さようなら日本、こんにちは異世界 6
隻眼と出会った日から、僕のこの世界へ対する姿勢が変わった。
今までは何処か余裕があった、帰る手段が存在していてそれが手元にある、その事が僕に精神的な余裕を生んでいた。
それに拠点から街迄の区間には魔物は居なかったから、何処か他人事のような気持ちだった。
けど、今は違う。
自分の死を幻視するような目に会い、それが現実に起こる事を知った以上、日本に帰るその日まで生き抜かなくてはならない、余裕なんて初めからあるはずがなかった。
その事を身を以て知った僕は採取地から帰った後、直ぐにギルドに置かれた魔物図鑑を見て周辺の魔物について調べる事にした。
生き抜く事を決めた以上、いつかは戦いが避けられない時が来るかもしれない、そんな時にこの間の様な事にあったら待っているのは死だ。
そうならないように魔物の習性・特性・生態などの情報を頭に詰め込んで、戦いに備えなきゃならない。
この辺りは自然が豊かなので街道周辺以外は魔物の縄張りになっている事が多く、隻眼の大元であるベーシックウルフや、以前食べたブルースライム、Gリザードなどもよく見る部類の魔物らしい。
駆け出し冒険者達が実戦経験を積む為にそれらの魔物の生息地も詳しく書かれている、特にベーシックウルフは群れを作らない狼で、戦う時は大抵単騎あるいはつがいとの事。
ただ駆け出しが倒すには動きが速くて強い、僕も隻眼のトラウマがあるからこの魔物は当分遠慮したい。
魔物図鑑に目を通し、周辺の魔物を確認した後、僕は一旦家に帰る為に街の外へと出掛けた。
古代魔法による注目を集めない為にフレイム・シュート以外の魔法を習得していない、その方針は今はまだ変える気は無いけど、これを使った戦い方は学ばなきゃダメだ。
その方法を考える為に落ち着ける場所へ戻るつもりで家に向かっていたのだけど、その道中だった。
「た、た、たすけてくださ〜い!!」
快活そうな女の子の声が街道沿いの森の中から聞こえて来た。
位置的には丁度僕の居る場所なので、巻き込まれない様に退散しようと早足で歩いていたところ、黒いパッツン長髪が特徴の女の子が飛び出して来た。
一応冒険者らしい格好はしていて、胸当てとガントレットは装備してるのだけど、以前商店街の方で見た安物の装備だった為成り立てなんだろう。
頭に木の枝を乗せた彼女は野草の詰まった籠を抱えながら僕の指輪を見ると、どんな代物か理解したのか一瞬目を見開き、人に出会えて安堵した顔からかなり自信満々の顔へと変わった。
「ふっふっふ、このトーラの運もまだまだ尽きて居ない様ですね、さぁ!! そこのなんか凄そうな指輪を装備した貴方!! ちゃちゃっとアレを倒して下さい!!」
僕が彼女の言葉に疑問符を浮かべる前に、彼女が指差した方向からベーシックウルフが飛び出して来た。
…………それも合計で八匹。
人数的に見れば二対八、けど少女の腰に差されている鞘には剣が納められておらず、彼女の手にもそれらしき物はない。
素手でも戦えるのかと彼女をみれば、『ほ〜らほら、ど〜したんですかぁ? さっきからトーラをずぅぅっと追い回してましたよねぇ? 魔法使いにビビったんなら尻尾巻いて帰っても良いんですよぉ?』と、調子に乗った態度で彼らを挑発しまくる姿を見る限り、完全に僕に丸投げする様子だ。
幸いにも狼達と僕との距離は離れてるし、彼らが見てるのも女の子だけだ、僕へ興味や敵意は一切ない。
ならやる事は一つだ、考えるまでも無い。
––––僕はこの子を見捨て、踵を返して街へ全力で逃げる事に決め、全力でその場から走り去った。
だって実質八対一だよ? どう考えても僕がそんなものに勝てる訳無いでしょ、数の暴力ってのは絶対だからね?
非道だろうと生きる為には仕方ないんだ、こういった経験も後味の悪さも何時かは体験するし、それが早いか遅いかの違いだけ。
自分自身をそう誤魔化しながら街へと向かう僕だったけど、走り出して暫くした瞬間に猛烈な速さで女の子が僕に追い縋って来た。
何気に彼女は僕の足より速いのか、びっくりするくらい一瞬で僕の真横まで来てぴったりと並走してる。
「なんで逃げるんですか!? なんで見捨てるんですか!? こんな美少女に強いところ見せて『強い!! 素敵!! 抱いて!!』って言って貰いたいって欲望は無いんですか!? それでも魔法使いですか!? 男なんですか!?」
そんな事を言われても仕方ない、古代魔法は撃てて二発三発、しかも三発目なんか撃ったら体力を持ってかれる、討ち損じを出したら頭から喰われるのは僕だ。
第一僕はまだ落ち着いて形を描かなきゃ魔法を使う事が出来ない、戦闘中に魔法を使うのなら指輪を使わなきゃならない。
指輪を使った強制発動は火力を落として魔力を過剰に消費するから、初めて魔法を使った時の様に二発目が撃てない。
だから逃げるしか無い、街には周壁があるし、その上には見張り台も設置されてるから、追われてる人が居たら衛兵が出て来てくれる。
すると、必死で走った甲斐があったのか街が見えて来た、後もう少し走れば見張り台の視界に入る。
「ぎゃぁぁあ!! う、後ろ、後ろ!!」
その言葉に反射的に振り向いた瞬間、真後ろに狼達が追い付いて来て居た。
マズイ、まだ街自体とは距離がある、直ぐに衛兵が来てくれる訳じゃ無いから、このままだと……。
仕方ないので指輪の力を使い、上空へ向けて魔法陣を描き、フレイム・シュートを撃ち込んだ。
慌てながら魔法陣を構築した物だから線もガタガタで、根刮ぎ魔力と体力を消費したけれど、花火の要領で空に炎の塊を炸裂させた。
魔法の腕が多少上がったからか、気が付いて貰える程度には以前のサイズよりは大きかったけど、その分魔力も体力も以前以上に消費してしまう。
代わり火力は出た様で、爆音と衝撃によって僕らはその場から吹き飛ばされた。
女の子は受け身を取ったけど、僕は以前以上の吐き気や虚脱感に襲われてる中だったから、地面をボールの様に転々と転がるはめになった。
全身に力が入らない上に鋭い痛みと鈍痛が津波の様に僕の身体を襲う、視線を身体に向けると服の下から血が滲んで左手が折れてる、自覚した瞬間にはっきりとした痛みに変わった所為で立ち上がる事が困難だ。
けど今のは見付けて貰う為の合図に過ぎない、さっきの爆音で半分は逃げたけど残りの半分は僕の事もターゲットにしている。
しかも受け身を取った彼女は古代魔法に気を取られてるので僕以上に無防備、そんな隙を見せた相手に敵が容赦をする筈が無い。
案の定二匹の狼が左右から彼女へと襲い掛かる、僕は身体の痛みを堪えながら無事な右腕を使って無理矢理立ち上がり、鉄鞭を伸ばして少女に向けて山なりに投げ付けた。
それに気が付いた彼女は、狼が振りかざした鋭い爪を背後に飛び退く事で回避し、左右から斬り掛かった狼が脇を抜けた瞬間に僕が投げた鉄鞭を拾い上げる。
その瞬間に残りの二匹が顎を大きく開いて噛みつきに行ったが、彼女は別人の様な動きでそれぞれの眉間に鉄鞭を打ち下ろして攻撃を潰すと、怯んだ隙を突いて二匹の顎を蹴り上げる。
そして先ほど脇を抜けた二匹に対して睨みを利かせ、警戒心を持たせる事で動きを止めた後に大きく踏み込んで行った。
居合い抜きの様に腰だめに鉄鞭を構えながら、その動きに反応を遅らせた狼の横顔を一閃したところで残っていた狼が全て逃げて行った。
……その強さあるなら別に逃げなくても良かったんじゃ無いかな? 僕魔法を撃ち損じゃないのかな。
「ふっ、トーラは兄様譲りの才能が恐ろしです……」
チラッと僕の反応を伺う様なドヤ顔でこちらを見てる、そんな目で僕を見る前にソレ返してくれ……。
––––僕は疲れが取れてから包帯と傷薬を買うために街へと引き返したんだけど、彼女はひょっこり着いて来た。
彼女の名前はトーラ、今年で十三歳になる自称トレジャーハンター兼冒険者らしい。
「いやぁ、ちょーっと役に立たない人かなーって思ってましたけどナイスアシストでした」
「さり気なく僕を罵倒してないかい?」
さっきからこんな風に彼女はハクトとは別の人種らしく喋りまくっている、リシーさんの様に何か身になる知識があれば良いんだけどさぁ……。
「おやおや? 何ですか? もしかしてトーラに惚れちゃいましたか? まー私は美少女ですからねぇ、その上強いですから無理も無いですよねー」
「……頭の上に毛虫付いてるよ」
……基本この子、アホの子なんだよ。
しかも聞いてない話を次々とし始める、今回の事だって全く聞いてないのに御構い無しにに話倒してるし、街に入っても口が閉じない。
「トーラが仕事であの山の野草を摘んでたらですよ? 交尾中のウルフの尻尾踏んじゃったんですよ、でも草むらの中で勤しまれても分かるわけないじゃないですか、不可抗力ですよ不可抗力、それなのに襲って来たから蹴り飛ばしたら他のつがいにぶつかって……って感じでああなったんですよ、おかげで大切な剣は落っことすわ、泥だらけになるわ、髪に毛虫が張り付くわで、散々でしたよ」
結局彼女はギルド前まで延々と話し続けて僕の後ろを付いてきた、別れる時に彼女が摘んだ草が全て目的の野草に似た毒のある種類だった事がモノクルの情報で分かった。
しかも依頼主が直接受け取るタイプの依頼だったのか、ギルドの中で依頼主が待っている。
忠告しようかと思ったけど、指輪で魔法を使った後だし、怪我もしてるので余計な口を挟むのは辞めた。
そもそもハクトの様に僕を助けてくれたのならともかく、この子の場合は巻き込みに来た上に結局自力で解決してしまったからね、別に僕に彼女を助ける義理が無い。
案の定別れてから『この馬鹿!! 全部毒草じゃないか!! 私を殺す気か!!』と言う怒鳴り声が外へと響いて来た。
……あんな奴でも僕より強いんだよなぁ。
ギルドの中から聞こえる怒鳴り声とそれに対する子供のような言い訳を聞きながら、当分の目標を勉強では無く実戦方向へと切り替える事に決めるのだった。
––––アカデミー入試まであと六十九日。