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第四十一話:変人

「お前、……それでどうしたんだ」

 

 リュートの口から聞かされた、劇場でのあまりの顛末に、ランドルフは顔面蒼白になって、絶句しながらも、ようやくその言葉を絞り出した。

 

 まだ刺すような寒さが染みる、冬の早朝から、呼び出されたシュトレーゼンヴォルフ邸に、レギアスを連れてこい、と言われて来てみれば、この、話である。とても、爽やかな朝に、聞くに堪えないような、『日和見大公』の、性癖……。

 その驚愕の事実に、ランドルフ、レギアス共に、開いた口が塞がらないのだが、その大公に会った当の本人と来たら、何食わぬ顔で朝のお茶を優雅にすすっている。そして、この爽やかな朝に増した笑顔で、しれっと答えた。

 

「どうって? 勿論、お願い、きいてあげたに決まっているじゃないか」

 

 その返答に、ランドルフ達二人の顔が、蒼白を通り越して、真っ白になる。そして、二人して、目の前に悠々と腰掛けたままのリュートに掴みかかって、激しく唾を飛ばして激高した。

「ば、ば、ば、馬鹿たれが!! お、お、お、お前、いくら南部大公を動かしたいからって、何て言う事を!! よ、よ、よ、よりによって、その、だ、だ、だ、男……色家の男の言う事なんか!! プライドはないのか、プライドは!!」

「そうだぞ、リュート!! お前は、もっと自分の身を大切にしろ!! お、お、俺は許さないからな! だ、だ、大事な弟子が、そ、そ、そんな男と……」

 掴みかかる二人の男の、おたおたと慌てふためく様子にも、リュートはその眉一つ動かす事はしない。さらに、しゃあしゃあと、大胆な台詞を言ってのけた。

「言っただろ? どんな手を使ってでも、彼を動かして見せると。大丈夫、大丈夫。僕、初めてじゃなかったし」

 

「…………」

 

 もう、こうなると、男達の口から、ぐうの音も出ない。二人して、その体を彫像の様に、固まらせるのみである。

「は、は、は、初めてじゃないって……」

 ようやく、それだけランドルフが口から絞り出す。それに、リュートは楽しげな表情を浮かべながら、何かを思い出すように、その人差し指を口元に当てて、考え込む。

「ええと、そうだなぁ。最近だとリザにもしてあげたし、そうだ。確か半島にいた時、鍛冶屋の親方にもしてあげたなぁ」

「か、か、か、鍛冶屋の親方?」

 出された意外な人物に、ランドルフの顎はもう、すぐにも外れそうな勢いだ。……ええと、確か、あのエルメの裏切り行為に利用された、出っ歯の面白い顔の男……。

「お、お、お、お前、そんな男にも……」

「そ、そ、それから、あの『黒犬』にも、だって……」

 あまりの衝撃の告白に、二人の男を、くらりと眩暈が襲う。

 ……ああ、何て事だ。こいつも、そんな性癖だったなんて。確かにこいつなら、男でも女でも選びたい放題だが、よりにもよって、鍛冶屋の親方やら、黒犬やら、ましてや、死神やらを選ばなくったっていいじゃないか。

 

 そんな、男達の苦悩を余所に、コンコン、とリュートの部屋のドアがノックされた。

「リュート様、南部大公様、お見えですぅ」

 

 ――な、南部大公?!

 

 言われたメイドの言葉に、ランドルフ達二人は、更に恐れおののいて固まる。今、さっきまで、話題にあがっていた例の男色家の事である。

「ああ、入ってもらいなさい」

 真っ白に硬直している男二人を尻目に、この家の主人がそう命ずると、すぐにその後ろから、暗い雰囲気を撒き散らしながら、男が入ってきた。とても、この爽やかな朝にふさわしくない、死神の様に陰気な男である。

「いや、久しぶりに日の光に当たりましたンで、干からびてしまいそうです」

 そう溜め息をつく姿は、まるで墓から起きだしてきた死者を思わせるほど、じっとりと暗い。その男の顔を見るなり、それとは対極にあるような、輝かしい爽やかな微笑みを向けて、リュートが声をかける。

 

「よお、来たか。ド変態」

 

 さらっと言われた、余りの暴言に、再びランドルフ達は絶句する。

 ……相手はいやしくも王国第二位の大公であるのに、何て事を……!! いくら、その性癖が普通と違うからといって、こんな人の面前で、堂々とそんな事を言うなんて、一体どれ程の怒りを買うことか……!

 そう、恐れおののくランドルフ達を尻目に、暴言を吐かれた死神の方は、その陰気な頬に、ほんのりと桃色の生気を蘇らせて、恥ずかしげに首を横に振った。

「ああ、そんな、人前で、その様な愛の言葉を、囁かれるなンて……。羞恥心で悶えそうです……」

 

 その骸骨がうっとりと恥じらう、という驚愕の光景に、ランドルフは自分の目が壊れてしまったのか、それとも頭が壊れてしまったのか判断が付かない。何よりも、訳が分からぬのが、『愛の言葉』、という台詞だ。その台詞に、嫌な予感を感じ取ったランドルフは、停止状態の頭を、何とか働かせて、恐る恐る、リュートに尋ねる。

「おい、お前、……一体何をした」

 

 その問いに、返ってきたのは、先の微笑みにも増した、清涼感たっぷりの微笑みだった。

「ん? 踏んで欲しいって言うから、思いっきり、踏んであげただけだよ?」

 

 ……フンデホシイッテイウカラ、オモイッキリ、フンデアゲタダケダヨ。

 ランドルフ達には、その言われた言葉の意味が分からない。

 そんな彼らを尻目に、南部大公トリスタンは、その暗い瞳の目尻にかかる、丁度こめかみの辺りの髪の毛を掻き上げて見せた。そこには、まだ真新しい、大きな痣が一つ。

「いや、とても、素晴らしいひとときでした。貴方様に、あれほど見事に加虐されるなンて……」

 その言葉に、ランドルフはようやく、一つの事実を理解する。……ああ、この痣は、リュートの足の跡か。あ、そう言えば、いつぞやもこいつ、鍛冶屋の親方の顔、踏みつけてたっけなー。ははは、ははははは。……訳が、……分からん。

 ランドルフの心の声を、悟ったのか、リュートが補足するように、また、爽やかに笑って言った。

「ああ、こいつね。男に踏まれたいド変態だから」

 



 

 ――すぅーー……、はぁーー……。

 

 暫くの沈黙の後、ランドルフ達は深い深呼吸をして、ようやく、その口を開く。

「あー……、あれだ。うん、リュート。この、この、胸のモヤモヤを晴らすために、この椅子投げつけてもいいかな?」

 

「うん、投げるんだったら、このド変態にね」

 ランドルフの申し出に、リュートはそう、快く了承して見せた。だが、言われた当の本人は、その言葉に不満げな面持ちで反論する。

「何を仰いますか、麗しき白羽の君よ。私はね、男だったら誰でもいいなンて、節操なしじゃありませン。貴方に加虐されるから価値があるンではないですか。こんなロクールシエンの黒羽のぼっちゃン、私の好みではありませン」

「……はい、結構です」

 言われたありがたい台詞に、ランドルフは遠い目をして、それだけ呟く。それを受けて、南部大公が彼に侮蔑、とも取れるような眼差しを向けて、言う。

「加虐、とはね、限られた者にしか許されぬ行為なンです。圧倒的に美しく、こちらがひれ伏さずにおれないような方だけが持つ特権なンですよ。そこの所、ご理解頂かないと」

 理解など、したくない!、と内心で叫ぶランドルフに構わず、南部大公はさらに持論を展開させていた。

「そこらの野良犬なンぞに踏まれても、ただただ屈辱でしかないンです。踏まれるなら、いっそ獅子に踏まれないと。圧倒的な王者の前にひれ伏す感覚。それこそが、最高の悦楽、という奴なンです」

「……ね、ド変態だろ? こいつ」

 うっとりと甘い思い出に浸る骸骨の横で、英雄が侮蔑すら通り越した爽やかな笑顔で、そう言い放っていた。そのようやく理解した大公の独特の性癖に、ランドルフは父親の言葉を思い浮かべて、内心で呟く。

 ……ああ、あの親父の言う事は確かだっだ。確かに、こいつは会わないに越したことはない、『変人』だ。それも、究極の。

 

「ところでさ」

 にま、と含むような笑いを浮かべて、リュートがうなだれているランドルフを覗き込む。

「……何、想像してたの? ん?」


 ――にやにやにやにや。


 その嫌らしい笑いに、ランドルフは顔を上げることも出来ずに、ただただ、この床を転がり回りたい、とさえ思った。いや、もういっそ、そこの窓、この机で割り破って、飛び出して行きたい。

 そんな彼の様子に、少々嫉妬したような声で、死神が言う。

「あなた方が想像しているような、下卑た関係、私達の間にはありませンよ。接吻はおろか、私はこの方に指一本触れておりませン。この方はそういう類の方じゃ、ないンですよ」

 そして、尚もその落ち窪んだ眼窩に、暗い色を滲ませながら、馬鹿にしたように、吐き捨てた。

「大体ね、ただ、愛欲のままにその体を求めるなンて、おぞましいことだと思いませンか。そンなの獣と変わりませン。私たちには知性、という物があるンですから、もっと、高尚な愛の形を模索するべきです。そう、肉体を越えた、精神の交わり……。それこそが、至上の喜悦なンですよ。女にはそれが出来ないンです。まだ、若い頃はいいですが、結婚でもしたら、やれ、ドレスがどうだ、余所の奥方がどうだと、本当に世俗的で喧しくていけない」

 この、呆れるほど堂々とした死神の持論に、即座に食いついたのはレギアスだった。

「なーに言ってんだよ!! この世に女がいなかったら、俺は生きてる意味ないだろうが!! 女は男の生きる希望! 女は男の癒し!! このド変態野郎が!!」

「ああ、美しくない方からの、罵りの何と醜悪なことか。そこに喜悦など一欠片もない、ただの騒音、いや、冥府に巣くうけだもの共の鳴き声だ」

 

 ――ドフッッ!!

 

「いい加減にしろ、このド変態!! そんな事を言いに来たんじゃないだろう。さっさと頼んでいたものを出せ」

 リュートの足が、華麗に死神の腹を蹴り倒していた。その攻撃に、骸骨の様な体躯を揺らしながらも、トリスタンは喜悦の表情を浮かべる。そして、彼の言う通りに、その痙攣したままの懐から、一つの包みを取りだした。

「いや、ずっとしまい込ンでいたままだったので、探し出すのに、苦労致しました。我が麗しの白羽の君。これが貴方様のお望みの物でございます」

 そう言うと、その包みを恭しくリュートの前に差し出した。そして、その中を、リュートが確認するなり、にや、とその口が不敵に笑う。

「ご苦労。いい子……いや、悪い子だね、トリスタンは」

 ぞっとするような魅惑の笑みで、言い放たれたその加虐の言葉に、くらり、と骸骨の体がよろめいた。その様子に、ランドルフ達は、世界の果てまで見通すような遠い目で、一つ思う。


 ……何という、……何という、需要と供給のバランス……。


「それじゃ、もうお前には用はないから、さっさと帰れ。次の御前会議まで、お前の顔など見たくもない。……失せろ」

 その、おそらく、リュートの素の本心からの言葉にすら、南部大公はその骸骨のような落ち窪んだ瞳をきらきらと輝かせた。そして、部屋から素直に出ていくと共に、またもうっとりとした台詞を残していく。

「ああ……。放置ですか。これは、また、なンと素晴らしい加虐……」

 



 

 ――すぅーー……、はぁーー……。すぅーー……、はぁーー……。

 

 再びの深呼吸の後に、部屋に残されたランドルフ達が、呟く。

「なあ、ちょっと、そこの窓開けて、思いっきり叫んでいいか」

「俺は、この机、ひっくり返して、部屋中叩き壊していいか」

 そう言う彼らの頬は、先の骸骨に似て、げっそりと痩けていた。

 

 

 

「まあ、まあ。口直しに新しくお茶にしようよ。丁度ガリーナのパイが焼き上がる時間だしさ」

 あまりに陰気でやるせないこの場を何とかしようと、リュートがメイドに命じて新しいお茶を用意させた。途端に、焼き上がったパイのおいしそうな香りが、部屋中に広がる。

「うーん、今日のパイも素晴らしくおいしそうだね。うん、ガリーナはきっといいお嫁さんになるよ」

 家の主人から言われたその賞賛に、パイを運んできた三つ編みのメイドは、そのそばかすのある頬をほんのりと上気させて、恥ずかしげに答える。

「いやぁ、そんなこと言われたかて、うちはリュート様のお嫁さんにはならしまへんえ。うちは、もっと大人の男の人がええのん」

「大人?」

「せやぁ。大人で、知性的で、でも、かわいらしさがあって……。リュート様は、申し訳ないんやけど、うちの好みやないんよ」

 さっきまで死神が絶賛していたこの主人を、三つ編みのメイドはあっさりとその言葉でふって見せた。これには堪らず、三人の男が苦笑する。

「ああ、いつ、あらわれるんやろ、うちの王子様は……」

 うっとりとその頬を染めて、もじもじとその三つ編みをいじるガリーナの後ろで、今度は厳つい男の声が響いた。

 

「おい、隊長。なんかしんねーけど、眼鏡のにーちゃんが、あんたに会いたいって来てんぜ」

 

 黒犬と呼ばれていた、リザの声だ。そのあまりに汚い言い回しに、即座にリュートのフォークがリザの頬を掠める。

「『隊長様、私めは存じ上げない方ですが、眼鏡をおかけになった紳士が、隊長様を訪ねてきていらっしゃいます。いかが致しましょうか』だろうが! この駄犬!! いい加減覚えろ!!」

「……はい。い、い、以後、気をつけます」

 うっすらと頬に血を滲ませながら、駄犬、と言われた男、リザが震える声でそう答えた。そして、その全身脂汗のリザの後ろから、あきれ果てたような声が響く。

 

「相変わらず、恐ろしいな、お前は」

 

 それはよく見知った、眼鏡の小男――オルフェだった。その変わらぬ佇まいに、リュートがその目を光らせて、出迎える。

「オルフェ!! 帰ってきたの?!」

「ああ、さっきロクールシエン邸に行ったら、みんなこっちにいるって聞かされて、その足で来た。ふぅー、さすがにレンダマルは遠かったな」

 言いながら、オルフェはいつものように、その眼鏡をきらり、と光らせて見せた。

 その仕草に、リュートの傍らにいたメイド、ガリーナの手から、ぼとり、とお盆が落とされる。メイドのいつにない様子に訝しく思うリュートに構わず、彼女はその目を輝かせて、うっとりと呟いた。

「おった……。うちの王子様や……」

 

 

 

 

「ガリーナ……。これ、ちょっと、違い過ぎるんじゃないのかい」

 目の前の光景にあきれ果てた主人の呟きを、まったく意に介さず、ガリーナは尚もうっとりとした声で言った。

「どうぞ、召し上がってください。オルフェ様。うち、ガリーナていいます」

 そう言って差し出されたパイは、さっき主人やランドルフ達に出されていた物よりも、さらに、豪華に、クリームやら木の実、ベリーなどで、これでもか、と飾り付けがされている三段重ねのパイだった。そして、その恐ろしい量のパイを目の前におののくオルフェに構わず、ガリーナは続ける。

「あの、うち、お料理とっても得意です。それに、お洗濯も、お掃除だって。体も丈夫やし、いっぱい子供生めます。せやし、せやし……」

 そして、一言、驚愕の言葉を紡ぎ出す。

 

「うちと結婚してください、オルフェ様!!」

 

 ――……ぶぅっっっっ!!

 言われたあまりの台詞に、居合わせた一同が、思いっきりお茶を吹き出した。その中で、リュートだけが、何とか気を保って、メイドに尋ねる。

「ちょ、ちょ、ちょっと、ガリーナ。いきなり何言って……」

「どんぴしゃなんよ、この人!! うちの理想そのものなん!! 今、一目見た瞬間に、びびびってきたんよ!! この人が、うちの運命の人やって!!」

 その突然の愛の告白に、ようやく言われた当の本人が口を開いた。

「あ、あ、あのな、落ち着いてくれ、君。わ、私はそんな結婚とか、考えてなくて……。大体会ったばかりじゃないか……」

「愛に時間なんて関係ありまへん! 好きなモンは好き! 今すぐでなくてええから、うちと結婚して!!」

 ストレート過ぎる愛の表現に、オルフェには返す言葉がない。ただただ、遠い目で、くらり、と眩暈を覚えるのみである。そのつれない様子に、使い終わった食器を片づけながらも、ガリーナはさらに言いつのった。

「そんな、冷たくされると、うち余計燃えてしまうわ。うち、絶対諦めへんからね。よう覚えといて」

 まるで愛というよりも、因縁めいた台詞を残して、三つ編みのメイドは軽やかに去っていった。その後ろ姿と、机の上のパイの三段タワーに、レギアスが爽やかにその歯をきらり、と光らせて、オルフェの肩を叩く。

「嫁ゲット、おめでと!!」

「……わ、私は了承していないぞ!! リュート、何だ、あのメイドは!!」

 

「まあまあ、可愛い子だし、仲良くしてやってよ、オルフェ。それよりもさ、お帰り。よく帰ってきてくれたね。それで、首尾の方はどうだい?」

 その言葉に、オルフェはさっきのメイドの件を頭から追いやって、真剣な面持ちで答える。

「上々も、上々。やっぱりお前の読み通りだった」

 そう言うと、抱えていた鞄から、何やら書類のような物を取りだしてみせる。

「レンダマルの資料庫にあったぞ。神殿への供物の奉納記録だ。お前のその首飾りの日付の、な」

 言われた言葉と、差し出された書類に、リュートの顔が、一気に神妙なものに変わる。そして、舐めるように、その書類を読むなり、にや、とその口が歪んだ。

「やっぱりね。そうじゃないか、と思ったんだ。あーあ……、本当に父様は何て事を……」

 呟く様に言われた台詞に、ランドルフがすぐに食いついた。

「父親? お前の父親が、何かしたのか?」

 リュートはその問いに答える事なく、また訳の分からぬ事を一人ごちる。ご丁寧に、ふん、という侮蔑の鼻息までつけて、である。

「まったく、英雄が聞いて呆れるよ」

 

「――それから、一応、念の為、クレスタにも行ってみたんだ」

 ランドルフがさらに尋ねようとするのを遮って、オルフェがそう報告を続ける。

「そうしたらな、案の定だ。しっかり改竄されていたよ。おおよそ、一年、な。……これって、つまりお前……」

 知ってしまった事実に、オルフェはその眉根を寄せて、リュートに詰め寄る。だが、リュートはその明確な答えを彼に教えようとはしない。ただ、その懐から、金貨を出して、オルフェに握らせると、――口止め料だよ、もう少し黙っておいて、と言うだけである。

 

「さてさて、証拠は出揃ったね。後は――……」

 訳の分からぬ三人を余所に、リュートは一人だけ、その顔に、不敵な笑みを浮かべて、何やら考え込む。

 

 その時、またも部屋がノックされて、今度は眼鏡の老婆、メイド長ザビーネが入ってきた。

「リュート様、お客様、お見えのところ、えろうすみません。少々、お耳に入れたいことが……」

 言うと、老婆は心得たように、主人の元にそそくさと駆け寄って、耳元で囁く。

「……またです。今日、仕入れた食品に、また入ってました」

 それだけ報告を聞くと、またも、リュートの鼻から、ふん、と馬鹿にしたような息が漏れた。そして、一言、憎々しげに呟く。

「僕を殺したいなら、直接刺しに来い、とでも言ってやりたいね」

 

 語られたその驚愕の言葉に、ランドルフ達が聞き捨てならない、と即座に食って掛かった。

「おい、どういうことだ。お前を殺すって」

「……毒だよ、毒。この家に外から仕入れられる食品に、毒が混入していたのさ。勿論、致死量ね」

 あまりに平然と言われた事実に、ランドルフ達は再び絶句して、リュートの顔を見遣る事しか出来ない。

「これで、二度目だ。本当に、うちのメイド長は優秀で助かるよ。ありがとう、ザビーネ。もう下がっていいよ」

「に、二度目って……。一体誰がそんなことを……?」

 額に嫌な脂汗を吹き出させて、ランドルフが問う。

「決まっているだろう? いつぞや、僕を拉致しようとした人物だよ。今度は拉致なんて生ぬるい事せずに、最初から殺しにかかってきたらしい」

「そ、そんな……」

「だから、僕はこの家に信用出来る三人の召使いと番犬であるリザしか置かないのさ。リザの話によると、夜、怪しい影がうろつくのを見たのは一度や二度じゃなかったらしい。ま、僕はいつも帯剣しているし、そうそうのことじゃやられないと思うけど、毒だけは、ね」

 自分の命が狙われているというのに、この堂々ぶりである。相も変わらず、ランドルフにはその神経が理解出来ない。そんなかつての主君を尻目に、英雄と呼ばれる男は、尚も恐ろしく、大胆な言葉を放ってみせる。

「余程、僕の事が邪魔らしいねぇ。とりあえず、ザビーネのおかげで、二度回避出来たけど、そろそろ毒を飲まないと、まずいかな」

 

「ど、毒を飲むって、お前……!!」

 

 せっかく回避出来た毒を飲む、というまた訳の分からぬ行動に、男達三人は、よりその表情を青ざめさせる。だが、リュートはそんな彼らの心配を毛ほども気にせぬ様子で、またもしれっと言い放つ。

「大丈夫、大丈夫。死なない飲み方だからさ。でも、その前にやっておくことがあるんだ」

 リュートはそう言うと、何か意味ありげな眼差しを浮かべながら、自分の剣の師匠であるレギアスの元にやってくる。


「ねえ、レギアス。今日来て貰ったのは、あんたに頼みがあるからなんだ」

 その甘えたような声音と目線に、レギアスはすぐに嫌な予感を覚える。いつもこいつがこうやって、ねだってくるのは、どうせろくな事でないと、最近、特に分かってきているからだ。

「もう、そんな警戒しないでよ。ねえ、こないだ、僕があげたお金でさ、行ってきたんでしょ? 高級な、お店」

「え? ええ? そ、そりゃあ、勿論、あんだけの金貨だから、一番いい所行ってきたさ〜。そりゃあもう、女の子のレベルも高いし、何よりもあのテクニック……」

 口元に涎を垂らしながら、レギアスはその脳裏に、いつか見たピンクの天国を思い出す。女たらしと言われて久しいレギアスですら、一晩で骨抜きにされた、色とりどりの女の子達。

「ねえ、そこって、高級で、滅多に庶民は行けないようなお店なんでしょ? 例えば、高位貴族とかがお忍びで利用するような」

「ん? ああ、そうだよ。その代わりえらい高くて、一晩であの金貨なくなっちゃったぜ〜。ああ〜、出来れば、もういっぺん行きたいなぁ〜」

 レギアスのその言葉に、リュートの碧の瞳が、きらり、と妖しく輝いた。そして、尚も、レギアスに甘える様にして言う。

 

「ねえ、僕も行きたいな、その娼館」

 

 この男からついぞ聞いたことのないその甘く、淫らな台詞に、ランドルフとオルフェが、またもその口に含んでいたお茶を、ぶっ、と吐き出した。

「リュート!! お、お、お前、娼館って、何をするところか、わかってんのか!!」

「わかってるよ。女を買う所だろ? 知らないの、ランディ?」

「……知っとるわ!!」

 勿論、ランドルフとて男なのだから、娼館の一つや二つ知らない訳ではない。だが、この、リュートという男にはあまりにも似つかわしくない場所に思えて、仕方がないのである。

 そんなランドルフの内心を悟ったかのように、リュートが不服げにその口を尖らせて、言う。

「僕だって、男なんだよ。女の一人や二人、買うよ。ねー、レギアス」

 小首を傾げて、可愛らしくそう同意を求められても、レギアスにはただ、引きつった笑みを漏らすことしか出来ない。

「え、ええ? でもさ、連れてけって言うけど、俺、お金ないし……」

「ん、大丈夫だよ。僕がレギアスの分も、出してあげる。ね、それなら、いいでしょ?」

 その悪魔がねだるような、微笑みと台詞で、一瞬にしてレギアスの目の色が変えられた。もう、誰にも止められる事の出来ない、ピンクの瞳である。

 

「おお、可愛い我が弟子よ。なんて、なんて、お前は素晴らしい子なんだ。よし、よし、お兄さんが正しい娼館での振る舞い方を、たーっぷりレクチャーしてやるからな。さあ、行こう。今すぐに行こう!!」

「……まだ、朝だよ、レギアス」

「うおおおお、憎いぜ、この太陽めが。沈め、沈め!! さっさと沈め!! 今すぐ、俺の前に、闇に妖艶に浮かぶ桃色の光を与えたまえ!!」

 

 そう言って、太陽に無理難題をふっかける師匠を、にっこり、と恐ろしい瞳で見つめながら、またもリュートがうふふ、と不敵に声を漏らした。

 

 

「そうそう。お楽しみは、夜だよ」

 


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