人のいる町で11話
人間の町は確かにあった。
城を出てから荒れ果てた大地を3時間ほど歩くと、小さな町並が見えてきた。決してボロいということはないが、痛んだ壁が厳しい環境であることを物語っている。
「つ、つかれた……」
ぜぇぜぇと息を切らせながら今にも死にそうな顔をしている。確かに女子高生に3時間の歩行は辛いところだ。足場も悪いし、魔物も出る、さらにこの世界独特の痛い風が吹く。5回の休憩を挿みつつ、ようやくたどり着いたのだ。
「たったこんだけ歩いただけで疲れすぎっすよ」
けらけらと笑うラグドリィは無視し、緊張しつつ町の中へと入って行った。
「おや、新しい子かな?」
角の生えていないおばさんから声を掛けられた。そう、人間である。
「こ、こんにちは!」
「あらあら、こんにちは。まぁ、ラグドリィ様に連れられて来た子なんて初めてだわ」
「そうっすか?ボクだって何回かこの町に生贄を連れてきたことあるっすよぅ」
おばさんはおほほと笑いながらじろじろとリリィを見る。
逆に、リリィもおばさんの格好をじろじろと見た。
実に地味である。派手な生地がないのか、それともこれが主流なのか。アジアン的な衣装っぽいが、どことなくアクセントに欠ける。周りを見ても中世の庶民的な衣装や、ロングスカートなどが多いがどれも着合わせがダサい。
「珍しい格好をしているのね?」
「あはは、そうですかね?」
あんたもね、とはさすがに返せない。
「うーん、とりあえず教会かしら」
どうやらこの町には教会があるらしい。ということは宗教があるようだ。
おばさんが言うには、初めて連れてこられた子はまず教会に行って神父さんに浄化してもらい、当面はそこの教会でお世話になるそうだ。そうして徐々にこの町に馴染んでいき、仕事を見つけて家を借りる。これがこの町のスタイルである。
「でも、今回の子は特別なんすよ」
ラグドリィが偉そうに無い胸を張る。
「特別?」
「そうっす。魔王様がなぜか、なーぜーかお気に入りなんで、この子は城の方でお世話するっす」
「あらあら、お嫁さんかしらね?」
「違うっす!断じて違うっすよ!」
「あははは……」
笑うしかできないこの状況。いい加減面倒くさい。
「おや、シフトじゃないかい。お帰りシフト、今日もご苦労さま」
おばさんがリリィの後ろに視線をやると、後ろから声が返って来た。
「ただいまおばさん。あれ、ラグドリィ様と……見ない顔だね?」
「はじめまして!梨璃といいます」
「へぇ、リリィさんか。どうも、カーリンロードの門番をやってるシフト・バルディンスっていうんだ。よろしくね」
どうやらこの世界では人間相手であってもリリィと聞こえるらしい。リリィ本人はきっちり「リリ」と止めて話しているつもりなのだが……。
それにしても爽やかである。この赤紫に淀んだ空とは似つかわしくないくらいに爽やかな笑顔だ。身長は高い方で、金髪の短髪に青い瞳がリリィにとっての外国人の定義にどんぴしゃで当てはまった。そして腰には剣を下げており、軽装ながらも鎧と言われるものを着ている。
ちらっとカーリンロードという単語が聞こえてきたが、リリィは特に気にならなかった。
「あ、そうだ。あの、この辺で服とかの生地って売ってますか?」
「もちろん売ってるよ。ほら、シフトのとこがちょうど手芸品のお店さね」
「うん、よかったらうちにおいで。ラグドリィ様もご一緒にどうぞ。大しておもてなしもできませんが」
「しょうがないからいくっす」
リリィたちはシフトの家へと移動する。
店内に入ると、動物の皮から生糸を織ったような生地まで幅広く置いてあった。
「ただいま母さん」
「シフト、おかえり」
迎えたのは恐らくシフトの母親だろう。父親も奥の椅子に腰をかけてパイプを吹かしている。2人ともリリィたちの姿を見ると、居直して丁寧に挨拶をする。
「これはこれはラグドリィ様。ようこそいらっしゃいました」
「ほらリリィ、ボクに合う服を作ってくれるっすよね?」
「うん。それにしてもいろんな生地があるのねぇ。すごい、これってなんの毛皮なんですか?」
リリィがカラフルな動物の生地を指さす。
「それはバルバラドーイの毛皮ですね」
「ば、ばるばら?」
「カラフルな毛皮が特徴的な下級魔物っすよ。人間でも狩れるっす」
「へ、へぇ」
そっか、動物だと思っていたものは全部魔物の皮なのね。
リリィは静かにぽんっと手を叩き納得した。
「ねぇラグちゃん、帰りも歩きなのかな?」
「もちろんっす」
「なんか乗り物ないのー?生地たくさん買って帰れないじゃん」
「そんなこと言われても困るっす……」
ラグドリィはもじもじと首をかしげた。そしてちらっちらとシフトに目配せする。
「なら、うちのバリューを使うかい?」
その様子を見たシフトが声を掛ける。
「バリュー?」
「バリュー車っていうのがあってね、人間界でいうところの馬車と同じらしいよ」
「あぁ、馬車ね!ってらしいってどゆこと?」
「僕はヴィルラっていって、魔界で生まれ育った人間なんだ。だから人間界のこととかよくわかんなくってさ」
「へぇ、なるほど」
「じゃ、お言葉に甘えてバリュー車で帰るっす」
リリィは買えるだけ生地を買いこみ、バリュー車へと積んでいった。もちろんお金は魔王持ちである。
「あのさ、ちょっと教会に寄りたいんだけど」
「教会っすか?さっさとするっすよ」
リリィは今すぐに帰ろうとすでにバリュー車に乗りこんでいるラグドリィをちらっと見て、そしてこの町にある教会の方を見た。
教会は遠くからでもわかりやすい形状の建物だった。
近くに行くと、扉に大きな紋章が掲げられている。
「この紋章はなに?」
「これはカーリン様の紋だよ」
「カーリン様?」
シフトの回答は、リリィにとっては聞き覚えのない単語だった。さっき少しだけ聞こえたような気もするが、それがいったい何であるのか全然わかっていなかった。
シフトと共に恐る恐る中に入ると、そこはテレビで見たことのあるような美しく清楚な内装になっていた。
「カーリン教の教会だからね。カーリン様は800年前の戦いにおいて魔王様を封印し、人間界を救ってくださったとされている人さ」
「でも魔王生きてるじゃん?」
「むこう側の人はね、魔王様が生きているのかどうかもわからないし、魔王様が攻めてくるんじゃないかって思ってるくらいなんだ」
「っていうことはさ、このカーリン教って魔王にとっての敵じゃないの?」
話の流れからすれば、カーリンはベルの敵であったと容易に考えられる。
「逆にむこう側ではそうなってるかもね。でもこっち側では魔王様が僕たちを守ってくれていることは周知の事実だからカーリン教の教えも少し違うみたいだよ」
「そんなテキトーでいいんだ……?」
「勇猛果敢な勇者がカーリン様って言われてるけど、本当の歴史がどうだったかなんてわからないからね。信仰できればそれでいいんだと思うよ。きっと魔王様なら真実を知ってるんじゃないかな」
ふむふむと頷く。
リリィの脳裏に過ぎったのは、ハートの宝石があったあの隠し部屋のことだ。
辺りを見回すが誰もいない。どうやら牧師様は不在らしい。
「人を崇めて何になるの?」
「救いを求めるんだよ。僕たちを救ってくれたご先祖様だからね、また救ってくださるとみんな信じてるんだ」
「私にはよくわかんないかも」
誰もいなかったので教会を出て、シフトの家まで戻ってきた。
「遅いっすよ!早く帰るっすー!」
バリュー車の中で退屈そうに待っていたラグドリィが駄々をこねる。
魔族にとっては全く興味のないところなのだろう。
リリィもシフトの家で飼っているバリュー車に乗りこんだ。バリューはダチョウに似た鳥のような魔物だ。大人しい性格のようで、走ることに特化しているらしい。
シフトが運転席に座り、手綱を握った。
「さぁ、お城まで飛ばしますからね」
人間の町の滞在時間は少しだったが、そこで感じ取れたのはリリィの知ってる世界の人間とは違うということだった。
どうやら人間界はリリィのいた世界ではないようだ。そうなってくるとリリィが元の世界に戻ることは絶望的なのかもしれない。しかし、リリィは楽しんでいた。今までに見たことのない生地で服を作れるという高揚感と、接したことのない魔族との出会い、人間との出会い。魔物は怖いけど、それでもこの赤紫に淀んだ空のこの世界が少しだけ楽しいと感じるのだった。
「さて、どんな服を作ろうかなっ」