第百十一話:誘惑
大広間は、既にむっとした酒の臭いに、支配されていた。
謀反人、女将軍ミーシカ・グラナの捕縛成功。そして、後は娘エリーヤの逮捕を待つだけという浮かれ気分がそうさせるのであろう。この広間に集った暗黒騎士達の飲みっぷりは留まるところを知らなかった。その証拠に、見る間に、次々と杯が空にされていく。
だが、そこで追加を催促することもない。何故なら、有能な酌婦が、杯が空になると同時に、新たな酒をつぎ足してくるのだから。
「さあさあ、騎士様。市長様から、心よりおもてなしするように、仰せつかっております。どうぞ、どうぞ、ご存分に」
そう言って笑みを見せた麗しいその酌婦。
それは、リンダール人にはあり得ない肌の白さと髪の色。そして、何よりも、この大陸の者にはない背の翼を持った女奴隷だった。
「見ろよ、あの女達。有翼人奴隷は美人揃いだと聞いていたけど、噂以上じゃねぇか。いやはや、これだけの奴隷が飼えるなんざ、ここの市長の財力には舌を巻くぜ。……まあ、どんな事やって儲けてるかは、察しがつくけどよぉ」
酒を振る舞う女の後ろ姿に、そう感想を漏らしながら、暗黒騎士の一人カルディンは、隣に座る騎士に話を振らんとした。だが、隣からは、この陽気な酒盛りの空気とはかけ離れた、陰気な答えが返ってくる。
「……気にいらん。異民族の女なんぞにうつつを抜かすなんざ、リンダール人の誇りはないのか」
これには、話を振った騎士カルディンの方が、しまった、という顔を見せる番だった。何故なら、酔いに任せて忘れていたが、この男。団内でも一二を争う信仰心の厚い堅物――、暗黒騎士団第三位に位置する騎士、ベルトンだったではないか。
無論、リンダール人を選ばれた民族とする神を信じるほどに、他民族に対する差別意識も強いわけで、彼が、有翼の女達からの酌を快く思っているはずもなかった。当然、酌婦とそれを宛った市長への不満を、口にする。
「閣下も甘い……。こんな女共の大量所有を、市長に許すのみならず、謀反人を捕らえた程度でこのように祝杯を挙げるとは……。そもそも、予定していた春の遠征はどうするというのだ。このように、あの謀反人共の排除に時間を取られておるようでは、いつまでたっても我が民族の本懐が遂げられぬではないか」
「お、落ち着かれませ、ベルトン殿。貴方は聖地の奪回を本懐と言うが、それは貴方が思うほど、簡単なものではありませんぞ。あのサイニー将軍ですら破れたのです。ここは、慎重に……」
「何を言うか。神のおわします場所をいつまでも他民族に支配させておくなど、騎士の名折れ。雌蟷螂母娘の謀反など、些事に過ぎぬ。……もうよい。閣下に直々に申し上げるとするわ」
「……な、何と。お止めなさい、殺されますぞ」
だが、その制止も、堅物騎士ベルトンには届かぬようだった。酒が入った杯を、投げ捨てるや否や、臆することなく、上座に寝ころぶ暗黒将軍の前へと歩みを進める。そして、一礼の後、この楽しい宴にそぐわぬ、極めて厳格な声で、その主張を述べて見せた。
「閣下。間近に迫った聖地奪回の為の再遠征。閣下のお手を煩わせることもございませぬ。どうぞ、この私めにお任せ下さい」
これに対し、上座に、でん、と寝そべっていた将軍、ガイナスの方はと言うと、また、面倒くさいのが来た、とでも言いたげに、鼻をほじって答えて見せた。
「ああ? またお前かい。うるせえなぁ。元老院の糞爺共や平民共みてえに、口を開きゃあ、『聖地奪回』、『神の救済』ってよぉ。そんなに神様がいねえと生きていけねぇかい」
「神を軽んずる閣下の方が、異常なのです。そもそも神の代理人である皇帝陛下の威光というものはですね、あの約束の地あってこそであって……。聖典の言によれば、それ即ち……」
「あー、うるせい、うるせい。ありがたーい神様のお言葉なんぞ、酒が不味くなるっての。今、こっちは次から次へと仕事持ち込まれて、それどころじゃねえってんだ。大体、今、目の前に面白れぇ見せ物があるってのに、寒ぃ雪の国へどうして行かなけりゃならねえんだよ」
「ですから、閣下の代わりに、私が北の大陸を攻略して差し上げますと言っておるのです。副団長も大森林の平定と、姫様の捕獲で忙しいとなれば、自ずと、暗黒騎士団第三位の私がその任務に当たるということになりませんか?」
全く抑揚のない、頑固な物言いに、流石の暗黒将軍も呆れたのだろう。溜息を付きつつ、さらに酒に口を付ける。
「……けっ、要するに、自分が行きてえだけだろうが。そんであわよくば、聖地奪回の手柄を得て、出世しようって魂胆か? まあ、今はサイニーとグラナのおかげで、役職が多く空いてっからな。将軍職への大出世の好機っていやあ、好機だなぁ」
「その様な事、私は……! ただ私の心にありますのは、純粋な神への……」
「まあ、いいや。どうせ、グラナと姫さんの処刑が終わりゃあ、また元老院が聖地奪回任務をせっついて来るんだ。今から準備しといて損はねぇ。とりあえず、お前、帝都にいる騎士達、適当に率いて、北の大陸のエルダー城に迎え。あっちに冬の間、置いてある奴等と合流して、雪が溶け次第、聖地攻略だ。……いいな?」
思った以上の命令を将軍の口から引き出せた事に、騎士ベルトンは歓喜した。
これで、自分も聖地に行ける。……憧れの地、永遠の救いが約束される、母なる地へ行き、祈りを捧げることが出来るのだ、と。
「か、感謝いたします、閣下。このベルトン、すぐにでも北の地へと出立致します。春には必ずや、あの聖地をこの手に……」
「ま、ほどほどに期待してらぁ。ああ、そうだ。餞別ついでに、お前にいい物やるよ」
小うるさいベルトンを厄介払い出来たとでも言いたげな態度を見せた後、将軍はその懐から、ある物を取りだして見せた。
「……鍵、ですか? 何だか、見覚えがあるような、ないような鍵ですが」
渡された小さな金属を手に、ベルトンがそう感想を漏らす。それも、そのはず。
「帝都の暗黒騎士団宿舎の隠し部屋の鍵だ。お前なら、知ってっだろ? こないだまで、狐を監禁してたあの部屋だよ」
「勿論、存じております。昼夜問わず、異民族の男の悲鳴が聞こえてきて、実に不快でございましたな」
「そうそう。あのエイブリンだとか、エイブラハムだとかいう狐がいた部屋。あそこに、有翼の国に関する重要情報が記載された書類が山と積んであるからよぉ。……遠慮せず、全部エルダー城に持って行け」
その言葉で、騎士ベルトンはその書類が意味することが何なのか、すぐに悟る。
「あの狐めに、拷問して吐かせました物でございますか」
「ああ。つまらんかったけどなあ、ありゃあ。次期大公だとかいう身分にある癖に、自分の国の事、何でもべらべらべらべら喋ってくれてよぉ。まあ、おかげで高位貴族しか知らねえ情報を手に入れる事が出来たんだ。よしとするかぃ」
「高位貴族のみが知る情報ですか。それは心強い。……では、早速にも」
北の大地に関する微細な情報と、帝国最強を誇る暗黒騎士達。
それさえあれば、北の低脳有翼民族を制圧することなど、朝飯前。そもそも、サイニー将軍を倒した『白の英雄』と呼ばれた男も、もうあの国にはいないと聞く。圧倒的なカリスマを失った国。それに一体どんな反撃ができるというのか。
「……つまらぬ戦になりそうでございますね。閣下、聖地奪回の輝かしい一報、春を待つまでもございませんとも」
そう自信たっぷりに、暗黒将軍へと言い残すと、騎士ベルトンは楽しい宴の席を後に、一人飛竜を駆って、帝都へと飛び立っていったのだった。
だが、そんな一人の騎士が場を抜け出した所で、この宴の場が盛り下がる事など無かった。
ようやくうるさいのがいなくなった、とばかりに、暗黒将軍が先頭切って、酒をあおり始めると、騎士達もそれに続けと次々とまた酒に手を伸ばし始める。すると、当然、空になった杯を逃すまいと、と、新たな酌婦が、騎士カルディンへと近づいてきた。
「騎士様。如何です? 今宵のこの宴、楽しんでいらっしゃいますか?」
白地に薄黄の斑羽を持った、儚げな美女。確か先までは、見かけなかった顔だ。名はリーシャと言うらしい。
丁度、隣から小うるさい堅物がいなくなった事だ。これを愉しまぬ手はない、と判断した騎士カルディンは、その美女を隣へと引き込んでやった。
「リーシャと言ったか。異民族の奴隷にしておくには勿体ないな。その容姿で、リンダール人であったなら、即座に求婚していようものの。ま、尤も、そんな髪や肌の色をしたリンダール人はおらぬのだがな。それにしても、北の大陸は、皆、お前の様な美女揃いなのか。うらやましいの。私も、聖地に行ってみたくなる」
「まあ……。そんな事、ございませんわ、騎士様。北の大陸にだって、醜男も醜女もおります。髪の色だって、そうです。皆が皆、珍しい髪色なんて持っておりません。ただ……、この大陸におります奴隷は、あなた方の言葉で、『選定』されておりますから、美しい者が揃っているだけで……」
これは、どうやら言うべきでないことを口にしたらしい。麗しい酌婦の目が、幾分か潤んでいる。
だが、所詮は異民族奴隷だ。しかも、聖地を占拠している有翼の民の奴隷に、一体何の気を使うことなどあるのか。
「ふん……。まあ、お前は美しゅうて良かったな。おかげで命拾いをして、市長に良い生活を与えられているというわけだ。その姿態で、媚びを売って、権威に縋って、な。結構なことじゃないか」
これに、またも美女の顔に影が差す。
「非道い方……。でも、確かに、仰る通りではございますね」
「ふん、悔しいか。奴隷でも一人前にプライドはあるようだな。だが、私はそういうお前達、嫌いではないぞ? そうやっておとなしくしていれば、後で私の寝床で、個人的に愛でてやらんことも……」
「まあ、いけない方。私達は観賞用の高額奴隷ですよ。そんな美術品に直接手を触れるような野暮な真似をなさるのですか? 将軍閣下ならまだしも、一騎士にこの身が汚されたとあっては……」
「私では、自分の価値が下がるとでも言いたいのか。随分気取ったものだな。一度、自分の身分を思い知らせてやった方がいいか」
こんな奴隷一人、どうなったところで知ったことではない。少々血を流させた所で、宴会のいい余興として閣下や他の騎士達も喜ぶはずだ。
そう算段して、拳を振り上げたカルディンだったが、どうやらその考えは甘かったらしい。
「お、お止め下さいませ、騎士様。この者にはようく言って聞かせますので、この場はどうぞ平にご容赦を」
大事な女奴隷を壊されたくないのか、騒ぎを聞きつけた市長が、即座に間に入っていた。そして、奴隷に謝るように、と指示した後、こっそりと騎士に耳打ちをしてくる。
「騎士様、この者は少し訳ありで差し出せませぬが、他の者でしたら、どのように扱って頂いても結構です。後でお届け致しますので、どうぞ、この者に傷を付けることだけは……」
「な、何だと? 私はこの女にだな……」
「いえいえいえ。この女の美しさに心惹かれるお気持ち、よーく分かりますとも。しかし、ここは私めの顔に免じて……」
そう一都市を与る首長に言われてしまっては、流石に強く出ることも出来ない。幾らか悔しい思いは残るものの、騎士は、女への制裁を諦めて、おとなしくその拳を収めた。その様子に市長は安堵したのだろう。大事な商品である女の頭を無理矢理下げさせて、……ほら、お前は、この大広間に来なくていいと言ったろう。いいから、さっさと厨房へ戻れ、と言うと、また将軍の機嫌を取るべく上座の方へと戻っていった。
だが、残された女の方はと言うと、謝罪らしい謝罪をすることもない。
のみならず、その花のような顔に、先に見せた儚げな雰囲気からはかけ離れた妖艶な色を浮かべて、そっとカルディンへと耳打ちをしてきた。
「ねえ、騎士様。私が気になる?」
「……気になるものか。さっさと失せろ、異民族の奴隷風情が」
「お願い。連れ出して。私、このままだと、明日にも、偉い人に売られちゃうから。私、豚爺の相手はもう嫌。でも、貴方みたいに精悍な方なら、お側に居ても……」
「そうやって、私までもその媚態で誘惑するか、奴隷女。ふん、どうせ、また金持ちの所に行くんだろうが。そこで可愛がってもらえ。大体、お前も一騎士風情の相手をするなど嫌だと……」
「あら、よろしいの? せっかく、いい事教えて上げようと思ったのに。出世の好機をみすみす逃すなんて、……残念な方ね」
突然、女が口にした意味不明の言葉。それについて、即座に騎士が問いたださんとする。
だが、女はと言うと、何かもったいぶるような素振りで、そのドレスの裾をひらりと翻すと、まるで本物の鳥のように軽やかに去っていってしまったのだった。
「……何だ、あの生意気な女。奴隷の分際で」
そう一人ごちて、再度酒をあおった所で、あの眩しい翼の残像は消えなかった。
自分たちが竜を御して手に入れた空を飛ぶという技術。それを産まれながらに持っているあの民族の姿は、整った容姿と相まって、どうあっても眩しく映る。確かに、高額を払ってでも、自分の側に置いておきたいと思う男の気持ちも分からぬでもない。
だが、それよりも気になるのは、市長の庇いようだった。
「あれだけ市長が守りたい女、か……。確か偉い人に売られると言っていたな。あの女が売られる先に、何かあると言うのか。出世の好機とも言っていたが……」
そう口にすると同時に、カルディンの脳裏に、ふと、先の堅物騎士の姿が浮かんだ。
……あの男、無茶苦茶な進言をして、将軍に殺されでもするかと思っていたのに、上手いことやりやがって。信仰心にかこつけて、聖地奪回の任務で手柄を上げるつもりに違いない。
確かに、あの女が言うとおり、もうすぐ、将軍職が二つも空くのだ。これが好機でなくて何なのか。
このまま酒を飲んでいた所で、好機など巡ってくるはずもない。ならば……。
「ちょっと、用を足しに行ってくる」
「あら。貴方、やっぱりいらっしゃったの。あんまり遅いんで、他の騎士様を誘惑しに行こうと思っていたのに」
広間を抜け、ようやく廊下で見つけ出したリーシャという女奴隷は、やはり高慢な態度を崩していなかった。おそらく、酒を厨房に取りに帰ろうとしていたのであろう。人の頭がすっぽりと入りそうなほど大きな、空の酒壺を抱えて、さらに意味ありげな笑みを返してきた。
「貴様、騎士に向かって、その態度は……」
「いいじゃあないの。ねえ、話があるんでしょ? そうね……、厨房じゃあ、人の出入りが激しいから、その隣の部屋で話さない?」
確かに、今、厨房は酒を運ぶ酌婦が、行き交っており、ゆっくり話せる状況ではない。引き替え、隣の部屋は、おそらく使用人の為の控え室なのだろう。忙しい今は、誰も居ない様子だった。
「ねえ……、二人で楽しいお話しましょうよ。ほら、お話だけじゃなくって、もっといいことしてあげる。ね?」
こんな台詞を、可愛らしい子猫の様な顔で言われて、断るような男がいるだろうか。
市長が後で、この女について何か言ってきた所で構うものか。駄目と言われれば、欲しくなるのが男の性だ。そして、何よりも、今は、その妖しげに光る碧の瞳の奥に隠された秘密を、暴きたくて仕方がない。
騎士は、そう思い切ると、女の後を追って部屋の中へと足を踏み入れた。
明かり一つ無い、暗い室内である。その中で、ただ、窓から差し込む月明かりだけが、先に入室した女の姿を、妖しく浮かび上がらせている。
細い腰、そして、良く引き締まった形の良い尻。それに、思わず、騎士の手が伸びる。
「リーシャと言ったか。いい子で言うこと聞くんだぞ。逆らったら、それは痛いお仕置きを……」
「あら、嫌だ。騎士様は、皆、紳士かと思っていたのに、そんなのがお好みなんて……、うふふふふ」
そう、男の手を撫でて窘めながら、にっこりと女が微笑んだ刹那だった。
一瞬で、目の前の女が豹変する。
ぎらり、とその目を鋭く光らせ、騎士の手を掴むと。
――ばきり。
嫌に軽快な音を響かせて、騎士の中指をあらぬ方向にへし曲げて見せた。
「――っっ!!」
当然、声にならない声が、口から漏れる。だが、騎士が状況を理解する時間すら、目の前の猫に似た女は与える気はないらしい。一瞬で騎士の身体から離れると――。
「いけない人。……お仕置き、して上げなくちゃ……、ね!!」
女とは思えぬ低い声と共に、みぞおちへの的確な拳をぶち込んできた。
「……かはっ!!」
女のものとは思えぬような強烈な一撃である。
当然、このような不意打ち、予測していなかった騎士に、これを防ぐ術はなかった。まともに急所への攻撃を食らって、堪らず、床へと倒れ込まんとする。
だが、それでも尚、美麗な女は容赦がなかった。倒れ込む寸前に、掬い上げるように騎士の顎への第二撃。
これによって、完全に騎士の反撃する余力を奪うと、即座に誰かの名を呼んで見せた。
「カーラ、サーシャ!」
その響きから察するに、女の名だろうか、と、倒れ行く中、騎士が認識した刹那。
さらに、暗い室内に潜んでいたと思われる人影二人が現れて、背後から騎士へと襲いかかった。どうやら、一人はかなり訓練されているらしい。おそらく、先に女が持っていた酒壺なのだろう。大きな鈍器の様な物で、がつりと頭を打った後、無駄のない動きで、てきぱきと倒れ込んだ身体を縛り上げてくる。
「き、貴様ら、何者……」
「はい。ちょっと黙って下さいな」
騎士が問う間もない。もう一人の女が、口封じ、とばかりに、猿ぐつわをきつく被せてきた。
どうやら、いとも簡単に虜囚の身にされてしまったらしい。
何という、屈辱。何という失態。
しかし、これでも自分は誇り高い暗黒騎士の一人なのだ。女共のいいようにはされぬと、カルディンは必死に脱出を試みる。
だが、そんな抵抗も虚しく。
「おい。よくも気安く人の尻、触ってくれたな、この変態が」
……がつり。
鈍い音を響かせて、一人の女が、躊躇無く頭を踏んづけてきた。
容赦なく押しつけられる足によって視界が制限されているため、顔は見えないが、声から察するにあのリーシャという娘らしい。
だが、その声も内容も、到底あの麗しい子猫の様な娘とはかけ離れた――、そう、まるで男の様なもので。カルディンは拘束されたまま、さらに混乱に陥る。
そして、彼の不安をより一層煽るように、女達は、この大陸では聞き慣れぬ言語が交わしはじめた。
「ていうか、変態はあんたでしょ、『旦那様』。男を誑かすのがお得意なんて、まあ、やっぱりね、って感じ」
「うるさい、カーラ。君らが、『出来ない、したくない。まずは見本を見せろ』って言うから、僕がわざわざ誘惑しに行ってやったんだろうが。大体、君はいつも、いちいちいちいち絡んできて、鬱陶しいんだよ。誰が好きこのんで、こんな奴に尻を触られなきゃいけないんだ」
「ま! やっぱり『旦那様』は、言うことが違うわね。そうやって、私達に恩を売ってるつもり? 馬鹿にしないでよね。こっちがあんたに恩を売ってるんだから。これでも縄捌きは、かなり訓練受けたからね。いつかあんたも同じように簀巻きにしてやったっていいのよ、けだもの」
「カーラ、やめて! 今はそんな場合じゃないでしょう。怪しまれる前に、さっさと事を起こすべきよ。ほら、カーラ、蝋燭つけて。鏡、化粧室からくすねてきたのがあるから、これでティータに……」
勿論、聞いたことのない言語であるため、騎士カルディンには何を言っているか、さっぱり分からないが、どうやら、この三人の間にはかなりの不協和音があるらしい。何者かは知らないが、奴隷の分際で、このような狼藉を働くなどいい度胸。
確かに、少し、……ほんの少し油断はしたが、やはり、自分は誉れ高き暗黒騎士なのだ。このような統制も取れておらぬ女共など、すぐに纏めてひねり潰してやるとも。
そうカルディンが女の足の下で算段し、気配を殺して、動こうとした時だった。
――がつり。
「おい。何、僕の許可無く勝手に動いてるんだ、この変態騎士」
これまたリーシャという女からの、容赦のない一撃。
この暗黒騎士の研ぎ澄まされた感覚をも、先読みし、尚かつ急所を確実に責めてくるなんて。……この女、一体、何者なのか。
だが、その問いに女達が答えてくれるはずもない。またも知らぬ言語で、会話を始め出す。
「それよりも、リュー……、いいえ、リーシャちゃん、一つ報告があるわ。さっき貴方が大広間に来る前に、一体だけ騎士が帝都の方角に飛び立って行ったそうだけど、どうしましょうか」
「ああ、僕が広間に入ってくる時に、すれ違ったあの男か。何か、教典の文句ぶつぶつ唱えてて、気持ち悪い奴だとは思ったけど」
「そうよ。出ていく前に将軍と何か話していたようだったけど、私もサーシャも内容までは聞き取れていないわ。一体何をしに、帝都の方へ行ったのか気になるけど……」
「まあ、この都市から出ていったなら、今は追うまでもないが……。この時期に一体だけ、帝都へ、とは。気には、なるな」
言語は分からないが、他の女二人の声音からして、やはりリーシャという美女が、この狼藉の主犯であることは間違いないらしい。ならば、この女さえ攻略すれば、あとはただ、ちょっと戦闘訓練をかじっただけの女なのだ。どうとでもなる。
こんな騎士を足蹴にする女など、八つ裂きにしても足らん。絶対に、足下に屈服させて、どんな奴隷よりも非道い目に遭わせてやる。
と、騎士カルディンがそう思った矢先に。
あっけらかんとした声音が、彼の耳に届いた。
「じゃあ、ついでにその件も、この足下で無駄な抵抗している奴に聞いてみますか」
「聞くって――」
「決まってるだろ」
そう言葉を句切ると、リーシャという女は、足をカルディンの頭から下ろして、代わりに髪をひっつかみ、無理矢理顔を上げさせてきた。そして、これ以上ない美麗な笑みを見せて言う。
「そりゃあ……、一番どこに聞けばいいか、暗黒将軍配下の君が一番よく知っているだろ? なあ、帝国最強の暗黒騎士君」
ご丁寧に、ここだけリンダール語だ。おそらく、この女、分かっていて言語を使い分けている。
……そう、間違いなく、この女――。
そう思い当たると同時に、カルディンはその身体から、すうっと血の気が引くのを、嫌でも感じざるをえなかった。
だが、対して女はその顔に麗しい笑みを浮かべたまま、蝋燭の明かりと鏡を使って、外に向けて何やら合図をしている女二人へ、また違う言語で声をかけていた。
「さて、カーラ、サーシャ。ジェックから返事が来たら、ちょっと席を外してくれるかい」
「あら、よろしいの? 私達もお手伝いしなくて」
「そうよ。もし、あんた一人に任せて、逃げられでもしたら……」
男の声を受けて、女達がまた何やら反抗しているようだ。だが、この美女、二人の言うことに、耳を貸すつもりはないらしい。
それどころか、さらにぐりぐりと足裏を顔に擦りつけると。
「いやいや……。ご婦人方の見るものじゃあないよ。ねえ、……変態騎士君」
……にっこり。
まるで花が咲いたような満面の笑みを浮かべて、そんなリンダール語を吐いて見せたのだった。