第二十五話:告白
「皇帝が帰っただとぉ!!!」
その驚愕の情報を耳にするなり、碧の目が燃え立たんばかりに猛り立った。それと同時に、その瞳の持ち主は、目の前の眼鏡の男の首元に掴みかかると、それをがしがしときつく揺さぶる。
「本当か、オルフェ! 間違いないんだな!!」
「……リュート、離してやれ。オルフェが失神する」
呆れたようにそう呟く主君の言葉に、はた、とリュートは我に返った。見ると、目の前で、ぐえ、と一つうめきながら眼鏡の男が白眼を剥きかけている。
「あ、ごめん、オルフェ」
「……私を殺す気か!! せっかくあの戦で生き残ったっていうのに!!」
ルークリヴィル城の戦いから約二週間。燃やされた内城壁の黒々とした焼け跡が今だはっきりと見て取れる城の一室に、この戦勝の立役者たる『白の英雄』リュートを激怒させる情報が舞い込んだのは今朝方の事だった。
……皇帝の本国への帰還。
その理由は明らかにされていないが、皇帝が半島最南部エルダーに、サイニー将軍と兵を残したままで、突如本国へ帰ってしまったというのだ。
これに、勿論その皇帝の首を狙うリュートが納得するわけもなく、その八つ当たりをうけるがごとく、眼鏡の男が犠牲になった、という次第である。
「許さない、許さないぞ!! この僕にその首獲らせることなく、帰還など絶対に許さない!!」
ぎりぎりと悔しげに奥歯を噛みしめながら、白羽がルークリヴィル城の主室を歩き回る。
「……そうだ! まだ将軍とその配下の軍は残っているのだろう? ならば、あいつらの首、全部刎ね散らかして、本国に送りつけてやればいい! そうすれば皇帝も再び出てこざるを得んだろう?! よし、そうと決まれば、出兵だ! 今すぐエルダーに向けて出兵だ!!」
そう高らかに宣言し、窓から南の空を指し示してみせる白羽を、三人の男がしらー……っとした眼で見つめている。その冷ややかな視線に、不満げに白羽が問う。
「なんだ、なんだ。皆、どうした。……出兵に反対なのか?」
「オルフェ、教えてやれ」
もはや、あきれ果てて物も言えぬ、といった表情で、主君ランドルフが一つそう言い捨てた。その言葉を受けて、いつにない厳しい表情で、眼鏡の男がリュートの前に、一冊の帳面を突きつける。
「教えてやろうか、リュート。うちの帳面が何色なのか」
あまりに意外なその言葉に、碧の眼がきょとん、と丸くなる。……色なんか、見たらわかるだろう。茶色の、なめし革の表紙。そんなこと教えられなくたって……。
その思いをあざ笑うかの様に、眼鏡が眼の前でぎらり、ときつく光った。
「わからんなら教えてやろう。いいか、真っ赤だ、真っ赤!! 血の色よりも濃い赤だ、赤!! 誰かさんのせいで、うちの帳面は真っ赤っかの火の車なんだよ!!!」
その言葉に、ようやくリュートは色の意味を理解する。突きつけられた帳面をぱらぱらとめくってみると、そこには予算を大幅に超えた赤字の印がそこかしこに付けられていた。
「誰かさんが、湿地の戦いでテントを全部ぱあにしてくれたあげく、新しい武器の鋳造、炉の建設、さらには焼いた城壁の修繕費、それから手柄を立てた兵士への報奨金、その他もろもろ金を湯水の様に使ってくれたせいでな!! この金食い虫めが!!」
唾を飛ばさんばかりのオルフェの猛抗議に、その耳を塞いで耐えながらも、またリュートが悪びれることなく、しれっと言い放った。
「なんだ、そんなことか。必要経費だろう。それよりも、今度の出兵には兵がちょっと足りないから、近くの農民でも雇おうかと。今農閑期だから、そうだなあ、千人くらいは欲しいかなぁ」
「……お前は大公家を破産させるつもりか!!」
その額いっぱいに青筋を立てて唾を飛ばすオルフェに、辟易したように、またリュートの唇が尖らせられる。
「ええー、だってさ、お金の管理はオルフェの仕事だろ。その辺何とか出来ないようじゃ、秘書長である意味がないっていうか……」
「おい、殴っていいか。なあ、お前のその面いっぺん殴っていいか」
同僚の言葉に堪りかねたオルフェが、その手をぷるぷると震わせながら、今にも殴りかからんばかりに、リュートの首元に掴みかかる。それを後ろから、レギアスが何とか羽交い締めにして止める。
「やーめーとーけって、オルフェ。お前じゃ殺されるぞ」
離せー、離せー、あのクソガキの面だけはいっぺん殴らないと気が済まんのだー!と激高するオルフェを尻目に、リュートはその帳面を持って、主君の机に詰め寄った。
「なんですか、これ。小麦の値段が高すぎる! それに大麦もだ!! 穀物の値段、いつもの倍以上になってるじゃないですか!!」
彼の言葉通り、一番その帳面を赤く染めているのは穀物、及び、その他の食料品の項目だった。その事は勿論主君たるランドルフも周知の事実である。
「そうだ。ここの所ずっと値段が跳ね上がっている。正直、食費が一番きついな」
「こんなに高いわけないでしょう! 一体何故……! まさか、誰かが値段をつりあげてるのではないでしょうね?!」
「……そのあたりは定かではないが、ともかくもこれ以上の出兵はできん。人員的にも、財政的にも、な」
わかっただろう、諦めろ、と諭すように帳面をコツコツと指し示す主君を前に、リュートの口が小さく舌打ちを漏らす。
「ちっ……、使えない」
「……おい、今なんて言った」
臣下の呟きを耳ざとく聞き取った主君が、短くそう尋ねた。その額にはぴき、と一筋の青筋がきつく浮かび上がっている。
「あ、聞こえました? これくらいの財政難、どうにかできないなんて本当に使えない無能なご主君だ、と申し上げたのですよ」
ぴきぴきと青筋を立てる主君に一切構うことなく、そうしれっと言いのける臣下に、さらにランドルフはその眉間に皺寄せて、相手の首元に掴み掛かった。
「お、お前、またそう言って私を焚き付けるつもりか? もうその手には乗らんぞ」
「焚き付ける? まさか。僕は本音を言ってるだけですよ」
「お、お、お前……」
眉一つ動かさず、そう言ってのける臣下に、ランドルフは怒りでプルプルと震え、拳を握り締めて耐える。それをまた嘲笑うかの如く、碧の瞳が動いた。
「金がないなら強請りでも集りでもなんでもして、金を集めたらいいでしょう。金一つ都合出来ないで何が大公ですか」
「お、お前、次期大公たる私に強請り、集りをしろと、そう言うか。お前、主君を財布か何かと勘違いしてないか?」
これ以上言うと、ただじゃおかんぞ、というような目つきで主君はきつくその臣下の首元を締め付けるが、それにも少しも碧の瞳は臆することはない。ただ、一言、しゃあしゃあと言う。
「財布じゃなかったら何なんですか」
「……おい、殴っていいか。お前のそのクソ生意気な面、いっぺん殴っていいか」
先のオルフェと同じ台詞を吐きながら、もう我慢ならんと、ランドルフがリュートの首元に掴みかかる。それをまた同じようにレギアスが羽交い締めにして何とか止める。
「ランドルフ、やめとけって。お前でも殺されるぞ」
「じゃあ、命令だ! レギアス!! お前あいつ殴れ!! いっぺん、あの面ぼっこぼこにしてやれ!!」
「やだよ。俺、死にたくねえもん」
「……と、とにかくだ、これで分かっただろう、リュート。お前が言ったように、もうすぐ本格的な冬だ。こんな財政難で、ましてや冬の出兵などできん!! 諦めろ!!!」
レギアスに今だその手を押さえつけられながらも、何とか平静を取り戻したランドルフがきっぱりとリュートにそう告げる。それでも未だ、臣下の顔は納得のいかない仏頂面のままだ。
「まったく、お前は……! あ、そうだ、もう一つお前に言うことがあったのだ。もうすぐ言っていた国王軍が到着するそうだ」
その言葉に、ぴくり、と白羽が動いた。何かを期待するような眼で、矢継ぎ早に主君に問いかける。
「国王軍? あ、そう言えばそんなこと言ってましたね。人数はどれくらいです? それから、資金は?」
きらきらと眼を輝かせてそう問うリュートの期待をあざ笑うかのように、今度はランドルフの瞳が眇められる。
「……お前、国王軍を出兵させよう、とか考えているのではなかろうな? 残念だが、それは無理だぞ」
「どうしてです?」
「今度の国王軍を率いているのは、六大選定候の一人、ミッテルウルフ候だ。そう簡単にいく相手ではない」
「……六大選定候、ミッテルウルフ候?」
リュートのその問いに、ランドルフは少々不快げな表情を浮かべて答える。
「そうだ。中央の政治を司る中央貴族の中でも、選ばれた六人だけがもつ選定候、の称号。国王、大公に継ぐ王国第三位の地位にある者。……宮廷に住み着く、毒蛇の一人だ」
「お前も知っているだろう、リュート」
主君の言葉を補足するように、眼鏡の男が近づいてきてさらに言葉を重ねる。
「お前の義父の実家でもある中央貴族というのは我々のような地方貴族とは異なって、土地を持たぬ代わりに、中央の政治で官職につくことによって、その俸禄を得ている貴族達だ。その中でも特に重要なポスト、宰相、軍事司令官、大神官などを務めるのが、選ばれた高位貴族、選定候だ。彼らの歴史は古く、統一戦争の頃から王家に忠誠を誓い、統一戦争を王家と共に戦い抜いた古参の貴族達だ。四地方を治める四大大公より、一つ劣る地位ではあれど、その古くからの忠誠によって、国王との結びつきは統一戦争後から臣従した大公家より遙かに強く、それだけにやっかいな相手だぞ」
「そうそ、んで、ミッテルウルフ候ってのは国王軍の第二軍を司っている大貴族ってわけ。なんというか、中央の奴等は頭が固い上、やたらとプライドが高くてね。前に戦死したレッツェルの比じゃない。そうそう簡単にお前が動かせる軍じゃないと思うぜ」
オルフェに続くそのレギアスの言葉に、少しだけ、リュートはまた口を尖らせた。
その不満げな臣下を横目に見ながら、ランドルフが彼の前に一通の書簡を取りだしてみせる。その表情は嫌々、渋々、といった面持ちだ。
「それで、そのミッテルウルフ候から早便が届いた。もうすぐ到着するから、是非『白の英雄』殿に会いたい、とな」
「……僕に?」
「ああ、今日の午後には到着する予定だが……、面会するにあたって、一つだけ命令がある」
そう言って、ランドルフはリュートに近づいて、彼の腰にぶら下がったままの剣に手をかけた。
「これ、外していけ。私が今、この場で預かる」
あまりに意外な命令に、碧の眼が、きょとん、と丸くなる。その疑問の眼を察したかのように、ランドルフは腰の剣を外しながら答えた。
「お前なら斬り殺しかねんからな、あの毒蛇を」
その言葉に、リュートはようやく一つ、納得する。……なるほど、ミッテルウルフ候というのは、僕が斬り殺したくなるような人物、ということか。先に言っていた『宮廷の毒蛇』……ね。
「じゃあ、仕方ありませんね。お預けしますよ」
「……なんだ。いやに素直だな。珍しい」
ふう、と一つため息をついて、言うままに剣を差し出した臣下の行動に、主君は何かしら嫌なものを感じ取った。……いつもならもっと、ごねるはずだ。それをこうもあっさりと……。
その主君の思いを汲み取ったかのように、金の髪を揺らして、美麗な顔がにっこり、と微笑んだ。そして、一つ、バキリ、と手を鳴らす。
「ま、いざとなったら括り殺せますから」
「……それも駄目だ!! この馬鹿たれが!!!!」
「……冗談なのに。わからない主人だな」
そうぶつぶつと文句を言いながら、追い出されるように、リュートは主室を辞した。軽くなった腰を持て余しながら、その不満を発散させるかのように、つかつかと城内を歩き回る。
……確かに、主君の言うことも最もではある。
自分としても、元々この冬に戦争をするつもりはなかった。そう、全ては先の戦で終わらせるつもりだったからだ。
冬の進軍は思うよりも厳しい。ましてや食糧難、財政難、ときては兵士達の士気も下がる。これでまたあの将軍に勝てるか、と言ったら……答えは否である。
元より人員が少なすぎる。……とはいえ、新たな国王軍を当てにできるか、と言えばそうではない。共に戦い抜いた東部軍ならいざ知らず、国王軍の者達が、たかだか東部の地方領主の養子である自分の命に従って動く、など考えられぬからだ。ましてや、司令官たるミッテルウルフ候がいるのに、だ。
それに、正直、他の者の息がかかった軍隊など、恐ろしくて使えぬ、という思いもある。相手は『毒蛇』と揶揄される人物の一人。その男の軍隊など……。
そう思案しながら、城内の食堂に足を踏み入れた時だった。
「何よ!! 失礼ね! 離しなさいよ!!」
甲高い女の声と共に、数名の男達のもめる声が聞こえてきた。その声がする群衆の中心を見遣ると、そこにはよく見知った薄紫と薄桃の羽の姉妹が二人、数名の兵士達に絡まれている。
「いいじゃねえか、な? ちょっと酌するだけだろ」
「冗談じゃないわよ! 私たちは娼婦じゃないのよ! 看護婦よ!! 馬鹿にしないで!!」
「何お高くとまってんだよ。なあ、一緒に楽しもうぜ、姉ちゃん達よぉ」
そう、いやらしく酒臭い顔を近づける兵士の一人に、黒髪の女の平手がきつく飛んだ。
「ふざけないで!! 嫌らしい! あんた達なんかお断りよ!!」
その平手打ちに、兵士達の眼が一瞬にして違うものに変わった。彼の頬を打った右手を掴むと、無理矢理女の体を壁に押しつけて迫る。
「おいおい、姉ちゃん、それはないんじゃないの? こっちがせっかく紳士的にしてやってるのによお」
「そうそう。おとなしくしていたほうが身のためだって。なあに、悪いようにはしねえからよ」
兵士数人の腕が、女の柔肌へ、今にも触れんとばかりに襲いかかったその時。
「やめろ」
女の胸に伸ばされようとしていた腕が、突然逆手にねじ曲げられた。堪らず兵士が情けない悲鳴をあげる。
「いてえ!!こ、このやろ、何しやが……」
そう叫びながら、後ろを振り向いた兵士の顔が、一瞬にして硬直した。眼の前には、揺れる金髪と白羽。それは彼らが心酔して止まない英雄の持ち物に他ならなかったからだ。
「リュート!!」
姉妹二人が助けに入った男の名を呼ぶ。
「やめんか、みっともない。勝利からもうだいぶ経つのにまだ呑み散らかしているのか、お前らは」
あきれ果てた様に、睨み付けられる碧の瞳に、兵士達はもう言葉もない。す、すみませんでしたーっ、と一言残し、脱兎のごとくその場を立ち去った。
「……あ、ありがとう、リュート」
自分を助けてくれた愛しい幼なじみに、薄桃の羽の乙女はその頬を、うっすらと上気させて礼を言う。だが、それとは裏腹に、幼なじみの男からは冷や水のごとき冷徹な言葉がかけられた。
「こんな所にいたらああなるのは目に見えているだろう。君らには自己防衛とかそういう考えはないのか」
その言葉に、気の強い姉トゥナが黙っているわけもなく、すかさず幼なじみへと食らいつく。
「私たちは看護婦よ! あんな扱い、受けるいわれはないわ!!」
その言葉に、小馬鹿にしたようなため息が一つ、リュートの口から漏らされる。その瞳は相変わらず、熱を一切持たない、冷徹な瞳のままだ。
「……そうは言うけどね、女には変わりないよ。これから冬で、ますます退屈になるだろうし、兵士達も娯楽を求める。ま、慰み者になるのが嫌だったら、今のうちにクレスタに帰った方がいいんじゃないか」
「……無理よ」
リュートの提案に、トゥナは静かに一言だけ答えた。
「どうして? 今なら戦もないし、潮時だと思うけど?」
またもそう冷たく言い切るリュートに、妹マリアンが言いにくそうに、小さく彼に告げる。
「姉さんは……こんな雪の中、長旅出来ない体なの」
「それって、どういう意味? 体、どこか悪いのか?」
マリアンの言葉に、リュートが少しだけその瞳に動揺の色を漂わせて、問う。しかし、返ってきたのは、静かにふるふると横に振られる首と、衝撃の言葉だった。
「……妊娠、してるのよ、姉さん。……レミルの子よ」
……絶句。その一言である。
リュートはその碧の瞳で、穴が空くほど女を見つめながら、声も出せない。
その沈黙を破ったのは、妊娠している本人だった。
「多分、あの時の子よ。出征前、レンダマルの収穫祭の時の……。ここに来たときには気づいてなかったんだけど……」
――……妊娠? ……子供? ……レミルの、レミルの子だって?
ようやく、リュートは自分が何を言われたのか、理解をする。
それと同時に、何か、嫌な汗が、どっと全身に噴き出してくるのを感じた。
――な……なんで……なんで……。
「姉さん、レミルが亡くなってから、ずっと伏せっていたでしょう。あれ、悪阻だったのよ。それなのに無理して戦場まで見に行ったりして」
「……見ておきたかったのよ。このお腹の子と一緒に、彼を殺した仇が死ぬところを」
そう姉妹の間で交わされる会話も、リュートの耳には届かない。
ただ、何か、嫌なものがぐるぐると自分の頭の中を回っている。それだけだ。
ふと、女の腹部が目に入った。まだ、膨らみもしていない、下腹のあたりだ。
そこをただ、じっと碧の瞳が見つめる。
……そこに、レミルの子が……。
そう思い当たったと同時に感じたのは、何よりも醜いどろどろした感情だった。何かが、吹き出すように、自分の中を沸騰している。
――なんで、なんで、なんで、なんで!!! ……なんで、あんただけ!!
「……みっともない」
呟くように、リュートの口から、小さな声が一つ、漏れた。
「……みっともない、ですって?」
耳ざとくそれを聞き取ったトゥナが、言葉の主をきつく見据えながらそう尋ねる。そこには、見たこともない、暗い、暗い、瞳の色があった。
「だって、そうだろ? 結婚もしていないのに、妊娠だなんて、みっともないじゃないか。何が娼婦じゃないだよ! やってることは一緒だろ!?」
その言葉に、かつてないほど女の瞳が激高する。そして、英雄たる目の前の男を少しも恐れることなく、その首元に掴みかかった。
「何ですって?! それ以上言ったら、リュート! 例えあんたでも許さないわよ!! この子はね、この子はねえ……!!」
「この子は何だって言うんだよ!! レミルの代わり、とでも言うつもりか? ふざけるな!! 冗談じゃないよ。なんで、あんたが……なんで、あんただけが……」
焦点の合わぬ目で、リュートはそう、言い淀んだ。
……それは、嫉妬に他ならなかった。
生きていく目的を、そして希望を、愛する兄から与えられた、この女に対する嫉妬。
――何もないのに。
僕にはもう、何もないのに。……貴方を殺した男達を憎み、血塗られた道を行く以外、生きる道など僕には何もないのに。
どうして、どうして、この女だけ。
……どうしてだ! レミル!!
「もうやめて!!」
そう、割って入ったのは薄桃の羽だった。
「姉さんもリュートも、もうやめてよ!! 二人が憎しみあってどうするの!! そんなこと、レミルだって望んでないでしょう?」
「……うるさい!! あんたがレミルを語るな!!」
愛する男から初めて向けられた負の感情に、マリアンの瞳が微かに潤む。そして絞り出すように声を震わせて言葉を紡いだ。
「……もう、もう嫌よ。もうこんなの嫌よぅ……。どうして、どうして、リュートも姉さんも……。昔はあんなに仲良かったのに、どうして……」
どうして、と問われても、それに答うるだけの余裕は既にない。ただ、リュートもトゥナも、やり場のない感情を抱えたまま、お互いを睨み付けるだけだ。
「もうやめて。ねえ、リュート、もうこんなことやめましょう? こんな戦争だって、私はもう嫌よ。ねえ、お願い、私と一緒にクレスタへ帰りましょう?」
泣きながら、マリアンは愛しい幼なじみにそう懇願した。だが、それに対してただ一言、冷たい言葉が返って来るのみである。
「断る」
ぎり、とリュートは胸にかかるペンダントをきつく握りしめた。
……今更、帰るだって? レミルのいないクレスタへ、帰るだって?
そんなことして何になる。レミルのいないクレスタなんて、何の意味があるっていうんだ。
「リュート! お願いよ!!」
断られて、尚、マリアンは白い羽に追いすがった。そして、一言、耐えきれないように、彼に告げる。
「好きなの!! 好きなのよ、あなたが!!」
「……それで?」
告げられた告白に、その一言が突き刺さる。
「……それで、だから何?」
暗い、暗い、碧の瞳が、こちらを向いていた。
「だから何だっていうんだよ? あんたが僕を好きだから、何だっていうのさ?!」
「リュート!!!」
――バシリ!!
トゥナの平手が、頬をきつく打っていた。
「リュート!! あんたって男は!! なんてことを!!」
激高し、今にも引っ掻かんばかりの勢いで、トゥナはリュートの掴みかかる。それを、寸でのところで、妹の白い腕が止めていた。
「やめて、姉さん。……いいの」
「……マリアン……」
「いいの。いいのよ、姉さん」
そう言いながら、カタカタと震えながら、妹は姉の手を掴んで見せた。その表情に、姉は一つ、ぞっと寒気を覚えた。それは、目の前の男の瞳にも似た、暗い、暗い瞳だった。
その姉妹の様子をしらけた目で見つめながら、またもリュートが冷たく吐き捨てる。
「……話はそれだけ? なら、僕はもう行くよ。あんたらと違って、忙しいんだ」
「リュート!!」
トゥナのその叱責を意にも介さず、リュートはその白羽を彼女たちから背ける。そして、一言も、何も発せず、その場から立ち去っていった。
……そうだ。だから、何だって言うんだ。
僕には、そんなこと、関係ない。誰が、どうであろうと、もう、関係ない。
もう、僕には何もないんだから。この、血まみれの道を行く以外、何も残されていないのだから……。
「なんて男!! マリアン! あんた、もうあんな男のことなんか……」
「……姉さん」
怒りたつ姉の言葉を遮るようにして、妹がこちらを向いていた。
「姉さん。あなた、この間、私に言ったわね。『自分はもうレミルに愛してるって言われることもなく、一生過ごして行かなきゃならない。その気持ちが私にわかる?』って?」
それは、あのリュートの目に似た、まったく熱を持たない、冷たい目だった。トゥナはその妹の迫力に押されて、言葉すら出てこない。
「……ごめんなさい。私にはわからないわ。そうでしょう? だって、私は愛されないもの」
マリアンの目が、かつてないほど暗く濁る。
「私は、愛している人に好きだと言われることも、抱きしめられることも、キスされることもない。……それなしで、一生耐えて行かなきゃならないのよ? ねえ、その気持ちが、あなたにわかる? 姉さん」
焦点の合わぬ目で、姉を見つめ、妹は淡々とそう尋ねた。
「あの人は、きっと、私のことなんか見ないわ。今までも。そして、これからも、一生ね」
ふ、ふ、ふ、と短い嗤いが、妹の口から漏れ出ていた。まるで、それは愛されぬ自らを自嘲するかのような嗤いだった。
「……惨めね。惨めねぇ、私。……でもね、姉さん。あなたが私を哀れむことはないのよ」
嗤いが止み、その顔が上げられた。
「だって、私これで終わるつもり、ないもの」
――ぞくり。
その表情に、トゥナはかつてないほど戦慄を覚えた。
「これで終わらないわ。ええ……絶対にね」
それは、自らの愛が、永遠に報われぬと悟った女が、その愛を狂気に変えた瞬間だった。