第十一話:軍議
喧々囂々、とはこのことか、とランドルフは思う。
「その案には断固反対致しますぞ!まずは全軍一丸となって、この城で竜騎士を迎え撃つべきです!」
「何をおっしゃる、ジェルド殿。それでは先のルークリヴィル城の二の舞ではないか」
「そのとおりだ!あの堅牢なルークリヴィル城ですら落ちたのだぞ!このカルツェ城など竜騎士にとっては赤子の手をひねるがごとく、簡単に攻略するに違いない!ここはやはり策を持って臨むべきです!」
「いいや!私やジェルド殿は、先の侵攻の時よりずっとこの地で竜騎士と戦ってきたのです!彼らのことは誰より知っています!昨日今日東部からやってきたばかりの若造の意見なんぞ、どうして聞き入れられましょう!」
「貴様!わざわざ来てくださった若に対して何という言い草か!そこへなおるがいい!!」
「やめんか!!!」
ランドルフの一喝に、一瞬場がしん、と静まる。
「ナムワ、その拳を収めよ。ジェルド殿、レッツェル殿、そなたらもだ。いい大人が唾を飛ばしてきゃんきゃんとわめきおって、みっともない。これでは軍議など成立せぬわ!」
「しかし……」
「よいから座れ!! どいつもこいつも冷静にならんか!!」
その叱責に、ランドルフの言ういい大人達三人は、渋々席に腰掛ける。仏頂面で腕組みをしながら、まったく納得のいっていない様子で座っている男共を見て、若き次期大公は呆れたようにため息をついた。
要所、ルークリヴィル城より諸侯軍が撤退して丸一日。
先にランドルフが駐留していたマルク城より、南に半日行ったほどの距離にある、ここカルツェ城では、朝から諸侯達によって緊急の軍事会議が延々と続けられていた。メンバーは東部諸侯軍を率いる次期大公ランドルフ、彼の配下にある東部駐留部隊隊長ナムワ、そして東部諸侯を代表して一名、クレスタ伯ロベルト、さらにリューデュシエン南大公代理ジェルド、国王軍駐留部隊隊長レッツェル、そして現在は帝国に支配されている半島最南端に位置するエルダー地方を治めていたエルメ辺境伯の計六名である。
このメンバーの中で、ここカルツェ城にて全軍を集結させて、徹底抗戦を続けるべき、と主張しているのがジェルド、レッツェルの二名。そして、それに対し、兵を近くのバッハ城にも分散させて配置し、策をもって対抗すべき、と主張しているのがランドルフをはじめとする東部軍の三名である。この中において、だた一人、ひどく痩せたエルメ辺境伯だけが沈黙を守っていた。ランドルフはそれを察し、彼に問うた。
「エルメ殿はどのようにお考えなのか。この大陸にて一番竜騎士と戦ってこられたのは、貴公の治めてこられたエルダーであろう。ぜひそのお考えをお示し頂きたい」
その問いに、エルメは身を一つ、ぶるっと震わせて答える。痩せて落ちくぼんだ眼窩に、濁った藍色の瞳だけがぎょろぎょろと主張していた。
「わ、私は戦ったと申しましても、彼らの侵攻に為す術なく、城を落とされただけでございます。私とて、命からがら逃げてくるのがやっとでございました。その私めが、この局面に意見など……」
そう言って、痩せた身を尚縮こまらせる男に、ランドルフは苛立ちを覚えながらも、再度問うた。
「さりとて、大陸最南端に位置するエルダー地方出身であられる貴公は南洋の風にもお詳しかろう。その風に乗って侵攻してくる竜騎士のことも我らよりはよくおわかりになるのではないか」
「そ、そのようなことは……。私はただの辺境の一領主でございますれば……」
「いい加減にせよ!!」
バンッ、と勢いよく机を叩き付け、ランドルフの横に座っていたナムワがいきり立った。
「貴様、いつまでもうじうじと!! 若がこれほどまでに言っておられるのだ!! さっさと答えぬか!!! 賛成か、反対か、どっちだ!!」
ナムワはむんず、とその丸太のように逞しい右腕で、エルメの首元をひっつかむ。やめぬか、とランドルフが制するものの、短気な武人はその力を緩めることはない。さらに、ぐい、と襟元を引き上げた。
「さ、賛成、賛成でございます!」
エルメは絞められた首元から、ようやくその言葉だけを絞り出す。それを確認したナムワはうんうんと満足げに頷きながら、彼を解放した。
「それでよいのだ、エルメ殿。どうだ、ジェルド殿、レッツェル殿。これで我が君の策に決定だ!!」
ナムワの力ずく、とも言える行為に、反対する両名も黙っていない。二人して筋骨隆々の男に食って掛かる。
「そのようなことが認められるか! まったく貴公は野蛮極まりない!!」
「これだから平民出は! このような男を重用する東大公殿の気がしれませんわ!」
「では、うまい部分は貴殿らに差し上げる。それでどうだ?」
突然の、黒羽の若者の申し出に、反対派二名の、口がぴたりとやんだ。ナムワの厚い胸板を掴もうとしていた手を引っ込め、くるりと優雅に若者のほうに振り返ってみせる。
「それは、どのような意味で? ロクールシエンの若様」
「奇襲攻撃をするバッハ城の部隊を貴公らに任せる、と言っておるのだ」
その言葉に、反対派の表情がにやり、と歪められた。
「と、申しますと、このカルツェ城は……?」
「我が東部軍がすべて受け持つ」
「若!! それは……!!」
諫めようとするナムワの手を払い、ランドルフはさらに反対派の二名に詰め寄った。
「竜騎士を引きつけ、時間を稼ぐという危険な任務、すべて私がやってやろうと言っておるのだ。貴公らは弱った所を奇襲するだけでよい。何か文句があるか」
ジェルド、レッツェルの両名の顔が、一気に変わる。にやにやと目を細めながら、恭しくランドルフに腰を曲げてみせる。
「いえいえ、とんでもございません。若君がそうまでおっしゃるのでしたら、我々とて。なあ、レッツェル殿」
「まことになあ、ジェルド殿。さすが東大公の若君は勇敢であられる」
二人の様子に、ふん、と鼻を鳴らしながら、ランドルフは言った。
「ならばこれにて閉会、ということでよろしいか。さっそくそれぞれの任務にお就きなされよ」
ジェルド、レッツェル、エルメの三名が席を辞すると、ナムワが悔しげにランドルフに食って掛かった。
「何を言っておいでか、わかっておられるのですか、若?!! 我らはただの噛ませ犬の役、ということですよ?! 手柄はみいんなあいつらにもっていかれまさあ!!」
「わかっておるわ。そんなもの奴らにくれてやれ」
眉一つ動かさず答えるランドルフに、ナムワは尚も食い下がる。
「若は東部軍だけで時間稼ぎをしなければならぬのですよ? それであいつらは竜騎士が弱った所へあとからやってきて、後ろから急襲するだけですよ? それでいいのですか?!」
「ナムワよ」
自分より頭二つ分は高いであろう、筋骨隆々の武人を少しも恐れることなく、ランドルフは睨み付けた。
「貴様が欲しいのは手柄と名声か。ならば私の旗下にはいらぬ。さっさと去れ」
その一睨みで、ナムワは沈黙させられた。その禿頭に冷や汗を垂らしながら立ちつくす男の側を、黙ってランドルフは通り過ぎた。
「クレスタ伯よ。貴公に頼みがある。貴公はクレスタ軍三百を率いて、あいつらと共にバッハ城へ向かえ。奴らの監視をしろ」
「若様、それは……」
「貴下の軍には鍛練所の修練生達も混じっておる。彼らにはこの城での激戦は耐えられんだろう」
その言葉に驚きを隠せないながらも、クレスタ伯ロベルトは深く頷く。
「御意にございます、若様。我が軍へのご配慮感謝致します。ご命令のままに」
そう深々と品よく礼をするロベルトを、突然丸太が吹き飛ばした。
「わ、若!!! このナムワ、まるで雷にでも打たれた心地であります!! 若がおっしゃるとおり、この場で名声なんぞなんの足しになりましょう。大切なのは、勝利!! そしてこの半島の奪回でございますな!! このナムワと配下の駐留軍、誠心誠意、若の御為に働きましょうぞ!!」
つるりとした禿頭が、ランドルフの目の前に下げられる。いつもながら暑苦しいやつだ、と呆れながらも、ランドルフは彼の頭を上げさせた。そして彼の目を見て、力強く微笑む。
「そなたの活躍、期待しておるぞ、ナムワ」
「はいっ!!! それにしても若! このごろますますお父上に似てこられましたな!!」
ぴきり、とランドルフの笑顔が凍り付いた。それと同時に、ナムワのごつごつと割れた顎に、きつく右拳が飛んだ。
「貴様、本当に解任されたくなければ、二度とその言葉慎むことだな!!」
先の睨みとは比べものにならぬ程の迫力で、ランドルフはナムワを睨み付けた。その気迫に圧倒され、ナムワはその巨体を立て直すことも出来ない。その後、ふん、と鼻を鳴らしてランドルフは部屋を去った。近くにいたロベルトが呆れたようにナムワを引き起こす。
「地雷を踏んだな、ナムワ」
カン、カン、と軽い金属音が城壁に響きわたる。
「言っておくが、私は一切手助けせんからな」
「わかってるさ〜。誰もお前なんかに期待してない、っての!!」
長身の男の影が、城壁の石組みの上を飛び跳ねた。それに一回り小さな男の影が続く。
「例えお前達が、刺されようとも、落とされようとも、だ」
「わかってますって。誰も、あなたが剣を持って、戦場に出るなんて、思って、ませんって!!」
言葉を句切るごとに、またキン、キンと金属音が鳴る。剣がぶつかりあう音だ。
「例え、お前達がそのはらわたをぶちまけても、その腕や足が竜に食いちぎられても、私はこの城の中からそれを黙って見つめているぞ」
「はいはい、せいぜい布団でも被って、震えてな!!!」
その言葉と同時に、長身の影は振り下ろす剣に一層力を込めた。もう一方の剣が、カン、と弾かれる。
「いいんだな、本当に。それで、いいんだな!?」
「結構ですよ。僕たちがそうなったときは、あなたもそうなるときですから!!」
弾かれた剣をすぐに戻し、小さな影が再び応戦する。すばやく相手の懐に飛び込むと、下から上へ切り上げた。それを大きな影が紙一重でかわす。
「本当に、野蛮だな、お前達は」
「おい、野蛮だってよ、リュート」
剣をかわした大きな影は、そのまま体勢を戻し、突き出すように剣を振り下ろす。下にいた小さな影は、それを体を反らすようにしてかわすと、そのまま後ろに手を突き、器用にそのまま体を一回転させた。
「野蛮だろう。いつもそんなもの振り回して」
「その野蛮な物で、自分の命が守られるって、わかってないんですねっ!!」
回転の反動を利用して、小さな影が、長身の影を蹴り上げた。その衝撃で、長身の男の剣が飛ぶ。それと同時に男の目の前に、剣先が突きつけられた。
「……こんなふうに、ね。ねえ、レギアス教官」
美しい碧の瞳が不敵に光る。
「あ〜っ! ちっくしょ、負けた!」
剣を突き付けられた長身、巻き毛の男が悔しそうに首を振った。それを見ると、小さな影がまた一つ、空中で一回転して舞う。白い羽がふわり、と落ちる。
「やった! 初めて教官に勝った!」
うれしそうに破顔しながら、金髪の青年が城壁の上に降り立った。
「ああ〜、負けちまったなぁ。強くなったなぁ、リュート」
「ふふ、日頃の鍛練の差ですよ、レギアス教官」
「くっひっひ、うれしいもんだな、弟子に負けるっうのも。そうだ、俺のことはレギアスと呼びな。もう俺、教官じゃねえし」
「いいんですか?」
「いいに決まってるさ〜。俺たちはここで共に戦う戦友だろ? 誰かさんと違って」
そう言って長身の男は後ろを振り向いた。
きらり、と眼鏡が光る。ずらり、と城壁にしつらえられた投石機のうちの一つの上に、むすっと口を曲げた小男が座っていた。
「そんなに戦いが嫌ならレンダマルの本邸で親父さんと留守番してたらよかったんじゃないか、オルフェ」
「……あの蝋人形と、か? 死んでもお断りだ」
今まで見たなかで、最大級に口を曲げて、眼鏡の男はそう吐き捨てた。
「私はあくまでランドルフ様の秘書長として来ているだけであって……」
「はいはい、言ってろ、言ってろ」
バカにしたように、レギアスがオルフェをからかう。
「ま、男のくせに剣一つ振れないどころか、そのケツの下の投石機一つ動かせない男なんざ、ここには必要ないっての。なあ、リュート」
「本当に。せめて石運ぶくらいはしてくれたってよさそうなものなのに。ねえ、レギアス」
「うるさい! こっちはお前らみたいに頭まで筋肉じゃないんだよ!」
「ちょっ、僕は誰かさんと違って本大好きですよ! 一緒にしないでください!」
「おい、待て。誰かさんって俺のことか!?」
「仲が良くて結構なことだな」
後ろからかけられたよく知った声に、三人は言い合いをやめ、すぐに整列する。いつものごとく、眼鏡の男が恭しく前に進み出て礼をした。
「軍議、お疲れさまでございました。して、結果はいかに」
「お前の案が採用だ、オルフェ」
黒羽の主人のその言葉に、再びオルフェは深々と頭を下げた。
「恐悦至極に存じます」
「……だが、ここは我ら東部軍だけで守ることになってしまったぞ」
「そんなこと折り込み済みでございます。あやつらがそう言うことはわかっておりました。きゃんきゃんと吼えるだけの烏合の衆などかえっていらんでしょう」
しれっと言い返すオルフェに、後ろから非難の声が飛ぶ。ばか、お前はただ城の中にいるだけだからいいだろうけどな、実際戦うこっちの身にもなってみやがれ、この根暗眼鏡野郎、の声を無視して、オルフェは再度ランドルフに向かって言う。
「おそらく早ければ明日にでも体勢を整え、帝国軍は制圧したルークリヴィル城を起つでしょう。明日、もしくは明後日にもこの場で戦線が開かれます。どうぞ、早急なるご準備を」
「うむ、すぐに別部隊をバッハ城に向かわせる。ああ、そうだ、リュート」
突然名を呼ばれ、リュートは黒羽の男の前に進み出る。
「クレスタ軍はあちらの部隊に回すことにした」
「え、それは、つまり……ここでの戦闘に参加せず、あとで奇襲を行うってことですよね」
「そうだ」
「え、では、あの、つまり楽な役目……ってことですよね」
おずおずと尋ねるリュートに、ランドルフは再度頷いてみせる。そして少々不満げに一つリュートに言った。
「これでお前も安心して戦えるだろう。戦場でまで『兄さん』、『兄さん』と言われてはかなわんからな」
一瞬にして、リュートのエメラルドの瞳が輝いた。
レミルが、この城での戦闘に参加しない! このカルツェ城での重い任務に参加しなくてもいい! レミルは安全な場所にいられる!! レミルは怪我なんかしないですむんだ!!
その思考がだだ漏れになるような、きらきらした目で、リュートはランドルフを見上げた。その態度に辟易したように、ランドルフはふん、と顔を背ける。
「まったく、私くらい優しい主人は他にいないぞ」
その様子に、後ろでふう、と呆れたように眼鏡の男がため息をついた。……まったくあれほど言ったのに、このお方は兄弟のこととなると甘いのだから。
その眼鏡の男の思考を敏感にかぎ取りながらも、ランドルフは重ねてリュートに言った。
「ああ、そうだ。ここに来るまでにお前の兄に会ったが、何やらお前に話があると言っていたぞ」
「えっ……!!」
その言葉を受けて、リュートは驚きと感激の眼差しでランドルフを見つめる。なにやら期待でもしているような目だ。その眼差しに耐えられなくなったランドルフは、乱暴に彼に言い捨てた。
「行ってこい」
「……はい!!」
今までに見せたことがない、とびきりの笑顔でリュートは笑った。
まるで子供だな、とランドルフは思う。それと同時にあまりに眩しい笑顔に、なぜだかいたたまれない気持ちになった。
主人のその思いをよそに、リュートは美しい金髪と白羽を翻し、一目散に城の中へと駆けだした。
レギアスが、呆れたように一つ呟く。
「あいつ、いつもああいう顔してたらかわいいのにな〜」
先日までの曇天が嘘のように、空はどこまでも青く澄み渡っていた。