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第十九話:湿地

「あーあ、こんな朝っぱらから『鳥狩り』とはな」

 

 あくびまじりのぼやき声が、朝霧の空の中に響く。

「しかも、何だっけ? 二千だっけ、三千だっけか? よくもまあ、そんだけ集まったもんだぜ。あんだけの大敗喫しておいてよう」

 そのぼやきに答える声も、ひどくけだるげで、まったく覇気が感じられない。聞いたはずの敵の数すら、正確に覚えておらぬくらいだ。

「本当に懲りもせずよ、この朝霧を利用しての奇襲だってか? 前の教訓がちっともわかってねえんだなぁ。ああ、仕方ないか。……なんせ、奴らは『鳥頭』だからよ」

 一人の騎士のその言葉を受けて、辺りは下卑た大爆笑に包まれる。……違いねえ、違いねえ。おめえ、誰が上手い事言えっつったよ、ま、確かに合ってるけどよぅ。あんま、笑わすんじゃねえよ。

「あ、鳥頭で思い出したけどよ、あのエルメからの情報じゃ、この奇襲作戦の頭を務めてる『鳥』っつうのが、なんでも皇帝陛下の竜を殺した奴らしいぜ。皇帝陛下は随分ご立腹だったらしいし、そいつを殺りゃあ金貨一袋、いや、ことによっちゃあ本国への帰還許可までもらえちゃうんじゃねえの?」

「本当かよ。俺はもうこんなクソ寒い国なんてうんざりなんだ。ああ、棗椰子香る麗しのリンダールよ! 小麦色の肌の娘に、熱く燃える太陽!」

 祖国を讃える騎士の一言に、空中を翔る軍団はより一層盛り上がる。郷愁の思いと共に、誰からともなく祖国の歌が口ずさまれ、その歌に乗るかのように、今度はお調子者の騎士らが、その騎竜を手綱ひとつで器用に駆り、空中でくるりと一回転してみせる。それに続けとばかりに、若い騎士らの曲芸飛行が始まった。こうなってはもはや遠征軍の体すらなしていない。

「ええい、やめんか! サイニー様がいないとお前らはすぐこれだ!! これから戦闘なんだぞ! 気を引き締めろ、気を!!」

 その隊長格の騎士の言葉にも、騎士達は一向に行為を改めない。楽しんでいるのに、何、水さしてんだよ、とふてくされた表情をするばかりだ。

 ……まあ、無理もない。

 長い遠征でこれたちもストレスが溜まっておるのだろう。まして、相手は『鳥』だ。世界最強を謳われるリンダール竜騎士団にかかれば、奴らなど一ひねり。そう言えば、この間も爽快であった。あの逃げまどう『鳥』共をこの戦斧でなぎ倒す快感と言ったら。今日もあの悲鳴が聞けると思うと、朝から笑いが止まらんな。

 そう、一人ごちて、隊長は口の端からさらに下卑た笑いを漏らした。

 

「隊長、見えました。あそこです」

 朝から深くたれ込めていた朝霧が、ようやく薄く消えかかる頃、一人の騎士が三方を山に囲まれた小さな平地に、あるものを発見していた。

「あの山の蔭にちら、とですが見えました。エルメから教えられた場所とも一致しています」

 それはミラ・クラース軍の専用テントの影だった。

 昨日降った雪の上に、小さな点がぽつり、ぽつりと霧の中に滲んでいる。上空からははっきりとは確認出来ないが、聞いていた軍隊の数から察するに、おそらくこの小さな平地いっぱいに、そのテントが設営してあるに違いない。

 三方の山と朝霧にうまく隠してはあるが、それも無駄なこと。なにしろ、こちらには情報は筒抜けなのだから。よもや、その腹の中に毒虫を飼っておるとは、気づくまいて。

 再び、隊長はいやらしく笑うと、昨日指定の大木にくくりつけてあった手紙を懐から取りだして、見直す。

 奇襲開始予定時刻は今日の朝八時半か……。と、すれば今頃はまだ腹ごしらえや身支度のためテントに籠もっておる頃だろう。ならば……。

「食事中の鳥狩りと行くかな」

 にや、と顔を歪めて、隊長はその愛用の戦斧を構えた。それを合図に、他の騎士達の武器も次々と抜かれる。

 ギャアギャアとけたたましい鳴き声を響かせ、飛竜達が空中で隊列を組み、戦闘態勢を整えた。それをちら、と横目で確認し、先頭の隊長が叫ぶ。

「行け! あのテントもろとも、鳥共を蹴散らせ!!」

 

 竜の腹に、拍車が打ち付けられる。

 それを合図に、飛竜達はその頭を下げ、一気に山あいの平地へ向け、急降下していった。ヒュオ、とその背に構えられた戦斧がうなる。

「行けぇ!!」

 その掛け声と共に、戦斧や槍が、一斉にそれぞれのテントを襲った。あまりの衝撃に、一撃でテントの幕が破られ、中の骨組みが砕けて、中身があらわになる。

「鳥共! 覚悟ぉ!!」

 低空で器用にその騎竜を旋回させ、騎士はその中にいると思われる兵士に止めをさすべく、再びテントにその武器を振り下ろした。だが、何も音がしない。頭蓋骨が砕ける音も、肉が切り裂かれる音も、何もしない。

「……何っ!!」

 余りの手応えのなさに、騎士は驚嘆の声を漏らした。

 

 ――いない!!

 テントの中に、誰もいない! ……いや、ここだけじゃない! あっちのテントも、こっちのテントも、皆無人だ!! どういうことだ!?

 騎士達は皆、一様に、その状況に驚き、辺りを探るように地上スレスレの低空で飛び回る。だが、それも思うようにいかない。地表近くに、未だうっすらと残った霧が、彼らの視界を狭めていた。

「くそっ……思ったより地上は霧が濃いな……」

 そう、毒づく竜騎士の耳に、ヒョンヒョンという風切り音が飛び込んできた。

 と、同時に霧の向こうから鉄の鉤爪が先に括り付けられたロープが、騎士に向かって投げ付けられる。一本ではない。何本ものロープが霧の向こうから飛び出し、騎士の身体や飛竜の足や首に巻き付いた。他の騎士達も同様だ。何十、いや何百ものロープが騎士団目がけて襲いかかる。

 外そうにも、鉤爪がひっかかり、なかなか外すことが出来ない。

「な、何だ、このロープは!一体どこから……」

 すぐ下には崩れたテントと昨日降り積もった雪だけ。この平地には兵士の気配が一切感じられない。だとすると……。

 騎士は薄い霧の中、ロープの先を見極めんと必死に目をこらす。

 確か、ここは三方を山に囲まれた小さな平野だ。さっき上空からうっすらとだが確認した地形から考えるに、平野でないとすると山からか!!

 そう、すぐに気づくも、すでに遅かった。

 

「今だ! 引け!」

 

 山肌から熊の様な声が響いていた。

 突然、ぐい、と、絡まったロープが勢いよく引っ張られる。気付いたとおり、やはり霧に薄く隠れた山の木々の間からだ。

「く、くそっ……!!」

 たまらず、騎士と飛竜は空中でバランスを崩し、ロープに引っ張られるまま、地上に墜落してしまう。テントを下敷きに、飛竜の巨体が無惨に雪が積もった地上に転がった。

 

「引け! 引け!! 引き倒せ!!」

 再び熊の鳴き声が響く。

 そのかけ声と共に、次々と同じようにロープが引っ張られた。ナムワの部隊の精鋭達が、その山肌の木々を利用しながら、さらに力強くロープを握る。


「う、うわあ!!」

「な、何だぁ?!!」

 驚きの声と共に、他の騎士達も見る間に次々と地上に引き倒されていく。

 どしゃり、どしゃり、と飛竜が落ちる鈍い音が立て続けに辺りに響いた。しかし、元々低空飛行をしていたため、墜落によるダメージは飛竜、騎士共に殆どない。騎士の一人が飛竜の背から投げ出される事もなく、鞍に乗ったままで再びその態勢を立て直そうとする。

「こんなロープで引き倒したくらいで、調子にのるなよ! そこの山の木陰に潜んでいるのはわかったんだ! 覚悟しやがれ、鳥共!!」

 

 ドカリ、ときつく拍車を竜の腹に入れる音が平野に響いた。

 だが、一向にその飛竜は空へと飛び立たない。

 ……おかしい、もう一度。ドカリ! ドカリ!! ドカリ!!!

 いつもならこの合図で、とうに空を翔ているはずだ。何故、飛ばない!?

 竜の飛膜はちゃんと張っている。飛竜ももちろん無傷だ。あの低い高度から落ちたくらいで、騎士団の誇る騎竜がやられるはずがない! ……なのにどうして! どうして飛べないのだ!!

 

 ――ジャブリ……。

 嫌な水音が騎士の耳についた。真下からだ。

 まさか、とすぐに騎士は騎竜の足下を見遣る。

 竜の足が、雪交じりの泥水に埋もれていた。

 ……何故だ? ここはさっきまで雪が降り積もっていたただの平野だったではないか!! その証拠にテントだって建っていたではないか!! なのに何故、水が?! しかも竜の足をこんなにも埋もれさせる深い泥水がいきなり何故?!!

 

 突然の出来事に、騎士の頭はパニックになる。

 そんな主を乗せた飛竜は、主の命に何とか沿おうと必死に飛び立とうとその翼を動かすが、一向に浮力が得られず、かえって冷たい泥水の中にその足を深くめり込ませる羽目になってしまう。それだけでない。他の飛竜達に至っては、さらにずぶずぶとその巨体を泥水に溺れさせるものまで出てきていた。

 

「何だ!ここは!! ……何故、竜共が飛べない!!」

 狂乱の騎士達の声が、薄霧のかかる山々に木霊する。

 

 

「……ナムワ、考えたことがあるか。あの竜の後ろ足が何故あんなに太いのかを」

 霧にうっすら霞む平地がすべて見渡せる山肌の一角で、ひどく冷静な声が尋ねる。

「いいえ……。恥ずかしながら……そういうものだ、とばかり思っていて、疑問に思った事はありませんでした」

 その答えに、冷静な声の主はすっと、泥水の中の竜を指さす。

「あれを見てごらん。前足に比べて後ろ足が著しく発達しているだろう。あれは何のために発達しているのか。……それは、飛ぶためだ。あの筋肉のついた後ろ足で地表を蹴ることによって、反発力を得て、竜はあの巨体を空に浮き上がらせる事ができるのさ。その力で浮き上がった後、あの翼で風を起こして空へと舞い上がる……」

「と、すると……」

「そう、逆に言えば、後ろ足を封じてしまえば、竜は空を翔る事が出来ない。あの飛膜のついた翼だけでは、あの巨体を空に浮かび上がらせる事ができないのさ」

 眉ひとつ動かさず、淡々とそう言いのける目の前の怜悧な美貌に、ナムワはその額に、一つ脂汗を滲ませる。

「……だから、ここをお選びになったのですね。……この、ニダル湿地を」

 

 それは、この怜悧な男が、あの忌まわしい戦場へ行く道すがら、迷い込んだ場所だった。

 元々湖だった土地に、植物が堆積して出来た、山間の湿地。

 ナムワは、昨日の寒さの中での辛い作業を思い出す。

 湿地に薄く張った氷の上でのテントの設営作業。なるべく雪を荒らさぬように、飛行したままひたすら骨組みを建て、幕を張る。そして未だに深く水を湛えた沼状の場所への雪でのカムフラージュ作業。そう、すべては、竜騎士達にここが湿地であることを悟らせぬため……。

 

 バチャ、バチャと辺りに一斉に苦しげな水音が響く。

「……このぬめった湿地で、さて、竜の足がどれほど地を蹴る事ができるかな……?」

 歴戦の武人が、ぞっとするほど綺麗な微笑みで、男は目の前の惨状を見下してみせた。

 薄くかかる霧の中では、聞き慣れないリンダールの言葉がけたたましく飛び交っている。おそらく騎士達が飛べなくなった竜達に、パニックを引き起こしているのだろう。

「どれ、もう一つ揺さぶってやろう」

 そう言って、金髪の男は形のよい唇に指を当て、器用に指笛を吹いてみせる。

 

 ――ヒュイーイ……!

 その口笛に呼応するかのように、ばたばたと羽音をたてて、山の木々から小鳥達が一斉に飛び立った。小鳥達はそのまま群れになると、低空で霧の中、反対側の山へ目がけて飛び立っていく。

「昔から笛を吹くのは得意でね」

 そう言う男の意のままに、小鳥達が霧の中、一面に羽音をまき散らす。

「……さて、泥水にまみれ、竜も飛べず、霧で辺りもいい具合に霞んでる。その中で、敵軍を思わせる羽音が響いたらどうなるか……」

 

 ――ばたばたばた……。ばさばさばさっっっ……。

「敵襲だ!!」

「有翼兵だ!! ミラ・クラース軍だ!!」

「二千……いや、三千だったか……。そ、空から来るのか……。い、いや、羽音が近い……。も、もしかして、近くにいるのか」

「や、やっ、やめろ!! 来るな!!」

 竜の鞍から降りた騎士の足が、湿地の泥にまみれ、ばちゃり、と水音を立てる。

 ばちゃり、ばちゃり……。

 慣れぬ湿地で、その槍を構え、恐怖に震えながらも騎士は辺りを警戒する。……どこだ、どこからやってくる? 近くにいるはずだ……。殺らなければ、殺られるぞ……。

 

 バシャッ!!!

「そこか!!」

 突然立てられた後ろからの水音に、たまらず騎士はその槍を突き立てていた。ぐらり、と影が揺らめいて倒れる。

「……あ、あ……どうし、て……」

 嫌な水音を立てながら、目の前に倒れ込んだ男の背に、羽はなかった。

 

 

 

「……そう、同士討ちだ」

 再び高い所から、冷静な声が浴びせられる。

 霧ですべては見渡せぬだろうに、目の前のこの金髪の男はそのすべてを見通しているかのように、すべてを意のままに操っていく。霧の中で、また一つ、また一つと上がる断末魔。この湿地の中に、有翼兵は誰一人としておらぬはずなのに、次々と騎士達が倒れていく。

 ナムワはもう、言葉一つ絞り出せない。そんな彼を尻目に、金髪の男は再びその眉一つ動かさず、冷たく言い放つ。

「……これだけではつまらんな。彼らにも手伝ってもらおう」

 

 もう一度、口笛が湿地に響いた。今度はヒュイ、ヒュイ、ヒュイと、何かを合図するかのような音だ。

 それに呼応し、反対の山肌に隠れていた一団が一斉に空へと飛び出してきた。その背に翼を持った、年若い兵士達数十名。いずれの手にもしっかりと弓が握られている。

 彼らは霧が立ちこめる湿地の上空までやってくると、まだおぼつかない手つきでその弓をしっかりと引き絞り、狙いをその真下で苦しんでいるものたちへとつけた。

 

 ふん、と軽く鼻をならす音が非情に響く。

「飛べない大トカゲなど、半人前の修練生達の絶好の練習台だと思わないか、ナムワ」

 ギリ、と音を立てて、無数の矢が地上に降り注いだ。断末魔が、霧に溶ける。

 

 

 

 体中から、脂汗という汗を噴き出させ、ナムワは戦慄した。穴が空くほど、隣にいる金髪の美貌の男を見つめる。だが、その視線にも、目の前の惨状にも、少しも男の表情は揺るがない。当たり前のことを見ている……そんな顔で悠々と血に染まる湿地を眺めている。

 ――こ、この方は……。

 ナムワはその全身の筋肉を硬直させざるを得ない。

 

 ……確かに、若も一人の武人として先のカルツェ城の戦いでは素晴らしい采配を成された。あの若さでは申し分ない才能であると評価している。

 だが、若はそのお育ちの良さからか、少々型にはまりきったきらいがお有りになる。あのカルツェ城の布陣とてそうだ。

 一方で、この方は……。天衣無縫、とでも言ったらいいのだろうか。今までにない勝ち方をみせてくれる。

 一体、誰が、今回の戦いで、戦場の華と言われる空中戦なしで勝つなど予想しただろう。霧を読み、鳥を操り、しかも、南部人でないこの方が、一度迷い込んだきりの湿地を利用するなど……。あの鍛冶屋達を総動員して一夜にして鉄の鉤爪を作らせ、まして、足手まといの修練生達まで使ってみせて、この寡兵にして無傷の勝利。

 おそらく、この竜騎士達の人数からいって、城の方は空に等しいだろう。他の東部軍の戦力ならばすぐに落とせるに違いない。

 ここまで、……ここまで、読んで見せたか。この、美しい若者は。

 何という、才能。……何という天賦。この方なら、もしかして……。 

 

「決まったな。我が君に狼煙を」

 血に染まる湿地に、静かにその命令が告げられた。

 

 

 

 

 霧がすっかり晴れ、辺りが夕闇染まろうとする頃、この戦場にようやく黒羽の次期大公の部隊は姿を現した。眼前に広がるあまりの惨劇に、言葉もない男達に、上から普段と変わらぬ声が投げかけられた。

「……城攻め、いかがでございました?我が君」

 

 男は、夕焼けに紅く染まる飛竜の死体の上にいた。夕日を背にして、逆光になっているためその表情はよく読み取れない。

「速やかな制圧、お疲れ様でございました。さすがは僕の主君であられるだけのことはある」

 さらに投げかけられるこのねぎらいの言葉も、もはやこの黒羽の主君にとっては嫌味としか聞き取れない。

 狼煙を合図に、全軍上げてバッハ城に出撃したはいいが、城には少数の守備兵のみ。制圧などまさに赤子の手をひねるがごとく……。それもすべて主力がここで潰されていたが故だ。……そう、この男にだ。自分の手柄など、ないに等しい。


「ああ、そうだ」

 そう言いながら、竜の上から金髪の男が何かを放り投げて寄越す。ごろり、と雪解けの湿地に紅い塊が転がった。

「この勝利、あなたに差し上げますよ」

 それは、この竜騎士隊を率いていたと思われる男の生首だった。赤黒い血にまみれ、だらりと情けなく舌を出している。そのあまりの生々しさに、主人の後ろに控えていたオルフェがひい、と一つ悲鳴をあげた。

「……私に、この勝利を、だと?」

 唸るようにそう絞り出す主君を前に、金髪の男はようやく飛竜の死体から降りて、主君の横に着地する。

「何、気になさることはありません。いつぞやの飴の礼ですよ」

 それだけ言うと、男は金の髪をなびかせて主君の横を通り過ぎた。


 唇を噛みしめ、ランドルフは目の前の生首を睨み付ける。

 ……まさか、紅い飴玉が、生首になって返ってくるとはな……。

 その誰も予想しなかった運命に、ランドルフは言いしれぬ恐怖を感じ、去りゆく白羽をじっと見つめていた。

 

 

「リュート様、やはりいません」

 湿地の泥に、その自慢の頭を汚しながら、ナムワが静かに報告に来た。

「そうか……。やはり将軍はいないか」

「はい。サイニー将軍はいつも胸にヒュドラの紋章を付けておるのですが、この戦場にはその紋章をつけた死体はありませんでした」

「……ヒュドラ?」

 聞き慣れぬ単語に、リュートはナムワに反問する。

「はい。一つの体に二つの頭を持つと言う伝説の竜らしいです。それが将軍家のシンボルらしいのですな」

「……ふん。一つの体に、二つの頭ね……。ナムワは将軍と戦った事があるのだな」

「はい。ルークリヴィル城が落とされる前に一度。正直申し上げて、あれはなかなか優れた武人です」

 ナムワのその評価に、リュートの眉が少しだけぴくりと動く。

「リュート様が先だって戦われた皇帝より、正直恐ろしいです。……皇帝は、戦われておわかりになられたでしょうが、若さ故に猪突猛進、と申しますか、すぐ感情的に突っ込んでくる傾向がありますが、将軍は違います。いつも冷静に皇帝を諫め、的確に物事を判断します。警戒なされた方がよろしいかと」

 その言葉に、静かに金髪が頷く。

「……そうか。ここにいないとなると、将軍も、皇帝もあちらに帰ったか……」

 ぎり、と碧の目がその鋭さを増した。そのまま南の方角を睨むように見据えると、彼は静かにナムワに告げる。

 

「落とすぞ」

 

 その言葉が、目線が、何を語っているのか、ナムワにはわかりすぎるほどわかっていた。

 彼の視線のその先、それはあの伝説の土地。かつて、皇帝を虜囚たらしめ、先の戦争を終わらせた地。

 南部大公居城、ルークリヴィル城……。

 それを、落とされる、と申すか。この美しい若者は。

 

 血が、かつてないほど滾る。

 この方なら、……この方なら。

 

 歴戦の武人は、目の前に広がる白い羽に、かつて一度見た、永遠の伝説の夢を見た気がした。

 


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