第十八話:平民
「さ、三百だとぉっ!!」
真っ先に口を開いたのは、リューデュシエン南大公代理ジェルドだった。
「な、何を血迷ったことを! た、た、たった三百で竜騎士を相手に出来るものか! ましてこんな若造が!」
彼がそう言うのも尤もな事である。一騎で有翼兵十人に相当すると言われる竜騎士を、たった三百人の兵士で相手にするなど、今までの戦闘から考えるに、自殺行為としか思えない。まして、城を落とすなどとは、正気の沙汰ではない。
この白羽の若造まで気がふれておるか、とジェルドは忌々しげに唾を吐いた。
「まったく、東部者は手におえん。ここはまずこの城を死守するのが定石だろう。もう少し待てば新たな国王軍や他の諸侯軍が到着するはず。それまでは……」
ジェルドのその小馬鹿にしたような台詞に、碧の瞳が鋭く光った。
「それはいつのことだ? 明日か? 明後日か?」
「そ、それは……」
口籠もるジェルドに、尚も鋭い眼光が突き刺さる。
「そんな悠長に待っていたら、間違いなく我らは皆殺しにされるぞ。ここで籠城して勝てるわけがない。死にたいんだったら一人で死にな、無能野郎」
「な、な、な……! 貴様言うに事欠いて無能とは何だ! 誰に向かって口をきいておるつもりだ!」
格下の、しかも男か女がわからぬような顔をした若造の暴言に、当然の如く、大公代理はいきり立つ。
それでも、目の前の血染めの男は、少しも揺るぐことなく、堂々と言い放った。
「あんただよ、おっさん。守りの要ルークリヴィル城を落とされ、部下を全滅させられ、今また判断を過とうとしている奴のことを、無能野郎と言うんだよ。御託はいいから、さっさと兵を貸しな」
「き、き、貴様! 何という言い種だ! 東部者は口のきき方も知らんのか」
その額一杯に、血管を浮かび上がらせて激昂する壮年の男に対し、白羽の男は、はん、と軽く鼻を鳴らして応酬する。
「生憎と、十の頃まで荒らくれの漁師達に揉まれて育ったんでね。あんたらのようなお上品な育ちじゃなくて悪かったな」
「き、貴様も平民出か! ふん! どおりで! 平民出なんぞに兵など貸せるわけがなかろう! 下がれ!」
その頭ごなしに人を馬鹿にする言葉に、今度は、ちっ、という小さな舌打ちが飛んだ。
「……わからん奴だな。今なら少数であの城を落とせる、と言ってるんだ。そう、風が変わり、南からの暖かい湿った海風が吹き込んでくる明日なら。今を逃したら、後は攻め込まれるだけだぞ」
「な、何をたわけたことを! そんなこと出来るわけなかろう。大体竜騎士と一度だけ戦ったお前に何がわかる。私は先の戦の時からだな……」
そう言って得意気に自らの武勇を語らんとする古参の将に、再び痛烈な言葉が浴びせられる。
「それだけ戦ってわからないなんて無能を通り越して、白痴だな。ぐたぐた言わんと、さっさと貸せ、老害」
勿論、ジェルドは老害と呼ばれる年ではない。しれっと、無表情でそう言ってのける若者に対して、その額の青筋をより一層濃くして、手を小刻みにぷるぷると震えさせる。
「ろ、ろ、老害……。こ、こ、この若造! お前に兵を貸す奴など誰もおらぬわ! 去れ、平民!」
その言葉を受けて、会議室に、沈黙が流れる。ジェルドの言うとおり、居合わせた東部諸侯らは、無言でただただ顔を見合わせるだけである。確かに、この男は先の戦いで皇帝を敗走させた。だが、それだけでは……。
「儂がお貸ししましょう」
その気まずい沈黙を破って動いたのは、つるり、と綺麗に剃り上げられた禿頭だった。
「儂の駐留軍をお貸ししましょう、リュート殿。うちのもん皆お好きにお使い下さい」
ぺこり、と下げられる禿頭に、黒羽の主君の叱責が飛ぶ。
「ナムワ! 貴様何を勝手に……!」
「すんません、若。わしゃ、前の戦いで、この人にすっかり惚れてしもうたんです。うちのもんらもみぃんなこの人に心酔しとります。どうか、この人と行かせておくんなせえ」
その言葉に、にや、と形のよい唇が歪められる。
「あんたは話が通じるな、ナムワ殿。あんたの部隊だったら不足はない。よろしく頼む」
「はいっ。お任せください」
そう満足げに笑みを交わす、金髪の美貌の男と筋骨隆々の禿頭の間に、またもや口を挟んだのは大公代理だった。
「な、何を平民同士勝手な事を言うておるのか! そのような事が……」
「ジェルド殿」
恐ろしく綺麗な笑みをうかべて、金髪の男が大公代理の方に振り向いた。そしてそのまま親しげに相手の肩に手を置くと、そっと顔を近付ける。
「あなた、お疲れなのですよ。こんな怪我をなされているのですからお休みになられていたほうがよろしいのでは?」
「な、何を……」
間近で優雅に微笑む男に、ジェルドは少々戸惑いを覚える。男にしておくにはもったいない程の美貌。何より、印象的なのはそのエメラルドのような瞳。上質の宝石を思わせる深い色味と、輝き。
思わず見惚れてしまったその瞳が、突然きらり、と妖しく光った。
「ご心配なく。……今すぐ寝かせてさしあげますよっ!」
――ドフッ!!!
突然の鈍い音に、会議室中の男達がその目を見開いて固まる。
「か、かはっ……」
その口から声にならない声と、少々の吐奢物を吐きながら、南大公代理ジェルドが失神していた。ぐり、とさらにジェルドのみぞおちに拳をめり込ませながら、白羽の男が冷たく言い捨てる。
「なんなら一生寝かせてやろうか、おっさん」
一人の若造がためらいもなくやってのけたあまりの出来事に、居並ぶ東部諸侯らはただただその目を丸くし、口をだらしなく開けたままにすることしか出来ない。
……何なんだ、この男は。相手は南大公代理だぞ……。恐ろしくはないのか。
「り、リュート! お前、何ということを!」
ようやく黒羽の主君が、事の重大さに、その臣下を諫める。だが、その言葉にも臣下の瞳は少しも揺るがない。それどころか、ジェルドに見せたあの恐ろしく綺麗な笑みで、主君に振り向くと、怪我をしている左肩に、ぽん、と手を置く。
「我が君。あなたもお怪我して大変な身でございましょう? ああ、きっとお熱でもおありになるのでは?」
そう言って、矢傷のある左肩に、ぎり、とその力を込めてくる。その恐ろしく優雅な目は、無言で語っていた。……これ以上ぐだぐだ言うなら、次はお前の番だぞ、と。
「お、おま……。だ、大体怪我をしているのはお前も一緒だろうが……」
「何、ご心配には及びませんよ。今度の戦いでは僕は戦うつもりありませんから」
……戦わない、だと? 何を言っている、この男。自分は戦わずして、竜騎士を血祭りに上げようというのか。そんなことが……。
「ああ、それから我が君。確かクレスタ軍預かりにしていた修練生らは皆、軽傷でしたな。彼らの身柄も僕がお預かりしますよ」
「な、修練生達を?」
「ええ。クレスタ伯である義父も重傷、兄も戦死の今、義子とはいえ、第二子にあたる僕がクレスタ軍を頂いてもよろしいでしょう。何か問題でも?」
まるで喧嘩を売るがごとく、挑発的に碧の瞳が光る。
「し、しかし彼らはまだ未熟な者達ばかりだぞ。そんな彼らに……」
「半人前に一人前の事をさせようとするのが、そもそもの間違いなのです。半人前には半人前の仕事をさせればいいだけのこと」
……半人前の仕事だと? そんな甘い事、厳しい戦場で許されるわけがない。何を言っている、こいつめ。
兄の死で本当に狂ったかと、ランドルフは目の前の臣下を睨み付ける。だが、その視線を意にも介さぬように、白羽の臣下は、くい、と主君の顎をその指で上げ、下からさらに挑発的に見上げてきた。
「あなたは黙って僕からの合図の狼煙を待っていればよろしいのですよ。あなたの役目は空になった城を悠々と制圧する事。それだけでよろしいのです。あ、それから……」
ぴん、と跳ねるようにその指を主君の顎から離すと、白羽の男は呆気にとられて床にへたりこんだままの鍛冶屋の親方の方を見やる。
「この男らの身柄もこちらでお預かりしますよ」
ためらいもなくかつての領主を殺してみせた男から向けられる視線に、親方は恐怖のあまり、その身を縮こまらせる。その様子を冷たく見下しながらも、白羽の男が静かに言い放った。
「安心しろ、殺しはせん。だが、その分、きっちり働いてもらうぞ」
「え、は、働く?」
「そうだ。まずは以前と同じ方法で、こちらの情報を流せ。あちらにはまだエルメの裏切りがばれた事が知られておらんだろう」
「そ、そりゃあそうでございますがね、しかし……」
あまりに無謀な若者のその命令に、親方だけでなく、部屋にいた一同が色めきたつ。一方、当の本人はそんな諸侯らには目もくれず、この会議室にやってきた時のように親方の襟を引っ掴むと、ズルズルとその体を引きずりながら去っていく。
「おい、待て! リュート!!」
主君のその呼び掛けを完全に無視して、白羽の男は振り向きもせず部屋を後にした。残されたのは呆気にとられて言葉もない東部諸侯と、激昂する黒羽の主君だけである。臣下の主君を主君とも思わぬ行動に、思わず主君の口からかつての揶揄の言葉が漏れる。
「……あの山猫が!!」
ああ、そうだ。あいつはこういう奴だった。何しろ初対面で私を殺してやる、と言ってのけた男だ。その度胸と気概を買って目を掛けてやったというのに、あやつは……。最近ちょっとしおらしくなって、可愛らしく『我が君』『我が君』と慕ってくるものだから、油断しておったわ。あの、クソ生意気な山猫め!
「いいのか〜、ランドルフ。行かせちまってよ」
そう心配するレギアスに厳しい怒声が飛ぶ。
「知るか、あんな奴! 勝手にさせておけ!!」
「あ〜あ、こっちもキレちゃった」
「ま、無理もない」
そう言って、レギアスとオルフェは諦めたように、顔を見合わせた。
「それはさておき」
レギアスの足が、コツン、と床に横たわった体躯を蹴る。
「このおっさんの件に関してはグッジョブだ」
「奇遇だな。私も同感だ」
情けなく舌を出しながら失神するジェルドを、今度はオルフェの足がこづく。
「ところでよ、オルフェ。あいつ、修練生達をどうするつもりだと思う?」
「……どうって?」
「だってよぅ、あいつらを庇って兄貴は死んだようなものだろ? リュートはあいつらを恨んでるんじゃねえの?」
レギアスの指摘に、オルフェは沈黙する。……確かにあいつは裏切り者のエルメをためらいもなく殺してみせた。兄貴の死で、どこかしらぶっ壊れたのは間違いないだろう。
嫌な脂汗が額を流れる。
「……まさか、な」
「はあっはっは! 痛快の極みとは正にあの事でしたわい!! いやあ、実に愉快、愉快! うちのもんらも皆大爆笑でございました」
高らかな笑い声が、朝霧の中に響く。
昨日、この隣の金髪の男が読んでみせたとおり、南からの海風はこの半島中央部の山々まで吹き込み、湿った空気は降り積もった雪に冷やされて、あたり一面を真っ白な深い霧となって覆い尽くしていた。視界はひどく悪く、ともすれば、自分の横にいる白羽の男すら霞んでしまう程だ。まして、各持ち場に配置させた味方の姿など、その影すら認識することは出来ない。
そんな状況下で、隣の若者は不敵な笑みを浮かべながら、悠々として言い放った。
「そうか? 僕としては、まだやり足らなかったんだがな」
「これはこれは、また恐ろしい事をおっしゃる。あなたにかかったら大公代理とて形無しですな。あなたが儂と同じ平民とは誇らしい限り」
そう言って、くっく、と割れた顎から漏れでる笑いは昨日から止まることはない。その様子に、隣の白羽の男が、顔をしかめて、人差し指を口に当てた。
「ナムワ殿、鳥が逃げてしまう。もう少し静かに」
その指摘に、筋骨隆々の大男は恥ずかしそうに、その身を小さくする。
「いやあ、すみませぬ。儂も余り育ちのよくないほうで、つい声が大きくなってしまいます。いや、同じ平民出身とはいえ、貴公の方がずっと気品がありますとも。やはり、伯家でお育ちになられたからでしょうか、それとも生来のものでしょうか……。ともかくも、儂のことは気にせず、ナムワとお呼び下さい」
「いいのか? いやしくも今は東部軍駐留部隊長ではあるだろうに」
「なあに、かまいませんや。元はケチな傭兵のオヤジです。うちのもんらも元剣闘士やなんやら訳ありばかりで。ま、それが大公様に取り立てて頂いて、こうしておるだけで」
ナムワとその配下の経歴に、リュートの眉が少しだけ興味有りげに動く。
「へえ。それでよく駐留部隊長にまでなれたものだ」
「全て大公様のおかげです。あの方は実力主義といいますか、身分隔てなく力量のあるものを登用される、高位貴族には希有な方です。儂はあの方程素晴らしい主君はいないと思うとるんです」
その目を、剃り上げた頭よりきらきらと輝かせ、少年のようにナムワは彼の主君について語った。その大公への高評価に、リュートは驚きを隠せない。
「ふうん。聞いてた評判とは随分違うね。僕はずっと糞親父だのなんだのと言われているのしか聞いたことがない」
その言葉に、ナムワは困ったように、薄笑いを浮かべる。
「ははあ、若でございますな。まあ、あのお二人の間には色々とおありになるのでしょうが……。困ったものです」
「……色々?」
リュートのその質問に、ナムワは少しだけ、神妙な面持ちになって答える。
「まあ、決定的になったのはあの『ルークリヴィルの奇跡』でしょうな」
……『ルークリヴィルの奇跡』。
主君、ランドルフの初陣にして、実父ヴァレルが戦死した戦。そこで何があったのか、今まで、恐ろしくて、その詳細を義父に聞くこともなかった。
……わざわざ辛い死に様を聞くこともない。どうせ、聞いたってあのタヌキははぐらかすだろうし、今さら聞いたとて、死んだ父が帰ってくるわけではない。
そう物思いにふけるリュートをよそに、ナムワは親しみを込めた眼差しで彼を見つめ、静かに言う。
「リュート殿。儂はあなたを見ていると思い出すんです。あの奇跡の英雄を」
「英雄?」
「はい。正史ではけして語られぬ英雄ですが……あの奇跡に立ち合った兵士にとっては、永遠に忘れることの出来ない無二の英雄……」
……そんな、存在、聞いたことがない。
正史では語られぬ英雄だって? ……秘された英雄……。一体どうして……?
――バサリ。
嫌な羽音が、リュートのさらなる問いかけを許さなかった。
今までの思考を、一気に中断し、彼は隠れている葉蔭から、白く霞んだ上空へと、その神経を集中させる。
「どうやら、もう無駄話をしている暇はないようですな」
それは、横の禿頭も同様で、きつくその目で上空を睨めつけていた。
――バサリ、バサリ。ギャア、ギャア。
何度聞いても嫌な音だ、とリュートは思う。
だが、今は嫌悪より勝る感情が、その身体を支配している。
……殺してやる。
レミルを殺した奴ら、皆まとめて葬ってやる。
暗い憎悪が、身体中の血を沸騰させんばかりに激しく駆け巡っていた。
「行くぞ、ナムワ」
「はいっ。平民の力がどれ程のものか、存分に見せてやりましょうぞ!!」
――ピィィーー……。
戦闘開始の合図を告げる口笛の音が、静かに朝霧の中に響き渡った。