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月下狂人  作者: クラン
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夜 ~月は耽美な夜の支配者~

 日付が変わる頃、夜の街を歩いていた。ほんの少しだけ欠けた月が白々と街を照らしている。なぜこうして夜を行くのかは分からない。自然と身体が動いていたのだ。


 昨晩の記憶に導かれているような気がした。頭に浮かぶ白銀の光と、二人の同級生の長いキス。壬生(みぶ)耽美(たんび)な仕草と口調。朝が来ることが嘘みたいな、独立した時空間。そうした一切が手足や脳に働きかけて僕を支配している。虚しい心の中に、一夜限りの感情が満ち溢れて僕を駆ってやまないのだ。


 夜道に潮の香りが混じり始めたとき、僕は自分が虚無感に襲われない事に気付き、少しだけ嬉しくなった。夜の中にあって、僕はひとり分の思いをしっかりと心に繋ぎ止めていられる。昼には消えてなくなってしまうとしても有意義だと断言しよう。意地でも。

 靴裏は、いつしか砂の感触を伝えていた。林の合間から銀紙の月が顔を覗かせている。


 時計は午前零時二十分を指していた。昨日と同じ時刻。壬生はそう言った。やや強引かもしれないが、ルール違反ではないはずだ。




 林に身を潜めた僕は、昨晩と同じ光景を目にする。ふたりの少女の停止した接吻(せっぷん)。月明かりはふたりを溶かすように、白く照らしていた。


 壬生(みぶ)は昨晩と同じ黒の簡素なドレスだったが、彼女はチェックのシャツに(ひだ)の多いロングスカートだった。もしこれに儀礼的な意味があるとすれば、それはどんなものだろう。たとえば、彼女にとって意味があるとするならば、それは毎晩同じ格好をした少女と唇を交わす事でしか得られないのだろう。逆に壬生にとって意味があるとするなら、自分自身が同じ格好で夜に溶け、同年代のうつろな少女とする(・・)事が重要なのかもしれない。或いは、その両方か。いずれにせよ彼女たちの行為には耽美で(もろ)い意味性が感じ取られた。


 彼女の装いを除く一切が昨日のままだった。流れる海風も、波の唸りも、非生物的な白い光も、静物的な少女たちの姿も、僕自身の胸の高鳴りも。


 壬生と彼女は、昨晩同様、長い時間そうしていた。周囲の動きといえば波の(ひだ)が月光を受けてぬらぬらと銀に(きら)めく程度である。それすらも変化といえるものではない。一瞬の景色が切り取られ、それをスクリーンに映し続けているかのような永続的な一幕であった。時計の針が動き続けている事のほうが(かえ)って不自然に感じられる。


 やがて少女たちは緩慢(かんまん)に唇を離し、流木に腰かけた。昼と昼の間には連続性があるが、夜は独立し、或る一晩を繰り返し続けるのかもしれない。そしてそれが不意に終わってしまう事も、あるかもしれない。そう考えるのは嫌だった。


 腕時計は深夜二時を指そうとしていた。僕は立ち上がり、少女たちの元へ足を進める。呼吸を整えて、そして夜の終わりについては考えないようにしながら。


「ごきげんよう」

 壬生(みぶ)は僕を振り(あお)ぐ。含みのある微笑が口元に広がっていた。昼間、僕に指令を送っていたのは、夜の壬生なのだろうか。それとも、真昼の健全で軽薄で飽きっぽい壬生なのだろうか。実際に目の前にしても判断がつかない。


 昨日と同様に席を詰めた壬生は、手振りで座るよう促した。僕は頷いて流木に腰かける。そうしてゆらゆらと(うごめ)く波を眺めた。それは孤独な生物の寝息のように、膨らんでは縮んでいく。

 暫く黙っていたのだが、壬生は一向に口を開かなかった。てっきり口火(くちび)を切るのは壬生と思っていたのだが、そうでもないようだ。


「昼間の事だけど……」と言いかけるや否や、壬生が僕の顔を覗き込んだので、思わず身を引いてしまった。その顔にはべったりと好奇心が貼り付いている。


「黙らないで。続けてよ」

 そう促されて、僕はたじろいだ。こう前のめりに水を向けられると(かえ)って喋りづらい。

 壬生の肌は月光を吸い込んで益々(ますます)青白く、滑らかだった。


「昼間の命令は、一体何の目的があったんだよ」

 瞬間、壬生は無表情になった。冷たく、硬質な無表情。


月岡(つきおか)クンのためよ」

「月岡さんのため?」

「そう」


 言って、壬生は立ち上がる。そうして数歩波間に寄って、振り返った。スカートの(ひるがえ)りかたまで昨晩と同じであるように思える。既視感(きしかん)ではない。同一の夜を演じているのだ、壬生は。もしかすると、そういったやりかたでこの夜を永久に続けようとしているのかもしれない。ならば僕は、その試みを支持したい。


 幾分(いくぶん)心が軽くなった僕は、素直に掘り下げる。「どうして今日の指示が月岡さんのためになるんだ?」

 壬生(みぶ)は一拍置く。「知りたい?」


 僕は幾らか気詰まりな思いがして彼女に目を向けた。そこにあったのは相変わらず触れたら壊れてしまいそうな脆い無表情だった。応でも否でもない。ただ言葉が耳を通り過ぎていくだけ。そのように見せかけている。内面に立つさざ波に目を向けまいとしているのだ。そう直観すると息苦しい思いに駆られた。


「知りたいのに月岡クンを気遣っているのね。分かるわ」

 壬生は口元に手を当ててクスクスと笑う。


「ねえ月岡クン、教えても良いかしら」


 彼女は小さく頷いた。


「いや、悪いけどもうどうでも良くなった。知りたくない」

 僕は決然と見据える。きょとんと眼を丸くした壬生を。如何(いか)にも不思議で(たま)らない、といったその仕草の直後に、壬生は冷笑した。


天田(あまだ)クン、彼女とのデートは楽しかったかしら?」


 思わず返事に詰まってしまう。幾ら自問しても答えの出ない問いだった。(もや)がかかったように見えてこないのだ。空虚さ。それによって昼の感情は遮断されてしまっている。しかし、一瞬たりとも胸のすくような思いを味わわなかったといえるだろうか。人さし指を掴む彼女の手の感触に、或いは草原に寝転んで青空を仰いだ瞬間に、それは訪れなかっただろうか。確信を持てなくしているのは、空っぽの僕自身の眼差し(ゆえ)だ。


「ほんの少しでも特別な感情を抱いたならば、天田クン、あなたは聞くべきよ。それに、彼女の全てを知るのが天田クンの報酬じゃなかったかしら」


 確かにそれは僕の受け取って(しか)るべき報酬だった。しかし。「それは、月岡さんを無視して進めるべき事ではないと思う」


「そう」と呟いて壬生は目を伏せた。「なら、月岡クンが決めればいいわ。率直に答えて結構よ」


 彼女はゆっくりと、何度か瞬きをした。そうして、無表情が崩れたように見えた。どろりと、溶けるように脱力した表情。それはほんの一瞬の事で、彼女はまたすぐに(はかな)い無表情に戻っていた。

 憂鬱。それが(にじ)みだして、押し留める事すらできなかったのだ、きっと。


「聞いて欲しい」


 その小さな呟きは海鳴りを縫って僕の耳に届いた。それは壬生(みぶ)も同じだったらしく、彼女に歩み寄ると少し屈んでその目を覗き込んだ。そんなふたりの様子を思わず見守ってしまう。


「嘘つき」


 嘲るような、はっきりとした軽蔑の口調。その直後に壬生は優しく微笑んで見せた。僕は断言できるが、そのときの壬生には明確な失意があった。でなければ、その突き放すような変化は見せなかっただろう。


 壬生は彼女から数歩離れてくるりくるりと踊るように回る。「でも、いいわ。月岡クンの言葉を重んじましょう」


 そうして壬生は、僕の前に立って見下ろした。丁度月が隠れて影になったその顔は、それまでとは随分印象が違っていた。月夜の非日常と耽美(たんび)に溶け合う雰囲気は微塵も感じられない。それよりも、この空間、この夜に君臨し、意のままに振る舞う支配者に思えてならなかった。


「これから私が話すことを最後まで聞きなさいね。目と耳を開いて、一言も聞き漏らさないで頂戴。それは月岡クンにとって必要な事なの。そしておしまいまで理解したら、天田クンは後戻りできない。月岡クンに最大限の助力をしなければならなくなる。いいかしら」


 僕は女王(ぜん)とした壬生を真っ直ぐ見返す。そして一度だけ頷いた。

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