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第四話:再会

――あの男、絶対殺してやる。

 

 リュートは、目の前の現状を再確認すると、そう呟いた。

 今朝、整えたはずの書類がみるも無残に散乱している。机の上には新しい書類の山々。しかも鍛練所の業務に関係のない書類まで混ざっている。

 

 ――あの眼鏡も、いつか絶対殺してやるからな。

 

 リュートは、おそらくこの関係のない書類を置いていった人物に対しても、そう毒づいた。

 

 もう辺りはすっかり暗い。いつも聞こえてくる兵士達が訓練をする声も、もう聞こえてはこない。

 ピキッと左肩が疼いた。見ると痣ができている。

 

 ――あの巻き毛もだ。三人そろって、絶対いつかぶちのめしてやる。

 

 その痣をさすりながら、リュートは呟く。疼くのは左肩だけではない。全身がもう疲労でへとへとだった。

 

「リュート、平民クラスのカリキュラムを変更する。各講師のスケジュールと現行の時間割りを出してくれ」

 違う書類に目を通しながら、この散乱した部屋の主が帰ってきた。そして、リュートの刺すような目付きにようやく気付く。

「どうした、リュート」

 

「今し方、あなたに殺意を抱いていたところです、所長」

 リュートのその怒気をはらめた言葉に、所長は一切気にする様子もない。ただ、その整った顎を鳴らし、高らかに笑ってみせる。

「私を殺すか。ははは、お前には十年早い」

 

「笑い事ではありません! どうしてこんなに書類がぐちゃぐちゃになってるんですか! ちゃんと整えておいたはずですよ?」

「探している書類がなかなか見つからなかったのだ。お前の整理方法が悪いのだろう」

 リュートの抗議にも構わず、しれっと所長は言い返す。自分のやりように、少しも悪びれた様子がない。

「まったく、あの男があなたを暗殺しようと思ったのがよくわかる」

 そのリュートの嫌味にも、少しも所長は動じなかった。その目線を真っ向から受け止め、余裕の声で一言、言いはなってみせる。

「来るなら来い。全力で潰してやる」

 あながち、はったりでないのが口惜しい。この男なら本当にやりかねない、とリュートは思った。

 

「市長! 書類に目を通して頂けましたか?」

 そうこうしている内に、リュートの殺意の矛先が、もう一人入ってきた。

「オルフェさん! どうして市庁舎の書類までこちらに持ち込むんですか? これはそちらで処理してください!」

 リュートは、その入ってきた眼鏡をかけた男の鼻先に、これでもか、と書類を突き付けてみせる。

「文句なら、なかなか決済してくださらぬ市長殿に言ってくれ」

 だが、こちらもリュートの抗議などには動じない。眼鏡をキラリと光らせて、所長兼、市長に詰め寄るのみである。

「市長、さっさとこちらを終わらせてください。鍛練所の仕事はそれからです」

 そうしゃあしゃあと言ってのける眼鏡の男に、リュートは堪らず、食って掛かった。

「な、何言ってるんだ。こっちは昼間の訓練でへとへとなんだ。剣一つ振らないあんたの仕事なんか後回しに決まってるだろ」

「あいにくと、我がレンダラー家は剣などという野蛮なものは持たぬ主義でね」

 この眼鏡の男、オルフェ・レンダラーはロクールシエン家に代々仕える文官の家柄の出身である。まだ若い彼はまだ大公への出仕は許されておらず、現在はその息子ランドルフの秘書長を勤めている。

 彼は水晶の様な透き通った色素の薄い美しい目をしているが、いつもその目は眼鏡で隠されていて、なかなかその本意を窺い知ることはできない。

 

「リュ・ー・トぉ! いるかぁ?」

 また、リュートの悩みの種が現れた。巻き毛の長身が、散乱した室内に狭そうに入ってくる。その男を、リュートは目もあわせず、冷たくあしらう。

「なんの御用ですか、レギアス教官。僕はあなたに用なんてありませんけど」

「そんなつれないこと言うなよー。せっかくよく効く軟膏持ってきてやったんだからさ。打ち身の具合はどうだ?」

「僕をめったうちにした張本人に心配されたくありませんね」

「あれはく・ん・れ・ん。けしてお前が憎くてやったわけじゃないさ。誰が好き好んでこんな可愛い顔に傷をつけたいもんか」

 ……嘘をつけ。後半は本気で打ち込んできたくせに。そうでなければ、僕がこうまでやられるもんか。

 つん、とリュートはレギアスから顔を背ける。

 このリュートにつれなくされて悄気ている長身の男、レギアス・ファーもまた代々ロクールシエン家に仕えてきた貴族の出身である。ただ先程のオルフェと違うのは、武官の家柄であり、こちらはかなり腕が立つ。しかし、かなりの女好きで軽薄な性格が災いし、高級武官にはなれず、現在はこの鍛練所の教官という身分に納まっている。

「ランドルフ〜。お前もなんとか言ってやってくれよ〜」

 いやしくも四大大公の後継者たるランドルフに、敬語を使わず話すことが許されているのは、彼くらいである。聞けば、まだ飛べないころからの幼なじみということらしい。

「奇遇だな、レギアス。私もこの山猫の様なはねっかえりには苦労している」

 その言葉とは裏腹に、ランドルフは嬉しそうに笑った。

 

 あの暗殺事件の後、なかば強制的にリュートはランドルフの秘書にさせられていた。

 最初は断固として拒否していたリュートだが、相手が悪かった。将来ニーズレッチェ家の主君になるであろう人物に逆らえないのが現状だった。

 リュートは、レミルと共に宿舎を与えられ、昼間は剣や弓の鍛練、または各学問の講義を受ける一方で、所長付きの秘書として、ランドルフにこき使われるはめになっていた。これも将来レミルをサポートする上で、必要な経験だ、と自らを納得させていたが、この主人および従者の横暴ぶりは目に余ると、いつも主人に反抗を続けている。

 だが、その反抗ぶりがよほどツボにはまるのか、ランドルフはますますリュートを気に入り、離そうとしなかった。

 

 

「まったく、どいつもこいつも……」

 完全に夜も更けて、日付が変わろうとする頃、ようやくリュートは自室に戻ることを許された。おそらくすでに就寝中と思われる同室者を気遣い、そっと戸を開ける。

「リュート、遅かったな。心配してたんだぞ」

 予想に反して、同室者がすぐに駆け寄ってきた。

「レミル、起きてたの?」

「当たり前だろ? 今日お前、あんなに教官にしごかれてたのに、秘書の仕事まで……。肩大丈夫か?見せてみろ」

 そう言って、レミルが服を脱がすと、案の定左肩が腫れて紫色になっている。

「明日休みだろ?俺が付いてってやるから病院行こうぜ」

「大丈夫だよ。レギアス教官から軟膏も貰ったし……」

「ダメだ! 絶対病院行くぞ。お前にもしものことがあったら母さんに申し訳ないからな」

 その義兄の申し出に、リュートはうれしそうに微笑んだ。

 ああ、このお節介なところは親子そっくりだ。こうなったら梃子でも動かないんだ、義母さんも、レミルも。

 こうやっていつも親身になって気遣ってくれる。この気配りのできる優しい人は、きっと義母さんのようにいい領主になるに違いない。どこかの黒羽とはえらい違いだ。……やっぱり、この人こそ僕が守るべきにふさわしい人なんだ。

 リュートは、そう満足気に笑うと、肩の痛みなど忘れて、ゆっくりと眠りについた。

 


 

「はああ〜、高いなあ」

 ぽかんと口を開けたまま、レミルは再び上空を見上げた。

 改めて、レミル、リュートの兄弟はレンダマルの街に驚かされる。

 初めてこの街に来たときには何もなかった更地に、すでに六階建ての家を越す塔が建設されていた。しかも、それは未だ建設中で、予定ではこの倍の高さになるらしい。見物人が見守る中、次々と屈強な男たちによって石レンガが上に運ばれていき、大工達によって綺麗に積み上げられていく。

 市長であるランドルフの話では、以前使用していた風見の塔が老朽化したため、新しく立て替え、さらには街のシンボルの時計塔にしてほしい、という要望が市民から寄せられていたらしい。市民からの寄付があるとはいえ、この大規模な工事を行えるロクールシエン家の力には改めて、驚かされる。

 

 国王が恐れるわけだ、とリュートは改めて、感じさせられた。

 

 現在、ランドルフの父である大公が宮廷に出ているのも、国王による東部の牽制の意味があるのだと、ランドルフは言っていた。

 

 あの手紙をよこして、ここに自分達をいざなったロクールシエン大公。リュートは、未だにその人物に面会することすら出来ていない。

 以前、息子であるランドルフに手紙のことをそれとなく聞いてみたが、彼はどうやら手紙のことなど知らぬような様子だった。

 

 ――何を考えている……?

 

 依然、その顔すら見ることのできぬ大公の思惑は、この時計塔のごとく、その大きさが計り知れない。

 

「リュート? 何ぼーっとしてるんだ?早く病院行こうぜ」

 レミルの声によって、リュートは思考から引き戻される。

「あ、いや。なんでもないよ」

 そう言って、レミルの方を振り返った、その時。

 

 レミルの頭上にパラパラと小さな石の欠片が降り注いだ。

 

 

「崩落だ! よけろぉぉぉぉ!!!!!!」

 

 

 頭上から怒号が発せられる。

 その声に反応して、リュートは咄嗟に上空を見上げた。

 

 そこには、工事中の塔の上に積み重ねられていた石組みが、バランスを失い、今にも崩れ落ちんとしていた。

 

「危ない!」

 

 リュートは、咄嗟にレミルを突き飛ばし、彼をかばうように覆いかぶさった。

 その直後、無数の石レンガが頭上から雨の様に降り注ぐ。

 

「きゃああああああああっっ!!!」

 

 

 辺りに悲鳴が響き渡った。

 

 あまりの衝撃と舞い上がる砂煙。

 レミルがようやく目を開けると、すぐに紅い色が飛び込んできた。ぽたり、と紅い液体がレミルの頬に落ちる。

 

「レミル、大丈夫?」

 レミルの上でリュートが微笑んでいた。

 おそらく石の欠片が当たったのだろう。その額からは、ぽたぽたと紅い血が流れている。

 

「リュート! お前こそ大丈夫か?」

 レミルは起き上がると、リュートの額の怪我を見る。幸い傷は深くないようだ。

「僕は大丈夫。レミルに怪我がなかったらそれでいいんだ」

 そう言って、リュートはまた微笑んでみせた。

「リュート……、お前……」


 

 ようやく砂煙がおさまり、辺りの様子が明らかになる。

 そこには、ひどい惨状が広がっていた。

 石の直撃を受けて、つぶされる市民達。流れる紅い血、そして悲鳴。

 

「うわああああんっ」

 小さな子供の泣き声がする。

 レミルが傍らを見ると、まだ五つにもならぬ様な子供が泣いていた。手に怪我を負っている。

「君! 大丈夫かい?」

 レミルは子供を抱き上げると、辺りを見回した。だが、親らしい人物は見当たらない。子供はレミルに縋り付くように抱きつき、さらに酷く泣いている。

「お母さんとはぐれたのか? すぐに俺たちが見つけてやるからな。心配しなくていいよ。おおい、リュート」

 レミルは振り返って、義弟を呼ぶ。しかし、彼の姿はそこにはなかった。

 


 リュートは、すぐに空中に飛び出していた。

 そして、現場を空から見渡し、現状を把握すると、高らかに叫ぶ。

 

「動けるものはいるか! 誰か一人すぐに市庁舎に連絡を! もう一人は病院へ行って医者をつれてこい! 搬送の優先順位をつけさせろ! 残りのものは被害者の救助にあたれ!」

 

 リュートの声に、惨事を免れていた市民達が、我に返った様に、一斉に動いた。

 それを確認すると、リュートは再び工事中の塔の上へと、飛び上がる。そして、惨事を引き起こして、パニックになっている大工達に向かって叫んだ。

 

「全員無事か? 怪我人以外はその場にて待機して、二次災害の危険がないか確認しろ!! その後はそこで全員待て!!」

 

 大工達は、その言葉に我を取り戻す。慌ててリュートの指示通り崩れた石組み周辺の確認に当たった。そして、リュートは大工達の監視を市民の一人に任せると、再び地上へと戻り、救助に加わる。

 


「どけどけ!! 医者が来たぞ!!!」

 近くの病院から、医者が看護婦を伴って、駆けつけてきた。リュートがそれを見るなり、医者の元へと舞い降りる。

「先生、一番に治療が必要な患者から優先順位をつけてくれ。こちらはそれに従って病院に搬送させる」

 ひげ面の医者は、あまりの惨事に驚きながらも、リュートの申し出に頷き、その後ろを振り返った。

「よ、よし、看護婦にも手伝わせる。おおい、マリアン!!」

 

「えっ?」

 

 医者の後ろに、薄桃の羽が揺れた。

 呼びかけに答えて、その羽の持ち主が振り返る。栗毛がふわりと柔らかく揺れた。

 

「りゅ、リュート?」

 もともと大きな目をさらに丸くして、看護婦は目の前の男の名を呼んだ。

「ま、マリアン? マリアンなのか?」

 

 それは、間違いなく、あのマリアンだった。

 クレスタの町の医者の娘であり、唯一家族以外でリュートが心を開いていた幼なじみの姉妹。今はクレスタを離れて、王都ガリレアへ行ったと聞いていたが……。

「どうして君がレンダマルに?」

「い、いろいろあって、今はここで看護婦をしてるわ。あ、あなたこそどうしてこんなところに……」

 動揺するマリアンに、医者が再び呼び掛ける。

「マリアン! 早く来い! 脈をとれ!」

「は、はい! 今行きます!リュート、また後でね!」

 そう言って、マリアンはためらわずに血塗れの患者達のもとへ飛び込んでいった。

 


 次々と重傷者が、手際よく運ばれていく。

 レミルは救助の邪魔にならぬよう、子供を抱いて現場を離れた。

「うわああああん、うわああああん」

 手の怪我の痛みと、母がいないショックのためか、子供は未だに泣き止む様子はない。

「よーしよし、いい子だ。お兄ちゃんがついてるから大丈夫だ」

 レミルは、子供を強く抱き締め、その頭をゆっくりとなでてやる。そうすると、安心したのか、子供は鼻を啜りながらも、必死に泣き止もうとする。

「よーし、強い子だ。もう少ししたらお医者さんに診てもらおうな」

 指で子供の涙を拭ってやると、子供は力強く頷き、レミルに再び抱きついた。

 

「軽傷者は南の広場に集まってー! まとめて応急処置するわー!」

 人込みの向こうで女の声がした。行ってみると、小さな怪我をした者たちが順に並んでいる。どうやら駆け付けてきた看護婦達によって応急手当てが施されているらしい。

「よし、診てもらおうか」

 レミルがそう言って、子供を連れて列に並ぶと、後ろから凛とした女の声が響いた。

「患者は子供? だったら先に診るわ。こっちに来て」

 

 聞き覚えのある声だった。

 まさか、とレミルは振り向く。

 見覚えのある薄紫の翼、黒のストレートボブ。


「トゥナ! トゥナじゃないか!」

「レミル!?」

 

 やはり幼なじみのトゥナだった。

 美しい薄紫の羽をそのままに、少女は大人の女へと成長を遂げていた。

 



「ガリレアに行ったと聞いてたんだけどな」

 広場の一角で、レミルのその問いに、消毒液を取出しながら、トゥナは答える。

「ええ、行ったわよ、ガリレアの大学に。医師免許をもらいにね。……坊や、しみるわよ。レミル、腕押さえて」

「それがどうしてこんなところに?」

 消毒液を塗るなり、ふぎゃーっと、子供は火が点いたように泣きだした。それでもトゥナは躊躇することなく消毒を続ける。

「『女には医師免許を発行出来ない』って言われたのよ」

「そんな……」

「それだけだったらまだしもね」

 傷口にガーゼを当てて、トゥナは器用にくるくると包帯を巻いていく。

「学長に言われたわ。『一晩一緒に過ごせば考えてやらんでもない』ってね。もちろん、その場でぶん殴ってやったけど」

 

 実に、トゥナらしい、とレミルは苦笑する。

 ……そうだ、いつぞやの夜盗をやりこめたのも彼女だったな。いやらしい学長風情がかなうはずもない。

 そう思い出し笑いをするレミルに、今度はトゥナが問う。

「あなたこそどうしてここに?」

「あ、ああ、今はここの鍛練所にいるんだ。一緒にリュートも……」

 

 レミルが言いかけた時、突然、群衆が騒めいた。

 

「ランドルフ様だ!」

「市長がいらしたぞ!」

 

 一瞬にして、場の空気が変わった。

 

 見ると、黒衣の男が大勢の供を率いて、この広場へやってきていた。

「レギアス! お前は鍛練所の兵士を率いて、瓦礫の撤去にあたれ! オルフェは各病院をまわって負傷者の把握! 迅速に行え!」

 ランドルフの指揮でそれぞれが散々に飛んで行く。その様子を察して、現場にいたリュートがすぐに駆け付けてきた。そして、軽やかにランドルフの前に着地するや否や、すぐにリュートはランドルフに食って掛かる。

 

「市長自らお出ましとはどういうご了見ですか! 現場の状況は逐一ご報告しますから、どうぞ市庁舎にお戻りを!」

 唾を飛ばさんばかりのリュートの様相に、ランドルフは辟易したように言う。

「まったく、公衆の面前で、私を叱り付けることができるのはお前くらいだ」

「嫌味なんか言ってる場合ではありません!」

 ここでリュートは周りに憚るように声のトーンを落とした。

「先だっての事件、お忘れですか? 今回の件、ただの事故かもしれませんが、先の『東部解放戦線』の残党による、市民を狙ったテロの可能性も捨て切れません。念のため、事故を起こした大工達は現場にて待機させてあります。彼らの検分が済むまでは、どうぞ安全な場で御指揮を」

 ランドルフはリュートの進言に、すぐに首を横に振った。

「だからこそ、なおさら私が出ねばならん」

 

 

「レミル、あれ、リュートでしょ? どうして市長と一緒にいるの?」

 トゥナの問いかけにレミルは答えない。ただ、二人の会話に耳をそばだてて、じっと聞いていた。

 すると、突然、腕の中にいた子供が動いた。

「ママ!!」

 レミルの腕から抜け出すように、身を乗り出し、こちらへ駆けてくる女性に手を伸ばした。

「ママ!! ママ!!」

「ジョゼ!!無事で良かった!! ああ、私のジョゼ!!」

 頭に包帯を巻いた子供の母と思われる女性は、レミルの腕から抜け出した子供をしっかりと抱きしめた。子供は堰を切った様にわんわんと泣き出す。

「ああ、貴方がジョゼを助けてくれたんですね。本当になんとお礼を言ったらいいか」

「いえ、俺は」

「ママ! ママ!! お兄ちゃんが助けてくれたんだ。ずっと一緒にいてくれたんだよ。だからぼくがんばれたんだよ」

 母は元気そうな子供の様子を見て嬉しそうに微笑む。それを見た子供は安心しきった表情で、体を全て母に預けた。

 

 

 その様子を見ていたランドルフが、リュートに諭すように、言う。

「子はどんな状況にあろうとも、親の顔を見れば安心するものだ。それは市民達も同じ事」

 そう語られた言葉に、はっとした表情で、リュートはランドルフを見上げた。

「先の事件で、市民達の間には不安と動揺が広がっている。今回の事件、ただの事故であったとしても、私が顔を見せねば、やはりテロかと市民達が疑いを持つだろう。これ以上、市民達を動揺させないためにも、私が堂々としてこの場にいなければならんのだ」

「しかし」

「安心しろ。簡単にやられる私ではないさ」

 そう言って、ランドルフは首に巻いていたスカーフをしゅるり、と解く。そして、それをそのままリュートの手に渡した。白い絹の上等のスカーフだった。

「私が信用できぬなら、お前が私を守ることだな」

 それだけ言うと、ランドルフは踵を返して現場の方へと向かって行った。

 

 リュートは、その後ろ姿と手のスカーフを交互に見比べ、一瞬逡巡する。

 ……ふと、側にいたレミルの視線に気づいた。

 彼はじっとリュートを見つめ、何も言わず、無表情で頷いていた。

 

「レミル……」

 

 リュートは、その視線に堪らず、手のスカーフを握りしめた。

 市民達の声が聞こえる。

 市長自らの現場の視察を歓迎する声だ。

 

「ああ! もう!!」

 

 ひとつ、そう呟くと、リュートは手のスカーフを、血に染まった額に、きゅっと巻き付けた。そして、近くにいた衛兵から剣を受け取ると、すぐに彼は市長の後を追って駆け出す。

 

「市長! お待ち下さい! この場は僕がお守りします!!」

 


 

 日が暮れる頃、ようやく事件は収拾をみせた。

 大工らの話と、現場の様子から、どうやらテロの可能性は低いようで、単に工事中の単純ミス、ということらしい。迅速な搬送によって、その命を取り留めた市民も多く、あの規模の事故で一人の死者も出なかったというのは奇跡に近い。その報告に、市民達もようやくほっと一息をつくことが出来た。

 

「ご苦労だったな、リュート」

 一仕事終えた市長は、その功労者を、珍しくねぎらっていた。

 もう深夜に近い市庁舎はすでに静まりかえっていて、彼らもようやく落ち着きを取り戻すことが出来る。

「いえ、市長もご無事で何よりでした」

 そう言って、リュートはようやく腰の剣を外した。心なしか、それはいつもよりずっと、ずっしりと重かった。

「市民達の間で話題になっておりましたよ。あの白羽の従者は何者なのかと」

 先ほどまで書類を作成していたオルフェが、ランドルフにお茶を差し出す。ついでにリュートにも入れてくれる。ひどく珍しいことだ。さらに、うまそうなソーセージを挟んだパンまで出てくる。昼間から何も食べていなかったリュートは、それに夢中で齧り付いた。

「あれで……よかったのかは分からないけど……とりあえず……やることは……全部……」

 もごもごと喋るリュートの様子に、オルフェは眉根を寄せる。

「食ってからしゃべれ、汚いな。あ、そういえば、看護婦が一人お前を捜していたぞ。栗毛の若い女だ」

 ……マリアンだ。

「南の市民病院にいるから、また姉さんと近々会いに来たいと言っていた。故郷の知り合いか?」

「うん。幼なじみです。そうか、トゥナもいるのか……」

 そう答えると、ぱくり、とリュートは残りのパンを全て口に詰め込んだ。

 

 突然、市長室の椅子に座って、外を見つめてなにやら考えていた様子だったランドルフがぽつりと呟く。

 

「悪いことは言わん。リュート、お前このままずっと私に仕えろ」

 

 その言葉に、ごふっ、とリュートはむせかえった。

「な、何を……。僕はここにいる間だけの秘書です。この鍛練所を卒業したらクレスタへ帰ります!!」

 詰まったパンを胸を叩いて流し込むと、そのままリュートは立ち上がって、市長の机まで詰め寄る。

「僕にはすでにお仕えするべき人物がいます。僕はずっとその人のために勉強もし、体も鍛えてきたんだ。貴方のためじゃない!!」

「それは、あの兄のことか? 悪いことは言わんと言っているだろう。あれはやめておけ」

 ランドルフのその言葉は、かっとリュートの心に火を付けた。彼はすぐに目の色を変えて、ランドルフに食いかかる。

「レミルを愚弄するな!!」

 首元をきつく掴まれても、ランドルフはぴくりとも動じない。そのまま冷たくリュートに向けて、言い捨てる。

 

「お前がどう思おうとも、あれではお前を御し切れん。お前はあの男の手に余る」

 その言葉に、一瞬、間が空く。

 

 ――ヒュン!!


 リュートの右拳が飛んでいた。

 

 だが、それは目の前の男の顔を殴ることは叶わない。直前で、ランドルフの手が、ぎりぎりとそれを止めていた。


「まったく、山猫が……。すぐに爪を立ててかなわんな……」

「うるさいっ!! あんたにレミルの何が分かる!!」

「わかるさ。せいぜい田舎の地方領主くらいしか務められぬ器だとな」

 そう吐き捨てて、どんっ、とランドルフはリュートを突き飛ばす。

 

「だが、私は違う。私には地位がある。そしてそれに見合うだけの実力と野望がある。私ならお前の力を存分に引き出してやれる」

 尻餅をついたリュートの真上から、ランドルフは彼を見下し、堂々と言い放つ。

「私に付いてこい、リュート」

 

「断る!!」

 

 ぺっと、唾をとばすと、リュートは頭に巻いていたスカーフを取り去り、ランドルフに投げつけた。白い絹のスカーフは、リュートの血によって紅く染まっていた。


「仕えるべき人間は僕が決める!! あんたなんかお断りだ!!」

 

 それだけ言うと、リュートは振り返ることもなく、勢いよく市長室から出ていった。

 

「どうしてああもはねっ返りなのか……。まったく、たいしたものだ……」

 呆れたように、ランドルフはため息を付く。それを見かねて、隣にいたオルフェが、その眼鏡を光らせて進言した。

「いかが致します? お望みとあらば、何か策を弄しますが……?」

「よい。策によって得た忠誠など欲しくはないわ」

「しかし……」

 オルフェの申し出を断ると、ランドルフは再び市長の椅子にもたれかかった。上質の皮が滑らかに彼の体を受け止める。

「よい。何もせずともよいのだ。じきに……」

 くるり、と椅子が回った。窓の外には暗い夜の闇が広がっている。

 

「じきに、あの兄の方が音を上げるであろうよ」


 ランドルフは、自信に満ちた様子で、一つ夜の闇に向けて、そう言い放った。それは、月のない、酷く暗い夜の事だった。

 

 

「過ぎたるは及ばざるがごとし、ということだ」 


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