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第二十四話:騎士

「死ねぇッッ!!!」

 

 そう金の髪の男が叫ぶのと、『鉄人』がその腰のサーベルを抜くのは同時だった。

 ――ガキンッッ!!

 金属音が青い空に響く。

 ガリガリ、と嫌な音を立てて二つの武器が交差した。その拮抗する剣を先に引き下ろしたのは、鉄人の方だった。飛竜を操る力強い右腕で、力任せに相手の剣をカン! と弾く。

「軽いな!」

 弾いた反動でよろめく相手を見下しながら、鉄人が余裕綽々でそう言い放った。だが目の前の猛り立つ碧の瞳は、一向にその怒りの炎を静める気配はない。

 その弾かれた切っ先をすぐに鉄人の急所にピタリとつけ、白い翼を風に乗せて勢いよく襲いかかる。風の力を加えた一撃は、先のものとは比べものにならぬほど重みがあり、鉄人の名を恣にする将軍ですら、その滅多に使わぬ左手も使って両手で弾くのがやっとだった。その一撃に、堪らず鉄人が感嘆の声を漏らす。

「……素晴らしいな、貴殿の風の読み方は。流石は、翼を持つ民族と言うだけのことはあるか」

 その言葉にも、白羽の男の攻撃は止むことはない。フン、と一つ鼻を鳴らすだけで、さらにその翼を風に乗せて、切っ先を鉄人の懐へと深く切り込ませる。その攻撃に、鉄人の鉛色の目が鋭く光り、に、と口元が一つ緩んだ。

「だが、まだまだ甘いな」

 再び、カン! と音を立ててその切っ先が弾かれた。威厳のある低い声が響くと同時に、弾かれた剣先がサーベルによって叩き落とされる。

「まだまだ、貴殿は経験不足だ!!」

 

「……しまっ……!!」

 白羽の男がそう叫ぶが、もう遅い。剣を床に叩き付けられた反動で、その翼のある体が前のめりに倒れ、ぐら、とバランスを崩す。そして、すぐにその動きを察知していたかのごとく、絶妙なタイミングで鉄人の蹴りが足に飛んだ。

 

 ――ドンッッッ!!!

「リュート様!!」

 立てられる鈍い音に、後ろで戦っていたナムワ配下の荒くれ達の声が飛ぶ。

 

「くっ……!!」

 鉄人の足で膝を蹴りつけられた事によって、リュートの体は前のめりに主塔の床に倒れ込む形となっていた。倒れた衝撃で、手に持っていた剣が飛び、ざり、とした床の感覚がうつぶせの体に触れる。

 ……まずい!! このままでは、後ろから……!!

 すぐに、背後からの攻撃を懸念して、白い翼が動いた。だが、一向にその背に痛みは感じない。

 即座に態勢を立て直して、床の剣を素早く拾い、その敵の方を見遣ると、鉄人はまるで彼が起きあがるのを待っていたかのように、悠々とそのサーベルを構えたままだった。その行動に、碧の目が再び、ギリ、と眇められる。

「……何故、攻撃しなかった。今、後ろから攻撃できただろう」

 その問いに、眉一つ動かさず、鉄人、サイニー将軍は静かに答えた。

「私は騎士だ。武器を持たぬ者を狙うような真似はしない」

 

「……はっ」

 紡ぎ出された答えに、碧の目を持つ秀麗な顔が凶悪に歪む。

「何だ、それ。もしかして、あんたらの言う騎士道、とかいうやつか? 何を言っている。侵略者の分際で笑わせるな」

 再び『侵略者』という言葉を用いて、リュートは鉄人の言い分を一蹴してみせた。だが、その言葉にとうの本人は先にも増して動じる事はない。ただ、一言、淡々と目の前の若者に告げるのみだ。


「貴殿が狂気を共にせねばここに立てぬように、私も騎士道を共にせねば、ここに立てぬ。それだけのこと」

 

「……わけの」

 鉄人の言葉に、剣が一つ、ふるり、と震えた。

「わけのわからぬことを言うなぁっっ!!」

 再び、その鋭い切っ先が鉄人を襲う。

「そうだな、貴殿にはわからぬかもしれぬ」

 繰り出される剣の攻撃を、まるで大人が子供をあしらうが如く、簡単に弾きながら、鉄人が静かに言葉を紡いでいた。

「そう……四方を海に守られて、のうのうと暮らしてこられた幸せな貴殿らにはわからぬよ」


 ――カン!カン!カン!

 続け様に剣が弾かれる。

「侵略者の道理などわかるものか!」

「……そうだな、わからぬほうがよい。それが幸せというものだ」

 リュートのすべての攻撃を軽くあしらう鉄人の目に憂いの影がじっとりと差していた。

「だが、我らには必要なのだ。献身、忠誠、清廉、正義……そして成しうるべき大義。そういったすべての美しい理想が……。そうでなければ……」

 ……私はここにこうしてはおれぬよ。

 鉄人は、静かにそう結んでいた。

 

 

 

 

「陛下! 陛下!!」

 南の内城壁に上がる火の壁を背に、新たな騎士団が皇帝のもとに駆け付けていた。先に将軍が救援に向かわせた南居館の部隊である。その姿を認めるや否や、蒼天騎士団副団長セネイが叫ぶ。

「よく来た! すぐに隊列を組み直せ! 陛下をお守りするように、だ。そのまま城壁の間を翔け抜けて、南の森まで行くぞ!」

 そのセネイの命令に即座に食い付いたのは、先まで顔面蒼白で震えていた隣の皇帝だった。

「待て! セネイ! それは逃げるということか? あの敵兵を前に、我に逃げろと言うか?!」

「はい、その通りです。この戦力では到底勝てません。ご安心を。貴方様だけは何としてでもお守り致します」

 その言葉に、先までその火を失っていた赤い瞳に、再び怒りの焔が灯る。

「ならん! ならんぞ! 我は嫌だ! 一度ならず二度までもあの黒から逃げるなど、この我の誇りが許さぬ! それにここで逃げれば父上の二の舞ではないか! 我はそれだけは嫌だ!!」

 

「陛下!!!」

 

 子供のように駄々をこねる皇帝に、セネイの激しい叱責が飛んでいた。

「戦局が今どのような状況か、未だにわかりませぬか! 状況に応じて引くことは、恥でもなんでもございませぬ! ここは我らに従って下さい!」

「……しかし!」

「もはや問答無用でございます!!」

 ――ピシリ!!

 未だに渋り続ける皇帝の様子に堪り兼ね、セネイがその鞭を、皇帝の竜の尻にきつく打ち付けていた。一つ嘶きをして、飛竜が皇帝を背に乗せたまま全速力で空を翔け出してゆく。それに一斉に騎士たちが続いて北居館と城壁の間を滑るように飛び立った。それを有翼軍指揮官ランドルフの声が追う。

「逃がすな! 城から逃げる前に皇帝を倒せ!!」

 

 

「待て、逃げるか、皇帝!」

「腰抜けめ!」

 有翼軍兵らの声が背後から皇帝を追い詰める。もはや、状況は完全に逆転していた。

 皇帝は周りを数十騎の騎士たちに囲まれたまま、有翼軍に追われて城壁沿いを翔け抜けていく。その行く手には、北居館の最東部部分の外壁と、城壁から内にせり出すように建設された東塔に挟まれた細い通路が迫っている。

「皇帝の首は俺が獲るぞ!」

「いいや! 一番手柄は俺だとも!」

 その欲望をぎらぎらと迸らせた血気盛んな兵士らが、先頭切って騎士たちの後ろにピタリとついていた。

 それを確認するや、逃げていたセネイの口がにや、と少しだけ歪む。そして、一番しんがりについている騎士、十名ほどに小声で指示を出す。

「……よいな。あの、北居館と東塔の間、丁度狭くなっているところだ。……頼んだぞ」

 

 ヒュン、ヒュン、と風切り音を響かせ、竜騎士の一団が狭き北居館と東塔の間を細い一列の隊列になりながら、勢いよく翔け抜けていく。その様子を軍の後方で追いかけて見ていたランドルフが、すぐに嫌なものを感じ取った。

 確か……あの先は……!!

「駄目だ!! 行くな!!」

 

 主君のその命令も、手柄を得んと先走る兵士達には届かなかった。

「待て!! 竜騎士共!」

「逃すものか!!」

 声高にそう叫びながら、居館と塔の狭き空間に躊躇うことなく竜騎士を追いかけていく。だが、せり出した東塔と、北居館の壁に阻まれて、思うように進軍できない。それもそのはずである。この狭い空間は竜騎士一騎がようやく抜けられるだけの幅しかない。それを我先に、と功を焦る有翼兵達が殺到するものだから、すぐに詰まって身動きがとれなくなってしまうのだ。

「……くっそ! 狭いだろうが!!」

「俺を先に行かせろ!!」

「焦るな馬鹿!! ……ほら、ようやく、抜けるぞ!!」

 そうお互いの翼をこすりつけあいながら、狭き空間をようやく有翼軍の先頭部隊が抜ける。その先に広がる空間で先頭の一人がその翼を広げ、いざ、先に翔けぬけた竜騎士を追わんとした時だった。

 

 ――バサリ、バサリ。ギャア、ギャア。

 すぐ目の前から、嫌な音が聞こえてきていた。

「我が命に代えても、ここは通さん」

 おそらく、精鋭と思われる竜騎士十騎ほどが、その得物をその手にぎらり、と光らせ、待ち伏せをしていた。声を立てる間もなく、先頭の有翼兵の頭がたたき割られる。その惨状に、ようやく先頭後ろに続いてきていた有翼兵が、自分たちのおかれた状況に気づいて悲鳴を一つあげるが、既に手遅れだった。引こうにも、後ろは我先に、と功を焦る兵士達で詰まっているし、前と上空は精鋭の竜騎士が塞いでいる。……逃げ場は、ない。

 また、一つ、また一つ、と東塔の先から有翼兵の断末魔が上がった。

 

「くそ!! やられた!」

 ランドルフが、今だ東塔の北側に位置している部隊の後方で一つ吐き捨てる。

 ……この先は塔と居館の壁に阻まれて著しく狭くなっている。ここを通って、その先で待ち伏せすれば、千の軍隊と言えども、戦えるのは先頭の十の寡兵のみ。敵の精鋭騎士にとってみれば、十の有翼兵など敵ではないだろう。……くそ、さすがは名高き蒼天の騎士というべきか。一筋縄では皇帝の首、獲らせてもらえんようだな……!!

 

 

「やりました! セネイ様!! 有翼軍の追撃が止まりました!!」

 皇帝を守っている部隊のしんがりが後方を確認してそう叫ぶ。

「よし。だが、所詮は十名。いつまでも保たんだろう。今の内に南の森を目指すぞ!!」

 セネイのその言葉に、再び皇帝が食らいついた。

「待て、セネイ。保たん、とはどういう事だ。あいつらは精鋭だろう? 鳥の十人や二十人など……」

「いいえ、陛下。我が騎士がいくら有能であろうが、無敵ではありません。十人や二十人殺せたとしても、百人、二百人は殺せない。いずれ、力尽きてやられます」

「……では、あやつらは……」

 そう青ざめる皇帝に、セネイは断固たる言葉で一つ告げる。

「尊い犠牲です。騎士たるもの、貴方のために死ぬことはとっくに覚悟しております故」

 

 

 

 

 

「わけの分からぬことをごちゃごちゃと!!! 何が騎士道だ! 馬鹿馬鹿しい!」

 鉄人の憂いを断ち切るかの様に、目の前で剣が次々と振り下ろされる。

 ――ガン!ガン!ガン!!

 怒りにまかせて振り下ろされる剣に、それを受け止める鉄人の体が、じわり、じわりと後退してゆく。だが、それももう出来ない。既にその後ろには失神している自らの愛竜の巨体が横たわっていたからだ。それを見るなり、怒りたつ碧の瞳が不敵に歪められる。

「もう逃げ場はないぞ。お前達は空が飛べぬ。そこで追いつめられて……死ぬがいいっっ!!」


 ――ガンッッッ!!

 竜の鋼の様な鱗を背に感じながら、鉄人はようやくその顔面ぎりぎりで、振り下ろされる怒りの剣を受け止める。だが、その逃げ場のない状況にもかかわらず、鉄人の鉛色の瞳は少しも揺るぐことはない。目の前の憎しみの化身とも言える白羽の男を静かに見据え、またも言葉を紡ぐ。

「……貴殿は素晴らしい。その若さにして、この戦略、この統率力、そしてその剣術の冴え。どこをとっても一級品だ。……だが」

 交差していた剣が、鉄人の手によって跳ね返される。キンッ、という金属音がさらに増して空に響いた。

 それに重なるようにして、鉄人の低い声が、青空に一言、よく通り抜ける。

 

「だが、それでは勝てんぞ。憎しみを糧にしていては、いずれ破綻する」

 

 その言葉に、一瞬、碧の瞳が揺るいだ。

「……黙れ」

 だが、それも一瞬で、すぐに、じわ、とその瞳に狂気の色が色濃く差し戻る。

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!! お前らが、何を偉そうに! 何を知った風に!! お前らなんか、お前らなんか……!!!」

 追いつめられた獲物にとどめを刺さんと、再び狂気の剣が振り上げられた。それをまた静かに、鉛色の目が見つめ、一言呟く。

「……覚えておくといい」

 剣が振り下ろされるより先に、鉄人の左手が素早く動いた。その手で拳を作ると、後ろの竜の顎のわきにコンッ、とそれを軽く叩き付ける。

 

「貴殿らが風と共に生きてきた様に、我らもまた、竜と共に生きてきた民族なのだということを」

 

「……何っ!!!」

 ――ガキンッッッ!!!

 リュートの剣が、黒い巨大な影に一瞬にして弾かれていた。それと同時に、ギャオ!! という鳴き声が主塔の上にけたたましく響き渡る。

 

 

 ……竜が、目覚めていた。いや、正しくは鉄人によって目覚めさせられた、といっていい。てらてらと光る舌を覗かせて、竜がその牙がみっしりと並んだ口を大きく開けてこちらを向いていた。

「ベルダ。いい子だな。よく起きた」

 そう言いながら、鐙に足をかけて、ひらりと鉄人が竜の背に飛び乗る。それを待っていたかの様に、風を巻き起こして、竜の巨大な飛膜が青空に広がった。

 その中に、威厳のある声が、淡々と響き渡る。

「……さて、若き白羽の戦士よ。ここは貴殿の類い希なる才能と魅力に敬意を表して私が引こう。貴殿の勝ちだ。この城は貴殿らにくれてやる」

 その言葉に、竜が起こす強風の中、弾かれた剣を引き戻して、再び白羽が竜に少しも恐れることなく、食って掛かった。

「待て! 将軍!! 逃げる気か!!」

「その通りだ。私と、陛下はこの場から逃げる。貴殿に殺されはしない」


 

 

 

 

 

「陛下! もうすぐ城を抜けます! 森へ入ればこちらのもの。奴等は竜のスピードには追いつけませぬとも」

 セネイのその言葉に、後ろに残してきた騎士達を少しだけ気にしながらも、皇帝が頷いた。

 ランドルフの軍を振り切った皇帝の部隊はその歩みを南へと進め、燃え立つ内城壁を横に見据えながら、そのまま南塔を目指していた。このまま南塔の脇の城壁を抜け、森へ身を隠す、という算段である。

 横に燃え立つ城壁におびえる竜を宥めるように、手綱を強く引きながら、皇帝が一つ呟く。

「……我は、我は、悔しい。このまま……このまま終わるなど……」

「陛下……。ここは辛抱なされませ。いずれまたここを奪回致しましょう。何せこの場所は……」

 父の様な瞳で、隣で空を翔けながら、セネイがそう皇帝に声をかけた時だった。

 

――……ドスリ!!

 

 突然、響いた鈍い音に、皇帝の瞳が揺るいだ。

「……セネイ!!」

 今まで、自分を導いてきてくれた男の左肩に、矢が刺さっていた。その突然起こった惨劇に、皇帝は慌てて矢が飛んできた方向を見遣る。

 

「ここを通ると踏んで張っててビンゴだったな。借りを返しに来たぜ、皇帝。俺は礼儀正しいタイプなんでね」

 燃え立つ城壁の前に、長身の巻き毛の男が弓を構えていた。

「……俺の名はレギアス。俺の幼なじみを射抜いてくれた借り、返させてもらうぜ」

 伊達男の香りをほんのりと漂わせる男の弓が、再び引き絞られる。それに、即座に騎士団が反応するが、近くに燃え立つ炎に竜が怯え、一瞬その反応が遅れる。

 

 ――ドスッ!!

 

 ギャアァ!! とけたたましく飛竜が鳴いた。

「陛下!!」

 皇帝が乗る飛竜の首もと、鱗が張っていない部分に、その矢が突き立てられていた。あまりの痛みに、竜がその首を振って、苦しがる。

「こ、この、お、落ち着け!!」

 乱れる皇帝の竜の飛行に、肩に矢が突き刺さったままのセネイが叫ぶ。

「陛下!! 手綱を! 手綱をしっかりとお引き下さい!!」

「……分かっておるわ!! わかって……」

 

 ――ぴきり……!!

 

 手綱を引く皇帝の右腕に、何か、電流の様な痛みが駆け抜けた。

「どうされました!! 陛下!!」

「……手が……手が、右手が動かん! ……何故だか知らんが、右手が……右手が……!!」

 突然襲ったその痛みに、皇帝はその額に脂汗をびっしりとかきながら震えだした。その様子にセネイはただごとでない気配を感じ取る。

「陛下!! こちらへ! どの道その竜はもう使えません!!」

 矢を突き立てられたままの左腕一つで、器用に自分の竜を駆り、セネイは皇帝の体だけを竜の背からかっさらうようにして右手で受け止めると、そのまま皇帝を自分の飛竜に乗せる。そして震える皇帝をその腕の中に抱えながら、毅然として命令を下した。

「皆! 盾になれ!! あの男の弓から陛下をお守りしろ!!」

 その言葉に、皇帝と共に逃げていた騎士、三名ほどが動いた。その体を盾にするように、セネイと皇帝が乗った竜とレギアスの弓の間に立ちはだかる。


「……くっそ!! 外した!! どけ!! おめえら、邪魔なんだよ!!」

 

 レギアスの声が後ろに響いた。三名の騎士を盾にしながら、尚、皇帝を乗せた飛竜は止まることなく、南の城外へと向けて飛んでいく。

 その迫り来る追っ手を気にしながら、セネイは自らの腕の中で震える男の様子に焦りを覚えていた。顔が真っ青で、その右手が自分の意志とは無関係にふるふると震えている。

「いかがなさいました、陛下!」

「わ、わ、分からぬ。と、突然、右手が……。右手が痛うて、堪らんのだ……。何故、何故だ……」

「あのエルマの代わりの竜が合わなんだのでしょうか、それとも……」

 セネイの問いに、皇帝はただ震えながら分からぬ、分からぬと小さく答えるだけだ。その焦燥にかられるセネイの耳に、周りに残っている騎士からまたも不吉な報告が届く。

「副団長!! 追っ手です! またも追っ手です!!」

 

「待ぁてぇ!! 皇帝!! このナムワ様が逃がさんぞぉ!!!」

 燃え立つ内城壁から、禿頭の大男が降ってきていた。その筋骨隆々の体に似合わず、猛スピードでこちらへと迫ってくる。

 ……まずい!!

 セネイは一つ戦慄を覚えた。

 ……今、自分は皇帝と二人で騎竜している。一人ならあんな有翼兵振り切るのは簡単だが、この二人乗りの状況では竜のスピードが著しく落ちる。このままではこの竜だけ遅れて、追いつかれてしまうだろう。陛下はこの状況、さらに私も矢に射抜かれて、到底戦えぬ……。どうする。どうする……。

 

 ぎり、と一つ決意をするかのように、セネイは腕の中の皇帝をきつく抱きしめた。

「……陛下。左腕はご無事で?」

「あ、ああ。左は、大丈夫だ。……動く」

「それは、よろしゅうございました。手綱、お引きになれますね」

 皇帝は、その言葉に嫌なものを感じて自分を抱く壮年の騎士の目を見遣る。

「この竜は、少々年寄りなれど、その分よく調教されております。左腕一本でも、よう言うことを聞きます故」

 ……そこには、今までにない慈しみに満ちた瞳があった。その瞳に絶句する皇帝の手に、きつく竜の手綱が手渡される。

「セネイ。まさか、お前……」

「このままでは足手まといになります故。お前達、後は頼む」

 その言葉に周りを固める騎士達が、深く頷いた。それに反するかのように、皇帝の首がふるふると横に振られる。

「……セネイ。……許さん、許さんぞ……」

 こつり、と壮年の騎士の額が、主君である皇帝の額に触れる。それはまるで、親が子供を安心させるかの様だった。

「陛下の御代に、唯一神ディムナの御加護がありますように」

 

「セネイ」

 ゆら、と皇帝の背から、騎士の体が離れる。

 

「セネイ!」

 手綱が、騎士の手から放され、そしてその足が、竜の鞍を蹴る。

 

「ニクート・ヴェリーサ(ごきげんよう)、陛下」

 

「セネイ!!!!!」

 騎士の体が、ふわりと空中に舞った。

 

「セネイーーーーーっっっ!!!」

 

 

 

 


 

「さらばだ、白羽の戦士よ」

 皇帝を乗せた飛竜が、そのまま南の森に向けて飛び立つのを主塔の上で確認すると、将軍サイニーは意を決したように、きつくその竜に拍車を入れた。将軍の愛竜ベルダが、その後ろ足を強く蹴り、ふわりと空中に浮かぶ。

「待て!! 将軍!!」

 それを竜の風によってよろめいていた白羽が、逃がすものかとばかりにすぐに態勢を立て直し、追いかけんとする。だが、それも出来ない。


「……はあ、はあ……」

「こ、ここは、我らに……」

 白羽の前に、先にナムワ配下の荒くれ達に倒されていたはずの騎士達が、瀕死の状態にもかかわらず立ちふさがっていた。血まみれになりながらも尚その武器をとり、皆必死で立ち上がる。

「閣下!! ……行って下さい!! ……わ、我々が、この男を……」

「あ、貴方は……我々に必要な方です……。どうぞ……生き延びて……」

 

「うむ、貴殿らの忠誠、忘れはせぬ。……先に逝って、待て」

 威厳のある声で、将軍はそれだけ一つ、騎士らに言い残した。

 

「待て! 将軍!! お前の首!! お前の首を獲るまでは……」

 そう怒り立ち、尚も将軍の後を追わんとする白羽を、瀕死の騎士らが羽交い締めにして止める。

「貴様ら!! この死に損ないが!!! 離せ! 離さんか!!! は……な、せーーーーっっっっ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「……終わったな」

 去りゆく竜を南に見据えながら、オルフェが小さく呟いた。その隣にいつものごとく巻き毛の男が帰ってくる。

「くっそ……逃がした。あー……くやし」

「……まあ、勝ったんだ。……信じられんが、この城、落としたんだ、私たちが」

 敵軍が全て去り、死体が山と横たわる城を眼下に見つめ、二人の男が感慨深げにため息をつく。

「なあ、オルフェよ。俺は一つ学んだことがあるぜ」

「……なんだ」

 オルフェのその問いに、レギアスの目が一層呆れた様に眇められた。

「……俺、あいつを本気で怒らせるのだけはやめとこうと思う」

「奇遇だな。私も、同感だ」

 そう、二人の男は静かに呟いた。その眼下に広がる焼け野原になった森と、黒こげのルークリヴィル城、そしてそこに広がる死屍累々の騎士達の死体を見つめながら……。

 

 

 

 

 

「ランドルフ様!! こちら、こちらです!!」

 そう兵士に案内されたルークリヴィル城の主塔の上に、この戦勝の立役者はいた。

 

 ――はあーっ……はあーっっ。

 そう、肩で荒く息をしながら、その男は主塔の真ん中に一人で立っていた。その周囲にはおそらくこの男に全て斬り殺されたのであろう騎士達の死体の山。

 その血みどろの塔の上で、まるで夜叉のごとくその白羽を血で染めた男が一人、立っていた。

「……リュート」

 主君が、その血染めの羽に近づく。

「触るなっっっっ!!!!!」

 肩をいからせ、その声がかけられた方を振り向きもせず、男はきつく怒声を飛ばした。そして尚もその体をふるふると震えさせ、血まみれの剣を握りしめて言う。

「……い、今近づいたら、殺す……。誰であっても、今、僕に近づいたら、殺す!!!」

 

 ――はあ……はあ……。

 それだけ言い切ると、血だまりの床に、がくり、とその膝が折られる。そして、焦点の定まらぬ目で、薄く言葉が紡ぎ出された。

「……レ、レミル……レミル。こ、殺せなかった……殺せなかったよ……レミル……」

 

「リュート……」

 ランドルフは、そう臣下の名を呼ぶのがやっとだった。

 

 

 

 

 

 

 

「おやっさんよう、ホントに勝っちまったなぁ、あの方は」

 その槍で皇帝を仕留め損ね、悔しげに城壁上から城を見渡していたナムワのもとに、配下の荒くれ達が酒を持って現れた。

「おう、お前達もよくやってくれたな。まずは乾杯といくか」

「……なあ、おやっさんよう」

 長い付き合いになる、ナムワの腹心の一人が、とくとくとナムワに酒をつぎながら話し掛ける。

「思い出さねぇか? あの方を見てると、七年前を。あの、英雄をよ」

 その問いに、少しだけナムワの目に憂いの影が差す。

「そうだの。確か、あの英雄も白羽だった」

「そう……名前はなんていったけ? ああ、そうだ、確か」

 ぐい、とナムワと腹心の男がその手の酒を一気に飲み干した。

 

「そう、確か、ヴァレル、といったっけ」

 

 

 

 

 

 

「陛下!! 陛下はご無事か?」

 ルークリヴィル城より南に程なく行った場所にある森の一角で、ようやく鉄人は主君たる皇帝の部隊と合流することが出来ていた。生き残った騎士の案内で、森深い泉の近く、主君の元へ向かう。

 そこで鉄人が見たものは、あの怒りを表現したような燃え立つ焔の瞳ではなく、何かにひどく怯えている小さな子供のような主君の姿だった。

「いかがなさいました、陛下!」

「サイニー!! サイニー!!!」

 本当に、まるで子が父にするかのごとく、皇帝が鉄人に抱きついてきた。その事態に鉄人はただごとでない気配を感じ取る。

「陛下……」

「さ、サイニー……こ、これを……。手が、手が……」

 そう言って震えながら差し出された右腕に、鉄人の目がかつてないほど揺らいだ。

「こ、これは……!!」

 

 手っ甲に隠されていた皇帝のその右腕には、独特の赤い発疹がびっしりと浮き出ていた。

 

「ち、父上と……父上と同じだ……。こ、これは父上の……」

 腕を見せながら、がたがたと皇帝はその身を震わせる。

「お……恐ろしい……。わ、我は恐ろしい、サイニー。わ……我は……」

 焦点が合わぬ目で、真っ青にそう震える皇帝を、将軍がきつく抱きしめる。

「しっかりなされませ、陛下!! まだ、そうと決まった訳ではありませぬ。……私が、私がお守り致します故、どうぞ落ち着かれませ」

 その言葉にも、皇帝は少しもその震えを止める事はない。サイニー、怖い、怖い、とうわごとのように繰り返すだけだ。その皇帝を腕に抱いたまま、将軍が居合わせた騎士達に命令を下す。

「……今ここで見たこと、一切の口外を禁ずる。……忘れろ。いいな? ……それから、エルダーにいる主力にすぐに連絡を」

 鉄人たる将軍の目が、鋭く光った。


 

「陛下の御帰国の準備を、と」

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