第九話 私立恵田高等学校にベツレヘムから転入生が訪れる
私立恵田高等学校は、一応ここ恵田市で一番長い歴史を誇っている、らしい。
そもそもここ以外に高校が無いけれども。
制服以外はけっこう自由な校風と、堅実な進学率も相まって、俺みたいに県外から下宿で通うやつもちらほらいる。
無駄に神々しいパルテノン神殿風校門を抜け、無駄に豪華なゴシック調の校舎に入れば、清王朝風のエントランスがお出迎えだ。
全て理事長の趣味らしい。
天使どもはアパートに置いてきた。
せめて学校では俺の平穏な日常を送らせてください。
スマホにメールで送られてきていたクラス分けに従い、2-Aに入ると、さっそく見慣れた人影を見つけた。
「よう、京介。今年も同じクラスだな」
「おはよう、城太郎くん。ぼくも嬉しいよ。誰も友達がいなかったらどうしようって、ずっと不安だったから」
「文系特進は人数多いし男子が少ねえからなあ」
幕下京介は相変わらず早弁を食べていた。
丸っこい身体に丸っこい頭が乗っていて、丸っこい眼鏡をかけている。
柔和そうな笑顔はいかにも善人らしいし、実際こいつは性善説で動いているような男だ。
「朝食・早弁・昼弁・午後弁・おやつ・夕食・夜食。一日七食が健康の秘訣」
とは、京介の名言だ。
おかげで彼は縦に小さいわりに横に大きい。
「お・は・よぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
存在そのものがエレキギターのような女がやって来た。
アホ毛をぐるんぐるんさせて吉乃ナツキが教室に飛び込んできた。
既にまばらにグループを作っていた生徒達に、片っ端から声をかけていく。
彼女は大抵の生徒にコネを持っているのだ。
その代わり、彼女に特別親しい友人がいるという話は聞いたことがない。
「やっほう、天堂クン。昨日ぶりだね。幕下クンもおっはよー!」
そして俺と京介のもとに挨拶まわりに来た。
彼女は俺の部屋に住み着いたミカエルたちに一切気づいていないらしい。
音楽鑑賞――しかもロックとかデスメタルとかあの類だ――とエレキギターが趣味で、部屋の天井といい壁といい床といい、くまなく防音改造したせいだ。
家賃をかさ上げして大家と交渉したと聞いたときは呆れたものだが、いまは感謝するしかない。
「よう。ナツキは今年も博愛主義か?」
「全世界友達計画進行中だもん。それより幕下クン、今日のスイーツは何?」
片手でスマホを操作しつつ、ナツキの晴れやかな顔は京介に向いている。
どうせSNSの更新とチャットに忙しいんだろう。
「ふふ、気になる? 今日はアーモンド風味のチーズタルト、メイド・オブ・オーナー。春だから桜葉をタルト型に混ぜ込んで、生地も桜色に仕上げてあるよ」
「名前聞いただけで食べたくなるぅ。ねーねー早めに食べちゃわない?」
「ランチ後のデザートだから、だーめ」
「ケチ。いまから待ち遠しいわ。幕下クンは我が校が誇る最高のパティシエよ」
京介の机の脇に下げられた分厚い紙袋から、かすかに甘い香りが漂ってくる。
手作りの超絶美味スイーツを毎日持参するのも、早弁と同じく京介の日課だ。
「城太郎くんも食べる?」
「断る理由がねえよ。おまえがパティシエになったら店に通い詰めるね」
ただ、今日のランチはあまりごいっしょしたくないけど。
ミカエル特製キャラ弁、この二人だけには見られたくない。
「天堂クンもそう思う? あたしは間違いなく破産するわ」
「買いかぶり過ぎだよ。それにぼくはプロにはならないし」
「あぁぁもったいない。なんで弁護士を目指すかなあ」
「京介の家は弁護士一族だからな」
「そうだ! あたしが弁護士になる、幕下クンと政略結婚する、幕下クンがパティシエになる! これでどうだ!」
「アホか! 政略結婚の名が泣くわ!」
無茶苦茶な未来計画が描かれる間、京介は人好きのする笑顔で、
「城太郎くんと吉乃さんは本当に仲が良いね」
「ただの腐れ縁だ、こんな騒音女」
「そうそう、聞いた聞いた? うちらの担任、新しい先生が入ってくるらしいよ! 若いよ! ぴっちぴちよ!」
「俺の悪態は見事に無視ですねさすがです。女か?」
「思春期男子ってメスがいれば元気になるの? 残念、うちらのクラスはオトコの先生でーす」
「なんだ。女子が喜ぶだけか。美人の女教師は漢のロマンだよなあ、京介?」
「ぼくは若い男の先生って、親しみやすくて好きだよ。女の先生だとほら、授業の質問するでも緊張しちゃうし」
「京介は女に対して免疫なさすぎだっての」
「あたしのことは平気なのにねえ」
「おまえはメスの枠外ってことだ。よって思春期男子も元気にならない」
「ひどい! このぴっちぴちの肢体を見よ! そんなこと言ってると、転入生にも嫌われちゃうぞ?」
「高校に転入生? 珍しいな」
「しかも人数が多いんだって」
へえ、何人だ。
俺はその言葉を飲み込んだ。
扉が大きな音を立てて開き、件の「新しいオトコの先生」が登場したからだ。
「みんな、席につけ! 2-A、一学期最初のホームルームを始めるぞ!」
何人かの女子が色めき立ち、どよめいている。
確かに若い。どことなく学生臭さを残している。
大学を卒業してそう経っていないだろう。
スーツをラフに着崩して、黒髪をスポーツ刈りにしている。
背が高く、身体も引き締まっていて、スポーツ選手のようだ。
「あの先生イケメンじゃない? 誰?」
「知らなーい。でも超ラッキー」
女子がささやき合っている。
うーん、俺から見ても格好いい。
こう、兄貴って雰囲気だ。
「おはよう、みんな。そして初めましてだな」
俺は席についた。教室が静かになる。
斜め前に京介が、その傍にナツキがいた。
「まずは自己紹介だ。俺の名前はタキガワマコトだ」
マコト先生は黒板に名前を書く。
滝川誠。
また格好のいい漢字だ。
イケメンネームっていうのか?
「趣味はバスケットボールだ。中学校からずっと続けているし、この学校でも女子バスケ部の顧問を務めることになった。このなかにバスケ部は?」
ちらほらと女子から手が挙がる。
心なしか喜んでいるようだ。
「俺はこの春に採用されたばかりだから、2-Aは記念すべき最初のクラスだ。一年生の先生たちが残してくれた、みんなのことを書いた調査書は読んでない。先入観ってやつは偏見しか生まないからね」
それは教師としてどうなんだ。
周りを見るとまんざらでもない雰囲気になっている。
俺はいつも通り、思ったことを心の物置に捨てた。
「学生時代は『マコっちゃん』って呼ばれてたんだ。みんなも気軽にそう呼んでくれ。『滝川先生』なんて堅苦しいだろ?」
「マコっちゃんカッコイイー!」
早速ナツキが呼ぶと、教室に笑いがおこった。
「元気が良いな。誰だ? 名前を教えてくれ!」
「吉乃ナツキです! 部活は無所属です! 全世界友達計画を進めてます、友達になりましょう!」
「あはは、ナッちゃんマジ電波系!」
誰かが茶々を入れた。
「友達百人を超えて全世界! でっかい夢はいいぞぉ、なんたって君達は高校生だ、無限の可能性がある。昨今はグローバル化も進んでいるだろう? みんなもナツキを見習って国境の壁を超えよう! そのためには英語だな!」
滝川誠は黒板に書いた自分の名前を、チョークで叩いた。
「俺の担当は英語だ。わからないことがあったら何でも聞いてくれ。ちょうど今日来る転入生もハーフだからな、海外のことを色々聞いてみると良い」
ふむ。
何人か来るとナツキは言っていたから、転入生のひとりがハーフなのか。
期待していると、教室の扉がノックされる。
「来たようだ。みんな暖かく迎えてくれよ。俺たち2-Aの新しい仲間だ!」
扉が開き、ぞろぞろと転入生が入ってくる。
三人だ。確かに多い。
俺の口は自然に開いていたと思う。
全身の肌が粟立つ。怖気が背筋を走る。
「こんにちは、2-Aのみなさん初めまして! ベツレヘムから来ました、東野ミカエルです!」
「同じくベツレヘム出身の北野ガブリエルだよ。よろしく」
「ふん。右に同じだ。我は南野ウリエル。歓迎するがいい」
全員分の弁当はそういうことだったのか。
しかし、だれが知り合った翌日に転入してくるなんて考えるだろう!
できることなら忘れたい、傲岸不遜な顔が勢揃いしている。
おかしいだろ。どう考えてもおかしいだろ。
しかし生徒は俺以外当たり前のように転入生歓迎ムードを漂わせている。
「ベツレヘムか! それは遠いところから来てくれたな!」
遠いどころじゃねえよ。
なんでそんなマイナーなところから三人もハーフが来るんだよ。
苗字もそろいすぎだろ。
唖然としていると、教室の扉が開いた。
「滝川先生? 私ったら保健室便りを渡し忘れちゃって……あら」
やはり教室がどよめいた。
見覚えのある金髪美女が、ぴっちぴちのスーツに白衣を纏っている。
無防備なのか趣味なのか、胸元が開いたシャツを着ているせいで、たっぷりとした胸が強調されてしまっている。
スカートから覗くむっちりとした太ももが、ストッキング越しに光り輝いて見える。
「みなさん、初めまして。今年から保健室を受けもつことになった、養護の西野ラファエルよ。体調が悪かったり、身体や心に不安があったら、気軽に相談にいらっしゃいね」
美人だ……モデルみたいだ……恋の相談に行きたい……
と、男子のどよめきが聞こえてくる。
俺も開いた口が塞がらない。
夢なら醒めてくれ。
俺は信じたくなかった。
主に、ガブリエルが男子用の制服を着ていることに。