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なぜ俺は放課後、天使と堕天使のハーレムと正義の味方してるんだ!?  作者: 一色一二三
第三章 正義の味方、エンジェルレンジャー部
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第十九話 天堂城太郎はコーヒー党で佐久島樹里はココア党である

 俺はノイズの海を泳いでいた。

 ゆらめく炎が沈んでは浮き上がる。

 あらゆる人々が何ごとか話しているが、ノイズにしか聞こえない。


 Whosoever shall smite thee on thy right cheek, turn to him the other also.

 誰か汝の右の頬に於て汝を平手打ちせば、別の頬をもこれに向けよ。


 俺は昏迷する意識のなかで呟いた。


 くれてやる。

 すべてくれてやる。

 右の頬も左の頬も。右の腕も左の腕も。右の脚も左の脚も。


“我は汝を乞い願う。

 ゆえに汝を讃える。

 汝は素早き豹、威厳ある獅子、孤高の狼。”


 俺は身じろぎした。

 孤独な暗闇に詠唱が響いた。


“アインあれ。

 アイン・ソフを分かつアイン・ソフ・オウルあれ。”


 唱えているのは誰だ?

 硝子の鈴が揺れるような、聞き覚えのある声がする。


“アラボトのセフィラに生まれ、

 マルクトからケテルよりダアトへ上り、

 アツィルトより高みへ汝は上りしも……”


 おいおいミカエル、謳うならサバクンジャーの歌ぐらいにしてくれよ。

 それは危ない呪文なんだ。

 世界を真ん中からひっくり返す呪文なんだ。

 俺がミカエルの肩を叩くと、彼女は満面の笑みで振り返った。


 はい、レーズンパンです!


 俺の鼻っ面に表面に黒紫色の斑点のあるパンを押し付けられた。

 名状しがたきレーズン臭に呼気が侵され脳髄までレーズンが満ち満ちてレーズンのレーズンがレーズンしてレーズンレーズンレーズ――――





「レーズンパンだけはやめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 視界が急転する。意識が引き上げられる。

 俺は腹筋だけで飛び起きた。

 息をつき、現実世界であることを確認する。

 布団は跳ね飛ばしてしまったらしい。

 静かだ。

 俺の両サイドのミカエルとガブリエルですら起きる気配はない。

 大声を出してしまった気はするんだけどなあ。

 窓から外を見ると、暗い。

 俺は手探りで枕元のスマホを取り上げた。

 三時半。暗いわけだ。

 二度寝したいところだが、さっきの悪夢が頭をもたげる。


「…………」


 俺はそうっと立ち上がり、ミカエルたちを踏まないよう、洗面所に向かう。

 顔を洗い歯を磨き、制服に着替えると、すっかり目も頭も冴えた。

 今日は肌寒い。

 玄関脇のダウンジャケットを引っ掛け、俺は静かなアパートを後にする。





 朝日のカケラすら昇っていない。

 俺はママチャリを停め、公園のベンチに腰を下ろした。

 自動販売機がぺかぺかと輝いている。

 俺はダウンジャケットのポケットから血の聖書を取り出した。

 考えてみれば、天使どもがやってきてまだ三日と経っていないのだ。

 中身もろくに見ていない。

 もちろん、母親には連絡をよこせと留守番電話を吹き込んだが、返事はない。


「母親は天使どものことも、俺が神の狩人(ハンター)に生まれながらに選ばれていたってことも、知っている」


 深夜の住宅街は耳が痛いほど静かだった。

 騒々しさから逃れた俺は、今までの出来事を整理することにした。


「血の聖書は魔術書だ。これを持って詠唱すればいろんな術が使える」


 俺は表紙を見た。

 ぼろぼろの赤茶けた革表紙に金文字で判が押されている。


「『THE BIBLE』……英名で刻まれているから、アメリカ? イギリス? カナダ? ……英語圏の国ってほかにあったっけ」


 こういうとき、己のアホさ加減に辟易する。


「年代は分からん。そもそも天使が持っていたのなら、経年劣化してないかもしれねーし、俺の常識は通用しない」


 俺はぱらぱらと中を見た。


「タイトルは英語だけど、中身はさっぱり読めない……英語っぽいのはあるけど、別の言語も混ざってるか、暗号になってるか――」


 俺は手を止めた。

 急いでめくりすぎたページを戻す。

 そのページは他のページと同じく、赤黒い文字や数字、図形の羅列だったが、


「読める」


 俺はつぶやいた。

 ひどく見覚えのある文章だった。


零番アインから六番ティファレトのセフィラより』

『我が前にミカエル、東座より来たれ』


 ミカエル、ガブリエル、ウリエル、ラファエル。

 すべての憑依術の詠唱が記されている。

 俺はページを片っ端からめくっていった。


「使えるようになった術は、詠唱が読めるようになっている……?」


 どうやらそういうシステムらしい。

 いよいよ人智を超えてきたな。

 きのう、ラファエルの言った「危ない大魔術」の詠唱はさっぱり見当たらないので、やはり俺にはまだ遠い術らしい。

 ウリエルが忘れろって言ったのが気になるけれども。


 と、ぼさっと考えていたら、

 ――――がっしゃん。


「あ?」


 俺は顔を上げ、ポケットに血の聖書をねじ込んだ。

 自転車が道端に倒れていた。そばに誰か蹲っているようだ。

 おいおい、こんな時間にどうしたんだ。

 俺はベンチから腰をあげた。街頭の光をたよりに歩み寄る。


「大丈夫ですか」


 若い女性のようだ。

 明るい色のダウンジャケットを着こみ、髪を脱色している。

 どうすべきか。

 天使どもなら叩き起こせるだろう。


「立てますか? 誰か呼んで来ましょうか」

「いい。怪我してないから」


 喉が荒れているのか、声がいがらっぽい。

 路上になにか散らばっている。

 拾い上げると、ビニール包装された新聞紙だった。

 新聞配達の人か。どおりで朝早いわけだ。

 俺は残りも拾おうとしゃがみこんで、


「え」

「あ」


 女性と目が合った。

 互いに黙り込んで、まじまじと互いの顔を見てしまった。


 枯れた眼に整った顔立ち。薄い眉に薄い化粧。

 直感で悟った。

 まつげの量をを三倍ぐらいにして、アイシャドーとチークを塗りたくり、髪を巻いてリボンのでかいセーラー服を着せたら。

 俺は脳内でモンタージュ写真を作ってしまった。


「アンタ、Aクラスの」

「おまえ、Lクラスの」


 佐久島さくしま樹里じゅりだ。





 当たりどころが悪かったらしい。

 自転車のスポークが歪んでしまい、自転車がろくに動かなくなった。

 仕方ないので至急新聞紙を俺のママチャリに積み込み、残りの家をいっしょに回った。

 佐久島は背が足りなかったから、俺がママチャリを漕いだ。


「コーヒー嫌いだった?」

「嫌い。ココアくれ」

「はいはい」


 新聞店から戻り、ふたり並んでなんとなしに再び公園に来てしまった。

 太陽の光は、空の底辺を僅かに照らしている。

 俺は自動販売機に三百円放り込み、缶コーヒーと缶ココアのボタンを押す。


「熱いから気をつけろよ」


 佐久島に缶ココアを渡す。

 ベンチに座り、親指で栓を空けた。

 樹里はきっかり一人分の間を空けて、座った。

 缶に口をつける。

 この銘柄は初めてだが、ブラックのくせに甘い。駄目だな。


「だれかに言ったらぶっ殺す」


 佐久島が口を開いた。

 俺はコーヒーを飲み下した。


「Lクラスの女王サマが新聞配達のバイトかぁ」

「殺す」

「言わねーって」

「信用できない」

「言って俺に何の得があるんだよ」

「ネタになる」

「自覚してるんだ」

「だから新聞配達してる。この時間ならだれにも見られないから」


 あちっ、と小さく呟いて、佐久島は缶から唇を離した。

 灰色のスウェットに蛍光色のダウンジャケット。化粧っ気のない顔。

 スウェットの裾はすり切れている。


「金、無いんだ」


 ぽつりと隣から声がした。


「オヤジと二人暮らしなんだけど、オヤジはすげえ人が良くて……安月給の会社員だけど……馬鹿みたい。誰にでも金を貸すし。騙されても怒らねーし」

「…………」

「いまもアタシより一回りか二回り歳上の女にしょっちゅう金せびられてて。生活費、あいつにどんどん渡しちゃうの。でも収入はあるから生活保護は受けてねえの。バイトしなくても、なんとか生活はできるの」


 これが学園テレビドラマなら、この不良は暴力クソ親父がいてビンボーでエンコーでもしないと生活していけなくて、となるんだろうけど、佐久島にそんな悲壮感はなかった。


「でも、なんとか生活してるだけだと、全然楽しくなくて」


 乾いている。

 缶からココアの湯気がたなびいては消えていく。


「中学校のとき、マジ陰キャラだった。制服も鞄もあったしケータイだって持ってた。でもそれだけじゃダメだった。うちさ、テレビ無くて。友だちとカラオケやショッピング行く余裕もないの。オヤジは女のところに通い詰めで帰ってこねーし」


 佐久島は足をぶらぶらと揺らした。


「飯食って寝るだけの空間なの。犬小屋みたい」


 世の中の貧困家庭に土下座しろ。

 と俺は言いかけたが、考えてみれば俺にはカラオケやショッピングに行く余裕があった。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が日本人にはあるらしい。きっと佐久島はその程度のことはできて――ソレ以上のことができなかった。


「年齢サギって最初にバイトしたのが中一のとき。しなびたパチンコ屋で深夜に掃除して、三万貯めて、ブランドものの小さな財布買った。最新作だった。そしたらクラスメイトが褒めてくれて……人が集まってきて……嬉しかった」


 横目で佐久島を見やると、彼女は俺を睨んだ。


「バカだと思ってんだろ。隠れてバイトしてメイクして買い物して」

「俺だって小遣い一切無かったらキツいわ。バカだとは思わねえけど……」


 返事に窮する。

 きのう、京介を吊るしあげて女子の群れを率いて寄ってたかって虐めていたってのに、なんできょうはこんなにしおらしいんだ。

 いくらバイト中の姿を見られたとはいえ、佐久島には覇気がなかった。睨む目にも力がない。ただのこどもだ。


「……なんかあったのか」

「友だちいなくなった」

「は?」


 自分でも自分の目ん玉が丸くなったのが分かった。


「ぼっちになった。死にたい」


 朝方の人生相談にしちゃ、重すぎねーか。

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