先輩♂と後輩♀の日常
放課後。
夕日の差し込む教室の中で。
異性と二人きり。
そんな青春という言葉がよく似合うシュチュエーションで、俺は真っ白で何も書かれていない本を見つめ、考える。
彼女なんてものは、みんな、全員、一人残らず死んでしまえばいいんじゃないか、と。
「そう思うんだけど、どう思う?」
と、俺は目の前の椅子に腰掛け本を読んでいる、小さな小さな後輩、言われなければ小学生と見間違えるほどに、ロリロリな後輩に、問いかけた。
「わけが分かりません先輩、気持ち悪いです、とんでも思考です、先輩というより変態です」
本から顔を上げた彼女は、あからさまに嫌そうな顔をしてそう言い放った。
「君にだけは変態とは言われたくないな、後輩」
「何ですか? 私が変態だとでも言いたいのですか先輩は」
「なら聞くけど、君が変態と呼ぶところの俺を、毎日毎日ストーキングしている君の、どこが変態じゃないんだ?」
毎日ばれてないと思ってるのか、バレバレな尾行で、俺の後をよだれを垂らして付いて回る。
そのよだれの跡のせいで、町には一時期妖怪が出るという噂まで出たくらいだ。
その妖怪の正体である後輩を変態と呼ばずして、俺は何を変態と呼べばいいのか分からない。
「何を言いますか! ストーカーは変態ではありません」
ストーカーをしているという点については、否定しないらしい。
「そうだな、ストーカーは変態じゃなくて、犯罪だ」
まぁ、変態も立派な犯罪だと、俺は思うけれど。
「ぐ……何ですか? そんな私には三行半でも突きつけますか?」
「そんな君に突きつけたいのは、離婚届じゃなくて、被害届だ逮捕状だ」
と言うかまず彼女と俺は結婚などしていない。
「まだこの子の出生届も出してないのに!」
「お前はまず、逮捕された後、出所出来るのか考えた方がいい」
もちろん子供だっていない、後輩と交配など一度たりともしていない。
「大体先輩、どうしてそんな思考に、そんな嗜好に、辿り着いちゃったりしちゃったんですか?」
後輩はあたかも今の会話が無かったかのようなふるまいで、俺に話をふった。
「それは多分、俺がヒロインが死ぬという設定の作品が大好きだからだと思う」
俺の部屋にある小説、漫画は大抵ヒロインが死んでいる。
まったく最高だ。
「……」
後輩は俺の答えを聞くと、ジトッとした目を俺に向ける。
またぞろ変態だとか思ってるに違いない。
自分の方が、数倍、いや数十倍変態なことを棚に上げて。
「ちょっと待て後輩よ、色々勘違いしてるようだから言っておこう。なぜ俺がヒロインが死ぬ話が好きなのかと言うとだな」
別にこの後輩からあらぬ誤解をかけられようと、本当にどうでもいいのだけれど、一応釈明をしておこう。
「それは俺が創作物を読んだとき、最も心を動かされるのが喜びでも怒りでもなく、悲しみだからだ」
そう、悲しみ。
俺は悲しいお話が大好きだ。
「例えそれが作中であっても、人が死ぬのは悲しいことだろう? そして俺は、その中でもとりわけ、ヒロインが死んでしまったときの悲しみ、苦しみがどうしようもなく好きなんだ。こう、胸を、心臓をぎゅっと握り締められたような、あの感覚がたまらない。だからヒロインが死ぬ話が好きなんだ」
苦しくて、苦しいのが大好きだ。
そういう作品を読んだ後一週間ほど、俺は放心状態で何にも出来なくなる。
とてつもない喪失感、あの期間もたまらなく好きだ。
まあ適当にヒロインを殺しておけば良いとか、そう思っているわけではない。
俺が好きなのは、しっかりと理由あっての死だ。
そういうのを俺は「悲しいハッピーエンド」、と呼んでいるわけだけれど。
「苦しいのが好きとか、とんでもないどエムですね……」
後輩は相変わらずなジト目だが、頬が少し紅潮して見えるのは気のせいだろうか、そして少し息が荒いのも。
「いや、俺はどエスだ」
エスが過ぎて、自分でさえ痛めつけたくなるほどに、どエスだ。
「まあ何でもいいですけど、だから変態はかの――」
「変態じゃない先輩だ。あとよだれ拭け」
「ジュルリ……失礼しましました。だからこそ先輩は、彼女も同じように死ねばいい、と?」
「そのとおりだ」
俺は大きく頷いた。しかも目を閉じてゆっくりと。
実に芝居がかっていた。アカデミー賞主演男優賞を受賞した男優でも、きっと俺の頷きには勝てまい。
「そしてヒロイン、彼女が死ぬことで、もう一つ最高なことが起こる」
「何ですか?」
「それは思い出になることだ」
意味が分かりません、とつぶやく後輩に俺は説明を続ける。
「生きてる人は裏切るけれど、思い出になった人は裏切らないだろ?」
更に思いでは美化されていく。
人なんてものはすぐに裏切るし、歳をとるにつれ、時を重ねるにつれ、どんどん醜くなっていく。
そんなものはごめんだ。
「思い出の中で、裏切られることもないまま、一生綺麗な彼女と過ごせる。最高じゃないか」
これは二次元の女性を愛する人たちと、感覚的には同じなんではないかと思っている。
二次元の女性は決して裏切らない、そして二次元の彼女は歳もとらない。
まあ二次元の場合、裏切るも何も、最初から信頼関係さえ築けてはいないわけだけれど。
「言ってることは分かりますが、その感情は分かりません」
そこでふと、後輩は思案げな顔をしたかと思うと、急に口を開いた。
「そもそも何ですか、何なんですか? つまり先輩は、あれですか? 遠回しに私に死ねと言ってるんですか? なら今すぐ飛び降りましょうか?」
などとわけの分からないことを言って、立ち上がる後輩。
本当にわけが分からない。
「ちょっと待て後輩、俺が死んで欲しいのは、彼女であって君じゃない」
「え!? それってつまり私でしょう?」」
「え!? 君は俺の彼女ではないけれど?」
「え!? 私って先輩の彼女じゃないんですか?」
「え!? 君はいつかから俺の彼女になったと思っていたの?」
「えーっと」
後輩はあごに手を当て考える。
そんな仕草は、創作物の中でしかないような、伝説上のポーズだと思っていただけに、俺は少し恐怖を覚えた。
「以前先輩が、先輩のご友人に私のことを紹介するときに、『彼女は~』って言ってたので、そのときからですね。かれこれ付き合って一年半になります」
壮大な勘違いだ。
この後輩の脳内では、毎日どんな物語が生み出されているのだろう。
いったい俺はどのようにうつっているのだろう。
まあ彼氏としてうつっているのだろうけれど。
「それは三人称代名詞としての“彼女”であって、恋人関係を表す“彼女”では決してない」
「え!? じゃあ私は先輩の彼女じゃないんですか?」
「そうだ」
ただの部活の後輩。
幽霊部員ばかりで、実質二人しかいない、この部活の後輩。
それ以下はあったとしても、それ以上は決してない。
「だから君に死んで貰ったところで、俺は困らない、どうぞ好きにしてくれ」
「分かりましたよ、飛び降りますよ!」
「何でもいいが、怪我には気を付けろよ」
「お気遣いありがとうございます」
今から飛び降りようとしているやつにかける言葉でも、今から飛び降りようとしてる奴が言うセリフでもなかった。
「とにかく! 飛び降りて私が死んだら、思い出の彼女として一生先輩の心の中で生き続けられるかも知れませんからね! 飛び降りてやります!」
そう言って教室の窓へ向かい、窓の縁に脚を掛ける後輩。
「ちょっと待て!」
そんな後輩をしかし俺は引きとめた。
その声に、彼女は涙目で振り返った。
「やっぱり死なないでくれ」
「セン……パイ? そ、それは……」
「ああ、やっぱり君に死んでもらっては困る」
「私のことが――」
「そう、君が……」
「センパァァァァイ!!」
まるでアニメか何かのように、アニメ化したかのように、背景にお花畑をたずさえて、超スローモーションで駆け寄ってくる後輩に、俺は続ける。
「君が本当に思い出の彼女になってしまったら、嫌だ」
そんなことはあるはずがないとは思うけれど、万が一にでもこんな変態のことを一生忘れられずに、こんな変態のことを一生思って生きていくなんて、ごめんだ。
「だからお願いだ死なないでくれ」
俺は椅子から腰を浮かせ、全身全霊をもって本気で頭を下げた。
「……っ!? 先輩のくそったれ!」
よだれを垂らしている後輩に、クソを垂らしている呼ばわりをされるとは、心外だ。
「絶対に死んでやります!」
そうして彼女は教室の窓から飛び降りた。
それと同時に、完全下校を告げるチャイムが、校舎内に響き渡る。
「さて、帰るとしよう」
ちなみに言い忘れていたが、ここは一階だ。
俺は、何も書かれていない真っ白な本を、そっと閉じた。
気分転換に書きましたが、正直よく分かりません。
読んでいただき、本当にありがとうございました。