第二話 日常の崩壊
――2015年6月13日夜・ウクライナ軍基地敷地内――
「ちッ、確かにこりゃひでえ雨だな!」
階段の上で春奈と合流し、一緒に高機動車がある格納庫まで駆ける。
格納庫は兵舎を出て本棟を通り越して右だ。
要するに、外を通るわけで濡れるし、結構遠い。
雨は、文字通り滝のように降っていた。
基地を照らすライトで雨粒が見えるが、本当にシャワーのようだ。
「ったく、アンタのせいで私まで中尉に遅いって言われるじゃないの!」
出遅れた上に、小柄で他の歩兵に比べ体力の無い勇希は少し後ろを走っている。
春奈は毛先が軽く跳ねたショートを濡らしながら、俺の隣を走っていた。
雨で待機服が一瞬で濡れる。
「知るかっ! だいたいあそこまで勿体ぶる事は無かっただろ! もっと早く言え阿保っ! ……痛っ!」
春奈が、どこから出したのか丸めた雑誌で俺の頭を叩く。
「せっかく危険を顧みず知らせに来てあげたって言うのにひっどい仕打ちね! ここは1日奴隷券の1つや2つ差し出すのがそれ相応の礼儀ってもんじゃないの!?」
「1日奴隷券ってなんだ!? 死んでも渡すかんなもん!……いてっ!」
「渡せって言ってんのよ!」
「恐喝じゃねーか!! 第一持ってねーよ!!」
と、こんな具合に、春奈はかなり凶暴だ。
それに理不尽だ。
見た目だけなら上級クラスと言っていいが、性格が全て台無しにしていると思う。
もったいない奴だが、この性格は多分死んでも直らない。
この分隊が組まれて三か月。
知り合ったばかりではないにしろ、特別長い付き合いな訳でもない。
だが不思議と、居心地は良かった。
――格納庫・高機動車前――
高機動車とは、四輪の兵員輸送車両だ。
見た目はトラックと言うよりはジープに近く、その名の通り機動性は非常に高い。
これはハンヴィーという車種で、6人乗りだ。
それはどうでもよくて、俺達が着いた頃には、ハンヴィーの前で状況説明が始まっていたが、なんとか滑り込んだ。
「――作戦概要の説明は以上!! ……解散!」
ブリーフィングが終わった。
中隊全員がそろって敬礼をし、急いでハンヴィーに乗り込む。
もちろん、俺たちもだ。
作戦概要の説明をしていたのは中隊長の柴田幸樹中尉。
中隊長とはその名の通り中隊を預かる隊長だ。
中隊は、人数にすると300人程で、今はここに300人が集まっていた。
遅刻ギリギリだった為、何を言われるかと思ったが、どうやら無事にすみそうだ。
「……第四分隊、以外の部隊はな」
俺たちが動いた瞬間に柴田中尉は、ハの字の眉毛をピクリと動かしそう告げた。
思わず分隊全員の動きが停止する。
……世の中、甘くないね。
第四分隊とは俺が所属する分隊名だ。
俺の右隣にいる分隊長――岩崎義人軍曹は、俺たち3人を横目で見て、
「貴様ら……」
と小声で怒りをあらわにする。
「先輩、ご愁傷様ッス」
と俺の後ろにいた男――若葉涼は両手を合わせて合掌する。
その涼に、いや、たぶん連帯責任でお前もだから……と言いたかった。
やがて左から岩崎軍曹、俺、春奈、勇希、涼の順で中尉の目の前に座る。
ちなみにこのメンバーが第四分隊で、その隊長が岩崎軍曹と言う訳だ。
「黒崎和真上等兵」
と俺は名前を呼ばれ、
「はい!」
と言い、反射的に勢いよく敬礼をする。
「草薙春奈一等兵」
「はい」
春奈は比較的落ち着いた様子で敬礼。
いつもこのくらいおとなしかったら問題なかったんだがな。
「佐川勇希一等兵」
「はひぃっ!」
――ぶっ!
っと吹き出しそうになったのは全身全霊をこめて防いだ。
それにしても、かなりテンパって、空回りしそうな勢いでおでこを叩くように敬礼。。
その勢いで、整えそこねた茶髪の毛先がぴょんと踊るように跳ねた。
まあこれで一番堪えるのは勇希だろうから、こうなるのも無理はない……のか?
「以上三名、作戦終了後、グラウンド50週の刑!!」
体力の無い勇希にとっては、地獄となるだろう。
……って、ちょっと待て。
「あの~、柴田中尉。連帯責任じゃないんですか?」
と聞くと、さっきまで真面目だった柴田中尉の顔が崩れ、
「ま~ま~、たまにゃぁいいじゃねぇか。いっつも同じだとつまんねぇだろ~? ま~俺としてはどっちでもいいんだけど、気分的にな~」
と無精ひげに手を添えながらやる気のない、または覇気の無い口調でそう言った。
実は、こっちが中尉の本性だったりする。
「ちい、久々にしごけると思ったんだがな」
と分隊長の岩崎軍曹は残念そうに舌打ちする。
あんたはいっつもしごいてるだろうが……と心の中で軍曹を罵る。
軍曹は筋トレマニアで、そのせいか……っていうか絶対そのせいなんだがゴツイ。
とにかくガタイが良く、腕相撲などすれば腕が複雑骨折して粉末状に砕かれそうだ。
いや、本当になったら人間と呼べないが。
「ま、我が第三陸戦歩兵中隊の精鋭に限って無いとは思うけど、色々とヘマしないよ~に。それじゃ、急いで行くぞ~」
中尉は黒い長めの癖っ毛をかきながら部屋を出た。
一応中隊の精鋭という看板を背負っていたりはする。
まあそれはそれとして……俺たち軍人は、「解散」の命令が無いと解散出来ない。
「…………」
え? これ行っていいの? いいんだよな?
と俺たち5人は目を合わせる。
「あ~、解散~、乗って~」
苦笑いしながら中尉が車のドアから顔だけ出して言った。
そして去って行った。
「…………はぁ」
俺たち5人は目を合わせ、一斉にため息をついた後、気を取り直して急いでハンヴィーに乗った。
それから俺達は、数時間かけて豪雨の中土手を補強し、無事川崩壊の危機を救った。
――翌日・6月14日朝10時過ぎ・ウクライナ軍基地・食堂――
「おはよー和真。元気~?」
俺が朝食を取ろうと食堂でトレイを持って涼と並んでいると、ちょうど勇希がやってきた。
春奈、岩崎軍曹も一緒だ。
ちなみに「元気~?」と聞くのは勇希の口癖だ。
「あれ……珍しいわね。あんたの方が早いとは」
春奈はなんか物珍しそうな顔で見て来る。
「うるせぇ。昨日の工事のお陰で起床時間が10時に変わったからな。良く眠れたぜ」
昨日の土手工事が終了したのは0430頃(4時30分の事)。
開始が0125だったから実質3時間程度で完了した。
ちなみに、俺達WAPの基本起床時間は午前5時。
いくら屈強な(無理やり屈強に仕立て上げられた)WAP陸軍兵士とは言え、1時間半の睡眠じゃあ訓練も災害救援もできやしねぇ。
ってなわけでさすがに起床時刻の変更が許されたのだった。
「って、実質的な睡眠時間はいつもより少ないじゃない」
と春奈は列に加わり、今日の日替わりメニューを見ながら言った。
「気分だよ気分。10時まで寝てるとなんか寝た気がするだろ」
うーむ、我ながら馬鹿の勇希みたいな単純思考だ。
「なるほど、今日の和真は絶好調か。こりゃあ30周追加の約束は期待できそうだ」
岩崎軍曹が憎たらしい顔でほほ笑む。
「ゲ、この前のアレ……、てっきり忘れたと思ってましたが……」
岩崎軍曹は筋トレ大好きなオッサンだ。
事あるごとに腕立てやランニングを罰則として使ってくる。
それは普通に良くある事なんだが、この人の場合両がキツいんだよ……。
「軍曹、私は無罪です! 刑罰は是非馬鹿和真だけに……」
トレイに朝食を受け取っていると、春奈が抗議しているのが聞こえた。
「悪いが俺は公平な判断をしなくちゃならんもんでな。なに、30周位すぐに終わるさ」
はっはっは、と笑いながらトレイにメシを受け取る軍曹。
くそう……もはや回避不可能か……。
「それ以前に俺が課しちゃった50周の刑も残ってるけどなぁ」
俺がトレイを運んでいる途中、後ろから声がした。
「しっ、柴田中尉!?」
「敬礼!」
岩崎軍曹の声に反応し、敬礼しようとするが、
「いや、無理でしょ」
と柴田中尉が言うように、トレイ運搬中の俺らは敬礼ができなかった。
「別に良いって良いって。つーか今日の日替わり定食中華ソバ? 朝っぱらから良く食うねぇ~」
中尉は俺と涼のトレイを見ながら言った。
俺が毎日必ず日替わりを頼んでいるのを知っているからこそのリアクションだ。
ちなみに涼はただのラーメン好き。
「別に食えればなんでも良いんですよ。日替わりは飽きませんしね」
俺はトレイを持ったまま話す。
普通、上等兵である俺が6階級上の“中尉”に対しこんな言葉づかいは出来ないが、まあこの人は特別だ。
「日本人なら黙って日本食でしょうよ。ま、伸びるからさっさと食っちゃった方がいいよ~」
そう言って手をヒラヒラさせながら朝食の列(といっても夜出動した部隊だけだが)へと混ざって行った。
そんな感じで俺達はテーブルを見つける。
「やぁみなさん。今朝は良く眠れましたか?」
さわやかスマイルで隣のテーブルから挨拶してきたのは、第三分隊の渡伍長。
第三分隊は、同じ小隊なのでよく話すのだ。
「ああ。お前らの仕事をブン取ってやったお陰で、いい夢見れたぜ」
それに対し岩崎軍曹は、またも憎たらしいスマイルで渡伍長に返す。
この二人は結構古い知り合いなのだとか。
「あ~あ~、山本のせいで軍曹増長してるぜ。後で言っとかないとな」
持ってきたハムエッグ定食をテーブルに置きながら言うのは、西浦秋斗。
軽い言動が目立つ女好き。これでいて頭は良いのだから驚く。
「ん? 他の連中はどうした?」
岩崎軍曹が渡伍長に聞く。
「私の部隊は優秀ですから。みんなもう食事は終わっていますよ」
相変わらずにこやかな笑顔で答える。
「てことは、伍長と西浦は優秀じゃないって事ですか?」
「ええ~もうその通りですよ~。最近は腰が痛くって、いやはや、私もそろそろ引退しますかねぇ?」
ここぞとばかりに攻撃を仕掛けて見たが、……いつもこの人は手ごたえがない。
「よっく言いますよね……。おい黒崎、知ってるか? 伍長、細身に見えるけど、腕相撲で軍曹といい勝負なんだぜ?」
――マジでかっ!
岩崎軍曹と言えば、もう筋骨隆々のムキムキマッチョ(言い過ぎかな?)だが、渡伍長は言った通り細身に見えるが……。
「黒崎、西浦の言うとおりだ。コイツに隠居は50年は早いぞ」
気だるげに渡伍長を見ながら軍曹は言った。
「はっはっは。そう言わず、私の方がもう歳ですから、辛い仕事は全部岩崎に任せますよぉ」
「お前、俺の方が三年年上なんだが!」
「嫌ですねぇ。心の問題ですよ」
「サーフィンとスノボ好きが何を言う」
……いやぁ、この二人はホント仲がいい。
でも結局口では渡伍長には勝てないんだよな。
なんかこの人は、飄々としているというか、口で戦うとコンニャクを殴って居るような感じなのだ。
……伝わるだろうか。
《基地に待機中の全部隊に通達。至急、所定のブリーフィングルームまで集合せよ。繰り返す――》
……なんだ?
非常招集!?
雨はあがった筈だが……、くそ、どっかでまた増水か?
それか暴動でも起こったか?
「……楽しい食事は中止だ。急ぐぞ!」
「了解!」
俺や分隊員は了解で返し、すぐに駆け足でブリーフィングルームへと向かった。
――本棟三階・ブリーフィングルーム――
「今回集まってもらったのは他でもない。早速だが状況を説明する」
淡々と語りだす柴田中尉。
その額には汗が流れていた。
心なしかいつもより焦っているようにも見える。
あのいつも飄々としてる柴田中尉を焦られるような事態……?
なんだ……、ホントに暴動か?
もしくは、ウクライナ政府が軍事的攻撃を受けた……とか。
いや、無いよな?
でもこの焦り具合は、何かがおかしい。
何かはわからないが、もしかしたらただ事じゃ済まない事かも知れない。
そして、いつになく真剣な声で、信じられない事を言い出した――。
「昨日日中、パリ、モスクワ、上海、シドニー、そして東京で、合計死者20万人を超える大規模な襲撃があった」