第十四話 醜いブタが三匹、Lクラスの女王に献上される
「キス! キス! キス! キス! キス! キス!」
いやなシュプレヒコールが響いている。
声ひとつひとつを取り上げれば、花咲く年頃の女子の声だ。
しかし、合わさるとこんなにも不愉快だとは知らなかった。
「キスしろよデブ!」
「ばーっちり撮ってあげるからさぁ」
こんなの女の園じゃない。
俺はコロッセウムを思い出した。
古代ローマだっけ? ギリシャだっけ?
とにかくあの辺の時代は、でっかい競技場で殺し合いさせて、偉い人が楽しんでいたらしい。
そういえば、昔は死刑もエンターテイメントだったんだよな。
そんな血なまぐささを、ここでも感じる。
「つまんねえの」
その女は、マスカラを塗りたくった長いまつげを瞬いて、場を見下ろしていた。
「キスしねーならさせればいいじゃん。そのデブ動かすのめんどいから、女のほう動かせよ」
俺はここに至るまでの経緯を思い出す。
全校千人。
一学年三百人、十三クラス。
なかなかの大人数を抱える恵田高等学校には四つのコースがある。
一番上の恵特Sクラス。
文系と理系が一クラスに混在している。旧帝大に超難関大学、人によっては海外進学まっしぐらだ。特進以下とは格が違う。
二番目の特進A・B・Cクラス。
AとBは文系で、Cだけ理系だ。大学進学を目指すけど、だいぶ凡人じみてくる。俺は2-A。民度はさっきの様子からお察しくださいだ。
三番目の普通D~Iクラス。
こいつらは成績別でクラス編成されていて、一番下のIクラスは専門学校やFランク大学、就職するやつもいるらしい。
そして最後に、J・K・Lの商業クラスだ。
恵田高等学校はもともと商業高校としてスタートした歴史があるらしい。
卒業生のなかには経済界の重鎮もいるらしく、寄付も手厚い。
ひとつ断っておく。
俺は全国の商業科高校生に敵意はない。
立派に資格とったり、ビジネスの勉強をしたりして、世に羽ばたく高校生が大半だろう。
だが。恵田高校の商業クラスは最悪だ。
そりゃあ昔は歴史ある商業科ってことで、超難関資格をとって市に表彰されていたりしたらしいが、今やそれはほんの、ほんの一握り。ゴマ粒ぐらいの割合。
あとはJKLの何を勘違いしたのか、遊び歩く女子高生のたまり場になっている。
特に一番下のLクラス――どん底のLクラスは学級崩壊を起こしているらしい。
非処女しかいない伝説、半数は妊娠経験済み伝説すらある。
上は東大から下は中退まで。
清濁併せ呑みすぎなのがこの高校の長所であり短所でもある。
俺とガブリエルは普通科から商業科の校舎に渡る。
空気が違う。
なんというべきか……「女」のにおいだ。
日焼け止め、ファンデーション、マスカラ、香水に整髪剤。
まだ四月なのに制汗剤を使いまくってるのか、むせ返るぐらいにおっている。
文系も女子が多いが、商業科にいるのは99%女子だ。
残りの1%は知らん。俺は商業科の男子を知らない。
それこそハーレムか……いやいや、あそこの女どもはハーレムにするには牙が鋭すぎる。
逆に食われるのがオチだろう。
三時限目の授業がとっくに始まっている時間だが、廊下はさわがしい。
パンツが実際見えるくらいスカートを短くしたり、股を広げたりして、女子が廊下にたむろしている。
微かに煙草のにおいすらする。
「ここは嫌いだよ」
ガブリエルが呟いた。
「ガラが悪いのばかりだからな。確かにガブリエルには向いてない」
「違う。男子がいないから妄想のしようがない」
「そっち!?」
「2-Aはまだ男子がいたのに」
「俺や京介をオカズにするなよ、頼むから」
「ボクはぽっちゃり系もイケる」
「嬉しくねえ情報をありがとう」
「こうなったらヤニくさい天井×ガムとゴミまみれの床とか……」
「本題いくぞ」
ガブリエルが末恐ろしい。
「さっきまで幕下君もミカエルもウリエルも、廊下で騒いでいたんだ」
「いねえな。どこかに移動したか?」
少なくとも、俺たち以外の男子の姿はない。
俺たちに廊下の女子たちの視線が突き刺さる。
「なに、あいつら」
「普通科のやつらじゃない?」
俺たちは抜群に目立っていた。
男子自体レアだからしょうがない。
「きっとそーだよ。L組のジュリが普通科のデブで遊んでたじゃん」
「お迎えにきてあげたんだぁ。やっさしい」
「おい、そいつらの居場所知ってるのか。教えてくれ」
「え~、どーしよっかなぁ」
「諭吉何枚出してくれる?」
校舎で堂々とカツアゲかよ。
俺はガブリエルと目を合わせた。
女子は二人。
幸い、ここは防火扉の陰になっていて、周りからは見えにくい。
「“零番から九番のセフィラより”」
俺は血の聖書を後ろ手に回し、
「“北座よりガブリエル、我が前に来たれ”」
指先の感覚だけで該当ページを開き、早口で詠唱する。
「“憑依せよ《ポゼッション》”」
《御心のままに》
そういえば、「アズ・ユウ・ウィッシュ」も多分“As you wish”で英語だよなと思ったが、いまは気にしていられない。
「へ?」
「は?」
突然気絶してぶっ倒れたガブリエルに、女子二人は唖然としている。
思考の追いついていないいまがチャンスだ。
《城太郎、記憶を読む術は使えるかい》
「ああ。役立たせてもらう」
俺は血の聖書を小脇にはさみ、両手の人さし指で二人の額に触れた。
断じてセクハラではない。
「失礼するぜ。“北座専術・心読記憶”」
ふわりと指先に光が宿る。
二人の脳から俺の指を伝い、記憶がいっぺんに俺の意識になだれこんできた。
二人一度に読むんじゃなかった。
後悔するも時すでに遅し。
ごちゃまぜの記憶が俺の頭脳を直撃して、意識がぶっ飛びそうになる。
ずるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる。
まるで。脳みそが小倉パスタと激辛ラーメンをいっしょに啜っているようだ。
甘いも辛いもごちゃまぜになってわけがわからない。
想像以上に、キツい。
集中しよう。
俺は目を閉じて脳内の記憶から目当てのを探り出す。
避妊しろよ、後できっと後悔するぞ~。
うわこのプレイはキツイわ、男の俺でもないわ。
って、違う違う!
非処女な二人の無修正エロ記憶は無視だ、無視。
ギャルは俺の好みじゃねーんだよ。
「Lクラスに連れ込まれたか。面倒だな」
俺は指を離した。
ギャル二名はまだ呆けている。
「京介はトイレか何か行ったすきに、Lクラスの女子グループに無理やり商業科校舎に連れて来られた。何やろうとしたかは知らんが、それに気づいたミカエルが追いかけてきて言い争い、Lクラスの連中がやってきて教室に連行――ってところだ。ウリエルもいっしょらしいな」
《Lクラスの彼女たちは、京介で何をしようとしていたんだろう》
「カツアゲかおふざけか知らんが、ろくでもねーことだろ。行くぞ」
《ボクは離脱しようか?》
「このまま精神体でいてくれたほうが都合がいい。華奢で弱っちい男はこういうとき役に立たねえ。火に油を注ぐ」
《それ、君が言えることかな》
「ガブリエルよりは体格あるね。ここはあまり人が来ないから、おまえの身体を置いといても、短時間なら問題ないだろ」
俺が二人に目を向けると、いまさらのように、
「なに一人でぶつぶつしゃべってんの」
「マジキモッ」
反応したので、俺は手をかざし、
「“精神断絶”」
眠っていただくことにした。
俺はガブリエルの身体を防火扉にもたれかけさせた。
ちょっと見ただけじゃ、三人仲良くただ廊下で居眠りしてるだけ。
違和感はない。
ごめん。
バリバリにあるわ。
見つかったら怪しまれるどころか笑いものだ。
「床に座らせて悪い。さっさと終わらせるぞ」
《構わないよ。しょせん仮の肉体だ》
ラファエルを呼ぶのは手間だ。
そういうことで、俺と精神体のガブリエルは、いそぎLクラスへ向かった。
Lクラスはまさにコロッセウムだった。
三時限目のはずだが、教師の姿はない。
もう学級運営を放棄しているのだろうか。
机やいすはでたらめに隅に押しのけられ、女子たちが車座に集っている。
俺はミカエルとウリエルを見つけた。
それぞれ女が三人がかりで捕まえている。
二人とも必死に暴れているが、しょせん肉体は並みの女子とあまり変わりないのか、抑えつけられてしまっている。
真ん中には、京介がひとりで転がっていた。
上半身裸で、下半身はトランクス一丁だった。
「ねえ。早くしろよ。ブタとブタ女をキスさせるんだよ」
教壇には教師の代わりに、女がひとり座っていた。
ギャル系。渋谷系。ハデ系。キャバ系。
脱色した髪を巻いて盛って、メイクもファッションもモデルのようにキメているあの女を、こう形容するのはたやすい。
けれども。
あれは違う。
ギャルの一言で片づけるには、まとう雰囲気の格が違う。
Lクラスの女王、佐久島樹里。
すべての退屈を背負ったような表情で、女は笑った。