第四十五話:女狐
「久しぶりだな、アラン。いや、或いはクローディアか?」
暗い後宮の一室で、不敵な声音で語られた自分の偽名に、隻眼の占い師は、猫に追い詰められた鼠のように、その身を縮ませてたじろいだ。そして、その震える唇から、自分をきつく睨め付けている碧の瞳を持った人物の名を、信じられないといった声音で絞りだす。
「リュート隊長……。な、何であんたがここに……」
「もちろん、お前に会いに来たに決まっているだろう、アラン。元密偵の、お前を見習ってドレスまで着てな。どうだ? 似合っているだろ?」
その言葉どおり、隻眼の占い師の前には、とてもこの恐ろしい台詞を吐いているとは思えぬ様な、優雅な貴婦人が一人。そのあまりにもアンバランスな取り合わせが、尚の恐怖として、占い師の心に突き刺さる。
「な、な、何で、占い師が俺っちだってわかったんだよ。お、お、俺っちはこの後宮から一歩も出てねーってのに。この姿で一度もあんたにゃ会ってねーはずだぜ?」
激しい動揺を示すように、占い師は震える声音でそう尋ねた。それに対して、貴婦人はその艶やかに紅が塗られた口をにや、と歪めて答える。
「王子が教えてくれたのさ。外に連れ出す引き替えに、お前の素顔の秘密をな。『あの占い師は、右目のない隻眼の女だ。絶対に、後宮にいるような、まともな女じゃない』と、ね」
語られた事実に、占い師は忌々しげに、ちっ、と舌打ちすると、その失われた右目を押さえつけて、吐き捨てる。
「くそっ。あの王子、余計なことを……」
「お前がこの後宮に現れたのが、僕達が出征してから、……つまり、僕がお前に襲われた後だ。その後に王都に現れた隻眼の人物、なんて、お前の事です、とでも言っているようなものだろう?」
その指摘に、占い師は言葉もなく、ただ貴婦人を睨み付けることしか出来ない。そんな様子を嘲笑うかのように、さらに貴婦人は自分の推測を続ける。
「あの僕を殺し損なった後、僕がお前なら、どうするかって、考えてみたんだよ。……僕ならまず報告の為に、ご主人様がいるこの王都に戻るね。でも、戻ったとしても、その片目だ。到底、以前のような密偵としては働けぬ。と、すると、新しい職につかなくちゃ行けない。そう考えたときに、この占い師って仕事が、ぴったりなんじゃないかって、考えたのさ。新たな、諜報活動をするための隠れ蓑としてはね。……違うか?」
その問いに、占い師は答えない。だが、その額に浮かぶ嫌な脂汗が、貴婦人の推測が正しいことを明確に語っていた。そんな占い師の動揺ぶりに、尚も、貴婦人はその美麗な顔を近づけて、問いつめる。
「お前の占いが当たるだって? そりゃ、当然だよな。元密偵だ。一通りの貴婦人の情報は元から得ているだろう。それを、さも、得意げに、占い師ぶって、彼女らに告げてやれば、『まあ、どうしてそんなこと、お分かりになったの?』ってなもんだろ? そうして、信用を得れば、あとは簡単。占い名目で、貴婦人らの口から、貴族の家の情報を聞き出し放題だ。あの歌姫、ベッティーナも言っていたよ。家族の事なんかを、お前に話したと。それで、お前のご主人はこの宮廷において、誰よりも貴族らの情報を握ることが出来、そして誰よりも、この宮廷に君臨できる、と言うわけだ」
その畳みかける様な指摘に、尚も、占い師の額に、たら、と汗が流れる。
「ここまで言えば、分かるよな? 僕は、既にお前のご主人様が誰なのか、分かっている。……会わせろ、お前のご主人様に」
「……そ、そんな事、俺っちが許すとでも……」
貴婦人の、その要求に、占い師はその全身に汗を滲ませながらも、拒否の姿勢を見せる。だが、それ以上の抵抗は出来ない。何故なら、その言葉と共に、鋭い短剣が占い師の喉に、ぴたり、と突きつけられていたからだ。
月明かりを受けて、ぎらり、と、鈍く光る短剣を手に、占い師の前で、貴婦人が優雅に笑いかける。
「便利だね、御婦人のドレス、と言うのは。こんな武器、隠したい放題だ。さあ、今、ここで、その首、切り裂かれたくなかったら、さっさとお前のご主人様の所まで、案内しろ。何のために、こんな格好で、ここまで来てやったと思ってるんだ」
その言葉に、占い師は、一つ悟ったように、その鼻から、ふーっと、息を吐き出して、貴婦人の方に向き直る。
「……そうだな。別に、命なんか惜しくはねーけど、俺っちのご主人様の事が既にわかってて、わざわざそんな格好でここまで来るってことは、……そういうことか」
「そう。なかなか、聡くて結構。僕が何をしにきたか、分かるな? 分かったんだったら、さっさと案内しろ。もうすぐ……帰ってくるんだろ? お前のご主人様は」
「わ、分かった。分かったよ……。案内する。案内するから、それ、仕舞ってくれない?」
もう、観念した、と言うように占い師はその両手をあげて、降参した。そして、そのあどけない顔を歪めて、あきれ果てたように、溜息をつくと、再び貴婦人の方に向き直って言う。
「それにしてもさ、あんたが、まさかここまで来るなんて、思いもしなかったよ。確かに、あんた、前からぶち切れるとおっかなかったけど、ここまで過激じゃなかったぜ。俺っちが知ってるあんたは、もっと甘ちゃんだった。俺っちの策略に、簡単に引っかかって、睡眠薬飲むほどの、な。それが、なんつうか……。たがが外れたってのかね。歯止めが効かないって言うか、そんな感じがすんぜ、今のあんたは。色々噂は聞いてたけどよ。どうしちゃったの。戦争行って、変わっちゃった?」
かつての部下だった占い師のその言葉に、貴婦人に扮したリュートの眉が、ぴくり、と反応した。そんな様子に構うことなく、尚も、占い師は軽口でも言うようにして、その言葉を続ける。
「ああ、もしかして、あの人が死んじゃったせい? あの、確かレミル、とかいうお兄ちゃんが……」
占い師がその言葉を言い終わらないうちに、一瞬にして、その視界が歪んだ。
「――黙れ」
その言葉と共に、占い師はようやく、自分の今おかれている状況を理解する。
一瞬のうちに、自らの顔が、リュートの手によってぎりぎりと、つかみ取られていた。そして、その人差し指が、残っている左目のまぶたの中にまで、ぬるり、と入り込んできている。男の人差し指の腹が、つうっ、と眼球の表面を撫でる感覚が、嫌でも伝わってきた。そして、その不気味な感覚と共に、耳元で、恐ろしい言葉が響く。
「二度とその名を、お前が口にするな。次、言ったら、この残った左目も、えぐり出すぞ」
尚も、きつく触られる眼球の感覚と、目の前の狂気を孕んだ碧の瞳に、占い師の全身が、がくがくと震える。
「わ、わ、わかった。い、言わない。言わないから……」
「……よろしい。じゃあ、さっさと、案内しろ」
突きつけられる短剣を後ろに、占い師はその長いローブを引きずって、暗い部屋の中の一角にかかっているカーテンをめくりあげた。すると、そこには、壁一面に綺麗に本が並べられた本棚が現れる。その本棚の真ん中辺りの本を、占い師の手が探ると、がこん、という何かが外れた様な音が響いた。
「さ、こっちだよ」
言うと、占い師は、その本棚に手をかけて、それを力いっぱい横にずらしていく。そこから現れた物、それは、本来あるはずのない小さな扉……隠し扉だった。占い師が隠していた鍵で、扉を開くと、その先は暗くて狭い通路になっていた。そこへ、蝋燭の明かりを手にした占い師が、先に案内するように中へと入っていく。
「ここは俺っちとご主人しか知らない隠し通路さ。……それにしてもさ、あんた、ホント怖くなったよね。昔のあんたはもっと、可愛かったのに」
蝋燭の明かりだけを頼りに、人一人分しかないような幅の通路を占い師と貴婦人が進む。
「お前に可愛いとか言われても、嬉しくも何ともないな。それにしても、一つだけ、疑問が残っているんだが」
「あ? 何だよ?」
「お前、よく、この後宮にいられるな。ここは、男子禁制だろ? いくら、密偵で、男か女か分からない様な顔とはいえ、ずっと居て、よくばれないな」
リュートのその言葉に、先を行く占い師の足が、ぴたり、と止まる。
「ちょっと待って」
蝋燭を手に、細い通路を、くるり、と占い師が振り返った。その照らし出される顔は、片目を眼帯で覆われながらも、尚、まだあどけない少年の様な顔である。その顔をしげしげと見遣って、疑問を投げかけるリュートに、占い師は呆れたように、その鼻から息を吐いて、一言言い放つ。
「あんたさ。もしかして、俺っちのこと、男だと思ってる?」
「……え?」
言われた台詞に、リュートは言葉が咄嗟に出てこない。その様子に、悔しそうに、占い師はその黒髪をがしがしと掻きむしった。
「あ〜!! もう、なんだよ、やっぱりか!! だから、さっきあんなに手加減なしだったんだな? あ〜! ちくしょ!!」
「え、ええ? だって、お前、前、アランって、僕の部下の衛兵だったじゃないか。それであの『東部解放戦線』の秘書、ラスクに女装して近づいて、彼を煽ったんだろ?」
「はあ? 何、勝手に勘違いしてんの? 確かに俺っちは『あいつは俺っちのドレス姿見て、本気で惚れちゃった』とは言ったけど、誰も女装したなんて言ってねえよ! 逆だよ逆!! あんたの部下になるため、俺っちは『男装』したの! 男名、アランも勿論、偽名!! 俺っちは元々女なの! あの馬鹿秘書に近づくために、普段着ねえドレス着ただけだっつの!! それをあんたが勝手に、ドレス着る、イコール、女装って決めつけてただけだろ?」
「え? ……ええ?」
突然知らされたあまりの真実に、リュートはその頭がついていかない。
「大体さ! 考えてもみろよ! いっくら俺っちが男か女かわかんねー顔してるからって、女装した男に、ほいほいと惚れて、テロ起こす馬鹿がどこにいるよ。あいつを誑かすために、しっかりカラダ使ったに決まってんだろ、このオンナのカラダ!!」
言うと、占い師は空いている方の右手で、リュートの手をひったくって、その手を、自分の胸にむぎゅ、と押しつけた。そこには、幾分か小ぶりではあるが、紛うことなき、女性の胸特有の感覚。その初めて触る感覚に、リュートはその顔を染めて、思わず硬直してしまう。
「何なら、ナマで触る?」
固まったままのリュートの手をさらに掴んで、占い師はその服の下へと導く。もにゅもにゅ、と触ったことのない柔らかな感覚が、掌を通じてリュートへと伝わってきた。
「これでも信じられねーってんなら、今ここで全部脱いでやってもいいぜ。上から、下まで、全部な。なんなら、あの馬鹿な秘書、誑かした時と同じようにヤッてやってもいいんだぜ」
男にも、女にも見えるその幼い顔で言われた言葉に、リュートはその顔をより赤く染めて、ようやく正気に戻ったように、叫ぶ。
「いい!! いい!! わ、わかった!! わかったから!! お前も女なら、そんな恥ずかしいこと言うんじゃない!」
「はあ? お説教かよ? 俺っちは男とか女とか、どーでもいーの。ただ使えるから、このオンナのカラダ使ってるだけじゃん」
「ととと、とにかく、離せ! そ、その胸、ぼ、ぼ、僕の手から離せ!」
その初々しい様子に、占い師は服の下に入り込んだリュートの手を尚もきつく自分の胸に押しつけ、にや、とその口元を歪めながら、言い放つ。
「ああ、やっぱ、あんた、可愛いわ」
明かされた、この占い師の真実の性別に、かなりの衝撃を受けながらも、リュートはその精神を立て直して、占い師に先に案内するように、と命令する。そして、また、蝋燭の明かりだけを頼りに、隠し通路を進んで行くと、やがて、小さな扉の様な物の前にたどり着いた。微かに、その向こうから、人の話し声が漏れてきている。
先を行っていた占い師が、その扉に耳を付けて、外の様子を窺うと、おもむろに、その扉をコン、コン、立て続けに二回、ノックした。すると、しばらくして、聞こえていた話し声が、途端に止んで、バタン、という扉が閉まる音が響いた。おそらく、この扉の外にいる人物が、他の人間を人払いしたのであろう。それを待って、占い師が扉の向こうの人物へ声をかける。
「ご主人様。シルヴィアです。急用がございますので、ここを開けてくださいませんか」
また、しばらくして、扉の向こうで、衣擦れの音と共に、かちゃり、と鍵の開く音が響いた。それを確認して、占い師がその扉をぐい、と押すようにして開ける。
途端に、眩しい光が暗い隠し通路に注ぎ込んでくる。
夜だと言うのに、これだけの蝋燭を灯すことが出来る部屋に、この人物は住んでいる、ということだ。その事実に、紅に彩られたリュートの唇が、さらに歪む。
「シルヴィア。急用とは一体……」
扉を開けて、自分の腹心である占い師を迎え出た主人の顔が、一瞬で蒼白になる。
無理もない。主人がそこに見たもの。それは、自分の心に、今なお、深い杭を打ち立てている女の亡霊に、他ならなかったからだ。
白い羽に、金髪。深い碧の瞳に、かつて、国一番の美姫、と謳われた美貌。
その、二十年前の姿さながらに、現れた貴婦人の姿に、思わず、主人の口から、その亡霊の名が漏れる。
「ら、ラセリア、お姉様……」
目の前の亡霊と同じ色を持った、瞳が揺るぐ。そして、その亡霊とは違う銀の髪を振り乱して、主人はぶるぶると、後ずさりをした。
その様子に、金の髪の亡霊が、占い師を押しのけて、主人の元まで詰め寄る。そして、その容姿とはかけ離れた声、――低い、男の声で、主人の名を呼んで見せた。
「こんばんは。エミリア叔母上。いいえ、それとも、王妃陛下、とお呼びした方がよろしいか」
その低い声を持って、ようやく主人は目の前の貴婦人が、亡霊でないことを悟る。そして、震える声音で、その貴婦人に扮した男の名を紡いだ。
「りゅ、リュートさん……。あ、あ、貴方が、どうして、ここに……!! あ、貴方、確か、今日は……」
がくがくと、せわしなく動く顎から発せられるその言葉に、リュートは貴婦人然とした仕草で、その扇を一振りして、占い師の主人の元まで歩み寄った。
そこには、数々の蝋燭の光に照らし出され、呆然とたたずむ、銀髪の淑女の姿。いつも少女の様に、あどけなく微笑む、愛しい母の姿を残した、紛うことなき、自分の血縁者である、叔母、がそこにいた。
その前で、ぱちん、と扇を閉じると、リュートはその碧の瞳をぎらり、と光らせて彼女に深々と礼をする。
「お礼を申し上げにきたのですよ。先日は毒をどうもありがとう、叔母上。あれ? もしかして、僕、今日、本当に毒を飲んで伏せっている、と思って、油断していらっしゃった? そんなおめでたい叔母上に、一つご忠告を。一度失敗したら、二度も三度も、同じ手を使わないことです。こうして、逆に利用されるだけですよ。それに、……しつこい女、というのは得てして嫌われるものです」
だが、その忠告も、パニック状態の王妃の耳には届かない。ただ、その腹心である占い師の方を向き直って、彼女を激しく叱責するのみである。
「し、シルヴィア!! 一体、一体どういうつもりです! こ、こんな、後宮に、こ、この男を連れてくるなんて……!!」
その言葉を受けて、リュートが馬鹿にしたように溜息をつく。
「おい、アラン。お前のご主人は、お前よりずっと馬鹿だな。言わないと、分からないらしい。わざわざ、こんな格好で、人目につかないように、ここまで来てやったのに、さ。あんたが、いつものようにドレスを着替えるために、この後宮に帰ってくる時間まで、見越してね」
「……な、なんですって? し、シルヴィア! ひ、人を呼びなさい! この者を早くつまみ出しなさい!!」
「あれ? いいのかな、そんな事して。困るのは、そちらじゃないの?」
ばさり、と再び扇を広げて、その陰で、にやり、と美麗な顔が嗤う。
「僕はいいんですよ。こんな女装姿で見つかったって、何にも困ることございません。ああ、いっそ、国王陛下に見つかるのもいいですね。この姿なら、あの方、もっと僕の事、気に入って下さるでしょうね。それは、それは、さぞ、御寵愛頂けるんじゃないですかね」
その言葉に、かつてないほど、王妃の顔色が変えられた。激高を現す、赤、にである。
「お黙り!! その顔で、その様な事、お言いでないわ!!」
その、とても、一国の王妃の物とも思えぬ、憤怒の表情に、リュートの目が、挑発でもするかの様に眇められる。
「……ふん。やっと本性出したな。あんたに嫌がらせする為に、わざわざこの格好で来たんだから、これくらいの嫌味、言わせろよ。この拉致、殺人未遂犯」
吐き捨てられた最後の言葉に、王妃はその体をびくり、と震わせて、たじろいだ。そして、その額にたらり、と汗を垂らしながら、対峙する自らの甥に、言う。
「……な、何を言うの? そ、そんな私が殺人犯だなんて、よくも王妃たる私に……」
その言葉に、問われた甥は、その眉一つ動かさず答える。
「ああ、本当に馬鹿なんだね。全部言ってあげないとわからないのかなぁ。大体、この僕をレンダマルで襲った占い師の飼い主が、貴女だって事は、もう明白なんですから、いい加減お認めになったら如何です?」
「そ、その占い師は、た、確かに私の専属占い師ですけれど、あ、貴方をこの者が襲った事など、わ、私は知りません。こ、このシルヴィアが勝手にしたことか、それとも、他の者が、この者に命じたのではなくって? 大体、私は、あ、貴方の事なんて、会った事もなかったし、よく知りもしませんでしたのに。言ったでしょう? あの夜盗がお姉様を殺した事件の時に、初めて陛下から、貴方の存在を聞かされて……。その後も一度だって、貴方に会う事なく、今まで過ごしてきたのです。そんな私に、どうして貴方を殺す理由がありますか?」
言いつのる王妃を遮って、扇の向こうから、全てを見通している、とでも言いたげな視線が、彼女に突き刺さる。そして、それと共に響く、冷たい嗤い声。
「ふ、ふふっ。そうまで仰るなら、いいでしょう。では、一つお聞きしますけどね、叔母上。貴女、何故知っているんです?」
「……え?」
「僕が、『笛の名手』だって、どうして知っているんです? 確か、あの祝勝会で、僕のこと、そう仰っていましたよね?」
びくり、と王妃の眉が小さく反応した。それを待って、さらに、リュートが叔母に詰め寄って、問いつめる。
「ねえ、何故、知っておいでなんです? 僕が笛吹くの、得意だという事を。母様が、死んだ後に僕の存在を知ったという貴女が、何故、その事、ご存じなんです?!」
言われた指摘に、王妃の体が、雷にでも撃たれたかの様に、激しく揺るいだ。そして、その隙を突くかの様に、尚もリュートが畳み掛ける。
「いいですか、叔母上。確かに、僕は笛を吹くのは、得意です。でもね、僕が、その笛の腕前を皆に披露していたのは、あの、母様が夜盗に殺される日までなんです。あの後、僕は人前で一切、笛を吹かなかった。クレスタの街の住人は、いつも夕暮れを知らせてくれた、僕の笛が、聞けなくなったと嘆いておりましたから。……あの事件の後、唯一、僕が笛を吹くのは、城の近くの森の中だけだったんです。そう、僕と、兄しか知らない、秘密の場所だけで。レンダマルに行った後なら、尚更吹いていません。笛はクレスタにおいてきましたからね。だから、僕が笛を吹くのが得意だ、と言うことは、レンダマルでずっと僕が側にいた、ランドルフの坊ちゃんすら、知らない事なんです」
明かされたその事実に、尚も、王妃の額に嫌な脂汗が浮かぶ。それに構わず、リュートはその扇をまたも一振りして、優雅に叔母に詰め寄っていく。
「半島に行ってから、唯一、湿地の戦いで口笛を吹くことはありましたが、まさか、あの時一緒にいたナムワが、貴女に、僕が笛を吹くのが得意だ、と言うわけがない。……と、言うことは、です」
ぎら、とリュートの碧の瞳が妖しく光る。
「貴女、知っていましたね? あの七年前の夜盗襲撃事件、つまり、先の戦争の終結より前から、僕の存在を知っていましたね?」
「……そ、そ、それは」
言い淀む王妃を前に、尚もその姉の顔をした亡霊が、彼女を詰るように、詰め寄る。
「知っていたんです、貴女は。クレスタの街で、いつも笛を吹いていた僕の存在を。そして、僕の両親が、クレスタに居ることを。知っていて、それを国王陛下にも、ずっと黙っていたんです。そして、七年前、陛下から僕の存在を聞かされて、さも、もっともらしく驚いて、引き取りたい、などと言い出した。……そうじゃありませんか?」
その問いに、王妃は答えない。
「国王陛下や、僕の祖父ですら、知らなかった僕の両親の行方を、貴女は知っていた。……それは、何故か」
こつり、と踵の高い靴を鳴らして、リュートがさらに王妃の前へと進み出る。その事によって、部屋の蝋燭がゆらり、と揺れて、不気味に金髪の貴婦人の冷たい美貌を照らし出した。
「貴女が、逃がしたんでしょう? 僕の両親を、この王都から。貴女が、手引きして、あのクレスタに逃がしたんでしょう?」
――ぱちり。
叔母と、甥の間で、最高級の香木で作られた扇が、その音を鳴らす。
「それから、あれも貴女ですね? 国王陛下に、僕の両親が秘密の恋仲にあったことを書簡で密告したのも、貴女だ。すべて、……貴女が、この王妃の位につくための、謀だったのでしょう?」
その扇の向こうで、眇められる、深い碧の瞳に、王妃は言葉もない。それを受けて、尚も、小馬鹿にしたような声音が、暗い部屋に響き渡る。
「なんですか、その沈黙は。まさか、僕が、ここまで気づくなんて、思いもなさらなかった? 馬鹿で、大嫌いな、お人形のように美しいラセリア姉上の息子だから? 僕も同様に、馬鹿だと思って、舐めてらっしゃったんですか? 叔母上」
――ふ、ふふふふふ。
ようやく、王妃の口から声が漏れた。伏せた顔から漏れるその声は、王妃の気高さから、かけ離れた、何か、自嘲するような、そんな嗤い声だった。そして、低い声で、絞り出すように、リュートに向かって言い放つ。
「ああ、本当に、腹が立つわ。その顔で、そんな風に言われると。本当に、今にも縊り殺したくなってくるわ、その忌々しい顔。ねえ、ラセリアお姉様にそっくりの、お人形のような、リュートさん」
そう言って、向き直った顔は、今まで見せていた、少女の微笑みが浮かぶ王妃の顔ではなかった。
いつもふわふわとあどけなく微笑む顔から、おおよそかけ離れた、狡猾なる策士の顔、である。その、初めて見せた顔に、リュートはその鼻をふん、と鳴らして、再びその叔母に、対峙する。
「ようやく、お会い出来ましたね。この宮廷一の毒蛇、王妃、エミリア様。……いいや、この、女狐め」