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第十七話 通りすがりの美化委員がよき知らせを携え保健室を訪れる

「へえ、そんなことがあったんだ。幕下クンも災難だったね」


 ナツキとラファエルも交えて、俺たち七人は昼食をとっていた。


『もとは小さな会議室かなにかだったらしいけど、使われてない部屋が隣にあるの。よかったら昼食をごいっしょなさらない?』


 と、ラファエルから連絡が入ったからだ。

 京介に言ってみたら、俺の知り合いならと了承した。

 ミカエル、ガブリエル、ウリエルは三人とも情報交換を兼ねて同席し、京介のタルト目当てにナツキも当然のようについてきた。


 ラファエルがすっかり掃除したらしく、十数畳程度の部屋は快適だった。

 大きな窓があり、明るい。

 会議室用の長机とパイプ椅子を並べれば、立派なランチ会場になった。


 弁当はもう食べ終わった。

 五人揃ってエンジェルレンジャー弁当である理由をナツキに問い詰められ、ミカエルが同居をバラしかけたが、俺はなんとか制した。


『俺の母親の知り合いでさ。ほら、研究でベツレヘムの学校を回ってて、そのときに知り合ったんだよ。来日するって聞いて母親もいろいろ世話してさあ』


 かくして誤魔化しに成功した。

 ナツキがバカでよかった。京介がお人好しでよかった。

 住所は『留学生用の学生寮』にしておいた。

 これならやや遠方に実在するし、一般生徒は立ち入れないからな。


 難を超え、パティシエ・幕下京介のタルトと、ラファエルが保健室の給湯器で淹れたハーブティーで食後のデザートタイムを迎えた。

 登校初日は午後の授業がない。

 熱心な部活は午後を練習にあてているが、俺も幕下も、もちろんミカエルたちも無所属なので、のんびりとしている。


「Lクラスの女王、佐久島樹里か。あたしも噂はよく知ってるわ。とんでもないのに引っかかっちゃったね」

「ナツキ。どんなにネタになるからってネットに流すなよ」

「わかってるわかってる。眉間にしわが寄ってるゾ」

「おまえの口の軽さは一級品だからな」

「ひっどーい。さすがにあたしだって、幕下クンにひどいことはしたくないよ。タルトおかわりちょーだい」

「気に入ってくれた? ありがとう」


 京介は本当に嬉しそうに笑った。

 桜香るチーズタルトを、器用に切り分け、ナツキの紙皿に載せた。


「はい、どうぞ」

「ありがと! 幕下クン愛してる!」

「幕下さん、わたしにももう一切れください!」

「レーズンパン三本食ったあとでまだ食うんかい!?」

「お弁当は前菜、レーズンパンがメインディッシュ、タルトがデザートです」

「美味しいね。ボクもおかわりいただけないかな」

「私の分はあるかしら? お茶のおかわりがほしかったら言ってちょうだいね」

「大きめにつくったから、ひとり二切れはあるよ。南野さんは……」

「地上の菓子などいらぬわ」


 ふいとウリエルは顔を逸らしてしまった。


「だが、どうしても余るというのなら食してやらんこともない」


 ほう。

 思ったより分かりやすいな。

 ラファエルは京介に向き直り、


「ウリエルちゃんはとっても食べたいらしいわよ?」

「余計な解釈をするなっ!」


 ウリエルの顔は真っ赤だ。

 ガブリエルもラファエルもナツキも揃ってにやにやしている。

 俺もにやにやしたいが、後が怖い。

 ポーカーフェイスをキメることにする。

 ただ京介がひとりうろたえて、


「ごめん。無理させちゃったかな」

「ウリエルはいわゆる『ツンデレ』だからね。気にすることはないよ」

「こんなに分かりやすいツンデレちゃん、初めて見たかも」

「つんでれなどではない! 早くタルトを載せよ、すぐに食してみせるわ!」

「はいはい、喉に詰まらせちゃだめよ」


 ラファエルがウリエルのティーカップに、追加のハーブティーを注いだ。 


「それにしても、本当に幕下さんは大変な目に遭ったのねえ」

「あはは。あんなにひどいのもひさしぶりでした」

「笑いごとじゃありませんよ! 傲慢かつ極悪非道な行いを思い出すだけでわたしの胸に怒りがこみ上げてきます!」

「東野さんは優しいんだね」

「佐久島樹里は危険人物ぞ。小童こわっぱはもう関わるでない」

「俺にはウリエルが小童に見える。むしろ小学生」

「剣の錆になりたいようだな」

「ボクもウリエルの言うとおりだと思う。彼女の心に巣食うものは根深そうだ。京介のような存在は、余計に悪を助長させてしまうだろうね」

「しかし憎きは滝川誠……そもそもの元凶は彼ではありませんか!」

「えー。マコっちゃんは悪くないと思うけどなあ、あたし」


 やんややんやと騒ぐ天使と生徒二名を残し、ラファエルがそっと立ち上がった。

 ティーポットを持ち、音を立てずに保健室に向かう。

 きっとお茶のおかわりを淹れに行ったのだろう。


「吉乃さんはわかっていないのです、彼の邪悪さが! 佐久島樹里よりもしかしたらなお邪悪かもしれないその性根が!」


 ミカエルが大演説を始めたのを横目に、俺も席を立ち、ラファエルを追った。

 幸い、ナツキも京介も天使どももミカエルに注目している。


「ラファエル」


 ラファエルは茶葉の缶を開けた。

 爽やかなハーブの香りが漂った。


「なあに、天堂さん」


 彼女は俺の方を見ずに尋ねた。


「さっき言ってた、大魔術の呪文を教えてくれないか」

「なんのことかしら」

「とぼけるなよ。俺は俺がどこまで何を知っているか知りたいんだ」


 ラファエルはポットに新しい茶葉を淹れ、丁寧にお湯を注いでいく。


「天堂さんはどこまで覚えているかしら」

憑依ポゼッション離脱ウィズドラル加速ビーダッシュ熾天使六翼陣セラフウィングス焔纏フラベラム癒霧風ベトサダ心読記憶リードメモリー精神断絶シャットアウト。ウリエルの術はまだひとつも分からないが、憑依させれば変わるだろうな」

「詠唱文は?」

「すべて言えるが、必要じゃない。あと……聖書の文章をいくつか」

「それは」


 ラファエルはポットを置いた。

 机とポットが触れ合い、硬い音がした。


「英語かしら」

「そうだ」


 俺は語気を強めた。

 壁一枚隔てて、和気あいあいとしたお喋りが聞こえる。


「そうだよ。英語だよ」

「いまここで言えるかしら」

「言えない。さっきは言えたんだ。ちなみに俺は英語の赤点常連だからな」

「滝川先生にしっかり教えてもらえるといいわね。聖句が言えるのは、血の聖書(ブラッディ・バイブル)が呼応して伝えているのかもしれないわ」

「いいや。違うね。あれは教わる感覚じゃない。俺は思い出しているんだ」


 自分で言って、俺は確信した。

 まったく理屈に合わないし、理由すら思い浮かばないけど、一番最初にミカエルを憑依させた時点で気づくべきだった。


 キングスクロス駅、九と四分の三番線は帯分数だと思い出す(・・・・)感覚。


「いいわ。『大魔術』の詠唱ね。一回しか言わないから、よく聞くのよ」


 ラファエルは話題を最初に戻した。

 強引だった。

 だが天使どもは全員強引だ。

 嘆いてもしかたない。


 ラファエルはカップひとつひとつにハーブティーを注いでいく。


「我は汝を乞い願う。

 ゆえに汝を讃える。

 汝は素早き豹、威厳ある獅子、孤高の狼。」


 英語を覚悟していたが、日本語だった。


「アインあれ。

 アイン・ソフを分かつアイン・ソフ・オウルあれ。

 アラボトのセフィラに生まれ、

 マルクトからケテルよりダアトへ上り、

 アツィルトより高みへ汝は上りしも……」


 だが、続く言葉は意味不明だった。

 脳裏を虫が這い回るような感覚も何もない。

 内容を理解していない、英語の授業を聞いてるようなものだ。


「アインで割られたルクスよ……」

「もういい、ラファエル」


 ひとつ特異なことを挙げるとしたら、非常に不愉快な響きの詠唱だ。

 喉が詰まった。

 息が苦しい。居心地が悪い。

 背筋が怖気だつ。

 足元が不安定になる。

 インフルエンザにかかった初日ってこんな感じだよなと場違いに思う。

 ラファエルの笑顔が、やけに明るかった。

 彼女は艶やかな唇を開き、


「ディールークルムよ、コキュトスの主よ」


 俺でもラファエルでもない声がした。

 ラファエルの目が見開かれ、唇が閉じた。


「それ以上は危ない。わざわざオロールを地底から呼ぶことはあるまい」


 薔薇の香りが鼻についた。

 どこにいても目立つ男子生徒がひとり、いつの間にか扉の前に立っている。


「あら。よく知っているのね」

「僕の知り合いがオカルトに詳しくてね」


 大仰な身振りで、彼は口にくわえた薔薇を指でつまみ、ラファエルに向けた。

 口元は、蜜を含んだように笑んでいる。


こんにちは(ボンジュール)、美しき聖母メール太陽の乙女ヴィエルジェ・ドゥ・ソレイユは隣の部屋かい?」

「だれだ」

「なんだ君もいたのか。ああ、まだ名乗っていなかっね」


 俺はラファエルに比べたらオマケ扱いらしい。

 胸に手を当て、彼は大仰に一礼した。


「僕は三年生の畦道あぜみちという。喜びたまえ、よき知らせ(エヴァンジル)を持ってきた」


 堂々たる態度で名を述べたのは。

 忘れようがない、真紫色の学ランをまとう通りすがりの美化委員だった。

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