第21話:最前線基地への出張要請
地下のアーカイブ室に、いつもとは違う、重く硬い軍靴の音が響き渡った。
それは、ここを遊び場にしているエリート騎士たちの軽快な足音でも、ルーク監査官の猫背な歩法でもない。
軍律という名の鎖を全身に巻き付けたような、無機質で高圧的な、中央司令部からの使者の足音だ。
私はカウンターの奥で、読みかけの古い戦術書からゆっくりと視線を上げた。
案の定、扉の前に立っていたのは、銀色の刺繍が施された豪奢な制服に身を包んだ、いかにも「自分は選ばれた人間だ」という顔をした将校だった。
「第8魔導記録保管庫、管理官レイ。……貴殿だな?」
「はい。いらっしゃいませ。……残念ながら、ここは観光名所ではありませんので、記念写真は撮れませんよ」
私は可憐な少女の声を使いつつ、一切の感情を排した絶対零度の皮力を込めて応対した。
将校の眉が不快そうにピクリと跳ねる。魔力ゼロの小娘が、中央の自分に対して不遜な態度をとったことが許せないのだろう。
「ふん……。口の減らない小娘だ。……貴殿に、最高司令部からの直接の辞令を伝える」
彼は懐から、金色の封蝋が施された仰々しい書簡を取り出し、カウンターの上に叩きつけるように置いた。
「『特任記録解析アドバイザー』として、ただちに北部最前線基地……ゼフィール基地へと赴任せよ。期間は無期限。……これは決定事項だ」
その言葉が発せられた瞬間、アーカイブ室の奥に隠れていたエリート騎士たちと、機体の調整をしていたルーク監査官が、弾かれたように姿を現した。
「待てッ! 今の命令、聞き捨てならないな!」
ルークが眼鏡を押し上げ、怒りを含んだ足取りでカウンターまで詰め寄る。
「ゼフィール基地だと!? あそこは今、例の『亡霊』によって最も甚大な被害が出ている最凶の激戦区じゃないか! そこに魔力も持たない記録係を一人で送り込むというのか!」
「監査官殿、これは最高司令部の正式な辞令だ。横槍は容赦せん」
中央の将校は冷淡にルークを突き放した。
「前線では敵の『不気味な機動』を解析できず、部隊が壊滅し続けている。そこで、ゲイル中尉の汚職を物理データのみで暴いたというレイ管理官の『特異な頭脳』を借りたい……というのが上層部の判断だ」
『名誉なことではないか。軍の危機を救うチャンスを与えられたのだからな』
将校の口から出たその言葉は、あまりにも白々しく、そして醜悪な殺意に満ちていた。
(……やれやれ。随分と使い古された、安っぽい「暗殺計画」だぜ)
心の中のおっさんは、鼻先で笑い飛ばしたくなるような軽蔑を抱いていた。
「特任アドバイザー」なんてのはただの飾りだ。
その本質は、不都合な真実を暴きかねない私を、混乱の極致にある最前線へと放り出し、敵の砲火か味方の失態に紛れて「事故死」させることにある。
(わざわざ司令部直々の辞令ってのが、笑わせてくれる。……俺という存在が、よっぽどあのお偉方(黒幕)にとって目障りなんだな)
ルーク監査官は、私の代わりに顔を真っ赤にして将校に食ってかかっていた。
「ふざけるな! 彼女には自衛手段すらない! これは軍事命令の形を借りた死刑宣告だ! 監査官として、この辞令の不当性を――」
「ルーク監査官。……静かにしてください」
私が可憐な、しかしどこまでも低い声で制止すると、ルークは驚いたように口を閉ざした。
私はカウンターの上の書簡を指先で引き寄せ、その金色の封蝋をサファイアの瞳で見つめる。
「……レイ管理官? 君、まさか受ける気じゃないだろうね?」
「最高司令部からの辞令です。……しがない記録係に、拒否権はありませんよ」
私は無表情のまま、その書簡をゆっくりと開いた。
そこには、最前線での「特権」として、現地のあらゆる記録へのアクセス権と、必要な資材の徴収権が認められていることが記されていた。
私を確実に死地へ送るための、餌としての特権だ。
「……分かりました。謹んで拝命します」
『賢明な判断だ。……出発は明朝。輸送機が手配されている。精々、国のためにその知恵を絞るがいい』
中央の将校は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、踵を返して去っていった。
その足音が聞こえなくなるまで、アーカイブ室には重苦しい沈黙が降りていた。
「……狂ってる。本気なのかい、レイ管理官?」
ルークが、頭を抱えて唸るように問いかけてくる。
「あそこは地獄だぞ。あの『亡霊』がいつ現れるかも分からない。君のような子供が行って、何ができるというんだ!」
「監査官殿。……あなたは、私があの機体を『物理演算の予測』だけで制圧したと思っているのですか?」
私はランタンの薄暗い光の中で、ルークを真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、十三歳の少女にはあり得ない、底知れぬ深淵のような光が宿っている。
「……え?」
「上層部の黒幕は、私を最前線に送れば消せると踏んだようです。……ですが、それは彼らにとって人生最大の計算違いになるでしょうね」
私は立ち上がり、カウンターの奥にある重い鉄扉――第零格納庫へと続く扉へと歩き出した。
「彼らが私を消そうとするのなら、私はその最前線で、彼らが隠したがっている真実をすべて暴き出し、物理的に叩き潰すだけです」
(俺の戦術をコピーした「亡霊」が、俺の死地となるはずの戦場にいる。……皮肉なもんだが、これ以上の接待はねえぜ)
(コピーの皮を剥いで、その中身を売り飛ばした黒幕のツラを拝んでやる。……残業代の代わりに、その首をな)
心の中のおっさんは、獲物を追い詰める狩人のように、獰猛な笑みを浮かべていた。
私は格納庫の中に入り、オレンジ色の光に照らされた「鉄の相棒」を見上げた。
エリート騎士たちの手によって、装甲のボルトは締め直され、駆動系には新しい潤滑油がたっぷりと差し込まれている。
「……ルーク監査官。輸送機の手配には、監査部の息がかかった民間業者を混ぜられますか?」
私は機体の分厚い装甲を愛おしそうに撫でながら、背後に立つルークに問いかけた。
「……ああ、それくらいならお安い御用だ。監査部独自の秘密ルートを使えば、上層部の目をごまかせる。……だが、何を積むつもりだい?」
「決まっているでしょう」
私はコックピットのハッチに手をかけ、振り返って冷酷に微笑んだ。
「私の『筆記用具』ですよ。……少々、図体が大きくて、火薬と油の匂いがきついですが」
ルークは一瞬だけ呆然とした顔をしたが、すぐに事態を飲み込み、眼鏡の奥で楽しげに目を細めた。
「……ははっ。なるほど。記録解析アドバイザーが、自分の『分析機器』を持ち込むのは当然の権利だからな」
「ええ。……さあ、準備を始めましょう」
翌朝、私は最低限の荷物だけを抱えた「無防備な少女」として、基地の滑走路に現れた。
中央司令部から送られた監視役の兵士たちは、私の華奢な姿を見て、「せいぜい数日で泣き言を漏らすだろう」と嘲笑っていた。
だが、彼らは気づいていない。
私が乗り込んだ輸送機のコンテナの奥深く。
監査部の「機密資材」として厳重に梱包された中身が、魔法世界の常識を粉砕するための、漆黒の鉄塊であることを。
(待ってろよ、偽物。……本物の泥臭い戦い方を、一から教えてやるからな)
轟音を立てて輸送機が浮上し、アーカイブ室のあった基地が次第に小さくなっていく。
空の彼方、黒煙の上がる最前線を見据えながら、銀髪の少女は静かに目を閉じた。
それは、伝説の傭兵が再び戦場という名の「仕事場」へ戻るための、束の間の休息だった。
第二幕が終わり、物語はさらに激動の第三幕……硝煙と鉄が支配する「過去からの刺客」編へと突入する。
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次回お楽しみに。




