大公殿下の邸宅前にて、ガリレア市民達の暴動が起こっております!!」

 

「き、北の大公家だと!!」

 これに、驚いたのは、さっきまで東大公を追いつめていい気になっていた北の銀狐、オリヴィエだった。その予期しない出来事に、その顔を蒼白に変えて、さらに、近衛兵に問う。

「わ、我が邸宅が、というのはまことか!?」

「は、はい。た、確かに北の大公殿下のお屋敷です。殿下のお屋敷だけに、市民達が詰めかけ、何やら口々に叫んでは、石を屋敷に投げ入れております!!」

「な、何だと!? な、何故、我が屋敷だけが!!」

 狼狽える北の大公に答えるように、さらに近衛兵は報告を続ける。

「そ、それが、市民達が言いますには、『北の大公は、穀物を買い占めて、その私腹を肥やしている! そうやって、穀物とお金を手に入れて、自分たちだけ北の地に帰って、竜騎士達の侵攻から逃れるつもりなんだ!!』と」

 言われた衝撃の言葉に、北の大公は、その身を、まるで雷にでも撃たれたように震えさせた。

「な、な、何を言うか! 竜騎士からの侵攻を逃れる、だと? だ、誰が、そんな事を!!」

「そ、それが、以前より、城下にはひっそりとはでございますが、と、ある噂が流れておりまして。何でも、『竜騎士達は、この冬を利用して、さらなる軍勢を本国から南部に集めている。このままでは、王都まで陥落するのも、時間の問題だ』と、いう噂です。それが、どうやら、この暴動を煽る不安要素となっておるようでございまして……」

「ば、馬鹿者が!! い、一体、誰が、そんなデタラメを!! りゅ、竜騎士達が、この王都までやってくる、だなんて、そんな嘘を誰が……」

 ざわめく議場の中、さらに、北の大公が報告に来た近衛兵を締め上げる。それに観念したように、近衛兵が、またも、衝撃の事実を口にする。

「そ、それが、どうも、闘技場からそのような噂が広まっておるようで……。その、闘技場の年間チャンピオン、とかいう男が、そう言った噂を口にして、それが、市民らにも伝わっていったようで……」

 

「と、闘技場の年間チャンピオン?」

 その言葉に、近衛隊長であるラディルが即座に食いついた。そして、即座に振り返って、自分の副官である、リュートへ問いただす。

「確か、闘技場の年間チャンピオンは、貴方の管轄する、近衛十二塔の隊士の一人、リザ・クリュグローザでしたね、シュトレーゼンヴォルフ候よ。一体、どういう事か、ご説明願えますかな!!」

 これに対して、問われた本人は、また、子猫のような無邪気な笑みを浮かべて、平然と答えた。

 

「あっれぇ? おかしいな。ええ、僕ね、半島にいたときお友達になった、東部駐留軍の隊長さんのナムワ君と、まだ仲良く文通しているんだけどね、その内容、リザに言っちゃってたかなぁ。うん、確かに、彼には、南部では竜騎士さん達が力をつけていて大変らしいよ、と世間話をしたんだけれどねえ。ああ、リザ、みんなに言っちゃったのかぁ。もう、リザったら、いけない子だなぁ。それに、そんな尾ひれが付くなんて、噂って、おっそろしいよねぇ?」

 

「な、な、な!! 何を馬鹿なことを!! き、き、貴様、許さんぞ、若造め!! そ、そんな根も葉もない噂流しおって!!」

 これには堪らず、暴動を受けている北の大公が、その甥に掴みかかった。それでも、未だ、金髪の貴公子は、その笑みを収める事はない。

「ええ? だって、本当の事を僕は言っただけですよ、伯父上? だって、そうじゃありませんか? 竜騎士の動向なんて、一番南部に駐留してる軍人さんがよく知っているものでしょう? いやぁ、怖いですねぇ、伯父上。竜騎士、来ちゃうんですって。ほら、伯父上も、さっさと北の巣穴に帰って、震えてらっしゃった方がよろしいですよ」

「き、き、貴様ぁ!!」

 

「お待ち下さい、北の大公殿下!!」

 

 今にも伯父が、その甥の美麗な顔に殴りかからんとしたとき、その雅やかな声が、それを制した。

 振り返ると、そこには、艶やかに髪を整えた近衛隊長、ラディルの姿。彼は、いきり立つ北の大公の腕を、そっと、収めると、断固たる声音で、言い放つ。

「貴方の手をお汚しになることはございませぬ。これは、我が近衛隊の責任です。私が、責任持って、この男を、暴動の首謀者として、捕らえます」


 そして、後ろに控えていた二人の近衛兵を呼ぶと、何か嫌らしい目つきで、金髪の貴公子を見つめて、命令を下す。


 ……これで、お前も終わりだ。冒涜者め。


「近衛兵! この者を、捕らえよ!!」


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