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第二十一話:将軍

 カツカツ、という軍靴の鳴らす音が、大理石の床に高く響いた。

 

 一瞬で、空気が引き締まる。

 居並ぶ精悍な騎士達が一斉にその背筋をすら、と延ばし、その顎を引いた。それと同時に、ガシャ、という小気味よい音と共に、その手っ甲に包まれた右手が、規則正しくその額にあてがわれる。

「将軍閣下に、敬礼!!」

 一糸乱れぬそのいつもの挨拶に、敬礼を受けた壮年の男は、満足そうに騎士一人一人の顔を見渡し、小さく頷いた。

 

「皆、良き面構えである。大変、結構」

 威厳のある低い声で紡ぎ出されるその言葉に、その身なりから身分の高さが伺える騎士らそれぞれが、少しも躊躇うことなくその頭を深々と垂れる。

 それも当然のことである。今彼らが目の前にしているのは、騎士の中の騎士と言われる生きたカリスマにして最高の将。本国のみならず、その周辺属国にまで、その武勇と気高さを轟かせ、帝国の三柱の一つに数えられる重要人物、リンダール帝国第二軍の将にして蒼天騎士団団長、ヴィーレント・サイニー将軍、その人だったからである。

 その胸にヒュドラの紋章を堂々と輝かせ、騎士団のシンボルの蒼地に太陽が刺繍された腕章を右腕に着けた騎士のカリスマは、その向けられる羨望の眼差しに溺れることなく、自分の身を常に研鑽し続け、壮年期に入った今尚、最強の騎士として敬われていた。何より、彼をカリスマたる人物に仕立て上げてるのは、戦場でも失われることのない品位と、その質実剛健を旨とする人柄にあった。部下に厳しく、そしてそれ以上に自分に厳しい。そんな彼を賞賛するかのごとく、この頑健なる騎士は、いつしか『鉄人』なる二つ名で称されるようになっていた。

 

 鉄人の名のごとく、鉛色をした目が、鋭く光る。

「帝国第二軍将校、および蒼天騎士団団員諸兄。早速、本題に入ろう。斥候からの情報は既に皆聞き及んでおろうな」

 こつ、と持っていた飛竜用の鞭の柄尻で、目の前の机を叩く。その上には少々古ぼけた大きな紙が一枚。それは、現在彼らが軍議を開いているここ、ルークリヴィル城全体の見取り図だった。

「情報によると、敵勢の数はおよそ三千。大公旗が掲げられていることから、敵将はカルツェ城の戦い同様、東部大公が第一子、ランドルフ・ロクールシエンなる将と思われる。既に今朝この軍はバッハ城、およびカルツェ城を発ったと報告があった。おそらく、間もなくここに到着するであろう。諸兄、気を引き締めてかかれ」

 そう淡々と言い放つ将軍の言葉に、騎士らから驚きの声があがる。

「三千。たった三千でございますか。なんと、なめられたことでしょう」

「まったく、ちょっと湿地での戦いに勝利したからとて、何を調子に乗っておるのやら。鳥共の考える事はわかりませぬ」

 

「愚か者!!」

 バシリ! と鞭が大きく机を鳴らした。鉄人が、その刀傷のある眉根をきつく寄せ、激高していた。一瞬で、騎士らが震え上がる。

「先に私が出した命令、聞き及んでおらぬか! 敵兵を『鳥』という蔑称で呼ぶ事を禁ずる!! 蔑称こそは我らが油断の現れの最たる物である!! 以後、そのような蔑称を持って臨む者があれば、即刻我が麾下からの脱退を命ずる!!」

 狼の一声、とも言わんばかりの咆哮に、居並ぶ騎士らが戦慄する。

「よいか! 先の湿地での敗因は何か!! それは我が軍に蔓延している驕りである! 我ら竜騎士団こそが最強であるという自負が、今や忌むべき傲慢に姿を変えておる!! 湿地での敗北は敵将、及び敵軍の力量に非ず! すべて我らの内にある驕りによって招かれた敗北である!! その事をその身にきつく戒めよ!!」

 そのもっともな指摘に、騎士一同は再び平身低頭し、将軍に臨む。

「けして驕るなかれ。けして油断するなかれ。敵将がいくら若かろうとも、相手はあの城を落とした猛将ぞ。万全の態勢でもって臨め。我らにこの場での敗北は許されぬ」

 

 ――この場での敗北……。

 騎士らは一層その言葉を噛みしめる。その言葉が意味する所は何なのか、彼らには嫌というほどわかっていた。

「確かに。万が一この場を落とされでもしたら、此度の遠征の意味がなくなってしまいます。我らはこの城の為にこの地に来たようなものですからな」

 一人の騎士のその言葉に、隣の騎士も神妙な面持ちで答える。

「左様、左様。我らが唯一神ディムナの『約束の地』の象徴とも言えるこの城だけはなんとしてでも死守しなければ……。死んで煉獄の焔で焼かれるのはごめんですからな」

 騎士らの言葉に、鉄人の骨張った顎が、縦に深く頷かれる。

「その通りである。そして先の戦の二の舞だけは何としてでも避けたいところ。よもや、ここで負けることがあったら、本国の連中に何を言われるかわかったものではない」

 は、は、は、と乾いた笑いが騎士達の間に湧き起こる。何か嫌な思い出でも蘇ったのか、心底、それだけは避けたい、といった面持ちだ。一人の騎士が自嘲げに笑いながら答える。


「……分けても、あの女傑、でございますか」

 左様、と短く答えて、鉄人は一層寄せた眉根のまま、また頷いた。その険のある表情に、騎士らも乗って、愚痴を重ねる。

「あの女将軍も、今一度遠征に出てみればよろしいのです。いつまでも首都にそのでっぷりとした尻を埋めたままで」

「……無理だ。陛下が遠征に出ておる以上、あちらの三軍は動かぬだろうよ。なんせ、陛下はあの女傑をお厭いでいらっしゃるから」

「ま、来るとしたら、姫君の方の紅玉騎士団か。あちらは、今、大森林の平定遠征だったか。あちらが済めば、この北の遠征軍にもお加わりになりましょうや?」

「さて、どうだろう。陛下がエリーヤ姫様との共闘を望まれるだろうか。なにせあのご兄妹お二人の性格であられるからな……。まったく、困ったものだ……」

 本国の状況を慮り、一瞬場が沈黙に包まれる。それを破るように、またバシリ、というきつい鞭の音が響いた。

「とにかく! 今はその様な事を詮議しておるときではない! 諸兄! 此度の防衛及び殲滅戦の布陣、心して聞け!!」

 

 つっ……、と鞭先が城の見取り図を撫でる。

 リューデュシエン南部大公居城、ルークリヴィル城は半島中部の山間に開けた盆地の中心に位置し、主に、二重の城壁と東西南北四方に建設された四つの塔と、それに囲まれた主塔をもつ居館二棟からなる南部きっての堅城である。ただ、平時は『日和見大公』の二つ名で知られるリューデュシエン南部大公の住まいとして利用されていたため、その居館は無骨な堅城とはほど遠い内装で、大理石を敷き詰められた床が、今現在、不在の主の人となりを明確に語っていた。

「まずは、リダン。貴兄は小隊を五隊ほど引き連れて敵軍がまず最初に襲って来るであろう北の最外壁へ布陣。騎兵は塔上空に待機させ、城壁にて弓兵を展開させろ。その城壁後ろにはデルバ。貴兄の率いる小隊が騎竜して待機。それからサンド。貴兄は小隊三隊引き連れて外城壁と内城壁との間にある北居館に布陣……」

 次々とその配置が告げられ、騎士らがそれぞれの役割を拝命する中、その手に蒼地に太陽の刺繍がされた腕章を着けた騎士達だけがなかなか名前を呼ばれない。たまりかねて、その一団の最年長と思われる男が将軍に意見する。

「閣下! 我ら、蒼天騎士団の名が呼ばれておらぬのは何故ですか! 我らに城内の掃除でもさせて置かれるおつもりですか?!」

 その気勢に溢れた言葉に、にや、と鉄人の口が少しだけ歪む。

「焦るな、セネイ。私直属のお前達にはきちんとやってもらいたいことがある」

 将軍が言うとおり、蒼天騎士団は三軍に分けられている帝国軍には属さず、三軍の将の一人であるサイニー将軍直属の独立した騎士団であった。別の将軍が保有する紅玉騎士団等の他の独立騎士団に比べて、このサイニー将軍が率いる蒼天騎士団は精鋭中の精鋭として名高く、この遠征においてもその主力の一端を担う戦力として重要視される騎士達の集団である。現在、その主力は半島最南部のエルダー城に駐留させていたが、将軍は有事に備えて、この副団長セネイをはじめとする腹心の数十名を、このルークリヴィル城まで追進させていた。もちろん、腹心中の腹心である。その将軍への忠誠心は他の騎士の比ではない。

 

「私は小隊十隊ほど率いて、この主塔のある南居館へと布陣する」

 そう言って、将軍は見取り図の中心、二重の城壁に囲まれた城の要とも言える建物を指す。城のすべてが見渡せる位置、即ち大将がいるべき位置である。その位置に、騎士団の面々が色めき立った。

「では、そこで閣下と共に戦わせて頂けるのですね?」

「いや」

 騎士らの期待とは裏腹に、再び、つっと鞭先が図の上を滑る。

「貴兄らに布陣して貰いたいのはここ。このサンドと同じ、北居館だ。そこに陛下とともに布陣して貰いたい」

 指し示されたのは、北の最外壁と内外壁の間にあるもう一つの居館の上だった。その意外な場所に、騎士達が狼狽える。

「な、何故ですか? こんな場所に、しかも陛下と何故……」

「セネイ。これは陛下たっての希望であられるのだ。陛下はあのエルマを殺した白羽の男を自分の手で殺したいとお望みだ」

 な、なんですと、とセネイがその額に脂汗を滲ませ、呟く。

 確かに、陛下のお怒りようはただごとではなかった。特に、あの湿地での大将が白羽の金髪の男だったと報告を受けてからのお怒りと言ったら、今までにないもので……。だが、だからと言って……。

「こ、こんな内壁の外側の、敵兵に近い部分に陛下をどうして置いておけましょうや。下手すれば陛下の御気性であられる。危険な場に突っ込まれることもあるやもしれません」

「……それ故だ。セネイ、近う」

 くい、と顎をあげ、将軍はその腹心を耳打ち出来る程度の近さまで呼ぶ。

 

「兄らの任務は陛下をお諫めすることだ。いざ、危うい場面が来たら、無理にでも陛下をお逃がししろ。内壁と外壁の間を通って、南から森へ。少し行けばエルダーに置いてきた主力がいる。そこまで逃がせ」

 その命に、腹心は小さく頷く。

「良いな。文字通り、その命に代えても陛下をお守りしろ。あの方は帝国にとって不可欠な方だ。こんな遠征で傷つけられてはかなわん」

「はい。あの偉大なる大帝の血を最も引きし我らの皇帝陛下は、この身に代えても必ずや」

 そう、壮年の男二人が密約している時だった。

 

「何だ、何だ。また我の悪口でも言うておるのか」

 

 紅い凶暴な焔が、部屋に現れていた。

 鉄人と呼ばれる将軍を始め、騎士達が一斉にその膝を床に折り、頭を下げる。

「この皇帝をさしおいて、軍議か。サイニーよ、貴様何様のつもりだ」

 焔の様な瞳が、鋭く目の前の鉛色を睨め付けた。

「差し置くなど、とんでもございません。陛下のご意向は、しかと皆に伝えてあります。……それよりも陛下、礼拝の方は……」

 ふん、と大きく鼻が鳴らされた。大きな八重歯を見せながら、その口が歪む。

「二言目には礼拝、礼拝と。年寄り共の神頼みは、ほんに鬱陶しいの。言われたとおり、きちんとしてきたわ。あの地下室ももう埋めた。敷石まではめさせた故、いざとなっても連中は気づかぬであろうよ」

「それは、ようございました」

「……あのような事するまでもないのだ。貴様、よもやこの城が落とされるなどと思っておるのではないだろうな」

「まさか。そのようなつもりは毛頭……。ただ、私めは万全を期しておるだけでございます」

 どうだか、と短く吐き捨て、皇帝は部屋の窓から外を見遣る。未だ見えぬ敵軍を睨め付けるかの様に、ぎり、ときつく眉根を寄せ、一言言い捨てた。

 

「……我は負けるつもりはないぞ。我は先帝の様には……父上の様にはならん。……絶対にな」

 

 その言葉が、何を意味しているのか、その本質を理解出来ているのは、目の前の鉄人だけだった。少しだけ、その鉛色の瞳に、憂いの翳りが差す。その色を敏感に感じ取った皇帝は、それを振り切るかの様につかつかと部屋の中を歩き回り始めた。

「ああ、それにしても忌々しきはあの白めだ!! 必ずやエルマの仇はこの手で取ってくれるわ!」

「ご油断、なされますな。あちらもあなた様を狙ってくるのは必定……」

「望むところだ!! 前は投石機による邪魔が入ったが、あれさえなければ我はあれを殺しておったのだ! 今度は邪魔はさせん! あいつとの一騎打ちだ!!」

 陛下、と鉄人が諫める声も、猛りきった焔の目をした主君には届かない。

 ……まったく、困った方だ。

 だが、この方はその自信に漏れず、武芸はひどく達者であられる。セネイらも付けた。いざとなれば助けも入る。とりあえずは、ここで手を打つか……。

 ともあれ、我々に負けは許されんのだ。悪夢の再来だけは何としてでも避けなければならん。……何としてでも、だ。

 

 ちら、と将軍の鉛色の目が窓の外に向く。

 それは、まるで自分の腕章を切り取ったかのような空だった。

 先日までの曇天が嘘のような、抜けきった青空。そしてそこに燦々と輝く太陽。


 ――なんと、我が蒼天騎士団にふさわしい日か。

 

 風は北から南へ、少し強い風。敵軍にとっては追い風になるが、まあ悪くはない。

 先ずは北の最外壁で、敵軍を迎え撃ち、その出鼻を挫く。……陛下には悪いが、いざというときには御退場願おう。敵軍が、内部に入り込むまでは、よい餌として存分に働いてもらうが、な。

 そうなれば、あとは騎士の出番だ。

 

 そう、我が不遇の民、リンダールを一代にして最強の軍事国家へとのし上げた天翔る空の覇者、竜騎士。……空を制し、あまたの国々をその翼の下に屈服させてきた鉄血の竜騎士団の出番だ。

 あんな雪空の戦いや、湿地での戦いなど竜騎士の本質ではない。

 竜騎士こそが戦場の華にして、我が生きる意味、その全て。

 ……負けられはせぬ。

 

 鉄人は、その四十年にもわたる武人としての人生に思いを馳せて、深く頷いた。

 その厳しい鉛色の目が、もう一度窓の空に向けられた時だった。

 

「き、来ました!! て、敵軍です!! 北の城壁の向こう、敵軍が現れました!!」

 

 部屋に転がり込んできた兵士のその一報に、場は一気に色めき立った。

 

 ――来たか。

 

「来たか、鳥共め!! あの白はおるか、あの白は!!」

 皇帝が真っ先に部屋を飛び出した。

 本当に、分別のない方だ、と呆れながらも将軍が後に続く。その部屋から繋がる、この城で一番高い主塔に一気に駆け上がると、皇帝と将軍二人は塔の屋上から一斉に北の方角に目をこらした。

 その空に、無数の黒点が浮いていた。青い空に、漆黒の大公旗がいくつもはためいている。


 その中から、一人の兵士が一分も臆することなく前へと飛び出してきた。その影は、丁度矢に射られぬ距離まで、ぎりぎりに詰め寄ってくると、その翼を動かしたまま空中にて待機する。

 

 ばさり、ばさり。

 

 白い羽が、青い空に映えていた。

 

「……白め、来たか……」

 隣で、皇帝が唸るように呟く。

 

 ひょう、ひょうと、北からの向かい風が青い空に音を立てる。

 遠目に、すう、と白羽の男が息を大きく吸うのが見えた。

 

 突然、風の音が切り裂かれる。

 

「……皇帝、カイザル・ハーーーーーーーーーン!!!!!!!」

 

 大きく、その名が晴天に響き渡った。ありったけの声でそれだけ叫ぶと、空の白羽の男はその右手の親指だけを立てて、こちらに見せつけてくる。

 そしてそのままその親指を、自分の喉にあてがうと、一気にそれをビッ、と横に引き動かした。

 

 ――殺す。

 

 無言のサインだった。

 

「く、く、く……くははははははははははは!!!!」

 隣で皇帝が高らかに笑う。

「来たか、来たか、来たか!!白め!堂々と来おったわ!!!!!」

 嬉しさを迸らせるかのように、皇帝はその八重歯をぎらりと光らせ、高らかに笑ってみせた。

 

 ……なかなか、どうして。

 大した口上ではないか。

 

 皇帝につられるかのようにして、滅多に緩まぬ鉄人の頬が緩む。

 これなら、あながちあの湿地の戦いの敗北も、我らの驕りだけが原因とは言えないかもな。

 

 目の前の白羽の男を、鉄人が認めた瞬間だった。

 

「さあ! 行くぞ、騎士達よ!! 存分にその力見せつけてやれ!!」

 その言葉と共に、けたたましい鳴き声と風切り音が空へと響く。鞭が、呻る。

 

 ――さあ、いざ!!決戦だ!!


 

 


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