第二十話 天堂城太郎は正義の味方(略)部の副部長に任命される
早朝の肌寒い空気のなか、同い年の女子とベンチに並んで座り、温かい缶ドリンクを啜っている。
考えてみればギャルゲかエロゲの一場面のようだが、
「死にたい」
つい昨日、悪の女帝のごとき振る舞いをしたDQNからこんな相談受けても、ちっとも嬉しくない。
「死ぬな」
「死にたい!」
「死ぬなバカヤロー! ひとりぼっちになると死ぬのはウサギぐらいだ!」
「アレ寂しいと死ぬってウソらしいよ」
「ならおまえのぼっち耐性はウサギ以下だな」
俺はコーヒーを缶からすすった。
昨日の怒りがみるみる萎えていく。
「勘弁してくれ。つい昨日、友だちめっちゃいるって自慢してたじゃねえか」
「みんないなくなった。全身紫色の変な野郎が押しかけてきて、みんなアタシから離れていったの」
「畦道先輩のことか?」
「知ってるの」
「あ、いや、名前と顔だけ」
全身紫色の人物は恵田高校にひとりしかいないだろう。
畦道か。
彼は確かに佐久島を「説得した」と言っていた。
「チヨちゃんまでいなくなっちゃった。アタシ、どうしたらいいんだろ」
佐久島はココアを飲み、手の甲で口元を拭った。
見ると左手にスマホを握っている。
親指でしきりに画面をタップしているが、何も通知が出ていない。
静かな画面。静かなスマートフォン。
彼女の目元が赤いのは、微かに射す朝日のせいだと信じたい。
俺は缶をクズかごに投げ入れた。
縁に当たって跳ね返って見事ダストシュート。
「一日二日でぼっちになるような友情なんて、もともとタコ糸程度の繋がりしかなかったんだろ」
「バカにするなっ! チヨちゃんとは小さい頃からいつもいっしょにいて、しょっちゅういっしょに遊んで、コミュもいっぱい持って毎日更新してたんだよ!」
「首輪つけりゃどこにでもいっしょにいれるし、ネットのコミュならロボットでも運営できるわ」
俺はスマホの時計を見た。
もうすぐ五時半だ。
マナーモードのせいで気付かなかったが、天使どもからの着信が大量にある。
ミカエルだけで数十件来ている。
帰らないと。
俺はベンチから立ち上がった。
あくびを噛み殺し、佐久島を見やった。
「友だちなんかいなくても死にやしねえよ。小学校六年間、ぼっちで貫いた俺が保証してやる」
数秒、佐久島を観察し、
「あと薄化粧のほうがかわいいな。スッピンだともっと良いと思う」
「黙れキモ童貞」
「すみません」
俺はさっさとママチャリのブレーキを蹴りあげ、またがった。
逃げよう。
「小さい頃からってことは、『チヨちゃん』は幼馴染なのか」
「それがどうかしたの。キモ童貞」
「俺のあだ名はそれで固定ですか」
「いかにも童貞ってツラしてるじゃん」
「三年前のことだ。俺は童貞をインドの黒髪美女相手に」
「録音しようか」
「ウソです童貞です。幼馴染は大切にしろよ」
「余計なお世話!」
「ハイハイ」
俺はダウンジャケットからハンカチをとり、佐久島の膝に置いた。
「安物だからやるよ。ひっでえ顔」
「えっ、ちょっと」
「じゃーな」
言い捨てて、俺はさっさと自転車に乗り込んだ。
後ろからキャイキャイ聞こえてくるけど知らね知らね。
俺は女子の泣き顔を放っておけるほど、ひとに優しくできないんです。
朝の冷たい空気を切って自転車をこぐ。
汚い川を渡る橋を立ちこぎして上る。
ぼちぼち車と早朝ランナー、犬の散歩人が通り過ぎる。
橋の頂点を通り越せば、ペダルから足を離し、重力に身を任せる。
加速のような暴力的な速度ではなく、頬を撫でる風が心地よいスピードだ。
平和だ。静かだ。
そうそう、俺の地味な日常はこうでなくては――
「我が主ァァァァァァッ!」
なんか来た。
坂道を高速で下る俺とママチャリの前に、何かが飛び出してきた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
急ブレーキを踏み、前につんのめってタイヤが弾む。
迫る物体は容赦なく俺の右っ腹から突っ込み、視界が九十度傾いて横転した。
「おはようございます、我が主。大丈夫ですか我が主! ああっ、鼻から血が出ています! 額の脇に擦り傷が! なんておいたわしい、誰がかような仕打ちを我が主にしたのですか。このミカエル、天使軍団の名に賭けて、塵は塵に帰させましょう!」
「おまえの脳みそが塵以下だろ。どけ」
ミカエルがやっとどいてくれたので、俺は起き上がった。
痛い。肘も膝も痛い。
鼻の奥に生ぬるい感覚があった。
舌で唇を舐めると血の味がする。
額を指で擦ったら指先が赤くなった。
鼻血と擦り傷は事実らしい。
「あーあー……」
俺は手を払い、痛む膝を抑えて立ち上がった。
ダウンジャケットは破れていない。
ママチャリも起こす。幸いこれも壊れていないようだ。
「“憑依”なさいますか? お怪我がすぐに治りますよ!」
「帰ってからやるよ。他の連中は」
「お部屋で我が主のお帰りを待っておられます」
「そっか」
「我が主は何をされていたのですか! 朝早くから何も言わず家を出て!」
「おまえは俺のカーチャンか。散歩だよ、朝のお散歩」
ミカエルはすっかりふくれっ面だ。
俺の朝の散歩がよほど気に食わなかったらしい。
「しかし、我が主は神の狩人として唯一無二の存在、我が主の動向を把握するのも守護天使の使命です!」
「分かった分かった、俺が悪かった。次からメモしとくから」
「約束ですよ! ゼッタイですよ!」
俺が666号室にに戻ると、他の三人からも熱烈な歓迎を食らった。
特にウリエルは強烈だった。真剣は心臓に悪いぜ。
天使どもは今日は早めに学校に行くだとか何だとか言って、俺を置いてさっさと出かけていってしまった。
がらんとしたアパートの部屋で味噌汁をすすった。
スマホの画面は通知で賑やかだ。
佐久島樹里の画面はすっかり静かだった。
昨日とは大違いだった。
ええい、もういいだろ。あいつのことは。
あの佐久島樹里だぞ?
京介に恥をかかせて大笑いする女だぞ?
無視しよう。気にするな。意識からシャットアウトだ。
エンジェルレンジャー弁当に蓋をして、鞄に放り込む。
俺は学ランに袖を通した。
「いってきまーす」
いまさら眠くなってきた。
しまったな。居眠りに厳しい先生の授業があるのにな。
……………………。
2-Aの教室に一歩足を踏み入れた瞬間から、嫌な予感はしていた。
浮ついた騒がしさとか。
昨日、ミカエルが購買でカラフルなマジックと模造紙を買っていたこととか。
今日も今日とてエンジェルレンジャー弁当を作ってくれたこととか。
でも俺は信じたくなかった。
「さっすがミカエルちゃん、センスやっば! やっば! これは画像配信待ったなしだね!」
ナツキがあらゆる角度からスマートフォンで写真を撮っている。
彼女だけじゃない。あちこちで笑い声が、あるいは距離を置くための冷ややかな無視が始まっていた。
それもそのはず。
黒板いっぱいに、赤青緑黄、原色まみれのカラフルな張り紙がはられていた。
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求ム新隊員! 正義の味方、天使戦隊エンジェルレンジャー部!
~愛と勇気と真理のワールドが君を待っている~
活動内容:正義
活動時間:二十四時間三百六十五日、正義に休みはありません。
活動場所:全宇宙。放課後会議は保健資料室にて。
・部長
東野ミカエル(2-A)
・副部長
天堂城太郎(2-A)
・筆頭部員
北野ガブリエル(2-A)
南野ウリエル(2-A)
興味のある方は東野ミカエル、もしくは顧問の西野ラファエルまでご連絡を!
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「おはようございます!」
吹っ飛ぶ勢いで扉が開いた。
真っ赤な髪は寝ぐせ全開、一本はアホ毛となってぐるんぐるんしている。
クラス全員の視線が集まり、一部が意図的に逸らした。
俺もそのうちのひとりだ。
「みなさん!」
2-Aの二大騒音スピーカー、東野ミカエルだ。
もちろん二人目は吉乃ナツキな。
ミカエルは大股で黒板の前に立ち、張り紙を平手で叩いた。
風船が爆ぜるような音がした。
すでにナツキは動画撮影アプリを立ち上げ、スマホのカメラをミカエルに向けている。
「みなさん! わたしは恵田高校はすばらしい学校だと思います。美しい校舎、緑豊かな環境、自由な気風、魅力的な教師陣……」
教師陣、のところに力を妙に力が入っている。
彼女なりの皮肉か?
「しかし。唯一この学校に足りないものがあります」
教室からひとりふたり、逃げるように去っていく生徒がいると思えば、廊下側の窓から、近くの教室の生徒が覗き見している。
俺も逃げたい。俺も逃げたいけど、ミカエルが三秒に一回俺を見てくる。
「それは何だと思いますか、我が……じゃない、天堂城太郎さん!」
俺を指さすな。
「知るか」
「そのとおり、正義です!」
話を聞いちゃいねえ。
ミカエルは天空に向け人さし指を一本立て、腕を伸ばした。
朝の陽光に照らされて、髪も肌も輝いていた。
「よってここに! 正義の味方、天使戦隊エンジェルレンジャー部の発足を宣言し、新隊員を募集します!」
夢なら覚めてくれ。
俺は自分で自分の頬をつねった。
痛かった。