第16話:新たな常連、監査部の変人
ゲイル中尉による軍事物資の横流し、および敵国への機密売却事件から数日が経過した。
あの一件の後、彼はルーク監査官の通報によって駆けつけた監査部の実働部隊に、簀巻きのまま連行されていった。
その後の彼の末路は、まさに「自業自得」の一言に尽きる。
監査部の容赦のない物理的なデータ調査と、魔導水晶に記録されたノイズの解析結果が決定的な証拠となり、言い逃れは一切通用しなかったらしい。
彼の部屋や隠し口座からは余罪がボロボロと出てきて、輝かしいエリート将校のキャリアは一瞬にして崩壊した。
(軍法会議にかけるまでもなく、国家反逆罪で一生光の当たらない地下牢の底へご案内、ってわけだ)
(自分の保身のために仲間を売り飛ばすようなクズには、お似合いの末路だな)
心の中のおっさんは、シニカルな笑みを浮かべて存在しない葉巻の煙を吐き出す。
彼の一族も連帯責任で貴族の地位を剥奪されたという噂が、この地下深くまで聞こえてきている。
魔法使い特有の甘い隠蔽工作など、物理と論理の刃の前では紙切れと同義なのだ。
「……さて。ネズミの駆除が終わって、少しは静かになるかと思ったのですが」
私はカウンターの奥のパイプ椅子に深く腰掛け、大きくため息をついた。
透き通るような青い瞳の先には、閑古鳥が鳴いていたはずのアーカイブ室の光景が広がっている。
そこには、真剣な顔で過去の地形データを広げて議論するエリート騎士たちの姿があった。
「ここはやはり、スラスターの出力を絞って、斜面の角度を利用した慣性移動で抜けるべきだ!」
「いや、レイ管理官の教えによれば、そういう時こそあえて土煙を上げて視界を塞ぐ泥臭い手段が有効なはずだ!」
彼らはすっかりこの地下室を自分たちの作戦会議室か何かと勘違いしているらしい。
魔法の力に頼らず、地形と物理的な戦術を学ぼうとする姿勢は評価できるが、いささか暑苦しすぎる。だが、私の頭を悩ませているのは、彼らのような筋肉達磨の常連客だけではなかった。
「いやあ、素晴らしい! 君たちのその物理的なアプローチ、魔法至上主義のこの国では実に新鮮で美しい論理だね!」
「……ルーク監査官。あなた、またサボりに来たんですか」
エリート騎士たちに混ざって、ボサボサの黒髪に度の強い眼鏡をかけた青年が、目をキラキラと輝かせていた。
ヨレヨレの軍服に白衣を羽織った、軍の監査部のキレ者にして変人、ルーク監査官である。
彼はあの一件以来、すっかりこのアーカイブ室を気に入り、私のカウンターに入り浸る「新たな常連客」と化していた。
「人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ、レイ管理官。私はサボりではなく、君という『軍の最高機密レベルの頭脳』を視察しているんだよ」
ルークは眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、ニヤリと変人らしい笑みを浮かべる。
「コンマ一秒の映像ノイズから完全犯罪を暴き出す、魔法に頼らない純粋な物理演算能力。……いやはや、監査部の連中も君のレポートを読んで全員腰を抜かしていたよ」
「ただの事務仕事の延長です。大袈裟に騒ぎ立てないでください」
私は可憐な少女の顔に一切の表情を浮かべず、冷めきったコーヒーをすする。
魔法が絶対のこの世界において、ルーク監査官のような「データと物理法則を重んじる人間」は、完全な異端児だ。
だからこそ、彼は魔力を持たない私の分析力に異常なほどの興味を示し、こうして毎日のように入り浸っているのである。
後方支援の目立たない記録係として平穏に過ごしたかった私からすれば、正直言って少しばかり面倒な相手だった。
「レイ管理官! 俺たちのこの斜面を利用したマニュアル機動のシミュレーション、一度見てもらえませんか!」
エリート騎士の一人が、目を輝かせながら私に図面を突き出してくる。
かつて私をゴミを見るような目で見ていた男が、今や尻尾を振る大型犬のようにすり寄ってくるのだから、人生とは分からないものだ。
「……機体の重量と斜面の摩擦係数の計算が甘すぎます。これでは転倒して自滅するだけですよ。やり直し」
「は、はいッ! ありがとうございます!!」
私が冷酷にダメ出しをすると、彼はなぜか嬉しそうに敬礼をして、再び仲間たちとの議論に戻っていった。
それを見ていたルーク監査官が、呆れたように肩をすくめる。
「君は本当に、容赦というものを知らないね。だが、そこがいい。彼らも君の『論理』の前に、すっかり飼い慣らされてしまったようだ」
「飼い慣らした覚えはありません。私は事実を述べているだけですから」
私はため息をつき、ルークに向き直った。
「で? 今日は私を観察するためだけに、わざわざ地下まで足を運んだのですか?」
「いやいや。今日は君のその明晰な頭脳に、少しばかり『奇妙な事件』の相談に乗ってもらおうと思ってね」
ルークの顔から先ほどの飄々とした態度が消え、監査官としての鋭い光が眼鏡の奥に宿る。
(……チッ。また厄介事の持ち込みか。こいつが真面目な顔をする時は、ろくな話じゃねえんだよな)
心の中のおっさんが、嫌な予感に舌打ちをする。
「先日、ゲイル中尉の件で少し話しただろう? 前線に出没しているという、『魔法を使わない不気味な敵機』の噂についてだ」
ルークの声が一段階低くなり、周囲で議論していたエリート騎士たちも、そのただならぬ気配に口を閉ざした。
「ああ、あれですか。魔法の詠唱をせず、物理的なステップとゼロ距離射撃で我が軍を蹂躙しているという……」
「そうだ。生き残った兵士たちが恐怖を込めて『亡霊』と呼んでいる、正体不明の機体だ」
私は表情を変えないよう努めながら、机の下でギュッと拳を握りしめた。
前世の私の戦術と全く同じ動きをする敵。それが本当に存在するのだとすれば、ただの噂話では済まされない。
「監査部でも、その情報を単なる兵士の錯乱や誇張だとして処理しようとしていた。だが……被害の規模が、無視できないレベルにまで膨れ上がってきているんだ」
ルークは懐から分厚い資料の束を取り出し、カウンターの上に広げた。
そこには、無惨にスクラップにされた王国軍の魔導機体の写真が何枚も貼られている。
「これは昨日、北部戦線の防衛ラインで発生した戦闘の被害報告だ。我が軍の魔導機一個中隊……およそ十二機が、たった一機の敵機によって『五分以内』に全滅させられた」
「……十二機を、たった五分で?」
エリート騎士が、信じられないというように息を呑む。
「信じがたいが、事実だ。しかも、破壊された機体の残骸には、魔法による熱傷や凍結の痕跡が一切なかった」
ルークは一枚の写真を指差した。
「すべての機体が、関節の駆動部を物理的な質量で破壊されるか、至近距離からの極太の徹甲弾によってコックピットを撃ち抜かれていたんだ。見事なまでの『物理兵器』による蹂躙だよ」
(……間違いない。魔法障壁を避けて、装甲の薄い関節を狙う近接格闘。そして詠唱の隙を突いたゼロ距離射撃)
(この戦い方は、俺が前世で新兵どもに叩き込んでいた『対魔法使い用』の基本戦術そのものだ)
心の中の老兵の背筋に、冷たい汗がツーッと流れ落ちる。
「敵国は、ゲイル中尉が横流ししたコアパーツの技術を使い、魔法を捨てた完全な物理特化の機体を作り上げた。そして、その機体を操るパイロットは……」
私は可憐な少女の声を、わざと冷酷に響かせてルークの言葉を継いだ。
「魔法の『三秒の詠唱』という最大の弱点を完全に熟知し、それを狩るための泥臭い戦術を完璧にマスターしている」
「ご名答だ、レイ管理官。君の推測通りだよ」
ルークは重々しく頷き、白衣のポケットに手を入れた。
「魔法に依存しきった我が軍のパイロットたちにとって、詠唱を待たずにコンマ数秒で物理的破壊をバラ撒いてくる敵は、まさに天敵だ。このままでは、前線は遠からず崩壊するだろう」
「……それで? その厄介な敵の情報を、なぜしがない記録係の私に見せるのですか?」
私が鋭く問いかけると、ルークは眼鏡の奥の瞳をギラリと光らせた。
「君の分析力を見込んでの頼みだ。実は、全滅した中隊の中で、一機だけ奇跡的に『ドライブレコーダー(魔導水晶)』が無傷で回収されたんだよ」
ルークが白衣のポケットから取り出したのは、厳重な封印が施された、黒く濁った魔導水晶だった。
「この中に、その『亡霊』の戦闘機動がすべて記録されている。だが、魔法の常識が通用しない異常な動きすぎて、軍の解析班では何が起きているのかすら理解できなかった」
コトリ、と。
カウンターの上に、その黒い水晶が置かれる。
「君のその異常な動体視力と演算能力なら、この敵機の動きの『法則』を見破れるのではないかと思ってね」
ルークの期待に満ちた視線と、エリート騎士たちの固唾を呑む音が、地下室の空気をピンと張り詰めさせる。
(……見破れるか、だと? 笑わせるな)
(俺自身の『戦術』を、俺が見破れねえわけがないだろうが)
私は内心の激しい動揺を完璧な無表情の奥底に隠し、ゆっくりと手を伸ばしてその黒い水晶を掴み取った。
ひんやりとした感触が、十三歳の華奢な手のひらに伝わってくる。
「……いいでしょう。監査部からの特別な依頼とあらば、査定して差し上げます」
私は水晶を、手元の再生用魔導具にカチリとセットした。
「この『亡霊』とやらが、一体どれほどのステップを踏めるのか……私の目で確認させてもらいましょう」
淡い光が空中に浮かび上がり、ホログラムの立体映像が展開される。
そこには、魔法世界のセオリーを完全に逸脱した、絶望的で、しかし私にとってはあまりにも見覚えのある『泥臭い蹂躙劇』が記録されていた。
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次回お楽しみに。




