第一話:夏子の手術
俺にはどうすることもできなかった。
祈ることしか出来なかった。
成功か、失敗か…。
なぁ、夏子。
また笑ってくれるよな?。
そのひまわりのような笑顔で…。
“夏子の手術”
「ねぇ、和馬。なんでこんなことになっちゃったの?」
薄暗い病院の廊下で急に母さんは口を開いた。
「落ち着けよ。今手術中だろ」
「…なんで夏子がこんなことに…」俺の妹夏子は、脳の腫瘍をとるため手術をすることになった。
悪性の脳腫瘍で、すぐに手術をしなければ間に合わないとのことだった…。
もちろん
成功する可能性は低い。
「夏子だって今頑張ってんだ。俺らがしっかりしなきゃ駄目だろう?」
目の前には、まだ
「手術中」
の赤いランプが光っている。
「まだあの子は14歳なのに…」
そうだ、まだ夏子は14歳。今の季節は春。普通なら、今頃新しいクラスに胸踊らせている頃だろう…。
ああ、もしこの世に神様が実在するというのなら、俺は命を犠牲にしてでも夏子を救ってやって欲しいと願うに違いない。
なぁ、神様。
お願いだから夏子を連れて行かないでくれ。
手術を成功させてくれよ。
両手を握りしめ、祈る思いで俺はそんなことを考えていた。だって俺に出来ることはこれしかなかったんだから…。
夏子は俺達の大事な家族なんだから。
夏子はいつも笑っていた。ひまわりのように元気いっぱいの笑顔で。背は小さいけれど、何事にも一生懸命な子だった。たまにドジするけど、照れながら笑う夏子はなんだか眩しかった…。
俺は夏子の兄であり、今高校2年生になったところだ。成績ははっきり言ってあまり良くない。だからいつも成績の良かった夏子に笑われていたっけ…。
そんな夏子に、悪魔は静かに舞い降りたんだ。 それは少し前に起こった出来事だった。あの日元気に家を出て、夏子は学校へと向かった。それがいつもの日常で、俺も母さんもいつものように安心しきっていたんだ。
部活に入っていて朝練のある夏子とは違い、俺は帰宅部だったので家でゆっくりコーヒーを飲んでいた。あの悪夢のような電話が来ることも知らずに。
「それじゃあ、俺もそろそろ行くわ」
そう言って俺はテーブルに手をつき、立ちあがろうとした時だった。 まだ朝早いというのに、急に電話が鳴り始めたのだ。
「あら、電話だわ」
そう言って母さんは慌ただしく受話器を取った。
「もしもし。あら先生……はい……えぇ…そうですけど…夏子がどうかしたんですか?」
その母さんの言葉を聞いたとたん、立ち上がろうとしていた俺は止まってしまった。
そしてその直後、俺達はショックを隠しきれないまま、病院へ向かうことになったんだ。あの元気な夏子が、倒れたと聞かされて。
今でも、これは夢なんじゃないかと思いたくなる。けれど目の前には、確かに赤く光る
「手術中」
の文字と、隣で涙をこらえている母がいた。
俺は手術の成功を祈りながらも、時がたっていくのをただ感じているだけだった。
俺がふと、よそ見をした時だった。急に母さんが
「あ」
と声をあげて立ち上がったんだ。最初は何事かと思ったけど、それは一秒もしない間に解決した。
「手術中」のランプが消えたのだ…。
そしてそれと同時に、中から医者が出てきた。母さんは消え入りそうな声で医者に問掛けている。もう精神が限界にきているんだろう…。俺は母さんを支えてやった。医者も
「落ち着いて下さい」
と言いながら母さんをなだめる。そして俺達が一番気にかかっていたことを、医者は口にした。
「手術のことなんですが…」
息をのんで医者を見つめる。
「夏子ちゃんもよく頑張ってくれました!無事成功です!」
この言葉をどれほど待ち望んでいたことだろうか。身体中に熱がこみあげてくる。嬉しさでいっぱいになってくる。嬉しくて声をかけようと、母さんに目を向けたら母さんは安心したのかその場で倒れそうになっていた。
「おいっ!…ったく………ハハ」
母さんを支えながら、思わず俺は笑みがこぼれてしまった。
嬉しかったんだ…ただ単純に。夏子が助かったことが。