第四十七話:陰謀
「せ、せ、説明しろ。お、お、王子様って一体どういう事だ」
華やかなる舞踏会から、リュートの家であるシュトレーゼンヴォルフ邸に帰るなり、ランドルフは、言われた衝撃の言葉の真意を問わんと、共に帰ってきた貴婦人に掴み掛かった。それに対して、貴婦人に扮したこの家の主は、そのドレスの腰紐をごそごそと、緩めるのに苦戦しながら、答える。
「ああ、もう、わかったよ。ちゃんと話すから、とりあえず、このドレス脱ぐの手伝ってよ」
……何が悲しゅうて、男のドレスを脱がさなきゃならんのだ、と内心でやるせない気持ちになりながらも、ランドルフは早くリュートの口から、その真意を聞きたい、と渋々そのドレスの腰紐を緩めるのを手伝ってやる。
「王子様って言うかね、正確に言うと、王子様……かもしれない、だね」
しゅるしゅると、複雑な構造になっているドレスの紐を解きながら、ランドルフは、尚も、リュートの言葉が理解出来ない。早くその先を話すように、と、わざと乱暴に、ぐい、とその腰紐を引っ張ってやる。
「何だ、その、かもしれないっていうのは」
「わかった、順序だてて話すから、もう少し丁寧に扱ってよ。このコルセット、本当に痛いんだからさ。しかも、色々仕込んであるんだし」
言うと、その通り、コルセットの隙間からは、胸を膨らませていた詰め物に加え、小刀やら、仕込み針やらの凶器が、次々と出てくる。もう、こうなると、ちょっとした武装より遥かに物々しいくらいだ。
「いや、さすがに敵陣の真ん中まで、単独突破は、僕も、内心どうなるか、ハラハラしたけど、まあ、これらを使うことがなくって良かった、良かった」
「ったく、お前という男は。後宮で何してきたんだか。いいから、早く話せ。その、王妃が黒幕っていうのは、本当なのか?」
ランドルフのその催促に促されるように、リュートはその首の飾りに、手を当てて、それをちゃらり、と鳴らして見せた。
「うん。順序だてて言うとね、あの祝勝会だよ。あの時の王妃の発言で矛盾を感じた僕は、すぐに彼女を疑ったんだ。でも、その動機がわからない。そこで、ふと、この首飾りの年号と日付を思い出したんだ。この日付ね、おおよそ一年違うんだ。僕が知っている誕生日と」
「……誕生日だと?」
「うん。この首飾り、ちょっと外して、見てみなよ」
言われるとおり、ランドルフはリュートの首にかかっている金の首飾りを、そのうなじから外してやる。すると、そこには、少々掠れた様な刻印で、一つの年号が見て取れた。
――1535年、4月9日。
「これ、今から十八年前の年号じゃないか。これが、お前の知っている誕生日の年号と一年違うだって?」
「うん、僕が親から言われて知っているのは、1536年なんだ。今から、十七年前のね」
「そうだな。確か、お前は今、十七のはずだ」
言いながら、ランドルフは、再びリュートの腰を、複雑に締め付けているコルセットの紐を解く作業に戻る。色々仕込んであったせいで、紐が絡まっていてなかなか解けないことが、尚もランドルフの心を苛々と逆撫でする。
「そう。それでね、こんな大事な首飾りに、間違った年号を刻印するものだろうかって思ったんだよ。これは、母が命を賭して取り戻したものだ。そんなものに、わざわざ一年違う年号を書くと思うかい?」
そう言われてみれば、その通りである。大事な息子の誕生日を、こんな刻印する時に、間違う訳がない。
「……それで、お前は、この首飾りの方が、実は正しい誕生日なんじゃないか、と疑ったんだな」
「そう。もし、そうなら、王妃が僕に拘る理由になる、と思ってね。それで、オルフェにレンダマルまで、僕の記録を調べに行ってもらったんだ。それが、これ」
なかなか解けぬ紐と格闘しているランドルフを尻目に、リュートは、その手を伸ばして、自室の机の引き出しから、レンダマルに残されていた奉納記録を引っ張り出してきた。
「……これ、僕のこの首飾りの日付なんだ。『1535年、4月9日、我が息子、リュートの健やかなる成長を願って、風の神メルエムに供物を捧ぐ』。つまり、この時、既に僕は産まれているって事。クレスタの神殿の出生帳では、僕の誕生日は1536年。丁度一年後になる。さて、どうして、本来、産まれていないはずの僕の奉納記録がレンダマルにあるか……」
その問いに、ランドルフはかつてリュートが言っていた言葉を思い出す。確か、クレスタの方は改竄されている、とか何とか……。
「――そうか。クレスタの神殿の方の記録を書き替えたのか。だが、レンダマルの資料庫の、ましてや、奉納記録までは書き替えられなかった」
「そういう事。と、いうことはつまり……、やっぱり僕の誕生日はこの首飾りの方が正しいってことに、なるよね」
「じゃあ、お前は……」
ようやく、一つの事実に思い当たったランドルフの、その先を繋げる様にして、リュートが、こくん、と頷いた。
「そう。僕は本当はもう十八だ。もうすぐ、十九になる」
予期していた答えであるが、改めて言われてみると、なかなか信じがたいものがある。そんなランドルフの内心を悟ったかのように、リュートが彼に尋ねる。
「ランディ。あんた、今いくつ?」
「わ、私は今、二十二だ」
「そうなんだ。僕には二十三くらいに見えるけど」
言われた台詞に、ランドルフは彼が言わんとしている事をすぐに悟る。それを受けて、リュートがその首をゆっくりと縦に振った。
「そういう事。一歳や二歳の幼い時なら、一年、という差は大きいけど、長じてしまえば、その差なんて微々たるものさ。ましてや、自分が産まれた日の記憶なんて、当人にはない。親から聞かされて、それでやっと、自分がいくつなのか、自覚するのさ」
「じ、じゃあ、お前は、親からずっと、一年違う歳を教えられてきたっていうのか?」
ランドルフのその確認の問いに、リュートは、そゆこと、と短く答えて、彼にさっさと腰紐を解くように、とその腰を向ける。そして、何か、残念がるような声で、一つ言葉を吐き出す。
「あーあ。僕がもう十八なんだったら、レミルの方が本当は年下だったんだなぁ。ずっと、兄さんだと慕ってきたのに。そりゃ、背はあんまり変わらなかったけどさ。ああ、そうか、道理でいつも喧嘩したら、僕が勝ってたんだ。あ、そっか、そっか。僕が歳上だったからかー」
……いや、それ、歳は多分、関係ないから、という鋭い突っ込みを、ランドルフは何とかその内心に収める。そして、ようやく解け始めた腰紐を、更にしゅるしゅると、緩めてやる。
「で、でも、一体、何故そんな改竄がなされたんだ? 一体、誰が、何のために?」
ランドルフのその問いに、リュートの眉が、ぴくり、と反応する。そして、少々呆れ果てたような声音で、今度は彼に、机の上にあった老執事の日記を突き付けて、告げる。
「わからない? これ、僕の親が駆け落ちした日だよ。1534年、7月17日。駆け落ちしたのが、輿入れより三日後。つまり、これより、三日前の間には、僕の母は王太子妃として、後宮にいたんだ。そして、この日付より、おおよそ十ヶ月後には、僕が産まれている。ってことは、つまり……?」
その言葉に、ランドルフは雷に撃たれたような衝撃とともに、一つの事実に思い当たる。
「ま、ま、ま、まさか。十ヶ月ってことは……」
「そう。丁度、妊娠期間に当たる」
明確に、告げられたその答えに、ランドルフにの手が、ふるふると震える。そして、その先に彼が言わんとしている事を、恐る恐る口にした。
「じゃ、じゃあ、お前は、その、三日間の王宮での、その……夜に、出来た、かもしれない子供って訳か?」
「うん。陛下が言っていたよ。『あの姫は、余に抱かれている間も、僕の父の事を想い、ずっと泣いていた』と。それって、つまり、そういう関係があった、ってことだよね?」
改めて、その事実をリュートの口から告げられて、ランドルフは、もう、言葉どころか、声一つ漏らすことが出来ない。そんな彼の衝撃を慮ったかのように、リュートはもう一つの仮説を口にする。
「でもさ、僕が陛下の子だって、確証はないんだよ? 可能性があるってだけで。だって、駆け落ちして、その時に、僕の父だったヴァレルとの間に出来た子かもしれないじゃないか。証拠は、ないけどさ。恋仲にあって、駆け落ちしたら、普通は、その……するものだろ?」
気恥ずかしいのか、リュートは最後の言葉を明確に言おうとはしないが、ランドルフには彼の言わんとしている事が、十分に察してあまりあった。そして、一つの事実を彼に問いかける。
「その……お前の母の事はよく知らんが、人が言うには、お前は全て母親似、らしいな。ち、父親を示唆するような、特徴、とかはないのか。例えば、その、爪の形がよく似ている、とか、そんな事とか」
「そんなの、分からないよ。父様は死んでしまったし、陛下の体の特徴なんか、僕はよく知らない。ただ、羽も、髪も、瞳も、顔も、僕は母様にそっくりなんだ。だから……、余計にややこしいことになっているんじゃないか。あんたみたいに、親父さんにそっくりな顔だったら、よかったものを」
「お、親父に似ている、と言われてもちっとも嬉しくはないな」
あの、鷹と揶揄される父に似ていると言われた事に、ランドルフは不服げにその口を尖らせた。だが、リュートはそんな彼の態度がいたく気に入らないようで、手加減なく彼の口元をぐい、とつねってくる。
「贅沢言うんじゃないよ。れっきとした両親が揃っていて、何が不満だ。自分の出自に自信が持てないことが、どれだけ嫌な事か、あんたはもう少し分かったほうがいい」
これは、リュートにしてみれば、自分の事だけでなく、庶子であることを気にしているランドルフの弟のクルシェの事も含めて言った言葉なのだが、どうやらランドルフには、その真意は伝わっていないようで、何食わぬ顔で、話を先に進めてくる。
「それで、お前が陛下の庶子かもしれないってのはわかったが、それが、何故改竄に繋がるんだ。一体、誰が、そんな事を……」
「もう! あんたって本当に鈍いよね。これがかつての主君だなんて嫌になるよ。……わかるだろ? 改竄したのは僕の父親、ヴァレルだよ!」
言われた名に、ランドルフはその脳裏に、かつて憧れた英雄の姿を思い出す。先代皇帝を虜囚せしめ、そして、自分の不注意な発言の為に、罪に問われて殺された英雄……。
「か、彼が? そ、そんな馬鹿な。あの素晴らしい英雄がそんな事……」
信じられない、と言った面持ちで、絶句するランドルフの口に、またも、リュートがその指を伸ばす。そして、今度は両手を使って、その頬を、ちぎれんばかりに、むにーっ、と横に引っ張った。
「もう! あんたは僕の父親を美化しすぎ! いくら英雄って呼ばれたって、所詮、一人の男なんだよ? 汚い真似も、えげつない事もするさ! いい? 僕の父親はね、一人の男として、僕が陛下の子かもしれない、という事実を認めたくなかったんだ。そして、余計な権力闘争に巻き込まれるのを嫌ったんだよ。僕が、王子だという事を、誰かに利用されないように、だ」
「そ、そんな……」
かつて自分が手本にしたい、と憧れて止まなかった英雄の行動に、ランドルフはもう言葉もない。そんな呆然とした様子の彼に、尚もリュートはその腰紐を解くように催促しながらも、言う。
「いくら、資料を改竄したって、僕が陛下の子であるかもしれない、という事実は消えない。でも、その欺瞞こそが、必要だったんだ。僕ら三人が、平和な家族として、暮らすために。あのクレスタでただの平民として、誰にも利用されないために。……でも、彼女は、エミリア王妃は知っていたんだ。僕が本当に産まれた日を。おそらく、僕をクレスタで取り上げたであろう医者から、その情報を得ていたんだ。だから、ずっと僕ら家族を監視し、そして、僕を殺そうとしたんじゃないか。自分が産んだ王子ヨシュアを、庶子であるかもしれない僕が、脅かすことがないように、だ」
ようやく、そこまで言われて、ランドルフは、この目の前の腰紐と同時に、自分の頭の中で絡まっていた糸が解けるような心地を覚えた。そして、その紐が解けたドレスを脱ぎながら、リュートが更に、仮説を繋げる。
「おそらく、この首飾りの文字は母様が彫ったんだ。それを父様は知らなくて、この数字までは改竄出来なかった。……そういう事だ」
滑らかな絹でできたドレスと、その腰のコルセットをようやく、脱ぎ去って、一心地ついたように、リュートが大きく溜息をつく。そして、寝間着を羽織るように着ると、今度は椅子に座って、娼館のママから貰った化粧落としを、綿に含ませながら、その先の話を続けて言った。
「それで、僕はれっきとしたヴァレル父様の子として、平民のまま一生を終えるはずだった。だが、そこで、のっぴきならない事情が、僕ら家族に降り掛かった。……母様の、病気の悪化と、帝国による第一次侵攻だ」
リュートのその言葉に、ランドルフは、以前自分の父から聞かされた過去の話を思い出す。……確か、リュートの父が、妻の病気を何とかせんとして、半島への出征と引き替えに、親父に選定侯への復権を頼みに行ったとか、なんとか……。
「――そうか。そこで、あの親父の『その健気な夫婦愛に動かされた』、という不自然な発言に繋がる、という訳か!」
と、そこまで言って、ようやく、ランドルフは、かつてリュートが言っていた、発言を思い出す。
――『あれが、そんな物に心動かされるようなタマだと思うかい? 何か、別の思惑があって、僕の父の頼みを聞いたに違いないんだ。わざわざ、面倒な大逆人の後ろ盾になることを了承した理由。さて、それは、なんだろうね?』
その言葉と共に、何か思い当たったように、ランドルフはその体躯を、ぶるり、と震わせた。
「ま、まさか、うちの親父が動いた理由っていうのは……」
「そう。王子であるかもしれない、僕さ」
まだ化粧の落とされていない、美麗な貴婦人の顔で、リュートは静かに、そう告げた。その奇妙なコントラストが、尚も、ランドルフの心に激しく揺さぶりをかける。
「な、何故、そ、そんな事を……」
「おそらく、僕の父が母の病気の為に、あんたの親父さんに頼みに行ったはいいが、けんもほろろに断られたんだろう。それを受けて、僕の父は、最後の手段を使ったんだ。『王子の母でもあるかもしれない女性を、このまま死なせてもいいのか』と、ね。それが、僕の母を助ける、唯一にして、最後のカードだったんだ。それで、僕が、もしかしたら、国王の庶子であるかもしれないということを知ったあんたの父親は、僕の父の頼みを聞いた。……多分、そういうことだろう。でも、肝心の僕はと言えば、母が殺されて抜け殻状態だ。とてもではないが、大公家で暮らせるような状態ではない。だから、あのクレスタの、ニーズレッチェ家に引き取られたんだよ」
明かされた、おそらく、正しいであろうリュートの仮説に、ランドルフはもう、言葉もない。あの親父の話の裏に、こんな事実が隠されていたとは。……どこまで、人を馬鹿にしたら気が済むつもりだ、あの糞親父め、とその内心で、吐き捨てる。
「で、でも、国王陛下は、お前が、自分の子であるかもしれないってことは、知らないんだろ? 王妃が陛下に言わないのは分かるが、親父は、お前の両親が死んで、お前が残されている、と言うことを国王に伝えた時、どうして、庶子であるかもしれないという事を陛下に伝えなかったんだ?」
そのランドルフの問いに、化粧を半分ほど落としたリュートが、呆れたように振り返る。
「もう! あんたって人は、本当に悪だくみに向いていないよね! いい? 僕が王子かもしれない、なんて、有益なカード、そうそう簡単に切るわけないだろ? 馬っ鹿だな!! これじゃあ、あの親父さんがあんたを馬鹿だ、という理由がよく分かるよ、この単細胞!!」
「た、単細胞、とは何だ、単細胞とは!」
「あんたは考えがなさ過ぎなんだよ! もう。余計な心配は、有り余るほどする癖にさ。本当に、あんたって人は……」
もう、仕方ないな、とでも言いたげに、リュートはランドルフの正面に座って、その顔を覗き込んでくる。そして、その手に持っていた化粧落としの瓶を彼に渡すと、少々哀しげな表情を浮かべて、その真意が分からない様な台詞を吐く。
「もう、あんたがこんなんだから、あの親父さんだって、ああするしかないんじゃないか……」
その言葉に、何か含まれた意味があるのだろうが、ランドルフにはそれが分からない。尚もその真意を問おうとリュートに詰め寄るが、反対に、化粧落としの染みこんだ綿を、無理矢理渡されてしまう。
「落とすの手伝ってよ。自分じゃ出来ないからさ」
再び、何が、悲しゅうて、男の化粧を落としてやらなきゃならんのだ、とやるせない気持ちを抱えながらも、ランドルフは渋々と、その顔を綿で撫でてやる。すると、ようやく化粧に隠されていたいつもの生意気な顔が、戻ってきて、その先の話を続ける。
「まあ、それで、僕はずっとあんたの父親、東大公が持っている、秘されたカードとして、あのクレスタで育った。それで、その有益なカードを、どうして今になって、そのクレスタから引っ張り出してきたか、だ」
「そうだな。今まで切らなかった、カードを今になって、どうして……」
そのランドルフの問いに、まぶたのアイシャドウを落とされながら、リュートが、意外な仮説を口にする。
「一つは、マダムが言っていたよね。……おそらく、西の大公の死亡だ」
「に、西の大公だって? た、確か以前、あの北の狐に対抗するように宮廷にいた、という方で、まだ若いのに、亡くなられたのだったな。どうして、それが……」
「分からない? あの時マダムが言っていただろ? 西の大公の死後、あの北の銀狐が、宮廷でめきめきと力を伸ばしてきた、と。つまり、西の大公の死後、宮廷の勢力配置は著しく北の大公に傾いたんだ。その結果、起こった事、と言えば……?」
そこで、ランドルフは再び父親の言葉を思い出す。
――『嫌がらせだよ、嫌がらせ。此度の派兵は、先の統一戦争において、最後まで臣従しなかった反骨者の東部に対する中央と、南部からの嫌がらせ、だよ』
「そ、そうか! その中央を今、牛耳っているのは、王妃の外戚である、北の大公家! あ、あの派兵は、あの北の銀狐の差し金か!」
「そう言うこと。南部は、あの死神のことだ。『日和見大公』の名の如く、中央の意向にそのまま従っただけに過ぎない。と、言うことは、つまり、西の大公の死亡とその後の銀狐の勢力拡大こそが、今、東部に不利益をもたらしている最たる癌なんだ。その、勢力図をどうにかしなければ、いつまで経っても東部は不遇のままだ。そんなこと、『反骨』を旨とする生粋の東部人である大公が、黙っている訳がない。そこで、どうすれば、いいか、だ……」
「ま、まさか……」
ランドルフは、自らがたどり着いたあまりの結論に、その先の言葉を紡ぐ事を思わず躊躇う。だが、当の本人は、そのランドルフが言い淀んだ、仮説を、これ以上ない堂々とした声音で、口にして見せた。
「そう。現在の北の大公家を主軸とした宮廷勢力の打倒。そして、東部を後見とした、新政権の樹立。……つまり、僕の王太子としての擁立だ」
予期していた答えとはいえ、あまりに狡猾で、壮大で、そして無謀なその計画に、ランドルフはその唇一つ、動かすことが出来ない。その、何が何でも信じられない、といった様子のランドルフを見かねて、リュートがさらに問いを重ねる。
「今なら、それが出来るんだよ、ランディ。あんた、確か僕の義父に、僕が密偵に襲われたこと、言ったよね?」
「あ、ああ。確か、半島に出征したての頃に……」
「それをすぐに、僕の義父はあんたの父親に書簡で注進したんだ。そこで、東大公は、僕を殺そうとしたのが王妃だ、ということに思い当たる」
「な、何だと? お、親父は、そこまで知っているっていうのか?」
「そうさ。僕が早すぎる密偵の襲撃に、不審を抱いたように、あんたの父親も、その件を疑った。その結果、浮かび上がるのが、自分の家の侍女であるタミーナの裏切りだ」
そう言うと、リュートは、再び、その手を机に伸ばして、今度はレギアスからの報告書を取り出した。
「だから、僕はレギアスに頼んで、あの大公家の勤務状況を調べさせたのさ。マダムが、あの女に、西の大公家に手紙を出しておいて、と言ったのを聞いて、ぴん、ときた。もしかして、東大公が僕をレンダマルに呼び出した手紙も、彼女が受け持っていたんじゃないか、とね。そうしたら、案の定、この報告のとおりさ。彼女があの手紙を扱い、その後、別の用事で王宮に行っている。そこで、王妃は僕を王子として擁立せんとする東大公の企みを知るってわけだ。それで焦って、僕を殺しにかかったって訳」
「……じゃ、じゃあ、親父もお前と同じ理由で、あのタミーナの裏切りを知っている、ということか? 知っていて、今尚、彼女を侍女としてあの館に置いている。そう言うことか?」
「そうだよ。あんた言っていたよね。最近親父さんは、侍女達を遠ざけている、と。それは、つまり、大事な事がこれ以上、王妃に漏れないためさ。そして、タミーナを未だ、自分の侍女として置いておくのは、王妃の手先として、泳がせておくのと同時に、証人としての利用価値のためさ」
「……証人、だと?」
「そう、証人。王妃失脚の為の、証人だ」
……王妃の失脚。
あまりに畏れ多い様な企みである。それに、おののきながらも、ランドルフは、その先の言葉を何とかその口から紡ぎ出す。
「そ、そうか。選定候でもあり、王子かもしれないお前の、王妃による暗殺疑惑。それを証明するための、証人か」
「うん。おそらく、僕を襲ったアランは、何をされたって、その口を割らないだろうが、あのタミーナは、そうそうプロ、というわけではないだろう。少し、拷問でもすれば、簡単にその黒幕を言ってしまう。そして、証人はもう一人。僕の義父、クレスタ伯、ロベルト。僕が、王の庶子であるかもしれないと、証言する証人だ。だから、大公は、彼まで一緒にこの王都に呼び寄せたんだよ」
ここまで来ると、もう全ては必然である、としか思えない。この王都に居る者は、あの糞親父が描いた、宮廷での勢力図書き換えの為に、全て用意された役者達、と言うわけだ。
「で、では、私も……」
「そうだよ。あんただって、東大公の企みの内の役者なんだ。あんたと僕の出会いは、東大公によって書かれたシナリオの必然さ。次世代を担うかもしれない王子である僕と、次期東大公であるあんたとの、精神面での繋がり。それこそが、あの大公が願ったことなんだ。僕とあんたの間に信頼関係が出来れば、僕は永遠に東部派の王子、ということになるわけだから」
……そうか、だから、あの時親父はあんな事を。
ランドルフはこの王都にやってきた日に、自分の父が浮かべた微笑みを思い出す。
――『ほう。臣下か。お前、この方を臣下というか』
そう言って、笑ったのは、嬉しかったからだろう。自分の息子と、この王子かもしれない男との間に、自分の望んだような信頼関係が出来上がっていたことが。
もう、ここまでくると、自分の父親に対して、あきれ果てるような気持ちしか持てない。どこまでも、狡猾で、どこまでも、信じられない。
結局、どこまで行っても、自分たち親子の間に横たわった溝、というのは埋まらないのだ、とランドルフは思う。と同時に、一つの事柄を思い出して、さらにリュートに問うた。
「そう言えば、さっきお前親父が動いた理由、一つには西の大公の死亡、と言っていたな。他にも、理由がある、と言うのか?」
その問いに、リュートは少々、何か考え込むように沈黙を見せる。そして、諦めたような溜息をついて、ランドルフに答える。
「あんた、分からない? 一緒にいて、分からなかった、ランディ?」
……何を、分かる、と言うのだろう。あのいつも自分の事を侮り、愚息と罵って、知らぬ所でこそこそと企む親父から、一体分かることなど、何があるのだろう。
そういった父親への嫌悪感を滲ませて、ランドルフは吐き捨てるようにリュートに答える。
「あんな糞親父のこと、分かりたいとは、思わんな」
「……そう。なら、いいや。僕も、確証がないことだから、言いたくない」
ランドルフの返答を受けて、しばし沈黙した後、リュートはそう締めくくっていた。その様子に、訳が分からぬといったランドルフをよそに、すっかり化粧を落とした顔で、さらに、リュートが話を続ける。
「おそらく、東大公が仕掛けてくるのは、次の御前会議さ。大公、選定候が全て揃う会議において、王妃による僕の暗殺計画の暴露を行い、そこで、僕を新たな王太子候補として擁立してくる。その計画をスパイ、タミーナを通じて知った王妃は、だから、僕を殺そうとし、そして、立太子の礼をわざわざ占いにかこつけて前倒しさせたのさ。都合で、御前会議よりは前にはどうしても出来なかったみたいだけど」
リュートの仮説に、ランドルフは、ここまできて、さらに信じられない、と言った声音で尋ねる。
「そ、そんな、いくら王妃が失脚するからって、そんな、お前を新しい王太子になんて、できるもんか!」
「うん。そこで活きてくるのが、僕が半島で、したことさ。――『白の英雄』。その功績があれば、僕の存在価値をさらにアピール出来る。そのあたりを絡めて、僕をさらに押しだそうというつもりなんじゃないかな」
「そ、そんな、馬鹿な。お、お前が……」
「後は、王子ヨシュアの資質を問う、という手がある。あの子、最近変わってくれたけど、前までは、勉強すらしない、脱走癖のある王子だっただろ? それと比べて、英雄である僕の資質はどうだ、と諸侯方に訴えれば……? そこまで言っても、それでも、ヨシュアが正当な王位継承者であることは変わらないかもしれない。だが、僕という存在を東部の手駒としてアピールするだけでも、今、東部が置かれている不利な状況を覆すのには十分なはずだ。だから、今、僕というカードを切ってきたんだよ、あんたの親父さんは」
ランドルフは、次々と語られる衝撃の陰謀説に、もう、言葉一つ出てこない。自分の父親の企み、そして、王妃の企み、そして、それを読んで見せた、この、リュートという、王子かもしれない男の企み。ここで来ると、もう、呆然と呟く事しかできない。
「……何という、……な、何という汚い……」
「そうさ。汚いがどうした。これが権力ってもんだろ? あんたは甘ちゃん過ぎるんだよ、ランディ! あんたはもっと、腹を括ったほうがいい。これが、あんたが手にする、権力という奴さ。これくらいの戦、勝てなくてどうする!!」
かつて、親父に言われた様な言葉が、目の前の年下の男から吐き出される。
その事が、ランドルフには、哀しくてならない。そう、悔しいと言うよりも、ここまでの覚悟をせざるを得なかった、このリュートという男の運命がこそが、何よりも哀しくてならない。
「リュート……。お前……、どうして、そこまで……」
自分より遙かに、泥にまみれた道を行く覚悟をした男に対して、ランドルフはその瞳に憐憫の情を滲ませて、彼の瞳を見つめる。一方で、リュートの方は、その予期しなかったランドルフの見せた感情に、酷く戸惑ったように、その目を伏せた。そして、何か、思い出したように、静かに彼に問う。
「ねえ、ランディ。あんたは、知らなかったんだよね? 本当に、こうやって、僕とあんたとの出会いが、親父さんに仕組まれていたものだったってこと、知らなかったんだよね?」
そう言いつのって、再び、ランドルフの方を見つめた瞳が、あまりにも、いつもの眼差しとは違っていて、ランドルフの心は、何かに突き動かされたように激しく揺るいだ。
……ああ、この目は、どこかで見たことがある目だ。いつか、この男が、一度だけ見せた、あの目だ。
だが、その眼差しを見たのはいつのことだったのか、ランドルフは明確に思い出すことが出来ない。代わりに、しっかりと深く頷いて、彼の問いに答えてやる。
「ああ、本当に、知らなかった。お前が、どんな存在であるか。そして、お前が、どんな過去を抱えているか、私は知らなかった」
その答えを聞いて、また、リュートの碧の瞳が逸らされる。おそらく、ランドルフに見られたくないのだろう。ただ、その伏せた顔から、小さな声で、言われた言葉だけが、ランドルフの耳に届く。
「……そっか。良かった」
静かに語られた彼の感情に、ランドルフはこれ以上触れてやる事が出来なかった。
ただただ、その見せた瞳と言葉だけが切なくて、自分には為す術がないとすら、思わされた。……おそらく、この男の心を救ってやれる者は、もう誰もいないのだ。そう、唯一、それができるであろうあの兄すらも、もうこの世にはいない。
その事に思い当たった時、ランドルフは、この男に対しての、激しいほどの憐憫と、そして、親愛の情が、沸き起こるのを、その胸に感じていた。
「……リュート。私は、お前の味方だ。お前を利用なんて、しない。私は、お前を……」
「大丈夫だよ」
言いつのるランドルフの言葉を遮るように、リュートの声が覆い被さった。
「大丈夫。僕は、負けない。誰にも、負けるつもりはない。……全てが終わるまでは」
いつもの様に、不敵で、そして、なにかいい知れないほどの不吉さを帯びた言葉が、伏せた顔から紡ぎ出される。そのやるせなさに、思わずランドルフの手が、リュートの肩に伸びた。
その、肩に添えられた手に、リュートの口元が、ほんのりと緩む。そして静かに、だが、断固たる声音で、その口から言葉を紡ぎ出した。
「あんたのことは……嫌いじゃないよ、ランディ。でもね……僕はあんたの父親は、許せない。僕を手駒扱いした、あの鷹は、どうしても許せない。そして、僕を殺そうとした女狐も、いい様に宮廷を牛耳る銀狐も、みんな、みんな、許せない」
そこまで言うと、伏せていた顔から、ようやく碧の光が現れる。それは、今までになくぎらりと、挑戦的に光る、妖しい碧の瞳だった。そして、その怒りに満ちた目を、窓の外に向け、きっぱりと一言、言い放つ。
「――全員纏めて、喰い殺してやる」