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第百三話:恋敵

「……で、だから。どうして、……こうなるんだ」


 不満げな男の声が、草原の空に吐き出されていた。


 白い鱗を輝かせた飛竜を操る、この彼の不機嫌な台詞。それも尤もな事である。

 何せ、この、鬱陶しい状況だ。受け入れろという方が無理であろう。


「……で、それからね、君。……僕は、あの酒宴でこう言った訳だよ。――『僕の愛おしい姫様! 貴女のその紅玉の瞳を微笑ませるためならば、この有角の国の王子であるポイキオ、如何なる協力も惜しみません』とね。それを聞いた姫の顔と言ったら、そりゃあもう、君、分かるかい」


 分かるわけがない。

 ……と、言うか、分かりたくない、と飛竜の主人は、この芝居がかった台詞の持ち主に向けて、呟く。

 何しろ、もう、理解の範疇外なのだ。……この、目の前で、休む間もなく喋り続けている優男が。……そう。この、目への直接的な暴力としか思えないような色彩の衣装を纏った有角の国の王子が、何よりも、……何よりも、受け入れがたい。


 にも関わらず、この状況だ。

 有角の国へ行くと聞かされて。

 それに従い、愛竜ブリュンヒルデを駆って、大森林を飛び立ってみれば。


 可愛い白竜の背には、いつも一緒に、この喋りまくる男の姿、なのである。


「おい。……確か、お前……、有角の国の王子、ル・ポイキオだったか。いいから、少し黙れよ。大体、何で、お前が僕のブリュンヒルデに乗ってるんだ! 降りろ! ブリュンヒルデが可哀想だろ!!」


 どうやら、ここまで来て、この白竜の主人、――リュートの堪忍袋の緒は、ついに切れたらしい。手綱を取るその手で、一緒に騎竜している男の首元へと掴みかかっていた。

 流石に、空飛ぶ飛竜の上だ。掴みかかられたポイキオにとっては、ここから突き落とされたら、ひとたまりもない。とりあえず、今まで動かし続けてきた舌に、適度な休憩を取らせてみせる。

 だが、それも、一時の事。すぐに、その減らず口は復活する。


「いいじゃないか。僕は異民族だから、飛竜の乗り方知らないし。僕の国に案内するまで、一緒に乗せてくれたまえよ。それに、君は有翼人だから、体重軽いだろ? 僕が一人増えたくらい、大丈夫、大丈夫」


「大丈夫なわけないだろ。二人乗りのせいで、ブリュンヒルデの速力が落ちているのが分からないのか? それ以上言ったら、本当に突き落とすぞ。大体、何が悲しくて、お前みたいな口から産まれたお喋り男と、相乗りしなきゃならんのだ。自分の国だろ? 自分の足で帰ったらいいだろうが、この色彩の暴力王子」


 と、飛竜の主人が、頭に角のある男を突き落とそうとした時だった。


「――あら、なぁに? 男同士、私を取り合っての喧嘩?」


 風を切る音を遮って、高慢な女の声が後ろから投げかけられる。

 無論、この声の持ち主が誰なのか、飛竜の主人が分からないはずもなく。声の方向を一瞥もせずに、答えを返してみせる。


「いいや、奥さん。ちょっと、個人的な好みの問題だ。……どうも、君のお友達の彼とは、気が合わないみたいだ。このお喋り男、引き取ってくれないか」


 この提案には、声をかけた女の方も、笑わずにはおられなかったらしい。その赤毛を、機嫌よさげに一撫でして、乗っている竜に嫌味な伺いまで立ててみせる。


「……あはっ。嫌よねぇ、シルフィ。私達は、静かに飛ぶのが好きだものね。……あ、ねえ、それよりも、無事に国境越えられたわ。ここ、もう有角の国の領土よ」


 と、横で騎竜する女の言葉につられて、リュートが視線を下に向けてみると、そこには。


 今まで居た獣人の国、大森林エントラーダとはまった違う、ただひたすらの草原の風景。

 短い草に覆われた大地に、点々と生えている低木。見た限りでは、人工物や、街もなく、ただ、ゆったりとした風と、緑の大地に群れなす草食動物が居るだけ。

 その中で、緑の大地と空の青を分ける地平線が、まるで定規で引いたかのように、一直線に伸びていて。


 思わず、口から、感嘆の溜息が漏れる。


「綺麗な国だな。草の緑と、抜けるような青が、実に目に心地いい。……まったく、この国に生きる民族の衣装とは正反対の色彩の美学だな」

「でしょ? あなたもそう思うわよね。私も趣味の悪い民族衣装が無ければ、もっとこの国好きなんだけどねぇ」


 この夫婦そろっての暴言に、流石に黙っていられる王子ではない。自国の誇るべき文化を汚されたくないと、纏った色取り取りの原色衣装を、これ見よがしに見せつけてきた。


「何を言ってるんだっ! こんな美しい服、世界中どこを探したってないとも! 見たまえ、この太陽の輝きを映した情熱の赤! そして、大地の実りを表現した……」

「まあ、そんなのはどうでもいいんだけど。それよりも、ポイキオ。もう、二人乗りで脚の遅いこの竜に合わせて飛ぶの、飽き飽きしちゃった。ね、私、護衛の騎士達と先に行くから、ちゃんと私の旦那様、極秘図書館(ビブリオテカ)まで連れてきてよ」

「……それに、この袖にあしらわれた夜の闇の黒が相まって……って! ええ、先に行くって……、ちょ、ちょっと待ってくれたまえよ、姫!」


 民族衣装の講釈を、まったく意に介されないどころか、この言葉。流石に堪らない、と王子が引き留めの言葉をかけるものの、隣にいた女はさらに構わず、飛竜の尻に鞭を入れていて。


「じゃあね~。男同士、仲良く相乗りしてきてちょうだいな。またね、あ・な・た」


 ……ちゅ、と投げキッスをくれると、その赤毛を悠々と翻して、地平線へ向けて飛び去っていった。




「ああ、くそっ。この王子も連れて行けよ、エリー! ……まったく。大丈夫か、ブリュンヒルデ。重かったらいつでも言うんだぞ? すぐにこの荷物、落としてやるから」

「酷いな、君は! まったく、姫もどうしてこんな非道で、お子様な男を夫に選んだのか、理解に苦しむよっ」


 先に消えた赤毛を追って騎竜する男二人の罵りあいは、さらに留まる事を知らず。草原の空に、醜い男同士のプライドが、火花を散らす。


「おい、非道はいいが、お子様とは何だ、お子様とは。僕の妻に捨てられた間男の分際で、随分な言いぐさだな」

「そっちこそ、間男とは酷いじゃないか。僕は君より、姫様の事、ずっと以前から慕って居るんだよ? ぽっと出の君に言われたくないなっ!」

「知るか。あっちが惚れてきたんだ。それに、僕は、お前とあの女との間に、何があったとしても、構わないし」


「……『あの女』、ね。君、自分の妻にそりゃあないんじゃないか? 君、姫の事、好きじゃないのかい?」


 見かねて王子が口にしたその言葉。しかし、返ってきたのは、飛竜のものよりも大きな、ふん、という鼻息で。


「ああ、嫌いだね。というか、むしろ聞きたい。あの女の、どこがそんなに好きなのかを」


 到底、大人の男とは思えないこんな台詞まで、ご丁寧に付いていた。これに、王子も苦笑さざるを得なかったらしい。……仕方ないな、このお子様君は、と呟いて、その持論を展開しにかかる。


「そうだな……。うん! 強いて言うなら、彼女は、嘘がない。自分に正直だ。いつだって、欲望のままに生きている。それが最大の魅力だ」


「……それは、……むしろ欠点じゃないのか」


 もう、嫁の我が儘にはうんざり、といった調子で夫がそう反論する。だが、この王子はその反応こそが楽しかったようだ。白い歯を見せて、高らかに笑った後、少々意味深な視線を向けてきた。


「欠点? そう思うのは、君が彼女と同類だからだろう。素直に生きている者ほど、他人の素直さの価値が分からないものだ。――引き替え、僕は彼女が実に眩しいよ。この口先三寸で、嘘ばかりついてきた人生だからね」

「……嘘?」

「そう。兄上に外交を任されている僕だからね。外交は、二枚舌、三枚舌なんか当たり前の世界だ。そこで上手くやってきたから、僕ら有角の民は生き残って来れたんだ。獣人の様に体格が良いわけでもない。さりとて、小人族の様に、商才もない。そんな民族が生きる道は、ひたすらに、処世術を磨くことしかなかったのさ」


 ……しゃらり。

 小さく角の装飾具をならしてそう微笑む王子の表情は、どこか自虐的な色さえも帯びていて。


「ま、僕ら有角の民に言わせれば、かつて暴動を起こし、ああも首都エントラを焼かれた獣人共は馬鹿だよ。いつまでも過去の事に拘って、感情のままに行動したって、未だ圧倒的な軍事力を誇る帝国の前に蹂躙されるだけだ。その結果、恨みは恨みを呼び、泥沼の戦争がいつまでも続き、やがて国土は荒廃する……。馬鹿だ。うん、実に馬鹿だよ。何を犠牲にし、何を守らなければならないか。それを見定めるのが、人の上に立つ者の仕事であろうに」


「……おい。その言葉から、察するに。もしかして、獣人の王があの愛酒連合に加わったのも、お前が一枚噛んでいるのか?」


「ま、ね。有角の民は、基本、戦いを好まない民族だから。もし、このまま帝国と属国の全面戦争なんて事になったら、僕は嫌なんだ。だが、このまま今の帝国の統治が続けば、いずれ、また血で血を洗う時代がくるだろう。だから、僕は、帝国でのクーデターを支持するんだ。あの姫様なら、少なくとも大陸全土を巻き込むような戦乱だけは、起こすような真似はしないだろうから」


 嘘を付いてばかり生きてきたというこの男。だが、どうしてだろうか、リュートには、この言葉が到底嘘とは思えなかった。

 何故なら、彼の瞳。

 まっすぐに、地平線に伸ばされた瞳が、空の青と草原の緑とを写し取って、実に、綺麗で。


「ああ……。嫌だな。この空や緑の大地が、血と火で、真っ赤に染められる未来なんて」


 ぽつりと漏らされたその言葉が、やけに、心に染み渡ってくる。



「ねえ、恋敵君」


 しばし、男二人で地平線を黙って見つめた後、王子が受け入れられない呼び名で、声をかけてきた。


「……何だ、その、恋敵ってのは。僕は、お前と嫁を取り合うつもりはないぞ。今のところ、あれと離婚はできないんだからな」

「いいじゃないか。僕は、これでも姫様を諦めてはいないんだよ。君は、まだ恋愛初心者のようだから、分からないかもしれないけれど。僕は、恋というものがどんなものか、わかっているからね。……待つつもりさ、いつまでも」


 ……そう、人の心なんて、わからない。

 今日は好きでも、明日には嫌い。

 つかみ所のない、自由。

 だから、素晴らしいのだよ、恋というものは。一瞬だからこそ、価値があるのだよ。


 続けて語られた王子の言葉。

 この、吟遊詩人も真っ青で逃げ出す恥ずかしいポエムに、赤面しない者などいるのだろうか。


 リュートは、思わず、うえぇ、とその舌を吐き出して見せる。


「お前、脳みそ腐ってるんじゃないのか? よくそんなこと恥ずかしい事、言えるな」

「事実だよ、初心者の恋敵君。君の方こそ、よくそんなことが言えるね。君は、恥ずかしいと言うけれど、恋って言うのは、素晴らしいものであると同時に、恥ずかしくて、みっともなくて、情けないものだよ? そうじゃなきゃ、恋じゃない。……大体ね。僕に言わせれば、君は実につまらない人生を送っていると思う」


 ……つまらない人生。


 そう評された所で、リュートにはその言葉が理解出来ない。

 何しろ、この波瀾万丈の人生、つまらないどころか、次々と困難が降りかかってくるのだ。自分が望む、望まないにかかわらず、だ。

 今のところ、自分はその火の粉を払うので、精一杯。それをつまらないと他人に言われた所で、リュートは、今更、毛ほども感じることはない。

 だが、目の前に乗る王子からは、また、リュートの様子を楽しむような表情が返ってきていて。


「ねえ、恋敵君。君は、人生には何か意味があると思うかい?」


 こんな、意味深な問いまでも、投げかけられていた。

 それに対して、リュートが即答しないでいると、さらに王子は続けて言う。


「意味があると思うのなら、――恋をしたまえよ。人生は、恋をするためにあるんだ。一日、いや、一時間でも、もっと短い時間でもいい。心を燃やし、全てをなげうってでも欲しいと思う恋をしたまえ。誰かの為に喜び、誰かを自分よりも大事に思い、その誰かのために、時には傷つき、時には狂い、時には情けなく泣きたまえ。その経験は、きっと、君の人生を一変させるだろうから」


「……は? 何、言ってるんだ? お前、本当に恥ずかしい奴だな……」


「いいじゃないか。その激しい一瞬があれば、この殺伐とした人生は、どんな装飾も敵わぬほどに、美しく彩られる。どうせこの世に産まれたのなら、誰しもが等しく死ぬんだ。ならば、生きる内に人生の宝石を見つけなければ、――損。ただ、その一言に尽きると思わないかい、恋敵君」


 軽い口調で言われたその言葉。しかし、言った当の王子の表情はと言うと、明るいどころかどこか物憂げなものさえ感じさせるもので。さらに、遠く届かぬ何かに思い馳せるような、憧憬とも言える眼差しを、送ってきていた。


「ああ、しかし……。姫が、同じ異民族の王子であっても、僕ではなく、君を選んだのが何故なのか、少し分かったような気がするよ。君には……、君にしかない魅力がある」

「魅力? 僕の妻は戦力的な価値を僕に見いだしているだろうが、……その事か?」


 そのあまりに色気のない答えに、今まで憂いを覗かせていた王子の顔が、一瞬で、笑みに変わる。


「あははっ! 君は、本当に分かっていないんだなっ! うん、いいよ、いいよ、分からない方がいい。分かってしまったら、お終いだからね。……少し、君がうらやましいよ。僕には……、もう取り戻したくとも、永遠に戻らぬものだから」


 その意味深な言葉を最後に、お喋り王子は、別人のように口を噤んで。

 後には、リュートに思考を促すような、乾いた草原の風の音だけが残される。


 ……『恋を、しろ』。


 言われた受け入れがたい、恥ずかしい助言。それを内心で反芻して、リュートは深い思考に、自身を委ねる。


 ……恋。


 ……恋。


 恋って何だ? 恋って、美味いのか?


 分からない。


 ああ、そういえば。

 死んでしまったレミル。あの兄の、恋をしてからの変わりよう。あれは印象的だった。

 それから、幼なじみのマリアンも、いつだったか、『好きだ』と言ってくれて。

 他にも心を寄せてくれた女や男色家はいたけれど。

 彼らの事を懐かしいと思えど、自分が、彼らの事を思って心を燃やすことなんか、ない。


 ……恋って、何だ?

 恋って、そんなに必要なものなのか?

 友人や家族として以上に? 


 確かに、この世に生きる価値は、あると思う。


 ……かつては。

 復讐以外に生きる意味など見いだせず、ずっと、死の影が覆い被さっていた。


 だが、あの雪の故郷で、自分を取り巻く世界の暖かさと、新たな生命の息吹に触れて。

 何よりも、……何よりも、この世界で生きていたいと激しく願った。


 そう思うからこそ。

 この世界で生きる事を決めたからこそ、この王子の言うことを、知ってみたい気がする。

 数多くの犠牲の上に、生きることを許された、この命なら。せめて、無為には、生きたくはない。


 だが、いくら考えても。


 本当に……。


「……本当に、分からない……」


 どうにも、この男のとって、王子の言葉は、軍を指揮する以上に、難問だったらしい。

 今はただ、もつれにもつれた思考のままに、愛竜の背に乗せられて、自称恋敵と共に、草原の空を翔ていくしか、ない。







 ひたすらの、青と緑の二色の世界。

 そこを飛び続けて、ようやく、景色は変化を見せ始めた。


 緑の絨毯の上に、ぽつり、ぽつり、と見えてきた小さな点。それは、やがて数え切れないほどに、その数を増していて。途端に、緑の大地が、無数の大小の点に、覆われていた。その数は、数百、数千、……いや、もっと多いだろう。

 その無数の影について、リュートが王子に尋ねる。


「おい、あれは一体……」


「僕らの言葉でパオと呼ばれる移動用住居と、家畜達だよ。僕ら、遊牧民だからね。決まった場所に定住しないのさ。季節によって、住居とともに、あちらの草原からこちらの草原への移動生活」


「定住しないって……。そういえば、確かにここまで主立った街はあまり見かけなかったけど……。街を作らない民族なのか?」


「そんなことは、ないさ。僕らだって、交易しないと生きていけないから、いくつか街はあるよ。でも、僕ら民族の本質は、この草原にある。だから、この国の王も、王都に居座らず、こうして未だに遊牧生活を続けているのさ。今は、この王の移動用住居があるこの草原が、仮の首都、ということになるね。ま、一応王都にも、第一王子である兄上がいるけれど」


 時によって、場所を変える首都。

 家畜とともに、土地を移動しながら生きる民、有角人。そして、白い円形状の頑丈な移動用住居に、その周囲に群れなす様々な家畜達。


 その見たこともない風景に、思わずリュートの口から感嘆の溜息が漏れる。


「ふうん……。やっぱり面白いな、世界は。来た甲斐があった」

「だろう? この世に男として産まれたからには、広い世界を見なきゃ、損というものだよ、恋敵君。ま、当初、僕は姫が君を有角の国にも連れて行くと言った時、君は一緒に行くの、嫌がるんじゃないかな、とは思っていたんだけどね。よく来たね」

「ん? まあ、僕の妾や子供達も一緒に連れてきていいと言ったし……。それに、嫁が女将軍から離れてくれると言うんだから、正直、好都合……」


「好都合?」


 思わず口を滑らせてしまったその言葉を、王子が耳ざとく聞きつける。


「あ、いや……。何でもない。こちらの独り言だ。……あ、ああ、それより、あそこに飛竜達がいる。奥さん、あの移動用住居に居るみたいだな」


 王子の追求を逃れようとして、咄嗟にリュートが視線を下へと導く。

 すると、彼らの真下には、他の住居と比べて、一際大きな円形住居(パオ)の姿。その白い外観が草原の緑に映えて、実に美しいと言うほかない。


「ああ、あの白いパオ。僕の父上……、つまり有角の国の王、ル・パイタンの専用住居だよ。……さ、降りて挨拶に行こう。父上と、それから極秘図書館(ビブリオテカ)の管理人に」





 ……極秘図書館(ビブリオテカ)


 嫁から聞かされていた旅の目的地の名だが、そこがどんな場所なのか、リュートは未だ詳細を聞かされていなかった。


 おそらく、その名から察するに、密かに隠された図書館……、なのだろう。

 だが、そもそも図書館が極秘、とは一体、どういう事だろうか。有翼の国にも王都に国立図書館はあったが、特別な重要書物を除いては、一定の知識階級の者なら、誰しもがその蔵書を閲覧出来るようになっていた。普通、図書館、というのは、その様にこそ、存在するものであろう。

 それなのに、わざわざ秘密に図書を隠す、とは一体、どういう事なのだろうか。

 しかも、この見渡す限りの平原である。移動用住居以外、人工物のないこの場所の、一体どこに図書館があるというのか、見当も付かない。


「まさか、この《パオ》にいちいち書物が隠してあるわけじゃないよなぁ。牧畜目的でこの住居が建ててあるなら、大量の書物なんか、移動の邪魔になるだろうに……」


 そうリュートが独り言を漏らす内に、愛竜は、緑の絨毯の上に、見事に着地。そして、降り立ってすぐに、有角の国の王子ポイキオが、王専用住居の前に、彼を案内していた。


 屋根と壁に当たる部分が、白い羊毛織り(フェルト)で覆われた独特の円形住居。しかし、そこは、流石に王のパオである。南正面に設えられた一枚板の入り口の装飾が、実に美しい。

 赤、青、黄……、一体、何色原色を使ったら気が済むのか、といった色彩だが、不思議とこの白のパオに備え付けられていると、しっくりくるものだ。今まで色彩の暴力に、うんざりしていたリュートにすら、まんざら、原色文化というのも悪くないな、と思わせる、民族特有の装飾なのだが。


「さ! 恋敵君! 君の奥さんも先に入っているだろうから、早く、早く!」


 どうにも、この催促をしてくる王子の服装だけは、未だに、趣味が悪いとしか思えない。


「父上は、僕と同じで平和主義者なんだっ! 戦いを好まず、この平原と空を愛する有角人の気質そのものの人だよ。だから、緊張することはない。……ま、ただ、この平和を乱すような輩には、容赦がないからね。その様は、普段の温厚な姿からは一変して、『草原の狼』と称される程だ。だから、あまり変な真似はしないでくれたまえよ」


「……流石に、敵でもない王様に、無礼な事は言わないさ。約束する。王様の服の趣味がどれだけ悪くても、受け入れると」


「そうかい、ならいいけど。……父上! 第二王子ポイキオ、有翼の国の王子リュート殿を連れてただいま戻りました! どうぞ、お目通りの程を!」


 有角の国の王子のその言葉と同時に、原色彩るドアが開かれる。


「よく、帰ったな、ポイキオ。姫は先に到着しておるぞ。さあ、入れ」


 威厳ある声が響いたその内部は、テントの中だというのに、実に明るかった。見れば、放射線状に組まれた天井の梁の中心に、天窓らしき物が設えられている。ここから、日中は光と熱を取り込むのであろう。暖かい光が、煌々と住居の中心を照らし出していて、実に心地よい。


 そして、その光の中心にいた、一人の男が、こちらへと一歩踏み出してきた。

 彼の頭にはポイキオのものとは違う、うねった巻き角。そして、身体には、ポイキオに負けず劣らず、原色をふんだんに使った民族衣装。


 間違いなく、この男こそが、草原に生きる有角の民の国、パルパトーネを治める王――、『草原の狼』と謳われる、ル・パイタン、――その人だろう。


「お初にお目に掛かる、有翼の民の王子。ようこそ、儂が治める草原の国、パルパトーネに」


 少しアクセントに訛りがあるが、流暢なリンダール語である。

 その容姿も、息子であるポイキオに似て、なかなかに端正なものだが、流石に年齢を重ねているだけあってか、息子にある軽薄さは感じられない。ほどよく年相応の威厳があり、気品までも備えている。

 だが、それでも彼から王者特有の傲慢さが感じられないのは、息子同様、その人懐こさを感じさせる物腰の柔らかさのせいだろうか。口元を緩め、目尻に皺寄せて、異民族の王子を歓待するその姿からは、敵意や警戒心などは、まったくに、抱いていないように思える。


「お目にかかれて光栄です、陛下。突然のご訪問という非礼につきましては、どうぞ、ご容赦のほどを――」


「いいのよ。陛下には、私から前もって連絡はしてあったから」


 リュートの挨拶を遮って、横からこの国へと彼を誘った元凶が口を挟んだ。

 見遣ると、住居の隅に設えられた席には、手を振る赤毛の女の姿。どうやら、この妻、先についてさっさと王とお茶を飲んでいたらしい。有角の民特有の茶器を口に付けつつ、さらに王に話しかける。


「私、陛下とは子供の頃から懇意にしてますもの。ねえ、おじさま」


 どうやら、一国の王を『おじさま』呼ばわりするからには、昔からの付き合いというのも、嘘ではないようだ。一方の王の方も、美しく成長した姫を前に、その顔をさらに緩ませる始末である。


「おお、姫。貴女とは、貴女がまだ子供の時よりのお付き合いです。いつでも、泊まりに来なさい。そのうち、貴女は個人の自由では行動出来ない身分になられるお方だ。今の内、存分にこの国を楽しまれたらよい。臣下に言って、あなた方夫婦の為のパオも用意しておいたから」


「ありがとう、おじさま。でもね、私も久しぶりの草原を楽しみたいのはやまやまなんだけれど。今はそんなこと、している暇はないのよねぇ。だから、早速、私を極秘図書館(ビブリオテカ)へと……」

「ああ、そうでしたな。では、すぐに」


 そう姫の要求に応ずると同時に、王は、その手を二三回、パンパンと打ち鳴らして見せた。すると、すぐに、入り口のドアが開いて、二人の人影が姿を現す。


「陛下……。参りました」


 まるで申し合わせたかのように、同じ消え入りそうな声音での、同じ台詞。一人一人の声があまりに小さく、尚かつ、一音もぶれることなく重なっているので、まるで、一人が話しているのか、と思うほどだ。


 だが、その不自然なまでの同調も、彼らの容姿をみれば、納得出来るというものだろう。

 何しろ、そっくりなのだ。

 まるで一人の人間が、二人に分裂したかのようなその同調性。


 その頭に、角がない事から、おそらく有角人ではないと察せられるこの二人。

 最初に目に付く特徴と言えば、まずは、髪だろう。二人が二人して、床に届く程に伸ばしている長髪。それが、驚くべき事に、真っ白なのだ。老人の白髪……というわけでは、なさそうだ。その容姿がまだ若い事から、どうやら生まれつきのものであろうと察せられる。

 そして、何よりも印象的なのが、その髪の間から覗く、ぴん、と先の尖った耳である。耳の上先に当たる部分が、異様なほどに伸びていて、その耳介部は、普通の人間の倍近くの面積となっている。

 だが、その印象的な耳とは対照的に、その顔はと言うと。


 一言で言えば、無個性、とでも言うのだろうか。

 とにかく、アクがない顔なのだ。男にも見えるし、女にも見える。十代にも見えるが、三十代にも見える。

 その顔の造形は、決して、不細工、と言うのではない。整った顔立ちなのだが、それがどうしても魅力的には思えないのだ。……そう、強いて言うなら、ありとあらゆる人間の平均値を取ったような――誰にも見えて、誰にも見えない顔、――そんな顔である。


 そして、その白髪と、印象の薄い顔に、さらにとどめを刺すように、彼らの全身は、真っ白の薄いローブで覆われていた。

とにかく、全身に色味がなく、風が一吹きすれば、あっという間に飛ばされるのではないか、というほどに、存在感がないのだ。


 まさしく、この原色文化の有角の民とは、対極に位置する民族。その正体について、リュートが問うより先に、ポイキオが答えを示す。


「彼らはね、長命族だよ。父上の客人として、ここで生活を共にしているんだ」


「……長命族? ああ、そういえば、結婚式にもいたな、確か。長命族というからには、……長く生きる民族なのか?」


「うん、でも流石に、何百、何千年とは生きないよ。大体、彼らの平均寿命は百才から百五十才ってとこかな。耳が尖っているのが特徴的だけど、もう一つ。彼らは、その多くが多胎で産まれてくるんだ」


 ……多胎。

 つまり、双子、ないしは、それ以上、ということだろう。なるほど、この同調性も納得できるというものだ。


「まあ、それでも彼らの妊娠率は低いから、多胎でも、長命族は数が少ない民族だよ。その上、大陸統一事業に置いて、帝国から色々迫害を受けたからね。さらに、長命族は稀少民族になっている」


 そう一通りの説明を終えると、ポイキオの手がまず、右に立っている方の長命族に向けられた。


「じゃあ、紹介するね。こっちが、双子の兄であるロロ。泣きぼくろが右にあるのがポイント」


 言われてみれば、よく見ると双子の顔にはどちらにも目の下に薄いほくろがある。右にいる人物は、右目の下。そして、左に居る方には、左目の下に。

 今度は、その左泣きぼくろの人物を見るように、ポイキオが促してくる。


「そして、こっちが双子の妹、トトだ。そっくりだけど、一応、性別は違うんだ。間違えないように」


 どうにも、身体をすっぽりとローブで覆われていて、身体の線が見えないからだろうか、彼らの性別判断がまったくつかない。男、と言われれば、どちらも男に見えてくるし、女と言われれば、女に見えてくる。

 そんなリュートの不思議そうな視線を受けて、ようやく、長命族の兄の方、ロロが口を開く。


「会う……、初めて。……有翼の民の王子……」


 今にも、消えてなくなってしまうのではないかと思わせるその弱々しい喋り方。とても男が喋っているとは思えない。

 そして、その兄に続くように隣の妹も、その水晶のように無色透明な瞳を、リュートの方へと向けてきた。


「噂……、聞いている。姫の……夫。姫が、……初めて迎えた、運命の、夫」


 こちらも、か細く、感情など一切ないような声音。本当に、兄妹揃って、耳元で大声出されでもしたら、あっけなく死んでしまうのではないかと思わせる線の細さである。

 だがそんな儚さの中で、ふと、異質な無骨さが、リュートの目に留まる。

 手が……いや、その手の中でも中指の第一関節だけが、ぼこり、と隆起していた。他の指はすらりと、白く滑らかであるのに対して、右手の中指だけが異様に盛り上がっているのだ。

 その奇妙な指の瘤が意味するものは何なのか。そして、そもそも、彼らを呼んだ意図とは一体……。


 耐えかねたリュートが、その旨を、ポイキオに問う。


「なあ、彼らの中指が異常に太いのは、どういう事だ? それに、この二人を呼んだと言うことは、彼らがお前の言っていた極秘図書館(ビブリオテカ)の管理人なのか、ポイキオ?」


「そう。彼らこそが、選ばれた者しか閲覧を許されぬ、奇跡の図書館の管理人」


「では、彼らがその、ビブリオテカとかいう図書館がある場所にまで案内してくれると言うことか? しかし、一体、どこにあるんだ? ここまで来るのに、それらしき建築物は一切見あたらなかったが」


 その、リュートから発せられた尤もな問いに、居合わせた王、王子、そして、姫からは、実に意味深な笑みが返ってくる。


「うふふ、ねえ、あなた。わざわざ、あなたを連れてきたんですもの。あなたも、是非とも極秘図書館の恩恵に与るといいわ。どちらかというと知識欲はあるほうでしょう?」


「それは勿論だが――、しかし、その図書館とやらがどこにあるのか、分からないようでは……」


 と、リュートがさらに眉間に皺寄せると。

 今まで消え入りそうだった双子が、その存在を誇示するように、ずい、と一歩前へ踏み出してきた。そして、先の声よりは幾分通る調子で、また同時に同じ言葉を紡ぎ出す。


「我らは、知識の継承者。……我らは、英知の守護者。……我らは、この、ビブリオテカの管理を許された、選ばれし双子」


「……『この』、ビブリオテカ……?」


 そうリュートが反芻するのも無理はない。

 何しろ、ここは草と空と、家畜しかない草原のパオの中。それらしき図書など、一冊も見あたらない。

 あるのは、ただ、王の身の回りの家具や雑貨、そして、居るのは、嫁と有角の国の王子と王、奇妙な双子……、そして、自分。


 それだけしか――。


 そう、リュートが内心で疑問を漏らす内に、さらに双子は前へと進み出て、言う。


「我らは、受け継ぎ、守り、管理せし双子、ロロとトト。……我らは、知識。我らは英知。我ら二人の真の名は『ビブリオテカ』」


「……『我らは、ビブリオテカ』? それって、まさか――」


「そうよ、あなた」


 夫の内心を悟ったかのように、妻が、ようやく、その答えを示す。



「彼らこそが、極秘図書館、ビブリオテカの管理人にして、その極秘図書館そのもの――。ありとあらゆる何千、何億もの書物を、その記憶に蓄えている生きた図書館。……そう、彼らこそが」



 ……この大陸の至宝、極秘図書館(ビブリオテカ)



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