王として
重厚な扉が左右に開け放たれると、目線の先には広場を一望できる、突き出した石造りのバルコニーだった。
一歩踏み出した紗蘭の視界に飛び込んできたのは、見渡す限りの兵士たちの姿だった。大蛇に乗っている兵士もいる。
(本当に蛇じゃない…巳の国…ここは寅と言ってたし、もしかして干支と関係あるのかしら)
彼らが掲げる旗が風にたなびき、数千の兵が放つ殺気が、物理的な熱量となって紗蘭の肌を刺す。
「……っ」
あまりの光景に足がすくみそうになるが、すぐ後ろに立つ白蓮の、冷徹な気配がそれを許さない。
「怯えを見せれば、奴らは一気に宮殿の中を攻めてくるでしょう。……さあ、王の言葉を」
白蓮が低く囁く。
バルコニーの最前列に立つ紗蘭を見上げ、軍勢の先頭に立つ一人の男――巳の国の使者が、一際大きい大蛇の上で不気味に長い舌を出しながら笑った。
「これはこれは、寅の国の新王とお見受けする。だが、あまりに小さく、弱そうですねえ。…… 間違えて迷い込んだ仔猫を連れてきたのかな?」
その挑発に、地を揺らすような軍勢の笑い声が湧き起こる。
紗蘭の耳に届くのは、彼女を嘲笑い、値踏みする不快な音ばかりだ。
(仔猫……? 弱そう?)
紗蘭は一条家の長女として生まれ、このような扱いを受けるのは初めてに等しかった。ふつふつと怒りがこみ上げてきていた。
「今口を開いた方は誰ですか」
紗蘭は冷静で凛とした声色で白蓮に質問をする。
白蓮は少しだけ目を見開らいた。
「巳の国の宰相でございます」
「…そう、王じゃないのね」
紗蘭は緋色の重厚な袖を大きく一振りした。
そして、一条家の令嬢として培ってきた、最も通りが良く、凛とした声を張り上げた。
「――静かになさい。あなた、誰の許可を得てここにいるのですか?また、誰の許可を得て発言しているのですか?」
その場に、冷や水を浴びせられたような静寂が訪れる。
その場にいる誰もが、目の前にいるか弱い女性から発せられた言葉だと信じれずにいた。
「なんだと……?」
巳の国の宰相の声色は驚きと怒りが混じっていた。
(馬鹿にされて黙っていられないわ、とことん王として振る舞ってみせるわ)
紗蘭は先程まで足がすくんでいたようにはとても見えないくらい、堂々とした態度で宰相を黙らせる。
「巳の国は、挨拶もお知りにならないようね。」
紗蘭はバルコニーの手すりに手をかけ、眼下の軍勢を、ゴミを見るかのような優雅な冷徹さで見下ろした。
「白蓮。……あの国には、王の前で頭を下げるという文化は存在しないの?」
後ろに控えていた白蓮が、さらに驚きに碧い瞳をわずかに見開く。
しかし、彼はすぐに主の「王の素質」を悟り、愉悦に満ちた笑みを浮かべて恭しく膝をついた。
「巳の国は野蛮な民族ゆえ、私どもの常識は通じないのです。私が追い返すべきでございました。」
「いえ、強引に来たのでしょう?貴方のせいじゃないわ」
(絶対に追い返してあげるわ)
「−−−−−−聞きなさい、私が寅の国の新しい王です。
この宮殿を汚すものは許しません。速やかにご自分の国へお帰りください。門の扉を開けなさい、お帰りよ」
紗蘭の凛とした声が、広場全体に響き渡った。
静まり返った巳の国の軍勢の前で、紗蘭は一条家直伝の、最も「気高く、傲慢な」微笑みを浮かべてみせた。
(よし……! 言ってやったわ……!)
心臓の鼓動は早鐘を打っているが、彼女の瞳はもう、
怯えてなどいなかった。
寅の国の門が開く音が静寂に響き渡る。
巳の国の兵士たちは開いた口がふさがらない。
巳の国の宰相だけは、紗蘭を睨みつけていた。
「寅の国の王よ、今日のところは帰るが、また改めて
お伺いさせていただく。行くぞ!」
宰相の一声で、兵士たちは出口に向かい始めていた。
紗蘭はようやく一息つくと、後ろに倒れそうになったところを白蓮が支えてくれた。
(巳の国は最後まで礼儀がなってなかったわね)
「ありがとうございます、大丈夫です」
紗蘭は先程の王の風貌とは打って変わって、年相応の顔に戻っていた。
「王よ、立派でした。」
白蓮が優しい顔つきで、紗蘭の身体を支えたまま微笑んだ。
(間近で見るとさらに綺麗な顔……)
紗蘭が見惚れているのも気にせず、白蓮は側にいる女官に声をかけ、紗蘭を何処かに案内するように指示した。
「ご案内させていただきます、私は翡翠と申します。今後は主に私が王のお世話を務めさせていただきます。」
翡翠と名乗る女官は、金色の長髪に虎の耳がついているが、顔立ちは幼く可愛らしい印象であった。
「…よろしくお願いします」
(虎の耳は、今更ながら本物なのよね?夢にしてはリアルすぎるし、今流行りの転生?でも私自身には変わりないのよね…)
「王よ、この状況や王の立場については私から後ほどご報告させていただきます。先ずはゆっくりお休みください。翡翠、早く案内しなさい」
白蓮は紗蘭の心を読んだかのようであった。
(休むより早くこの状況を知りたいけど、お腹も空いてきたし丁度良いかな)
「では王のお部屋にご案内させていただきます」
翡翠が少し頭を下げると、他の女官たちが紗蘭の後ろに整列する。まるで中国や韓国ドラマの時代劇のような光景に、紗蘭はときめきが止まらなく、辺りを見渡していた。
(素敵…!廊下や扉、窓の装飾も細かくて綺麗だわ…)
10分ほど歩いたところ、翡翠が立ち止まると、後ろの女官が扉を開けるために小走りで前に出てくる。
「こちらが王のお部屋でございます」
朱塗りの両開き扉をくぐると、そこには紗蘭の想像を遥かに絶する光景が広がっていた。
「……っ、すごすぎるわ」
思わず感嘆が漏れる。部屋全体が、深紅と黄金で彩られていた。
天井はどこまでも高く、太い梁には極彩色の龍と虎が絡み合う緻密な彫刻が施されている。床には、歩くたびに足先が沈み込むほど厚みのある、豪奢な真紅の絨毯が敷き詰められていた。
透かし彫りが施された黒檀のフレームに、最高級の赤いシルクのカーテンが幾重にも垂れ下がり、四隅には黄金の虎の頭を象った装飾が、鋭い眼光を放っている。
そして一番奥には、天蓋付きの豪華なベッド。
紗蘭はすべてのものに興味津々だ。
「こちらは王にのみ許された、虎の間でございます。お気に召しましたでしょうか?」
翡翠がにっこりと微笑む。
窓の外には、虎の国の切り立った山々と、沈みゆく夕日が部屋の赤をさらに深く染め上げていた。
(豪華絢爛すぎて落ち着かないけれど……でも、王様の部屋ってこんな感じなのかしら)
「ええ、とても気に入りました」
「安心致しました、ではまず正装を脱ぎましょう。」
「お願いします」
(本当にこれ重たすぎる……お着物の比じゃないくらい締め付けられてるし)
翡翠と女官たちは手際よく、何重もの帯や衣装を取っていく。最後に黄金の髪飾りを頭から外すと、紗蘭はようやく肩の荷が下りたような気分だった。
そして翡翠は、先程の正装とは別のゆったりとした漢服を紗蘭に着せていく。全て絹で出来ており、紗蘭はあまりの肌触りの良さに感動を隠せずにいた。
「寅の国は、山岳が険しく、農作物が育ちにくいのですが、絹は名産なんですよ」
「とても上質よね…私も絹の製品は持っていたけれど、ここまで肌触りが心地良いのは初めてだわ」
「お気に召されたようで安心致しました、では王様、こちらにお座りください。お茶をお入れ致します。」
最高級の木を使っているだろう重厚な木材で作られた机の天板には、大理石が埋め込まれていた。椅子は座り心地がよく、紗蘭はアンティークで美しい家具に目を奪われる。
(なんだか私、普通に馴染み始めているけど、ここはどこなんだろう…私はどうなったのかしら)
紗蘭はお茶の香りを遠くで感じながら、自分はどうなったのかと急に不安になってきていた。




