第二十六話:金策
――……おかしい。
「それで我が軍は山脈の麓の宿場にしばらくやっかいになっておりましてな。いやぁ、しかし、ろくな食事も娯楽もありませんで。まったく、あの寒波ときたら」
てかてかと油で固めた薄い金の髪を撫で付けながら、そう遅参の理由を述べる大貴族を前に、ランドルフは恐怖にも似た不安を感じていた。一方で、その黒羽の若者の不安感をいささかも感じ取ることなどないかのように、くるり、とカールさせた口髭に飾られた口元が、さらに言葉を紡ぐ。
「そうこうしておりましたら、なんとも素晴らしい報告が届くではありませんか。なんと貴公の率いる東部軍があのルークリヴィル城を落とされたと。いや、耳を疑いましたとも。まさか、本当にそのような事が出来るなど、到底信じられませんでしたからな。ましてや……」
そう言って、大貴族がその瞳をちら、と黒羽の後ろに控える金の髪の男に向ける。
「ましてや、この様な……若造、いや、若君が。噂には聞いておりましたけれど、まさかこれほどまでにお若くておられるとは」
その言葉に、視線を向けられた当人は、静かにその金の髪を揺らし、無表情で、『どうも』と一つ答えるのみである。その態度に、目の前にその突き出た腹を、でぷん、とせり出しながら座る貴族は、まるで、ほほえましいものでも見たかのような、余裕のある笑みを漏らした。
「ほっほっほ。おや、英雄殿は無口でおられるのかな。いやいや、そう緊張なさらずともよろしい。皆、最初はそうなのですよ。なかなか気の利いた宮廷風の会話、というのも、お若い貴殿にはなかなか難しい事もありましょう。はは、いや、初々しくて結構、結構」
――……おかしい。
再び、ランドルフは嫌な恐怖を感じる。
その恐怖の根元を確認するかのように、ちら、と後ろの白羽を確認してみるものの、相変わらず、その男は無表情のままじっと、目の前に座る大貴族を静かに見つめているだけだ。
「おや。私に何か変な物でもついておりますかな? そのように美しい碧の瞳で、じっと見つめられると、何やら気恥ずかしゅうなってしまいます。何と言っても英雄殿は美男子であられるし。私も同じ金髪なれど、英雄殿の髪と比べたら、まあ見劣り致しますこと」
視線に気づいた大貴族が発するその言葉にも、後ろの白羽はその眉一つ動かすことはない。ただ、『失礼』と一言だけ漏らし、再び前に座る大貴族の頭からつま先まで、舐めるようにその目で観察するのみである。
「ははは。それにしても、買いかぶりすぎましたかな、あの皇帝や将軍を。なにせ、このような寡兵や若君達に一蹴される程度の輩でしょう。ま、我々が出るまでもない程度の者達だった、ということですな。まったく、大したことがない」
そう言って、再びその口から、ほっほっほ、と独特の嫌みったらしい嗤いが漏れる。その度に、そのでぷでぷした腹がゆらゆら揺れて、目の前にいるランドルフには、それが何より目障りで仕方ない。
だが、それよりも、気がかりなのは――……。
「ま、もっとも、我々がもし早くに着いていたら、あの皇帝や将軍を逃がすことなどなかったでしょうが、な」
その言葉にも、後ろに控える金髪は、無言……である。
ランドルフは嫌な脂汗をその額に、じっとりとかきながら、ちらちらと後ろの金髪の方向を気にしてみせた。
――……おかしい。
ここは、『何がもっと前に着いていたら、だ。お前らなんぞいたとしても足手まといだ、この金髪豚野郎!』と来るはずだろう? そんでもって、その前は、『何、山脈も越えずにぐずぐずして、娯楽なんぞ求めているんだ、この薄ら禿げのダニが!!』だろう? そんでもって、その次が、『何が、気の利いた宮廷風の会話だ。そんなものがこの戦場で何の役に立つ! この蛆虫が!!』だろう?
そう、これくらい言ってもおかしくないんだ、この後ろの山猫は!!
それくらい言うことくらい、ずっと覚悟の上で、ようやくこのミッテルウルフ候との会談に臨んだと言うのに、何を、……一体何を黙っておるんだ、この後ろの白羽は!!
予想とはあまりに違う、臣下の態度に、主君たるランドルフはもはや恐怖しか感じられない。
確かに、穏便に済ませられれば言うことはない、と思っていた。静かに、おとなしく、この会談が済めば、事を起こさずにこの会談が済めば、そんな素晴らしいことはない、と思っていた。
だが、いざ、このおとなしすぎる山猫の態度を見て。この何を言われても黙ってじっと大貴族を見つめたままの英雄の態度を見て。
ただただ感じるのは、言いしれぬ恐怖、それのみである。
……な、なんで、黙っておるんだ、こいつは……。それが、かえって恐ろしくてたまらんわ……。
だらだらと、ランドルフの額に嫌な汗が流れる。
ああ、そういえば、この大貴族が到着する前から、こいつは一切無言を貫いていた。何を語りかけても、話しもしない。ただ、無言で、それでいて……その周囲に恐るべき負のオーラを撒き散らしておった。
あの今朝方の会話ではいつもの山猫だったというのに、あれから昼までに、何かとてつもなく嫌なことでもあったのか……。
「まあ、済んだことは言うても仕方ありませぬな。まあ、首を獲るまでは、若君や、その臣下たる英雄殿には、少々荷が重かった、という事で。まあ、あとは我ら国王軍に全てお任せ下さればよろしいのですよ」
ランドルフの内心の葛藤を遮るかのように、目の前の大貴族は聞き捨てならぬ言葉を再び放っていた。これには堪らず、ランドルフ本人がその口を開いて抗議する。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい。今、何と言われました。全て、貴公らに任せる、と言われましたか」
「ええ、ええ。貴公らは、すでによう働かれましたとも。もう、貴公らの出る幕は終わった、ということで。あとの将軍らの始末はこの私の国王軍が全て請け負いますとも」
「……な、何を……!!」
何を言っているのか、この豚が!!
思わず口から出そうになった本音を、なんとかランドルフはその口の中に飲み込む。
だが、しかし、その内心は溢れそうなほど、ぐらぐらと煮え立っていた。
……この戦局が安定した状況になって、のこのこ出てきて何を言うか!! ついこの間まで、我々は生きるか死ぬかの戦いを繰り広げておったのだ。その状況をひっくり返して、要所ルークリヴィル城まで奪回出来たのはひとえに、我が東部軍と、何よりも我が臣下たるこの英雄の力があったればこそ、だ。そうでなければ、お前らなど山脈を越えた時点で侵攻してきた竜騎士にやられておったに違いないのに、この目の前の豚ときたらいけしゃあしゃあと……。
そう、内心でぎりぎりと奥歯を噛みしめるランドルフをあざ笑うかのように、ごてごてと宝石のついた指輪で飾られた指が、またもカールした口髭をくいくい、と撫でつけた。
「ええ、貴公らはここまででよろしいのですよ。それは、国王陛下もそうお望みです」
「な……国王陛下が?」
「ええ、そうです」
そう言って、目の前の大貴族は、趣味の悪い毛皮の上着の中から、指輪でごてごての手で、書簡の様な物を二通取りだした。
「我らが山脈越えでもたついておる間に、王都には早便でこの勝利の知らせがもたらされたようで。それで、また早速早便でこちらに陛下からの書簡が届いた次第でございます」
その言葉に、再びランドルフは怒りを一つ覚える。
……早便が王都に行って、またこっちにその返事を持って帰ってきているというのに、お前らは山脈からここまでどれだけとろとろと進軍してきたんだ! この禿げ豚!! その脂肪の塊を腹に抱えておるせいで、ろくろく飛べぬのだ。さっさとその腹、竜騎士にでも捌かれて来い、こののろまの毒豚め!!!
ランドルフがその内心で罵りの限りを尽くしていることなど、まるで知らぬように、張り出した太鼓腹を一つなでて、選定侯は二通のうちの一通だけを広げて、見せ付けるかのように若者の黒曜石の瞳の前に、それを突き付けた。
「こちらが、陛下からの書簡でございます。南部の竜騎士掃討を我が国王軍の第二軍の将たる私めに一任する事。そして歴史的大勝を成し遂げた東部軍の将たるあなたを労うべく、祝勝会を王都ガリレアにて開催するよしにて、英雄殿を引きつれての御凱旋をと」
「王都へ凱旋……」
その言葉にランドルフは絶句する。
……帰れ、と言うか。全権をこの豚に奪われるだけでなく、必死で奪ったこの場から、去れ、とそう言うか。
ランドルフのその思いを見透かしたかのように、なおミッテルウルフ侯は言葉を紡いでいた。
「元々あなた方は南部軍の救援要請に応じて、こちらにいらっしゃった軍でありましょう? いわばお手伝い、たる立場です。それが、南部軍の失態によって、その渦中に巻き込まれた形でズルズルと最前線まで引っ張ってこられたようなものでしょう? まあ、その後のご活躍は破格のものでございましたが。……しかし、そろそろ潮時、というものではありませんか? この城の状況から察しますに、色々と不足のものも多くなってきたころでは?」
ちら、と大貴族はその目を外の未修復になったままの城壁に動かした。
……わかっておるか、こっちの財政が厳しいことが。
目の前の男に悟られぬ程度に、ちっ、とランドルフは小さく舌打ちを漏らす。
「……それから」
再び、指輪に彩られた手が動き、もう一通の書簡を広げた。
「こちらはロクールシエン大公、すなわち貴公の御父上からの書簡です。御父上も、陛下と御同様に貴公のガリレアへの帰還をお望みです」
「な……。ち、父上からも……」
先から煮えたぎって仕方がないランドルフの心に、再び燃料が投下されていた。
……糞親父め! 高見の見物決めておいて、この場になって呼び付けるか! 忌々しい、あの老害が!!
怒りたつ若者の思いをあざ笑うかのように、またもカールした口髭から、ほっほっほ、という嫌な嗤いが紡ぎ出される。
「さて、国王陛下とそれに次ぐ地位の大公殿下からのご帰還命令です。よもや、貴公に否や、と言える余地でも残されているとでもお思いではないでしょうな、若君」
遅れてきた大貴族、ミッテルウルフ選定侯は、その突き出した腹をでぷでぷと振るわせながら、場をその言葉で静かに締め括っていた。
「忌々しい糞豚めが!!」
中央の大貴族、ミッテルウルフ選定候との短い会談を終えて、尚、黒曜石の瞳はその怒りを収めることはない。ぎりぎりと奥歯を噛みしめながら、その臣下が控えたままの主室に戻ると、堪えていた本音を吐き出すかのように、次々と暴言を吐き散らかす。
「今更来て、あとは自分らに任せてお前らは帰れ、ときた。誰が、誰が、一体苦労してここまでやってきたと思ってるんだ、あの薄ら禿げ!! ああ、あの頭いっそ全部禿げてしまえばいいのに。ナムワを見習え、ナムワを!! 実に潔い禿だ、あれは!!」
「……落ち着けって、ランドルフ。ナムワのおっさんはあれ、一応剃ってるんだぜ。天然の禿じゃねえの。それよかさ、どうすんだよ。帰るのか?」
主室の窓にもたれ掛かりながら、そう問う幼なじみの巻き毛の男に対して、ランドルフは渋面で答える。
「帰らざるを得ん、だろうな。あの糞親父まで帰れ、というくらいだ。おそらく大公家からこっちへの送金も止まるだろう。……クソっ、この侵略という国家の一大事に動かないくせして、金もださんとは、まったく忌々しいにもほどがあるわ、あの糞親父め」
そう唇を噛みしめ、いらいらと主室内を動き回る黒羽に対して、秘書長たる男の眼鏡が、いつものごとく、きらりと光った。
「落ち着かれませ、ランドルフ様。これはいいチャンスだととらえるのです」
「……何?」
「いいですか。貴方がルークリヴィル城をお攻めになった理由をよく思い出されませ。この男に、何を言って焚きつけられたか、お忘れでしたか?」
そう言って、眼鏡の男は主室のソファに堂々と腰掛けて、無言で優雅に茶を飲んでいる白羽の男を指さす。
「ええ、確か、大公位が欲しいのか、と問われておったのでしたな。そう、皇帝の首を獲る、という最高の名誉と名声。それがあれば、現大公殿も貴方を認めるはずだ、と言われて焚きつけられた」
その指摘に、ランドルフの眉と、口が、さらに不快げに歪んだ。まんまと乗せられた、苦い記憶だからだ。結局皇帝は逃がしてしまって、その名誉と名声も手に入らなかったというのに。
ランドルフのその内心を読んだかの様に、再び眼鏡の男が口を開く。
「確かに、皇帝は逃がしはしましたが、このルークリヴィル城は見事奪回されたのです。それだけでも素晴らしい名誉だと思いませんか? 七年前、総力戦でようやく奪回したこの城を、です。その功績だけで、貴方には十分箔がついておられるのですよ。これを大公様が認めない訳はありません」
眼鏡の男のその進言に、ランドルフの表情が、少しだけ和らいだ。
確かに、この男が言う事ももっともである。
あの糞親父が長年かけて、国王軍らと共に、ようやく奪回した城を、私はこの短期間に、しかも東部軍だけで落として見せた。それだけで、十分破格の事ではあるのだ。例えあの糞親父が認めなくても、周りは認めざるを得ない。……ただ、この功績はほとんど臣下たる山猫のものではあるのだが。
「……よろしいですよ」
今まで無言を貫いていた白羽が、ようやく口を開いていた。
その輝かんばかりの金髪を、一撫でして、悠々と主君に対して言葉を投げかける。
「よろしいですよ、僕は。申し上げたでしょう? あの湿地の勝利は貴方に差し上げると。この城奪回の手柄も全て貴方の物にして下さって構いません。それで箔を付けて下さって、堂々と凱旋し、お父上に一泡でも二泡でも吹かせてやればよいではないですか。僕に遠慮することはないのですよ。臣下たる僕の手柄は貴方の手柄でございましょう?」
発せられたあまりに意外な、貞淑ともいえる台詞に、今度は周囲の三人が沈黙する番だった。ようやく、レギアスだけがあきれ果てながらもその口を開く。
「……おい、どうしちゃったの、そんなしおらしいこと言っちゃって。何、忠誠心に本当に目覚めちゃったの、お前……」
その言葉に、白羽の男は答えない。ただ、その美麗な顔をうっすらと微笑ませるだけだ。その微笑みに、三人はまた嫌なものを感じ取る。
「そう言えば、さっきもお前、おとなしかったそうじゃないか。あの豚野郎を前にお前、よく食って掛からなかったな。……お、大人になったのか?」
その凶悪なまでに優雅な微笑みを前に、再びレギアスが問う。その問いに、また、その優美な口の端が、にっこりと歪められた。
「いやね、ずっと考えていたんだよ」
「……考えるって、何を?」
「あの指輪の宝石、着ている毛皮、その他諸々の装飾品。売ったらいくらくらいになるだろうかなあって」
「え?」
あまりに意外なその答えに、三人の目が見開いて固まる。
「ここに来るだけで、あんなに高価なものをあれだけ付けて来られるってことは、家にはもっと財産があるんだろうねぇ。うん、選定候って、大公家にも劣らないくらいお金持ちなんだなあって」
ぞくりとするような美麗な笑みで、そう紡ぎ出される言葉に、三人はますます嫌なものを感じ取る。
「おい……お前……」
冷や汗をかきながらそう問いかけるランドルフを尻目に、碧の目がうっとり、と細められ、その口からまた意外な言葉が紡ぎ出された。
「うふふ、楽しみだなあ」
「た、楽しみって、何が」
声を震わせながらのオルフェのその問いに、細められた碧の瞳がこちらを向いた。
「え? だってさ、六人もいるんだろ、あんなのが。それから、南大公も、東大公もいるんだろ? ガリレアに」
「え……。そ、そうだけどな……。え……お前一体……何を……」
そう、脂汗をかきながら、問いかけるランドルフの前に、恐ろしく凶悪な微笑みが迫った。
「うふふ、僕、楽しみです。ガリレアに行くのが」
「お、お前、行くつもりか? ガリレアに。い、いいのか? 将軍の首、獲るんじゃなかったのか」
今朝方まで、新たな戦争に向けてその怒りを燃やしていた男の、あまりにも意外な行動に、ランドルフは絶句する。よもや、この男がガリレアに行く、などと言い出すとは思わなかったからだ。
「え、獲りますよ。……獲りますけど、今は無理。貴方もそうおっしゃってたじゃありませんか」
「し、しかし……」
「……多分、今、敵軍は動きませんよ。皇帝が帰った今、残されたのは慎重派の将軍のみ。将軍はわざわざ冬の進撃をするほど馬鹿じゃありません。あちらが動かないんだったら、こちらも今、動く必要はない。ならば、今 僕がここに留まる理由はないでしょう」
「だ、だが、さっきミッテルウルフ候が言っていただろう。彼らに南部の竜騎士達の掃討を任せる命令が出た、と。と、なると国王軍がここからエルダーに向けてこの冬か、もしくは春にでも進撃するんじゃないか?」
その可能性について、目の前の碧の瞳は、いささかも揺るがず、けろり、として答える。
「いいんじゃないですか。うん、殺されればいいんですよ、あんな豚。竜騎士達なら、あの豚、さくっと屠殺してくれるでしょ」
その言葉に、三人の男はだらしなく口を開けたままにすることしか出来ない。……何を言っとるんだ、この男は。仮にも味方だぞ?
「馬鹿な豚の元にいる国王軍がどうなろうと、僕の知ったことじゃありません。ついでに、国王軍が倒れて、またこの城が奪われようが何しようが、僕の知ったことじゃない」
「お、お、お前、何を……。あ、あれだけ苦労して落とした城なのに、何を馬鹿なことを……」
ランドルフのその言葉に、碧の瞳を眇めて、ため息をつきながら、臣下たる白羽の男が答える。
「どうでもいいんですよ。こんな城。ここを落としたのはここに皇帝と将軍がいたからです。彼らの首を獲りたかったからここを落としただけで、この城が奪回されようが、破壊されようが、どうだっていいんです」
その言葉に、三人は再び絶句する。
……ど、道理でためらいもなくあれだけ城に火を付けられた訳だ……。
驚愕の事実に言葉もない三人を尻目に、さらにうきうきとした様子で、金の髪が揺れる。
「ああ、それにしても、ガリレアには国王陛下もいらっしゃるし、他の貴族もいるんでしょう? どうせなら、北と西の大公も来てくれないかなぁ」
その臣下の言葉に、はた、とランドルフは気づかされる。
そうだ、ガリレアに行くということはつまり、あの『毒蛇の巣』たる宮廷に行くということで……。
「おい、ちょっと待て、リュート! お前忘れたのか? いつぞや、ガリレアの密偵がお前を襲った事件があったのを。ガリレアに行くということは、また襲われるかもしれん。そういうことだぞ?」
そうだ、あの収穫祭の夜の拉致未遂事件。なぜ、この男が狙われたのかは知らんが、この男の存在を快く思わない人物がガリレアにいることは確かだ。わざわざその巣にこちらから向かうなど……。
ランドルフのその心配をよそに、再び、呆れたように目の前の男がため息をついた。
「それが何だって言うんです。どうだっていいんですよ、そんなこと」
けろり。
一言で、目の前の白羽の男の態度を示すなら、それのみ、である。
「……そんなことって、お前! お前の命が狙われるかもしれんのだぞ! それを……」
「はあ? ついこの間まで戦争やっておいて、今更命の心配などするものですか。ましてや、やれ睡眠薬だ、やれ拉致だ、と知らぬ所でぐじぐじぐじぐじ暗躍する人物のことなんか、ほんっとにどうでもいいんですよ」
心底、どうでもいい。本当に、この目の前の若造はそういう顔をしている。ランドルフにはとてもではないが、その神経がまったく理解出来ない。ついには頭を抱えて悩み出してしまう。
そんな彼の様子に、また美麗な顔が近づいてきて、にっこりと、一言言い捨てる。
「ああ、心配性だなぁ、我が君は。そんなに心配ばかりしていると……禿げますよ、誰かみたいに」
「だ、誰のせいで心配ばかりしておると思っとるんだ、誰の!!!!」
堪らずランドルフが暴言の主に掴みかかる。それでも当人はそしらぬ顔で、悠々と舌など出すのみだ。
「もう、やだなぁ。唾飛ばさないでくださいよ。……冗談なのに」
「馬鹿たれ!! もうお前のことなんか知るか! 勝手にしろ!!」
「ええ。じゃあ勝手にします。お言葉に甘えて」
うふふ、とまた一つ、凶悪な笑みで臣下は笑ってみせた。
「お……お前、何を考えている。お前、一体王都で何をするつもりで……」
目の前に突きつけられる笑みに、恐ろしく嫌な予感を感じ取った主君が、震える声でそう尋ねる。その問いに答えるかの様に、碧の瞳が妖しくその光を放った。
「……もちろん、今、僕が欲しいものと言えば一つでしょう」
……今朝突きつけた、帳面が蘇る。
ああ、そうだ。今、この男に足りないものは……。
「だが、しかし……。お前、一体どうやってそれを……」
再び、目の前の臣下は、うふふ、と不敵に笑ってみせた。
「今朝、申し上げたでしょう? 貴方はそれをできない、とおっしゃったけど」
今朝、私が出来ない、と言ったこと……?
ランドルフは必死で今朝のこの男との会話を思い出す。そうだ、この男は確か、金一つ都合出来ないで何が大公か、と私を罵っていたのだっけ。その前には、確か、金がないなら……。
――ぞくり。
嫌な悪寒が、ランドルフの体を貫いた。
「ま、まさか、まさか……お前……」
「ええ。貴方が出来ないなら、僕がしてやろうと思いまして」
ランドルフが一番嫌な結論に達したのと、目の前の美麗な顔が、最恐に微笑むのはほぼ同時の事だった。
「……うん、リュート。お前……やっぱ、来なくていいわ。うん、ナムワとここでお留守番してなさい。……うん、きっとそれがいい」
引きつった笑みで、ランドルフはようやくそれだけ絞り出した。それをあざ笑うかの様に、再び禍々しいオーラとともに、金髪の男が笑う。
「何故です。せっかくあちらからの招待なのに、お断りしては失礼というものでしょう。なにより、この僕自らが、行く気になっているのです。何の問題がありましょうや?」
……お前の存在、そのものが問題だよ。
小さくランドルフが、そう呟くのがオルフェ達の耳にも届いた。三人の男達の脂汗が、じっとりと滲み出る。
「さあ、参りましょう。華の都、王都ガリレアへ!!」
頭を抱えてへたり込む三人の男を尻目に、金の髪を輝かせた『白の英雄』は、とびっきりの微笑みを浮かべて、そう高らかに宣言して見せた。