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第九十八話:大樹

 天幕を捲れば、外はもう、紅一色に彩られていた。

 

 地平線に沈まんとする圧倒的な、その光。

 それは、この世の有りとあらゆる物を、否応なく、自分の色へと染め上げる。――そう、空の青も、大樹の深緑も、そして、リュートの白羽も例外なく、すべて血のような、赤に。

 

 ――赤。

 

 その妖艶な色に、リュートが思い出すのは、先に驚愕の事実を語った雌蟷螂の唇だった。

 

『ルークリヴィルの奇跡』の事実。そして、母娘の野望。そして、捕虜ロンヴァルドの企み。

 

 語られた全ての事実を、その胸にもう一度飲み込むと、リュートは何か決意したように、深く頷いた。そして、一人、女将軍の天幕から、翼を羽ばたかせて、天を翔る。

 眼下には、夕日の朱に染められた無数の天幕に、飛竜。おそらく、その中心にある巨大な天幕の内では、今頃、酒宴が開催されているに違いない。あのリュートの妻、エリーヤを盟主に据えた、秘密裏な愛酒連合の祝宴が、である。

 

 だが、そんな祝宴に、今のリュートの興味は少しも有りはしなかった。その背の白羽を即座に翻し、一人、第三軍の宿営地から離れ、首都エントラの中心へと向かう。そこにそびえ立つは、言わずもがな、この国のシンボル――エントラの大樹。

 

 その様は、まさに、城。

 幾重にも絡み合った幹に、天の恵みを余すところなく受け取らんとするように、四方に伸びた枝葉。その全てが、――圧巻。その一言に尽きる。

 そんな大樹を舐めるように観察した後、リュートは背の羽を、ばさりと畳んで、大樹の枝の一つへと着地した。そして、そこに腰を落ち着けると、改めて、地平線に沈まんとする夕日に目を向ける。

 

 この圧倒的な、赤。

 何処にいても変わりがない色だな、と、再び、リュートは嘆息する。

 遠い異国にいるというのに、あの故郷でいつも見ていた色とまったく違いがない。父が戦争に行ってしまい、代理として街の風見職を勤めていた頃の、あの幼い日と同じ夕暮れの赤だ。

 その懐かしい色に、自然、リュートの手が懐へと伸びる。

 そこから取り出されたのは、一本の横笛だった。あの風見の塔でいつも吹いていた、懐かしい笛。その年季の入った風合いに、嫌でもあの日の事が脳裏に蘇る。

 

 ――『やったぜ、リュート! 大勝利だ! 終戦だ!』

 

 そう言って駆け込んできた幼なじみ、レミル。あの戦勝の報告に、一体どれだけ胸を躍らせただろうか。

 ……父様が帰ってくる。また、母様と三人の、楽しい食卓が、帰ってくる。

 

 だのに。

 現実は遙かに厳しくて。その当日に母は惨殺され、父も遺骨となって戻ってきた。それだけで、もう、少年だった自分の心が死ぬには十分すぎた。

 

「父様……」

 

 あの、自分の心を打ちのめした父の死が。

 英雄として祖国を救ったはずの父が。

 

 いいや、父だけではない。この自分の歩んできた道も全て、全て。

 

 雌蟷螂一匹の言葉によって、ひっくり返された。

 あの父が成した功績も。そして、この自分が成した事も、全て、である。

 

 

「――あなた」

 

 

 父に思い馳せていたリュートの耳に、突然、聞き飽きたほどの声が、届く。

 勿論、彼の事をこう呼ぶ女は一人しかいない。

 

「エリー……」

 

 躊躇わずに、リュートがその名を呼び、顔を上げれば、茜色に染まる空を背景に、一体の竜騎士が現れていた。

 

「お母様に、あの場は任せてきたの。ねえ、隣、座っていい?」

 

 そうにこやかに問いかけるや否や、愛竜シルフィの手綱を駆って、赤い竜騎士がリュートの座る大樹の枝へと身体を寄せる。そして、あろう事か、手綱を離してと、えいやっ、と竜の鞍を蹴って、枝へと飛び移ってきた。

 いくら愛竜が控えているからと言っても、この大樹の高度である。翼もない身体で、もし足を滑らせたら、どうするつもりなのか。その無茶に、あきれ果てたように、リュートが侮蔑の視線を向ける。

 

「本当に無謀な女だな。そんなことで……」

 

 ……女帝になんか、なれるのか。

 

 そう言い淀んだリュートの台詞の先を、妻は、余すところなく理解していたらしい。うふふ、と蠱惑的な笑みを見せると、夫の方へとにじり寄ってくる。

 

「聞いたのね、お母様から。私が本当に欲しいものが何なのか」

「……ああ」

 

 夕日に照らされて、尚、赤々と燃え立つ目の前の瞳。その瞳の奥を見定めるようにしばし見つめた後、リュートは近づく妻の手を乱暴に振り切った。そして、一定の距離を保った後、宣戦布告でもするかのように、毅然と言い放つ。

 

「認めないぞ。僕は、絶対に認めない。お前みたいな女が人の上に立つなんて、僕は絶対に認めないからな」

 

 リュートにしてみれば、認められるわけがないのだ。

 傲慢で、身勝手で。高飛車で、人の事なんて構いもしない。そして、何より、あの祖国を踏みにじった女だ。

 

「お前、自分が元老院の神託から逃れ、このクーデターの好機を待つためだけに、僕の国に来たんだってな」

 

 感情の一切こもらぬ問い。それに妻からは平然とした答えが返ってくる。

 

「ええ。そうよ。私はあなたが南部熱に罹って動けないのをいいことに、ガンゼルク城を攻めて、兵士らを殺した。それだけじゃない。あのサイニーとの平原の戦で、後からしゃしゃり出てきて、有翼軍を焼き殺したわ」

「……よく分かっていらっしゃるようで、結構だな、『奥さん』」

 

 静かだが、明らかな嫌悪を乗せて、夫は妻をそう呼んでみせる。だが、妻はそれに、毛ほども表情を揺るがせる様子はない。

 

「ええ。私は、自分のためにあの国に行き、元老院から逃れ、女帝の地位を得るために、あの聖地を欲した。その事実に間違いはないわ。だから、特に弁明も自己弁護もない」

 

「――開き直る気か」

 

 今度は、夫からの冷徹な一言。それに対して、今度は、妻がゆっくりと、そして深く頷きを見せる。

 

「そうね。開き直ってるわ。私、この国を変えようと思った時から、ずっと開き直っているもの。そうでもしないと、私の望みなんて叶いそうもないから」

「……お前の、望み? ああ、女帝という権力か。大したもんだな。権力のために人の国を踏みにじって平気なんだから」

 

 心の底からの、ありったけの夫からの侮蔑。それに対して妻は、ただ淡々として、持論をその口から語り出す。

 

「そういうものよ。哀しいけれど、権力ってそういうもの。人を欺いて、踏みにじって、ようやく手に入れるもの。違う?」

 

 内心では、違う、と言いたい。だが、リュートにはそれを真っ向から否定することが出来ない。

 何故ならば、かつての宮廷での権力闘争の経験が、嫌でも、厳しい現実を彼に語っているからだ。そう……、ただおとなしく待ってたって、権力は転がり込んでは来ない。よしんば、転がり込んできたとて、おとなしいだけの子供なんぞ、ただ権力を狙う毒蛇共に利用されて終わるだけだ。それが耐えられないと思ったからこそ、あの王都では、敵を欺き、自分で勝利を手繰りよせた。その事が間違いだったとは、思わない。……だが。

 

「何かを成すには、権力がなくては。権力がないなら、どんな手だって用いて奪わなければ。……あなたは、そうは思わない?」

 

 静かに語られた、女の宣言。

 一方で、夫は、それに言葉を返すことはしない。ただ、静かに、目の前の炎の瞳を、その碧の双眸で見据え続ける。

 

「私はね、リュート。幼い時から、ずっと疑問だった。私は、一体、何の為に存在しているのかってね」

 

 ……特に、毎日何もせずとも給仕される食事の折に、よくその疑問を抱いていたわ、と妻はかつての思いを語る。

 

「私の周りの女騎士達は、命を賭けて働いて、やっと食っているのに、私はどうして何もせずともご飯が食べられるのかしら。どうして、何もせずともいい服や、環境が与えられるのかしら。私は、いつも、その問いをお母様やキリカに問うてきた。でも、二人から明確な答えは返ってくることはなかったわ。二人とも、いつも返す言葉は一緒。――『自分の食べる食事の意味くらい、自分で考えろ』とね」

 

 その意味を、彼女は幼いなりに理解しようと試みた。そして、思い当たった答えは、実に簡単だったと言う。

 

「私の食事は、他でもない私の同胞からの税金に他ならなかったわ。皆が戦い手に入れた国で、汗水垂らして働いたお金を、姫という身分の私は食って生きている。その事に気付いたとき、私、……屈辱だったわ」

 

「……屈辱? 意外だな。お前なら、美味い食事も、いい衣服も、私に与えられて当たり前なの、とでも言いそうなのに」

 

「あら、失礼ね。確かに、私は美味しい食事も、綺麗な衣服も好きだけれど。でも、……考えても見なさいよ。何もせずに食わせてもらうなんて、そこらの愛玩動物と一緒よ。仕事もせずに、誰の役にも立てずに食える。そんなことは、私にとって、特権でも何でもないわ。ただの、怠惰。そして、甘えよ。だから、私は、いつも考えていた。この税を払った民衆達に、何か報いることはできないか、いいえ、報いるべきなのだ、と」

 

 それから、彼女は、自ら率先して、色々なことを学んだと言う。母から、騎士達から、民衆から、そして異民族の友人達から。そして、辿り着いたのが、次のような答えだった。

 

「この国には、やはり改革が必要。でも、あの馬鹿なお兄様では無理。ならば、代わりに私が皇帝になって、この国を未来へと導いていこうとね。そして、その為なら、如何なる泥でも被ってやろうと」

 

 到底、納得出来ないような妻の返答に、自然、リュートの眉間に皺が寄る。だが、そんな夫の眼差しにも、赤い瞳は少しも揺るぐことはなかった。その母譲りのたっぷりとした唇の端を緩めると、また堂々とその持論を語り出す。

 

「いいこと? 私は、皇帝の娘として産まれるべくして産まれたの。この国を統べる為に私は産まれたの。私はただお飾りになって、兄との子を産むなんておぞましい事の為に産まれたんじゃないの。私はこの国の民の税を喰って育った女。私はこの国を守るべき将軍の娘として産まれた女。ならば、その責務に置いて、この国を正しい方向に導くのが私の役目。この身一つすべて、この国の為にあるの。だから……」

 

「だからって、人の国を踏みにじって許されるというのか」

 

 短い言葉で、リュートは妻の持論を叩き落とす。

 哀しいかな、歴史には戦が付きものだ。それは、痛いほど、リュートも分かっている。

 だが、そう分かってはいても、彼にしてみれば、許せるはずがないのだ。いつも、脳裏には、死んでいった大切な人々の姿がある。彼らの事を思えば。

 

 どれだけの理由があったとしても。どれだけの事情があったとしても。どれだけの覚悟があったとしても。

 人殺しは罪だ。

 許されるものではない。

 

「ええ。許されない」

 

 リュートの言葉を量ったかのように、妻が明言する。

 

「だから、私は許しを求める事なんてしない。サイニーのように綺麗な理想で誤魔化すことも、元老院の様に神の救済を求めることもしない。ただ、自分のしたことを偽りなく見つめ続けて生きていく。どれだけの人間が私を詰ろうとも、どれだけの人間が私を誹謗しようとも、どれだけの人間から恨みを買おうとも、私はこの生を全うする。そして、この国の咎を全て被って、私は帝位に昇り、信念を貫く。それが、私の責任だから」

 

 その言葉に、リュートが思い出すのは、いつかの平原の戦で、この女から罵倒されたあの台詞だった。

 

 ――『人の命預かって、人の命奪うんだったらね、自分だけ死ぬなんて言うんじゃないわよ! 雌豚と罵られたって、どれだけ恨まれたって、泥でも血でも被ったって、生きる覚悟しなさいよ!』

 

 ああ、あの言葉の真意は。

 

「だから――、僕にあんな事を言ったのか」

 

 忌まわしい、あの平原の戦の顛末。

 腕の中で、失われ行く少年の命。そして、この女からの罵倒と蹴りが、何よりも、あの戦場で、狂った生き方しか選べなかった自分を、激しく責め立てたのだ。

 

「……あの戦で、私にあんな事が言えた義理じゃないというのは、重々承知はしていたけれどね。あなたには、言ってやりたかった。一度私の心を激しく掴んだあなただから、私は余計にあなたに腹が立ったの。私が欲しいと思った男は、この程度なのかって」

 

 女の手が、再び、リュートの喉元へと伸びる。

 

「覚えている? 私とあなたが初めて会ったあの時のこと。私、あなたと出会う前に、ロンからあなたの噂を聞いていたのよ。『白羽の美形ちゃん』。お兄様とサイニーを一度打ち破った男だってね。その時、私、あなたが欲しいと思ったの」

「……『欲しい』って、一度も会った事もないのにか」

「そうね。でも、私、ずっと探していたの。あのハーレムに相応しい美形ちゃんをね」

 

 その言葉に、リュートが思い出すのは、あのグラナ邸で出会い、この大森林まで連れてきている有翼の民の女達の存在だった。

 殺処分にされるところをこの女とその母に救われ、繁殖の為のハーレムと偽って庇護されている彼女達。その存在に、自然とリュートの声音が怒りの色を帯びる。

 

「そうだ。彼女達の事も教えるという約束だったな。一体、彼女達を庇護しているのは何の為なんだ。いい加減教えろ」

 

 言わぬなら、力ずくでも、と言いたげに、リュートは首もとに巻き付いていた妻の腕をねじ上げる。だが、妻は、その行動に、眉一つ動かさずに、……そうね、無事、調印式も終わったことだし、もう教えてもいいかしら、と言うと、夫の問いとは、かけ離れた返答をして見せた。

 

「ねえ、私達、紅玉騎士団の女達は、何故戦っていると思う?」

 

 今、話していることにまったく関係がないような、その質問。

 本来なら、家庭にて子を産み育てるはずの女が、何故戦場に出るのか。それは、哀しいこの国の歴史に起因していると妻は言う。

 

「私達、リンダール帝国は、元々が国のない民。だから、国を得るためには侵略をするしかなかった。戦って、人の国を切り取って領土を得て、そこに入植する。そんな民族の女に、ただのうのうと後ろで子を産むなんて出来なかった。子を育てようにも戦場でどんどん男達は死んでいく。必然、子を抱えて路頭に迷う寡婦達で溢れかえるわ。そして、そんな一番弱い立場の人間は、当然報復への対象として格好の標的にもなる。それを解消するために、結成されたのが女達だけの騎士団――、紅玉騎士団よ」

 

 ……つまり、寡婦達の保護と、寡婦達自身の労働の場の確保、という目的があの騎士団にはあるというのだ。寡婦として女手一つで家計を支えるために、自ら騎士となって、報酬を得て、さらにその手で、他の寡婦の安全を守る。まさに、女による女のための自立、自衛騎士団。

 あの女騎士達に、そんな歴史があったとは。道理で、あのグラナ邸には、女騎士達の子供が多く居た訳だ、とリュートはかつての子守の意味を理解する。

 

「おまんま喰いたきゃね、女だろうと何だろうと男並みに働かないと喰っていけないのよ、この国は。何にもしない者を無償で助けてくれるほど、世間は甘かないのよ。だから、あのハーレムの有翼人の女達も……」

「ちょっと待て。そもそも彼女らは、お前が進んで引き取ったんだろうが。一体、どうして、彼女たちを助けた……」

 

「――助けたんじゃないわよ」

 

 全てを断ち切るように、冷徹な女の声が響く。

 

「慈善で人助けが出来るほど、今の私には権力も金もないのよ。私は所詮、税金で喰っている身だからね。税金も払わない有翼人の事を無償で助けてあげるなんて出来ないの」

「……では、何の為に彼女らを……」

 

 些か、動揺を滲ませるリュートのその問いに、さらに妻は断ずるように答える。

 

「決まってるでしょ。私の望みは一つ。……クーデターの為よ」

 

 ……クーデターの為。

 確かに些かもブレのない妻の望み。その言葉を口にした後、さらに、妻は核心とも言える問いを口にしていた。

 

「ねえ、あなた。あなたは、もし、このまま私がクーデターを起こして、なんの苦労もなく政権奪取が出来ると思う?」

 

 それは、リュートも考えていた疑問だった。クーデターを起こして、あの皇帝が、はい、そうですか、と言うはずもない。そして、帝都にいるガイナス将軍も黙ってはいないだろう。余程上手くやらない限り、武力衝突は避けられないのではないか。

 そうなった時に、果たしてこの女の配下、紅玉騎士団と第三軍だけで、あの暗黒将軍に勝てるだろうか。帝国最強を謳われる暗黒騎士団と、そして帝国第一軍に。

 

「勿論、私だって、極力、武力衝突は避けたいわ。仲間内で争ったって仕方がないもの。でも、その仲間を制するには、それなりの武力がなければならないのも事実。だから、私は考えたの。ガイナスを出し抜けるだけの武力が欲しいとね」

「武力だと……?」

「そう。でも、それはこの大陸にある属国の力を借りるわけにはいかないというのは分かるわね? もし、ここで属国の力を借りて、私が女帝になったら、その力を貸した属国が恩を笠に着て、権力を伸ばしてくるのは必定……。無論、これからの帝国のことを考えれば、属国の地位向上は避けては通れない問題だけど、でも、武力を貸した国だけがやたら大きな顔をされるというのも避けたいの。だから、私は今、属国に武力的な協力を求めず、クーデターの隙に乗じて反乱を起こさない、という言質(げんち)だけ取った」

 

 それは、分からぬ考えでもない。自国の政権交代に、他国の力を借りることが如何に危険かは、単一民族国家でしか暮らしてこなかったリュートにも分かることだ。

 

「そこで、私は考えた。この国の覇権に関わらない勢力なら、力を借りてもいいんじゃないかと。そこで思い当たったのが、貴方達、有翼人奴隷」

 

 単体で空を飛べて、そして、この大陸の領土を切り取らない民。そうか、その奴隷なら。

 

「そこで、私は密かに、私のクーデターに協力してくれる有翼人奴隷を求めた。でも、有翼人は単体で空を飛べるという特性から、竜騎士を脅かす者として個人の大量所有が許されていなかった。加えて、一人一人が高額。とてもではないけど、大量購入は出来なかった。だから……」

「だから、処分される彼女らに目を付けて……」

 

 リュートの脳裏に、グラナ邸で出会った女達の姿が思い起こされる。

 

「そう。前に言ったとおり、女という性を、子を産むだけに利用され、殺されそうになる彼女らに、私と母が、同じ女として同情の気持ちを抱いたのは事実。でも、それだけじゃ、彼女らを養う理由にはならなかった。彼女らを庇護したのは、彼女たちがタダ同然で手に入る有翼人だった事に加えて、何より、私と母が、彼女らを始めとした有翼人奴隷に、戦力としての協力を求めたかったから。いざというとき、ガイナスを出し抜ける為の切り札としてね。でも、そんなこと、公にするわけにも行かなかったから、繁殖の為のハーレムと偽って、彼女らの所有を元老院に認めさせた」

 

 ……戦力としての協力を求めるが故の、救済。

 

 それに、有翼の民の男であるリュートが、納得出来るはずがない。

 なにしろ、有翼の国では、女は非戦闘員だ。まして、拉致され、辛酸を舐めてきた彼女たちに、戦え、などと……。

 

「お前……。エリー、……なんて事を。元々が彼女らを拉致した帝国人の分際で、お前がよくもそんな事……」

「私は、拉致してないわよ。私が拉致した奴隷は、あなたとあなたが連れてきた狐ちゃんだけ。彼女らを拉致したのは、馬鹿なお父様か、お兄様のせいよ」

「責任転嫁する気か。同罪なんだよ、お前も。それを、いけしゃあしゃあと、私は関係ないもの、ってか。大した性悪だな」

 

「……性悪なら、お互い様でしょう?」

 

 リュートの罵倒を愉しむかのように、妻が答える。

「じゃあ、聞くけど、今の私が、彼女らに謝ったら何かが変わるの? 彼女らの気持ちが、ほんの少し救われるだけよ。現状は何も変わりはしない。彼女らは変わらず、奴隷。私はただの無力な姫。何も変わらない。私は、彼女らに何の責任も取れはしない」

 

 そう言いつのる女の目は、相変わらずに、凛とした色を帯びていて。

 夫からの視線を、真っ向から受け止めて、さらに言い放つ。

 

「だからこそ、変えなければ。彼女らの拉致について、私が同じ女として同情の気持ちを抱き、帝国の成した政策が、人道に(もと)ると思うのなら、私が、それなりの地位に就かなければ、何も変えられないのよ。だから、生活を援助する代わりに、彼女らに要請した」

 

 ―― 一つ。彼女ら自身が紅玉騎士団宿舎において、戦闘訓練を受けること。

 ―― 一つ。各地に散らばる有翼人奴隷と接触し、彼らの協力を得ること。

 

 その、妻が有翼人の女達に向けた要求内容に、ようやくリュートはあのグラナ邸での出来事を理解する。

 確か、帝都の館にいたあの時には、奴隷であるはずの女達が殆ど出払っていて、リュートは子守ばかりさせられていた。その理由は、女達が訓練、及び、他の奴隷達と接触の為に外出をしていたからだったのだ。

 

「……私達はね、リュート」

 

 珍しく夫の名を呼んで、妻がさらに詰め寄る。

 

「私達リンダール人の女はね、戦うことを選んだから、今、ここにこうしていられるの。自分たちで助かろうと足掻いたから、私達はここに立っていられるの。女という力では劣る性への蹂躙に、抗う道を選んだから、私達は自分で自分が守れるの。神だろうが皇帝だろうがね、自分で自分を助けようともしない人間を助けているほど、暇じゃないのよ」

 

 国も、そう、と妻は言い放つ。

 自分たちがいくら慎ましやかに暮らしていたって、そこに利権があれば、大国は権力、武力ありとあらゆるものを振りかざして、弱国を蹂躙する。その虐げに自ら逆らえる者だけが、この大陸で生き残って来られた。

 それが、雑多な民族が暮らすこの大陸の歴史。一体、それの何処がおかしいのか、と。

 

 だが、そんな論理がリュートに通用しようはずもない。

 これが自分たちの常識です、と大鉈振り上げられたとて、簡単に、はい、と納得などできるものか。

 

「……だからって、非戦闘員だった彼女らに戦えなんて、暴論だろう。戦うと言うことは、死と隣り合わせだと言うことが分からないお前じゃないだろうに。お前に、彼女らに命を賭けろなんて言う資格はないんだ」

「何とでもお言い。言ったでしょ、開き直っているって。私は女帝になるためなら、どんな手でも使うのよ! この国を、……滅ぶこの国を少しでも救うためならね!」

 

 ……全ては、自国の未来の為に。

 この女はそれしか考えていないと、改めて、リュートは思い知らされる。

 崩れゆくこの国が、少しでも生き残る為に。ただ、責任ある自国民のために、この姫の身分にある女は、ただ前だけを見つめて。

 

「私は生粋のリンダール人よ。有翼人の権利より、自分の国の未来を取った。それの何がおかしいの。私を喰わせてくれた民族を、余所の民族より優先して、何がおかしいの」

 

 どこまでも、女の目は揺るぎなく。夕日を受けて、まるで炎のように燃え立って。

 

「それで、……あの女達は、日々の暮らしを提供される代わりに、お前の言う条件を飲んだ、というわけか」

 

 赤々と艶めく癖毛を揺らして、妻は、夫の言葉に首肯する。

 それでも、リュートには納得が行かない。いくら命を助けられ、生活を援助してもらっているとしても、彼女らがそんなに簡単にこの女に協力するわけがないからだ。彼女は、自分たちを拉致したリンダール人である。いくら彼女が手を下した訳ではないと言っても、彼女は同類なのだ。憎むべき、リンダール人なのだ。

 その旨を問うと、またしても妻からは、平然と答えが返ってくる。

 

「あなたが思っていることも、尤もよ。でもね、あなた、マダム・シェリーから彼女の経歴を聞かなかった? その時、おかしいとは思わなかったの?」

 

 ……マダム・シェリー。

 確か、最初の侵攻の折に連れ去られ、十三年間この国に留まらされていたという、あの林檎のような体型の婦人の事だ。

 

「ああ、聞いた。お前らは、まだ若い彼女を勝手に連れ去って……、十三年も彼女の権利を奪い取って……」

 

 ……十三年。

 

 その言葉を口にしたリュートの内心に、ふと、何かが引っかかる。

 

 確か、あの『ルークリヴィルの奇跡』で、皇帝虜囚されたのは今から八年前のことだ。だのに、何故、敗北を喫し、賠償金まで支払った帝国が、それ以前に拉致した有翼人を何故返還しなかったのか。あの不可侵条約締結の折に、どうして彼女らを国に返すことを、有翼の国は求めなかったのか。

 

「彼女らはね、あなた達の国に、見捨てられたのよ。……賠償金と、不可侵条約締結という破格の戦勝の前に、無い者として、切り捨てられた」

 

 そう言えば。

 希少種、なる単語をリュートが知ったのも、南部に遠征に行った時だった。その事実から推察される事柄、それは……。

 

「帝国は、一旦、あなた方の国から手を引くことを決めた。でも、産業の乏しい帝国にとって、有翼人奴隷売買の占有という甘露はどうしても手放したくなかったのでしょうね。だから、有翼の国での新たな奴隷獲得が出来なくとも、今ある奴隷だけは何とか返したくないと望んだ。だから、あなた方に破格の条件を与える代わりに、拉致した奴隷についての追求をさせなかった。つまり、拉致した有翼人は、みんな死にました、だから返せませんとの返答をしたのよ」

 

「何だと……」

 

 あの輝かしい奇跡の裏に隠されていた、さらなる黒い歴史。それに、自然、リュートの口元が歪む。

 

「あなた方の国は、当時も、私達帝国という外敵に向かいながらも、四大大公だとか、七大選定候だとか、下らない権力争いでお忙しかったようね。あんな駄国にはなるな、とお母様はよく言っていたけれど――、内紛も抱えると、とりあえず、外敵の脅威から何とか逃げたかったのでしょう。まして、帝国は鋳造技術等も上の大国。その大国を敗北させたという奇跡の前に、生きているかどうかも分からない平民達より、これ以上の犠牲を出さない不可侵条約を取った――、そう言う事よ」

 

 つまり、切り捨てられたのだ。

 これ以上の犠牲をあの国に出さない為に、彼女ら拉致奴隷は、祖国から切り捨てられたのだ。

 ああ、だから。

 

「彼女らは、良く知っている。祖国は、何も助けてはくれないと。大多数の安寧の前に、少数の不幸はいつも切り捨てられる。ならば、自分たちの力で、今の逆境を切り開くしかない。その為に、何をしなければならないか。彼女たちはきちんと考えてくれたわ。そして、私に協力して、戦うと決めてくれた。……それだけの事」

 

 同胞に見捨てられた彼女らが、一体どんな思いで、この国でその手に武器を取って、生きることを決意したのか。あの有翼の国にいたら、一生、手に取ることなど無かったであろう剣を携え、鎧を纏って。人を殺し、自らも殺されるかもしれないという戦場に臨むかもしれないというのに。

 その、女達の運命を思うだけで、リュートの心に、ずしりと、重い枷がかかる。

 一方で、妻は、自ら武器を持って生きる道を切り開くことを選んだ、有翼の民の女達へ向けて、これ以上ない親愛の表情を、その口の端に覗かせていた。

 

「私、そんな彼女たちがとても好きよ。女が生きることに貪欲でなくて、どうして子が産めるかしら。女がしぶとく生きなくて、どうして命が繋がってゆくかしら」

 

 嘘のない、その表情。

 彼女は、本当に、愛おしいのだ。異民族ではあっても、同じ女として、泥も血も被って、恨みも飲み込んで、それでもしたたかに生きる道を選んだ女達が、本当に、愛おしいのだ。

 

「でもね、やはりそうやって彼女らに協力を得ても、まだ問題があった。いくら紅玉騎士団に戦い方を習った所で、所詮はずぶの素人の女。そして、有翼人という特殊民族は、どうやっても私達紅玉騎士団には訓練しきれない。そこで、私は考えた」

 

 そこで一言、言葉を句切り、妻は、再び視線を夫の双眸へとまっすぐに戻す。

 

「有翼人で、彼女らを統率する優れた指導者が必要。ならば、有翼の国で戦闘員である男なら、その任に適しているのではないか、と」

 

 その言葉に、リュートの脳裏に思い起こされるのは、グラナ邸でマダム・シェリーなる婦人から聞かされたハーレムでの顛末だった。そう、確か、あの女達のご主人様として、迎えた男が、彼女らに暴挙に及んだとか言う……。

 

「……まさか。あのハーレムに男を入れたのは、繁殖目的のカムフラージュだけではなくて、その指導者になって欲しいという目的あってのことか」

「そう。その通りよ。でも、少し私の目論見が甘かったわね」

 

 本来ならば、と、妻が言葉を句切って、忌々しげに、予測した未来を語り出す。

「同胞である女達を助けた私に、有翼人の男達は協力してくれると思っていたのだけどね。これが、馬鹿揃い。抑圧された奴隷生活から一転して、ハーレムの主人になったのが、そんなに嬉しかったのか、大森林に遠征に行っていた私が、男達に詳細を話す前に、彼女らを手込めにしてしまった。彼らは、同胞だと言うのに、……自分から戦おうと覚悟を決めた女達を、物として扱ったのよ」

 

 ……許せない。

 私の可愛い女達を。私の大事な兵士達を。

 同じ女として。そして、彼女らに戦いを強いた者として、絶対に許せなかった、と彼女は語る。それと同時に感じたのは、自分の不覚だったと言う。

 

「悔いてはいるわ。彼女たちに、結果的に酷いことを強いてしまった、……私の浅慮だった、と。まさか、同胞の男が、同族の女を踏みにじると思わなかった――、そう言ってしまえば、簡単だけれど。でも、あの男達を売り払ったって、処刑したって、彼女らに報いられたとは思わない」

 

 そう自身の予知不足を悔やみながら、尚、女の瞳からは光が衰えなかった。

 

「私が真に彼女らに報いられるのは、私がそれなりの地位に就いてからしかない。その為のクーデターには、やはり、優れた有翼人の指導者が必要。そう思っていた私に、元老院から、お兄様との結婚とかいう馬鹿な神託の話が転がり込んできた。本当に、あの馬鹿共、片っ端から、その首刎ねてやろうかと思ったんだけど――そこで、私は同時に、思ったの」

 

 今、サイニー将軍が遠征に出ている有翼の国なら、流石に元老院の力も及ばない。大森林での暴動が収まるまで、時間稼ぎの為にかの国へ行こう。そして、あわよくば、能力のある有翼人の男をかっ攫って、ハーレムの主人にしようと。

 

「……だから――」

 

 ――『この私のハーレムに相応しい男を連れてきて上げるわっ! そうね、私が惚れるくらいの、とびっきりの美形で紳士な希少種ちゃんをねっ!』

 

「そういう事。ま、美形の希少種がいいって言うのは、単なる私の趣味だけど――、そう彼女たちに告げた後、ハーレムの女達を帝都に残し、私は紅玉騎士団と共に、あなたの国に行った。そして、私の役に立ってくれそうな有翼人の男を見繕おうと、一人、エルダー城を抜け出したの」

 

 そう算段していた所に、引き留めに付いてきたロンから、サイニーを打ち破った美形の希少種、リュートの話を聞かされたのだと言う。

 

「サイニーを一度破った男。そんな男は帝国にだって、殆どいやしない。何て、戦の才がある男なのかしら。そして、私好みの白羽の美形ちゃんだなんて。話を聞くだけで、ああ、あなたしかいないって思ったわ。あの、ハーレムのぴったりの男はね」

 

 そして、竜の産卵という思いがけないアクシデントのおかげで、出会ったのだ。

 この、女帝の地位を狙う炎のような女、エリーヤと、復讐に駆り立てられた英雄、リュートという、運命の二人が――。

 

 そして、あの男。

 糸目の奥にしたたかに野望を隠したロンヴァルドという男までも巻き込み、運命の歯車が動き出した。


 ……ぎしり、ぎしり。

 狂った音を響かせて、やがて歯車は彼らを謀略と狂気と哀しみの入り交じる戦場へと導き、数々の男達の信念と死をも飲み込んだ。

 

 そして、辿り着いたのが、この大樹での、運命の二人の対峙だった。

 

 あの時、出会わなければ。

 あの時、見つめ合わなければ。

 

 こうして、憎しみと計略に満ちた夫婦になることも、なかったであろうに。

 

「エリー……、お前……」

 

 夫の呼びかけと共に、さわり、と夕暮れの風が夫婦の間を吹き抜ける。

 湿って、薄ら寒くて。なんて、自分たちに相応しい風だとリュートは思う。

 今の自分たちの間には、信頼も、愛情も、何もありはしない。ただただに、嫌らしい、運命、それだとしか――。

 

「あなた」

 

 それでも、妻の瞳からは、赤い炎が衰えず。

 静かに、そして、真摯に夫の名を呼んでくる。

 

「リュート。もう、分かるわね? 私の望み」


 この女が、その瞳に見続けてきたもの。……それは。

 


「私と一緒に来て。私が女帝に成るために。……そう、つまり。私と一緒に――」

 


 ……戦って。

 


 静かに、妻の欲望が、大樹を揺らす風に乗せられていた。

 


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