第二十三話:双頭
「黒!! 貴様か!!」
目の間に突きつけられた漆黒の剣に、皇帝の焔の瞳がより一層忌々しげに、ぎらぎらと燃え立った。
「……仕留め損ねた獲物が自ら目の前に来てくれるとはな。丁度いい。先ずはお前から血祭りにあげてやろう」
ひゅ、と音を立てて、サーベルが前に突き出される。いつにも増してぎらり、と光るそれは、皇帝の並々ならぬ殺気を無言で語っていた。
その剣の鋭さに、ランドルフの額に、一つたら、と汗が流れる。
――ああ、あの山猫め。私をこうやって試そうとはな。
その呟きと共に、出撃前の生意気な言葉が思い出された。
『……いいですか、我が君。皇帝は必ず僕の挑発に乗ってきます。奴は焦っているはずです。先の戦いで、自分は敗走、一方で将軍は大手柄。この差が皇帝に焦りを生んで、必ず前に出てきます。その皇帝の前に敵将たる貴方という餌をぶら下げれば、彼は間違いなく食いつく。……そうなれば』
「陛下! お待ちくださいませ!」
ぎらぎらと燃える焔の瞳の後ろに、壮年の騎士が現れていた。その腕には蒼地に太陽の刺繍がされた腕章が誇らしげに輝いている。
「セネイ!」
そう呼ばれた騎士の後ろに、彼に続いて北居館上から続々と腕章を着けた騎士達が空中へと飛び立ってくるのが見えた。その姿を確認すると、ランドルフはその口元を少しだけ、にや、と緩める。それと同時に、再び、生意気な言葉が脳裏に蘇った。
『……そうなれば、皇帝を守るために、騎士が前に出てくるはずです。おそらく皇帝付きの騎士らは精鋭を揃えて来るに違いない。とてもまともにやって勝てる相手ではありません。まずは騎士達を北居館上から引きずり出して下さい。そうしたら後は』
ふう、と一つランドルフは大きく息を吐き出す。
「……『全力で、逃げろ』か」
――ヒュン!!
小気味よい風切り音を響かせて、皇帝の目の前で、今まで剣を突き付けていた黒羽が、突然くるりと翻った。
「待て! 黒! 逃げる気か!!」
その皇帝の怒声を後ろに聞きながら、黒羽が全速力で後ろの自軍の下に戻る。それと同時に、戻ってきた大将の動きにあわせるかのように、有翼の軍全体が一気に後退を始めた。その様子に、皇帝がその怒りをより一層爆発させる。
「白のみならず、黒、お前まで逃げる気か! 腰抜け共め! ……セネイ! 蒼天騎士団! 奴らを追え! 城壁に追い詰めて皆殺しにしろ!」
「ははっ!!」
皇帝の命令に、飛び立っていた北居館の騎士達が一斉に竜に拍車を入れた。それぞれの愛用の武器を騎竜しながら、すらりと抜くと、隊列を組みながら、先に越えてきた城壁の方向に後退をする有翼の軍に襲い掛かっていく。
「追え、追え!! 追いつめろ!! 上には飛ばすな!! 腰抜け共を血祭りにあげろ!!」
皇帝が騎士らの後ろに続き、檄を飛ばした。その様子に、皇帝の横にぴたり、とついた蒼天騎士団副団長セネイが一つ進言する。
「陛下! あまり前に出られますな!! 閣下にもきつく言われておいででしょう?」
「黙れ! セネイ!! 我をいつまでも子供扱いするではない!! あの黒の首も我が手で獲らんと気がすまんのだ! あのカルツェ城の戦いで我に恥をかかせてくれたあの黒もな!!」
もはやこうなると何を言っても火に油を注ぐだけである。セネイはそう一つ判断して、さらに城壁に向けて進撃する皇帝の周りを精鋭中の精鋭で固めさせた。……いざというときの保険、である。
それがまた皇帝のプライドに触ったようで、その焔の瞳がより一層いきり立ち、叱責を飛ばした。
「セネイ! 貴様もサイニーと同じでいらぬことまで気を回しおって! 見ろ!! あやつら、我らの恐ろしさにただ逃げまどっておるだけではないか。どうやら、あの北門から逃げるつもりだろうが、そうはいくか!! 騎士団!! 北門前で一斉に襲いかかれ!!」
皇帝のその言葉に、セネイが騎士団の最先端の方向を見遣ると、確かに上空を竜騎士に占拠され、行き場のない有翼兵が、城門前に固まっている。だが、おかしいのは、こちらが追う形になっているはずなのに、敵軍は全てその背中ではなく、真正面を向いてこちらに対峙していることだ。そのいずれの手にも良く磨かれて、つるりとした金属製の盾が構えられている。その様子に、歴戦の武人であるセネイの勘が、一瞬にして嫌なものを感じ取った。
「……陛下! いけません……!!」
そのセネイの言葉も皇帝には届かない。その言葉に覆い被さるようにして、皇帝の命令が高く空に響いた。
「突撃ーーーーーっっっ!!!」
それを受けて、有翼軍の先頭に立っていた漆黒の羽の男の唇が、にや、と不敵に歪む。
「さて、湿地の悪夢の再来といこうか」
――ガシャ、ガシャリ!
高らかな金属音を鳴らし、三角の陣形になって突撃する竜騎士達の前で、有翼軍の盾が一斉に前を向いた。
チカ、チカ、チカッッッ……。
「……なっ!!!」
鋭い閃光が、騎士らの目を一斉に刺し貫いた。
あまりの眩しさに、とてもその目を開けていられない。思わず目を瞑ったことにより、その手綱が緩み、竜の飛行が乱れる。
幸い、陣の後ろにいたセネイだけはその光の襲撃を免れ、なにが起きたのかを一瞬にして理解していた。
「……光の反射か!!」
敵軍があの金属の盾を使って、太陽の光を反射させたのだ。……くそっ、忌々しい。だが、これしきで蒼天騎士団が……。
「立て直せ!! 敵兵は目の前ぞ!!」
そう檄を飛ばすセネイの目に、またも驚愕の光景が飛び込んできた。
有翼の軍が、何かにかき分けられるように、一斉に二手に分かれて移動を開始していた。そして、その後ろに隠れていた北門前に、何かがきらりと光るのが見える。
「さあて、投石部隊長、二度目の見せ場と行きますかね」
そこには、不敵にそう言い放つ眼鏡の小男が一人。
そして、その後ろの城門前に、ずらりと並んだ移動用投石機と工兵達。
その光景にセネイが思わず呟く。
「くそっ……あの黒羽に気を取られているうちに、あの城門から中へ移動していたか!!」
……だが、焦ることはない。いくら投石機が驚異だといっても、これだけの騎士団は一気に倒すことは出来ない。一度、石を発射してしまえば、次の石を用意するのに時間がかかるはずだ。なんとか今の一撃だけは耐えて、一気にあの部隊を叩きつぶせば……。
そのセネイの思惑をあざ笑うかの様に、投石機前の眼鏡がきらり、きらりと光る。
「自ら隊列組んで突っ込んできてくださるとは。これは、大漁の予感だな。……撃てぇっっっっ!!」
がこん、という音を響かせて、天秤型の投石機の先にぶら下がっていた錘が下がり、てこの原理でもう一方の先に付けられていた物体が一斉に空中へと舞い上がった。その光景に、おそらく来るべきであろう空からの巨石の襲撃に備えて、騎士らはその鞍に用意されていた盾を上空に向けて構える。だが、一向に重い巨石の激突の衝撃はやってこない。その代わり、飛び込んできたのは驚くべき光景だった。
投石機によって空へと舞い上がった物体が、丁度竜騎士隊の真上で、花が咲くように一気にぱっ、と開いていた。その周囲にいくつもの小さな重りがついた、無数の格子模様が空に咲く。
「な……!! あ、網か!?」
そのセネイの驚愕の言葉通り、大きな網が、漁師が投網をするがごとく、騎士達の上に覆い被さった。それも一つではない。その投石機の分だけの網が騎士達の頭からいくつも被せられる。……無論、部隊最後方にいた皇帝、セネイらも例外ではない。
「く、くそっ……!! これでは、竜達が……」
空中で何体か纏められて網を被せられた事によって、騎士達を乗せた竜が一気にバランスを崩す。そのかぎ爪や飛膜が網に引っかかり、それから逃れんとして網を引くと、今度はそれにつられて隣の竜もその巨体を揺るがせる。もはやこうなると収拾がつかない。
「……陛下!! 陛下!!」
ようやくその腰のサーベルで網を引きちぎったセネイだけが、隣にいた皇帝の網も引きちぎり、彼とその護衛に付けた騎士数名だけを助け出した。
「陛下! ご無事で!」
「く、くそっ!! あの黒め!!」
そう毒づきながら、皇帝は何とかその騎竜を駆り、態勢を立て直す。その耳に、今度はヒュヒュヒュ、という風切り音が無数に聞こえてきた。
先ほど二手に分かれていた兵士達が、網に捕まっている騎士達を囲むように一斉に空中へ飛び出してきていた。その手には、いずれも太いロープが握られている。
「まさか!!」
セネイが叫ぶ。
その長く太いそのロープの先には、しっかりと地上に打ち立てられた杭。そしてそのロープのもう一方の先を、有翼兵が持ったまま空を飛んで、竜騎士がかかったままの網にそれをぐるぐると巻き付けていく。
「……しまった!!!」
セネイのその叫びも既に遅かった。それに代わり、ランドルフの声が一帯に響く。
「引け!! 引け!! 地上に引きずり落とせ!!」
地上に残っていた有翼兵によって、そのロープが一気にぐい、と引かれた。
「う、うわあぁ!!」
「り、竜が!!」
完全にそのバランスを失った騎士達が、情けない声を出して、網に絡まったまま次々と墜落していく。
――ベシャ! グシャ!!
墜落の衝撃で、何体かの竜や騎士が潰れる音が、無残に響いた。
「あ……あ……」
その光景に、難を逃れた皇帝が小さく震えながら声を漏らす。
……こんなはずではなかった。こんなはずでは……!!
「騎士団! しっかりしろ! 即座に立て直せ!」
顔面蒼白で小刻みに震える皇帝とは対照的に、副団長セネイは即座に状況を判断し、上空から命令を下していた。
「そのくらいの墜落ならまだ飛べるだろう! すぐに網を切って立て直せ!! まわりの敵兵を蹴散らせ!」
セネイの言葉に鼓舞されるように、墜落した騎士達がすぐに網を切る。
「くそ! 飛びさえすれば、お前達なんか!」
体勢を立て直し、その飛膜を広げんとする竜を前に、再びランドルフの命令が飛んだ。
「竜が飛び立つぞ! 行け! 飛び立たせるな!!」
その声に、二人一組になった有翼兵が数組、何か武器のようなものを抱えて飛び出してきた。その二人組は抜群のチームワークで地上を走り、重たげなそれを抱えながらも、臆することなく倒れている竜に向かっていく。そしてその武器を二人がかりで抱え上げると、一気にそれを竜の後ろ足目がけて振り下ろした。
「馬鹿め! お前たちの脆弱な武器で、竜の鋼のような鱗が砕けるとでも……」
――キュイイイイイイッッ!!!
余裕たっぷりにそうはき捨てる騎士の言葉とは裏腹に、目の前の愛竜の苦しげな声が一帯に響き渡った。その後ろ足から血をぷしゅ、と吹き出させ、ばたばたと巨体を地にのたうちまわらせる。
「そう、確か、後ろ足を封じれば、竜は飛べない……だったな」
そう言うランドルフの声が、静かに惨劇の場に響いた。
「何故だ! 何故竜の鱗が砕かれる!!」
セネイはその額に嫌な汗をかきながらそう叫ぶと、眼下に広がる驚愕の惨劇の原因を確かめんとして、再びその目を地上に凝らした。
竜の足を砕いた、二人組が持っている得物。それは自らがよく見知った武器だった。
鋭く光る、帝国特有の武器、……戦斧。
……そうか! 我が国の武器なら……!!
ようやく得心がいったセネイの眼下に、忌まわしき悪夢の光景が広がっていた。
地上に次々とのた打ちまわる飛竜、そして飛べぬ竜にパニックを起こす騎士達。それに降り注ぐ空中からの弓矢。
まさしく、それはあの湿地の悪夢の再来に他ならなかった。
上空でその悪夢を青ざめた顔で見下ろす皇帝とセネイ達の部隊を、その血みどろの戦場から黒燿石の瞳がきつく睨め付ける。
「……さあ、残るは皇帝! お前の番だ!!」
「何をやっている、セネイ!!!」
城の中央部、その要とも言える南居館にしつらえられた主塔の上で、将軍サイニーの鉛色の目が鋭く光る。
「あれほど陛下をお諫めしろと言ったのに、愚か者が!!」
その刀傷のある眉根をきつく寄せ、騎士の鑑たる『鉄人』には珍しく、ちっ、と舌打ちを一つしてみせ、彼は忌々しげに呟いた。
……あの残った戦力では到底戦えぬ。いや、護衛にするにも少なすぎる。なんたることだ!! こうなったら……ええい、やむを得ぬか。
「小隊半分、あちらへ救援に向かえ! それから後方の南城壁に配置してあった兵を、こちらに回せ!」
将軍の命令に、後ろに控えていた騎士達が即座に動いた。その騎竜を駆り、南居館と北居館の間にある内城壁を越えて、皇帝のいる城北部を目指して飛んでいく。
それを確認するや、将軍はその手に持っていた鞭をぴしり、と一つ鳴らすと、傍らにいた自分の愛竜の鐙に足をかけた。
「いざとなったら私が出るしかないか。なるべくなら動かずに済みたかったものを……」
……ああ、それにしても悔やむべくはあの我が主君の軽率さだ。いくらあの黒羽が選れた指揮官であろうが、やっていることはあの湿地の二番煎じに過ぎぬ。警戒すれば防げたものをむざむざと……。
ぎり、と再びきつく鉛色の目が北の戦場を睨み付けた。
ふと、主塔の右にそびえ立っている東塔に配置した兵の姿が目に入った。何やら、ひたすらこちらに訴えている様子だ。
――何だ……?
……そういえば。
そういえば、あいつは何処に行った? 皇帝の竜を蹴って飛び去って行った、あの男は。
「将……、え……で……!!」
東塔の兵士が、必死に何か、叫んでいる。だが、聞こえない。
……そうだ、確か、竜を蹴って、上空へ……。あの白い羽は……。
ようやく、兵士の声が耳に届く。
「将軍! 上です!! 太陽です!!」
即座に、鉛色の目が太陽に向く。
青い冬晴れの空に燦々と輝く太陽。誇り高き蒼天騎士団の聖なるシンボル。
その太陽に重なる、小さな黒点。その点は見る間に巨大に膨らみ、太陽の光を一瞬で覆い尽くさんばかりに目の前に迫る。
―――ドゴッッッ!!!!!
鈍い音とともに、目の前に影が降ってきた。
はらはらと、青い空に白い羽が舞い落ちる。
ぐら、と突然、目の前の竜の頭が揺らいだ。何か、頭に、打ち付けられている。
――……どさり。
一撃で、竜が床に倒れ付した。
……有り得ない。
その倒れた竜の頭から、打ち付けた得物を離し、影がゆっくりと前を向いた。
金の髪の間から見える、きつく睨め付ける碧の瞳。
「お初にお目にかかる。ヴィーレント・サイニー将軍閣下」
青い空に映える白い翼を背に、目の前の美しい若者は堂々と言い放つ。
「我が名はリュート・ニーズレッチェ。……その首、貰いに参上した」
「ランドルフ様! ランドルフ様! リュート様が将軍のもとまで突破されました!!」
見張りに飛ばせていた兵士からの報告が、黒羽の主君の耳に届いた。
「そうか。……やりおったな、あの山猫め」
その喜ばしい報告に、主君の心にまた一つ火が灯る。
――負けるものか。
私を試すようにこの戦いをけしかけたあのクソ生意気な山猫になど負けるものか。……半分、食えと言うなら食ってやろうではないか。
ああ、あの皇帝、必ずや食ってやるとも!!
ランドルフの声が、北居館前の空に高らかに響き渡る。
「全軍続け! 皇帝の首、獲るぞ!!」
「まさか、ここまで突破してくるとはな」
目の前に対峙した壮年の騎士が放つその言葉に、碧の瞳が少しだけ揺るいだ。それは彼が理解できる言葉、クラース語で語られていたからだ。その少々の驚きを込めて、白羽の男が再び口を開いた。
「へえ、あんたこっちの言葉がわかるんだ」
「……言語習得は騎士たるものの嗜みの一つだ」
静かにそう答える将軍の言葉に、はん、と小馬鹿にしたような鼻息が飛ぶ。
「何が嗜みだ。侵略者の分際で。侵略者は侵略者らしく粗野で野蛮であればいいものを」
その侮蔑の言葉に、将軍はいささかもその表情を揺るがせることなく、目の前に倒れる竜を見つめながら、淡々と白羽の男に問う。
「……何をした。鋼の如く固い鱗を持つ我が竜を一撃で倒すとは……」
「簡単なことさ」
そう一つ言い捨てて、目の前の白羽の男はその自慢の金の髪がなびく頭を、指でこつこつ、と叩いて見せた。
「いくら鋼のごとき鱗や頭蓋骨に守られていたって、この中身はどうだろうね」
……そうか、脳震盪か。
その言葉に、将軍は一瞬で理解をする。
目の前の男が握っているのはいつも有翼兵が使っている剣ではない。その先に大きな鉄の塊がついた、戦闘用ハンマー。
剣で切れぬ竜の頭でも、このハンマーで叩き付けられて脳を直接揺らされれば、気絶もしよう……。
「まあ、ちょっと重いのが難点だけどね。それでも、あの鍛冶屋がだいぶ軽くしてくれたよ。あんたらの戦斧よりずっと軽い」
その言葉に、将軍は重ねて尋ねる。
「あちらの戦いで使用したのは、あの湿地で我らから奪った戦斧か。だが、あれは貴様らには重かろうて」
「まあね。確かに重くて一人で持って飛ぶのはちょっときつい。でも、地上で二人がかりなら振り回せる……そうだろ?」
明かされたからくりに、将軍の鉛色の目が、少しだけ眇められる。
……まったく、油断しておったわ。我らの武器をこのように使われるとはな……。
「閣下! 閣下!!」
突然の白羽の男の襲来に、将軍の後ろに控えていた騎士達が一斉に駆けつけてやってきた。騎竜している者、そうでない者、数十名はいるだろう。その姿を認めるや否や、碧の瞳がうざったそうに歪む。
「……鬱陶しいなあ。駐留軍!来い!!」
白羽の男の呼びかけに、またも空から翼を持った兵士達が次々と降ってきた。いずれ劣らぬ面構えの剛の者達。ナムワ配下の駐留軍の元荒くれ達である。
「リュート様! お呼びで!!」
その手に同じようなハンマーを抱えた、体格のいい大男達を後ろに従え、白羽の男の顎が、くいと上を向く。
「お前達、後ろの奴等、構わないから殺ってしまえ! 将軍は僕が相手をする!!」
心酔して止まぬ男の言葉に、荒くれ達が一斉にその翼を広げ、後ろの騎士達に狙いを付ける。
「アイサー!!」
「大した男達を従えているようだな」
後ろで繰り広げられる血みどろの戦闘を少しだけ気にしながら、将軍はまた静かに目の前に対峙する男に問う。
「それにしても、大したものだ。よくここまで突破してこれた。……さしずめ、あの北居館の派手な戦闘は、目くらまし、か」
「……そうだよ。所詮は二番煎じさ。あんたには通用しない、と思ってね。でも、皇帝なら引っかかると思っていた。前の戦闘で後先考えずに突っ込んできた皇帝なら、必ずね。それに、皇帝はあんたの存在に焦れている……」
「焦れている……?」
その問いに、碧の瞳に、一層暗い影が差した。
「そうさ。自分より下のものが自分より遙かに優れていると言うジレンマ。……まあ、僕も知らない感情じゃない。かつて、向けられた感情だ」
「……なるほど……。あとは、あの網……あれは?」
「僕は港町出身なんでね。網の編み方は幼い頃、一緒に風見をしていた元漁師の爺に叩き込まれた。それを皆に教えて作らせただけさ」
見たところまだ十代と思われる目の前の若造の言葉一つ一つに、将軍の心が少しずつ揺らぐ。
まさか、すべてこの若造が……。
「そして、皇帝が危うくなれば、あんたはこっちから必ず兵を移動させる。それを待っていた」
にや、と形のよい口が、凶悪に歪んだ。
「あんたは必ず皇帝を守りにくる。……そう、もう一つの頭をね」
くくく、とその口から歪んだ笑いを漏らしながら、白羽の男が、将軍の胸元の紋章を指さした。
「もう一つの頭が馬鹿だと苦労するな。なあ、『ヒュドラ将軍』!!」
それは、何よりも誇る将軍家の紋章、双頭の竜、ヒュドラの紋章だった。
「なるほど、なるほど……。これは、私の過ちだ」
若造の笑いを前に、将軍の鉛色の目がゆっくりと前を向いた。
「油断大敵、と騎士らに言っておきながら、誰あろうこの私が、一番に貴殿を侮っていたのかも知れぬ。……だが」
将軍の手が、その腰に伸びる。即座にその腰にぶら下がっていた角笛を口に当てると、それを一気に吹ききった。ブオォウ! という独特の音がルークリヴィル城全体に木霊する。
「先に北へやった小隊をこちらに戻させる合図を送った。これで貴殿は私と後ろの小隊から挟み撃ち、と言うわけだ」
そう親切に告げてやった絶望的状況に、将軍は一つ笑みを漏らす。これでこの男もその心を折るだろう。意志が砕ければ、このような若造など……。
だが、その将軍の思いをあざ笑うかのように、碧の瞳が一層凶悪に笑う。
「騎士なのにせこい真似すんなよ。……ナムワ!!!!!」
「はいっっっ!!! もう準備しておりますともぉ!!」
白羽の男の呼びかけに答えるように、今いる主塔と北居館の間にそびえる内城壁から、熊のごとき咆哮が響いた。そしてその声と共に耳につく断末魔の声。
ただならぬ気配を感じ取り、将軍がすぐに、その目を内城壁の上に凝らす。
「おら、おら!! 儂の槍で死にたい奴からかかってこぉい!! 修練生共! 儂に遅れるなぁ!!」
その頭をつるりと剃り上げた筋骨隆々の大男が、内城壁上の兵士を一騎当千とばかりに一人で蹴散らしている。そしてその後ろにはまだあどけない顔をした年若い兵士達。彼らは大男の蹴散らした後ろに続きながら、持っている革袋から何やら液体のようなものを内城壁上にとくとくと撒き散らかしている。
……何だ、あれは……。一体、何をしている……?
その城壁上をまるで大掃除をするかのごとく、あらかたの兵士を蹴散らしたナムワの部隊が、その仕事を終えるや否や、一気に空へと飛び立ち、そしてまた別の名を高らかに呼び上げた。
「レギアス!! もういいぞ!!」
「アイ、アイ〜! 待ちくたびれたよん!!」
いつの間にか城壁の上の空に、弓を構えた部隊が姿を現していた。そして、その中の一人、巻き毛の男が掲げている赤々と灯る松明に、弓兵達がその矢先を突っ込み、先端に火を点させる。
「……しまった!! 火矢か!!」
将軍のその叫びよりも早く、一斉に火を点した矢が、内城壁に向かって放たれた。その火は、先ほど年若い兵士らが撒き散らしていた液体にすぐに引火し、城壁を一気に燃え上がらせる。
一瞬にして、火の壁が北に出現していた。
「油……油を撒いていたのか……」
その将軍の呟きに、またもくくく、という歪んだ笑いが重なる。
「見てみなよ。こっちに帰ろうとしていた騎士達が泡食ってるよ。無理もない。あの炎が起こす上昇気流で風が乱れる上、獣は火が苦手ときた。かわいそうに、竜達がぴいぴい鳴いている」
「……貴殿、ここまで用意していたか……」
唸るように、将軍は呟いた。
「ああ、そうさ。あんたの首がどうしても欲しかった」
炎の壁を背後に背負い、白羽の男がゆらり、と迫る。
「僕はあんたが憎い」
その手に持っていたハンマーが、床にうち捨てられた。
「僕はあんたが憎い。……レミルを殺したあんたが憎い」
空いた右手が、腰の剣の柄にかかる。
「僕は皇帝が憎い。……この地に侵攻してきた皇帝が憎い」
すら、と音を立てて剣が抜かれる。
「僕はリンダール人全てが憎い。……この戦争を引き起こしたリンダール人全てが憎い」
碧の瞳を、かつてない濁った影が覆い尽くす。
「僕は憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて堪らない!! ……僕からレミルを奪った全てのものが憎くて堪らない!!!!!」
剣が、ぴたりと、前に突きつけられた。
「あんたを殺す。皇帝を殺す。そしてこの地にいるリンダール人、全てを皆殺しにしてやる!!」
突きつけられる炎より猛々しい怒りに、将軍の鉛色の瞳が、少しだけ揺るぐ。だが、次に紡がれた言葉は、断固たる決意に満ちあふれた言葉だった。
「陛下は殺させはしない」
「死ぬさ」
将軍の言葉に、一層、碧の目に、狂気の色が差す。
「あいつは死ぬさ。あいつの竜を殺した憎き仇であるこの僕に、歯牙にもかけてもらえず、惨めったらしく他の者の手にかかって死んでいくさ! どうだ? あのプライドの高い皇帝にはふさわしい死に様だろ? 気に入ったか?!」
ははははははは……。
抜けるような青空に、狂気に満ちた嗤い声が響き渡った。
将軍が、一つ呟く。
「……イカレておるわ」
その言葉に、ふ、ふ、ふ、と静かにその嗤いが止む。
「それがどうした。イカレてでもいなきゃ、この場にこうしてはいられないさ」
暗い、暗い、瞳が、将軍に突き刺さる。
「元よりレミルのいないこんな世界に未練はないさ。……でも、ただあの人のもとに行ったって、つまらないだろう?」
ひゅ、と鋭く呻る、突きつけられる剣。
「僕はお前と皇帝の首を手みやげに、レミルのいる冥府へと行く」
その言葉に、将軍は一言だけ、独り言を漏らした。相手に分からぬリンダールの言葉で、まるで自嘲するかのように。
「さて、一体何度目になるだろうな。この目を突きつけられるのは」
その憂いを帯びる鉛色の瞳も、もはや猛りたる碧の瞳には映らない。その背後に轟々と燃え立つ炎を照らし出すかのごとく、ぎらぎらと燃え立っている。
「さあ、その首、寄こせ」