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第二十九話:過去

「い、今、何と言われました、父上……。い、今、確か、七大選定候とかなんとか……」

 

 突然、父親の口から飛び出した言葉に、その黒い瞳を見開いて、ランドルフはそう尋ねる。その息子のかつてない狼狽えぶりに、一切構うことなく、父親である大公は、悠々とその髭を一撫でして、首を縦に振った。

「ああ、そう言うたが、何か」

「ちょ、ちょっと待って下さい。た、確か、選定候は六人。そう、六大選定候のはずでしょう?!そ、それが……」

 そうだ、確かに知っているのは、先に半島で会ったミッテルウルフ候を含めた六人のはず。それが、七人、いるということか?しかも、その七人目が、この、……この目の前の山猫だと言うか?

 ランドルフはあまりの出来事に、頭がついていかない。一方で、その父親は相も変わらず、ゆったりと大公の椅子に腰掛けたままで、息子達に諭すように言葉を紡いだ。

 

「そう、今は六人だ。だが、本来は七人が正しい。国王、四地方を治める四大大公、そして、国の中枢を担う七大選定候……あわせて十二人。あの近衛十二塔が示すが如く、この国を支える十二の柱だ」

 

 そう言って、父親が視線を動かした先には、窓からうっすらと高い塔の姿が見えている。

 そ、そう言えば、このガリレアを囲む塔の数は十二……。その数に、まさかそんな意味が隠されていたとは、まったく思いもよらなかったが。だが、しかし……。

「な、何故それが六人に!? それに、何故、この、この私の臣下がその最後の一人だと……」

 ランドルフのその言葉に、大公は少しだけ驚いたような、そして嬉しそうな笑みを浮かべた。

「ほう。臣下か。お前、この方を臣下と言うか」

「あ、当たり前です! こ、こいつは私に忠誠の誓いをしてくれました。それに、これがいなければ、今頃私は……」

 ランドルフはあの雪交じりのカルツェ城の戦いをその脳裏に思い出す。

 ……そうだ、私はこれがいなかったら、おそらく皇帝に殺されていた。これが、私を奮い立たせ、支え、そして守ってくれなかったら、それこそ私は……。

 

 ちら、とランドルフはその視線を父親から、隣にいる白羽の男に移す。相も変わらず、凛とした、だが、少々戸惑い気味な横顔だ。

 その様子を眺めながら、再び微笑ましい表情で、大公が笑う。

「そうか。それは、何より。ロベルト、貴様の言うとおりであったな。ご苦労」

 その言葉に、ランドルフはまたも戸惑いの念を覚える。

 何故、ここでクレスタ伯の名前が出てくるのか。それに、ご苦労とは一体どういう意味で……。

 

「さて、では話そうか」

 

 ランドルフ達の全ての疑問を断ち切るかの様にして、大公はその貫禄のある髭に組んだ手を当てて、部屋全体を睥睨していた。

「貴方も、聞きたかろうて。……『白の英雄』殿よ」

 そう言って、大公が鷹の様な鋭い視線を煌びやかな白羽の男に向ける。だが、その視線にも男の碧の瞳は少しも揺るいでいなかった。ただ、堂々として、老獪なる大貴族を睨め付ける。

「どうぞ、お掛けなさい。少し、長い話になりますので。シュトレーゼンヴォルフ候よ」

 そう、ひとつ呼びかけると、大公はその髭に覆われた固い口を、静かに、開いた。

 

 

「さて、話は二十年ほど前に遡りますかな。うむ、ランドルフ、お前達がまだ幼い時だ。その時分、選定候家は七つあった。今の六家に加えて、この王都と中央を守る近衛隊の長にして、やんごとなき候家。シュトレーゼンヴォルフ家というお家柄がね」

 大公から発せられた単語に、ランドルフは一つ思い当たる。

 ……近衛隊だって? 確か、そうだ、確か半島に行った時、この髭のクレスタ伯が言っていた。この男、昔中央で、近衛隊にいた、と。

 

「さて、この候家に一人の若君がおられた。現在の国王陛下、当時の王太子様の幼なじみでもあり、凛々しく、そして、礼儀正しく、お血筋の良い、そう、どこから見ても最高の貴公子、とでもいうお方がね。……そう、それが貴方のお父上だ、リュート殿よ」

 

 その言葉に、一瞬、碧の瞳が揺るぐ。だが、それにも構わず、大公は淡々と先の言葉を紡いでいた。

「このロベルトの話によると、貴方は父御から母御へ送られたというペンダントをお持ちのはず。今、それを見せて頂けますかな?」

 大公のその申し出に、再び碧の瞳が揺るいだ。そして何かを噛みしめるように、きつくその白い喉元を握りしめ、頷く。

「……ええ。わかりました」

 

 ちゃらり、と音を立ててその首元から一つの首飾りが取り出された。金の台座に、安っぽいガラス。とても大貴族たる選定候家の者が持つような品ではない。そのリュートの疑問を察したかの様に、大公が言う。

「そのガラス、外れるはずです。どうぞ、お外しに」

 その言葉通り、少し力を入れるだけで安っぽいガラスが台座から外れた。そこに現れたのは金に刻まれた一つの紋章。

 右を向いた獅子、そしてその背には大きな翼。

 

「金の有翼の獅子紋。シュトレーゼンヴォルフ家の家紋ですよ」

 

 ここで、ようやく、リュートは一つの事柄に思い当たる。

 あの、夜盗が街を襲った日、母はこれを取り戻しに飛び出していった。……それこそ、命をかけて。

 この、紋章を守るために。この、僕が本来帰るべき家柄を守るために。

 ――こんな、……こんなものの為に。

 

 ぎり、とリュートの歯が音を立てて噛みしめられる。

 ……こんな、こんなもの、誰が欲しいと言った?誰が、誰が……。

 

 ふと、その紋章の下に、何か文字が刻んであるのが目についた。文字、いや、数字だ。何か、数字が書いてある。だが、掠れていて今すぐには判読出来ない。

 そう気づいたリュートに構わず、大公は話を先へと進めていた。

 

「さて、この紋章を持つ若君には、当時、素敵な恋人がおられた。まるで黄金のように光り輝く金の髪、雪の様な白い肌、そして、宝石を思わせる深い碧の瞳。宮廷一、いや、国一番の美姫と謳われた北の大公家の姫君、ラセリア・ガーデリシュエン。貴方の、母親だ」

 

 ラセリア……母様。

 まざまざとリュートの脳裏に母の姿が思い出される。

 どこか浮世離れした性格と、生活感に欠ける美しさ。それは、まさに貴族の姫君のものに他ならなかった。

 その、押しも押されぬ大公家の姫君が、何故、あんな……あんな夜盗に殺されなければならなかったのか。

 

「最高の貴公子と国一番の美姫。家柄も当人同士の器量も、どこをとっても文句のない恋人同士だ。だが、この二人の恋は、当時けして公にはならない秘密の恋だった。それは、何故か」

 大公は、そこで何かを含むように言葉を句切る。そして、その眉間に少々忌々しげな色を曇らせながら、その先を紡いだ。

「決まっておったのだよ。姫君の、王太子へのお輿入れがな」

 

「こ、輿入れ、と言えば、そのつまり、当時の王太子、今の国王陛下とのご結婚、ということですか!?」

 この言葉には堪らず、ランドルフが大公の言葉を補足するように尋ねていた。その息子の問いに、大公はゆっくりと首を縦に振ってみせる。

「そうだ。当時、宮廷においてその権力を伸ばそうと考えていた北の大公は、その娘、ラセリアを王太子に嫁がせる事によって、外戚としての地位を確立しようと目論んでいた。勿論、国一番の美姫だ。王太子様も一目で彼女に夢中になった。だが、当の姫君はと言えば、その王太子の幼なじみでもある選定候家の若君……リュート殿、貴方の父上と秘密の恋に落ちてしまわれた」

 

 その言葉に、場の若者達四人は絶句する。王太子妃の最有力候補と、その幼なじみの貴公子との恋。それは、清らかなロマンス、というよりも、もはや醜聞、スキャンダルである。

「このけして結ばれぬ運命にある恋人同士、その運命こそがさらに二人を燃え上がらせ、その逢瀬は密やかに続けられていた。だが、それもいつしか終わりの時が来る。……王太子への輿入れ。その時を迎えて、ようやく二人の恋は終わりを告げた……かに見えた」

 大公のその最後の言葉に、場の若者達が一瞬ざわめく。その戸惑いを確認すると、大公は馬鹿にしたような面持ちで、ふん、と鼻を鳴らし、再び言葉を紡いだ。

 

「駆け落ち、したのだよ。お輿入れより三日めに、な」

 

 ……か、駆け落ち。王太子妃と、選定候家の若君が、駆け落ち……。あ、あり得ない。

「実に馬鹿馬鹿しいというか、愚かというか……。あ、いや、貴方のご両親に向かってそのような事を言うべきではありませんでしたな」

 思わず出た、本音に大公は確信犯的な笑みを漏らしながら、リュートにそう謝罪する。一方で、謝罪された当の本人はあまりの事実の為か、絶句し、固まったままだ。

「まあ、とにかく前代未聞の醜聞でございまして。突然、姿を消した二人にその父御であられる北の大公や選定候殿は激怒して、勘当を言い渡すし、何よりも、ようやく手に入れた美姫に逃げられ、しかもそれをさらって言ったのが、自分の幼なじみだという王太子様の立場と言いましたら、それはもう、ご同情申し上げるのも憚られるほどで」

 それは、そうだろう。おそらく、王家に対するこれ以上ない、泥の塗りぶりだ。

「それでその責任を取らされるように、選定候家は若君の地位を剥奪の上勘当。大公家はその身代わりに、とでも申しますか、ラセリア姫の妹に当たられるエミリア姫を王太子妃として再び擁立。それでようやく事態は収拾したか、に思いましたが、ここで選定候家にその咎を負わせるかのような不幸が襲った」

 そこで、大公はまた蓄えた髭をくい、と一撫でして、言葉を句切った。

 

「若君の父に当たる選定候と、勘当された若君に代わって跡取りとなっていた弟君が相次いで流行病に倒れたのです。結果、選定候家は断絶。シュトレーゼンヴォルフ家が有していた近衛隊も他の選定候が兼任する運びとなって、選定候家は七家から六家に。当然、勘当されて行方不明の貴方の父御が戻れるわけもありませんでしたからな」

 

 明かされた事実に、若者達はその口から溜息一つ漏らすことも出来ない。ただ、絶句し、語られた真実を噛みしめるのみだ。

「さて、その駆け落ちした若君はどうしていたか。愛しい恋人と宮廷を抜け出し、どこへ落ち延びていたか。……言わずとも、おわかりになりますね?リュート殿」

 リュートの額に、嫌な汗が流れる。そして、自分の傍らで、今だ恭しく頭を垂れたままの、口髭の男の存在が目に入った。

「そう、クレスタだ。このロベルトが婿養子として入ったニーズレッチェ家が治める港町、クレスタ。私の治める東部に位置する街だ」

 大公のその言葉に、また一つ、ロベルトが深々と礼をする。リュートにはその礼が、忌々しくて仕方がない。

 やはり、やはり、この男、全て知っていたのだ。知っていて、それで僕を養子に……。だからか。だから、平民の僕が、堂々と貴族の養子に迎えられた訳だ。

 ……忌々しい。いや、それ以上に、悔しくて、悔しくてならない。この、このタヌキ親父めが!!

 

 リュートのその思いを見透かしたかのように、義父ロベルトが静かに言葉を紡いでいた。

「私めはこの王都の中流貴族の家柄の出身で、若い時分は近衛隊におりました。ええ、貴方のお父上の部下だったのですよ。それが、私の結婚が決まりまして、クレスタにおりました所を、あの方と姫君が頼ってこられました」

 その当時を思い出すかの様にして、義父ロベルトの瞳がうっすらと閉じられる。

「最初は驚きました。かつてはその忠誠をお誓い申し上げた大切な御主君なれど、今は王太子妃を奪った大逆人。まして私は伯家に養子に入った身で、私の御主君はこの大公殿下という事になる。御注進申し上げるべきか、否か。その迷う私に指針を示してくれたのが妻リーシャでした」

 ……リーシャ、母様。

 リュートはかつて自分を息子として慈しんでくれた女性の存在を、その脳裏にまざまざと思い出す。

 体の弱い母に代わり、息子レミルと共に、自分を育て、いつも優しく気にかけてくれた女性。あの、義母が……。

 

「もう、このお二人は十分罰を受けているのだから、それでよいではないか。この港町で平民として静かに暮らしていただき、中央には一切干渉させない。このお二人のことは我々夫婦が責任持ってお見守り申し上げる。それでいいではないか、と大公様にお伝えしてくれ、と」

 

 義父のその言葉に、リュートはきつくその唇を噛みしめる。

 よもや、あの義母が、畏れ多くも大公に向かって、自分たちを庇うような事をしてくれていたとは。改めて、あの聡明な女性の暖かさに懐かしい思いが募る。あの、愛しい兄によく似た羽、そしてお節介とも言える世話焼きな気性。

 

「それを大公様も御納得頂きまして、密やかに我がクレスタで若君と姫君はお暮らしになったのです。そして、お生まれになったのが、貴方様ですよ。リュート様」

 

 普段付けたことのない、様、とい敬称をつけて、義父はその養子の名を呼んでいた。

「それで、全ては終わったかに見えました。選定候家は断絶。そして密やかに平民として暮らされるご家族。だが、事態はそこで終わらなかった。……先だっての、帝国による第一次侵攻です」

 今から十二年前の、先帝ギゼル・ハーンによる突然の半島への侵攻。五年の長きに渡る半島での攻防、そして、七年前の、『ルークリヴィルの奇跡』。

 リュートの父が、このクレスタ伯ロベルトと共に、出征し、そして、戦死した戦いだ。

 

 そこで、ようやくリュートは一つの疑問に思い当たる。

 ……なぜ、父は出征を?隠遁していた貴族の若君が、なぜあの戦いに行かねばならなかったのか。父は兵士ではない。ただの、風見の平民として暮らしていたはずだったではないか。

 

 そのリュートの内心の疑問を察したかの様に、大公が再びその口を開いていた。

「あの当時、なかなか終わらぬ戦いに中央も南部も痺れを切らしておりましてな。それで国の全諸候に収集がかけられたのです。竜騎士をこの国から駆逐せんという総力戦の布令がね。その布令は、クレスタの貴方の父御の元にも届いた」

 その当時の事をリュートはよく覚えていない。ただ、病弱な母を残して戦争に行く、と言った父が、憎くて仕方なかったことだけ、ぼんやりと覚えている。

「その触れを知った父御はどうされたか。……私の元に、レンダマルに来たのだよ。そして、一つ私に嘆願した」

 

 ――嘆願……?

 父が、大公に、嘆願だって……?

 

「自分を東部軍に同行させて欲しい。必ずや手柄を立ててみせると約束する。そして、その手柄が成った暁には、自分を私の手で国王陛下に取りなして、自分の選定候への復権を、と」

 

「ふ、復権……。せ、選定候に、再びなりたい……と?」

 どうして。

 どうしてだ、父様。

 幸せだったじゃないか。僕たちは、あれで幸せだったじゃないか。それが、どうして。

 リュートの口からは、もうその言葉すら出てこない。それを再び察するかのようにして、大公はさらに先の言葉を続けていた。

 

「思い出されよ、リュート殿。当時の、貴方の母御の状況を」

 その言葉に、リュートは思い立った様に、体を震わせた。

「お体、お悪くなっていたのだろう?無理もない。深窓の姫君には平民の暮らしは身に染みるであろう。それが、例え命を掛けて恋をした男との生活であっても、だ」

 ……度重なる発作と青白い顔。そうだ、母は、病んでいた。息子の僕にも分かるくらい、ひどく病んでいたではないか。

「その愛しき妻の病状を何とかせんとて、貴方の父御は恥を忍んで私の元にやってきたのだよ。その健気なる夫婦愛に私は動かされ、そしてこのロベルトと共に父御の半島への出征を許し、さらに、既に国王に即位されていた王太子様にもその嘆願をお伝え申し上げた」

 当時を振り返るように、大公はその切れ長の鷹の瞳を静かに瞑る。

「当初、その嘆願に戸惑っておられた陛下も、かつて愛した美姫の痛ましい状況に、これを許さざるを得なかった。だが、一つ、条件をつけて」

 そこで、大公の瞳が、再び見開かれた。そして、目の前の碧の瞳を射抜くように、鋭く見つめ、一言、静かに言う。

 

「ルークリヴィル城の奪回だ」

 

 その言葉に、リュートは絶句する。

 つい、先頃、自分が落とした城の名だ。南部大公の居城にして、半島の要。

 

「その時、私は無理だと思ったよ。何しろ、総力戦で兵士は集まってはいるものの、所詮は烏合の衆。よしんば、勝てたとしても、貴方の父御の活躍する隙などなかろうと、な。……だが」

 何かを、含むように、先の言葉が紡がれる。

 

「父御は成し遂げたよ。最大の功績をな。皇帝、ギゼル・ハーンの虜囚。そう、『ルークリヴィルの奇跡』だ」

 

 紡がれた言葉に、場が、一瞬にして張りつめる。

 

「奇跡の立役者、『白の英雄』、ヴァレル・シュトレーゼンヴォルフ。それが、貴方の父御だ」

 

 その言葉に、今まで沈黙を貫いていたランドルフの顔が、一瞬にして青ざめた。

 かつてないほどの動揺が、リュートにも見て取れる。そして、その黒い瞳をふるふると振るわせると、信じられない、と言った様子で、一言リュートに言った。

「ヴァレル……? お、お、お前の父は、ヴァレル、というのか。お、お前が、あ、あの人の息子……。う、嘘だろう……?」

 

「え……? わ、我が君。あ、貴方、僕の父を……」

 リュートのその問いかけに、ランドルフは答えない。ただ、絶句し、その震える瞳で、じっとリュートの顔を見つめるのみだ。

 その息子の様子に構う事なく、大公はさらに話を続ける。

 

「そう、彼は成し遂げた。国王との約束を。国王もこれを認めない訳にはいかなかった。当然、彼の復権、となるはずだったのだ。だが……」

 そこで、またランドルフの顔色が変わるのが見て取れた。もはや、青ざめると言うよりも、白に近い。

「彼は一つ失態を犯した。皇帝と共に捕らえていた敵軍の将軍を、故意に逃がしてしまったのだよ。帝国第三軍の長、女将軍、ミーシカ・グラナをな」

「故意に?! な、何故!!」

「今となってはその真意は分からぬよ。あの女将軍はこちらの言葉が少し喋れた様子だったし、そこで彼と将軍の間で何が交わされたのか、当人達より他に知るよしもない。だが、その故意の行動の事実が、国王と我ら諸侯の耳にも届いたとき、沸き起こったのは、英雄に対する不審論、だった。英雄はあの女将軍と通じていたに違いない、国を売ったに違いない、とな」

 

 ――敵と、通じていた……? そんな、そんな、馬鹿な。

 

「その真偽のほどを確かめるために、彼の身柄は拘束されて、王都に送られんとした。だが、そこで……」

 ちら、と大公の瞳が、その息子ランドルフを貫く。

「そこで、彼は襲われたのだよ。帝国の残党に、な」

 その父の視線に、ランドルフはただ言葉もなく俯いているだけである。

 

「そして彼は、あっけなく命を落とした。貴方の耳には、戦死、として届いているだろうが、ね」

 

 再び、リュートの脳裏にまざまざと父の最期の姿が思い出される。

 あの、大きく、優しかった父が、小さな白い欠片となって、自分の元へと帰ってきた。あの、母の死の後に……。

「あの裏切りの嫌疑がかけられている以上、仕方がなかったのだ。許しておくれ。彼を、英雄として祭り上げることは、私が許さなかった。彼の存在を、私と国王で、正史から消したのだ」

 大公のその言葉に、今まで真っ青で震えていたランドルフの目に、怒りの色が戻っていた。きつく、その父親の行為を詰るかのようにして、睨み付ける。

 一方で、大公は息子のその視線に一向に構う事なく、その先の話を進めていた。

「そして、数日後、陛下と私で協議して、彼の死を貴方と母御に届けんとしたときだった。クレスタ伯夫人から、貴方の母御が夜盗によって殺されたという情報が届いたのは」

 

 あの忌まわしい日の記憶が蘇る。

 終戦後、脱走兵と蹂躙された南部の人間によるクレスタ強襲……。

 

「これには、陛下もひどく驚かれた様子で……無理もない。かつて愛した美姫の無惨な死に様だ。せめて、遺された貴方だけでも、父御の希望通り選定候家に復権を、と思うておったのだが、いかんせん、幼い貴方には母御の死がショックであられたのであろう。一切食べぬし、話さぬという状態で、これでは復権は無理だと判断した私たちは、貴方の身柄をクレスタ伯夫妻に委ねたのだよ。あそこでなら、貴方の心身も回復するであろうと思うてな」

 

 それで……それで。僕は養子に。それで、僕は、レミルの弟に……。

 だから、だからか。……だから、僕はあの家に……。

 その為だけに、あの家に……。

 

 リュートの体を震えが襲う。

 何か、足下から自分を崩されている。そんな気がして成らない。

 

「それでしばらく貴方の復権は見送ろう、ということになったのだよ。貴方が、成人する十八の時までね」

 

 今、自分は、十七だ。もうすぐ、成人する。

 

「それで、あの手紙を、寄越したのですね。あの、僕をレンダマルに呼ぶ手紙を」

 暗く、震えた声のリュートのその問いに、大公は毛ほどもその表情を揺るがせず答える。

「その通りだ。貴方一人では寂しかろうて、伯家の長男殿もついでにな。本来なら私の本邸に呼び寄せるつもりだったが、私は所用でこの王都を離れられなかったため、渋々ながら、我が愚息が所長を務める鍛練所へな」

 その言葉に、愚息たるランドルフは、かつてないほどその眉間に皺寄せて、父へと詰め寄る。

「私は、私は聞いておりませんでしたよ、父上。そのような事、私は一度だって……!!」

 その様子にぴしゃり、と父はその息子を切り捨てていた。

「当たり前だ、この愚息! 未だ、その立場と仕事すら分かっておらん半人前のお前が偉そうな口をきくでないわ! お前、知りたかったか! この方があの英雄の息子だと知りたかったか!! 知っていたら、お前どうしていた!? ええ? いつまでも過去の事にこだわって、ぐちぐちと下らぬ反抗を続けているお前なんぞに私が知らせると思うてか、この痴れ者が!!」

 その大公の言葉の意味を、ただ一人、息子のランドルフだけが明確に理解していた。そして、父の叱責にただ、悔しげにその唇を噛みしめるのみである。

 

 その息子にはまた一切構わず、大公はリュートの方へと向き直って、再び話を続けた。

「本来ならば、レンダマルで少々お過ごし頂いたのち、私が帰って貴方に説明をしようと思っていたのですがな。こちらで、のっぴきならない事情があって、帰れませんで。ならば、貴方をこちらにお迎えしようと思っておった矢先、あの再侵攻と南部からの救援要請です。いや、肝を冷やしました。貴方がこの愚息めと共に半島に行かれたと聞いたときは。しかしまあ、さっさと後方支援だけして帰ってくるものと甘く見ておりましたところ、当家の愚息めが勇み足でずるずると前線まで行くものですから、これは貴方の身に何かあっては一大事、と、この度送金を止めて、この阿呆を帰らせた次第で。いや、まこと、我が息子ながら、愚かで申し訳ない。ましてや、あなた様がこれを主君として慕って下さっているなど、お恥ずかしくて……」

 

 ――なんだ……。

 リュートはその形の良い唇を、まるで血が滲まんばかりに噛みしめる。

 ……なんだ、なんだと……?すべて、すべて、決められていたというのか?

 この老獪な鷹に、自分の全てが決められていたっていうのか?

 あのレンダマルでの日々。突然の出征。そして……あの、悪夢の雪の戦場。

 

 ふざけるな……。ふざけるな……!!!

 

 そう、ぎりぎりと睨め付ける碧の瞳にも、鷹の瞳は揺るがない。ただ、淡々として一つ述べるのみである。

「さあ、これで貴方の過去のお話は終わりです。どうぞ、お疲れになったでしょう。明日、祝勝会も兼ねて、国王陛下が貴方に会われます。今後のことは、私に全てお任せになって、今日の所はこの館でどうぞお休みを、シュトレーゼンヴォルフ候よ」

 

 その有無をも言わせぬ大公の言葉に、控えていた侍女達が動いた。まだ何か言いたげなリュートを無視して、粛々とその体を他室へと引っ張ってゆく。

 

「リュート!!」

 ランドルフのその呼びかけも、リュートには届かなかった。彼を閉め出した部屋の扉が、無情にもパタリ、と閉じられる。

 

 その扉を、じっと見つめたままの息子達三人に、大公はその手をパンパン、と鳴らして合図した。

「さあ、愚息共よ。お前達もここまでだ。さっさと休め。後のことは全て我らがやる。ランドルフ、お前は母上の言う通り、見合いでもしていろ、阿呆が」


「父上よ」

 大公の言葉に、ランドルフの黒曜石の瞳がぎらりと光る。

「貴方、あれをどうするおつもりです」

「お前にはまだ、早いよ、ひよっこ。あれの事は私に任せておけばよいのだ。何、悪いようにはせん、あれにとっても、お前にとっても、な」

 そう言って、鷹の目が息子の視線に対抗するように、不気味に光る。何か、企む様な目だ。

 その目を見るなり、息子の瞳が、奇妙に歪んだ。それはこの息子だけではない。その後ろに控えている若者二人も同じだった。

「そうですか。でも、一つだけご忠告申し上げておきますよ、大公殿下」

「何?」

 父ではなく、大公の敬称を使って、そう呼びかける息子に、鷹の目が少し揺るぐ。それを見るなり、若者達の顔に堂々たる不敵な色が宿り、にんまり、と何かを含むように笑った。

 

「あれはね、ご主人様の言うことを、はいはい、と聞くような可愛らしい飼い猫ではないのですよ。油断していると……引っ掻かれるどころか、その首……喰らいつかれますよ。どうぞ、お気をつけの程を」


 かつてない反抗的な、それでいて、何かを楽しみにでもするような目を残して、若者達はその父親の前を去っていった。 

 


 

 

 

「ふん、粋がりおって、若造どもが」

 最後の息子のその言葉を、大公は一笑の元に切り捨てていた。そう、あざ笑う大公にその臣下たるギリアムとハルトが声をかける。

「それにしても殿下は酷うございます。我らに若造で遊びすぎだ、などと言っておかれながら、結局自分が一番ご子息で遊んでおられるのではないですか」

「その通り。我らももう少し息子らで遊びたかったものを」

 二人の親しい臣下のその言葉に、鷹の表情が緩やかなものへと変わる。

「そうか? 少し遊びすぎたかな? いや、あれはからかうと面白くてな。少々言い過ぎだったと思うか?」

 ははは、と珍しく笑う大公につられて、二人の壮年の男の表情もいたずらなものへと変化した。

「よろしいのではないですか。あれくらい、いい薬でございましょう」

「そうそう。まこと、生意気な若造の鼻っ柱を折ってやることほど、面白いものはありませんわい」

 そう言って、永の主従の関係である三人は、楽しげに、年甲斐もなくけらけらと笑い合う。

 

「……それにしても、破格でございますな」

 その笑いをやめて発せられたギリアムのその言葉に、大公の鷹の目に鋭さが戻る。

「あの、貴公子のことか」

「はい。正直、嬉しい悲鳴、といったところでございましょう、殿下。ただ帰って来ればよいと思うておった隠し球が、あのルークリヴィル城を落とすという快挙までくっつけてこちらの手元に届いたのですからな」

「そうだな。これで、我ら東部の宿願も、現実味を帯びてきたというものだ」

 にや、とその髭の下に隠された口を歪めて、大公が嗤う。それに、今度は文官たるハルトが口を開いた。

「まこと、まこと。流石はあの英雄の御血筋とでもいいましょうか。いや、それとも……獅子の血か」

 臣下の口から出た言葉に、大公はさらにその口を歪ませる。

「さて、どちらの血であろうな。まあ、実際がどうであれ関係のないことだ。幸いにして、あの貴公子はその見目もあの姫君に瓜二つであることだし……。あれを陛下が気に入らぬ訳がない。かつて愛した、そしてどうしても手に入れられなかった美姫だ。諦められぬだろうよ」

 その大公の言葉に、一つ悟った様に、ハルトが言う。

「まこと、げに恐ろしきはあの傾国の美女の血」

 それを受けて、大公が一つ呟く。

 

「傾国の美女は、死して尚、国を揺るがす……か」

 

 その三人の男の言葉に、側に控えていたロベルトは何も言葉を発さない。ただ、無言で、その目を閉じて見せるのみである。

 


久しぶりにゆっくり休みが取れたので、物語前半部分少々手直ししました。それでも、途中までしか出来なかったので、中途半端な修正になっていますが、お許し下さい。また時間を見つけては、ちょこちょこと修正していきます。

まあ、それよりも話を先に進めろよ、ってなもんですが……。

はい。よろしければ感想などお待ちしております。励みになりますです、はい。

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