第四話 母は遅れて全裸をフォローし、神の狩人が誕生する
「どちらさんですか」
俺は尋ねた。
『吉乃ナツキ? ちゃんだっけ? の、新しい彼氏でぇす』
『元カレ予定さんにゴアイサツしようと思ってましてェ』
「ナツキの名誉のために断っときますと、俺は彼氏じゃありません」
悲しいことにな。
『ハァ? ンなことカンケーねーし』
『サツ呼んだらネットにナツキちゃんの写真ばら撒くんで。タカ先輩マジ舐めないほうが良いっすよ』
ということは、まだナツキの写真はばら撒かれていないというわけだ。
不幸中の幸い……というにはひどすぎる状況だが。
「どこにいるんだよてめーら」
『バァーカ。誰が答えっかよ。はいナツキちゃーん彼氏ですよー』
小さく踏切の警告音が聞こえる。
音がこもっているのは、建物のなかか、車のなかか。
声の種類からして、相手は三人か四人だろう。
『……天堂クン』
声が変わった。
「ナツキ! ナツキなのか!?」
『ぴんぽーん。大正解。賞品はレーズンパンです』
ナツキの声は、気が抜けるぐらいいつも通りだった。
彼女の心がよほど強かなのか、よほどアホなのか。
『春になって頭沸いたヤンキーが飛散してるって言ったでしょ。あはは、引っかかっちゃった。あたしのヴァージンがヤバイかも』
「花粉症患者のほうがもう少し悲愴になるぞ。何かされたか?」
『いまからされそう。まだブラもパンツも見せてないからだいじょーぶ』
「ポジティブもここまで来ると病気だな」
『あたしの唯一の取り柄だもん。崇めてちょうだい』
「後でいくらでもひれ伏してやる。場所は分かるか」
『いま、多分、線路の――』
ナツキの声が揺らいだ。
俺は息をのんだ。
「ナツキ! 返事しろ!」
雑音に交じって、ナツキからの最後のメッセージが届いた。
すぐに軽薄な喋りに変わる。
『はぁ~い感動のお電話しゅうりょ~』
スマホは俺の握力に耐えてくれた。
最後、ナツキが電話を奪われたであろう直前の最後のメッセージは、
たすけて。
囁くような、悲痛な叫びだった。
ナツキはアホかもしれないが、精神は強かだった。
いじめっ子はいじめられっ子が泣けば泣くほど行為がエスカレートするものだ。
ナツキはいま、平然を装うことでヤンキーと戦っている。
『じゃあ彼氏さん、ナツキちゃんは俺達が貰ったんで。バイバーイ』
『とりあえずどこから脱がしましょっか先輩』
ブツッ。
一方的に電話が切れた。
すぐにメール着信が来た。画像データつきらしい。
俺はメールを開かず、削除した。
この写真を見れば状況がよりよく分かるかもしれない。
だが、俺に嫁入り前の幼馴染の無様な姿を見る趣味は無い。
「我が主、男の声が多く聞こえましたが。悪事ですか? 緊急事態ですか? 灰にすべき事案ですか?」
振り返ればミカエルが俺の真横に立っていた。
六畳間の彼シャツ女子四人からの視線が痛い。
俺は黙って押し入れを開け、奥から木刀を取り出した。
天堂家秘伝の宝剣――でも何でもなく、小学校の修学旅行で買った代物だ。
鹿に齧られた痕がばっちり残っている。
「狩人よ。我らが守護天使である限り、勝手な行動は許さんぞ」
「まだ何もしてねえよ」
俺は傷だらけのヘルメットも取り出した。
中学校の自転車通学で使っていたものだ。
ダサい校章とひっかけられた鳥の糞が最高にクールなアクセントだ。
「だが貴様は明らかに戦の支度をしている」
「ウリエルの誤解だ。俺は幼馴染の吉乃ナツキさんのお迎えに行くだけだ」
「猿のほうがまだ賢い嘘をつくぞ! 貴様は己の立場に対する自覚が足りん!」
「悪いけど、俺はまだあんたたちの話を信じてないからね? そこまでおめでたい頭してねえよ、ナツキじゃあるまいし」
俺はスマホをポケットに突っ込んだ。
「だいたい天使だ何だ言う割にはさっきから何もしてないじゃねえか。おとなしく女の子はおうちに帰りなさい」
「な、ならここで天使の力を、そして神の狩人としての我が主の力を見せて差し上げます!」
ミカエルが俺に両手を突き出した。
「血の聖書はどこにありますか!?」
「なんだそれ」
「血の聖書は血の聖書です! 我が主の母君を通じて託されているはずです!」
「託されてるのはおまえが今食ってるレーズンパンだけだ」
「待て、ミカエル。彼はボクらのことはおろか、神の狩人たる宿命すら知らなかったんだ。もしやまだ受け継がれていないのかも……」
「もしもーし」
「それは困るわねえ。血の聖書が無いと神の狩人がただの地味キャラ君になってしまうわ。OSの入っていないパソコンより使えないわねえ」
「ラファエルさん、天使がパソコンとか言っちゃって良いの?」
「もしもーし、もしもーし!」
「かくなる上はなんとしてでも血の聖書を探しださなくてはなりません!」
「天堂さーん! シロイヌウミトの宅配便でーす!」
「煩い黙れ! 我々はやんごとなき問題を抱えているのだ!」
「ってさっきからもしもし言ってたの宅配便のお兄さんかよ! おまえらちょっと隠れてろ!」
女子四人彼シャツ状態なんて見られたら、ナツキを捕まえた犯人より先に、俺が通報されてしまう。
俺は木刀とヘルメットを置いて、玄関を開けた。
「どーもどーも。妹が四人一斉に帰って来ちゃいまして」
「天堂さんちって大家族だったんですねえ。お母さまからのお届けものですよ」
適当にごまかし、伝票にサインをする。
早々に宅配便のお兄さんを追い出し、玄関を占めた。
やたらでかいダンボール箱を置く。
差出人は間違いなく俺の母親で、あて先は俺だ。
四人の注目のなか、俺はガムテープをはがした。
「…………」
なかには女物の洋服がみっちり詰まっていた。
母上。俺は女装趣味に目覚めてなんかいません。
ダンボール箱をひっくり返す。
どさどさと出るわ出るわ、下着からシャツからスカートから靴下まで、各種より取り見取りだ。
そして最後に、どすっと軽い音がして、洋服の山に何かが落ちた。
「ん」
それは本だった。
革表紙だろうか。俺の手のひらに乗るぐらいの大きさだ。
ところどころ装丁は剥げかかっており、古い紙特有の、埃っぽい臭いがする。
表紙には金文字でこう押されていた。
『THE BIBLE』
「それです」
ミカエルが本を指さした。
「それが、血の聖書です」
「この服は城太郎の母君の計らいだろう。手紙が入っていたよ」
ダンボール箱を覗きこんでいたガブリエルが、封筒を拾い上げた。
城太郎へ。
相変わらず汚い字で、表書きされていた。
俺はガブリエルから封筒を受け取った。
中にはぺらっぺらの便箋が一枚きり。
バカ息子へ。
先日の手紙で伝えたとおり、呪われた聖書をお送りします。
レーズンパンは役立ちましたか。
餌付けであなたの第一印象が良くなったことでしょう。
あなたに課せられた使命はあまりにも重くて、
いまのいままで伝えることができませんでした。
でもきっと、あなたならどんな危機でも乗り越えられる。
そう信じています。
困ったことがあったら何でも言いなさい。
母より。
追伸:
守護天使は神の狩人といっしょに住むことになってるらしいので、着替えを送ります。
「わたしたちのこと、信じてくださいますか?」
俺は呪われた聖書こと、血の聖書を見下ろした。
そして天使どもを見た。
勝手に服を適当に漁って、すっかり着替え終わっていた。
ミカエルはブラウスにカーディガンと、昭和の少女アイドルのようだ。
ガブリエルはなぜか伊達眼鏡をかけている。男の子っぽい服装だ。
ウリエルはかっちりとしたベストにプリーツスカートで身を固め。
ラファエルはロングスカートの優しげな大人の女性、といった雰囲気だ。
「神の狩人ってのは、強いのか」
俺は尋ねた。
「血の聖書を媒介に、わたしたちの力を授けます。実際にやってみるのが一番ですよ」
「ナツキちゃんの居場所はわかっているのかしら?」
ラファエルからの問いに、俺は答える。
「電話口から踏切の警告音が聞こえた。この辺りに踏み切りは二か所しかない。でも一方は人の往来が激しくて、女子高生を拉致るのいは向いてねえ」
「となると、その不埒者はもう片方の踏切の近辺に潜んでいるのだな」
「ああ。ただ、車で移動でもされたら……」
「大丈夫だよ。そういうときのためにボクらの力がある」
「そうです! さっそく行きましょう、我が主! 事件は666号室じゃない、現場で起きているんです!」
「……チッ。毒を食らわば皿まで、ってか?」
畜生。
俺は普通で平凡で地味な人生が良かったのに。
「真理の槌は持ってねえが、悪があれば打ち砕くのが『普通』ってやつだ」
乗ってやろうじゃねえか。
正義戦隊サバクンジャーのようには、きっといかないけれど。
俺は木刀とヘルメットを拾い上げた。
血の聖書をショルダーバッグに突っ込む。
「幼馴染を黙って見過ごすのは『平凡』な人生に似合わねえよ」
「それでこそ我が主です!」
さて、正義の味方とめかしこみますか。