表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/113

第三話:暗殺

 有翼の民の王国、ミラ・クラースの歴史は、意外にも浅い。

 

 ミラはこの国の言葉で、『統一』を意味し、クラースはその背に翼を持つ民族の総称である。

 この民族は、センブリアと呼ばれる四方を海に囲まれた大陸に住む民で、その背の翼によって空を翔ることができるが、その周囲の海の過酷な環境から、外の世界とはほとんど交渉を持たぬ民族だった。

 かつてのセンブリアでは、特定の王は持たずに、クラース族が細かい部族ごとに分かれて、それぞれが自治を行う、という体制が長くに渡って続けられていた。

 だが、やがて文化が成熟するにつれて、部族同士の争いが増えるようになり、強力な部族同士の間で戦争が起こるようになった。

 血みどろの内戦が続けられるなか、大陸中央部のガリレアを本拠地とするガリア族の族長ピリスがこの戦乱に終止符を打つべく、『民族統一』を旗印に立ち上がった。

 各地の強力な部族はこれに激しく抵抗するも、ピリスの前には力及ばす、今からおよそ百年前に当たる1455年、ついにガリレアを首都とする統一国家ミラ・クラースが誕生した。

 このピリスの統一戦争において、最後まで抵抗したのが、ロクールシエン家が支配していたセンブリア東部だった。

 レンダマルはその東部一の都、そして統一戦争最後の抵抗派だったとして今も名高い、ロクールシエン家の本拠地である。

 

 



「市長、今日も熱烈な恋文が届いております」


 眼鏡をかけた小男が、呆れたように報告する。

「毎日ご苦労なことだ。まったくうれしいったらないな」

 若きレンダマル市長は、苦々しげにそう吐き捨てた。

「しかも今回は素敵なプレゼントつきときた」

 市長はその『素敵なプレゼント』を一瞥すると、ふん、と鼻で笑ってみせる。

「実に趣味のよろしいことだ」

「まことに」

 眼鏡の男はそう同意すると、持っていた『熱烈な恋文』を、市長に向かって、淡々と読み上げはじめた。

「『ガリアに尻尾を振る国王の犬共に告ぐ。我らはここに東部の誇りを再興たらしめ、我ら東部人による東部人のための独立国家建設を宣言する。これは、東部を堕落させたる犬共への正当なる天誅である。我らは独立国家建設という壮大なる夢の実現のためには、一切この手を休めるつもりはなく、理想国家の……』」

「あああ、もういい。まったく夢だとか理想だとか吐き気がする」

「まあ、あとは要するに、次はお前の番だ。覚悟しておけ、ということで」

「そうだな、大公が宮廷にでて、不在の今、次は私の番だろうな」

 ふう、と一つ嘆息すると、市長は『プレゼント』にかけられていた布をはぎ取った。

 

 それは、親国王派筆頭、レンダマル参議会議員、ルーツ・ルピスの無惨な姿だった。

 

 彼はその首を矢で一突きにされて、市庁舎にある自分の執務室に転がっていた。開け放してあった窓からの風のため、鉄くさい臭いがひどく鼻につく。

 

「『東部解放戦線』とやらの仕業か」

「はい」

「まったく、つい七年前までは祖国一致、民族団結、と叫んでおったくせに、帝国の脅威がなくなると、すぐにこの手の輩がでてくる。東部人の反骨精神は恐ろしいな」

「なにをおっしゃいますやら、生粋の東部人であられるあなたが」

 眼鏡の男の嫌みに、市長はにやり、と不敵に笑った。

「そうだな。生粋の反骨精神というのをみせてやろう。くだらん野良犬が、誰にむかって吼えているのか分からせてやろうではないか」

 市長は、その黒曜石にも似た漆黒の瞳を鋭く光らせる。そして、それに合わせるかのように、男もきらりと眼鏡を光らせた。

「それに付いてはすでに手はうってありますれば……」

 そう言って漆黒の剣を市長へと差し出す。

「相変わらず、侮れん男だな、オルフェ」

「お褒めの言葉は事が済んで後承ります。そろそろお時間です、ご用意を」

「うむ」

 市長は、揺るぎない信頼の眼差しを眼鏡の男に向けると、その背の漆黒の羽を翻し、執務室を後にした。

 

 



 レミル、リュートの兄弟は困惑していた。

 クレスタを旅立ち丸二日。彼らはようやくたどり着いたレンダマルの町並みに声を失った。クレスタでは見られなかった高層家屋の数々、色とりどりの品物が並ぶ市場、歴史を感じさせる重厚な作りの市庁舎、そしてそれら全てををぐるりと囲む高い城壁。その城壁の要所要所には、警備用か風見用と思われる塔が何本も空に向かって伸びている。

 人混みに驚きながらも、彼らは街の中心にある、兵士鍛練所にやってきていた。すぐにその場所が分かったのは、一番人混みでごったがえしていた市庁舎のすぐ向かいにあったからだ。

 

 レミルは通行人の一人に、ここが兵士鍛練所であることを確認した。確かに鍛練所だと答えが返ってくる。レミルはさらに続けて尋ねた。

「すごい人ですね。今日はお祭りですか?」

「いやいや、今日は市長が直々に嘆願書を受け取って下さる、月に一度の『見聞の日』だよ。まあ、単に市長目当ての若い娘達も多いがね。無理もないさ、市長は若くて色男だもの」

 その答えに、レミルはへえ、と感心する。こんな大きな都市になると、そうやって民衆の声を聞くのか。クレスタだったら、酒場にでもいけばすんだのにな……。

「なあ、リュート。ちょっと見ていこうか。まだ時間あるだろ?」

「何言ってるんだ。レミル、旦那様が言ったこと忘れたの?」

 リュートに指摘されて、レミルはようやく思い出した。あの父が何度も何度もしつこいまでに釘をさしていたことを。

 ……まずは、レンダマル鍛練所所長殿へご挨拶を。伺う旨は先に書簡で連絡をしておくから、くれぐれも粗相のなきように。くれぐれも、だぞ? いいな?

 あの父があそこまでいうからには、所長というのはそれなりの人物なのだろう。思い出すと、レミルは急に緊張し、冷や汗が出てきた。

「そ、そうだな。遅れちゃまずいもんな」

 

 


「ようこそ、ニーズレッチェ家のご子息方ですね。伺っております」

 予定より早く付いてしまったにもかかわらず、鍛練所受付の男はにこやかに出迎えてくれた。

「私、所長付き秘書のラスクと申します。大変申し訳ないのですが、所長は他の業務中でして、今はまだいらっしゃってません。あと半刻もすればこちらにいらっしゃるご予定ですので、少々お待ち頂けますか」

 申し訳ないも、何も、予定より早くついたのはこちらの方なのだ。待つことくらい、一向に構わない。

「先に所長室にご案内しますので、そちらでお持ちください。お茶をご用意しますので」

 

 荷物をすべて預けると、ラスクという秘書の案内で所長室に通される。四階にあるという所長室までの道のりに、レミルは秘書に問うた。

「あの、所長様はどのような方で」

 レミルがそう尋ねると、秘書は若干困ったような表情をみせる。

「ご多忙な方で、いつもいらっしゃらないんですよ。いろんな仕事を抱えていらっしゃる方ですから、スケジュール管理が大変で……。私などまだ慣れなくて、いつも所長室の管理がなっていないと怒られます」

「そ、そうなんですか……」

 結局、秘書の愚痴を聞いただけで所長室へ到着してしまった。秘書がにこやかにどうぞ、とドアを開ける。

 

 しかし、中の惨状に、秘書もリュートらも、一瞬でその声を失ってしまう。

 

 そこには、ぐがー、ぐがー、と熊が咆哮しているかの様ないびきを発した男が、椅子にふんぞり返って寝ていた。

 

 ……こ、これが所長か?

 リュート達は、驚きのあまり、互いに顔を見合わせる。その様子に、あわてて、秘書がかけよって、男を起こしにかかった。

「れ、レギアス様、所長のお席で何をされているんですか! 早く起きてください!」

 ううーんと男は唸るが、起きる気配はない。

「へへ、イレーネちゃん、もう飲めないって……。え、マデリーンまでよしてくれってば、へへへ」

 むにゃむにゃと寝言で女の名前を呼ぶ男に、秘書は痺れを切らしたかのように叫ぶ。

「レギアス様! お客様がお見えなんですよ! 早く席を外してください!!」

 どうやらこの男は所長ではないらしい。鍛練所の関係者のようだが、二人はその男の腑抜けた様子に、すっかり緊張も解れてしまう。

「ん? あ、ああ、起きる、起きますよ」

 寝呆けまなこで、男はようやく起き上がる。

 リュートより頭二つ分は高いであろう、長身の男だった。肩まである茶色の髪をクルクルとカールさせたその男は、その髪型に負けず劣らず、派手な顔立ちをしていた。服装も、いかにも軽薄で、遊び人、といった風情だ。

 レギアス、と呼ばれた大男は、リュートを見るなり、目を見張って、ずい、と顔を寄せてきた。

「おおお! 金髪碧眼! おまけに白羽!! なんて可愛子ちゃんじゃないの!」

 そう言って、今にもキスをせんばかりの距離で、リュートに迫る。

 

 ――やばい!

 

 レミルは、見逃さなかった。

 リュートの白い肌に、一瞬にして青筋が浮かび上がり、そして、その拳がギリッと音を立てて握られたのを。

 

「あああ、あの、すいません、こいつ男です、男」

 レミルは、あわてて二人の間に割って入る。その言葉に、レギアスという男は驚いた表情をしながら、ちぇっ、もったいないと口を尖らせ、リュートから離れた。

 その様子に、レミルはほーっ、と長いため息をつく。

 ……あのままだと、リュートは確実にこの男の顎を殴り付けてた、絶対に!

 いまだに威嚇するかの様な眼差しを向けているリュートを目の前に、レミルは内心で、そう確信していた。

 

「レギアス様! 貴方のお部屋にもお茶をご用意しますから、早くご自分のお部屋にお戻りください!!」

 その悲痛とも聞こえる秘書の申し出に、レギアスはひらひらと手を振って答える。

「何言ってんの。お茶は可愛子ちゃんと飲むもんなの。ここでこの子と飲むから、俺の分も持ってきて」

 そう言って性懲りもなく、リュートに触ろうとする。もちろん、リュートは今にも殴りかからんばかりに、レギアスを睨み付けている。

 ……頼むから……やめてくれ。

 レミルはそう呟いて、また深い、深いため息をついた。

 

 秘書がレギアスの言う通り、しぶしぶ、お茶をいれていると、向かいの市庁舎の鐘が高らかに鳴らされていた。

「ん、ああ、時間だな」

 レギアスはそう言うと、所長席の後ろにある窓から、バルコニーへと出ていく。

「君らもおいで」

 レギアスに誘われ、リュートらも外へ出る。そこは大通りに面しており、市庁舎がよく見渡せる位置にあった。

 市庁舎の正面バルコニー前には、若い女性を含めた多くの市民。一体何人くらいいるのか、ちょっと見当もつかない。

 

 高らかに、再びラッパが鳴らされる。

 それと同時に、バルコニー奥の幕が開かれ、一人の男が出てきた。

 

「きゃー!! 市長様ー!!」

 

 一斉に黄色い声があがる。

 その声に少しも揺るぐことなく、男は悠々とその歩みを進めていく。そしてバルコニーの一番手前に来ると、市民に向かって、ゆったりと手を振った。

 

 確かに、若い男だった。

 おそらくは二十代前半くらいだろう。遠目なのでよく分からないが、その人気ぶりからしてかなりの美男と推測される。

 何よりも印象的なのはその背の翼だった。夜の闇を思わせるほどの漆黒。そして、その翼に合わせたかのような黒髪に黒服。それは、距離があるリュート達にも伝わる、独特の威圧感があった。

 

「お茶が入りましたよ。レギアス様もさあ、どうぞ」

 市長の姿に見惚れるリュート達に、秘書がわざわざバルコニーまでお茶を届けてくれていた。リュート達は、それを受け取り、口をつけようとする。だが、目の前で繰り広げられる意外な光景に阻まれて、それに口を付けることはかなわない。

 

「な、なにやってるんですか! レギアス様!!」

「よっこらしょっと」

 いきなり、レギアスがバルコニーの柵を乗り越え始めていた。その背の翼を一つ羽ばたかせると、そのままバルコニーの下へと潜り込む。

「れ、レギアス様! お茶が入ったって言ってるじゃないですか。早く戻って来て下さい」

 秘書の呼びかけに答えるかのようにして、すぐにレギアスが戻ってくる。

 

 だが、帰ってきたその手には、彼の身長の半分はあろうかという大きな弓と、数本の矢がしっかりと握られていた。

 

 そのあまりの意外な行動に、あっけに取られ、お茶を飲むどころではないリュート達を尻目に、レギアスは無言でバルコニーの柵の上へと登った。

 そして、市庁舎に向かって、いささかも躊躇うことなく、その弓を引く。その横顔に、さっきまでの軽薄さは微塵もなかった。

 

「レギアス様!! 何をされてるんですか!! やめて下さい!」

 秘書が狼狽えた様子で止めるにもかかわらず、レギアスはその狙いを市庁舎から外す事はない。その矢の先には、しっかりと嘆願書を市民から受け取る市長の姿。

「レギアス様!!」

 

 矢が一直線に放たれた。

 

 一斉に、市民から悲鳴があがる。

 

「ビンゴ」

 そう言いながら、レギアスが、にや、と口の端を歪めて笑う。

 

 


 バルコニーに、先ほど、嘆願書を渡した男が転がっていた。

 背を矢に貫かれ、苦しそうに倒れ込んでいる。その傍らには、彼が握っていたであろうと思われる短剣。

 

 状況が飲み込めないリュート達に構わず、レギアスはさらに弓を引く。

 

「国王の犬!! 覚悟!!」

 その声と共に、市庁舎の群衆から、三人、男が飛び出してきた。そのいずれの手にもまた、鋭い短剣。

 

 だが、その剣は市長を刺し貫く事は叶わない。すべて、素早いレギアスの矢によって阻まれていた。

 矢にさし抜かれた男達が、地に落ちると、市庁舎は再びの悲鳴に包まれ、パニックに陥る。

 

「レギアス様! もうおやめください!」

 秘書がそう声をかけると、レギアスはようやく振り向いた。そして、にかっ、と白い歯を見せて笑う。その顔は、いつの間にか、さっきまでの軽薄な男に戻っていた。

 

 ――キャー……!!


 目の前で起きた惨劇に、市庁舎から、市民達が蜂の子を散らすように逃げ出していく。

 しかし、それとは対照的に、その騒ぎの中心にいる黒羽の男は少しも揺るいでいなかった。的確に衛兵に事態を収拾させる。そして、市長の命を狙ったと思われる男達が連行されていくと、市長は供を連れて、リュート達がいるバルコニーへと一直線に飛んできた。

 

 ふわり、と、リュートの目の前に、黒い影が舞い降りる。

 

 間近で見る市長は、その評判に違わぬ魅力的な男だった。

 スラリとのびた長身、ほどよく鍛え上げられた筋肉は、見事に上等な黒の長衣を着こなしている。そして濡れたような艶やかな長い黒髪がそれにかかって何ともいえない気品を醸し出していた。

 ちらり、とリュートを一瞥したその瞳は黒曜石のように黒く光っており、優雅さ以上にその鋭さが際だっていた。まるで獲物を狙う獣のようだ、とリュートは思う。

 

「レギアス、ご苦労だったな」

 市長がそう声をかけると、レギアスは口を尖らせて、忌々しそうに抗議した。

「まったくだぜ。せっかく今日非番だから、昨日遅くまで飲んでたのに。朝からわざわざたたき起こしに来て、やれっていったのがこれだよ」

「ふざけるな、酒場のツケ誰が払ってやったと思ってるんだ」

 レギアスのその抗議に、市長の後ろに控えていた男が進み出て、反論する。眼鏡をかけた、背の低い鶯色の羽をした男だ。

「こんな時くらいちょっとは役にたってみせろ、筋肉バカ」

「なんだとお、やるか、オルフェ」

「はっ! これだから野蛮人は嫌だ。いつだって暴力で解決しようとしやがる」

 その二人のやりとりはいつもの事なので、市長は気にも留めない。

 

「ら、ランドルフ様。ご無事で何よりでした」

 秘書のラスクが、そう言って慌てて市長に駆け寄る。

「わ、私、もうびっくりしてしまって……。あ、ああ、丁度お茶が入ったところでした。さあ、皆様も中でごゆっくり……」

 そう勧めるラスクに、市長は冷たく言い放った。

 

「その茶、貴様が飲んでみよ」

 

 ぴたり、とラスクの動きが止まる。

「な、何をおっしゃいます。これは……」

「飲んでみよと言っておるのだ。どうした飲めぬか」

 その市長の威圧に、ラスクは押し黙ったままだ。

 

「飲めるはずはないだろうな。お前とてここで眠るわけにはいくまい」

 

 きっぱりと、そう語られた市長の言葉に、ラスクはゆっくりと顔をあげた。その顔にはびっしりと、嫌な脂汗が浮かんでいる。

 

「やはりお前が犯人だったか。ラスク・アージュよ」

 

 そう言って市長は、レギアスが持っていた弓を手に取った。

「これで参議会議員、ルーツ・ルピスを殺害したな」

 

 市長は、ゆっくりと言葉を続けた。

「議員が殺されたのは市庁舎の自分の執務室。そう、丁度このバルコニーから見えているあの部屋だ」

 そう言って、市長が指し示す先には、市庁舎の窓。その一つだけ開けられている。

「彼の秘書の話によると、彼はいつも仕事が終わると窓を開ける癖があったそうだ。それは私が言わずともお前もよく知っているな? 毎日、毎日この部屋から市庁舎を覗いていたのだから」

 市長の指摘に、ラスクはよりその額に脂汗を浮かばせる。

「議員が仕事を終えるのが八時半。お前がこの部屋を毎日掃除するのも八時半だったな」

 オルフェと呼ばれた眼鏡の男が、一冊のノートを取り出した。

「きちんとここにも記載されている。昨日もお前が最後にこの部屋の鍵を返しにきたことが」

 それは鍛練所の夜勤の守衛ノートだった。

 

「これでは少し調べたら、お前はすぐに疑われてしまう。だが、それでもお前は構わなかった。そうだな?」

 市長の確認にも、ラスクは以前、その口をきつく噛みしめ、押し黙ったままだ。

「お前は疑われても構わなかった。なぜなら今日私を殺すという暗殺計画があることを知っていたからだ。この計画実行までに捕まらなければよし、万が一捕まったとしても計画の事はしゃべらない……そういうつもりだったのだろう?」

 そう言いながら、市長は持っていた弓をギリリ、と引く。

「そして、捕まらなかった場合は、お前もここから私をこの弓で殺すつもりだった。だからわざわざバルコニー下に隠しておいたのだな」

 

「な、何をおっしゃいます。わ、私があいつらの仲間だなんてどこにそんな証拠が……」

 やっと紡ぎ出したラスクの抗議に、レギアスがぴしゃりと言い放った。

 

「お前、さっき言ったよな? 『もうおやめ下さい』って。あれ以上撃ったら、あいつらが死ぬかもしれないって思ったから言ったんだろ?」

 

 再びラスクは押し黙った。

「お前は知っていたな。今日、この客人がこの時間に来ることを。だからお前はそれを利用した。お前は客人にこの茶を飲ませ、少し眠らせた隙にここから私を撃ち、そして客人にその罪をなすりつけようとしていた」

 その市長の指摘にリュート達は驚きを隠せなかった。……まさか自分たちがそんな目に遭わされようとしていたなんて。だから、再三茶を勧めてきたのか。

 

「だが、計画は狂った。レギアスがここにいて、先にお前の弓を取ってしまった。お前は傍観を余儀なくされた。そして今ここにいる。……実に子供じみた計画だ」

 まるで虫けらでも見るかのような、侮蔑の目線が、ラスクへと突き刺さる。

「観念するがいい、『東部解放戦線』なる児戯の集団よ」

 

 ふ、ははっ……と、乾いた笑いが辺りに響いた。

「さすがはランドルフ様。一筋縄ではいかんか」

 ラスクがそのにこやかな仮面をはぎ取り、不気味に笑っていた。そして、その目を素早く滑らせる。

「衛兵達、この者をとらえよ!」

 ラスクの異変に、市長はとっさに指示を出す。だが、間に合わない。

 その一瞬の隙をついて、ラスクは素早く懐から短刀を取り出すと、一番近くにいたレミルに襲い掛かった。そして、抵抗する間もなく、レミルの喉元に短刀が突き付けられる。

 

「動くな!」

 

 ラスクはそう叫ぶと、尚も、その手にきつく力をこめる。

「いいか! この男を殺されたくなかったらさっき捕まった仲間達を解放し……」

 

 すべて言い終わらぬうちに、ラスクの顔が、奇妙に歪んだ。

 

 鮮血を口からほとばしらせ、白い歯が空中を舞う。

 何が起きたかわからぬまま、ラスクはバルコニーへと倒れ落ちんとする。だが、それもかなわない。すぐ目の前に、誰かの右肘が迫っていたからだ。

 それが誰の物か確認する間もなく、肘はラスクの顔面にめりこむ。

 

 ――ガシャーン!!!


 その衝撃で、ラスクの体はバルコニー入り口まで吹っ飛んだ。窓のガラスが割れ、パラパラとラスクの頭上に降り注ぐ。

 その、キラキラと光るガラスの破片の向こうに、ラスクは白く光る羽を見た。

 

「レミルに何をする」

 

 リュートだった。

 

 彼は今の一瞬の間合いで、二撃、蹴りと肘鉄をいれていた。

 最初は、飛び上がっての顔面への回し蹴り、そして、のけぞったラスクに対してのとどめの肘。あまりに素早く、見事な身のこなしを前に、市長をはじめ、皆、一斉に声を失ったままだ。

 

「レミル! 大丈夫?怪我はない?」

 茫然とする皆を尻目に、リュートは倒れていたレミルへと即座に駆け寄って、彼を抱き起こす。

「あ、ああ、なんともないけど、それよりお前……」

 驚きを隠せないレミルにかまわず、リュートはまるで子供の様に彼に抱きついて、嬉しそうに言った。

「よかった! レミルが無事で」

 ……レミルのそばにずっといたい。彼のためならなんだってしよう。

 それは、そんな想いで七年間続けていた鍛練の賜物だった。

 

 ――ガシャン!

 

 ガラスの割れる音で、皆が一斉に我に戻る。振り向くと、そこには血まみれになりながらも、なお立ち上がるラスクの姿があった。その手には割れたガラスの破片がしっかりと握られている。

「国王の犬め! 天誅!」

 ラスクはガラスを持った右手を大きく振り上げ、市長目がけて襲い掛かった。とっさの出来事に衛兵達も反応が遅れる。

「覚悟!」

 

 その声と共に、突然、指が宙を舞った。

 

 三本の指は、持ち主の意志とは裏腹に、その体を離れ、ひとしきり空中に舞うと、そのままぼたぼたと地に落ちる。凶器となったガラスとともに、親指、人差し指、中指の三本が無残に床に転がった。

 

「う、うあああっ!!!」

 ラスクは血が吹きだす自らの右手を抱え、のたうち回った。無論、その三本は欠けている。

 

「誰に向かって牙を剥いておる、野良犬が」

 

 キラリ、と剣が光った。

 市長が、その腰の剣を抜いていた。

 黒髪をなびかせ、市長はヒュン、と剣を振り、血糊を飛ばす。その漆黒の剣の柄には、独特の四つ羽の紋章。それは、リュート達にとって、見覚えのある紋章だった。

 

 市長は眼鏡の男から布を受け取り、血糊を拭き取ると、器用にくるりと剣を回して鞘に収める。衛兵達がラスクを縛り上げるが、彼は今だに抵抗を見せた。

 眼鏡の男が血に染まった布を受け取り、代わりに市長に書類を渡す。それは、今し方届けられたラスクの身辺調査書だった。

「ラスク・アージェリオン。お前の本当の名だな」

 市長のその問いに、ラスクが吠える。

「そうだ! 私は統一戦争で没落した東部貴族アージェリオン家の末裔だ!!」

「他の仲間も没落貴族か」

「そうだ。皆、お前達がガリア王家に屈した戦争の犠牲者だ! 我々はまだまだ戦う用意があったのに、お前らは勝手に停戦し、国王の傘下に入ることを了承した。我々は誰にも支配されぬ誇り高き東部人だ! お前達のように爵位と引き替えに王家に媚びたりはせぬ!!」

 

 その悲痛とも言えるラスクの叫びにも、市長の表情は、毛ほども揺るがなかった。そして、一言、吐き捨てる様に言い放つ。

「政治的判断と屈伏の区別もつかぬとは愚鈍の極みだな」

 

 市長は更に侮蔑の眼差しを向けながら、続けた。

「あのまま戦争を続けることは確かに可能だった。だが、相手はセンブリアの殆どを平らげたピリス一世。長く抵抗を続けるだけこちらが不利になるのは明白」

 遠き先祖に思いを馳せるかのように、黒曜石の瞳が細められる。

「ピリス一世に完全なる敗北を喫してしまっては、東部の自治も何もない。おそらく東部の殆どは、ガリア王家の直轄領として取り上げられるはめになっただろうよ」

 この市長はよく知っていた。直轄領となった地域の官僚どもの横暴ぶりを。そして、それはまったく人ごとでないことなのだということを。

「だから我らの祖先は苦渋の決断を下した。東部の自治権を少しでも失わないために。そして余計な無辜の民の血が少しでも流れぬように。自らの余力を残し、国王の配下に入るという決断を」

 

「嘘だ!! お前達は国王から四大大公の地位を得て、東部を売ったんだ!!」

 指からの出血のせいなのか、ラスクの息はあがっている。それでも彼は叫んだ。それは、長年不遇の日々を送ってきた彼の一族の、魂の叫びだった。

 しかし、彼のその叫びすら市長を動かすことは出来ない。眉一つ動かさずに市長は言い切る。

「そうだ。国王の地位に継ぐ王国四大諸侯である大公位。その地位は国王にいつでも反抗できるという余力があってこそ手に入れられたものだ。我々が闘争の末、ようやく勝ち得たものだ。お前なんぞに愚弄されるいわれはない」

 その市長の言葉に、ラスクは尚も激高した。

「地位にこだわる愚物が!! それによってお前達が堕落していることが何故分からん!!」

 その言葉に、市長の眉間の皺がより一層濃く変化する。もはや、それを見ることすら煩わしいといった、ありったけの侮蔑の表情だ。

 

「何をいうか。地位は重要だ。何かを成し遂げるとき、必ずそれは必要なのだ。いくら志が高かろうとも、地位なくしては何も成さない。せいぜい、こうしてテロを起こしてみせるのが関の山だろうよ」

 その堂々たる指摘に、ラスクは言葉を失った。反論すべき言葉が見つからない。

 市長は、最後とばかりに吐き捨てる。

「暴力によってその主張を誇示せぬと、自らの正当さとやらが立証できぬか。犬にも劣る愚か者どもよ」

 

 それでも、ラスクはまだ何か言い募ろうとしたが、市長はそれを許さなかった。

「もうよい。連れていけ。他に何か申し立てがあるのなら法廷で聞こう」

 そう言うと、市長はその背の黒羽を、くるりと翻す。もはや彼の視界にすら、ラスクは入る事は叶わない。がっくりとうなだれ、衛兵らに連行されていった。

 

 

「すまなかったな、客人よ。怪我はないか?」

 一通りの罪人への断罪をすませた後で、市長はリュート達の前にやってくると、そう心配げに声をかけた。レミルは、あまりの出来事と市長自身の迫力に圧倒されてうまく言葉が出ない。

「あ、あ、あ、はい。だ、大丈夫です」

 レミルにはこの人物が誰なのか薄々わかっていた。だからこそ余計に緊張し、下手な言葉が紡げない。

 な、何か気が利いたことを言わねば……。

 

「ふざけるなっっ!!」

 

 レミルのそんな思考を無視するかの様な罵倒が響く。

 リュートが、市長に食って掛かっていた。

 

「ふざけるな、市長か何だか知らないが、こんな事に僕らを巻き込むなんて一体どういうつもりだ!」

 市長をはじめ、居合わせた人間すべて、この若造のその叱責に驚きを隠せない。慌ててレミルがリュートを制するが、彼は止まらなかった。

「あの者の暗殺計画を先読みしていたというのなら、僕らをこの部屋に来させずともよかったはず。どうして僕らを巻き込んだ? レミルはあやうく人質になりかけたんだぞ!?」

 市長は、その食って掛かるリュートを冷静に受けとめ、頭を下げる。

「すまなかった。本当はレギアスに君たちをあの部屋から先に避難させるつもりだったが、どうやら手違いがあったようだ」

 そう言ってレギアスをじろり、と見た。その当の本人はあさっての方向をみて、とぼけた様な表情をしている。それを見て、リュートは呆れたように一つため息をついた。

「彼はずっと居眠りしていて、あげく、僕と茶が飲みたいとかほざいていたよ」

「レギアス! 貴様っ!!」

 市長の叱責に、レギアスはオルフェと呼ばれていた眼鏡の男の後ろに隠れながら、謝る。

「いや、悪い悪い。つい、つい、寝ちまったんだ!昨日はお姐さん達が寝かしてくれなくてさ。すまん、この通り!」

「貴様! 減給だ! いいな? もう酒場のツケも払ってやるな、オルフェ」

「御意」

「そ、そおんなぁ〜」


 

「重ねてすまない。部下の監督不行届だ」

 そう謝罪をする市長を前に、レミルは陽気に笑ってみせた。

「いや、俺全然平気でしたし、お気にすることありませんよ。なあ、リュート」

 その様に、にっこりと同意を求めるレミルのことなどお構いなしに、リュートが再び市長に向かって行き、そして再び怒鳴りつける。

 

「この方はクレスタを治めるニーズレッチェ家の次期当主となられるお方。その方に対して何かあったらどう責任をとるおつもりなのか?! レミルに何かあったら、今度は僕が貴方を殺してやる!!」

 

 その言葉に、レミルは愕然とした。

 常々、リュートは自分のこととなると歯止めが効かないと思っていたが、ここまでとは!

 慌てて取り繕おうとするが、それは叶わなかった。

 

 ぐい、と、市長が、食って掛かるリュートの顎を持ち上げていた。

 

「お前、名は何という?」

 

 リュートはその手を振り払おうとするが、叶わない。仕方なく答える。

「リュート。ニーズレッチェ家、次男、リュート・ニーズレッチェだ」

 

「気に入った」

 

「は?」

 

 一瞬、何を言われたか分からないリュートの顔を見下しながら、市長は続けた。

「お前を気に入った、と言ったんだ。リュート、といったな。今日からお前、私の秘書になれ。丁度、今し方秘書を失ったところでな」

 ……秘書? さっきのラスクのことを言っているのか?

「何を言ってるんだ? 彼はここの所長付きの秘書だろう? 市長の秘書じゃないじゃないか」

 

「お前こそ何を言っている。あれは私の秘書だ」

 リュートには、事態がさっぱり飲み込めない。

「説明してくれ。いや、そうだ、早くここの所長を呼んでくれ。彼に挨拶もしなければいけないし……」

 そう言って、リュートは所の関係者の姿がないか辺りを見回そうとする。しかし、それも市長の指によって阻まれる。


「鍛練所の所長なら、今、お前の目の前にいるではないか」

 

「え?」

 

 ふん、と鼻をならし、市長はようやく、リュートの顎から手を離すと、その手を腰の剣に当てた。かちゃり、と音を立てたそれには、しっかりと四つ羽の紋章が刻まれている。

 

「私はこのレンダマル市の市長、および兵士鍛練所の所長にして最高責任者。そして四大大公の一人、ロクールシエン大公が第一子」

 第一子。それは即ち、次期当主の身分を意味している。

 リュート、そしてレミルは目の前にしている男が、ようやく何者なのか悟った。

 黒髪、黒服、そして漆黒の黒羽は、東部諸侯を束ねあげる東部最高位大公家のシンボルである。あの、手紙に押されていた紋章こそ漆黒の四つ羽だったではないか。

 

 驚くリュートを目の前に、市長は不敵に笑って見せる。

 

「ランドルフ・ロクールシエン。お前の主人の名だ。よく覚えておけ」

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ