3.決戦、理科準備室前
模擬戦から一夜明け、勝利へと酔いしれたままのオレは意気揚々と教室へ入ったが、クラスメイトたちの視線は何とも鋭いものだった。
訳も分からず席につくと、隣の席で女子生徒と話す四宝院がこちらへ向き直り、悲しそうな表情を浮かべた。
「十文字君、昨日のあれはあんまりだよ……」
オレはやはり四宝院の表情の意図が読めず、彼女に問いかけた。
「あれって何だよ……ッ。オレは正々堂々野良犬との勝負に挑み、真っ当な勝利を得ただけだろうが……ッ!」
「その後、どうして犬咬君を2回も殴る必要があったの? そのせいで犬咬君は倒れちゃって、先生に保健室に連れていかれて……。今日もまだ学校に来てないみたいだし……」
「ふん、何だそのことか。いいか? オレは十文字家の家訓『やられた分はそれ以上にしてやり返せ』を守っただけだ。オレとしてはもう5発はいけたが、2発で許してやったのだからむしろ感謝されるべきだろう」
確かにオレは昨日、勝敗が決した後、LOSERの文字が浮かぶ犬咬へ2度、拳を加えた。
犬咬はこめかみと顎とを打ち抜かれて、すっかりのびてしまい、「教室へ戻って自習していろ」と言い残した有栖川先生に連れられて保健室へと移動した。
「それのどこがあんまりだって?」
「……ごめん、正直失望したよ」
四宝院は表情を陰らせると、物憂げな瞳でそう呟いた。
「……そうか、結局はお前も有象無象に過ぎないということだな。オレの方こそ、お前にはがっかりだよ、四宝院」
オレと四宝院との陰鬱な空気を切り裂くように、教室のドアが開かれ、有栖川先生は間の伸びた声をあげた。
「おい委員長共。理科準備室へ教材を取りに行ってくれ。段ボールに明記してあるからすぐ分かる」
オレと四宝院は視線を合わせた。オレはやれやれと首を振ると、一人立ち上がる。
「オレ一人で十分です。……お前はそこで自分の無力さに震えていろ」
「なっ……」
四宝院は顔をしかめてオレを睨むが、オレはそれを無視して足早に教室を出た。
教室を出るとちょうど柿番の姿が見え、気味の悪いことに柿番もこちらを見つけるなり、パタパタと駆け寄ってきた。
「おはよう十文字クン。昨日は凄かったネ」
「凄かったって、オレがムキになって戦う姿がか?」
「ふふ、あれがキミの全てだとは思っていないヨ。刀を抜かなければ最強の盾、刀を抜けば最強の矛……。ではキミが全ての刀を抜けば、いったいどうなるのかナ?」
まるで蛇のように、柿番は目を細めて笑った。
「さぁな。そこまで抜いたことはないから分からないな」
「ならボクは、キミの初めてになりたいナ」
思わず鳥肌が走り、オレは尻の穴をキュッと締めた。今後柿番は要注意人物としてマークしておこうとそう決めた。
「それより、その様子からして、有栖川先生のお説教はなかったみたいだネ」
「資料を渡されて、校則を読まされただけだ。有栖川先生はオレが読み終わるまで部屋の隅で寝てた」
放課後になると、有栖川先生はオレを職員室へ呼び出した。これで言われもない説教を受けていたらそれはすなわち聖ビーマ学園と十文字家の戦争を意味していたが、有栖川先生の口からそのような言葉が出ることはなかった。
ちなみに、ドーム内の魔法は4段階に別れており、一段階目で勝敗の決定、そこから一定以上のダメージが累積すると気絶、それ以上に攻撃を続けようとすると『警告』、攻撃を続けるとドーム内の魔力濃度が高まり、ドーム内の人間は一瞬にして眠ってしまうらしい。
校則の記された分厚い書類を適当に捲っているとき、偶然見つけた。
「へぇ、それはいいことを聞いたナ」
どうやら柿番には知られてはならなかったようだが、オレは先を急いだ。
「理科準備室……、ここか」
オレが力を入れると、準備室のドアは抵抗なく開いた。
「まったく、鍵ぐらいしておくべきだろう。不用心な」
そうして目当ての段ボールを見つけ、オレは準備室内へ足を踏み入れた。
「な、な、な、何をしてるのよ……。あんた、わ、私の着替えを……」
オレは声のする方に目を向ける。
そこには赤い髪の女子生徒がいた。近くに置かれた通学バッグの色から、オレと同じ新入生らしい。
上下お揃いの、薄いピンク色の下着のみを身に付けており、今まさにカッターシャツへ袖を通そう、というところだったが、それを中断すると露になった胸元を隠すように腕を組ませた。
「すまない、気が付かなかった」
「き、気が付かなかったですって……?」
女子生徒は蒼い瞳に涙を浮かべ、頬を朱に染める。
「……ふふふ、いいわ。取り合えず着替えるから後ろを向きなさい。話はそれからよ」
「断る。お前が後ろを向けばいいだろう、この露出狂め」
「なんですって……?」
今度は怒りの表情で、女子生徒はオレに鋭い視線を向ける。
「安心しろ、オレはお前に欲情したりはしない。オレが好むのは大和撫子のように淑やかで清楚な日本女子のみだ。……そこの段ボールを取ったらすぐに出ていく。これ以上オレの手を煩わせるな、露出狂」
そして有言実行。
オレは女子生徒の刺すような視線をものともせず、段ボールを抱え、背を向けた。
「……待ちなさい」
オレは歩を進める。
「……そう。そっか……。……『炎々の魔女』と称されるこのリリーナ・リリィをこけにして、ただで済むと思うなぁーーーっ!!」
瞬間、背後にとてつもない熱気を感じ、オレはドアの裏側へと転がり込んだ。それから1秒の間もなく、理科準備室の開かれた空間から燃え盛る炎が吹き出す。
突き当たりの廊下は一面火の海へと化し、けたたましい非常ベルの音と共にスプリンクラーが作動した。
「へぇ、今のを避けるとはね。あなたなかなかやるじゃない」
「やれやれ、とんだじゃじゃ馬娘でござるな」
オレは立ち上がると、もうもうと立ち込める黒煙の中から女子生徒、リリリなんとかを捉えた。
両手には炎を宿し、リリリは燃えるような赤い瞳でオレをまっすぐ見据えていた。
「……ここじゃすぐに邪魔が入るわね。闘技場へ行きましょう」
そう言い、リリリは燃え盛る手のひらを合わせる。するとどうだろう。彼女の足元に直径1メートルほどの魔方陣が現れ、リリリは吸い込まれるように、一瞬にして姿を消した。
「なっ、空間移動魔法か……。オレには使えん」
それから徒歩で移動しようとも思わず、非常ベルに寄せられた教員の群れをかわすことも出来ず、気が付けば放課後だった。
よし、帰るか。