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第四十八話:宰相

「ええい、いい加減付いてくるな! このストーカー娘が!!」

 

 王都の中心、この大陸の全ての英知が結集していると言われる、王国最大の国立図書館前に、男の声が木霊する。そして、その声とともに、図書館入り口の石造りの階段を、まるで何かから逃げるような足音が、立て続けに、かんかん、と、響いた。だが、それは、一つではない。その足音を追いかけて、もう一つの足音が、軽やかに駆け上ってくる。

「ああん、もう、待ってえな、オルフェ様!」

 その軽やかな足音の持ち主は、そう言うと、このままでは埒があかぬ、とばかりに、その背の翼を広げて、ふわり、と、空へと飛び上がった。そして、先に階段を駆け上っていた、眼鏡の男の背中を目がけて、勢いよく、着地する。……当然、それを受け止める用意などしていなかった眼鏡の男は、空から降ってきた少女の、まだ発達しきっていない尻の下に、べしゃり、と情けなく、その体を敷かれることとなった。

 

「こ、こら! この馬鹿メイド! 怪我でもしたら、どうしてくれる?!」

 その尻を何とか退かしながら、眼鏡の男、オルフェが、自分の上に乗っている少女に、抗議する。一方で、そう言われた少女の方は、その肩に垂らした三つ編みをくるくるといじって、恥ずかしそうに、そのそばかすのある頬を染めた。

「そしたらぁ、責任とって、うちが、朝から晩までお世話しますぅ。なんなんやったら、夜の方も……」

「馬鹿!!」

 まだ十四くらいに見えるその少女が口にした大胆な台詞に、思わずオルフェの方もその頬を桃色に染めてしまう。そして、もう、あきれ果てた、とでも言いたげな声音で、三つ編みの少女に文句を垂れた。

「まったく、君は何てメイドだ、ガリーナ!! あの日以来、ずっと私に付きまといやがって……」

 そう、あの、レンダマルから帰ってきた日に、オルフェは、リュートの家に行って、このメイドに一目惚れされて以来、毎日毎日、この娘が彼の元にやってきては、食事を届けたり、愛の言葉を囁いたり……。かなりの頻度で、付きまとわれている羽目になっていたのである。

 

「ああん、オルフェ様ぁ。そうやって、連れなくされると、ほんまにうち、駄目なんよぉ。余計燃えてしまうっていうかぁ」

「知るか。邪魔だ、失せろ」

 ようやく、少女の尻の下からはい出したオルフェが、そそくさと散らばっていた書類を拾い集めて、その歩を図書館へと進める。だが、それでも一向に、メイドは堪えないようで、オルフェの服の裾を引っ張って、尚も、追いすがってきた。

「ああ、待ってえな。今日はリュート様から頼まれてるものもあるんよぉ。なあ、オルフェ様が使っとった、真っ赤っかの帳面が欲しいねんてぇ」

「帳面? 帳面なら、ロクールシエン邸の私の部屋にあるから、勝手に持って行け、この馬鹿メイド!!」

 もうこれ以上、このメイドに関わりたくない、と切望するオルフェは、その懐から一つ鍵を取り出すと、それを乱暴に、メイドに投げつけてやる。元より、大した物など置いてない部屋である。リュートの出生の秘密を示す記録も、今持っている鞄の中に仕舞ってあるため、問題はない。一方で、その鍵を彼に受け取ったメイドは、その目をきらきらと輝かせて、オルフェの背に向けて、うっとりと問いかけた。

「勝手に、て、ええのん? うわあ、うれしい! 合い鍵くれるなんて、押しかけ女房してええ、いうことやね?」

「なんで、そう言うことになる!! 使ったら返せ!!」

「いややわぁ。照れんでもええねや。うち、これから毎日お料理作って持って行ってあげますよって、楽しみにしといて。あんなロクールシエン家のメイドよりも、うーーーん、とおいしいの作ってさしあげますぅ」

 これがまた、悔しいことに、その言葉通り、この娘の料理は、いたく美味なのである。それだけに、オルフェの心も、ぐらぐらと揺れるが、今、自分は恋愛になどうつつを抜かしている暇などないし、ましてや、こんな十四のガキを相手にするほど、女には不自由していないつもりなのである。

「いいから、ちゃんと返せよ!! 返さなかったら、お前の主人に弁償金ふっかけに行ってやる!!」

 そのオルフェの捨て台詞も、どうやら、このメイドには別の意味で届いているらしい。オルフェの期待とは裏腹に、満面の笑みで答えてくる。

「うん! うち、待っとるし! また遊びに来てなぁ!!」

 

 そう言って、軽やかに三つ編みを翻して去っていくメイドの姿を、オルフェはがっくり、と肩を落としながら見送って、一つ、呟いた。

 ……まったく、主人が主人なら、メイドもメイドだ。本当に、人の事なんぞおかまいなしで……。

 

 そこまで呟くと、嫌でも、オルフェの脳裏に、メイドの主である、金髪の男の事が思い出される。

 

 彼に依頼され、レンダマルで調べてきた事。

 それが、一体何を意味するのか、オルフェは過たずに理解していた。ただ、口止め料も貰っているし、何よりも、こんな重要なこと、おいそれと誰かに話すべきでもない、と心得ている。

 

 ……王子、であるかもしれない、男か。

 

 そう改めて思いを馳せてみると、彼と半島にいた時、自分も含め、皆が、彼という存在に引きつけられて勝利を収めた事が、なんだか納得がいくことのように思われる。あれが、王子だとするならば、あのカリスマ性、とでもいうべき魅力は、その血がなせる技だった、と言うことになるだろう。

 そして、おそらく、その事実は、既に、自分の主君であるランドルフにも伝えられたのであろう。

 何故なら、先日開かれた舞踏会から帰ってきて以来、何か、ランドルフはショックでも受けたかのように、ぼーっと、宙を見つめて考え込む事が多くなっていたからだ。お茶を飲んでは、何かに思いを馳せるように、窓の外をじっと見つめて、話もしない。

 正直、オルフェにしてみれば、そんな主人の態度が歯がゆくて仕方がないのだ。

 

 ……いくら、知らされた事実が衝撃的だからと言って、あそこまで悩まなくともいいではないか。

 

 所詮は、リュートが自分で解決するしかない問題なのだ、と、オルフェは、その眼鏡を、くい、と直しながら、冷静に思う。

 例え、その事実を知っていても、自分にしてやれる事なんて、何一つないのだ。それは、おそらく、当の本人であるリュートが一番分かっている。そして、もう、その本人は、これ以上なく、腹を括っているのだ。

 それなのに、あの、ランドルフの様子ときたら、どうだ。

 今更、知らされた事実の重さに、呆然として、あの有り様だ。……正直、甘すぎる、と思う。

 

 そう言えば、と図書館の重々しい扉を開きながら、オルフェは、またも、昔の事を思い出した。

 

 ……そう言えば、昔から、ランドルフ様は、リュートに同情的だった。あの、いつぞや、飴をやった件の時も、だ。どうしようもなく、あいつに心を寄せて、そして、……甘い。……甘すぎる。結局いつだって、文句を言いつつ、リュートの言うことを聞いてやるのだ。

 

 それが、何よりもオルフェには口惜しい。

 仕えるべき主君が、いい様に、リュートに使われている、という事実が、何よりも受け入れがたい。

 別に、リュートが嫌い、と言うわけでもないし、自分だってあの男に、いい様に使われているのであるから、人のことは言えないのだが、だが、しかし、何と言っても、将来、王国第二位の大公になるという男が、ああでは、正直、困るのだ。あんなに、頼りなくては、自分がこつこつと貯めている資金の意味も、なくなってしまう。

 

 ――正直、もう少し、腹黒くあって貰いたいものだ。

 

 リュートほど、でなくともいい。ただ、この世は綺麗事だけでは済まされぬ。それが、権謀術数渦巻く、この宮廷なら尚更だ。そこで戦い抜くには、正直、あの方は綺麗すぎるのだ。

 どこまでも、甘く、優しく、そして、清廉を求めすぎる。

 

「……泥を被れ、と言うのなら、いつだって被ってやるのに」

 

 黴臭い本が、ずらりと並ぶ奥まった書庫で、お目当ての本を探しながら、オルフェは、誰に向けるでもなく、そうぼそり、と呟いた。

 

 と、その時、本棚の向こうで、誰かがいる気配を感じて、そっと、その棚の後ろを見遣る。

 

「ほう、ほう、これは珍しい」

 にゅっ、と本棚の後ろから、背の低いオルフェより、さらに低い位置から、一人の男が顔を出していた。ぎょろり、とした目と、少々飛び出しぎみの歯が印象的な、初老の小男。オルフェはその見覚えのある顔に、驚き、そしておののいて、持っていた鞄を思わず、落としてしまった。そして、その書類が散らばる音で、ようやく、我に返ったように、その口から男の名を紡ぎ出す。

 

「り、リヒャルト・シュタインウォルフ宰相閣下……」

 

 それは、かつて祝勝会前の謁見の際に見た、国王の懐刀と謳われる、やり手の宰相の姿だった。

 

「ほう、ほう、珍しい、珍しい。この古書の揃う書庫に私以外の人間が来るなど、珍しい、珍しい」

 いつもの、同じ言葉を繰り返す癖のあるしゃべり方で、宰相はオルフェにそう話しかけてきた。この国の文官の最高位に位置する宰相を目の前にして、オルフェは散らばった書類を拾うことすら出来ないほどに、緊張して、もう声も出せない。そんな彼の様子を、その低い目線からじっと、舐めるように見つめて、再び、宰相が口を開く。

「知っておる、知っておる。ロクールシエン家に代々仕える文官、レンダラー家のオルフェであるな。知っておる、知っておるとも」

 いたく早口なしゃべりぶりであるが、オルフェは、その宰相が言う言葉を一言一句聞き漏らさずにいた。その結果、この宰相が自分の名を呼んで見せた、という事実に、ただひたすらに驚く。

「知っておるとも。会ったことがある者の、顔と名前は全てこの頭の中に入っておる。例え、言葉を交わしたことが、なくとも、だ。それが、私の特技である」

 おそらく、その膨大になるであろう宰相の記憶力に、オルフェはもう、言葉もない。そんな彼を尻目に、尚も、宰相が言葉を紡ぐ。

「私はここに、昔の政策を調べに来ておったのだが、君は、どうしてここに?」

「……お、同じです。わ、私も、その、ピリス一世時代の政策を、見直そうと思いまして……」

 ようやく、絞り出すように答えたオルフェに、尚も、宰相はそのぎょろり、とした目を光らせて、問うた。

「何故、何故、君がその様なことを? 君は、東大公の文官だろうが? そんな君が、どうして、この中央の昔の政治を調べておる?」

「そ、それは……、あの、今の、この政治が……」

「この今の政治が、不満だ、と申すか? ん? そう、申すのか?」

「あ、あの、ふ、古い物を知らずして、新しい物は知ることはできない、と思うのです。で、ですから、その、ふ、不満、とかいうのでなく、もっと、よく出来たらな、と思いまして」

 その答えに、宰相は皺の刻まれた口元を、にやり、と小さく緩ませた。そして、尚、緊張しきりのオルフェに問う。

「ほうほう。それで、君は、どうするべきだと思うのだね? ん? この今の政治をもっとよくするには、一体どうしたら、よいのだと思うね?」

 

 宰相のその問いに、オルフェは、その手にびっしりと汗を握りしめながらも、堂々たる声音で、答えた。

「……そ、それは……。あ、あの、僭越ながら、述べさせて頂けるのならば、そ、その、今の貴族だけが文官になれる、という制度を見直すべきです。特に、中央官僚ですが、かつては獅子王の元、有能なる者が揃っていた家柄も、今となっては、中身が伴わず形骸化しております。その結果、中央貴族共は、汚職と、宴などの狂乱にまみれ、政治がないがしろになっております。そこで、今一度、ピリス一世時代前に立ち返り、有能なる者は、その身分を問わず、官僚に取り立てるべきではないのかと」

 そこまでオルフェが言葉を紡ぐと、おもむろに鼠に似た宰相の顔が、低い位置から、ぬっ、とオルフェの鼻先にまで現れた。そして、少々笑いを交えた声音で、彼に言う。

「ほうほう。これは、面白い。面白い、男だ。そうか、じゃあ、君は何かね? 今、私が就いておる宰相位も、選定候の身分がなくともなれるようにするとよい、と、そう言いたいのかね?」

「い、い、いえ、きょ、極論で言うとそうなのですが、あの、ええと、宰相様はその位に違わぬ能力をお持ちの方でして、決して、貴方が宰相に相応しくないと言っておるわけでは……」

「よい、よい。若者よ。夢を見よ、そして、理想を語れ。それこそが、若者の特権である。良きかな、良きかな」

 少しも、不快感を滲ませず、宰相はそう締めくくると、床に落ちていた、オルフェの書類を拾わんと、その小さな体躯を屈めた。それを、慌てて、オルフェが止める。

「そ、そんな、宰相様自ら、勿体ない。じ、自分で拾えます」

「よい、よい。手伝おう」

 

 そう言って、手を伸ばした、宰相の目が、一枚の書類に釘付けになった。――『レンダマルの奉納記録』。リュートの出生の秘密を示す書類である。

 

 ――まずい!!

 

 オルフェは内心で、そう呟いて、慌ててその書類を回収する。それを、宰相は見逃さぬ様子で、その小さな体躯を、尚もオルフェに寄せて、重ねて問うてきた。

「……君は、何か、重要な事を知っているのではないかね? その慌てぶり、尋常でない。そう、尋常で、ない」

「い、い、いえ。あ、あの、これは、何でもありません。た、ただの、参考資料でして……」

 そう言い繕うオルフェの眼前に、尚も、鼠に似た目が、ぎょろり、と現れる。そして、さらなる問いと同時に、酷く魅力的な言葉を紡ぎ出した。

 

「それは、一体、何かね? 教えてくれる、と言うのなら、宰相である私の元で働かせてあげよう。そう、この、文官の長である、私の元で、だ」

 

 

 

 

 

 

 

「――それで……、突然呼び出して、明かされた事実に、驚かれたでしょうが、シュトレーゼンヴォルフ候よ」

 

 昼下がりの静閑なロクールシエン邸で、鷹、と呼ばれるロクールシエン東大公が、白羽の若者を慮ったかのように、その目を伏せて、そう紡いだ。

「そうですね、とても、驚きました。大公殿下。僕が、王子、だなんて……。とても、とても……」

 大公の口から知らされた自分の出生の秘密に、白羽の若者、リュートは、これ以上ないと言うような不安げな声音で、答える。勿論、知らされた事実など、とっくの昔に知っていたことなのだが。

「いや、君にとっては荷が重すぎる、とでも言いたいところなのだろうが、わかっておくれ。このままでは、宮廷が、そして、中央の政治が、あの北の大公に牛耳られたままになってしまうのだよ。君に黙っていた事は、すまない、と思うが、どうか私たちに協力してくれないか?」

 

 御前会議の控えたこの大事な時期に、二人きりで話があるから、と、大公家の書斎まで、呼び出されて来てみれば、この話である。リュートは、その予測通りの言葉に、内心、鼻で笑いながらも、表面上は動揺を隠せない、といった、若者を演じてやっている。とりあえず、ここはあまりに即答するのも不自然だ、と踏んで、わざとその口を噤んで、沈黙して見せた。

 

 そのリュートの沈黙を、予期しなかった事実を伝えた衝撃ゆえ、と判断した大公は、さらに、彼の心を動かさんとして、尚も、その髭に隠された口から言葉を紡ぐ。

「君も知っているだろう? あの南部への派兵だって、結局は、嫌われ者の東部の力と財力を削ぐための、北の大公の差し金にすぎないのだよ。西の大公が亡くなった今、あの銀狐の目の上のたんこぶは、我ら東部でしかないのだから。このまま行けば、ますます権力を伸ばす銀狐に、さらに我ら東部は不遇を受けるのみだ。それは、この国の為にならないことだと、わかってくれるね?」

「……ええ。そうですね。あの北の大公がしていることは、僕も良くないことだ、というのは分かります」

 わざと、リュートは馬鹿な若者を装って、そう幼い言葉で答える。それに、気をよくしたのか、さらに、大公はリュートの心に訴えんと、言葉を繋ぐ。

「そうだろう? だから、君の力が必要なのだよ。何、心配することはない。君の後ろには、我々が付いている。君が、生まれ育った、東部の我々が」

「……そう、ですね。殿下。僕も、血は違いますが、心根は東部者だと、ずっと思っておりますので」

「その通りだ。東部人の気性は何にも屈せぬ『反骨』が、売りだ。その気性、今こそあの狐めに見せてやるときだ。そうすれば、あんな無駄な出征という面倒ごとも、請け負わなくてすむのだよ」

 

 言われた大公の言葉に、一瞬だけ、リュートの瞳が、ぴく、と動いた。だが、大公はそれに気が付かない。

「考えてもみたまえ。あの出征なんて、まったく我が東部にとって、不利益極まりなかったではないか。金は出るだけ、そして、兵は減るだけ、だ。……そうそう、聞いたよ。君の兄上も、あの出征で、お亡くなりになったとか」

 

 その言葉に、リュートは答えない。ただ、大公の分からぬ所で、ぎり、ときつく拳を握りしめる。

 

「そんな不幸をこれ以上起こしていいものかね? 君の兄さんのような犠牲を、これ以上出さぬためにも、どうか、我々が唱える、北の大公とその妹である王妃の失脚に、協力してくれたまえ」

 

 その申し出を受けて、また、暫時、沈黙が流れる。

 そして、その沈黙の後、何か、意を決したかのような、清々しい貴公子の笑みが、大公の目の前に現れた。そして、朗々たる声音で、その金髪の貴公子が、告げる。

 

「ええ。皆、失脚させましょうね、殿下」

 

 

 その貴公子の言葉を持って、大公と、王子でもあるかも知れない選定候との密談は終わった。そして、その部屋を辞して、こつこつ、と靴を鳴らして館の中を歩き始めた貴公子、リュートに、この家の息子であるランドルフが声をかける。

「リュート、どうだった?」

「――案の定さ。僕の出生の秘密を知らされた。そして、協力してほしいと」

 そう答える声音は、ランドルフが聞いた中でも、最も無機質な声音だった。その様子に、何かを感じ取ったランドルフは、リュートの身を押しとどめて、その真意を問う。

「どうした? 何か、あの親父に嫌なことでも言われたのか?」

 向き合って、彼の肩を掴んだランドルフの前に、その唇を切れんばかりに噛みしめた、リュートの顔が現れる。何か、怒っているのか、それとも哀しんでいるのか、判別が出来ないような顔だ。その顔で、ひとしきり、ランドルフの黒曜石の瞳を見つめた後、リュートは乱暴に、彼の腕を、肩から振り切った。

 そして、絞り出すように、彼に告げる。

 

「許せない……。あいつ、僕を動かすために、レミルを使おうとしやがった。……あいつ、レミルが死んだ戦を、無駄、だとか言いやがった。……絶対に、許せない」

 

「……リュート」

 震える声で、言われた怒りに、ランドルフは、ただ、彼の名を呼んで、その怒りを静かに受け止めてやる。そんな彼の親愛に満ちた眼差しに、何かやるせないような表情を浮かべて、リュートがまた、ぽつり、と告げた。

 

「ランディ。……あんたには、悪いけど、どんな結果になっても、後悔しないでね」

 言われた言葉の意味が、ランドルフには、またも理解出来ない。そんな彼の前で、ばさり、と豪奢な金の髪が翻る。

 そして、届く、断固たる声音。

 

「全力で、ぶっ潰してやる!!」

 

 

 

 

 

「ただいま、帰りました、陛下」

 もう日が暮れかけた王宮の、国王執務室に、ようやく自分の腹心の姿を見つけて、国王コーネリアスは微笑んだ。そして、珍しく、外出が長引いた腹心である宰相に、その理由を問うてやる。

「この御前会議の準備で忙しい時期に、どうした? お前が図書館からちっとも帰ってこないので、心配しておったのだぞ、宰相」

 その問いに、宰相は小さな体躯を小刻みに揺らしながら、嬉しそうに笑って、答える。

「いやいや、今日はなかなか骨のある若者に会えまして。ええ、骨がある、骨がある。この私の引き抜き、という誘惑にも、負けぬ、よい若者でした」

「ほう。それは、面白い若者だな」

「はい。それに、考えていることもなかなか面白うございました。官僚職に、誰でも才のある者を就ける様にしろ、とはなかなか、この私に言えませんわい。しかも、泥を被る覚悟もある。ああいう若者を、是非、後進として育てたいものです。それに、あの口の堅さも気に入った。決して、その知っておる秘密を言おうとしませなんだ。いや、文官は、ああでこそ、ああでこそ、でございますとも」

 そう、いつになく楽しげな声音で語られた宰相の言葉に、一つ気になる言葉を聞きつけて、国王がさらに、問う。

「……秘密、だと?」

「はい、左様に。かねてより、調べさせておりました、あの件でございます。あのリュート様の、ご出生の件……」

 

「あれ、か」

 

 言われた言葉に、国王の眉がぴくり、と反応した。そして、宰相にその先の言葉を紡ぐように、と、その顎を、くい、と上げて催促する。

「はい。やはり、リュート様は、陛下の御子であらせられる可能性がございます。そして、あの鷹……東大公は、その情報をずっと前から知っておるようです。私の手の者が、レンダマル、そして、クレスタで調べてきたので、間違いはないでしょう」

「……そうか。やはり……」

 薄々予期していた答えとは言え、改めてこの腹心の口から告げられると、かなりの衝撃を受けるものである。国王は、それ以上言葉を紡ぐことが出来ぬように、その青い目を伏せて、ゆっくりとその執務室の椅子に、その体を預けた。それを受けて、さらに、宰相が先の言葉を続けて言う。

「おそらく、次の御前会議で、東大公ガンダルフめは、その事実を他の諸侯方の前で公表するつもりでしょう。そして、東部派の王子として、彼を擁立してくる。如何……如何なさいます、陛下」

 

 宰相の問いに、国王はすぐに答えることが出来ない。ただ、その伏せた目の奥で、あの金髪の若者に、その思いを馳せる。

 あの、かつて惚れた、そして、今なお忘れられぬ女の、唯一残した忘れ形見である、美しい若者に、である。

 

 ……出来れば、自分の息子であって欲しい。

 

 それが、国王コーネリアスの、一人の男としての、偽らざる気持ちだった。

 あの、三日間の夫婦生活の中で授かった、奇跡の子。そうであって、欲しい、とただ、ひたすらに思う。

 

 何故なら、あのリュートという若者が、かつて親友だったヴァレルの子である、と認めることは、この国を統べる国王の血筋の、敗北を意味しているからである。

 そう、あのリュートが、半島で成し遂げた事が、すべて彼の功績によるものであるのなら、それはまさしく、自分の息子である王子すら凌駕する才覚である。人を引きつけ、そして、人を意のままに動かすことは、簡単に見えて、誰にでも出来るような事ではない。それは、王である自分が一番よく知っている。それを、本当に、あの若者がやってのけた、としたら……?

 

 ――欲しい。

 

 あの、才気溢れる若者を、我が息子として欲しい。

 それが、かつて愛した女の面影を色濃く残したあの顔であるなら、尚更だ。

 

 ……あれが、王子だったら……。

 

 その魅惑的な仮説が、国王の脳裏にふと、よぎる。

 ……あれが、王子だったら、余は、あれをかつてないほど寵愛するであろう。そして、あの若者も、余の期待以上に、育ち、そして、持ち前の才覚とその魅力で、人を引きつけて止まない王子になるであろう。そして、あの若者が、いつか、あの……あの王冠をその頭上に戴く日が、来れば……。

 

 と、そこまで考えて、国王は、突然、自嘲げな嗤いをその口元に浮かべて、その(かぶり)を振った。

 

「……ありえない」

 

 そう、それは、あくまで甘い、夢なのだ。

 あのかつて愛した女との、夢のひとときの結晶である男が、自分の生きてきた道を継いで欲しいという、馬鹿な男の夢だ。

 

 ……現実を、見ろ、と国王は自分の本能に、理性で訴えかける。

 現実はどうだ。

 あれが王子になったら、今度はその後ろ盾である東大公が、この宮廷で、取って代わろうとその力を伸ばして来るに違いないのだ。そして、それを我が妻である王妃と、その兄である北の大公は絶対に許しては置かない。そうなったら、結果は見えている。

 東部派である、リュートと、そして北部派であるヨシュアとの、激しい王位争い。……それしかない。


 それが、あの二人の本当に望むことではない、と国王は、よく知っていた。

 何故なら、あの怠け者のヨシュアを変えたのは、誰あろう、兄であるかもしれないリュートだったではないか。その、予期しなかった兄弟であるかもしれない二人の心の交流を、どうして、父である自分が踏みにじれようか。

 

「このまま……、このままでよい、宰相」

 

 その内心に、きっぱりとけじめを付けるかのように、国王は、宰相に向けて、そう言い放った。

 

「王太子は、このまま、……ヨシュアだ」

 

 

 そう静かに、自分の心に言い聞かせて、国王は、その腰を椅子から上げて、執務室に光を取り込んでいる、細窓へと向かう。そして、その窓を、薄く開け放つと、その隙間から流れ込んでくる外の空気を、その鼻から、すう、と肺に取り込んだ。

 そして、その暖かさに、ふと、思う。

 

 ――もうすぐ、春、だな。

 

「……いよいよ、御前会議、か」

 


今回は、隔日更新、と、更新が本当に不定期で申し訳ありません。四月から仕事の形態が変わりまして、このような更新状況になっております。次も、いつ更新するか、自分でもまったく分からない状態ですので、次の更新時期を明確に提示することができずに、すみません。ただ、本人と致しましては、最大限努力しておる次第ですので、どうぞ、更新が知りたい方はこまめにチェックしてやって下さい。

さて、いよいよ、王都編、クライマックスでございます。たぶん、あと二、三話で、終わる……はずです。どうぞ、引き続きよろしくお願い致します。

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