さようなら日本、こんにちは異世界 8
林の奥から聞こえてくる声はボソボソとした物で僕らからは詳しい内容までは分からない、断片的な内容からこの辺りで略奪を行なっているという事程度だ。
不幸中の幸いか僕達の位置では向こうからも分からない、光源になる焚き火を消しながら僕はどの様にしてこの事態を乗り切るかを考えていた。
そもそも僕らはゴールデンスライムを相手にする為にこの湖に来たので、装備自体が戦闘向きじゃない、トーラも防寒具やスライムから砂金を採取する為の装備くらいしか持って来ていないのだ。
トーラが言うには聞き取りづらい声から大凡の人数を考えると彼らは大体四、五人程度、自分が前衛として斬り込むから後ろから古代魔法で隙を見て吹き飛ばして欲しいと提案して来たのだけど、一つ問題がある。
それは僕の人を殺す事への忌避感、この世界では割と悪即斬の精神らしく、賊に対しては生殺与奪が自由な影響があり、多くの人は悪人を殺す事へあまり忌避感を抱いていない。
けど、命は平等の精神が常識だった世界に十六年生きた僕にはしっかりとその事が植え付けられている、相手が悪人だとしても僕は殺人と言う行為が怖い、自分が人殺しと言う悪になる事が怖い。
そんな僕の内面はこの世界の住人からしたら甘いを通り越して馬鹿なのだろう、或いは何を言っているんだと理解されない、『周りに迷惑を掛ける悪人だから、戦えない人に代わって戦える人が殺す』そう言う精神で彼らを斬る人から見ればそんな思想は愚かとしか言えない、しかも彼らを殺せばお咎めどころか報奨金が貰えるのだから尚更見逃す理由は無い、仮に僕が逆の立場だったとしてもそう思う。
感情は割り切れない、殺す事と殺される事の二つの恐怖で手が震えそうになる、偶然にでは無く自分の意思で自分の手で人を殺す事が怖い、けれど僕は逃げる事が出来そうに無い。
何故なら僕はこの世界で日本に帰るまでの間生活すると決めた上で、異世界出身である事を信じて貰えないからと言う理由と情が移ると言う理由の二つから自分を偽っている。
つまり、偽りの僕は客観的に見たらこの世界の人間で、他の人から見てもそう見える様に振舞わなければならない、悪人を殺す事に躊躇いを覚えてはいけないのだ。
緊張からか地に足が付かない様なふわふわとした感覚に陥りながらも、僕は偽りの自分を壊さない為に奇襲を掛けようと言うトーラの言葉に頷いた。
––––草むらを静かに掻き分けながら少しづつ山賊との距離を詰める、相手との距離は声の遠さで測る。
心臓の鼓動が痛いほど僕の中で跳ねる、気配を殺す為に息を押し殺してる所為でよりハッキリと自分の緊張を自覚する悪循環、そっと手を見れば小刻みに震えていた。
そんな様を晒す訳に行かず、前を歩くトーラの後ろで血が滲むほど硬く、きつく拳を握り締めて震えを止める、魔法陣の形成にこの震えは致命的だから。
段々と山賊の話す内容が理解できる位置に来た、この時は僕も魔法の行使に対して意識を割いて余計な事を考えない様にしていたのだけど、直ぐに平静を失う事になった。
盗み聞きした山賊の話を要約すると、ゴールデンスライムが現れた事で金の無いアカデミーの受験者が此処へ一人で来る事が多くなり、それを目当てに小銭を稼いでいるらしい。
いくら魔法が使えようと林の中で多対一、杖や装飾品を身ぐるみ奪った後は男は殺して女は売ると言う典型的な山賊達だ。
『……反吐が出ますね』と吐き捨てる様にトーラが言った時だ、僕は自分の横に月明かりに照らされたナニカが落ちて居る事に気が付いた。
––––それは、赤く、独特な匂いを漂わせる粘性を持った液体と、それを噴き出している人型のナニカ。
それが何なのか、理解したく無いのに理解してしまう、そうそれは、彼らに殺された人間。
光の無い無機質な目が僕を見据える、まるで助けてくれと言われている様な錯覚を覚えてしまった僕は、悲鳴こそ堪えたものの––––恐怖で一歩引いた足が小枝を踏み折ってしまう。
「誰だッ!!」
距離的に連中に聞こえない位置では無く、完全に彼らの注目が此方へと集まってしまった。
この時虚勢だったとしても無理矢理落ち着いた方が良かったにもかかわらず、直ぐ側にまるで自分の未来を暗示する様な物が横たわっている事に錯乱した僕は、トーラの制止も聞かずに指輪を嵌めた左手で魔法を放とうとした。
……少し考えれば分かる話だ、彼らはアカデミーを受験する人間を狙った山賊、当然見習い魔法使いを殺す方法なんて熟知している。
風切り音が聞こえたと思った瞬間、左手に激痛が走る。
視線を向けると手の平を矢が撃ち抜き、完全に貫通している、魔法を使う時の光の軌跡を見て撃ち抜かれたのだろう。
僕は痛みによって錯乱状態から解放されはしたものの、自分の手を完全に射抜いた矢を見て思考が止まる。
そしてその思考停止は致命的な隙を生み、駆け寄って来た山賊が剣を振り上げていてもそれが何なのかを理解出来なかった。
––––そんな死を待つだけの僕の下から、斬り上げる様に銀閃が放たれる。
それは僕の事を斬り捨てようと振り下ろされた剣を両断し、振り抜いた体勢から二の太刀を振るって袈裟懸けに山賊の首を一刀両断にした。
「何を惚けているんですか!! 死にますよ!!」
トーラの叫び声にハッとした僕は漸く自分が迂闊な事をしたと自覚しつつ、射抜かれた矢を引き抜いた。
目の前には二人の山賊、片方が弓でもう片方が剣、距離的に逃げる事は出来ないし弓の狙いが完全に僕なので魔法を使う余裕も無い。
「……実戦経験が無いのなら初めからそう言って下さい、それならこんな真似はしませんでした」
剣を構えながら僕の前へ立つトーラ、申し訳無さそうな声で彼女はそう言った。
……謝るのは僕の方なのに、彼女はそんな僕の前へ守る様にして立っている。
そんな中僕はふと、頭が居ない事に気が付いた。
その事を話す前にトーラは前の二人へ目掛けて踏み込んで行く、その速さは林の中の悪路を感じさせない速度だった。
彼女は弓の山賊が放った矢を見切って避け、もう一人の山賊が突き出した剣を蹴り上げる。
そして無防備な姿を晒した山賊の一人を斬り捨てようとトーラが剣を振りかざした時、僕の首に冷たい金属の感触が伝わって来た。
「其処までだ嬢ちゃん、コッチのボウズがどうなっても良いのか?」
その一声でピタリと剣を止めたトーラ、僕の首には剣が添えられ、皮膚からは血が滲んでいる。
後ろに居るのは山賊の頭らしき人物、一番弱い僕を人質に取ることで無傷でトーラを止める気らしい。
剣を止めたトーラの腹に山賊の拳が突き刺さる、いくら彼女の腕が良くても年齢の未熟さがその拳に耐えられない。
殴られた箇所を抑えて蹲るトーラを執拗に踏み付ける山賊、売るためなのか顔へは攻撃を入れてはいない、けれど必要に内蔵の上や殴った部分を蹴りつける姿が僕の目に映る。
僕の甘さが、この事態を生んだ、人を殺せない臆病さが。
トーラの目は死んでいない、蹴られて踏み躙られて、そんな目に遭っても彼女は反撃を狙っていた。
––––僕はその目を見て腹を決め、山賊の頭と自分の間に左手を滑り込ませて魔法陣をそっと完成させる。
「あーあ、あの嬢ちゃんも可哀想によぉ、ヘタレの彼氏の所為で人並みの生活を送れなくなるんだからなぁ」
山賊の頭は僕の横顔を嫌味を言いながら覗いたけど、その横顔に唾を吐き付けてから苦し紛れの一言と共に陣を起動した。
「––––あんたの迂闊さに感謝するよ、おバカさん」
零距離でのフレイム・シュート、勿論魔方陣は正確性の無いものだから本来の火力は出ない、けどこの距離だから関係無い。
僕達の間で炸裂する火球、炎上効果は付いていないのだけど、爆風は付いている。
それが差し込んだ隙間で爆発したので、人質に取られて居た状態から吹き飛ばされた。
受け身を取り損ねて地面をバウンドする羽目になったけど、そのおかげで僕だけでなくトーラも自由の身になった。
即座に山賊がトーラにとどめを刺そうと剣を振り下ろしたが、彼女は取りこぼした剣を拾い直してそれを受け止める。
「よくも乙女の身体をボコボコ蹴り付けてくれやがりましたね!! ほら、トーラは余裕ですからユウさんは頭を倒して来て下さい!!」
その言葉に頭が逃げた事に気が付いた、けれど地面には血痕が転々と続いてる、まだ追えない距離じゃ無い。
懐の鉄鞭を右手に握って伸ばし、指輪の力を使った反動を堪えながら頭の後を追う、背中が爆炎のおかげで焼け爛れて気絶出来ない程の痛みが僕を襲ってるはずなんだけど、興奮してる所為か全く気にならなかった。
僕が躊躇えば、甘さを見せれば、その代償は自分の命と仲間の人生、実際にこの身で体験しなきゃ覚悟が定まらなかった。
だから追ってどうするとかはもう考え無い、生きる為にあの男を僕の手で殺す。
そんな思いを抱きながら走り抜けた先には周囲の拓けた湖があった、波打つ湖面には月が浮かび、波の動きにつられて揺れている。
しかし頭の姿は無く、風も無い中で物音一つ聞こえない。
キョロキョロと周りを見ていたが、無風状態で湖面が揺れている事に違和感を覚えたので、僕は鉄鞭を使って魔法を発動しようと魔方陣を描く。
水中からじゃ月明かりが反射して水上が見え辛い、ならそのままフレイム・シュートを叩き込んで炙り出してやる。
そんな思いで魔法を描いた瞬間、水中から頭が飛び出し、トーラが切断した剣の刀身を僕の右腕に投げ付けた。
完全に反応が遅れた僕は右腕に深々と突き刺さった刃と、それに伴う激痛によって魔法陣を崩してしまう。
「ハッ、良い事教えてやるよクソガキ!! この湖はスライムが発生するほど高密度のマナプールだ、ちょっと浸かっただけでも傷は治るし、魔法を発動すりゃそれに反応して陣の位置が水中でも分かるんだよ!!」
確かに彼の言葉に嘘は無いのだろう、その証拠に腹の火傷が治っている。
––––嗚呼、全くもって神様は僕が嫌いな様だ。