プロローグ
それは、劇的な勝利だった。
激戦を制した兵士達から、次々と歓喜の雄叫びが上がる。
――我ら、ミラ・クラースの勝利だ!
――リンダール人共、自分の国へ帰れ!
――お前らは、そうやって地に這いつくばっているのがお似合いだ!
上空に燦々と輝く太陽を背に、勝ち鬨の声を上げながら、兵士等はまるで敗者に見せ付けるかのように、背中の羽を羽ばたかせた。
ばさり、ばさり、と印象的な羽音が、生々しく血の臭いの漂う戦場に、響き渡る。眼下に、敗者であるリンダール兵を見下しながら、彼らの歓喜の飛行は止まることはない。
一方で、はるか上空から、その様な嘲笑を浴びされながらも、リンダール兵は黙って、地上から彼らの飛行を睨め付けることしかできなかった。
ぎりっ、と悔しげに唇を噛みしめるその背後で、ふと、……クウゥ、と苦しげな鳴き声が、一つ、響く。見遣れば、つい先ほどまで彼をその背に乗せて、空を翔ていた飛竜が絶命の時を迎えようとしていた。
彼の飛竜だけではない。
周りには同じ飛竜が、そしてリンダール兵が、泥と血に塗れ、静かに横たわっていた。一騎でミラ・クラースの有翼兵十人に匹敵すると言われた竜騎士団。それが、見るも無惨に全滅していたのである。
こうなれば、もはや翼を持たぬリンダール兵に、空を翔るすべは残されていない。
――我らが全能の神、ディムナよ、これもまた試練なのですか。
その小さな呟きと共に、泥と血に汚れた地に、がっくりと、兵士の足が折られていた。
リンダール兵らの全面降伏宣言を受けて、戦場となったルークリヴィル城には、一際大きな歓声が響き渡る。そして、歓喜に湧く有翼の兵士らが、一心に見つめる、この城の主塔のその先。
そこには、一人の兵士がいた。
太陽を背に、黄金の翼が描かれた旗を高く掲げている。
白銀の鎧を纏い、その背に美しい白い翼を羽ばたかせたその男は、塔の頂上に掲げられていた紅の竜旗を打ち棄てると、自分の持っていた旗を塔の頂上へ勢いよく突き立てた。
――ミラ・クラース万歳!
――白の英雄万歳!
この日一番の手柄を立てたこの英雄に、共に戦った戦友達から惜しみない称賛の声が送られる。
「お前の隠し刀は、余の期待以上に働いてくれたようだな、大公よ」
その様子を城外より眺めていたミラ・クラース国王は、そう脇に控えていた男に呟いた。その言葉に、大公と呼ばれた男は国王に向かって恭しく頭をさげる。
「何をおっしゃいます、陛下。今度の戦いは陛下の親征なしには成功しませんでした。誠に祝着に存じ……」
「世辞はよいわ。この勝利はあれの手柄だと、皆の声が語っておる」
国王は、そう大公の言葉を断じながら、到底、国の長たる王に似つかわしくないような自嘲の表情をして、目を伏せた。それも無理からぬことである。
南洋の遙か向こうの大陸より、リンダール帝国軍が、ミラ・クラース王国最南端のイヴァリー半島へ侵略、占拠して五年。
国王軍、及び諸候軍は、リンダール帝国の竜騎士団に、長きにわたり苦戦を強いられていた。
計画を練りに練り、国王軍、諸候軍の大半を収集し、望んだ今回の総力戦であったが、これほどまで早く、そして完全なる勝利が手に入れられたのは、あの白い英雄と呼ばれる男の活躍があってこそだった。
「約束は守ると、あの者に伝えよ」
国王は、大公にそれだけ言い残すと、その背の翼を翻し、自軍の本陣へと向かった。戦場となったルークリヴィル城から、北の森林地帯の一角、その中心の国王専用の天幕へと。
「さて、ここからが余の仕事だ」
国王は不敵な笑みを浮かべると、豪奢な作りのテントの幕を、勢いよくまくり上げた。そして、中の光景を見遣るだに、一言、溜息混じりに言葉を漏らす。
「まったく、珠玉な首級であることだ」
そこには、一人の男が後ろ手に縛られていた。
しかし、それ以外は手荒な扱いはまったく受けていない。国王と同等の椅子に敷物。体はもちろん、その纏った鎧にすら傷一つ付けられていなかった。
男は酷くやつれた様子で、ゆっくりと国王を見上げる。その男に、国王は、一歩前へ進み出て、にっこりと笑うと、深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります。リンダール帝国皇帝陛下、ギゼル・ハーン殿」
――皇帝虜囚。
それが五年にわたる侵略の終結だった。
後に『ルークリヴィルの奇跡』と呼ばれる出来事である。
占拠していたイヴァリー半島の全ての都市の解放、および全軍の撤退、さらには帝国国庫を脅かすほどの莫大なる賠償金、そして今後一切の侵略行為の禁止。
皇帝は虜囚の身から解放されるために、これらの事柄すべてを認めざるを得なかった。
五年にわたる支配から解放されたイヴァリー半島。住民達は、その喜びに沸き立った。
だが、その支配の爪痕は、想像した以上に深く王国に食い込み、その内部を蝕んでいたのである……。