第十二話 通りすがりの美化委員がミカエルの髪を赤薔薇に例える
どすこい京介はあっという間にクラスの人気者になった。
ホームルームが終わると、どっと京介の周囲に人が集まった。
「しこ踏んで、しこ!」
「どすこい京介、相撲しようぜー」
「スイーツ力士のクラスってここ!?」
「写真撮って良い? どすこい京介って誰だよ見たいって、他のクラスからもメッセージ来てさあ」
「どすこい君、このまま相撲部作っちゃえば? きっと滝川センセが応援してくれるよ」
「しこ踏むたびに腹がハムみたいになってる!」
俺の近づく隙間がない。
転入生らしく、ガブリエルとウリエルにも人だかりができている。
「ガブリエル君ってチョーかわいいよね」
「いや、ボクは男だからかわいいってのは……」
「かわいいよ! 草食系ブームだし、かわいい方がウケるウケる」
「髪結んでみない? 耳元二つ縛りならギリギリできるって! ウリエルちゃんとおそろいになるね!」
「ガブリエル、演劇部入らね? 男子がいなくってさあ」
「ボクは部活はその、まだ考えていなくて」
「演劇部ぅー!? ガブリエル君が女役やったら絶対見るぅー!」
「ウリエルちゃんって貴族? お嬢様?」
「たわけが。貴族などという世俗の階級に我は収まらぬ」
「そもそもベツなんとかってどこなの。ヨーロッパ? アメリカ?」
「英語喋れるの?」
「聖なる地たるベツレヘムも知らないのか! 最近の人間どもはまったく嘆かわしい……」
「あはは、ウリエルちゃんったらおっさんみたいなこと言ってる」
「ウリエルちゃんは入る部活決めた?」
「いいなあ、女子は。ウリエルさんに近づけて」
「高嶺の花だよなあ。ああは言ってるけど、ぜったいお嬢様だよなあ」
そんななか、俺はミカエルにはあっさり近づけた。
隣の席とかそういう問題ではなく、ミカエルの周りには誰もいなかったからだ。
まるで、ドーナツの穴と生地が逆転してしまったように。
「ミカエル」
「…………」
「おい、ミカエル」
「わたしは天使として失格なのでしょうか」
「拗ねるなって。発想が飛びすぎだろ」
嘆息して、俺は自分の席に座る。
俺としても、京介に近づきにくいせいで、休み時間を過ごす相手がいなくなってしまったのだ。
「ああいう『いじられキャラ』ってのがクラスにひとりはいるんだよ。本人も悪くは思ってないようだし、いちいち気にしてたら学校生活なんか遅れねえぜ?」
「いじられキャラ……性格ですか」
「どっちかっていうと役や評判だな」
そもそも英語としての意味を忘れてしまい、俺はスマホで検索しながら言った。
俺は文系だが、英語は苦手だ。
「派手キャラとか、いじりキャラとか、いじられキャラとか、みんなキャラをある程度作って、クラスになじめるようにしてるんだよ。滝川先生は熱血キャラだし、京介はあのままだったら、ただの地味キャラか、デブとかピザとか、もっと悪いあだ名をつけられたかもしれない」
「しかし、どすこい京介も、十分人を馬鹿にした名前でしょう」
「いじられキャラなんだから、ある程度はしょうがないだろ」
「キャラ、キャラ、って、キャラを免罪符のように……そういう我が主のキャラは何なのですか!」
「可もなく不可もない地味キャラを毎年目指している」
「みなさんはもっと自由に、自分の心赴くままに過ごせないのでしょうか……」
「みんな自由だ!」
ばん!
と机が叩かれた。
「不自由だなんて勘違いしちゃ嫌よ、ミカエルさん? ちゃん? 東野さんの方がよかった?」
「ミカエルで構いません。どなたでしょうか」
「ふっふっふ。聞いて驚け見て驚け、天堂城太郎クンの十四年来の幼馴染にして腐れ縁、吉乃ナツキたぁ、あたしのことだ!」
全校きっての自由人キャラが来てしまった。
そういえばナツキはずっと車内にいたし、ミカエルたちはさっさと帰ってしまったから、こいつらお互いに面識が無いんだ。
ミカエルたちは俺から名前だけ聞いているけれど。
「いーい、ミカエルちゃん。この世はすべて舞台なり!」
ナツキは両手を大げさに広げた。
「男も女もすべて役者にすぎぬ。All the world's a stage, and all the men and women merely players!」
やたら滑らかな発音でナツキは高らかに言う。
俺は、そういえばナツキは大英語が得意なのを思い出した。
洋画を字幕なしで楽しんでしまうぐらいだ。
「これシェークスピアの『お気に召すまま』の名台詞ね」
「ナツキさんは物知りなのですね」
「ひれ伏してオッケー。崇めてくれるとなおよろしい」
「それ、俺以外にも言ってるのかよ」
「恐縮ですが、わたしが崇めるのは父……じゃない、神のほかありません」
「ありゃ。そっか、ハーフだもんね。宗教があるか。ゴメンゴメン」
ハーフに対する偏見がすさまじいな、オイ。
まあそんなもんか。
文系特進クラスとは言っても、受験知識以外は頭に入れないもんな。
ベツレヘムはヨーロッパかアメリカかウリエルに聞いてたやつが良い例だ。
「ミカエルちゃん、人はみな、人生という劇を生きる役を演じる役者に過ぎないのよ。この世界という名の舞台で、みんな各々好きなように役を演じているわ! だから自由!」
ナツキが言うとやたら説得力がある。
だがな、ナツキ、違うんだよ。
俺は黙ったまま考える。
おまえは自由に自分のキャラを――騒音系でも博愛主義でも――定義付けて、心の底から演じて、人生を楽しむ手段にしているかもしれない。
その意味では俺もナツキと同じだ。
人生を平穏に過ごす手段として、自ら地味キャラを選んでいる。
だけど。
だいたいのやつは、京介のように、周りの空気や流れによって、キャラが決まる。
ミカエルだってそうだ。
このクラスでは、すっかり「浮いたキャラ」として定着してしまって、
「なるほど!」
え。
ミカエルの目に光が戻っている。
「ありがとうございます、吉乃さん。わたしがゆくべき道が見えました」
「ホント!? いやー、ミカエルちゃんが暗い顔してるのが気になっちゃってさ。元気になってよかったよかった」
「はい! このミカエル、すっかり元気です!」
ミカエルは上気して立ち上がり、明るく叫んだ。
「我々がみな役者! つまり、わたしは正義の味方キャラになるべきなのです!」
どうしてそうなった。
「おおー! 正義の味方キャラの誕生だね!」
ナツキは盛り上げるな!
調子に乗らせたら天下一品の逸品だぞこいつは!
「思い立ったが吉日! どうです、我が――」
「ミカエル」
「あっ。ええと、天堂さん! わたしといっしょに正義の活動をしませんか!」
「その前に休み時間が終わるぞ。次はオリエンテーションだろうが」
俺は壁の時計を指さした。
あと一分で、次の時間だ。
「大変です! あと一分で早く世の間違いを正さねば! 天堂さん、吉乃さん、わたし、学内のパトロールに行ってきます!」
「それでこそミカエルちゃんだ! あたしもいっしょに行く行く!」
誰かこいつらを止めてくれ。
ナツキの笑顔の輝きがヤバい。
もちろんあいつはミカエルの正義に同調しているわけじゃなく、ただ面白いネタを見つけて、ネットで繋がっている何百人(何千? 何万?)の「友だち」に知らせたいだけなのだ。
ミカエルは疾風怒濤の勢いで教室から飛び出し、それをナツキが追った。
どっと全身から力が抜ける。
「城太郎、ミカエルがどこに行ったのか知らないかい。もうすぐ授業が始まってしまう」
「俺が知りたいよ」
「うぬ? 貴様、いまからどこに行くのだ」
「トイレでーす」
もうイヤだ。オリエンテーションはサボろう。
ミカエルの正義レーダーに滝川の発言がまた引っかかって、一時間目の悪夢が繰り返されたらたまらない。
俺は廊下に出て、さて保健室はどっちかなと思い出していたところで、
「やあ、君が天堂城太郎かい?」
肩をいきなり叩かれた。
ぎょっとして振り返る。
「どちら、さん、ですか」
見知らぬ男子生徒が、赤い薔薇をくわえて華やかに微笑んでいた。
薔薇の香りが俺の鼻を包む。
安いシャンプーみたいな匂いではなく、もっと高級そうなフレーバー。
ひとつ学年は上だろうか。歳上に見える。
目立つ。目立っている。
廊下ですれ違うあらゆる生徒の目を引いている。
原因は間違いなく、口にくわえた赤薔薇と服装だ。
彼は絵の具のチューブから絞り出したような、強烈な真紫の学ランを華麗に着こなしていた。
上履き代わりの革靴まで紫色に磨きぬかれている。
確かに、この学校の規定に色はない。
いっそ私服にしろよと思うが、セーラー服と学ランは理事長の趣味らしい。
格好をつけて紺色や茜色のやつはいるが、紫ってのは初めて見た。
すらりとした体躯、整った顔立ち、カールがかったオールバックの短髪。
俺は四十年ぐらい前の少女漫画を思い出した。
絶対に、絶対に、俺の知らない人だ。
「通りすがりの美化委員……かな」
俺の地味キャラ人生に関わるべき人材ではない。
「さっき僕のそばを、気まぐれな風精霊のように駆け抜けていった少女の名前を知っているかい?」
「あ、あー。吉乃ナツキですか」
「ノンノン。彼女は日本人のようには見えなかった。そう、まるで」
白魚のような指で口元の薔薇をつまみ、花弁を俺につきだした。
「この薔薇の花のように、猛々しいほどに紅い髪をした乙女だよ」
「東野ミカエルですね」
俺は即答した。
あいつは風精霊というよりブルドーザーだろ。
「ミカエル! どおりで太陽のごとき輝きを放っているわけだ」
ワァオー、と大げさな身振りで男子生徒は喜び、再び薔薇をくわえた。
薔薇に突っ込むタイミングを俺は見失った。
「ありがとう、ありがとう。君についてももっと知りたいけど、僕は彼女をいまから追いかける。また後ほど!」
ひらりと手を扇のように振り、美化委員は廊下を曲がっていった。
薔薇の香りが残る。
俺は聞きそびれた。
そもそもなんで、あいつは俺の名前を知っていたんだ。