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第三十二話:英雄

 ――私が、あれの父親を、殺したんだ。

 

 

 突然語られた、その言葉に、レギアスも、そしてオルフェも、ただただ絶句して、言葉が出てこない。自分の耳がおかしくなっかたかと、かえって疑ってしまう程だ。

「え……ど、どういうことだよ。お、お前が、リュートの父ちゃんを、手にかけたってことか?」

 ようやく、レギアスが声を振り絞って尋ねる。その問いに、ランドルフは悲痛とも言える面持ちで、静かに首を横に振った。

「いや、私が直接殺した訳ではない。……だが、私の幼さが、私の配慮のなさが、彼を死に追いやったのは事実だ」

 ランドルフはそれだけ言うと、バルコニーから王宮の暗い中庭をじっと見つめ、静かに、一つ大きく深呼吸をした。ふわり、と、暗い夜空に、白い息が溶ける。

 

「……話そうか。七年前のあの、忌まわしい出来事を」

 そう、覚悟を決めるように言い放つと、ランドルフの黒い瞳が、七年前を思い出すように、ゆっくりと、閉じられた。

 

「七年前、総力戦の布令が出たことは知っているな。あれに勿論、我が東部軍も参加して、私も初めて戦争というものに連れて行かれた。その中に、一人の男が居たんだ。白い羽に、薄茶の髪と瞳の男。平民だ、と聞かされていたが、彼の佇まいはとても平民のそれではなかった。優雅で、それでいて、何か、人を引きつける、……そうだな、カリスマ性、とでもいうべきものを備えた男だった。だが、初めて彼に会ったときも、彼は自分の名しか名乗らなかった。……ヴァレル、と」

 ランドルフのその言葉に、オルフェが大きく頷く。

「ヴァレル……。彼の、父親ですね。元、七大選定候、シュトレーゼンヴォルフ家の嫡男」

「そうだ。でも、当時は平民として暮らしていたのだから、当然その家名は使えなかったのだろう。それでも彼は、他のどんな貴族よりも気品と、上に立つ者が持つ統率力を兼ね備えた男だったよ。物事はよく知っているし、尚かつ、平民の目線にも立てる。そんな彼に、兵士達もすぐに惹かれたよ。丁度、あの山猫が湿地の戦いで東部軍の男共を心酔させたように、な」

「湿地の戦い……。ああ、そうだ、確かにあの後は……」

 つい先頃までいた半島での戦い。その時、何があったか、レギアスは過たずに覚えている。

 劇的な勝利によるかつてない士気の高まりと、そして、兵士達のリュートへの心酔ぶり。あの、ナムワですら、骨抜きにされていたではないか。

 

「ルークリヴィル城の戦い前の小競り合い、とでも言うような戦いで、彼は寡兵で、見事な勝利をおさめていたよ。そんな彼に、当時、少年だった私は、一目で夢中になった」

 ……憧れ。

 ランドルフが抱いた感情は、その一言に集約されていた。

「ただ、後ろでチェスの駒の様に兵士を動かして、高見の見物を決めている親父共の、何と薄汚いことか。それに引き替え、最前線で、兵士達を率いて次々と勝利をおさめる彼の、何と高尚で、素晴らしいことか。当時の私は、そう思っていた。いや、……それは今も、変わっていないが」

「それで、貴方はいつも戦場に出られるのですね」

 オルフェのその問いに、ランドルフは深く頷く。

 それは、先日父親に、軽率だ、と窘められた行動でもあった。

「そう、……今でも、私は彼を尊敬しているよ。あの嗜み、勇敢さ、そして、寛容さ。貴族とは、ああ在るべきだろうと、当時平民だった彼を見て、そう思わされたよ」

 

 ――『わ、私を、弟子にしてくれ!』

 頬を赤らめて、彼にそう言った幼い頃の自分が、ランドルフには忘れられない。結局、彼には笑われるだけで、その願いは叶わなかったのだが。

 その昔の幼かった自分を、自嘲するように、ランドルフは嗤う。

 ……ああ、その時、彼はこんな事も言っていたっけ。

 

 ――『貴方のお父上をお手本になさい。私は、そんなに大した人間じゃないのだから』

 

 

「……そして、徐々に東部軍のみならず、他の軍の兵士までも取り込んだ彼を待ち受けていたのが、あの、ルークリヴィル城の戦いだった」

 

 その言葉に、臣下二人の脳裏に、先頃の血なまぐさい戦場が思い起こされる。

 二重の固い城壁に、二棟の堅牢な居館。……南部を治める南大公の居城。

「当時敵軍も、南部に侵攻して五年目だ。かなりの数の竜騎士が、城には駐留していた。それに加え、他の城からの救援部隊も含めて、その数は万、は軽く越えていただろう。その竜騎士達に、国王軍、諸侯軍、全ての戦力を結集させての総力戦が、ついに幕を切って落とされた」

 

 ランドルフの脳裏に、あの喧噪が蘇る。

 けたたましく叫ぶ飛竜、飛び交う鳴り物の音、呻る弓、そして、断末魔の声。

 

「と、言っても、私はまだ幼かったし、初陣だったので、親父や陛下と共に後方で戦局を見守っていただけだったのだがな。その私にも、見てとれるほど自軍が押されている戦いだったよ。……これでは、負けるに違いない。そう、思っていた」

 

 そう、言葉を句切るランドルフの目に、少しだけ光が戻る。

「だが、彼が、現れた。あの、白い英雄が」

 

 それは、奇跡の記憶だった。

 不利極まりない戦局を一気にひっくり返す、驚愕の出来事。

 ……一瞬の隙をついたかのように、突然帝国軍の中へと切り込む一団。それを率いる白銀の鎧を纏った、白羽の戦士。……そして、劇的なる、帝国皇帝の、虜囚。

 

「……そんな、そんなことが、できるのかよ……」

 ランドルフの言葉に、レギアスは信じられないといった面持ちで、その首を横に振る。そんなレギアスに、ランドルフは諭すように言う。

「お前、忘れたか。あの、山猫が、私と皇帝の戦いを目くらましにして、将軍の居る主塔まで切り込んだことを。あいつだって、あそこまで将軍を追いつめたんだ。その父が、出来ても不思議はないだろう?」

「そ、そりゃあ、そうだが、で、でも……」

「私だって、信じられなかったさ。でも、事実は、事実だ。それが転機となって、一気に戦局はひっくり返った。我ら、ミラ・クラース軍の勝利へと」

 その時に、国王と、父である大公が何やら密談をしていたのを、ランドルフは覚えている。おそらく、あの英雄の処遇について、話していたのだろう。

 そう、即ち、彼の選定候への、復権の確約を。

 

「彼は、あの場にいた兵士にとっては、紛う事なき、英雄だったよ。勿論、少年だった、私にとっても」

 ランドルフは、その英雄の存在を懐かしむかのように、その黒の瞳をうっすらと細ませる。

 

 

「そ、その、英雄が、何で……」

 レギアスの、その呟きに促されるかの様に、ランドルフはその先の話を続けた。

「その後、戦いの勝利に沸く、自軍の中で、私は必死に彼の姿を探した。あの英雄にもう一度会いたいと。そして、彼に教えを請いたいと。そう思って、親父達に内緒で、一人で戦場へ彼を捜しに行った。……彼は、周りの目を盗むようにして、一人、森の中に居たよ。……いや、一人、ではなかったな」

 そこで、ランドルフの瞳が、またも暗い色を帯びる。何か、厭なものでも見たかの様な、そんな目だ。

 

「そこには、一人のリンダール人がいた。黒髪に、赤銅色の鎧を纏った、女竜騎士。帝国第三軍の長、ミーシカ・グラナ将軍がな」

 

「女将軍……。そう言えば、旦那様もそんなこと言ってたな。何だよ、帝国には女騎士までいるのかよ」

 レギアスがいち早く、その『女』という単語に食いついて、ランドルフに尋ねた。何故なら、少なくとも、有翼の民の軍隊で女兵士というのは聞いた事がなかったからだ。精々、看護兵に女性が居るのみである。

「ああ、その女将軍だけではない。彼女が率いる紅玉騎士団は全て女性だけで構成された騎士団らしい」

 その答えに、レギアスが、困ったように、うへえ、と舌を出した。

「ええ、女の子達ばっかりかよ。俺、到底戦えないわ。女の子に向けて剣だの、矢だの、俺には向けられないよ。恋の矢ならともかくね」

「……お前はリンダール人にまで手を出す気か!」

 相変わらずの色惚けぶりに、隣にいたオルフェがあきれ果てる。一方で、ランドルフは構わずに、話を先に進めていた。

 

「それで、その女将軍と、英雄は二人きりで何か話している様子だった。何を話していたかは、今となっても分からないが。……だが、二三、会話を交わした後、彼はおもむろに、将軍にかけられていた縄を切って、そのまま森の中へ彼女を逃がしてしまったんだ」

 

 昨日、東大公も語っていたことだ。英雄の、敵国将軍との密会、そして、逃亡の幇助。

「それを見ていたのは、私だけだった。幼かった私は、その行為を訝しく思って、何のためらいもなく彼の元に駆け寄って、何故彼女を逃がしたのか、と聞いてしまった」

 そこで、ランドルフは何かを後悔するように、自分の下唇を、きゅっ、ときつく噛みしめる。

「彼は、私が見ていた事に、酷く狼狽えた様子だったよ。そして、何か、隠すように、私にこう告げたんだ。『今後の作戦の為に、逃がしたのです。だから、若様がお気になさらずともよろしいのですよ。秘密の作戦ですから、どうぞご内密に』と」

 それだけ言うと、ランドルフは、さらにその眉間に皺寄せて、その首を横に振る。何か、厭なものを振り払う、といった様に。

 

「幼い私は、あっさりそれを信じてしまった。それが、……彼のついた嘘だとも知らずに」

 

 ――嘘。

 英雄の、ついた嘘。

 その事実に、レギアスもオルフェも言葉がない。

「そんな、作戦などなかったのだよ。ただ、彼の単独行動で、将軍を逃がしてしまったんだ。だが、当時の私にはそれが分からなくて……。正直に、言ってしまったんだ。私の、父親に」

 

 ――『父上。さっき英雄殿に会って聞きました。次の作戦の為に、あの女将軍を逃がしたのでしょう? 次は、どのような手をお考えなのですか?』

 

 そう、父親に無邪気に問うた、自分を、ランドルフは今でも呪わしく思う。

 その言葉を聞くや否や、父親である大公の顔色が、一気に変わったのが、幼い自分にもはっきりと分かった。そして、今まで、聞いたことがない様な低い声で、父親が唸るように声を絞り出したのだ。

『私は、そんな事、知らんぞ』、と。

 

「そこで、私はようやく悟ったよ。言ってはいけないことを、父親に言ってしまったんだと。彼の功績をフイにするような事実を、一番告げてはならない人物に、言ってしまったんだと」

 

 今までにない、後悔の念に苛まれた瞳で、ランドルフは暗い王都の町並みを見つめる。

「そこから、親父は激怒して私を問いつめた。私はなんとか取り繕おうとしたが、無駄で、ついに親父は、これが事実なら、我々に対する重大な裏切りだとして、彼を捕らえて、その罪を詮議すると言い出した。これには、私も酷く抵抗したのだが……」

 

 ――『父上! 待って下さい!! 彼はこの戦の立役者、英雄ではありませんか! そんな彼を捕らえるなどやめて下さい!! 彼は素晴らしい人物です! そんな事、するわけがありません!! き、きっと、私の見間違いか、聞き間違いか、何かです!! どうぞ、どうぞ御慈悲を!!』

 

 ――『黙れ、ランドルフ! 男が一度言うた事を簡単に翻すな! お前はおそらくあれを庇いたくて堪らんのだろうが、それとこれは別だ! 私はあれの後見人として、あれの言動に責任を持つ立場だ! どんな失態とて、放ってはおけぬ! あれを正しく処罰することこそが、私の責任の取り方だ!!』

 

「そう言って、私が嘆願するのも構わずに、親父は彼を大逆人の様に捕縛したよ。自分は戦いもせず、後ろで高見の見物をしていただけの親父が、あの、二人といない英雄を、無惨にも……」

 ……心底、許せない。

 父親のその非情とも言える行動に、ランドルフはこの時から、ずっとその感情を抱き続けている。

 彼に対する感謝の念はないのか、大貴族としての寛容さはないのか、そして、お前ごときが彼を断罪出来た義理か、と。

 

 その言葉を聞いて、ようやくレギアスとオルフェは理解する。

 彼が、いつも父親を嫌悪し、対抗心を燃やし続けてきた理由を。

 

「それで、彼は鎖で縛られたまま、王都へと連行されて行った。……だが、戦場を発ってすぐに、悲劇が彼を襲った。帝国の敗残兵らによる、英雄への襲撃……。皇帝を捕縛した、憎き白羽の英雄を引き連れた一団を、残された帝国兵が、仇討ち、とばかりに襲ってきたんだ。当然、鎖で縛られたままの彼は、抵抗することも出来ず……」

 

 何かを耐えるように、ランドルフはそれだけ言うと、その顔を手で覆い隠した。

 

「あの、姿……。つい先まで、英雄と讃えられていた、彼の姿。少年だった私が、憧れてやまなかった、彼の姿が……。まるで、まるで、ボロ雑巾のように、蹂躙されていて……。とてもではないが、その遺体は見られたものではなかった」

 帝国兵の恨みの深さ、だろうか。これでもか、とばかりに、めった打ちにされた体。死して尚、加えられた、陵辱。

 それは、捕縛された英雄を、何とか助けんと後を追っていた少年が目にした、凄惨な光景だった。

 

「私が、……私さえが、あの行為を目撃していなければ。いや、目撃したとしても、それを誰にも話さなければ、彼は今も英雄のままでいられたのだ。私が、私が、あの父親に、言わなければ……彼は、生きていられたのだ」

 泣いているのか、ランドルフはその顔を上げない。そして、また、静かに一言、言い放つ。

 

「私が、あれの父親を、殺したんだ」

 

 闇に溶けるその言葉に、レギアスもオルフェも、咄嗟に言葉が出てこない。何よりも、こんなランドルフの姿は、一度だって見たことがなかったからだ。

「……で、でもよ、それはお前のせいだけじゃないだろ? 元はと言えば、英雄が将軍を逃がして、すぐばれるような嘘までついたのが悪かったんであって……」

 なんとか、レギアスが言葉を選んで、そう問いかける。だが、目の前の黒髪は、ゆっくりと横に振られるだけだ。

「私に、もっと配慮があったら。そして、私にもっと力があったら、彼を死なせずに済んだのだ。全て、私の無力さが招いた結果だ。だから、私は一刻も早く、大公位が欲しかった。あんな、非情な親父のような貴族には、なるまいと……」

 語られた心の内に、臣下二人は言葉もない。

 父と子の、深い確執。

 それが、あのリュートの父親に起因することだったとは……。

 

「そ、それじゃあ、旦那様はお前がリュートの父親にどんな感情を抱いていたか知っていて、わざわざお前の所にリュートを寄越したってことになるのか? な、なんつう……えげつないことを……」

「本当に……。それで今まで黙っていて、昨日になってあいつが息子だったと知らせるなんて、本当に、大公様は何を……」

 その東大公の息子へのあまりの仕打ちに、臣下である二人は絶句する。

 ……道理で、昨日、息子であるランドルフがいつもにも増した憎しみの瞳で、父親を睨み付けていた訳だ。

 

「あれが、あの英雄の息子だと知って、私は酷く動揺している。何故ならば、あれを不幸に追いやったのは、他でもない、この私だ。……私が、あれから、父親を奪った……」

 ランドルフの脳裏に、リュートと過ごした時間が蘇る。

 市庁舎で、『殺してやる』と言われた最悪の出会い。嫌々ながら務めてくれた秘書業。そして、突然の出征に、あの夜の忠誠の誓い。そして、『我が君』と慕い、自分の為に泣いてくれたあの子供の様な目……。

 

「私には、もう、あれの主君でいる資格など、ない」

 

 ぽつり、と呟くように、ランドルフはそう漏らしていた。

 

「ランドルフ……。あ、あのな、」

 レギアスが、なんとか場を取り繕おうと言葉を紡ぐ。だが、それも後ろから聞こえてきた呼びかけに遮られてしまう。

 

「我が君、我が君。どこですか」

 

 誰あろう、リュートの声だった。

 彼らがいるバルコニーのある部屋の中で、きょろきょろとその主君の姿を探している。そして、ようやく窓に三人の姿を発見すると、急いでバルコニーへとやってきた。

「ああ、こちらにいたんですか。探したんですよ」

 そう言って現れたリュートの表情は、いつにも増して、酷く固いものだった。

 おそらく、何か、厭なことでもあったのだろうと、一目で分かるほど、その目は暗く沈んでいる。

 

 その姿に、ランドルフは一瞬、逡巡する。

 ……これに、告げるべきだろうか、と。

 今、二人に話した真実を、これにも告げるべきだろうか。そして、彼に謝罪し、償うべきだろうか。

 

 ――だが……。

 

「先ほど、宰相様にお会いしました」

 

 ランドルフが口を開くより先に、リュートがその口を開いていた。

「陛下の使いで、これからの僕の処遇について、お話に来て下さいました」

 そう告げる、碧の瞳は、まるで氷の様に冷たい。ただ、淡々とあった事だけを話す。そんな、事務的な目だ。

 その目に、今、ランドルフは、何も言うべき言葉を持たなかった。

 

「それで、彼が言うには、本日を持って、僕を選定侯の身分へと繰り上げると共に、断絶したシュトレーゼンヴォルフ家の屋敷と財産を、僕に返してくださるそうです。そして、今日からその屋敷で暮らすように、と」

 

 そこで、何かを含む様に、一瞬、碧の瞳が閉じられた。

「ランドルフ様」

 

 静かに、また碧の瞳が、見開かれる。

 そして、じっと、目の前の黒曜石の瞳を見据えると、短く、言葉を告げる。

 

「この意味、お分かりに、なりますね」

 

 

「……ああ」

 

 一瞬の沈黙の後、ランドルフはその意味を、過たずに理解していた。

 その答えに、少しだけ、碧の瞳が揺れる。

 

 

 だが、それも一瞬だった。

 すぐに、元の冷たい氷の瞳へと戻る。

 

 そして、一言、誓いを立てた男に向けて、静かに告げた。

 

 

「……さようなら、我が君」

 

 

 

 その言葉と共に、白い翼が翻る。

 だが、ランドルフには、それを止める術はない。

 

 ただ、何か、冷たいものが心に突き刺さって、彼の呼吸を、そして思考を、妨げているだけだ。

 

 

「ランドルフ! いいのかよ! このまま、あいつ行かせていいのかよ!?」

 レギアスの叫びが、王宮の暗い中庭に響く。

 

 ――カーン、カーン……。

 

 その声と共に、王宮内に響く鐘の音。

 それは、祝勝会の終了を告げる、合図の鐘だった。

 

 

 

 


 ――カーン、カーン……。

 

 その鐘の音を、後ろに聞きながら、再びリュートは王宮の中庭へとやってきていた。

 あの、英雄の像の前に、だ。

 

 その像の堂々たる体躯を、碧の目で睨め付けると、彼は一つ呟く。

 

「……許さない」

 

 リュートの脳裏に、厭な言葉が、ぐるぐると回っている。

 

『今後の事は、私に全てお任せになって、どうぞお休みを。シュトレーゼンヴォルフ候よ』

『もう、戦わなくてよいのだよ。……―どうか、どうかこの王都に、私の側にずっといておくれ』

『うん、今なら認めてやってもいいからさ。……例え、あの恥知らずのラセリア叔母上の息子だろうと、ね』

『私は王妃ですものね。貴婦人達のお手本にならなくちゃ……―また今度私の主催するパーティーがありますから……』

『くだらないだろ、王宮なんて。……近衛隊長は勉強勉強ってうるさいし、僕は王になんてなりたくないっていうのにさ』

 

 その言葉達を噛みしめるようにして、リュートはその奥歯をぎりぎりと鳴らした。そして、首に掛かっていた紋章のついた首飾りと、もう一つ、義母が縫ってくれたというお守りを、きつくその手に握りしめる。……あの、兄が、戦場に行く前に、自分に渡してくれたお守り。兄の、忘れ形見である、空色の羽が中に入ったお守りである。

 それを、祈るようにして、震える両手で包み込むと、彼はまたも言葉を絞り出す。

 

「許さない……。許さない……。貴方が、あんな風に、死んでしまったのに。貴方が……」

 

 貴方が、あんな風に、無惨に殺されていたと言うのに、……お前らは。……お前らは!!

 

 ただ着飾って、呑んで、喰って、惰眠を貪って!!そして、お互いの腹を探り合っての、権力争い!!

 母様が、そしてレミルが死んだ、その時にも!

 ……この毒蛇共が!!


 何が、何が、王宮だ。

 何が、宮廷だ。

 何が、貴族だ。

 ふざけるな、ふざけるな、……ふざけるな!!!

 

 

「絶対に、許さない」

 

 それだけ絞り出すような声で言うと、リュートは、意を決したかの様に、紋章の首飾りをぷちり、とその首から外した。

 そして、獅子の紋章と、その下に刻まれた数字を確かめるようにして、それを指でつっ、と撫でる。


「……調べてみる価値は、あるか」

 

 今、自分に残されているものは、この紋章、そしてこの数字。あとは、返還された屋敷と、少々の財産のみ……。

 主君として忠誠を誓った男も、戦友として共に戦った男達も、そして、誰よりも慕ってやまなかった兄も、自分の側にはもう、いない。

 あの腐った毒蛇共と戦えるのは、もはや、この身、一つ。

 

 その事実を認識するや否や、彼の口の端が、にっ、と歪むようにして、嗤った。


「上等だ。やってやろうじゃないか」

 

 獅子王と呼ばれた英雄の像の前で、風に揺られた豊かな金の髪が、さらさらと靡いた。

 そして、全て見下すかのような碧色の眼をした男が、暗い王都を睨め付けて、一言吼える。

 

 

「どいつもこいつも、舐めてんじゃねえぞ」

 


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