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第十七話:狂人

「あれの具合はどうだ?」

 

 神妙な面持ちで、そう問う黒羽の次期大公に、看護婦は無言で、ただ、その首を横に振った。

「相変わらず、食べぬし、話さぬか」

「はい、それどころか……こちらの呼び掛けに反応すらしてくれません。眠ることもできないようで、ただじっと空をみつめたままです。本当にまるで……」

 栗毛の看護婦は、ひどく辛そうに、その先を言うのをためらった。

 言ってしまえば、愛しい幼なじみが、永遠にあちらの世界から帰ってこない。そんな気がしてならなかったからだ。

「先程、少しですが、薬を飲ませましたので、効いてくれるといいのですが……」

「そうか……。マリアン、といったか。そなた、あれの幼なじみらしいな。あれのことは、私よりよく知っているだろう。私はこれから会議にでなければならん。その間、あれのことを頼む。くれぐれも……」

 看護婦は、それだけで黒羽の男の言わんとすることを察する。

「はい。誠心誠意、お世話させていただきます」

 この黒羽の男の懸念は、彼女の懸念でもあった。

 すなわち、それはあの美しい白羽の男が、心の支えであった兄を亡くして、自暴自棄になってしまわないか、という懸念。

 最悪……考えられぬことではない。

 

 黒羽の男が去った後、女は再び、閉められているドアを目の前にして、大きく深呼吸をする。

 ――大丈夫、刃物は置いていないし、窓も開かない。大丈夫、きっと、大丈夫だわ。

 

「リュート、気分少しはよくなった?」

 努めて明るく、ドアを開ける。小さな城の一室、その部屋のベッドに横たわる男の姿に、看護婦は一瞬、もしや、と動揺するが、すぐにその表情は安堵のものに変わる。

 規則正しい寝息が聞こえてきていた。

 ……よかった、薬が効いたのね。これで少しは、楽になるでしょう。

 その安眠を確かめるように、看護婦は男の顔を覗き込む。幼いころから見慣れているはずのその顔に、改めて感嘆のため息が漏れる。

 ――なんて綺麗な人。

 まるで、自らが発光するかのごとく、光り輝く豪奢な金髪。その閉じられた瞼には、髪と同じ色の長い睫毛。鼻筋はすっと通り、唇はいつも濡れたように艶やかに光る。肌はいつもより、より一層白く、少し病みつかれた様子が、かえって何ともいえない色気を醸し出している。

 こんな美しい人は、この国のどこを探したっていないわ。

 看護婦は、その男の艶やかな頬に触れ、うっとりとその美貌を眺める。この髪、この肌、この瞳。その一つ一つが、どうしてこんなに自分の心をかき乱して止まないのか。

「好きよ、リュート」

 私が……、今度は私が、あなたの心の支えになるわ。あなたを決してレミルのもとへなんかやらない。そうよ……誰にも、やるものですか。

 女はそう呟くと、自分をひきつけて止まない目の前の濡れた唇に、そっと自分の唇を重ねた。

 

 

 

 ――誰かが僕に触れている……。

 レミル……? レミルなのか?

 

 レミル、あれは夢だったんだね。あの恐ろしい光景は、吹雪が見せた、ただの悪夢だったんだね。

 ひどい……ひどい夢を見たんだよ。あなたの空色の羽が血で真っ赤に染まっていて、あなたの胸に……槍が突き刺さっていて、あなたは雪よりも冷たい肌をしていて。

 ああ、怖い。

 怖くて、怖くて堪らない。

 ねぇ、レミル。あなたは笑うだろうか。あんまりに怖くて、眠れないから、昔みたいに、一緒に寝てほしいと言ったら。ばかだなぁと、笑いながらも、幼い頃の様に、隣で眠るのを許してくれるだろうか。

 

 昔、同じようにしてもぐりこんだベッドで、一度だけ、隠しておいたお菓子を僕にわけてくれたね。母さんには内緒だぞ、夜にお菓子なんて絶対にゆるしてくれないからな、と、散々念押しをして。あの、いつもにも増した、いたずらな瞳といったら。

 それで、隠していたお菓子は、結局そのほとんどをあなたが食べてしまって。結局、苦しい、苦しいって、食べ過ぎでちっとも眠れなかったんだったっけ。

 

 ああ、思えばあの時だ。

 あなたの弟になって、初めて笑ったのは。

 それを見たあなたは、その目を真ん丸にして、きらきらと輝かせ、嬉しそうに僕の名前を呼んで、笑ってくれたね。

 僕はその顔を見るのが、嬉しくて、嬉しくて、仕方なくて、もう一度、笑ってみようと思ったんだ。母様も父様もいなくて、寂しくて、寂しくて、仕方なかったけれど、それでも笑いたいって思ったんだ。……ただ、あなたの笑顔が見たいがために。

 

 その笑顔の側にずっと居たくて、その笑顔をずっと守りたくて。

 あなたがいつも笑っていられたらいい。あなたがいつも幸せであってくれたら、それでいい。

 兄さん。僕はずっとそう願ってきたよ。これからも……ずっとだ。

 兄さん……。僕の大切なレミル兄さん……。

 どうかもう一度、笑って。

 お願いだ。お願いだから……。その笑顔がもう一度見たいんだ……兄さん。

 

 

 

「リュート?」

 うっすらと、碧の瞳が開かれる。その目にかかる金の髪をかき上げ、ひどくけだるそうに、美貌の男は起き上がった。その余りに早い覚醒に、看護婦はあわてて、彼を制する。

「まだ、半刻も寝ていないじゃない。ダメよ、まだ寝ていなくちゃ」

「いや」

 久しぶりに、この男の唇から発せられた言葉に、幼なじみの看護婦はひどく驚く。

「よく、寝た。おかげで、頭がすっきりしたよ。ありがとう。礼を言う」

 言っていることは、起きたばかりの人間が話す言葉としては、至極まともである。だが、看護婦はすぐに、彼の様子が尋常でないと気付いていた。

 ……まばたきを、していない。

 碧の瞳は、その金の睫毛で飾られた瞼で、その瞳を潤すこともせず、ただ、ただ、何かを見据えているかのように、静かに見開かれたままだった。

 今までに、一度も見たことのない瞳。彼の両親が亡くなった時だって、こんな瞳は見たことがなかった。

 目の前にいる、白羽の男に、看護婦は初めて、恐れ、というものを覚えた。

 幼なじみのそんな思いをよそに、男はベッドから降り、白い寝間着のまま、ためらわずに、部屋から出ていこうとする。それに気付いた看護婦はすぐに我にかえり、ドアの前に立ちふさがった。

「ま、待って! あなたまだ寝てなきゃダメよ。ずっと食事だってしてないでしょう?」

 その言葉に、碧の瞳が冷たく光る。

「退け」

 短く告げられた命令に、看護婦は身動き一つできない。

 何か、恐ろしいものに、その身をぞっと竦ませられていた。……たらり、と冷や汗が背中を流れる。

 まるで、金縛りにあったかのような幼なじみをよそに、白羽の男はただ黙って、その横を通りすぎた。

 閉められたドアの音だけが、無情に響く。

 ……あれが……あれが、リュートなの……?

 余りの瞳の鋭さに、看護婦は暫くその場から動けなかった。ごくり、と一つ唾を飲み込み、ようやく体の自由を取り戻す。

 ――ダメよ……ダメ! 行ってはダメよ、リュート!!

 やっと動いた足を翻して、彼の後をすぐに追って廊下に飛び出す。だが、その冷たい廊下には、既に愛しい幼なじみの姿はなかった。

 

「リュート! リュート! どこへ行ったの?」

 寒い城の中をくまなく探しても、愛しい幼なじみの姿は見つからない。食堂、武器庫、会議室……他にあの人が、行きそうな所は……。

「……まさか!」

 その一つの心当たりに、マリアンはすぐにその足を急がせる。チリーン、チリーン、と鈴の音が響き、香が一面に焚き染められた城の暗い広間。白い布に包まれた兵士たちが整然と並ばされた、この城で一番忌むべき場所。

 そこは、兄、レミルの遺体が安置された場所だった。

 

 マリアンは側にいた神官に、その遺体の在処を尋ねる。神官が黙って指さした場所、暗い広間に唯一窓からの明かりが差し込む場所には、周囲の兵士同様、白い布に包まれた遺体と、それにすがりついて泣く、一つの人影があった。

「……姉さん」

 誰に構うことなく、大声で泣きむせいでいる姉の姿に、妹は一瞬声をかけるのをためらった。

 こんな姉の姿、見たことがない。

 ……ただの女が、そこにいた。

 いつものように、男顔負けに叱りつける看護婦の姿も、気丈で強い姉の姿もそこにはなかった。

「姉さん」

 妹の呼びかけに、気づいているだろうに、姉は一向にその顔を男の遺体から上げない。これはまるで自分の物だ、と主張するかのように、きつく白い布にしがみついたままだ。

「姉さん、ここにリュートが来なかった? 彼、どこかへ行ってしまったの!」

 その質問にも姉は答えない。

「姉さん。姉さんったら。お願いよ、一緒に彼を捜してくれない?」

 

「知った事じゃないわ」

 

 妹の必死の懇願に、ただ一言、冷たい言葉だけが返ってくる。

「な、何よ、姉さん」

 そこで、ようやく姉はその顔を上げた。泣きはらした真っ赤な顔で、目の前の妹に食って掛かる。

「知ったことじゃないって言ってるのよ! あの男が死のうが生きようが、私の知った事じゃないって言ってるの!!」

 まるでその哀しみをすべて目の前の妹にぶつけるかのように、姉は妹に怒鳴りつけた。その言葉に戸惑いながらも、妹は尚も言い放つ。

「姉さん?! なんて事言うの! リュートは幼なじみでしょう? 心配じゃないの?!」

妹のその言葉は、姉の心により一層火を付けた。

「……だから何? あんたの好きな男でしょう! だったら自分で雪の中でも何でも捜しなさいよ!! こんな時まで私を頼らないで! いつもいつもあんたは甘ったれで、本当に厭になる!!」

 ……甘ったれ。その言葉に、一瞬、妹の動きが止まった。少しだけ、無言でその言われた意味を逡巡する。それでも、この姉の暴言に、妹は納得がいかない。

「そ、そりゃあ、姉さんが哀しいのもよくわかるわ! でも彼が死んで哀しんでるのは、私やリュートだって一緒よ! 彼だって……」

「……何が一緒だって言うのよ」

 姉の目が、より一層その暗さを増す。妹の首元をきつく掴むと、涙目でがしがしとひどく揺さぶる。

「何が、何が一緒だって言うのよ!? あんたやリュートになんかわかるわけがない! 彼を失って、私がどれだけ哀しいか……男に抱かれた事のないあんたなんかにわかるわけがない!!」

 それは、今までに見たことがない、姉の激情だった。

 はあはあと息を切らし、それだけ言うと、姉は妹の首もとから手を離し、また床へへたり込む。

「……あんたに……あんたにわかるわけがないわ。……あんたの男はちゃんと生きてるじゃないの……。ちゃんと、生きて帰って来たじゃないの……」

 再び、ぽろぽろと、大粒の涙が姉の頬を伝った。そして、横たえられた目の前の遺体のすべて慈しむかのように、その全身を愛おしげに撫でる。

「姉さん」

「私はもう、この腕に抱かれることもない……。この唇にキスされることも、あの声で『愛してる』って囁かれることも。何も、何もないのよ……。一生……一生それなしで耐えて行かなきゃならないのよ。その気持ちがあんたにわかる? ねえ……わかる……?」

 目の前の遺体に、覆い被さるようにして、姉は泣き伏した。妹は、その姿をただ、黙って見下ろすしか、出来ない。

 

 ――馬鹿……馬鹿……。本当に、男って馬鹿よ……。

 小さくそう呟く女の声が、静かに広間に響いた。

 


 

 

「裏切り? 裏切り者がこの中にいると申されるか?!」

 片羽を失う、という重傷の身を押して、リューデュシエン南大公代理ジェルドはいきり立った。怒気をはらめた声が、会議室に響く。

「左様に。でなければ、ああまでバッハ城の部隊がやられるはずがないでしょう」

 そう肯定する黒羽の若者に、今度は右腕と肋骨の複雑骨折という、エルダー辺境伯エルメが、すがりつくような目で問い掛ける。

「そ、そ、それで、その裏切り者というのは一体……」

「未だ調査中でございます」

 主君に代わり、そう答える眼鏡の男に、ジェルドが不服そうに吐き捨てた。

「何を悠長な。片っ端から拷問にでもかければいいではないか。そこの奴ら全員な!」

 そう言ってジェルドは、黒羽の若者の後ろに控えているナムワ、レギアスをはじめとする東部諸侯らを指さした。これには、当の諸侯らも、勿論黙っていない。

「なんだと! 我ら東部軍に裏切り者がいるとおっしゃるか!?」

「何の証拠があってそんなことを!」

「濡れ衣も甚だしい!」

 次々と放たれる諸侯らの抗議にも、ジェルドは少しも動揺しないどころか、更に侮蔑の目を彼らに向ける。

「おお、おお。さすがにその反骨ぶりが名高い東部の方々は野蛮でおられる。このような怪我人にまで、お揃いで突っ掛かってこられるのですからな」

 その言葉に、東部諸侯らは悔しげに唇を噛み締めるが、これ以上の抗議はできない。なんといっても、相手は四大大公代理。一諸侯が歯向かえる相手ではない。

「……ならば」

 静かに座っていた黒羽が動いた。

「ならば私が問おう。我が軍に裏切り者がいるとおっしゃる根拠は何か」

 その黒燿石の瞳に、怒りの炎をたぎらせ、若き次期大公はジェルドに詰め寄る。

「我が軍に疑いの目を向けるなら、相応の根拠をお持ちでしょう。もし、そうでないのならば、私の臣下を侮辱した罪はただでは済ましませんよ」

 その若者の脅しに、ジェルドはふん、と馬鹿にしたように鼻をならす。そして、若者の挑発を受けるかのように、その目を睨め付ける。

「何を知れたことを。我らのこの姿を見てわからぬか。私は片翼切断、エルメ殿も体中骨折、レッツェル殿ときたら戦死ときた。何故我らが自らこんな目に遭うようなことをせねばならん」

 その言葉に、痩せたエルメ辺境伯も尻馬に乗る。

「そ、そうでございますとも。どうして我らが自分の命を危険にさらす真似をしましょうや。ここはやはり、東部の方が……」

「そうだの、エルメ殿。東部者といったら、先の統一戦争において最後まで、国王に反抗した輩達。さしずめ、この機に南部を乗っ取ろうとでも企んでおられるやも知れませんぞ。おお、そういえば、この作戦を言いだされたのは、確か……」

「貴っ様あ!!」

 今まで黙って、黒羽の若者の後ろに控えていた禿頭がいきり立ち、ジェルドに掴み掛かった。

「貴様、言うに事欠いて若を疑うか! この他の諸侯に見捨てられた南部を助けに、わざわざ来て下さった若を!」

 今にも殴らんばかりのナムワを前に、ジェルドは恐れることなく、忌々しげに吐き捨てる。

「平民出が、何を偉そうに! 大体お前のような無位のものがこの半島の東部駐留軍の隊長だというのも気に入らんかったのだ。どうせ、金にでも目が眩んで我らを売ったんだろう、貧乏人の平民が!」

「き、き、き、貴様ぁぁっ!!」

 その丸太のような腕を高く振り上げるナムワを、レギアスと他の東部諸侯が三人がかりで止める。だが、その彼らの内心も、ナムワと同じように煮え繰り返っていた。

 

「ランドルフ様、このままでは……」

 オルフェが心配げに主君に耳打ちする。

 そうだ、このままではただの水掛け論が延々と続くだけだ。その結果、生まれるものといったら……互いへの不信感、それしかない。もし、そうなったらこの軍は内部から崩壊する。それこそ、竜騎士共の思うツボではないか。

 ……なんとか……なんとかせねば……。

 

「い、いてえ! だ、旦那! いてえって言ってるじゃねえですかよぅ!」

 

 突然、聞きなれない声が、廊下から響いてきた。それと同時に、ズルズルと何かを引きずるような音も近づいてくる。

 何だ、と会議室の一同は一斉にドアの方を見やった。

 

 ――バンッッッ!!!

 蹴破られんばかりの勢いで、ドアが開けられた。一同は、その突然の来訪に言葉を失う。

 そこには、碧の目を妖しく光らせた、白い羽の美貌の男が立っていた。

 いつもは後ろで結わえられた長い金髪を、その白い肌と羽になびかせたままで、男は一同をゆっくりと見渡す。その何ともいえない色気のようなものと、今まで見たことがないような、迫力のある目つきに、一同はただ圧倒されて、言葉もなく男を見つめるしかできない。

「り、リュート……」

 ようやく発せられた主君の呼び掛けを無視して、男は白い寝間着に上着をかけたままの格好で、堂々と会議室の中を歩み進める。そして、その中心まで来ると、その手に引きずって連れてきていた男を、ごろり、と投げ出した。

「だ、旦那! な、何をするんですかい!」

 一度見たら忘れられない、大きな出っ歯のある口を更に広げて、投げ出された男は、白羽の男に抗議した。

 それは、リュートが、あの戦場跡で出会った鍛冶屋の親方に他ならなかった。

「だ、旦那! 一体なんですかい? あ、あっしらはもうここを離れる準備をしてたってのに、こんなところまで、引きずりだして! それにこんなお偉いさん方ばかり、あっしが来るところじゃありやせんや!」

 そう言って立ち上がろうとする親方の顎を、白羽の男はためらいもなく蹴り上げる。

 

「黙れ、裏切り者が」

 

 リュートが発したその言葉に、室内が一斉に騒めきたった。……裏切り者だって? あの男は誰だ? 見たことがない顔だ、どこの者だ?

「な、何言ってんですかい! 言ったでしょう、あっしはただの流れの鍛冶屋ですよぅ。そんな、裏切りとかなんとか知りませんやぁ!」

 騒めく室内の中心で、蹴り上げられた顎をさすりながら、親方は白羽の男に抗議する。だが、白羽の男は眉一つ動かさない。

「おかしなものだな」

「えっ……」

 白羽の男は、その碧の瞳を一ミリたりとも動かさず、親方に告げる。

「お前、なんであの場所にいた? あそこはたまたま通りすがる場所じゃないだろう。ましてあの雪だ。流れの鍛冶屋が、どうして、僕より先に、あの場所にいることができた?」

 リュートのその問いに、親方はその額に脂汗をかきながら答える。

「そ、それは旦那、鍛冶屋の勘って言いますかね。あっしらは武器の匂いに鼻が利くんですよう……。なんせ、おまんまの元ですからねぇ」

 へへへ、と何かを誤魔化すかのような愛想笑いにも、美貌の男の顔は少しも揺るがない。

「……お前、あの戦場で会った時、僕にこう言ったな。『自分たちはリンダールの武器を改良して売っている』と」

「へ、へえ、そ、そうでやす……」

「どうしてそんなことが出来る?」

 意外な質問に、親方の目が、一層怪訝なものになる。

「そ、そりゃあ、言ったでしょう。あっしらには秘伝があって、あの金属を溶かす技術があるって……」

 そこで、ようやく、碧の瞳が動く。親方の丸い目を刺すがごとく、きつく睨め付ける。

「そんなことは知っている。僕が聞いているのは、だ。どうして流れの鍛冶屋にそんな事ができるのか、と聞いているんだ」

 

 一瞬、親方の顔色が変わったのは、室内にいる誰の目にも明らかだった。

 それにも構わず、白羽の男はさらに親方に問う。

「確か、高い温度でどろどろに溶かす、だったか。なあ、教えてくれ。どうやったら、流れの鍛冶屋にそんな事ができるんだ? そこらの竈やなんかでそんな事ができるのか?」

 その質問に、親方は答えない。

「出来ないよな。流れの鍛冶屋に、そんなこと出来ないよな? ……炉が必要なんだろ? あんたらの言う、秘伝の炉が。流れの鍛冶屋に、そんな炉は持てないよな」

 たらり、と一筋の汗が、親方の額を流れるのを、ランドルフは見逃さなかった。

 確かにそうだ。金属、それもリンダールの金属を溶かすとなると、かなりの高温の炉が必要になるはずだ。その技術たるや、秘伝とされ、いくら南部人といえども、容易に知れるものではない。そしてその炉、というのもかなり大がかりなもので、とても個人で持てる部類のものではないと聞いている。まして、流れの鍛冶屋などが……。

 

「お前、流れの鍛冶屋じゃないな。……どこの者だ。何故、流れの者だと、身分を偽る必要がある?」

 さらに白羽の若者は、鍛冶屋の親方に詰め寄る。

「その技術……一朝一夕には習得できるものではない。研鑽に研鑽を重ねて、あらゆる実験を繰り返し、そして帝国の技術を学び取る……。長年そうしなければ出来ないものだ。だからこそ、秘伝、と言われるのだろう? そしてこの国で、そんなことが出来たのは、この南部だけだ。……以前にも、帝国の支配を受けていた、そう、この南部だけ」

 一同の脳裏に、十二年前の事が蘇る。突然の、見知らぬ南洋の果ての国からの侵攻。そして五年に渡る半島の占拠と支配。

 それは、この国に刻まれた、屈辱の歴史……。

「そして、さらに、南部の中でも、十二年前から五年もの長きに渡り、帝国の支配下にあり続け、その技術の恩恵に与れ続けた土地。……そう、あの『ルークリヴィルの奇跡』の戦いまで、ずっと帝国の支配下におかれていた、この王国で最も南にある土地。……そして、この男が、今、その身分を偽らなければならない土地。……そんな土地は一つだ」

 

 ぎり、とその碧の瞳が怪しく光る。

「お前、エルダーの者だろう」

 ……親方は答えない。

 

 その態度に、白羽の男の語気が、さらに強められる。

「現在、帝国支配下にある、半島最南端、エルダーの者だろうと聞いているんだ!!」

 

「エルダー……」

「え、エルダーだって……」

「エルダーってまさか……」

 諸侯の目が、一斉に、一人の男に向けられる。

 ひどく痩せた体に、ぎょろり、と主張する藍色の目。

 それは、王国最南端、エルダー地方をかつて治めていた辺境伯、エルメだった。

 

「ひっ、な、何を……。わ、私めが何故……。そ、そんな男知りません、私は……」

 ひどくおびえるエルメに、親方は縋り付くような目つきを向ける。それを白羽の男は見逃さなかった。

 再びその足で、床に座ったままだった親方の顎を蹴り倒すと、そのまま親方の頭をきつく踏みつける。

「吐け。吐かんとこのまま首をへし折る」

 親方は真上から、見下される碧の瞳に、心底恐怖を覚えた。……本気だ。この男、本気で殺す気だ!

「……あ、あっしらは頼まれただけですよぅ!! こ、このエルメ様に、頼まれただけですよぅ!!」

 親方のその告白に、一同が一斉にざわめく。

「あ、あっしらは、て、帝国がまた侵攻してきて、エルダーの仕事場の炉が使えなくなっちまったんですよう!! それで、ここまでようやく逃げてきて……。でも、ここで運良く領主のエルメ様と再会して……そ、そしたら、え、エルメ様が、ある働きをしてくれたらまたあっしらに炉を新しく作ってくれるって約束してくれたんでさ! そ、それがあの伝言だったんですよぅ!」

「伝言?」

「あ、あの戦の前、こ、こことルークリヴィル城との間にある大木に、エルメ様からの手紙を結びつけてきてほしいって頼まれたんでさ! そ、その時にお前達はエルダーの者だっていうことを、絶対に他人に言うなって言われて、手紙を渡されて……。も、もちろんあっしらはその時はそれがなんなのか知りやせんでした。でも、あとでエルメ様から、武器が大量に手に入る場所があるからって、教えられて……。そこに行ってやっと気づいたんでさ! あれが、帝国宛の手紙だったんじゃないかって! あれが、この戦の事をあいつらに知らせるための手紙だったんじゃないかって!」

 親方のその告白に、白羽の男はさらにその先を急かすかのように、ぐり、と、その足により一層力を入れる。

「あ、あの戦場を見て、やっと、とんでもねえことしちまったって気づいたんですが、もう手遅れで。だって、まさか、エルメ様が自分の身を危険にさらすようなまねなさるなんて思いもしやせんや? そんで、あっしらも、知らぬとはいえ、裏切り行為に荷担したおたずねものになっちまったって気づいて。これがばれたら死刑だ。なら、いっそ、またエルダーに戻って、帝国の奴隷としてでも働こうと、覚悟決めて、あそこで武器を漁ってたんです。そこへあんたが来ちまって、なんとか取り繕おうと……」

 

 親方のそのすべての告白に、会議室は不思議な程の沈黙に包まれた。

 その中で、白い羽だけが唯一動く。踏みつけていた親方の顔に、ガンっとその踵をたたき落とすと、まっすぐに、エルメの元へとやってくる。そして、一言、静かに告げる。

「弁明はあるか」

 その言葉に、エルメは答えない。ただ、目の前の男に圧倒されて、その細い体躯をがたがたと小刻みに動かしているだけだ。

 その長く美しい金髪を揺らして、男はコキ、と一つ首を鳴らす。無表情のままで、近くにいた見張りの兵士から、その腰の剣を奪い取ると、ただ一言、言い放つ。

「なら、死ね」

 冷たい声と共に、すらり、と剣が抜かれた。

 

「ふ、ふひっ……ふひっ……ふひひひひひひひひひひっ」

 突然、不気味な笑い声が響いた。ぎょろり、とした藍色の目が、より一層濁る。

「ひひひひひっ。わ、私を殺すか。そ、それもよかろう。ひひっ……」

 その目は、もはやこの世のものではなかった。ランドルフをはじめとする東部諸侯らは、その狂人の目にぞくり、とその背筋を凍らせた。……狂っている。この男は狂っている……。

「ど、どうせお前らもみんな殺されるんだ! わ、私のエルダーの領民が皆、殺されたようになあっ!!」

 その言葉に、先にリュートに蹴り倒され、鼻血を出したままの鍛冶屋の親方が食いついた。

「な、ど、どういうことですか! エルメ様!!」

「ふ、ふひっ……先に逃げ出したお前は知らんのか……。わ、私の城で何が行われているのかを。『選定』だ。神による『選定』が行われておるのだよ! 偉大なる神、リンダール皇帝陛下による、お前らの『選定』がな!! それに選ばれなかった者は、みぃんな今頃殺されておるわ! 今度の神は前の神とは違う! 圧倒的で、残酷で、無慈悲!! 素晴らしい! ふひひひひひっ!!」

 目の前の狂人に、黒羽の次期大公が、その顔を真っ青にして問う。

「エルメ殿……貴公まさか。……売ったのか。まさか、エルダーを……エルダーを売ったのか!!!」

 その問いに、狂人の顔がより一層ぐにゃり、と曲がる。

「そうだとも。私は私の神に生け贄を捧げた。私は神に選ばれし者。お前達もさっさとあの神の前に引き出されて殺されるがいい」

 

「エルメ!! 貴様ぁっっ!!」

 肩翼のない体を押して、南大公代理、ジェルドがエルメに襲いかかる。

「貴様! どうしてだ! どうして、同じ民族の同胞を売った! どうして、どうしてだ!!」

 ジェルドの問いに、エルメはまた小さく、ふひひ、と笑う。

「……同じ民族だと? 笑わせる。一体お前達が何をしてくれた? 私の土地、エルダーに何をしてくれた?」

 掴みかかるジェルドの力に、エルメは揺るがない。その細い体のどこにそんな力があるのかと思うような力で、抵抗し、ジェルドを突き飛ばす。

「我らが主君と崇め讃えてきた南大公殿は我らに一体何をしてくれた。……何もしてくれなかったではないか。今回も、前回もただ黙ってのらくらと過ごし、我らを守ってなどくれなかったではないか! あの『日和見大公』殿は!!」

 一瞬、エルメの目に、正気が戻る。それは、侵略と、支配に苦しみ続けてきた、辺境の一領主の目だった。

「国王だってそうだ。他の大公だって、中央貴族だってそうだ。皆エルダーなどという辺境の地のことなどこれっぽっちも顧みてくれなかったではないか。その結果が、五年にも渡る帝国の支配だ!」

 ふひっ、とまた一つ、エルメは狂人の笑いを漏らす。

「だが、私はようやく悟ったのだ。今回の侵攻で、ようやくわかったのだ。真に仕える人物は誰なのかを。……皇帝だ。皇帝こそが私が仕えるにふさわしい人物なのだ! お前達は何もわかっていない。帝国のすばらしさを何もわかっていない! 圧倒的な軍事力、我らより遙かに進んだ技術! あの国はいずれこの国を含めた世界中を支配できる大国! 私と私の領民はその礎となり、私の土地、エルダーは帝国の植民地として永遠の繁栄を得るだろう!! 皇帝万歳! リンダール帝国万歳!! ふひひひひひひ……ひっ!!」

 

 その、不気味な笑い声が、突然、止んだ。

 

「死ねと言っただろう、蛆虫が」

 

 金の髪の美貌の男が、狂人の喉に、剣を突き立てていた。

 さらに、喉の中心に刺さったその剣を、男は持ち手を代えて、そのまま両手で横に引き抜く。

 ぷしゅ、という音を立てて、狂人の首が半分、切り裂かれた。血が、噴水のように噴き出す。

 

 その血は横にいた男の金髪を、白い肌を、白い寝間着を、そして純白の羽を一気に紅く染め上げる。

 だが、男はそれを一向に気にしない様子で、倒れ行く狂人の体を冷たく見下していた。

 

 半分ちぎれた首から流れ出す血が、会議室の床を赤々と染めていく。

 もう、とっくに絶命しているであろうその狂人の頭に、再び白羽の男の足がのしかかり、首をあらぬ方向に曲げる。

 ――ばき、べき、ごきん。

 とどめとばかりの、首の骨が折れる音が、静かに会議室に響いた。

 

 目の前の、あまりの惨劇に、次期大公も、大公代理も、東部諸侯も、誰一人声すら出せない。皆、その口を開け、その場で固まったままでいる。

 そんな彼らをよそに、白羽の男はその血に染まった金の髪をかき上げ、ゆったりと彼らの方に振り向き、そして短く告げる。

 

「三百」

 

 何を言われたか、誰も理解出来ない。

 ふう、と、けだるそうにため息をつき、ぞくりとするような色香を漂わせながら、再び血染めの白羽が言う。

 

「三百、兵を貸せ。それであの城の竜騎士、すべて血祭りにあげてやる」

 

 

 

 

 

 

 


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