第十話 滝川誠は内気な生徒をクラスに馴染ませるべく努力する
「東野ミカエルです。特技は正義の味方です!」
「北野ガブリエルだよ。保健体育と生物が好きかな」
「南野ウリエルだ。貴様らに紹介する事柄などない」
「ミカエルにガブリエルにウリエル。みんなカッコイイ名前だな! 日本の学校に入るのは初めてらしいから、みんないろいろ教えてあげるんだぞ!」
三人は一列に並び、いっせいにお辞儀したり手を振ったりした。
「はーい」
「よろしく!」
「カワイイ!」
「カッコイイ!」
「赤い髪のコ、めっちゃタイプだわ」
「俺的には緑のツインテールの方かなぁ」
「さっきの保健室の先生が最高だろ。胸でかいし」
「メガネかけた青い髪のコ、カッコかわいくない?」
なんでみんな当たり前のように受け容れているんだ。
そもそも、明らかにウリエルは学校が違うだろ。
このロリコンどもめ。
「じゃあミカエルは……天堂城太郎の隣だな。ガブリエルとウリエルもそことそこの空いている席に座ってくれ」
反論もできぬ間に、ミカエルが素晴らしい笑顔で俺の隣の席に座った。
俺の毛穴という毛穴から汗が噴き出している。
「じゃあ連絡事項を伝えるぞ。退屈だろうが寝るなよ?」
俺の耳は何も聞いちゃいなかった。
「おい。なんでおまえらがここにいるんだよ」
「我が主を物理的に近い距離から守護するのはわたしたちの使命です。市役所の戸籍係さんと、高校の事務員さんにちょびっと協力していただきました」
「協力という名の脅しじゃねえだろうな」
「そんな悪いことはしません! 見えないだけで世界中にわたしたちの仲間はいるんですよ、ちょっと力を借りただけです」
「生徒の様子もおかしいだろ。天界式の催眠術でも使ったのかよ」
「人体には無害です」
無駄だ。
こいつらはセーラー服を着たブルドーザーみたいなものだ。
正義の味方なんかじゃない。
歩く無法地帯、ミカエル。
俺は諦めてガブリエルを見た。
どこからどう見ても、俺と同じ古式ゆかしい学ランを着ている。
確かに誰もガブリエルが女だとは言っていなかった。
一人称も「ボク」だったし、ファッションセンスも男寄りだった。
母親はブラやパンティを送ってきたが、すべてが女物とは確認していない。
俺に服を漁る変態趣味はない。
だが、だが、しかし!
ミカエルもウリエルもラファエルも女だとしたら!
普通! ガブリエルは女だと期待するのではないのだろうか!
世界中の思春期男子諸君! 俺に同意を!
「ガブリエルって男だったのか」
俺はミカエルに囁いた。
「肉体は男性のはずですよ? ただ、わたしたちには元々性はありません」
「…………。ならミカエルが男になる未来もあったのか」
「ええ。ただ、我が主は男性ですので、女性のほうがお好みかと思って、わたしはそちらを選びました」
「なるほど」
「ガブリエルは男性同士の恋愛を好み、よりよく男性の身体を知りたくて選んだようです。ひょっとして我が主も男性のほうがお好みでしたか?」
そーだよ、そもそもガブリエルにはBL趣味があったじゃねーか。
ということはあの子腐女子ならぬ腐男子になってるの。
闇が深すぎる。
「いや、いい! 俺にそっちの趣味はない」
「おーい! そこの席、静かに! 転入生とさっそく仲良くなるのは大歓迎だが、いまからクラス全員の自己紹介タイムだ!」
俺は口をつぐんだ。
あの熱血教師にいらぬ誤解を与えたようだ。
「あと、ここで『我が主』って呼ぶのはやめてくれ。変なプレイ中だと思われるだろ」
「むうー。そればかりは致し方ないですね……」
それだけ言って、俺は滝川に向き直った。
悪いが『マコっちゃん』なんて気持ち悪いニックネームは使いたくない。
「名前を覚えるってことは、仲良くなるうえでとても大切なことだ。声をかけるときも、名前を呼ぶと親しくなれる。2-A、文系特進クラスで誰一人寂しい思いを俺はさせたくない。だから、まずはみんな、お互いの名前を覚えよう」
滝川の理屈は分からんでもないが、俺は微妙な居心地の悪さを覚えた。
隣に目をやると、ミカエルは滝川の言葉に逐一頷いている。
確かに二人の親和性は高そうだ。
「じゃあ名簿順に自己紹介をしていこう。名前と部活と、出身中学校、今年の目標、将来の夢をを言っていってくれ。夢はでっかくだぞ!」
十七歳。
そろそろ己の限界が――例えば、今からプロのフィギュアスケーターになろうっていうのは難しい、ってことぐらい理解してきた生徒に、どのくらいの夢のでかさを求めているのか。
案の定、名前を呼ばれて立ち上がっては、無難な自己紹介をみんなしていく。
教師、公務員、実家の跡を継ぐ、とりあえず大学進学、まだ決まってない……
たまにウケ狙いで「宇宙飛行士」とか答えるやつがいるが、滝川はそのたびに本気で「ならまずはNASAに就職しないとな!」と答えるものだから、ますます笑いが広がった。
俺は「帰宅部です。進路は公務員です」と無難にやりすごす。
ミカエルが「将来の夢は悪の駆逐と世界平和です!」と答えて爆笑が最高潮に達した後、しばらくして京介の番が回ってきた。
「幕下京介です。帰宅部で、出身は恵田中学です。今年の目標は、苦手な世界史を克服したいです。将来の夢は弁護士です。よろしくお願いします」
「おう、幕下か。立派な体格だな」
「そうかなあ。そうでもないですけど」
京介は明らかにさっさと座りたがっている。
なのに、ナツキがいらぬ口を出した。
「幕下クンはねー、スイーツを作るのがとっても上手くて、自分でもたくさん食べるから横に大きくなっちゃったんですよー!」
あーあ。
そんなネタ、魚に水を与えるようなものだ。
案の定、滝川は楽しげに口を動かす。
「そうか! 幕下はスイーツ男子かぁ、流行の最先端だな! 料理研究部には入らないのか?」
「勉強の時間を確保したいので……」
「熱心なのは良いが、高校生には勉強より大切なものもあるんだぞ」
滝川は軽く京介の肩を叩いた。
京介は顔を赤くして俯いている。
「それにしても、立派な苗字だな」
「ふつうです」
「みんな、相撲の『幕下』って用語を知っているか?」
滝川は京介の返事を無視し、わざわざ、黒板に『幕下』と書いた。
「『横綱』や『大関』と同じ、階級のひとつなんだ。幕下はだいぶ下の階級だが、京介の身体なら横綱になれるな! こう、どすこい、どすこいって」
滝川が滑稽な動きでしこを踏む真似をした。
うるさいぐらいにクラスが沸き立つ。
ナツキは笑い転げ、しきりに滝川をスマホで撮影している。
静かな例外はいた。
京介と、俺と、天使どもだ。
ミカエルはさっきとは打って変わってしかめっ面だ。
「幕下はなにかニックネームはあるか?」
「ありません」
ほとんど消え入りそうな声だった。
「そうか。なら先生がつけてあげよう」
余計なお世話だよ。
俺は出かかった言葉を飲み込んだ。
滝川はわざとらしく顎に手を当て、チョークで黒板に記した。
――どすこい京介。
正直に言おう。
俺も噴いた。
それぐらい、このクラスの空気は浮ついていた。
「どすこい京介……」
もしかしたら、俺の失笑が起爆剤だったかもしれない。
ナツキは笑いすぎて涙を流している。
「今日から君はどすこい京介だ! この学校に相撲部が無いのが残念だなあ。横綱になれ! 夢はでっかくだ!」
このクラスの楽しげな声は、隣のクラスまで響いただろう。
俺は笑いをこらえ、京介を見た。
京介も笑っていた。
ばつが悪そうにしつつも、照れくさそうにしている。
さっきまでの緊張感は無い。
良かった。俺は胸をなでおろした。
「いよっ! 横綱!」
「飛べねえ横綱はただの豚だー!」
「スイーツ俺にも食わせてくれ!」
あちらこちらから声がかかる。
強引だったけど、京介は引っ込み思案だから、クラスに馴染むためにはこのぐらいがちょうど良いかもしれない。
滝川先生、見直したぜ。
「……許せない」
俺は思考を止めた。
その呟きは最初、笑い声に埋もれていた。
「許せません」
俺ははたと音源に気づいた。
ミカエルだ。
彼女は口を横一文字に引き結び、目を見開き、まっすぐに滝川を見据えている。
苛烈で、強烈で、燃え上がるような瞳だ。
触ると火傷するかもしれない。
俺は本気でそう思った。
滝川も視線に気づいたのか、表情が変わった。
まずい。
彼女にこの世の法は通じない。
「ミカエル、待て」
「――――許しません!」
がたんと椅子を蹴り飛ばし、ミカエルは立ち上がってしまった。
教室は水を打ったように静まり返った。
誰もかれも、紅髪を振り乱すミカエルに注目している。
「なぜ教師たるものが、生徒を侮辱するようなあだ名をつけるのですか!」
俺はこの後の展開を想像し、頭が痛くなった。