第20話:エピローグ:宣戦布告の足音
特級禁書エリアでの衝撃的な事実の発覚から数時間後。
私達はいったんアーカイブ室に戻り、さらにその床下に隠された分厚い防爆扉を抜けて、カビと機械油の匂いが充満する空間へと足を踏み入れていた。
かつて私が隣国軍の先鋒部隊を単機で物理的に蹂躙し、再び封印した「第零格納庫」である。
オレンジ色の古い水銀灯がジリジリと音を立てて点灯し、巨大な鉄の塊のシルエットを薄暗く照らし出した。
そこに鎮座しているのは、魔法至上主義のこの世界では到底理解されない、分厚い複合装甲と剥き出しの油圧シリンダーを備えた旧世代機体。
魔力回路など一切持たず、純粋な内燃機関と実弾だけで戦場を支配した、あの「物理の悪魔」だ。
「……何度見ても、背筋が凍るような威圧感だ。これが、あの中隊を五分でスクラップにした機体……」
エリート騎士の隊長が、ゴクリと生唾を飲み込んでその巨体を見上げる。
かつては魔力を持たない鉄クズだと鼻で笑っていた彼らだが、今やこの機体がどれほどの暴力と合理性の結晶であるかを、身を以て理解しているのだ。
「威圧感だけではありませんよ。この機体は、先の戦闘で限界以上のスラスター出力を出し、関節系にかなりのガタが来ています」
私は可憐な少女の顔に一切の感情を浮かべず、機体の脚部に設置されたアナログなタラップを身軽に駆け上がった。
「前線で暴れ回っているあの『亡霊』を物理的に止めるには、この機体を完璧な状態にまでチューンアップし直す必要があります」
(魔法のアシストがねえ機体ってのは、パイロットの腕と同じくらい、ボルト一本の締まり具合が命に直結するんだ)
(自分の命を預ける相棒のメンテナンスを他人に任せっきりにするような奴は、戦場じゃ長生きできねえ)
心の中の老兵は、油まみれの工具箱を引き寄せながら、口の端をニヤリと吊り上げた。
私は軍服の袖を乱暴に捲り上げ、自分の身体の半分ほどもある巨大なレンチを手に取る。
「……というわけで、監査官殿。そして魔法騎士の皆さん」
私はタラップの上から、下で呆然と見上げている男たちを冷たく見下ろした。
「私一人では、この巨大な鉄塊の装甲板を外すだけでも一苦労です。あなた方には、私の『手足』となって泥臭い重労働を手伝ってもらいますよ」
「も、もちろんです、レイ管理官! 俺たちにできることなら、何でも命じてください!」
「魔法で装甲を洗うくらいなら、俺たちにも――」
「駄目です。魔法の洗浄は金属の表面に余計な魔力被膜を作り、駆動系の油膜まで分解してしまいます」
私は彼らの安易な提案を即座に冷酷に切り捨てた。
「すべて『手作業』です。ウエスと潤滑油を使って、古いグリスを拭き取り、新しい油を差し込みなさい。ボルトの増し締めは、規定のトルク値を絶対に守ること。……さあ、急いでください。時間がありませんよ」
私の容赦のない指示に、エリート騎士たちは一瞬だけ顔を引きつらせた。
だが、彼らはすぐに純白の軍服が汚れることも厭わず、工具を手に取って機体の足元へと群がっていく。
魔法使いとしてのプライドを完全に捨て去り、必死に油にまみれて作業する彼らの姿は、以前の傲慢な姿からは想像もつかないほど『軍人』らしかった。
(やれやれ。随分と素直な整備兵どもになったじゃねえか)
(手つきは素人だが、まあ体力と筋力だけは無駄にあるからな。これなら、なんとか出撃までに間に合わせられるだろ)
私は彼らの作業を上から監視しつつ、自らはコックピット内部の複雑なアナログ計器と操縦桿の調整に取り掛かった。
断線しかけていた配線を繋ぎ直し、計器の目盛りをコンマ一ミリ単位で合わせる。
その作業をしながら、私の脳裏を占めているのは、あの魔導水晶に記録されていた『亡霊』の圧倒的な戦闘機動だった。
「……レイ管理官。一つ聞いてもいいかな?」
機体の下で図面を広げ、エリート騎士たちに指示を出していたルーク監査官が、タラップを登って私の横に並んだ。
彼の白衣もすでに黒い油で汚れているが、その瞳は研究者のような好奇心と、監査官としての鋭い光を放っている。
「あの『亡霊』のAIには、過去の凄腕パイロットの戦闘ログが完全にコピーされているという話だったね」
ルークは声を潜め、コックピットの中で配線をいじる私を見つめた。
「だが、機械は疲労も恐怖も感じない。人間の反応速度を完全にトレースした上で、それを限界まで引き出し続ける無尽蔵の体力を持っている。……本物の人間が、そんな完璧なコピーに勝てる算段はあるのか?」
彼の指摘は、物理とロジックに基づいた極めて残酷な真実だった。
機械は絶対にミスをしない。過去の戦闘データという『最適解』を、コンマ一秒の狂いもなく延々と出力し続けることができる。
「機械が完璧であればあるほど、弱点もまた明確になりますよ、監査官殿」
私は手を止めず、冷たいサファイアの瞳を計器板に向けたまま答えた。
「弱点……? あの悪魔のような動きに、弱点があると言うのか?」
「ええ。AIはあくまで『過去のデータ』に縛られたプログラムです。つまり、インプットされたデータに存在しない『未知のイレギュラー』には、演算処理が追いつかず必ず隙が生まれるということです」
私は操縦桿の遊びを限界までなくし、極端にピーキーな設定へとトグルを弾いた。
「過去のデータがどれほど優秀でも、現場の『今』を生み出す人間の思考を完全に上回ることはできません。……盤面をひっくり返す変数を一つ放り込んでやれば、機械は勝手に自滅しますよ」
(俺の戦術の基礎は、相手の魔法の詠唱の隙を突き、死角に潜り込むことだ)
(だが、それはあくまで『大人の男の体格』と『前世の機体』の性能を前提に構築されたロジックにすぎねえ)
私は自分の、十三歳の華奢で小柄な両手をじっと見つめた。
前世の屈強な肉体とは比べ物にならない、少し力を入れただけで折れてしまいそうな細い腕。
しかし、この『軽さ』と『小ささ』は、前世の私の戦闘データには絶対に存在しないイレギュラーな要素だ。
(今の俺は、過去の俺なら絶対に選ばない、この華奢な身体だからこそ耐えられる『変態的なステップ』を機体に組み込んでいる)
(自分のコピーなんぞに、過去を上書きした今の俺が負けるはずがねえんだよ)
私の静かな、しかし絶対的な論理に基づいた言葉に、ルーク監査官はゴクリと喉を鳴らした。
彼は眼鏡を押し上げ、私という存在の底知れなさに、改めて深い畏怖の念を抱いたようだった。
もちろん、彼には私が『過去のパイロットの生まれ変わり』であることなど知る由もない。ただ、目の前の少女が、どんな絶望的な状況でも覆せる異常な分析能力を持っていることだけは完全に伝わっていた。
「……なるほど。君のその頭脳なら、あるいはあの亡霊すらも論破できるのかもしれないな」
ルークは頼もしげに頷き、そして急に表情を険しいものに変えた。
「実は、君が作業をしている間に、私の監査部の端末に『厄介な通信』が入ってきてね」
「厄介な通信、ですか?」
私が顔を上げると、ルークは周囲に聞こえないよう、さらに声を落とした。
「ああ。私が『異界漂流物』の機密報告書を閲覧し、サインの復元を進めていることを……上層部の黒幕が察知したらしい」
「……随分と鼻の利くネズミですね。それで、何か手を打ってきたと?」
「君への『出張命令』だよ、レイ管理官」
ルークの言葉に、私はピタリと作業の手を止めた。
「軍の最高司令部からの直接の辞令だ。君のその『卓越した映像解析能力』を見込み、最前線基地における記録解析の特任アドバイザーとして赴任せよ、とのことだ」
(チッ。あの馬鹿なゲイル中尉を監査部に引き渡したせいで、ただの記録係である俺の存在が完全に上の連中に目をつけられちまったか)
(最前線への出張? 笑わせるな。これは事実上の厄介払い……いや、最前線の混乱に乗じた『暗殺計画』だぜ)
心の中のおっさんが、その見え透いた罠に舌打ちをする。
最前線は今、あの『亡霊』によって部隊が次々と壊滅させられている地獄の釜の底だ。
そこに魔力を持たない記録係の少女をたった一人で送り込めば、どうなるかなど火を見るよりも明らかである。
「監査部の権限で、この辞令を保留にすることもできるが……どうする? レイ管理官」
ルークが、私の判断を仰ぐように鋭い視線を向けてくる。
彼もこれが暗殺を目的とした罠であることは、完全に理解しているはずだ。
だが、私の答えは最初から決まっていた。
「保留にする必要はありませんよ、監査官殿。喜んでお受けしましょう」
私は油まみれのレンチを握りしめ、可憐な少女の唇に冷酷な笑みを浮かべた。
「なっ……本気か!? 奴らは君を、最前線の混乱に乗じて消すつもりだぞ!」
「分かっています。ですが、こちらから出向く手間が省けました。あの『亡霊』の機動パターンを直接解析するためには、最前線で実物を見るのが一番手っ取り早いのですから」
私はタラップから身を乗り出し、下で懸命に作業を続けているエリート騎士たちを見下ろした。
彼らの手によって、アナログ機体の装甲は鈍い黒光りを取り戻し、各関節の油圧シリンダーはいつでも暴力を解放できる準備を整えつつある。
黒幕は私を無力な小娘だと思って罠を仕掛けたつもりだろうが、それは致命的な計算違いだ。
「それに、上層部がわざわざ『最前線の映像を解析しろ』と命令してくれたのですから……」
私はサファイアの瞳を細め、知略に満ちた光をギラリと放った。
「その特権を存分に使って、敵の戦術も、味方の腐った編成も、すべて私の『論理』で一から叩き直して差し上げますよ」
「……ははっ。君という人は、本当に……」
ルーク監査官は呆れたように笑い、眼鏡の奥で楽しげに目を細めた。
「分かった。ならば監査部も、君のその『出張』を全力でサポートさせてもらおう。この機体の輸送手段は、私が極秘裏に手配しておく」
「助かります。……残業代と出張手当は、上層部の黒幕から高く取り立てさせてもらいますからね」
ズォォンッ……!
私がコックピットのメインジェネレーターのテストスイッチを入れると、機体が低く、地鳴りのような咆哮を上げた。
それはまるで、敵の論理を粉砕するために目覚めた獣の産声のようだった。
魔法が支配するこの世界で、純粋な物理と実弾の暴力を振るう異端の機体。
そして、その機体を操る、前世の記憶を持つ魔力ゼロの銀髪の少女。
過去からの刺客である『亡霊』との決着をつけるため、そして腐りきった上層部の陰謀を完全に論破するため。
第二幕の舞台は、薄暗い地下のアーカイブ室から、硝煙と血に塗れた激動の最前線へと移ろうとしていた。
宣戦布告の足音は、すでにすぐそこまで迫っている。
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次回お楽しみに。




