魔王の気分は4話
「待つゴブー!」
まず言うことがある。語尾に「~ゴブ」は絶対におかしいということ。そして、明らかにアレは人間じゃないということ。
今までリリィが会ったこの世界の人たちは、魔王であってもメイドであっても牢番であっても、角が生えていることを除けば人間と言っても過言ではなかった。しかし、今回ばかりは絶対に違うと言い切れる。
「待つブー!」
それじゃあ豚でしょと小さくツッコミを入れつつ、リリィは小さな緑色のゴブリンから逃げていた。
ゴブリンはこの世界で言うと魔物に類する。魔族に仕える数少ない魔物の一種である。
「ゴブリン魂なめんなでゴブー!」
本気で言ってるのだろうが、リリィは思わず吹き出しそうになる。
なんなのゴブリン魂って!聞いたことないし、絶対大したことない魂じゃん。言ってみちゃったシリーズでしょ。おもしろすぎる……!
笑うことを堪え、しかしどこまでも追いかけてくるゴブリンに嫌気がさしていた。
「あーもう、しつこい!」
石畳の入り組んだ細い廊下を走り回る。そしてちょうど突き当りを左に曲がろうとして右手を壁についた時だった。
ボン
音がするや否や、リリィの体が廊下から消えていた。
「どこいったゴブ?」
ゴブリンの声が聞こえたか聞こえなかったかはわからないが、リリィは全く別の部屋へ来ていた。
「あれ?」
なぜかへたり込んで座っている。
赤く光る模様が異様な部屋。模様の中心には赤く、青く、黄色く、白く光るハート型の宝石が台座に置かれている。
「きれい……」
リリィは吸い寄せられるようにその宝石へ近づいてみた。
そしてもう手に取れる位置まで来た瞬間だった――
「まったく困ったもんだな……」
どこかで聞いたことのある声がリリィの耳に入る。
「この部屋は特殊な防壁で守られてるから普通の魔族や魔物、もちろん人間でも入れないはずなんだがな」
「これ、なに?」
「ベルハート」
「ベル……魔王の心?」
あまりにも神秘的に光る宝石を眼前に、リリィは静かに魔王ベルを見た。
「世界の核だ。触るなよ」
「触らないわよ!……この模様はなんなの?」
「魔法陣も知らないのか。こいつは……まぁなんていうか、俺の力の源ってとこだな」
「力?」
「魔法の力。ま、これから死ぬ奴にこれ以上話す必要はないよな」
「……え?」
良からぬ単語が聞こえてきたのはリリィの気のせいではないだろう。ベル自身も悪意ある表情でリリィを見下している。
そしてベルの右手に光る球体が現れた。
「ちょ、手品?」
「何言ってやがる。寝言は寝て言え。ま、もう二度と起きない眠りじゃあ関係ないかもしれないけどな」
ベルの右手から光の球体が離れ、急速に加速してリリィの体めがけて飛んできた。
「いやっ!」
リリィは目を閉じて、体を縮込ませる。
ドンッ
リリィの足元に球体が落ちたらしい。頑丈そうな石畳の床が丸くえぐれている。
「これが……魔法?」
リリィの知ってる魔法はステッキを持った少女がピカピカ光って敵を倒すというものだけだ。こんなリアリティのあるものなんて知らない。
「本当は殺す気なんてないんだけどな。まさかこの部屋にまで入ってくるとは思わなかったんで思わずマジで殺しそうになったぜ」
くくくと笑うベルは確かに悪役ぴったりなひどい顔をしていた。
リリィはぽかんとその場にへたり込み、そしてベルを見上げた。
考えてみれば、ベルの目の前に落下した時の衝撃も魔法による緩衝だったのかもしれない。自分の体が異常に頑丈になったわけじゃないようだ。
「なんで……?」
「ん?」
「どうして殺そうとしたの?どうして殺さなかったの?」
「気分だな」
「気分……気分……きぶん?」
リリィが床を見つめ、同じ言葉を繰り返す。
そして、一気に顔を上げて目を見開いた。
「なんなのよ!!死ぬかと思ったし走り回って疲れたし落ちたり滑ったりこけたりもうー!!」
全てのことを言葉にできないほど怒りが込み上げてきていた。
それを何の事とも思わぬ顔でベルは言う。
「スリリングだったろ?」
火に油をさすとはこのことだった。
リリィは立ち上がり飛びかかる勢いでベルに近付いた。
「サイテー!」
「どうでもいいさ。それよりリリィ、お前は今日からこの城に住め」
「はぁ?」
「どうせ行くところもなくて困ってたんだろ?大体魔界に人間が住むなんて並大抵のことじゃないからな」
「でも……」
こんなひどい魔王のいるところに住むなんて考えたくもなかった。しかしこの赤紫の淀んだ空の下、行くあてが全くないことも事実。リリィは山ほどある魔王ベルに問いたいことを全て抑えて、10秒ほど自分の中で葛藤して答えを出した。
「わかったわよ。ここに住まわしてくれるなら住むわ。でも……」
「でも?」
そっとお腹に手を添えて――
「とりあえずご飯が食べたい……です……」