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第四十四話:占師

「きゃあ、かわいい〜! ねえねえ、こっちの色もいいんじゃない?」

「あ〜、それいいかも!! でもそれだと、ネックレスない方がいいんじゃない?」

「あ、じゃあ、ここはイヤリングをもっと派手にして、インパクト出してみたら?」

「いいわね、それ! 真珠がいいかしら、それとも、やっぱり、エメラルド?」

 

 きゃあきゃあと、女達の喧しい声が、普段は静閑なシュトレーゼンヴォルフ邸に、響き渡る。

 その、いつにない、光景に、もはやランドルフは、言葉一つ紡ぐことも出来ず、ただただ遠い目で、成り行きを見守るより仕方ない。

 

 決して、嫌な光景、と言うわけではない。揃いも揃った色とりどりの美女達が、歓声を上げながら、着飾っているのを見るのは、男として、悪い気分がする物ではない。首飾りが揺れる胸元も、そのたおやかさを強調するように締め上げられた腰も、全て、男として好ましく思う。

 だが、どうしても、ランドルフは、この光景に納得がいかない。その理由は、以下の三点である。

 

 まず、一点。

 この、きゃいきゃいと、装飾品を選んでいる、極上の美女達の内、四人。一見すると、どの美女も、とても清楚で、上品な印象を受け、まるで、どこかの地方領主のお嬢さま、と言った風情なのだが……。

 

「ああ〜、でもこんな楽しいお仕事、久しぶりよ。いっつも変態の相手ばっかりで、イヤになっちゃうわ」

「そうよ。大体お金持ちって、変なプレイが好きなのよね。ホント、お金の為とは言え、辛いわよね〜。体張るのも」

 その言葉が示すとおり、この品の良い貴婦人達すべて、……揃いも揃って、凄腕の娼婦、なのである。

 

 そして、二点目。

 これは本当に驚いたのだが――……。

 

「ほらほら、あんた達、相変わらずメイク、へたくそ! 貸しなさい、アタシがやってあげる」

 そう言いながら、娼婦達からブラシをひったくった、この妙齢の美女。一度は抱いてみたい、と男を迷わせるような色香を持ったこの女が。

「もう、オカマのテク、なめんじゃないわよ」

 これが、男、なのである。

 

 そして、最後の三点目。

 その娼婦とオカマに囲まれて着飾られている、このとびきりの美女。金髪に、碧の目を持った、ちょっとそこらにはいないくらいの、最極上のこの美女が。

「ママ、さすがだね。これで一気に女に見えるよ」

「でっしょお? 男を女に化けさせるなんて、アタシに取っちゃ朝飯前よん。特に、あんたは元がいいしね、リューちゃん」

 これが、……七大選定候のうちの、一人、紛うことなき、シュトレーゼンヴォルフ候、なのである。

 

 この絶句すべき三点の理由によって、ランドルフは、その魂が、口から抜けて、どこか遠い土地にでも飛んでいったかのような、そんな錯覚を覚える。とてもではないが、目の前の衝撃の光景を、直視することが出来ない。出来るなら、今すぐに、このカオスな地獄から、脱兎の如く逃げ出したい、とすら思う。だが、それも、叶わない。

 

「ねえ、ねえ、どう? これ?」

 

 逃げださんとするランドルフの前に、魅惑の美女が、その全容を現していた。

 見事に結い上げられた艶めく金の髪に、煌めくエメラルドのごとき双眸。品の良い薄い水色のドレスはどこまでも、着ている主人の透明感を引き出し、それに加えられた、小ぶりの宝石類が、尚更にその魅力を引き立てている。そして、なによりも魅惑的なのが、その背に艶めく白い羽。見るものをどこまでも引きつけて止まない、その天然の美しさ。

 どこから、どうみても、……すぐに言葉が出てこないほどの、とびっきりの、貴婦人、である。

 

 だが、その正体を知っているランドルフにとって、この沈黙は、その美しさ故の物ではない。ただただ、この美女……に扮した男の破天荒な行動に、あきれ果てて言葉もないだけ、なのである。

 そんな、様子の彼に、美女に扮した男は不満げに、口を尖らせる。

「何だよ、可愛いとか、綺麗、とか、言いなよ。あんたの愛人なんだからさ」

 

 つまり、こうである。

 ……今日の舞踏会に、お前の女として、連れて行け。

 その台詞で、ランドルフはようやく、この家に呼び出された本当の理由を悟った。もう、ここまでくると、乾いた笑いしか出てこない。

 

「ははははは。何が悲しゅうて、男をパートナーとして連れて行かなきゃならんのだ。しかも、よりによって、お前をな。ははははは」

「まあまあ、諦める、諦める。ほら、僕だけじゃなくって、娼婦のおネエさん達も一緒だからさ。あんたの今日の役割は、地方から出てきた新米の貴婦人達を、五人も引き連れて、得意になってる馬鹿な大公家のボンボンだよ。さあ、張り切って行ってみよー!」

 

 ……張り切って、今、お前をはり倒したいわ。

 ランドルフはすっかり、気力やら、何やらをそぎ取られた内心で、げっそりとそう呟く。

 

「あ、でもこのままじゃ、流石に、僕の事知っている貴族には、ばれちゃうかな。ねえ、ママー、どうしよう」

「まっかせなさーい。先ずはこの帽子と小さいベールで、顔半分隠すでしょ? それから、羽はね、着け羽っていうのがあるから、これをつけて、色を誤魔化すでしょ? それから、口元はこの大きめの扇で隠したら、ほら、完璧!」

「わー、すごい、この扇! 品がいいし、いい香りがするね。全部木で出来てるから、男が使っても、違和感なさそう」

「でしょ? 香木でできた一級品よ。リューちゃんに、あ・げ・る」

 うわあ、うれしい、と細かい細工が施された木製の扇をはためかせる様は、もう、押しも押されぬ第一級の貴婦人である。そのどこまでも優雅な様子に、ママが見とれた様に、ほう、と溜息をついた。

「ああ、いいわぁ。リューちゃん、あんたなら色街でナンバーワンになれるわよぉ。あんたなら、あたしの跡をすぐにでも継げるから、貴族辞めたくなったらいつでもいらっしゃい」

「うん、ありがとう、ママ」

 

 ……誰か、誰か、こいつを止めてくれ。

 もう、ランドルフは、いっそのこと玉砕覚悟で、リュートに斬りかかってやろうか、とすら考える。いや、やるなら、今だ。こいつをやるなら、身動きが取りにくいこのドレスの時をおいて、他にない。こいつも剣を持っていないし、護衛の『黒犬』もいない。

 と、そこまで考えて、ランドルフは、はた、と一つの事実に気づく。

「おい、黒犬、解任したのか? 今日、姿が見えないが」

「うん。もう、命狙われることないからね。今日、一つ、決着をつけるつもりだからさ。そのために、わざわざこんな格好しているんだから」

 その言葉に、ランドルフは一つの事柄を思い出す。

 以前、レンダマルにいた頃、レギアスがこいつに冗談交じりで、ドレスを勧めたことがあったが、その時はこいつえらく怒ったように、ドレスを着るのを拒否していた。そのこいつが、こうもあっさりドレスを着てみせるなんて……。

「余程、本気、と言うことか」

「……そうだよ。下らないプライドなんて、あの雪の戦場において来たからね。これくらい、どうということはないさ」

 その突き刺さるような冷たい目線に、ランドルフは諦めたように、ふーっ、と深く息を吐いて、その腹を括る。

「わかった、……連れて行こう。それにしても、お前、シュトレーゼンヴォルフ候として出席する、と言ってあったのに、どうする気だ」

 ランドルフのその問いに、リュートはその扇をはためかせて、大丈夫、大丈夫、と答えると、控えていた執事とメイド二人を呼んだ。

 

「はあぁ……。なんたることでございましょう。やんごとなき御当主様が、その様な女の格好を……。先代様に、私は何と言ってお詫びすればよろしいのやら。かくなる上は、私めがこの命を持って償いを……」

「やめよし、あんた! 誰が死体かたづけると思てんねな」

 主人のあまりの格好を見るなり、首を括ることを覚悟した執事に、その妻であるメイド長から、激しいつっこみが食らわされる。その夫婦漫才の様子に、苦笑しながらもリュートは三人に尋ねる。

「爺や。ちゃんとお断りの手紙は出しておいたね?」

「はい。確かに、国王、王妃、両陛下に、当家の御当主様、突然のご病気の由にて、ご欠席を、との書簡を」

 渋々と、そう答えられた返事に、リュートは気を良くして、さらにメイド達の方に向き直って聞く。

「よしよし。婆や、ガリーナ。僕は、今、一体どうしているんだい?」

「はい。今、うちのご主人様は、うちらの不届きによって、毒をお召しになって、生死の境を彷徨っておられます」

「せやぁ。口から、泡はぶくぶく。顔面蒼白。とても、どなたがいらっしゃっても、お目通り出来る体調ではございません。生きるか死ぬかの瀬戸際ですぅ」

 さらっと言われたその召使い達からの答えに、リュートは満足げに頷いた。

「うんうん。さすが、うちの召使い達はよくわかってるね。そうそう、リュート君は、悲しいことに、ついに毒をお飲み遊ばしましたんですよ、ランドルフ君。いいですね?」

 言われたその言葉に、ランドルフはようやく理解する。

 ……そうか。いつぞやの死なない毒の飲み方、とはこういうつもりだったのか。……ならば。

「そうですか。それは、嬉しい、いや、残念なことで。早く、くたばるといいのにね、リュート君」

「はははは。うん、多分、なかなか彼、死なないんじゃないかなぁ。特に、毒くらいじゃね」

「……だろう、な」

 

「ねえ、ねえ、リューちゃん。姿はそれでいいとしてよ? 名前、どうするつもり? まさか、リュート、と名乗るワケにも行かないでしょ?」

 すっとぼけたような嫌味の応酬をし合っていたリュートとランドルフの間に、ママが割って入る。つまり、舞踏会場で名乗るときの為に、偽名を付けろ、と言いたいのだ。

「うーん……。女の名前ねえ。思いつかないや。ねえ、ランディ。あんた決めてよ。ほら、あんたの初恋の女とか、そんなんでいいからさ」

 

「えっ……。は、初恋……?」

 

 リュートが、何の気なしに言ったただの軽口である。にもかかわらず、目の前のランドルフは今までにないような赤い色に、その頬を染め上げて、絶句していた。

 そのあまりにも、初々しい、少年のような表情に、かえって、リュートが戸惑ってしまう。

「え……。ちょっと、どうしたの? あんた、おかしいよ」

「な、な、な、何でもないっっっ!! そ、そんなの、お前が勝手に決めろ! 私は知らん!! そ、外で待っているからな!!」

 言うと、ランドルフはその染め上がった顔を隠すように、ぷい、と部屋から出て行ってしまった。そのいつにない行動に、リュートは不思議そうに、彼の後ろ姿を見送る。

「何、今の。変なの」

 訳がわからない、と言うように、つん、とその口を尖らせるリュートに、その一部始終を見守っていた娼婦のおネエさん方が、からみつくようにすり寄ってきて、彼に言う。

「もう、リューちゃんたら。おこちゃまねぇ。男の初恋って言ったら、そりゃあ、特別なもんなのよぉ」

「そうよ。だから、あんまり聞いちゃ、かわいそうよぉ。彼にとって、そりゃ、甘酸っぱい思い出なんだからぁ」

 

「ふーん。僕にはそういうの、よくわからないや」

 

 

 

 

 もう日も暮れて、辺りが闇に支配される頃、王都中心部の王宮では、その闇に対抗するかの如く、煌びやかな灯りが、これでもかと灯されていた。そして、鳴り響く、ラッパの音。

 舞踏会場である王宮の大広間には、既に、煌びやかなる、貴族達が、その色とりどりの衣装と羽を揃えて、踊り始めている。その様子を横目で見ながら、王子、ヨシュアは次々と挨拶に現れる貴族達の相手をしていた。以前なら、下らない、と逃げてしまっていた、彼らとの会話も、今では重要な政務の一つだ、と割り切って務めることが出来る。ここから、色んな情報を引き出し、また、信頼できる者、そうでない者を、この目でより分けることが出来るのだから。

 彼が、その様な心持ちになることが出来たのは、ひとえに、ある男に叱責を受けたことによるところが大きい。その、恩人とも言えるべき男に、今日も会って、是非話がしたいと望んで、先ほどからちらちらと会場を気にしているのであるが、一向に、その姿は確認出来ない。

 白い羽に、金髪だから、目だたない訳がない。何より、貴婦人達が放っておくはずがない。

 

 ……彼に、何かあったのか?

 貴族達との会話を続けながら、そう内心で、恩人の身を案ずる王子の前に、今度は黒羽の若者がその姿を現した。

「ランドルフ殿!」

「王子。本日はこの様な宴にご招待頂きまして、誠にありがとうございます。聞けば、この宴、貴方の立太子の礼の先祝いも兼ねておられるそうですね。心から、お喜び申し上げます」

 そう、恭しく腰を折る東大公家の若君の後ろに、王子は色とりどりの女達の姿を発見する。

「あれ。貴方がそんなに女性を連れているの、珍しいね。エイブリーなんかは何人か連れているのが当たり前だけど」

 その鋭い指摘に、ランドルフは内心で、ぎくり、と動揺しながらも、爽やかな笑顔で答える。

「ええ。みんな東部の地方領主のお嬢様方でして、今日、初めて宮廷に出られるというので、私を頼って来られたのですよ。王子、良ければ、彼女達とも懇意にしてやって下さいね」

「ああ、もちろん。あ、そう言えば、今日リュートは来ていないのか? 彼に会いたかったんだけどな」

 残念そうに、その青い目を伏せる王子を前に、ランドルフはその全身に、嫌な汗を、これでもか、と、かく。まさか、この後ろで自分の腕に掴まっている扇を持った女が、彼です、と、言える訳がない。

「あ、あいつはですね。急な病で伏せっているそうで。め、面会謝絶だって、会わせてももらえませんでした」

「そうなのかぁ。残念だな。うん、貴方だけでも、楽しんでいってね。お嬢さん方も、また」


 言うと、王子は些かもランドルフの後ろの女の正体に気づかぬ様子で、他の貴族達の間へと戻っていった。その様子に、ランドルフがほーっ、と安堵の溜息を漏らして、しみじみと言う。

「ばれないもんだな。あのママのテクニックは恐ろしいな」

「うふふ、その代わり、他の貴公子が、僕のこと、どこの貴婦人だって目で狙ってるよ。他の男に愛人とられないように、きっちりガードしてよね」

「いっそ、お前なんぞ、誰かに熨斗付けてくれてやりたいわ、この山猫め」

 ひそひそとランドルフと会話をしながら、リュートはそのベールの下から、会場全体を窺って、誰がこの場に出席しているのかを探る。

 ……国王、王妃、王子はもちろん、宰相に、北の大公とその息子、それから、近衛隊長に、歌姫、東大公夫人。役者はあらかた揃っているが、いつもの如く、南大公の姿はない。それと同時に、ある人物が欠席していることに、リュートは気づく。

「お宅のお父さん、来てないね。レギアスや、オルフェの父親達も、だ」

「そう言えば、そうだな。私も、ここの所、顔を見ていないが」

「……ふうん」

 その事実に、リュートはまた何か考え込むように、その眉根を寄せた。何か思うところがあるのだろうに、その事をランドルフに話そうとはしない。

 

「ねえ、リューちゃん……じゃなかった、リーシャちゃん。そろそろ予約の時間じゃない? いいの?」

 ランドルフを取り巻いている貴婦人……に扮した娼婦のおネエさんのその指摘に、リュートは思い出したように、その手をランドルフの腕から、するり、と離した。ちなみに、偽名はいいのが思いつかなかったので、義母の名を勝手に拝借している。

「ああ、そうだ。行かなきゃね。そうでなければ、こんな格好した意味、ないもんね」

 どこへ、と言わずとも、ランドルフには、彼が行かんとしている場が、どんなところか、察してあまりあった。

 とてもではないが、普段の格好では入れない場所。普段の、貴公子の格好では、すぐに近衛兵に見つかって、何を咎められるか分からない場所。

 そう……後宮だ。

「リュート、気を付けろよ」

 そう声をかけるランドルフの心配を余所に、美麗なる貴婦人は余裕の笑みで、その扇を一振りすると、一言、不敵に言い放つ。

 

「さぁて。狐狩りと行きますかね」

 

 

 

「……狐狩り?」

 残された言葉に、ランドルフは、後宮へと去っていくリュートの後ろ姿を見つめながら、あの銀狐親子の事を言っているのか、とその頭を悩ます。そんな彼の腕から、また、するり、と女の手が解けた。

「それじゃあね、ランちゃん」

 そう耳元で艶めかしい声が響くと、連れてきた四人の娼婦達が、みんなランドルフの体から次々と離れていく。

「おい、お前達、どうしたんだ? まだ、宴は始まったばかりだぞ?」

「ごめんね〜、ランちゃん。貴方の相手、してあげたいのはやまやまなんだけどぉ。でも、あたし達、リューちゃんから、他の男を相手にするようにって、頼まれてるのよぉ」

「そうなの。だから、また今度遊びましょ? お店に来てくれたら、サービスしてあげるから。ね?」

 言われた言葉に、ランドルフはその目をただただ丸くすることしか出来ない。

 何故ならば、こうして、連れてきてやった礼に、女を四人も用意しておくとはあいつもなかなか気が利くじゃないか。今夜はこの女達とたっぷり遊んでやろう、という下心が、ついさっきまで、ありありと溢れていたというわけで……。

 

「じゃあね〜。まったね〜」

 軽やかに去っていく四人の娼婦達の後ろ姿に、ぽつん、と残されたランドルフは、その心に、一つ、きつく思う。

 

 ――あの馬鹿たれ!! どこまで私をコケにしたら気が済むんだ!!!

 

 

 

 

 こつり、こつり、と踵の高い靴をならして、リュートは今まで足を踏み入れた事がなかった後宮へと、その歩みを進める。女官の案内で通される後宮は、王宮の中でも一際派手な内装で、少女趣味、とでもいうのだろうか、やたら、うねうねとした植物文様が入った柱だとか、ロマンチックな甘ったるい絵画だとかが目に付いた。

 だが、さすがに、今、舞踏会が開かれて、王妃を初めとした貴婦人らがあちらに出払っているため、この後宮も、しん、と静まりかえって、その装飾がかえって寂しく感じられるほどだ。そんな中で、先に歩いている案内役の女官が、リュートに静かに告げる。

「ロクールシエン夫人のご紹介、と言うことで、今日、特別占って下さるそうですが、どうぞ、粗相のないようにお気を付け下さいましね。その占いの精度を上げるため、占い師様は占われる方以外の入室を許可なさいませんので」

「……そうなんですか」

 極力努めて、高い声でリュートは答えた。なかなか、ママのような色っぽいハスキーボイスという風にはいかない。

「それから、占い師様には嘘はつかれないでくださいましね。何でも、お見破りになってしまわれる方ですので」

 その高飛車な女官の言い様に、リュートは内心で、べえ、と舌を出してみせる。

 ……そんなにお見通しなら、今ここで僕が男だって見破って、つまみ出してもよさそうなものなのにな。所詮は、占いなんて、インチキに過ぎないのさ。

 そう、一人ごちたその時、前を進んでいた女官の足が、ぴたり、と止まった。

 

「さあ、こちらです。どうぞ、お入り下さい」

 

 案内されたのは後宮の奥まった一室。閉まった扉の外にも、声がもれないようにするためか、大きなカーテンが張ってあって、物々しい雰囲気が感じられる部屋だ。

「中に入ったら、全て、占い師様の言うことをお聞き下さいまし。そうでないと、神罰が当たりますよ」

 ……神罰だって。

 言われたあまりにも滑稽な台詞に、リュートは思わず吹き出しそうになる。だが、これがきっと、夢見がちな貴婦人達へのいい牽制になるのだろう。こう言えば、並のお嬢様なら、震え上がって、余計なことなどせぬはずだ。

「それでは、中では決して大声を出しませぬよう。そして、占い師様にはお手を触れぬよう、お願い致します。その千里眼の力が失われてしまいますので」

「……はい。わかりました」

 リュートのその承諾を受けて、扉が開かれた。中に進むと、幾重にも焚かれた香の香りが、これでもかと部屋に充満している。その暗くて、抹香臭い部屋の中、天井からつり下げられたカーテンの向こうで、一つ、人影が動いた。

 

「ようこそ。ロクールシエン夫人ゆかりのお嬢様。私は占い師、シルヴィア。どうぞ、お掛けなさい」

 

 まだ若い、涼やかな声だ。その声に、くっ、と一つリュートは笑いを漏らすと、変わらぬ貴婦人の歩みで、しずしずとその部屋の中を進む。そして、その閉ざされたカーテンの前に用意された椅子に腰掛けると、その顔を扇で隠して、またも作った高い声で、挨拶をする。

「リーシャ、と申します。占い師様。お会いしとうございました」

 そう、静かに頭を垂れると、ゆったり、と目の前のカーテンが開けられた。それと同時に、窓から差し込む月明かりに、照らされて、一人の人物が姿を現した。

 

 頭から、すっぽりと黒いローブに覆われた、小柄な人物。辺りが暗いのと、そのローブに阻まれて、その人物がどのような顔をしているのかは、まったく判別が出来ない。

「それでは、早速占いを。私の千里眼は、何でもお見通しです。そう、貴方の全てを見通せる……」

 そう言いながら、占い師は、そのローブの下から水晶玉を取り出すと、リュートが座っている椅子の前に置かれた机の上に、それを恭しく置いた。そして、リュートと対面するように座ると、その玉を撫でるように、触り始める。

 

 と、突然、その占い師の手が、その水晶に押しつけられるように、きつく掴まれた。そして、それと同時に、響く、不気味な笑い声。

 

「く、くくくく。笑わせるなぁ。千里眼だって?」

 

 この後宮にある部屋に響いた、紛う事なき男――リュートの声に、占い師はその身を、びくり、とよじらせる。だが、それもできない。

 その手は、未だ、きつく男の手によってつかみ取られたままだからだ。

 

「な、何を……」

 狼狽える占い師に構うことなく、尚も、部屋に男の声が響く。

「一体、いつ、そんな能力身につけたんだぁ? ああ、もしかして、あの時か?」

 

 その、何かを追いつめるような迫力のある声に、占い師はさらに激しく抵抗の色を見せる。

「忘れた、とは言わせないよ」

 そんな抵抗を、物ともせず、リュートはその手に尚も力を込めて、占い師の体を、自分の方に、引き寄せた。そして、その顔が近づいた途端、おもむろに、自分の顔にかかっていたベールをはぎ取る。

 そこから現れる、碧の瞳に、占い師はその身が、まるで雷に打たれたかのように戦慄した。そして、その怯えた隙に、男の手が、今度は占い師の顔にかかるローブに伸びる。

 

 ばさっ、という衣擦れの音と共に、隠されていた占い師の顔が、露わになった。

 そこから現れた顔に、リュートの顔が、にやり、と激しく歪む。そして、先の言葉を、不敵な声音で紡いだ。

 

「あの時……。そう、僕に、その右目、奪われた時か?」

 

 ローブの下に、隠されていた物。

 それは、艶やかな黒髪、男か女か判別出来ないあどけない顔。そして……その右目が失われている事を現す、黒い眼帯。

 

 その隻眼の占い師に、リュートはその口を歪めて、堂々とその名を言い放つ。

 

 

「よお。久しぶりだな、アラン」

 

 

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