第二十一話 幕下京介は部活加入を断る代わりにドライストロベリーマフィンを供する
「このポスターはミカエルの手作りか?」
「もちろんです!」
朝のホームルームで俺は死んでいた。
心頭滅却すれば火もまた涼し。
俺は全身全霊を注ぎ、己の気配を消していた。
大気は俺であり俺は大気である。
世界は俺であり俺は世界である。
ミカエルのポスターを褒めちぎる、滝川先生の声なんか聞こえない。
「転入早々自ら部活を立ち上げるその意気込み、俺は嬉しいぞ。正義の味方、天使戦隊エンジェルレンジャー部。はっはっは、斬新だな! 独創的だ! 青春はそうこなくっちゃな!」
「ありがとうございます!」
「部員が転入生ばかりだが、ベツレヘムではよくある部活なのか?」
「わたしの故郷では、みなこの部活に入っているようなものです!」
「そうかそうか。異文化交流にもなるってことだ。部長がミカエルで副部長は天堂城太郎……ん、彼はどうして副部長になったんだ」
「当然です! 天堂さんは天より命じられ」「ただの巻き添えです!」
俺は勢いあまって立ちあがった。
全クラスの視線を浴びた。
「天堂さんは本当は部長が良かったんですけど、本人がいないと部長には任命できなかったので、わたしが部長になったんです」
「マジで巻き添えです。数合わせに入れられただけです」
そしてしめやかに座った。
冗談じゃない。
なぜ俺が一夜にして得体のしれない部活の副部長にならなきゃいけないんだ。
ガブリエルとウリエルはけろっとしているから承諾済みなのだろう。
ちゃっかり顧問になったラファエル貴様も許せねえ。
「んー、だけど……新しい部活を作るには、兼部していない部員が五名必要だったよな。ひとりまだ足りないね」
滝川の言葉に顔を跳ね上げた。
「そうなんです。ですから、ただいま新入部員絶賛募集中です! よろしくお願いします! みなさん、わたしたちといっしょに正義しましょう!」
神よ俺に救いを残してくださりありがとうございます。
いまなら賽銭箱に札を投げられる。
とはいえ、正式に成立していないにせよ、宗教じみた怪しい部活の一員として、俺は明らかにクラスから遠巻きにされるようになってしまった。
「東野さんって、あんなに行動力があるんだね」
「運転手のいないアクセル踏みっぱなしのブルドーザーだ。俺の身が持たねえ」
昼休み。俺は京介と部室にいた。
あの保健室脇の小部屋だ。昨日と同じく、長机をパイプ椅子で囲んでいる。
「ですから幕下さんも正義の味方天使戦隊エンジェルレンジャー部、略して正義の味方部に入るべきなのです!」
「なにが『ですから』だよ。小学校の国語文法やり直してこい」
来たくて来たわけじゃない。
ミカエルに無理やり連れて来られた。
選択の余地なしだ。
そばにいた京介も巻き添えを食らったが、喜んでついてきた。物好きだな。
ラファエルは職員会議、ナツキの昼食グループは日替わりなので今日はいない。
「言っておくが、部活づくりに我とガブリエルはほとんど関与しとらんぞ。主にミカエルとラファエルの所業だ」
「ウリエルが仲間を売るとはね。『天使戦隊エンジェルレンジャー部』だけじゃ具体的な活動内容が分かりにくいから、『正義の味方』を頭に加えるべきだって提案してたの、キミじゃないか」
「名付けは神聖な行いぞ、協力するのは当然だろう。そういうガブリエルこそ、ポスターの文字や図柄をほとんど承っていたではないか」
「あれはミカエルに頼まれただけさ。ボクはただのポスターデザイナーであって、部の設立そのものには関与していない」
すまし顔の二人に俺はジト目を送ってやる。
今日のパティシエ・幕下スイーツ、『ドライストロベリーの甘さひかえめマフィン』を俺は齧った。
「ふざけんな。ガブリエルもウリエルも戦犯だ」
「たわけ。ほざいている暇があるなら、新入部員をもう一人連れて来るのだ。いまならピンク枠とパープル枠があるぞ」
「ちなみに男子部員を絶賛募集中だ。城太郎と絡ませる」
「やっぱりてめえらノリノリじゃねーか! ガブリエルさんはGペンと漫画原稿用紙をしまってくれ頼むから!」
「ミカエルの努力を泡にしたくないだけだ。彼奴は詰めが常に甘いからな、足りないところは我らで補わなければならぬ」
「ウリエルってけっこうオカンっぽいっつーか、むしろババアっぽいっつーか」
「剣の錆にするぞ」
「土下座で赦してくれますか」
「でも城太郎、ボクたちは人間から見たら、お婆ちゃんが束になってもかなわないぐらい生きてるけれど」
「頭では分かってたけどやめて! 年齢の話はやめて! 夢が壊れる!」
噛むほどに、程よい水分を含んだドライストロベリーの酸味と甘味が舌に広がった。はちみつ風味の生地はしっとりとしつつもくどくなく、このままでもお代わりできてしまうのだが、ストロベリーの酸味が全体を引き締めて、それはもういくらでも手を伸ばしてしまう。
普通のマフィンより小ぶりな一口サイズなのも嬉しい。
「幕下さん幕下さん。わたしたちといっしょに正義の味方しませんか!」
「ぼくは……遠慮するよ、あの、あまり部活動とかやれないし」
「大丈夫です! 幕下さんは我々と同じ正義のココロを持っています。時代が求めたエンジェルレンジャーのニューヒーロー、マクシタピンクにふさわしい!」
「ぼく、ピンクなの!?」
ウリエルとガブリエルから離れ、俺はミカエルの肩を叩いた。
京介が丸い目をさらに丸くして困惑している。
「おいミカエル、京介を困らせんじゃねーよ」
「でも、ガブリエルさんもウリエルさんも、幕下さんなら部員に最適だろうと」
「強引に入れろとは言っとらん」
「そうだよ。ボクは確かに地味顔ツンデレブラック×天然ぽっちゃりピンクは最高だと論じたが、リアルを無理強いしなくてもボクの妄想で補える」
「いつ論じたんだソレ。俺がいないうちにそんな恐ろしいことを考えてるのガブリエルさん」
「すみません」
「あの日あなたが示してくださった、愛と勇気と正義がいまこの恵田高校には必要なのです! お願いします幕下さん、あなたの力がなければこの部活は成り立ちません!」
「そ、そんなこと言われても……」
「いい加減にしろ。無理やり入れた部員で部活作ったって面白くねーだろ。だから俺も外してくれない!?」
「貴様は何を便乗しようとしているのだ。貴様が入らずしてどうする」
「あの、すみません」
「京介はともかく俺に至っては無許可だぜ!?」
「正義の味方って、城太郎くんにとても似合うと思うんだけどなあ」
「……やっぱり道連れにしてやろうか、京介」
「ぼく、目立つこと好きじゃないから」
「俺だって嫌だ」
「すみません!」
俺たちは口を閉じた。
「え?」
「あ?」
ノックとともに、扉が開かれた。
「お邪魔します」
俺は振り返った。
京介が目をさらに丸くし、天使どもが一斉に立ち上がる。
「――あんたは」
見覚えのある少女が立っていた。
黒髪のおかっぱ頭、セーラー服のスカートはきっちりひざ下にそろえている。
いまどき古風で珍しいぐらいなのに、ひどく印象は薄い。
「『チヨちゃん』、さん?」
俺は思いついた名をそのまま言った。
Lクラスで佐久島樹里のそばにいた、妙に浮いた少女だ。
「はい。突然お訪ねしてすみません。2-Lの森千代子です」
声は意外にもしっかりとしていた。
彼女は一歩部屋に入った。
カラフルな天使どもの頭に比べて、森千代子は黒かった。
「正義の味方、天使戦隊エンジェルレンジャー部って、ここですよね」
「そうです! 部員希望ですか?」
ミカエルがはきはきと尋ねた。
しかし森千代子は首を横に振った。
じゃあ、何、と俺が訊く前に、
「正義に背いた者は裁かれ、罰せられるんでしょう?」
彼女は鞄から一枚の紙切れをつまみ出した。
「お願いです」
その紙を、机に置いた。
「天罰を下してほしいひとがいるんです」