第二十話:熱狂
「それでよ、俺は颯爽と空中に飛び出して、弓を構えてこう言ったわけだな。『竜騎士共、覚悟せよ! 我が有翼の民の怒りの雷を受けるがいい!!』……そしたらあいつらは顔をこーんな風に引きつらせて……」
そう言いながら、奇妙に縦に引き伸ばされる顔に、場はさらに笑いに包まれる。
「あっはっはっは。おめえがそんな立派なこと言えるわけねえだろ。ま、そんでも確かにあいつらはそんな顔してたっけなぁ!」
「いやいやいや、ホント傑作だった! 鼻水やらなんやらたらしながらよ、草まみれの泥水んなか這いずり回ってよ!」
「そう、そう! あの顔な! ああ、もう空になってるじゃねえか。ほれ、修練生共、飲め飲め!」
バッハ城の一階から三階まで吹き抜けになった大広間は、歓喜の笑い声と、酒の匂いに、その高い天井までみっしりと埋め尽くされていた。
中でも、最も声高にその気勢を上げているのは、まだあどけない顔をしたレンダマル兵士鍛練所の修練生達である。恐怖の奇襲の経験から一転、輝かしい湿地での勝利に貢献した若者達は、その興奮を抑えきれぬ、と、慣れない酒をこの昼間からがぶがぶのみ散らかし、意気揚々とその武勇を皆に語って見せていた。
その様子を、まるで父か兄かのような眼差しで、ナムワの部隊の荒くれ共がはやし立てる。彼らにとっても、この勝利は今にも小躍りせんばかりの、かつてない痛快劇であり、その喜びを若さに任せて表現する修練生達の姿は、まるで昔の自分を見るようで、ひどく嬉しくもあった。
「ああ、いいよなあ。お前達は。俺たちもぜひこの目で見たかったぜ。まったく、うちのご領主様と来たら、腰抜けでよう。困ったもんだぜ」
「そう、そう。なんで、俺らの部隊に任せてくんなかったのかねえ。ああ、次こそは絶対出陣するようにお願いしてやるとも。あんなガキ共に負けてられるかっての」
そう、美酒の恩恵にあずかりながらも、愚痴を吐いているのは、湿地での戦闘に加われなかったナムワ軍以外の他の諸侯軍の兵士達である。あまりに拍子抜けと言っていい城攻めと、後から聞かされれば聞かされるだけ輝かしい湿地での勝利に、自然とその口から憧れを交えた不満と、嫉妬の念が飛び出す。
――次こそは、俺が。いや、俺こそが手柄を立てるんだ。
恐ろしいものだ、とナムワは小さく呟く。
その大きく張り出した大胸筋の中に、もう一樽の酒を流し込みながらも、ナムワは尚も、その手の杯をあおった。
……かつてこんな活気のある食堂を見たことがあるだろうか。
兵士はどれもこれも生き生きと目を輝かせ、来るべき戦争に胸躍らせている。
正直、あの時は疑問で仕方なかったのだ。なぜ、あの場で修練生らを使う必要があるのか、と。別に上空から矢の雨を降らせるだけなら、うちの奴等にやらせたら構わなかったではないか、と。
だが、これだ。これなのだ。
……この若き修練生らの自信と他の兵士らの競争意識。それが生み出すかつてないほどの士気の高まり……。
「ここまで、ここまでか……」
もう、ナムワは嘆息し、酒をあおるより他にない。
そして、勝利が劇的であればあるほど、あるものを生む。その事を嫌と言うほどナムワは昨日から聞かされている。
「もう、そりゃあ、すげえんだぜ! こう、ヒュイ、と口笛を吹くだけで、あっという間に騎士らは共倒れ!! あれ見たらもう俺、ちびりそうになちゃったぜ!」
「うんうん! 俺もカルツェ城の戦いの時、投石機の工兵として近くにいたけどよう、あの剣さばきと来たら、もう目にも止まらねえってか、すんげえの! こうやって、皇帝の竜をだな……ばさーっ……っと」
「すげえ! ホントにすげえよ、あの方は!!」
……心酔。その一言だ。
なんせ、元荒くれのうちの兵士らが認めるくらいだ。もともとの剣術の腕も素晴らしい。それにこの寡兵での勝利に加え……あの若さ、そしてあの見た目ときた。そりゃ、若い連中が夢中になるのなんか無理もない。……ここまで来たら、あとは簡単だ。
「あっ! 見ろよ!!」
一斉に広間がざわめく。
ナムワは、広間中の視線が集まる天井の吹き抜け付近に、その酔い腫らした目をこらす。
広間がすべて見渡せる三階の渡り廊下に、金の髪と、白羽が揺れていた。
カツカツ、と軽快に靴をならし、その手に何やら書類を抱えたままで、この城の主室へとその歩みを進めている。そのいつにも増した凛とした横顔に、兵士達から熱い声が飛ぶ。
「リュート様!!」
「リュート様だ!!」
その声に答えるかのように、白羽の男は少しだけその秀麗な顔を広間に向けて、うっすらと微笑んでみせた。
……そう、もうあとはこれだけでいい。
「うわーっ!!! こっち見た!! 俺の方見た!!」
「いや、俺だって!」
「リュート様! 次は俺の部隊、使って下さい!! 剣磨いて待ってますから!!」
なんと、簡単なことか。微笑み一つで、自分の意のままの軍隊の出来上がりだ。
ぴしゃり、とナムワはその自慢の禿頭を一つ叩く。
……まこと、見目がよい、というのは得だの。ま、儂みたいな武骨なオヤジが言うてもしかたがないが。
そう自嘲しながらも、この武人こそ、誰よりもあの美しい若者に酔いしれていることは、その桁外れの飲酒量が明確に語っていた。
「遅れまして、すみません、我が君」
主君を前に、そう謝罪の言葉を述べながらも、臣下の顔には少しも悪びれたところはない。
「まったく、せっかくの羊が固くなってしまったではないか。誰の為に用意させたと思っている」
すっかり冷め切った昼食を前に、黒羽の主君が仏頂面で文句を垂れた。それにかまうことなく、臣下は持っていた書類を脇に置き、主君の前に用意された席に着席する。
「それにしても珍しい事だな。お前から私と食事したいと言いだすなど」
「いいではありませんか。たまには臣下と親睦を深める意味でもご一緒にランチなど。それに……」
「そうだな。お前はねぎらってしかるべしだな。取り敢えず、言っておく。……よくやってくれた。感謝する。……正直、驚いた」
素直に述べられる礼と感想に、臣下はその美しい金髪を揺らして苦笑する。
「ああ、なんだかこそばゆいですね。貴方に改めてそう言われると」
その嫌味にもとれる微笑みを無視して、黒羽の主君は眼鏡の秘書長に合図して、ワインを持ってこさせる。
「祝杯といくか」
主君手ずから、なみなみと注がれるそれを、目の前の臣下は恭しくも固辞した。
「いえ、酒は飲まぬことにしておるのです。酒は判断を鈍らせます。いつぞやはそれで、痛い目を見ましたので」
あの収穫祭の夜のことか、とすぐに主君は思い当たる。
……兄にいらぬと言われ、自暴自棄になって飲み散らかして、密偵に拉致されかけた。
ほんの少し前のその事件が、この主君にとってはひどく昔のことに思える。
あの時、あれだけのことで伏せっていた男が。あれだけのことで飴玉一つしか食えなかった男が。
まさか、こうなろうとはな……。
主君のその思いをよそに、臣下はではお先に、と一つ声をかけて、目の前でぱくり、とパンをかじってみせた。
……食える、か。
当たり前のその行為が、主君にとっては驚きだった。
「少々鍛冶屋達と話こんでいましてね。それで遅れました。あの連中はなかなか素晴らしいですよ。南部の鍛冶屋は本当に腕がいい」
そう遅参の理由を述べる男の目に、不敵な色が宿ったのを主君は見逃さなかった。
「あの鍛冶屋を使って、また何かを考えておるのか」
「ええ。まあいろいろと。例の炉も作らせるつもりです。リンダールの武器をも溶かせる炉を。ただ……」
「ただ、なんだ?」
その問いに、さらに目の前の碧の瞳に、不穏な色が増す。
「今度の城攻めに間に合うかは、わかりませんが」
どこの城を、と言わずとも、主君にはそれは察してあまりあった。諦めたように、短く尋ねる。
「落とす気なのだな」
「ええ」
一瞬、主従の間に沈黙が流れる。
「……それで、勝算は」
「ないなら、しません。やるなら、今です」
傍らのグラスに注がれた、ただの水を一気にあおって、堂々と臣下は言い放つ。
「あと一月もしないうちに、本格的な冬が到来します。そうなればこの標高の高い半島中部は大雪に閉ざされてしまいます。その前にあの城を奪還すべきです」
「先に言っていた炉が、間に合わぬやもしれんのにか?」
主君のその問いに、にや、と臣下の口の端が歪む。
「ならば、今あるものを有効に活用すれば良いだけのこと。普通の炉ならありますし、鍛冶仕事はできる」
その含みのある言い方に、主君はまた呆れたようにため息をついた。……また、恐ろしいことを考えておるわ、こいつ……。
「だが、戦力が乏しいぞ。主力は私が率いてきた東部軍のみ。もう少ししたら新たな国王軍が到着する予定だが……」
主君の渋るその言葉に、またも碧の目が眇められる。
「新たな軍など城攻めにはいりません。ま、せいぜい役に立って事後処理でしょうか」
しれっと無表情でそう言い捨てる若き臣下に、主君はその自慢の濡れた黒髪を抱えながらあきれ果ててしまう。
「おいおい……。本当に今の戦力で戦うつもりか」
「こちらの兵力はまあ、かき集めて三千。あちらの騎士はせいぜい千五百。騎士が騎手と飛竜で二人分、と考えると、丁度五分五分ではないですか?」
有翼兵十人に相当する竜騎士相手に、よう言うわ、この男……。今度は足場の悪い湿地の時のようにはいかんのだぞ。城攻めなのだぞ。しかも、皇帝と将軍の二枚看板がおるのだぞ。
あえて口にしなかった主君のその懸念を察したかのように、臣下はその顔をにっこりと微笑ませて、言い放つ。
「……ま、あのトカゲ共が飛ばなければ、騎士なんぞ地を這い蹲る蛞蝓に過ぎぬ、ということですよ」
ああ、まったく、この男は……。手が付けられなさ過ぎる。
こんな男では、なかった。
そう、ついこの間までは私が矢に刺されたくらいで、ぴいぴいと泣いておった子供なのだ。
それがこうまで変わるとは……。あの兄の死は罪深すぎる。
そういえば、と黒羽の主君は一つ思い当たる。
……泣いて、おらぬな。
兄が死んでから、一度も泣いておらんな、こいつ。
黒曜石の瞳で、主君は臣下の碧の瞳を見つめる。
――泣けんか。
それも、辛いな。
「つきましては、一つお願いが」
心を閉ざすように、碧の目が背けられる。
「何だ。言うてみよ」
自分からねだり事を言い出したにもかかわらず、目の前の金髪の臣下はその声にはすぐに答えず、テーブルの上にあったフォークとナイフを取り、すっかり固くなった羊肉のソテーにそれをあてがった。そしてそれを押さえつけ、ナイフで肉の中心をざくざく、と切っていく。
ざくざく、ざくざく……。
じわ、と冷めた肉汁が皿の上に滲み出る。そのまま臣下は、丁度、中心でまっぷたつになった肉片のその片方にだけぷすり、とフォークを刺して、にや、と奇妙に微笑んだ。
「……半分、食べて頂けませんかね」
投げかけられたあまりに唐突なその要望に、一瞬、主君は呆気にとられる。半分、食べろ……、だと?
そのぽかんと開けた口元に、少しも構わず、臣下は尚不敵に微笑み続けて言う。
「あなたなら、食べられるでしょう。……あなたなら。ね、我が君」
ぞくり、と背中を何かが駆け抜けた。
一瞬で、主君はその意味を理解する。
「リュート、お前……」
私を、試そうというか、と小さく主君は繋いだ。
金の髪が薄くかかる唇が、耳元に近づけられた。知らぬ間に、目の前の臣下が立ち上がって、体ごとこちらに寄っていた。
「欲しいのでしょう。……大公位」
吐息とともに、甘言が耳に届く。
「一刻も早く、大公におなりあそばしたいのでしょう? ならば、欲しくはありませんか?」
甘い、甘い、悪魔の囁きにも似た響き。
「なにものにも代え難い、最高の名誉と名声。それがあれば、現大公殿とて貴方を認めない訳にはいかないでしょう?」
「……私を、焚き付けに来たか、リュート」
黒羽の男は、ようやくそれだけ絞り出した。
「まさか。ご進言、申し上げておるだけですよ。慕わしき我が君が、一刻も早く大公様になられますように、と」
目の前で、凶悪に微笑む美麗な顔に、ランドルフは嫌味を言うのがやっとだった。
「私の方が御しやすかろうて言っておるのでないとよいのだがな」
ああ、まったくやっかいなものだ、とランドルフは内心で毒づく。
ただ、お願いします、兵を出して下さい、と請われるだけだったならば、自分は断固としてこの臣下の願いを退けていたであろう。
だが、こうも挑戦されれば、受けて立ちたくもなる。ここまで言われれば、受けて立ちたくもなる。
他の誰でもない、この私の血がそうさせる!
ああ、まったくやっかいだ! この『反骨』を旨とする生粋の東部人の血という奴は!!
「……よかろう。やってやろうではないか」
「それでこそ、我が主君であられる」
これ以上ない、凶悪な瞳で、目の前の臣下は微笑みかけた。
「あ、そうそう。もう一つおねだりがあったのでした」
食事をあらかた終えて、今度は少しだけその鋭さを落とした瞳で、臣下は主君を見つめる。もう、こうなると好きにしてくれとばかりに、主君は投げやりにそのねだり事はなんなのか問うてやる。
「しばらく秘書長殿、貸して頂けませんかね」
うふふ、と今度は本当に子供がねだるように笑って、臣下は主君の意向を尋ねた。これに驚いたのが、ワインのお代わりを持っていた当の本人である。その自慢の眼鏡に隠された瞳を白黒させて、その真意を同僚に問いかける。
「な、な、な、なんで私が……」
そう狼狽える小男を安心させるかのように、金髪の同僚がぽん、と肩においてやる。そして、その白い歯をみせて、きらりと微笑んで言う。
「よろしく頼むよ、オルフェ投石部隊長」
もう、当の本人は声も出せない。代わりに主君が金髪の臣下に呆れたように聞いてやる。
「いつからそうなったんだ?」
「今日、今からです。城攻めの時まで借りますよ」
どこかで聞いた台詞で、金髪の臣下は悠々として答えた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待てよ!! なんで私が……。私はぶ、文官だぞ。そ、そりゃあこないだは何とか助けてやったけどな、あれはたまたまというか、ちょっとやってみただけというかな……。だ、だいだい城攻めといったらなんだ、矢やらなんやら飛んでくるだろう。わ、私はそんなところ……」
慌ててそう言いつのる眼鏡の文官の襟元が、がしり、ときつく掴まれた。そして目の前の美貌の男がにっこりと微笑んで、一言、短く言う。
「ああ?!」
その最高に短い殺し文句にかつてない恐怖を覚えながらも、尚も最後の力を振り絞って文官は自分の矜持を守るため、目の前の男に反抗した。
「わ、私は文官だ! 人殺しの戦場なんて、絶対に……」
ちっ、という舌打ちが飛んだ。
と同時に、下半身にガン! と強烈な痛みが襲う。ちかちかっと、星が二三個目の前で弾けるのだけを、ようやく眼鏡は確認した。
「……いいからさっさと来いよ」
その美麗な眉を限りなく寄せたかつてない凶悪な表情で、年下の同僚が眼鏡を見下していた。
「お、お、お、お前っ、な、な、なんつうこと……」
眼鏡の男は涙目でもんどりうったまま立ち上がれず、それだけ絞り出すのが精一杯だ。それに追い打ちをかけるように、白羽の男の手が首ねっこをがし、とひっ掴む。
「いつまでもぐずぐず言ってんじゃねえぞ、ヘタレ文官が。ここが正念場なんだよ。男ならきっちり戦いやがれ」
さっきまで主君に喋っていた上品な言葉遣いの男とは思えぬ言葉が痛烈に飛ぶ。それでも文官は諦めることなく同僚に反論する。
「だ、だからってな! お前、け、蹴ることないだろうが!!」
「安心しな。もしあんたがこれで不能になったら責任取って僕の娘でもなんでも嫁にやるよ。僕の娘ならきっと美人に決まってる。よかったな」
「いいわけあるか!! ランドルフ様! ランドルフ様!!」
そう助けを求め、すがるような瞳で見つめる眼鏡に対し、主君は嬉しそうに、にっこりと微笑んで彼に一言言う。
「武運を祈るぞ、オルフェ」
「いーやーーーーだーーーー。たーすーけーてーーーーーーー……」
そう、この部屋から引きずられて消えゆく眼鏡を、主君は張り付いた微笑みで、じっと手を振りながら見送っていた。
……あの男の運命まで、変えてしまうか。
あの、ただ部屋の中で黙々と書類と本に向き合ってきただけの男の運命までも。
私の運命も、変わるのだろうな、とランドルフは自嘲げに笑う。
耳をすませば、この部屋まであの食堂の喧噪と熱狂の声が届く。窓の外を見遣れば、鍛冶場の炉の煙がもくもくと空へと伸びている。
みんな、……みんな、あの男が火をつけおったわ。
ふん、と軽く、ランドルフはその鼻を鳴らした。
誰が、誰が一体この熱を冷ますことができるというのか。
どうせ冷めぬ熱なら、それに浮かされたまま行けるところまで行くまでよ。
あの、金髪の男とともにな。
くっ、と一つ笑いをもらし、ランドルフは臣下が置いたままにしていった書類を、その手に取った。